四面楚歌の前に
◆
宮殿の前庭には、相変わらず戦勝に浮かれる市民たちが大量にいて、ジャービルを囲むように大騒ぎをしている。
赤獅子槍騎兵の面々も市民たちに混じり、一緒になって歌ったり、踊ったり、料理を平らげたりと忙しく動いているようだった。
もちろんジャービルは仏頂面を浮かべて、酒盃を手にして、その中身を次から次へと胃袋へ流し込んでいた。
何しろマディーナ行きが絶対に無いジャービルは、ともかくこの場の道化なのだから、飲む位しかやる事が無いと言わんばかりなのだ。
ちなみにジャービルは、真教を信仰している訳ではない。
というより本来、奴隷騎士とは真教を奉ずる王に仕えるという名目上必ず真教徒であるのが建前だが、俺の部下達は基本的に全員自由人だ。
そもそも俺の部下達は様々な人種や種族がいる訳で、むしろ純粋なシバール人と呼べる人の方が少ないくらい。そうなると、教義を完全に守ることよりも、
「神の下、万人は等しく生きる権利を有する」
という言葉のみを重視した集団と化している。
もちろんこの状況を良しとしない者もいるが、マディーナやセムナーン、それにサーベ辺りを統治するに当たって、むしろこの考え方は功を奏していた。
何しろ他国と国境を接していたりする土地柄から、その三都市の住民達は真教というものに対して、あまり狭義な解釈をしない。
その意味では生粋の真教中心地とも呼べるヘラートとの軋轢は、確かに生まれつつあった。
闇隊の報告によると、ナセルの支配地域やヘラートの一部地域で、俺の評判がとんでもない事になっているらしい。
真教を蔑ろにして、ただ力のみを求める俺は、魔族ではないか、と言われているらしいのだ。それも上位魔族の一人であると、噂が広まっているという。
上位魔族というのは、人類社会が確認する限り七人いるらしく、全員が魔王と呼ばれる存在だそうだ。
場合によっては魔神とも称される存在で、そういえば俺は昔、”カルスの魔神”やらなんやらと言われた事があったな、と思い出していた。
とはいえ本来、上位魔族ともなると、まず人類に対して不干渉だという。しかし彼等の中にも序列があるらしく、俺はその中で新参者。つまり八人目ということになるそうだ。だから人類社会を征服して、魔界に凱旋する為に頑張っているのだと、なんだかありそうな噂話が広まっているのだった。
もちろんそんな噂を流しているのは、ナセルの命を受けたシーリーンであることは明白だ。
しかもタチの悪い事に、
「上位魔族? シャムシールさまが? ふふ、うふふふ。ああ、そうだったのですか。道理で純潔の魔族である私が、シャムシールさまの前では胸が高鳴ってしまう訳ですね……うふふふ。八人目の魔王ですか、素敵なお話ですね、ありがとう」
と、サーベにやってきたシーリーンの間者の質問に答えたザーラによって、俺の上位魔族説に箔がついてしまった。
ザーラの馬鹿ぁ……。シーリーンの間者と分かっていたなら倒してくれよぉ……。
ちなみにサーベの街は、闇市ではあったが魔族との交易もしているらしい。そこにザーラが行政官として入ったのだから、誰も俺が魔王だったとして、気にもしないそうだ。
挙句の果てに、
「クレイトの侵攻を許すようなシバールの聖帝よりも、ザーラさまみたいに強力な魔族を配下に置ける魔王さまの方が、ずっと安心なんでねえべか?」
と、近隣の農夫などは言っているそうだ。
改めていうが、俺は人間であり、魔王ではない。
とはいえ、ヘラートではそう容易く事は収まらず、噂の最後はこう締めくくられるという。
「魔王シャムシールを倒したもうお方は、ナセル陛下をおいて他になし! 今は魔王に操られておられる大将軍シェヘラザード閣下も、必ず救い参らせる」と。
まあ、魔王を倒したとなれば次期聖帝の地位は固い。つまり俺を魔王に仕立て上げる事で、ナセルは自身の立場を善なる者に変えたということだろう。
さらにシェヘラザードが俺に操られていると喧伝することで、後に彼女を妻にして自身の立場を正当化しようという魂胆が垣間見える。
最初に反乱を起こしておいて、よくもそんな事が平然と言えるものだと感心してしまう。
しかもフローレンスと手を結ぶという裏工作までしているのだから、まったくナセルという男は油断がならないな。
もっとも、そんな噂に信憑性が増すのも、俺がマディーナ、セムナーン、サーベを統べる辺境の王だからでもある。
元々マディーナは魔族の国であったり西方諸国であったりとの交流も盛んであれば、純粋な真教徒が少なかった。
同様に東方国境にあるセムナーンは、アーラヴィーを始めとした地母神信仰に深い理解を示す土地柄だ。
サーベにいたっては、俺が魔王である方が嬉しいという有様なのだから、もうどうしようもない。
という訳で、それらの都市で俺の人気が高まれば高まる程、真教の中心地であるヘラートでは人気が下がることなど当然なのだろう。
それでも、シェヘラザードがナセルに徹底抗戦の構えを見せつつ俺を弁護してくれたお陰で、ヘラートでも完全に俺の信用が失われた訳ではない。
シェヘラザードは俺の魔族説に揺れるヘラートの民や奴隷騎士に、こう言ったそうだ。
「我が愛する夫シャムシール王が上位魔族だったとして、それが一体何だというのか? 現に見よ! 我など大将軍でありながら、半妖精である!
