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異世界奴隷が目指すもの!  作者: 芳井食品(芳井暇人)
四頭竜の軍旗を掲げて
86/162

港町の夜

 ◆ 


 シェヘラザードはマディーナへ行くと言い出した当初こそ元気が良かったが、暫くすると案の定、体調を崩した。

 アルコールの酔いと、ドラゴン酔いのダブルパンチで顔面を蒼白にすると、


「気持ち悪い……」


 と言い、竜から身体を乗り出して、胃の内容物を下界にばら撒き始めたのである。

 最悪の大将軍ライース・アルジャイシュだった。


 暫くすると落ち着いたのか、今度は俺の懐に身体を滑り込ませると、静かな寝息を立てて眠ってしまったシェヘラザード。


 しかし間近で彼女の寝顔を見ると、そりゃあもう美人過ぎた。世間の人々が諸手を上げて絶世の美女というのも頷ける。

 あれほどの醜態を晒しても尚、尊厳を失わないシェヘラザードの横顔は染みも黒子も無く、ただただ白魚のように透き通っていた。

 そこにアルコール成分が血中に含まれてほんのりと染まった頬は、柘榴の花の様に赤く可憐なのだ。


「ナ……セル」


 けれど、寝言がいただけない。さらに瞼から一筋の涙が零れる辺り、俺にオロオロさせたいだけなのか?

 俺の腕の中で眠りながら、シェヘラザードは敵将の名を口にしていた。

 俺もシバールの将軍として生きてゆくと決意した過程で、当然ながらシバールの歴史をざっと学んでいる。

 だからシェヘラザードとナセルの関係も知っていた。

 もしも二人が結ばれていたなら、今日の様な戦乱は避けられたかもしれない。そう思えば周りだって少し残念なのだから、当人なんか、もっと忸怩たる思いがあるだろう。


 ただ、二人は結局結ばれなかった。

 だから今があり、それは今後、覆る事も無い。

 もしかしたらナセルにもシェヘラザードにも政治とは関係の無い部分で、後悔の念があるのかもしれない。

 いや――シェヘラザードにはきっとあったのだろう。それであんな風に昼間から痛飲して、こうなったのかもな――。


「シェヘラザード……」


 俺がシェヘラザードの巻き毛を軽く指でとかすと、彼女の耳が顕になる。

 耳はアエリノールよりも短く、しかし半妖精ハーフエルフというには長いものだった。


 シェヘラザードの父は半妖精ハーフエルフ、そして母が妖精エルフということだけど、前に見た時は人の耳と同じだったような……。

 不思議に思ってそっとシェヘラザードの耳を指でなぞると、くすぐったそうに動いた彼女。


「ふ、ふふ……シャムシール、私、今、何か言った?」


「さあ――よく聞こえなかったな」


「――私ね、昔、ナセルの恋人だったの」


「そうなんだ」


「でも、昔の話よ。これからは、シャムシールの第五夫人だから」


 眠っていると思ったシェヘラザードが、俺の呟きにうっすらと目を開く。

 まだまどろんでいるシェヘラザードは僅かな涙を指で拭うと、俺の冑を脱がせる。それからシェヘラザードは、すぐに俺の唇に唇を合わせてきた。

 ゆっくりとしているのに無駄の無い動作で、俺は一切の抵抗が出来なかった。


 正直、吐いた後の口とキスするなんて! と俺は少しおぞましく思ったが、何の事は無い。シェヘラザードからは桃の芳香が漂って、俺を癒してくれるようだった。


「それから耳は……普段は魔法で隠しているのよ。でも、シャムシールになら別に見られてもいいから」


「そっか。これからよろしく、第五夫人シェヘラザード」


 俺はそう言うと、安心したように彼女は再び眠りに落ちる。

 彼女が過去と決別するならば、俺はそれを受け入れるしかない。

 まして、シェヘラザードはありのままの自分を俺に見せてくれたのだ。

 もちろん単に泥酔しているだけという考えも脳裏を過ぎるが、それにしたってこれに応えなければ俺もナセルと同じになってしまうだろう。

 

(かっこいいぞ! 俺!)


