凱旋式
◆
「駄目っ! ジャンヌ・ド・ヴァンドームが相手なら、シャムシールだって一人じゃ勝てないよっ!」
俺がアーノルドを加速させると、眼前にガイヤールを転移させたアエリノールが叫んでいた。
「だからって、このままネフェルカーラを見捨てられるかっ!」
俺は少し気が動転しているのかも知れない。
アエリノールを相手に怒鳴るなんて、少し申し訳ない事をした。
”ビクリ”と体を震わせたアエリノールが、伏目がちに俺を見つめていてる。
「シャムシールにもしもの事があったら、私、どうすればいいかわからないもの」
アエリノールは蒼い瞳にうっすらと涙を溜めて、少しだけ唇を震わせていた。
悲しいようにも、怒っているようにも見えるその表情はどこか刹那的で、アエリノール自身もどうすればいいのか分からないのだろう。
俺はそんな彼女の姿を見るのが初めてだったので、逆に冷静になれたようだ。
俺とアエリノールの下では、アーノルドとガイヤールが神妙な顔つきをしていた。いや、竜の神妙な顔つきってなんだよ? とか思うがしかし、最近の俺にはそんな些細な変化もわかるのだから仕方が無い。
きっと竜達も、こんなアエリノールを見るのは初めてのはずだろう。
多分、アエリノールの根底にあるのは恐怖だ。
でも、それはジャンヌ・ド・ヴァンドームに対してではない。きっと、俺を失う事を恐れている。
それなのに一方の俺はネフェルカーラの事で頭が一杯だったのだから、アエリノールには本当に申し訳ない。
俺は小さく溜息を吐くと、アエリノールに詫びた。
確かにネフェルカーラは第一夫人になるけれど、俺には他にも奥さんになる人が居るわけで……ここで俺が一人で飛び出したら、彼女達はどうするのかと……。
「……悪かった、アエリノール。ドゥバーン達とも相談してから、誰を連れて行くかを決める。一人では行かないよ」
俺の言葉を聞くとアエリノールは目元に浮かんだ涙を右手の人差し指で拭い、笑顔を作る。
「わたしを連れて行ってくれればいいよ!」
やばい。アエリノールが凄く可愛い、どうしよう。
幸いな事にボアデブル軍は壊滅し、奴の奴隷騎士達は抵抗を諦めて次々に投降しつつある。
アーラヴィー軍はヴァルダマーナとパールヴァティを殿として、後退を続けていた。
戦の後始末といっても、大体の所はあと数時間で終わるだろう。もちろん、戦死者の弔いや埋葬まで含めれば数日間を要するだろうが、その辺りは民間に委託してもよいし、そうする事で逆に経済も潤うはずだ。
それに竜が全力で飛べば、ここからマディーナまでと言っても半日程度の距離だろう。
大体、囚われたのはあのネフェルカーラだ。何か事情があって、そうせざるを得なくなったのかも知れない。
第一、マディーナの状況がまるで分からないまま乗り込んでも、俺自身が何も対処出来ないじゃないか。
そう考えると、俺は自分の行動を恥じる気持ちになっていた。
――そこまで焦る事でもなかったな。
そんな訳で、俺があらぬ方向へ飛び去ろうとしてアエリノールに怒鳴っている姿を見たジャムカも、異変を察知して俺の前に現われた。
鹵獲した戦象の処置などを全てセシリアに丸投げしてここに来たのだから、ジャムカも随分な自由人だ。
「どうしたのだ血相を変えて。なぜ二人はヴァルダマーナとパールヴァティを追わなかったのだ?」
ジャムカはドゥラの背に槍を置きながら、不思議そうな顔をしている。
「ネフェルカーラが囚えられたんだって!」
腕組みをして頬を膨らませたアエリノールが、ガイヤールの上で不貞腐れていた。
「ネフェルカーラというと、第一夫人、かな?」
「そうよ!」
恐る恐るアエリノールに質問をしたジャムカは、やはり第二夫人の怒りが恐いらしい。
ドゥラをアーノルドの横につけると、俺を挟む形でアエリノールと向き合っている。その視線は戦々恐々といった体だった。