そもそも我がシバールは、民族や種族で差別される国ではない!
まして、あのお方はクレイトを撃ち破りシバールの危機を救ってくれた。そしてまた、反逆者ボアデブルと戦い、さらに我等の救援に急いでおられるのだ!
何のゆえあって、あの方を貶めるような言動に耳を傾けるか! むしろ魔王が我等の援軍であるなど、これ程心強い事などないのだぞっ!」
こうして、一部に熱狂的な魔王信奉者が生まれたことは、嬉しい誤算でもあった。
しかし大切な事なのでもう一度言うが、俺は断じて魔王ではない。
なんなら王にもなりたくなかったのに、いつの間にやら魔王扱いとか、酷すぎるよ。
俺は宴を眼下に眺めながら、逐一、闇隊から齎される各国の情勢や動きに耳を傾けていた。
しかし状況がまったく芳しくないことが分かり、俺は心にどっかりと重石が乗った気分になる。
俺は時刻が深夜を回る少し前に、盛り上がる前庭から姿を消すことにした。
宴はさらに盛り上がりを見せていたが、だからこそ最高位である俺が居続ければ、皆が迷惑だろうから。
それに、マディーナへ救援に向かう者の人選を速やかに済ませなければいけない。だから、主だった将達を俺は会議室へ参集させておいたのだ。
俺がこっそりと宮殿の中へ姿を消そうとすると、口元を僅かに吊り上げて、酒盃を掲げて見せたジャービルが見えた。
◆◆
聖帝軍は百万を号する。とは、既に数百年前のことだった。
かつては聖帝の直属軍が二十五万、そして五人の王が率いる十五万ずつの軍勢、それらを合わせて百万を号するシバール軍は、大陸の安寧を数百年に渡って守り通したという。
王は麾下に二人の上将軍を持ち、十人の将軍達を統御統制した。
十二人の将軍達はそれぞれ一万人の軍を指揮し、王は三万の直属軍を持つ。
これが一国十五万兵制度と呼ばれるもので、精強を誇るシバール軍、鉄壁の布陣だった。
もっとも、この制度は既に形骸化していて、実際に守っている王などいない。
何しろシバールの王位は、俺とナセルだけでも既に六つを占めているのだ。それでもさらに四人の王がいるのだから、どう考えても計算が合わなくなってしまうだろう。
だから今では十五万もの軍勢を集められる王といえば、俺かナセルだけだった。
だが、そういう経緯からなのだろう、セムナーンの会議室は”将の間”と呼ばれ、巨大な円卓に十三の席が用意されている部屋だった。
席といっても椅子ではない。あくまでもシバール方式を貫いた部屋だ。
幾何学模様も鮮やかな絨毯の上に巨大な黒檀のちゃぶ台と、人数分の円座が置かれているだけである。
もちろん俺が座る席だけは黄金作りの肘掛が用意されているが、だからといってそんなに嬉しくはない。
これが、シバールにおける正式な王の会議室だった。
かつてはここで、聖帝の命を受けたセムナーン王が諸将を集め、出征前の会議を行ったのだろうか。
会議の参加者は、俺、アエリノール、ドゥバーン、ジャムカ、シャジャル、ダスターン、オットー、セシリアときてカイユームだ。
俺を頂点に名前の順で時計回りに席を占めているのだが、最後に何故かカイユームが俺の隣にちょこんと座っている。
将軍位を持っていないにも関わらず、闇隊の長という立場上参加しているのだが、間違ってもそこは最下位のポジションではないと思うぞ。
むしろ本来ならばその席は上将軍の場所なのだから、
「カイユーム! オマエはみかん箱でも隅っこにおいて、正座していろ!」
と俺は言いたい気分だった。
何しろ、微妙に俺をチラ見してくるイケメン眼鏡がウザいのだ。
もしかしてコイツは男が好きなんじゃないだろうか? なんて本気で思ってしまうほど、最近は怪しい素振りを見せるカイユームだった。
もっとも、俺以外に摺り寄る素振りは見せないから、勘違いかもしれないけれど。