 と思ったが、鼻の下は当然伸びている。シャジャルがいたら、きっと大変な事になっていただろう。

 

(ふむ。アエリノールはイチゴ風味でシェヘラザードは桃風味か……。ジャムカは橙色の雰囲気だから、やっぱりオレンジ風味だろうか? でへへ)


 そう思ってジャムカをちらっと見たら、憤怒の形相で俺に槍を投げそうになっていた。


「ま、まって、ジャムカ! 違うんだ! いや、違わなくないけど! 色々と事情が!」


「鼻の下を伸ばして! オレともしろっ!」


「は、はい!」


 俺はジャムカの剣幕に押されて、思わず頷いてしまう。

 とは言っても、いずれ妻になる女性にキスを迫られて、断る理由もないのだから別に構わないのだが。


 ジャムカは嬉しそうにドゥラの背から跳躍すると、アーノルドに飛び乗った。

 そして器用に竜の背を歩き、俺の背後から抱きついてくる。


「ひゃっ」


 すでに冑を竜の背に乗せている俺は、振り返った途端ジャムカと至近距離で目があってしまう。

 悲鳴を上げたのはジャムカだった。

 そしてすぐに頬を赤らめて、俺から距離を取ってしまったジャムカは、どうやら純情だった。


「や、やっぱり外でするのはどうかと思うっ!」


 慌ててドゥラの背に戻ったジャムカは、その後暫く俺と目を合わせてくれようともしなかった。

 

 あれ? 俺、ジャムカに嫌われちゃったのだろうか?


 ジャムカとのキスを想像して、オレンジ風味かなぁ、とか変な事を考えていたのが伝わってしまったのだろうか?


 カイユームは俺の側で付かず離れず飛んでいるが、どうも間合いを測っている感じだ。

 明らかに俺の唇を狙っている目をして、眼鏡をギラ付かせている。危ないので俺は再び冑を装備して、ザーラに目配せをした。


(カイユームを押させてくれ!)


(はい、にゃん)


 ザーラはアーノルドに舞い降りると、俺の背中にしなだれかかる。

 なぜだ? ザーラ、一体何を了承したのだ?


 俺はマディーナまでの道のりを、シェヘラザードとザーラに挟まれて行く事になるのだろうか? それはそれで幸せだけど。

 だがジャムカとカイユームの憎悪に満ちた視線があって、幸福感は相殺されていた。どころか、ジャムカなど目に涙を一杯溜めていて、とてもいじらしかった。


「オレは人前で接吻など、到底出来ぬ! うわあああん!」


 でも結局ジャムカは俺の右横にへばりつき、ずっと離れなかった。

 挙句にカイユームは、


「では、私もお言葉に甘えて……」


 なんていいながら、俺の左横にへばりつく。

 これは流石に地獄だった。

 

 

 俺達がヘラートを発って数時間、アーノルドが竜には珍しく”ぜえぜえ”と荒い息を吐いている。

 辺りはすっかりと夜の闇に覆われていたが、ようやくマディーナ周辺に到着したようだ。


「我が主よ、流石に我でも五人を乗せて飛ぶのは……」


 どうやら最大積載量を超えてしまったアーノルドは、重力操作を駆使して飛んでいたようだ。

 だからこそ速度を落とすことなく飛行できていたが、そろそろ限界という事だった。

 俺はアーノルドの言葉を皆に伝えると、それぞれの位置に戻ってもらう事にする。

 ある意味、魔術師達は魔力を節約出来たのだし、結果オーライだろう。

 ちなみにジャムカとは、飛んでいる間にキスをした。

 何しろジャムカがずっとベソをかいていたのだから、キスをするしかないと思ったのだ。


「オ、オレはどうせそれほど美しくないし……そんなオレの口など、シャムシールさまは吸いたくないだろうし……でもでも、オレも夫人だぞ……まさか、オレは愛されていない? そんな馬鹿な……ああ、もう! だけど人前でなんて……」