「いや、心配かけてごめん、ジャムカ。マディーナに異変があったらしくて……俺もちょっと焦ったというか」
俺はジャムカに向き直ると、素直に詫びた。
俺が急に戦場を離脱しようとしたお陰で、妙な所で竜が三頭集まるという珍現象まで起きているのだから、きっと皆にも迷惑をかけているのだろう。
大体、普通の奴隷騎士なら、戦場離脱、敵前逃亡は死罪だ。
まあ、今回は別に敵前逃亡って訳ではないが。
「いや、心配するのは妻の勤めなれば、気にする事はない……です」
妙にジャムカが緊張して喋っているが、それはやはりアエリノールのせいだろう。
俺と普通に話せば、彼女が怒り出すと思っているに違いない。
「それにしてもネフェルカーラという第一夫人、あなどれぬ。オレ程ではないが、なかなか愛されておるな。もしドゥバーンなどが囚われたとしても、シャムシールさまはこれ程取り乱したりせぬだろう?」
ジャムカは冷静な口調で、さらっと酷い事を言う。
それにしても、自身が俺に愛されている事を絶対に疑わないジャムカ。彼女はいつもそんな態度だから、アエリノールの逆鱗すれすれを撫でる事になるのだ。
「魔族は昔から人間を誑かすっていうから、ネフェルカーラもその類なのよ。大体、シャムシールが本当に好きなのは――ね? だって、わたし達――」
腕組みをして顔を俺から背けたアエリノールは、ネフェルカーラに関してやはり少しだけ怒っているようだった。
それでもジャムカにそれ以上言わなかったのは、俺とキスをしたというアドバンテージの故だろう。
後ろを向きながらも、チラチラとアエリノールが俺に意味深な流し目を送ってくるが、その全て無視する事にした。
そして話題をしれっとマディーナに戻す俺。
「馬鹿をいうなよ、二人とも。俺は誰が囚われたって助けにいくよ。大体、ファルナーズだってどうなっているか分からないし……」
「ファルナーズ?」
ドゥラの上で首を傾げるジャムカは、俺が女性の名を言った事で眉を吊り上げた。
上手く会話が妙な流れに行かないよう調整したつもりが、なんとジャムカの地雷を踏んでいた。
自分よりも上位にある夫人達に対しては寛容だが、それ以外の女性に対してジャムカはどうやら敵意を抱くようだった。
特に俺の口調がその女性に好意的だと、反比例してジャムカは怒気を強めるのかもしれない。
「うん、マディーナの太守で……なんというか、俺の恩人の娘なんだ」
「なんだ、単なるシャムシールさまの配下ではないか。ならば忠義を尽くすべき王の為、命を失ったとて文句は言うまい。そもそも太守でありながら敵の侵入を許したのだから、救出したとて、その責任は免れぬであろうな。
それより、第一夫人を救いにマディーナへ行くとしても、セムナーンを捨て置く訳にもいかないと思うが?」
どうやらジャムカはファルナーズがマディーナの太守である事に納得したらしい。
太守ならば妻ではなく、愛人でもないというくくりに入ったのだろう。その代わり、「責任をとって死ね」というスタンスになった。
なんだよ! 結局殺そうとするのかよ!
それと同時にジャムカは自身が過去にクレイトの姫将軍だった事もあってか、部下や都市住民に対する配慮を見せる。
見ず知らずの女は嫌っても、王にとって民が必要な事はよく分かっているジャムカだった。
「――ここはどうだろう。戴冠式の代わりに盛大な凱旋式を行い、その喧騒を隠れ蓑にシャムシールさまとオレでマディーナに行くというのは?
どうせ今回の勲功第一は間違いなくジャービルどの、ついで……あまり認めたくはないがドゥバーン、そして指揮を執ったシャジャル。となれば、オレとシャムシールさまが二人でマディーナへ、か、か、かけ、駆け落ちしても暫くは分からないだろう」
ん? ジャムカ?