それから、ドゥバーンの後ろにはシュラがいる。
しかし彼女は分を弁えているようで、一切この場では発言をしようとしなかった。
ともかく俺が”将の間”に入ると、既に皆が集まり、それぞれに口を開いている最中だった。
「とにかく、わたしが行く! だってジャンヌ・ド・ヴァンドームだよ!」
「……”倒錯の魔術師”が相手では、アエリノールさまといえども厳しいでしょ? ……それにクレアもいるから、アエリノールさまの手の内は読まれると思う」
アエリノールが拳を握り締めて力説していたが、セシリアは苦い顔をしている。
「うむ、それ以前にセムナーンの防備を考えれば、上将軍たるアエリノールどのがこの地を離れれば、再びアーラヴィーの侵攻を招く恐れもござる。今回は控えていただきたい」
「そ、そんな……わたし、お留守番なんて……い、嫌だよ!」
ドゥバーンの言葉で絶望の淵に追い詰められたアエリノールは、必死で頭を振る。
そして俺を見つけると、縋るような視線を送ってくるのだった。
「クレアはともかく、ジャンヌ・ド・ヴァンドームが帝国側に? 冗談ではないぞ! 是非にも戦いたい!」
マディーナの状況は、刻一刻と闇隊から報告が入っている。
そして、敵が”倒錯の魔術師”と名高い人物である事を知ると、オットーは唸っていた。
しかし、唸り方がおかしいだろう。
オットー、キミが以前より遥かに強くなっている事は認めよう。
しかし、ネフェルカーラをまがりなりにも捕えてしまう魔術師と戦おうなど、脳が筋肉にも程があるぞ。
「オットー、気持ちは分かるけど、流石に相手が悪いよ。アエリノールさまだって、倒錯の魔術師と一対一で戦って勝てる保障なんてないんだから。ううん、むしろ馬鹿な分、アエリノールさまが不利なのよ。
それにしても、クレア……帝国内で随分と酷い事をしているみたいだけど」
珍しく神妙な顔をしている赤毛の女騎士は、溜息を吐いた。
彼女は元々、敵将のクレアとも仲が良かった。その辺を考えれば複雑な気持ちにもなるのだろう。
ただ、アエリノールをさらっと馬鹿にしているあたり、よいのだろうか?
俺は少しだけアエリノールの顔を覗き見たが、馬鹿と言われたことに関して特に気にしていないようだ。
いや、違う。アエリノールは机の上にどんぐりを並べて遊んでいる。
どうやらアエリノールは、もはや会議に飽きてしまったようだ。どうしよう、やっぱり彼女は本物の馬鹿かもしれない。
俺は皆を見回して、そっと自分の席に座った。
誰も立ち上がって挨拶をしてくれない辺り、俺の王としての威厳は何処へいったのだろう?
そうか、冑を脱いだから、俺の威厳も脱げちゃった訳だな。
少しだけションボリしつつ、俺は腰を下ろした。
それにしても、武装をといた平服のセシリアは今、白いブラウスの様な服を着ているが、胸の部分が”ツン”と盛り上がっていた。
あれ、セシリアって胸、結構大きいんだな。
少しだけオットーが羨ましくなった俺は、アエリノール、ドゥバーンとジャムカの胸を順に見る。
ふむ。誰一人セシリアに勝利しうる者がいないではないか……。
今のところ俺の妻達の中で一番の巨乳はネフェルカーラか。
いやしかし彼女は世間一般的に、巨乳というくくりにはならないだろう。何しろネフェルカーラは均整が取れすぎているのだから。
「……兄者、鼻の下が! それから!」
俺の目線を追ったシャジャルが、妙に胸を反らしている。
青い絹織物の着物が鮮やかに輝くシャジャルの胸は、どうやら少し膨らみ始めているらしい。反らした胸には二つの小さな丘があった。
発展途上の双丘は瑞々しさに満ち溢れているが、摘むにはまだ早いだろう。
しかしなんだ。シャジャルは俺に胸を見て欲しかったのだろうか?