 ジャムカがこんなことを呪詛の様に呟いているのを聞けば、いくら鈍感な俺でも彼女の想いに気が付くというもの。


「み、見るなよ、みんな見るな!」


 ジャムカはキスをする前にこう言って目をつむったのだが、残念な事にザーラとカイユームにガン見されていた。


「わ、私も、私も!」


 カイユームも唇を突き出してこんな事を言っていたが、俺は華麗にスルーした。


「ま、まさか陛下は女の方が好きなのでは?」


 がっくりと肩を落としたカイユームは茫然自失の体だったが、何を今更なのだろうか。


 ともかくマディーナ周辺に着いた俺達は先ほど打ち合わせをしたとおり、このままアカバの港町へ行き、ハールーン軍と合流する。

 何もただ単に五人でくっついていた訳ではない。打ち合わせだってちゃんとしたのだ。


「思いのほか、早く着いた。ここがマディーナか」


 ドゥラを旋回させながら、篝火に照らされる群青玉葱アズラク城を見下ろすジャムカは、頬を綻ばせていた。


「いたた……私……あら? ここはどこ? え? シャム……シール?」


 俺の腕の中で、艶やかな巻き毛のシェヘラザードが身体を起こす。

 彼女は俺とキスをしてから寝て、そのままずっと眠っていたのだ。

 そして、どうやら酒によって記憶を一部喪失したらしい……ってオイ!


 ◆◆


 アカバの港町はシバールで唯一西海に面した都市だ。

 ここはシバール国マディーナ領の一部なので、つまるところ俺の領土である。

 それにしても、風雲急を告げたマディーナ情勢により、夜にも関わらず周辺は随分と騒がしい。

 まず、都市の外にハールーンが陣を敷いている。さらにマディーナ領にあるマディーナ以外の諸都市から軍勢を集めている為、その数が五万にも膨れ上がっていた。

 元々マディーナから一万を率いて城外に出たハールーンが、外で四万を集めたというのだから、すでにマディーナ全軍の半数が掌中にあるということ。

 対フローレンス戦に備えてマディーナへ召集命令が出ていた将軍達を、ハールーンは根こそぎ味方に引き入れたといえる。

 もっともこれを、マディーナ領を守護すべき軍の大半がスルタンを名乗った太守を捨てて、ハールーンの掲げる軍旗の下に集ったと考えれば複雑だ。

 事変の発生からたった二日でこれだけの数が集まっているのだから、将軍達は一切の逡巡さえ見せなかったという証左だろう。


「――それほど、ファルナーズの人気は落ちているのか?」


「というより、シャムシールの人気が高いんだよぉ」


 アカバの近郊にあるハールーンの本陣に俺達が降りると、主将たるハールーン自らが出迎えてくれ、自身の天幕へと案内をしてくれた。

 そこで早速状況を聞くとハールーンの答えはこのようなもので、俺は腕組みをして唸ることしか出来ない。


「まったく。今じゃシャムシールは王様、ハールーンは将軍さまで、ファルナーズさまが反逆者なんだから、どうしたもんかねぇ」


「そういうロスタムだってぇ、将軍になったじゃない」


 ハールーンの天幕で上座に座っていると、新たに現われた万人将が歩きながら言った。

 俺の左脇に座るハールーンが、彼を見て苦笑している。

 って、ロスタム? なんだか、とても久しぶりだった。

 ロスタムといえば、俺が奴隷騎士マルムークになったとき、直属の十人長だったテュルク人だ。身長こそ低いが、その膂力は凄まじく、まさに鬼と言える男だった。

 その男が俺の前に跪き、恭しく頭を垂れる。

 俺の記憶では、ロスタムはそのままファルナーズに仕えて順調に出世した。今では近隣都市を取りまとめる万人将だったはず。たしかにマディーナにいるハールーンの方が上席だが、この状況ならマディーナ王を名乗ったファルナーズに付いてもおかしくはない人物だった。


 なぜ、ここに?