「――三日月の夜、砂上に輝く蒼き都”マディーナ”は大層美しいと聞く。オ、オレはシャムシールさまと二人で、是非その夜景を見たいのだ」
これは住民や部下への配慮なのだろうか? 俺はネフェルカーラを助けたいのだけれど?
もしかしたらジャムカは俺とマディーナへ行きたいだけかもしれない。
なんだかほんのりと頬を赤く染めて、指先をくるくると回していた。
いやもう、ジャムカ――目的変わってるよね? 完全に観光目的になっちゃったよね?
”砂上に輝く蒼き都”ってなんだよ? そりゃ城の屋根は青いけれどさぁ。
「ちょっとジャムカ! どうして貴女がシャムシールと二人きりになるのよ! まだシャムシールと”して”ないクセに! 二人で旅行なんて、千年早いわよ!」
その時、ジャムカの妄想に業を煮やしたアエリノールがついに会話に割り込んできた。
もちろんアエリノールの脳内でも俺の目的は旅行に変換されているが、しかしここで気にしたら負けだ。
「なっ……ア、アエリノールさまは、シャムシールさまと……”した”のか……?」
「ふふーん! 当然よ! だって第二夫人だものっ!」
ドゥラの上でがっくりと項垂れるジャムカと、思いっきり身体を反らすアエリノールは対照的だった。
ジャムカが恐る恐る俺の顔を覗き込むので、仕方なく俺は真実を答える。
「アエリノールとしたのは、キスだけだよ」
俺の言葉に、二人はそれぞれ目を見開く。
ジャムカは一瞬の安堵。その後、やはり溜息をついて、
「オレはそれもまだなのに……第二夫人も……やはり侮れん」
と、再び項垂れる。
「キスだけって、他に何をするの!?」
一方のアエリノールは頭上に巨大なクエスチョンマークを乗せて、俺に答えを求める様な視線を送ってきた。
しかしキスから先の行為は俺も動画でしか知らないし、何ならキスだってアエリノールがはじめての人なのだ。こうなれば上手な答えなど見つかるはずの無い俺は、ただひたすらに唸っていた。
動画は、当然ながらスマホの中に保存されている。
スマホはファルナーズによって、サーリフの霊廟に保管されてしまった。
今では霊廟を守る神器となっている長方形の薄い不可解な板は、元を正せばエロ動画が保存されている俺のスマホである。
変なもので死後の安寧を守られるサーリフは、ちょっとだけご愁傷様だった。
◆◆
夕刻、戦勝に沸くセムナーンの市街は盛大に篝火が焚かれ、人々は浮かれ、騒いでいた。
もちろん俺の名でセムナーンの有力者達に食料を送り、調理を頼んだ。
それから真教徒以外の者は酒も楽しめる様に酒墫ごと俺が買い取って、商人達に広場や路地で屋台を出してもらった。
そうして料理や酒をマディーナ市民に無料で提供しつつ、市内の街路を我が軍が歩き、紅宮殿へと向かう。
ジャムカ発案の凱旋式は、どうやらつつがなく進行しているようだった。
この凱旋式の一切を取り仕切るのは、セムナーン執政官のモフセンだ。
彼はシャジャルの命を受けると、大急ぎで有力者達に連絡を取り食材と酒を手配して、簡易の凱旋式を準備したのである。
もちろん凱旋式など、本来ならばすぐに挙行出来るものではない。
今回、いきなり凱旋式が可能だった理由は、既に戴冠式の準備をあらかた終えていたおかげだった。まさに転用である。
実際、これからすぐにもマディーナへ向かう俺にはセムナーンで戴冠式を行う余裕など無いし、これはこれで丁度よかったのだろう。
ただ、問題があるとすれば、たった一つだけある。
戴冠式ならば、俺が主役。しかし今回の凱旋式は、ジャービルが主役になるのだ。
きっと、アイツはとてつもなく嫌がるだろうなぁ。
しかも、一応俺の不在を秘匿する為にも、凱旋式のあとは丸一日を休みとして、街を挙げての祝日とするのだから、ジャービルはどこまでもさらし者になるだろう。可哀想に。
という訳で俺は前座としてジャービルよりも先に、東門から軍勢を率いてセムナーンへ入った。
だがそうなると、俺、アエリノール、ジャムカが居るわけで、三頭の竜をセムナーン市民は間近に見る事になるのだから、前座でありながら大歓声を浴びることになる。
まあ俺は、まがりなりにも王だし歓声くらい上がるよな。
「「おおお、でかいぞ!」」
「「黒竜だ! 白竜も! 赤竜もいる!」」
って、むしろ竜かい!