だとして、俺がシャジャルの胸を見て鼻の下を伸ばしたら、我が妹はブチキレるのではないだろうか?
いまいちシャジャルの気持ちが分からない俺としては、少しだけ微笑みながら、こういった。
「成長したね、シャジャル」
途端に顔を真っ赤にして俯いたシャジャルは、胸を隠すように両手を窄めた。
うん、一体シャジャルが何をしたかったのか、俺には全然分からないよ。
「こほん……陛下」
カイユームが俺にジットリとした目を向けてくる。
まあ、ヤツも男だ。俺の気持ちを分かった上で、話を本題に戻してくれるのだろう。
「正直申しまして、目下の現状はまったく芳しくありません。
まず、ヘラートを包囲するナセル軍、そこに合流する構えを見せるフローレンス本隊。
次に、ドゥバーンさまの策により撤退こそさせたものの、アーラヴィー軍の動向も今後、セムナーンを防衛する上で障害となるでしょう。
そして今回の議題ですが、マディーナの件です。
我が隊の者の報告によれば、太守ファルナーズがフローレンスと同盟を結び、マディーナ王を名乗ったとのこと。それ故ネフェルカーラさまが捕えられているという現状を鑑みれば、まずこれをお救いすべきでしょう。
されど、ハールーン将軍が一万の軍勢を率いてアカバの港街を拠点に陣を敷き、フローレンスの別働隊と対峙する構えを見せている様子。なれば……」
眼鏡の位置を直しつつ、珍しい長広舌を披露したカイユームの顔は、どことなく青い。
元々虚弱だからだろうけど今回は脂汗まで浮かべているのだから、体調でも悪いのかもしれないな。
「まって、カイユーム! ファルさまが兄者を裏切る訳が無い! きっと何か事情があって――」
カイユームの言葉に慌てて頭を振ったのは、シャジャルだった。
シャジャルとファルナーズは個人的にとても仲良しだったのだから、彼女を庇うのは当然だろう。
しかし、ファルナーズに裏切られたと報告を聞かされた俺としては、正直、それほどの驚きも無い。
だって上官だったのに、いつの間にか自分を飛び越えた部下に、「はい、そうですか」と唯々諾々として頭を下げられるほど、ファルナーズが温和な人とは思えないのだ。
もちろん俺だってファルナーズは背いていないと信じているし、信じたい。しかし理屈で考えれば、その土壌があったという事は誰が見ても明らかなのだから、王である俺が迂闊に彼女の肩を持つことは出来ないのだ。
「カイユーム。人を操る魔法は当然幾つもあるかと思うが、実際、ファルナーズほどの者を操る事が出来る魔法は、あるのでござるか?」
「――契約か、或いは隷約のどちらかでしょう」
ドゥバーンの問いは、シャジャルや俺に気を使ってのものだろう。
ファルナーズを信じたい俺達に、僅かでも希望を与えてくれるドゥバーン。たまには良い事を言う変態軍師だ。
カイユームは静かに答え、言葉を続けた。
「今回の場合使用されたとするならば、恐らくは隷約です。契約ならば魔術師と契約者は互いに条件を交し合うのが常であれば、ファルナーズさまが、ただ操られるという事態にはなりません。
それに、ジャンヌ・ド・ヴァンドームは世界に数人しかいないと言われる隷約の使い手なれば……」
カイユームは、苦虫を噛み潰すような表情を浮かべている。
特にジャンヌの名前を出した時に不快感を顕にしていた。もしかしたら、何か因縁があるのかもしれない。
「ふむ、だが、その証拠もない状況ではな。ファルナーズも打ち倒さねばなるまい?」
脳筋オットーは、単に戦いたいだけだから無視しよう。
俺はカイユームに、少しでも建設的だと思える質問をした。
「隷約は、どうすれば破れるんだ?」
「基本的に、術者がかけた”願”を叶えれば解けます。それ以外では術者が解除するか、死ねば隷約は消えますね」
「ということは、ジャンヌ・ド・ヴァンドームを倒すか捕えるか、か」
「いいえ、ジャンヌを捕える事も、殺すこともまず不可能でしょう」
「どういうことだ?」
「ジャンヌは私と同じく、自身の死に備えて素体を持っています。それも、幾つも……。加えてその精神体は既に人と呼べる領域にさえ居らず、神域に達しているでしょう」
俺はカイユームの説明に、思いっきり首を傾げる事しか出来なかった。
つまり、死なないってことか?