 そう思いながら、俺はロスタムに声を掛ける。


「ファルナーズがスルタンになったそうだ。であれば、ロスタムは俺より彼女を選ぶかと思ったが?」


「ありゃ嘘ですよ、なんか事情があるに違いねぇんだ。何しろシャムシール……いや、陛下、姫があんたを裏切る訳がねぇ。それを俺は知っているからこそ、ここに来たんです」


 ロスタムはかつてのロスタムとなんら変わらない無精髭を生やして、ざっくばらんな口調で語る。しかし瞳に宿る光は誠実そのもので、到底嘘を言っているようには見えなかった。

 俺は、自分自身が賭けている唯一つの可能性について口にする。


「やはり呪術の類で操られているのか?」


「俺にゃ詳しいことなんざ分からんねぇが……姫は陛下に思いを寄せていた。それで裏切るなんて、まずありえねぇな」


「へ?」


 俺は間抜けな声を出したと思う。

 ファルナーズが俺に? そんな素振り、どこにあった? 謎過ぎるんですが。


「シャムシールぅ、ボクもそう思うんだ。証拠があるわけじゃないけれど、ね。ただ、だからこそボクは正面のフローレンス軍を撃ち破りぃ、マディーナを解放しようと思って兵を集めていたんだぁ。でも、まさかシャムシールが自ら援軍として来てくれるなんて思わなかったよぅ! これなら絶対に勝てる! それに、今日は久しぶりに一緒に寝られるね!」


 ロスタムの言葉に俺が茫然としていると、ハールーンが俺に抱きつきながら自らの考えを語る。

 車座になっている俺の妻や部下達が訝しげに俺達を見るが、ハールーンはお構いなしだった。

 カイユームが膝の辺りで拳を握り締めている。


「や、やっぱり陛下は……しかしハールーン将軍の美貌はどうしたこと。あれでは陛下が女よりも男が好きになるのも当然だ!」


 ちがうちがう!

 カイユーム! 勘違いを加速させないでくれ。


「(ハールーン……私より、シャムシール王の方が魅力的だというの……?)」


 ハールーンを見つめるアーザーデが、瞳にうっすらと涙を溜めている。


 ”すぽん”


 ハールーンが、俺の冑を外した。

 最近の俺は、冑を外すのをよく忘れる。

 被っていても違和感が無いし、むしろ安心するからだ。

 でも、だからこうして他人に取られることが増えてきた。それもどうなんだろうか。


「あー、シャムシール、髪が随分伸びてるよぉ。後で切ってあげるねぇ」


 そう、俺は今までハールーンを床屋代わりにしていた。

 というかこの世界では、あまりよく知らない人に刃物を持たせて後ろに立たせるなど、自殺行為に等しいのだ。そうすると、俺が最も信頼する人物はハールーンな訳で……。

 って、そんな事をしている場合じゃないだろう!


「ハールーン! そういうのは後でいいから! 状況の説明と今後の展開を! 大体考えてあるんだろう?


「もちろんだよぉ」


 俺は俺の側であれやこれやと世話を焼くハールーンを引き剥がすと、目に掛かる前髪を指先で払った。

 そういえば、確かに髪が伸びたな。

 もっとも、短髪が特徴なのは砂漠民ベドウィンの男か守護騎士ムカーティラの男位のモノなので、正直、この世界には髪が長い男の方が多い。

 それにどうせ冑を被らなければ頭に帽子を乗せて、その上に布を幾重にも巻いてゆくのだから、最近ではあまり髪の長さを気にしていない俺だった。


「で、俺はどうすればいいんだ? ファルナーズ配下として疑いの目があるのなら、俺は大人しく牢にでも入ってるが?」

 

「いや、俺もファルナーズを信じているからこそ、ここにいる。ロスタムはこれまでどおり、万人将として戦ってくれ」


「おうよ!……ところでスルタン、もう血を見ても恐くねぇのか?」


「……恐いよ。出来れば、もう見たくないね」


「うわははは! 変わってなくて安心したぜぇ!」


 ロスタムは俺の言葉を聞いてより深く頭を下げると、車座の中に一つの席を占めたのだった。

 