でも、そんな声が飛び交うと、ちょっとはサービスしてやろうという気になるのが人情というもの。
俺達三人は夕日を浴びながら竜をより高く飛翔させると、高空で炎を交差させたり、宙返りをしてみたりした。
三人と三頭の竜で編隊飛行なんかをやったら楽しいかもしれないけれど、流石にそれは訓練をしないと無理なので、今日はおあずけだ。
それでもジャムカの曲芸飛行をセムナーンの住民は固唾を飲んで見守り、感嘆の声を上げていた。
俺はジャムカに負けじと竜に口の中で炎を燻らせてもらい、空中に煙を出しながら円を描く。
これは、二十一世紀の戦闘機による展示飛行を真似たのだ。
とりあえず円が描けたので、ホッとした俺は眼下に向けて手を振った。
「「おおおお! 陛下ぁーーーー!」」
何やら男達のむさ苦しい大歓声が聞こえる。
俺の聞きたいのは女子達の黄色い声なのに、何故に男の声ばかりが……。
「感動したぁ! 俺も空を飛ぶ! きっと竜騎士になるぞ!」
「俺もだ! 奴隷騎士になって陛下にお仕えするっ!」
まあ、楽しんでくれているなら……いいけどね。
アエリノールくらいの自由な人になると、もういっそ、竜と一緒に自分も空を飛んでいた。
飛びながら竜は大空に向けて火球を放ち、アエリノールは炸裂弾の様なものを天空へ向けて放つ。これはもう、花火といえるようなモノだった。
多分アエリノールは、やってるうちに楽しくなっちゃったんだと思う。
どこの花火大会だよ! ってくらいに”ぽんぽん”と花火モドキをアエリノールは打ち上げていた。
とはいえ花火モドキは夕暮れ時を見事に彩って、セムナーン市民は恍惚とした表情を浮かべて楽しんでいるようだ。
こうして路地や街路、もしくは広場に集まった民衆は上空を眺めて喝采を送り、街路を進む奴隷騎士達に歓声を送る。
まるで数時間前の血生臭い戦闘が幻だったかのような、優しく楽しい街の光景だった。
東門から凱旋した俺達が赤宮殿に辿り着くと、北門からダスターン、ドゥバーン、ジャービル、オットーの部隊が街路を進む。
すでにセムナーンは夕闇に包まれていたが、喧騒と明るさは昼間を凌ぐほどだ。
その頃になると俺は紅宮殿の前庭を本陣として、凱旋将軍達を迎える王様へと立場を変えていた。
その俺の耳に、まだ遠いであろう北門からの部隊へ贈る住民達の歓声が聞こえるのだから、どれほどの盛り上がりだというのだろうか。
ちなみに俺の凱旋を待っていたのは、シャジャルとカイユーム。
彼等は俺が紅宮殿の前庭に到着すると、急ぎ階段を下りてアーノルドの足元に平伏する。そして俺が竜から下りると揃いの祝辞を述べて、歩き出した俺に追従するという儀式があったのだ。
その後、俺は宮殿の階段を上って、入り口手前の踊り場にある黄金の椅子に、どっかりと腰を下ろした。
傍から見れば、赤い絨毯を敷き詰めた宮殿の入り口で、黄金の椅子にふんぞり返って座る真っ黒い王様、といったところだろう。
俺の後ろに控えたのは、俺と共に戻ったアエリノール、ジャムカと、俺を迎えたシャジャルだ。
カイユームはマディーナに関する情報を収集する為、別室へ向かった。
これより先は凱旋将軍が自らこの階段を上り、俺の足元に跪いて勝利を報告するという手順になっている。
ちなみに階段は五十段くらいだろうか? 地味に辛い。