「ふむ、それは上位妖精や上位魔族、あるいは神族と同等の存在、ということでござるか?」
「そう、元は人だったそうなのですが。二千年も生きれば、人も神に近くなるということでしょう」
俺はカイユームの言葉に愕然とした。
俺はジャンヌの声を聞いている。
そして、ヤツを変態と断じた。
二千年生きてあのザマだとすれば、人間って種族は絶望じゃないか?
それより、ネフェルカーラよりも年上って、何事だよ!
俺はアエリノールと一緒にどんぐりを数えて、あってはならない現実から目を反らす事にした。
◆◆◆
会議の結果、軍を二つに分ける事が決まった。
それからマディーナの解放は、あくまで少数精鋭でなさなければならないという結論に至る。
マディーナへ行くのは、俺、ジャムカ、カイユームとザーラだ。
ザーラはサーベが落ち着いたという事なので、急遽参加してもらう事となった。
カイユームとザーラが参加するのは、ジャンヌと共に来ているという驚異のアリスに対抗する為だ。
何でもアリスという女は、師であるジャンヌに魔力では及ばないものの、戦闘能力が馬鹿みたいに高いらしい。
カイユームが言うには、近接戦闘だけなら俺に匹敵するというのだ。
俺はその例えを聞いて、正直微妙だったのだが。
ジャムカの参加は、もう妻の特権とでも言いたげな有様で、頑として彼女はマディーナ行きを譲らなかったのだ。
「ドゥバーンは本軍を率い、アエリノールさまはアーラヴィーを攻める、となれば、誰が夫と共におるのだ? オレをおいて他にいまい? だれぞ、反論はあるか?」
手元にあった茶を飲み干すと、周囲を睨み付けながらジャムカは宣言したのだった。
そして本軍として、本来の目的であるヘラート救援に向かうのはドゥバーン。彼女は先鋒にダスターン、中軍に自分を置いて、後衛にジャービルを配した兵十万を率い、聖都を包囲するナセルの討伐に向かう事となった。
と言っても作戦としては俺がマディーナをなんとしても取り戻し、ヘラートを挟撃するという大筋なので、まずは軍を動かしてナセルに圧力をかけるというだけである。
「俺もたまには派手な活躍がしたいのだが……」
ボソっと呟いたダスターンは、どうやら朱に交わって、見事に赤くなってしまったらしい。
オットーと一緒に、「ジャンヌやアリスと戦いたいねぇ」などと、お茶を飲みながら話をしていた。
それから最後にアーラヴィーを攻める事になったアエリノール。
彼女は机の上に散らばったどんぐりをもはや見ようともせず、口から魂が抜けてしまったかのような表情をしていた。
「そりゃあ、パールヴァティを奴隷にしようとは思っているけどっ!」
「そうであれば、ご協力頂きたい。実際、今後アーラヴィー王国が大きくなれば、我が国の安寧は脅かされることになるのでござる。なれば、ここは上将軍のお力で、事前に排除をしていただきたいのでござる。
無論、拙者にも策がござれば、アーラヴィーはそれ程の大兵力が無くとも制圧がかないましょう」
ドゥバーンとの間にこのような会話がなされた結果、アエリノールはあっさりとアーラヴィー攻めの司令官にされてしまった。共に従うのはセシリアとオットーだから、もはや奴隷騎士というより在りし日のオロンテス軍だ。
「でも、アエリノールだぞ? 統治とか、その後の政策とか、そういうのはどうするんだ?」
「本意ではござらんが、拙者もゆくでござるよ……本軍はダスターン将軍が率いれば、問題ないゆえ。シャムシールさまには、とてもとても寂しい思いをさせるでござるが、暫し、辛抱して欲しいのでござるよ」
俺の質問に、物凄く悲しそうな表情を浮かべたドゥバーン。
しかし俺は、ドゥバーンと離れ離れでも全然平気だ。……と、思う。
「あ、あの! もしよかったら、あたしがアエリノールさまに従って東方の遠征に行きます! パールヴァティはあたしが倒さないと!」
しかしシャジャルの言葉に「ふむ」と頷くと、笑みを浮かべて俺に許可を求めるドゥバーンだった。
「シャジャル将軍を軍師として、上将軍に付ける、か。妙案にござるな。さすれば現地の政策など、あらゆる点の心配事は解消されましょう。特に、陛下と拙者が引き裂かれる時間が短くなりますれば、これは素晴らしい!」
俺としては、シャジャルと離れる方が断腸の思いなのだが。
「で、出来るのか、シャジャル? それこそドゥバーンの方が……」
「は、はい! 兄者の為にも、アーラヴィー王国を従わせてみせます!」
巣立ちの時なのだろうか?