 ◆◆◆


 ハールーンの天幕に集まる一堂は、俺、ハールーン、シェヘラザード、ジャムカ、ザーラ、カイユーム、アーザーデ、ロスタムの七人だった。

 ここにいる者は基本的に俺派という前提だが、或いはファルナーズの為に、最初から裏切るつもりでここにいる可能性だって否定出来ない。

 だからなるべく作戦の全体像を知る者は信頼できる者だけで、それも少ない方がよいのだから。


「フローレンスの宰相ウィルフレッドは、ここから二十ファルサフ(約百キロ)北を行軍している。数はおよそ十五万。これとマディーナ軍に挟まれれば、ここは容易く落ちるでしょうね。正直……五万の軍は惜しい。場合によってはヘラートまで退き、本隊と合流する方が良いかも知れません」


 カイユームの言葉は正論だが、中々にそう出来ない理由もあった。


 ハールーンが港町であるアカバを拠点にしている理由は、三つある。

 一つは、間もなくフローレンス内で反乱を起こすであろうジーン・バーレットが逃走した折、シバールへの入国経路を確保しておく為。

 もう一つは、単に軍の糧食確保に海産物が豊富なアカバは最適だったのである。

 何しろアカバの海産物は、売れる程あるのだ。

 どれほど軍が買い上げても尚余る海産物は、住民に忌避される事なく調達出来る数少ない糧食だった。逆に言えばマディーナの台所ともいえるこの地を抑えている限り、誰もマディーナを完全に占拠することは出来ないのだから。

 最後は、もしも対マディーナ戦が長期化した場合に備えてのことだった。

 アカバを押さえるという事は、海産物のみならず塩までもマディーナへの供給を止める事が出来るのだ。こうなれば、マディーナに篭城し続ける事は困難になるであろう。


 もっとも対マディーナ戦を長期化させるということは、それだけ俺が不利になる。だからこそカイユームは、いっそ全てを捨ててしまうという可能性を示唆しているのだが。


「ザラームの長。簡単に言ってくれるがマディーナを失っても俺達には、フローレンス、ナセル連合と戦って、まだ勝算があるのか? あん? 俺達が負ければシャムシールは間違いなく斬首! いや、縛り首かもしれねぇんだぞ!」


 ギロリとカイユームを射すくめる、ロスタムの眼光は鋭い。


「そうなったら……そうなったら……陛下の妹君たるシャジャルちゃんだってタダじゃすまねぇ! わかってるのか! え!?」


 このロリコン野郎!

 俺が斬首されるより、シャジャルが心配だっただけじゃないか!


「まあまて。まずはマディーナに入り、ネフェルカーラを解放しようではないか。それからファルナーズの真意を確かめ――適切な対処を為せば、どの道マディーナは取り戻せよう。今ならば、マディーナ内にいるフローレンス軍は四千程なのだろう?」


 そこで俺の右隣に座る大将軍ライース・アルジャイシュが口を開いた。

 まだ頭が痛むのか、時々こめかみを指で押さえている姿が痛々しい。

 

「だが、どうやって内部に入り込むのです? 先ほどマディーナの上空を飛んできたが、あの結界は容易に破れるものではない、にゃん」


 途中まで普通の口調だったザーラは、俺と目が合うと慌てて語尾を付け足した。そして恥ずかしそうに小さくなる。

 ロスタムが目を輝かせてザーラを見ているが、それが魔族イブリーズ女の怒りを買ったようだ。


石化ハジャル


「ぬ、ぬおっ!」


 ザーラの魔法に抵抗するロスタムは、必死だった。

 その結果、石化は額の一部で収まり事無きを得たが、このことで後のロスタムはこう呼ばれる事になる。


 ”石頭将軍ラアス・ハジャル・アミールロスタム”と。


 お気の毒さまだった。


「結界を破るというよりぃ、地下水路から城へ向かえばいいんじゃないかなぁ? 元々、明日にでもボクがやろうと思っていた作戦だけどぉ。というより明日にでもマディーナを取り戻さないと、フローレンス軍が迫っているから時間がないんだよねぇ。ふふふぅ」