俺が普段出入りする場合、中庭の方へアーノルドに迎えに来てもらったりするので、こんな階段は使わないもんなぁ。
「「ダスターンさまぁぁあ!」」
ダスターンが宮殿の門を抜けてきた。
門から階段までは沿道の左右に武官と文官が並び、その後ろに衛兵が立つ。
さらに後ろは今回に限り一般市民にも開放しているのだから、とんでもない熱狂具合だった。
何しろシバールが成立してから今まで、宮殿と名の付く場所に市民を入れた王などいないらしい。それをうっかり、
「入れちゃえば? みんな楽しめるようにさ」
なんて言っちゃった俺は、多分馬鹿なのだろう。
俺が戻ってきたら武官達は目を輝かせていたけれど、文官達は恨めしそうに見ていたし。
それにしても、ダスターンには女性からの歓声が多い。
奴隷騎士と男からの歓声以外浴びなかった俺は、これから先どうすればよいのだろうか……。
まあ、ずっと冑を被っているから仕方がないな。冑のせいで、俺のイケメンっぷりを知らない人が多いんだな。きっと、そうに違いない。うん、そういう事にしておこう。……そういう事にして欲しい。
「此度の勝利、祝着至極に存じます」
「ダスターン、苦労をかけた。ところで武勲となった敵将の首は?」
「元は同じ奴隷騎士。首を取るに忍びなく、丁重に葬りましてございます」
俺の下へ辿り着いたダスターンは、見事なまでの作法で跪く。
これがまた絵になるのだ。
というより、これも見世物の一環だから、絵にならないといけない。
その為に、俺は鎧も冑も脱げないのだから、困ってしまう。
「ふむ」
頷きつつ、俺は肘掛の先端部分を人差し指で”コツコツ”とやった。
「ぷっ。シャムシール、魔王みたい」
前に出て俺の横に立ったアエリノールが、またくだらない事を言っている。
魔王ってなんだよ? この世界、魔王までいるのか?
「ふっ、陛下が魔王たらんと欲するならば、俺は喜んで魔界にでも攻め込もう」
「そうね! 落ち着いたら魔界に攻め込もうよ! わたし、解放したい森もあるし!」
「腕が鳴る。魔界であれば上将軍……いや、第二夫人どのも存分に力を奮えよう」
俺は、俺を通さずとんでもない事を言い始めた将軍達を牽制する為、咳払いをした。
魔界に攻め込むとか、そういう無茶はやめてくれ。
ていうか、魔界ってどこだよ!
そもそもマディーナがピンチだって言ってるのに、魔界に攻め込むな!
「アエリノール、ダスターンに褒美を」
「あ、そうね! 忘れていた! ……はい、特別に三つ!」
――それじゃねえ。
どこの世界に竜戦士を討ち取った褒美として、どんぐりを所望する将軍がいるんだよ。
「アエリノール、シャジャルから感状を受け取って渡して」
「ああ、あっちね!」
アエリノールの後ろに控えていたシャジャルが、そっとアエリノールに巻物を手渡した。
これは感状というやつで、ダスターンの武勲を俺が正式に認めたという意味合いのものだ。
アエリノールはアホの子でも上将軍なので、我が国の軍事的指導者である。
指導出来るかどうかは大変に怪しいが、ともかく部下の立てた武勲が最上級でもなければ、俺の代わりに部下へ褒美を渡す事も、彼女にとっては大切な仕事なのだ。
ちなみにもう一人の上将軍は今、囚えられている。
俺は、もしかして人選を間違えたのだろうか?