どんどんシャジャルが大人になって行く。
シャジャルには、せめて本軍にいて欲しい。そうすればマディーナを何とかした後、すぐに合流出来るのに……。
もう俺の側から離れても、シャジャルは十分やっていけるということだろうか?
ドゥバーンまで、うんうんと頷いて、あっさりと話は纏まっていた。
「わかった、出来るだけアエリノールの側から離れないように。それから、あんまり危ない事はしないでくれよ……」
俺は渋々シャジャルを手放して、アエリノール共々東方遠征に送り出す決意をした。
そしてドゥバーンは、ダスターンに任せるつもりであった本軍を率いてヘラートへ向かう事になったのである。
俺は、当初の予定ではこのままマディーナへ行くつもりであったが、ジャムカとカイユームに反対されて、一晩だけ休む事となった。
何しろ魔力の回復や体力の回復も必要だというのだ。
もっともすぎて、反論も出来ない。
そこで俺は自室に戻ると寝台の上に横たわり、悶々としていた。
こうしている間にも、ネフェルカーラの身には危機が迫っているかも知れないと思えば、余り休む気にもなれないのだ。
その時、扉がノックされて、開かれた。
俺の寝室に出入りできる者は限られている。
それは皆、未来の妻たちなのだから、俺は目も開けず、寝返りをうって背を向けた。
起きていると思われても面倒なだけだし、今、何かをする気にもなれないからだ。
そのまま背を向けていると、俺の寝台にそっと潜り込んだその人物は、何をするでもなく寝息を立て始める。
それならばいいかと、俺も何となく安心したらしい。
すっ――と意識を失うと、すぐに朝日が瞼を赤く染める時間がやってきた。
「陛下、おはようございますぅ」
「ああ、おはよう……? え? おい!」
「なにか、私の顔に付いてます?」
「カイユーム……どうして裸で……俺の隣で寝て……いるんだ?」
「嫌だなあ。陛下が辛そうだったから、添・い・寝!」
カイユームの笑顔は、妙に色っぽかった。
そして、柔らかな日差しが窓から俺達に降り注ぐ。
「さ、陛下、急ぎマディーナへ参りましょう。大丈夫……私、こう見えてもジャンヌ・ド・ヴァンドームの高弟ですからね。彼女の戦い方は心得ています。本当は、この事をお伝えしようと思って来たのですが……陛下の背中が余りに素敵過ぎて、一緒に寝ちゃいました。てへ」
どうして人生って、こんなにも辛い事が多いのだろう?
俺はカイユームの頬を思いっきり引っ叩いた。
対ジャンヌ戦に光明が差したことは、正直嬉しい。
しかし、俺がまさか人生で最初に腕枕をした人物が男だったなんて、黒歴史以外の何になるというのだ。
「ぶふぉぉ!? 暴力反対! でも、荒らぶる陛下も素敵っ!」
鼻血を垂らしながら嬉しそうに俺を見上げるカイユームは、確かにジャンヌ・ド・ヴァンドームの弟子だ。
まさに、変態というに相応しいのだから。
「まあいい、さっさといくぞ、カイユーム。ネフェルカーラとファルナーズを無事に取り戻して、マディーナを奪還する!」
「はっ! その全てがかなった暁には、私も妻に!」
「オマエは男だろっ!」
「はぁ、そんな些細な事、どっちでもイイじゃありませんか。陛下ともあろうお方が、妻の性別ごときを気になさるなんて」
「いや、するだろう!?」
「つれないお方ですね、もう」
「つれないって、おま……」
そう言いながらもカイユームは手際よく茶を淹れてくれて、俺の肌着を出してくれたりする。
確かにコイツが女なら良い奥さんになりそうだな――なんて思ってしまったことも、俺は黒歴史として封印することにした。