 俺の隣でハールーンが地図を広げた。

 口調は相変わらずだし笑うポイントなど何処にもないのだが、そこはハールーンなので仕方がない。でも、やる事はやっているし、流石はイケメンの中のイケメンだ。


「ほら、実はマディーナの外に……こう……城内の水路へと繋がる道があるんだよぉ」


「おい、ハールーン。それは明らかにマディーナと近いじゃないか?」


「そうだよぉ。だから軍を動かして、そのままマディーナの再奪取をするんだよぉ」


 ハールーンの作戦は、どこまでもイケメンだった。

 もう、コイツは勝利までの筋道を考えている。

 ここで不安要素があるとすればファルナーズの本気度と、ジャンヌの力量だ。

 この要素が一定値を超えた場合、悲しいけれど俺達は撤退するしかいない。その線引きも明確で、俺達はハールーンの作戦を満場一致で是としたのだった。


「ハールーン、この作戦、いつ考えた?」


闇隊ザラームに状況の報告を上げた時、かなぁ。ふふぅ」


「オマエさ、本当は絶対に俺が来るって思っていただろう?」


「ふふぅ、分かるぅ?」


 こうしてマディーナ奪還、及びネフェルカーラ、ファルナーズ救出作戦の決行は明日と決まった。

 ファルナーズを「救出」というのは少し違うのかも知れないが、少なくとも俺とハールーンはそう信じているのだから、そう言いたいのだ。

 ジャムカとカイユームは微妙な顔をしていたが、シェヘラザードの一言によって彼等は驚きの表情を浮かべた。


「ファルナーズを殺すつもりね?」


「場合によっては、仕方がなかろう」


 ジャムカは真っ直ぐシェヘラザードを見つめて、答える。

 これが、ドゥバーンが言う最悪の場合に行う任務か。


「……もしかしたら、ファルナーズ自身がそれを望んでいるのかもしれないわね。でも……」


「それでも、俺はファルナーズを殺させない」


 シェヘラザードが悲しげに言うその言葉を、俺は途中で否定する。


「シャムシールぅ。ファルは、今死ぬには悲しすぎるよ……助けようねぇ」


「ああ、当然だ」


 俺はハールーンの瞳に宿る決意の炎を見つめた。

 多分、ハールーンも俺の瞳に同じモノを見ているのだろう。

 俺達は互いに拳を差し出し、ぶつけ合っていた。


「じゃあ、シャムシールぅ。ネフェルカーラの奪還、頼むねぇ! 彼女しか、多分ジャンヌ・ド・ヴァンドームは抑えられないから」


「分かってる。毒を持って毒を制す、だな。ハールーンは軍を頼むぞ」


「ぷっ。ネフェルカーラが毒って」


 俺の言葉にシェヘラザードが吹き出している。だが否定しないあたり、きっと同感なのだろう。


 俺は本隊の指揮官を誰にするか、正直少しばかり迷った。

 シェヘラザードも軍の指揮は上手いだろうし、ジャムカだって下手じゃない。カイユームならば骸骨兵なんかを地中から生み出せるから、兵力のかさましが出来るだろう。ザーラだって用兵を無難にこなしそうだ。

 だが、やはりここはハールーンだと思った。

 策謀はともかく戦場での用兵なら、ハールーンがドゥバーンにだって負けない事を俺は知っている。しかも一騎討ちの強さはドゥバーンの比ではないのだ。

 例えフローレンス軍が後方から現われたとしても、ハールーンが無様に負けるなんてことはありえない。

 という訳で明日はハールーンにマディーナ攻略の指揮を任せ、俺はシェヘラザード、ジャムカ、カイユーム、ザーラと共に別働隊を率いてネフェルカーラ解放を目指す。

 それと共に、ネフェルカーラ麾下の奴隷騎士マルムークを解放していけば、マディーナを内部から揺さぶる事も可能だろう。

 もちろんその中には、敵の最大戦力となるだろうジャンヌ・ド・ヴァンドームと驚異の(ワンダー)アリスの排除も含まれるのだから、どこまで勝算があるのかは微妙。当たり前だけど必勝の心構えで行くが、場合によっては明日が俺の命日になるのかもしれない。