感状を受け取ると、さっと踵を返し階段を下りたダスターン。ヤツは長身で均整の取れた体躯と白い肌を持ち、挙句の果てにイケメンだ。それは本当に貴公子と呼ぶに相応しく、確かに女子たちの目を釘付けにする素養を持っている。
なのに権力志向の俗物女子が好きという妙な属性のせいで、かなり損をしているダスターン。つまり変なヤツなのだ。
次に現われたのは、ドゥバーンとシュラだった。
普段は軍師らしく常に俺の側に侍っているドゥバーンだが、今回は将軍として戦い帰ってきたのだから、一応は凱旋将軍である。
しかしシュラは将軍ではない。
なんだろう? と思っていると、ドゥバーンが跪くなり俺に言う。
「此度の恩賞、拙者よりもシュラに」
珍しく殊勝な事を言うと思ったら、次の瞬間、ドゥバーンは堰が切れたように不平を述べ始めた。
「だって拙者、戦闘中に一度も刀を抜かなかったのでござるよ? 全部シュラが倒すから!」
「ドゥバーンさまにはあの槍も曲刀も、宝の持ち腐れでございますね」
実はドゥバーンの武具は、俺がアエリノールと共に魔力を込めたものだった。
何しろ俺がシャジャルに鎧を与えた事を妬み続けたドゥバーンがうるさかったので、ついつい与えてしまったのだ。
しかし、その武器を否定されたドゥバーンは涙目になっていた。
「うぐっ、ひっぐ」
「私がドゥバーンさまの剣であり、槍でございますれば……それとも、私では役者不足でしょうか?」
そんなドゥバーンに、シュラは温かみのある苦笑を向けた。「やれやれ――」といった雰囲気だ。
どうやら二人には、妙な友情が生まれていたらしい。
シュラの言葉にドゥバーンは鼻を啜りながらも、はにかんだ笑みを浮かべていた。
「ドゥバーンには、正式にシュラを与えよう。シュラ、これからは闇隊ではなくなるが、よいか?」
俺は二人の関係を見て、このように提案した。
ドゥバーンがいくら褒美をいらないと言っても、作戦立案の功績は大きい。報いない訳にはいかないだろう。だから俺は彼女が今、一番欲しいものを考えた。
もしも俺だったらこんな時、何を望むだろうか?
多分きっと――生死を共にした部下に違いない、そう思ったのだ。
「シュ、シュラが拙者の部下でよければ!」
嬉しそうな笑顔を浮かべるドゥバーンは、俺に跪きながらもシュラを”チラチラ”と見ている。
「私に異存など、ある筈もございません」
シュラは頷くと、俺に微笑を浮かべていた。
「では、新たな武器を得たドゥバーンは、槍と曲刀をシュラに渡すように。それがシュラの褒美になるだろう?」
「いや、ちょっ……陛下! それはあんまりにござる。拙者、これから先、戦場に手ぶらで行くのでござるか!?」
うろたえるドゥバーン。
しかし可笑しそうに笑うシュラは、さらに深く頭を下げると、こう言った。
「ありがたく賜ります。――まあ、ドゥバーンさまの頭から下は余り役に立ちませぬから、武器など必要ないでしょう。何より、これから先は私が常にお側におりますれば、ご安心下さいませ」
「ふむ。シュラが拙者の身体となり、武器となってくれるというのか――わかった」
さらっと酷い事を言っていると思うシュラだが、同時にこれからは命がけでドゥバーンを守るとも言っている訳で。
ドゥバーンもそれ以上反論する事も無く、アエリノールの後ろへと回った。
当然シュラもそれにつき従うのだから、少しだけ驚いたドゥバーン。
「な、ここは拙者だけでよいのだ。ここは上将軍や陛下の妻、或いは家族のみが立つ場にござるぞ、シュラ!」
「私はドゥバーンさまの剣あり槍であり……身体でもありますから。もちろん陛下とドゥバーンさまの閨も、身体たる私が」
「なっ! シュラ! 始めからそれが狙いでござるかっ!」
「さあ?」
なんだか椅子の後ろから不穏な会話が聞こえてくるが、出来るだけ無視をして次の凱旋将軍を迎えるとしよう。
次はオットーだ。
相変わらずの筋肉達磨は土埃に汚れた銀鎧のまま、”ずんずん”といった感じで前庭の道を歩く。
階段を上り俺の前に跪くと、
「ネフェルカーラが捕えられたと? 俺を連れて行ってくれるのだろうな?」
もう、祝いの言葉も礼儀も全て無視して、本題を突きつけてきた。
「あとで会議を開く。だけどオットーは魔法が使えないし竜にも乗れないから、今回は留守番かな」
「ぬうううしっ!」
跪きながら、右拳を真紅の絨毯に叩きつけるオットー。地味に踊り場が揺れているんですが。
どうやら今回は後詰だったので、あまり戦えなかったことをやたらと悔しがっている。
でも、竜戦士を一人討ち取ったからいいじゃない? なんて俺なんかは思うけども。
そして最後はいよいよ主役。ジャービルの登場だった。
軍楽隊が盛大に太鼓を打ち鳴らし笛を吹き鳴らすと、唯一百人規模の部隊を引き連れたジャービルが姿を現した。
全員漆黒の鎧を身に纏い、真紅のマントを靡かせる彼等は赤獅子槍騎兵。
今日の一日で、この部隊はセムナーン人の若者に鮮烈な衝撃を与えたらしい。
何しろ凱旋式の最中だというのに、やたらめったら入隊希望者がいるらしいのだ。
しかし残念なことは、全員が十歳以下の子供達だったことだろう。憧れるのはいいが、全員まだ早かった。
「「角なし将軍ジャービル!」」
なにやら彼を取り囲む市民も奴隷騎士達も、口々にジャービルを”角なし”と言っていた。
だがこれは、彼を卑下して言っているのではない。むしろその声には畏怖が篭っており、馬上から市民を睥睨するジャービルは、ある意味悪鬼の形相だった。
何しろ、掲げた槍に突き刺した敵の大将首は間違いなくボアデブルであり、前セムナーン王なのだ。
ボアデブルの武名はこの地域に雷鳴の如く轟いていた。だからこそ、ボアデブルを角の無いテュルク人が破った事が驚異なのだろう。
ていうかテュルク人の強さは、その角を見れば大体判るらしい。
だからドゥバーンが弱いのは、当然なのだそうだ。
とはいってもテュルク人と他人種のハーフは角が無い場合が多いそうで、その場合は角を目安に強さを測ることが出来ないらしい。
「さて陛下。賊将の首にございます」
跪くと、”ボン”と俺の足元にボアデブルの首を置いたジャービル。
なんと無造作。なんと不愉快そうな顔。
ジャービルは、間違いなく怒っている。
俺がこんな事をやっている真意を知り、さらに自分がマディーナへ行けないからって、俺を睨み付ける目がとても恐い。
ついでに言ったら、首だけになったボアデブルが恨めしそうに俺を見上げている。
角はもう輝きを失っているが、それでも刺さったら痛そうだ。
「ジャ、ジャービル。褒美を……」
「いりませぬ。俺も陛下のお供がしたい。どうでもいい街の散策などには俺を伴うクセに、肝心な時に留守番などと、納得がいきませぬ!」
眉間に皺を寄せて、俺を見据えるジャービルだ。
「そういえば目元がドゥバーンと少し似ているよな、兄妹だもんな」なんてどうでもいい事を考えつつ、俺は脚を組み替えた。
恐くて足元が”ふるふる”しちゃったからだ。臣下に足元が”ふるふる”している俺の姿など、見せる訳にはいかないだろう。
しかしその時、予想だにしなかったことが起こる。
――ポーン。
あ、ボアデブルの首が、飛んでった……。
蹴っていない。断じて俺は蹴っていない。
足を組み替えたら、ボアデブルの顔に当たっちゃっただけ。
でも、そこは筋力がおかしな事になっている俺の脚。当たっただけで、ホームラン。
唖然としたのは俺だけだろうか。
空中で弧を描くボアデブルの首は、夜空に天高く舞っている。
もういっそ、そのまま星になれ!