 ……まあ、命日になりそうだったら、さっさと逃げ出したいけれど。


 そして俺は今、ハールーンと二人、牢の中にいる。

 牢はハールーンの天幕の奥にあり、つまりは将軍の寝室だった。

 ここで俺はハールーンに髪を切ってもらい、それから酒を酌み交わしていた。

 それほど大量に飲むわけでもないが、久々に会った親友だ。積もる話もある。


「シャムシールはもともと綺麗な顔なんだからぁ、髪もきちんと整えていた方がいいよぉ」


 ハールーンもそうだが、俺はこの世界でよく綺麗な顔と言われる事がある。

 それは俺の地位に対するお世辞みたいなものだと思っていたけれど、もしかしたら意外とそういう価値観なのかもしれない。

 ジャムカもシバール人には人気があるし、むしろ多少のっぺりした顔の方が、エキゾチックな魅力により三割増くらいでよく見えるのかも。


「そう? じゃあ、なるべく整える事にするよ。……それにしてもさ、ハールーン、なんで牢なんだ?」


「ボク、長いこと奴隷だったじゃないぃ。それで気付いたんだぁ。牢って落ち着くなぁってぇ。ふふぅ」


「いわれてみれば、そんな気もする」


 俺は周囲に敷き詰められた藁を手に取り、ぱらぱらと落とした。

 そう、俺はこの世界にきてすぐに奴隷となった。それから暫くはこんな場所で、ハールーンと共に起居していたのだ。

 あまり良い思い出とは言えないけれど、懐かしさと共に俺は杯に注がれた果実酒を飲み干す。


「なあ、ハールーン。今でも砂漠民ベドウィンの国を作りたいか?」


「何をいきなりぃ。滅びた国を再興する意味って、あんまりないと思うよぉ?」


 ハールーンの言葉は歯切れが悪い。

 再興する意味はなくても、新たな国なら必要とも取れる内容だからだ。


「ハールーン。俺はさ、今、スルタンなんかやって三カ国も持っているけど……正直そんなに国なんかいらないんだ。

 ハールーンなら、このマディーナを取り戻した後、より良いマディーナを作れると思う」


「なんでそんな事をいうのぉ?」


「ファルナーズを助けても、全てを不問にすることは出来ない。だけど、マディーナは俺にとって大切な場所だから。それに――一度独立を宣言した場所を、再び直轄地にするのも政治に不信を招く」


「ふふぅ。シャムシールも立派にスルタンじゃないぃ」


「嫌か? ハールーン」


「ううん。了承マーシ王の中の王(シャーハンシャー)シャムシール」


「シャーハン……? なにそれ?」


「ボクらの国では、族長の事を”シャー”というのさぁ。だからボクを王にするならシャムシールの称号は、当然そうなるよねぇ」


 俺はハールーンと対等になろうと提案したつもりなのに、コイツは俺の格をさらに上げようとしている。


「俺は、これ以上の地位なんか要らないんだけどなぁ」


「もう無理だよぉ。だって、戦争に勝てばシャムシールはどうあってもシバールの最高権力者になるんだしぃ。あ、でも、負けたら一緒に斬首ぅ? 縛り首かなぁ? ふふふぅ」


「うん、死にたくは無いな……俺は戦争がなくなればそれで……いいんだよ……むにゃ……チャーハンが食べたい……」


 結局、寝る前の会話はかみ合っていなかったと思う。

 俺の意識はハールーンが”くすくす”と笑っているところで途切れたけれど……。

 翌朝、俺は久しぶりにハールーンの猫パンチを食らって目が覚めたのだった。

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