一瞬、背中を越えてゆくボアデブルの頭を肩越しに追ったジャービルは、口元に残忍そうな笑みを浮かべている。
「――なるほど、くはは、流石は陛下だ。面白い事をなさる。なれば仕方が無い――今日、明日と、このジャービル、陛下の為に道化になるのも止むを得ませぬ――くはは」
「へ?」
ジャービルはこみ上げる笑いを抑えているのだろうか、肩が少しだけ揺れていた。
俺は状況に付いて行けず、冑の中で開いた口が塞がらない。
とりあえずジャービルに謝ろうと思っていたら、ヤツは不意に立ち上がって、集まった市民や兵達を前に、こんな事を言い出した。
「我が王に叛旗を翻さば、それは即ち死あるのみ! 見よ! このボアデブルめの無様な最後を! ボアデブルめは、まだ運が良かったのだ! 陛下が戦っていたのなら、ヤツは今頃、一片の肉も残さず灰燼となっていたであろう!」
紅宮殿の前庭は、一挙に静寂に包まれた。その最中、ボアデブルの首が地上に落ちる寸前に、雷が直撃した。
雷はボアデブルの頭部を塵も残さず消し去っている。
俺の斜め後ろから、「雷撃」という声に続いて「ぷっ」という笑い声も聞こえた。
「だってあのまま落ちたら、絨毯が汚れるじゃない」
犯人はアエリノールだった。
ある意味で残虐非道な事をやってのけた彼女は、しかし同時に宮殿に仕える人々の洗濯という労役を回避した。
しかしそのお陰で、全部が俺の仕業みたいになっていた。
「ぷぷっ。魔王でもここまでしないよ、ね? ぷぷっ」
おい、アエリノール。やっぱり確信犯じゃないか!
前庭に並んでいる文官も武官も、衛兵から一般市民に至るまで目が点になってるよ!
花の祭典から悪の祭典に早変わりしちゃったみたいな感じだよ!
どうするんだよ!
俺はこの極寒に変わりつつある空気を、なんとか春先程度の暖かさに回復させる為、声を張り上げた。
「戦は終わった! ジャービル将軍、ご苦労である! もはや今日は宴! 騎士も平民も、そして奴隷達も皆、思う存分楽しむがよいぞ!」
宣言の後、ぽつぽつと人々はざわめきを取り戻し、ついに堰が切れたかのように歓呼の渦に飲み込まれた。
「「黒甲王万歳!」」
「「聖帝シャムシールに忠誠を!」」
最初の歓声が恐怖によって震え声で齎された事は、正直、明記したくない。
しかし徐々に空気はある程度の暖かさを取り戻すと、前庭はアエリノールが打ち上げた花火で彩られ、ようやく宴そのものが始まった。
「なあ、ドゥバーン。シャムシールさまでも、いかに敵将とはいえ首を足蹴にして灰燼とするなど、流石にやりすぎではないか? 民達の反応がどうにも。ま、まあ、そんな所も男らしくて……オ、オレはす、す、好きだが」
「いや、これでよいのでござる。未だセムナーンの地は不安定。なれば多少の恐怖も必要でござろう。あの様を見せられては、誰も陛下に叛旗を翻そうなどとは思えなくなるでござるよ。もちろんそれだけでは駄目でござるが、今回は二日間に及ぶ宴がある。
つまり箍は硬く厳しく、されど中に満たされる砂は適温であればよい。風呂と一緒にござるな」
「ドゥバーン。国を風呂に例えるなど下賎過ぎよう。大体それはどこの風呂なのだ。オレは箍などで固定されるような風呂など入ったことがないぞ? それに砂だと? クレイトの宮殿にあった浴場はだな――こう、湯を張って」
「むぎぎっ! ジャムカめ! 元姫だからって生意気にござる! 拙者、砂風呂から始めたゆえ、湯を満たす風呂には感動したのでござる! されど、今でも基本的には風呂と言えば砂でござる! シュラもそうでござろう!?」
「……私は泉で水浴び、でしょうか。砂風呂は、マディーナ近隣に住む奴隷や平民が疲れを癒す為の……あ、いえ、貶しているのではなく、ですね」
「うわぁぁん! えっぐ、えっぐ!」
俺の背後では、ドゥバーンが泣き始めたようだ。
あのう、ドゥバーン。一応、ネフェルカーラもファルナーズもピンチっぽいんだけど……。
ちゃんと色々考えてくれているのだろうか?
そこはかとなく、俺の胸には不安がよぎるのだった。




