マディーナ動乱 2
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ネフェルカーラは、二千の兵を率いて群青玉葱城へと乗り込んだ。
もとよりネフェルカーラとファルナーズが仲違いしているとの噂はあったが、敵対しているという訳ではない。となれば、誰に抵抗されるでもなくネフェルカーラは城の中庭へと入る事が出来た。
ネフェルカーラが兵を率いてきたのは、ファルナーズが直属とした第二親衛隊とやらを処刑する為である。
別に自らが手を下しても良かったが、それでは証人さえ残らない。
ただ、
「またネフェルカーラさまが虐殺をなさった」
という評判だけが残る事を気にして、わざわざネフェルカーラは手の込んだことをしたのである。
しかしネフェルカーラと二千の兵は、この中庭で何故か足止めをされた。
ここはかつてサーリフとシャムシールが剣の稽古をしていた場所で、広さは十分にあった。しかし、戦時ともなれば、城における最後の防御拠点ともなるのだから、全ての扉を閉じられてしまえば、周囲を高い壁に囲まれた深い穴と化す。
「逆賊ネフェルカーラ。貴様はシバールに背き、シャムシールを聖帝となす為に画策したな?」
全ての風が止まり、太陽を薄い雲が覆った。
その時、正面の露台に姿を現した銀髪ツインテールの小さな鬼が、凛とした声を発した。
「それがどうしたのだ、ファルナーズ。そんなもの、お前も賛成したではないか」
逆賊であることはさらっと肯定するネフェルカーラ。彼女はまったく悪びれない。何しろこの件に関してはファルナーズも賛成していたのだからネフェルカーラにしてみれば、むしろ今更糾弾がましく言われても、首を傾げるだけである。
しかし、兵たちは違った。
シャムシールが王となり、マディーナを支配したことは知っている。しかしそれは、シバールに対する功績があればこその話。当然そう考えていた。
もちろん事実はそうだ。しかし太守が主君を”逆賊”と言い、それを上将軍が肯定したのだから、事態は容易ならざるものとなる。
白銀の鎧を纏うファルナーズが曲刀を抜き放ち天高く掲げると、周囲の小窓から弓を下方に向けた奴隷騎士達が現われた。
「大人しく囚われよ、ネフェルカーラ」
「あほうか? それとも気でも狂ったか、ファルナーズ。なぜおれがこの程度の矢を恐れて囚われねばならんのだ」
腰に右手を当てて、露台を見上げるネフェルカーラは柳眉を吊り上げた。こんな所で遊んでいる場合ではないのだから、怒りたくもなる。
しかしファルナーズは遊んでなどおらず、完全に本気であった。
「撃て!」
「風壁」
地上三階の小窓から放たれた矢は、一斉に中庭の奴隷騎士達を襲う。
しかし、寸での所でネフェルカーラの魔法が発動し、竜巻状の風が中庭の奴隷騎士達を守る。
「頭を冷やすがよい!」
そしてそのままネフェルカーラは両腕を広げ、竜巻を広げようとした――その時。明るく朗らか声が、ネフェルカーラの魔力を打ち消した。
「ばーんっ! 美少女魔術師ジャンヌさまの登場だよぉっ!」
言うが早いか、白髪紫目の自称美少女魔術師は、手の平を丸めて猫の様なポーズを取る。
頭にネコミミのカチューシャを乗せているところをみると、どうやら猫の気分で今日は生きているらしい。
ネフェルカーラの冷たい視線が自身の薄い胸板に刺さっているとしても、余り気にしないジャンヌはポーズを終えると胸を反らした。
純白に少しだけフリルの付いたワンピースを着ているジャンヌは、何処までも美少女。その姿に中庭の奴隷騎士達も歓声を上げる。
「「おおっ!」」
「ジャンヌさま。いつもながら悪ふざけが過ぎます」
「「おおおっ!」」
さらに奥から現われた、完全無欠のナイスバディ――アリスに対しても、どよめきを隠しきれないネフェルカーラの配下達。
それもそうだろう。
ネフェルカーラは確かに美人だが、既にシャムシールの妻になる事が確定しているし、その上、基本的に全身を黒衣で覆っている。
だから女性に接する機会の少ない奴隷騎士達にとって、眼前に現われたネコミミ少女やメイド服のナイスバディは神にも匹敵するのだ。
だが、ネフェルカーラが目を奪われたのは別のモノだった。
足元に突如として浮かび上がった巨大な魔法陣――これが自身の魔力を打ち消したのだと、ネフェルカーラは瞬時に察知していた。
(これは、中庭全体に描かれているのか?)
周囲に視線を移すと、ぼんやりと赤い文字が浮かび上がっている。
そして描かれた魔法陣は、やはりネフェルカーラ自身と二千人の奴隷騎士を囲んでいた。
「ネフェルカーラ! そ、その顔を覆っている布を取って、僕に顔をよく見せておくれよぉ……ハァハァ」
露台から上半身を乗り出して、ネフェルカーラをガン見するネコミミのジャンヌは、もはや涎が垂れていた。
「断る、といえば?」
「怒りに駆られたジャンヌさまが、この場の兵を皆殺しにするでしょう。それから、そこのテュルク人も……」
ネフェルカーラの問いに答えたのは、メイド服の美女だった。
ネフェルカーラは思案したが、ファルナーズの表情を見れば察しがついた。
(ふむ。魅了……いや、その上位種か。契約ならばまだよいが、隷約ならばまずいな)
ともかくネフェルカーラは状況を理解すると、仕方なく顔を見せる。
流石に、二千人とファルナーズの命を自身の素顔と天秤にかければ、如何なネフェルカーラと言えども妥協する。
それにファルナーズを解放するためにも、時間を稼ぎ対策を練らなければならないだろう。
「ぷぎゃああーー! 美人すぐる!」
ネフェルカーラの素顔を見たジャンヌは、両手を離して露台に落ちる。もう、これだけでご飯が三杯はいけそうな勢いだった。
ネフェルカーラの思惑など全て無視するジャンヌは、ハーレム建設に驀進中。その中でも最有力候補のネフェルカーラがあまりにも美しかったことで大興奮だ。
露台の床に背中から落ちたジャンヌは、目をぐるぐると回しているが、見上げれば赤い瞳のファルナーズが冷たい視線を注いでいる。
(たまらない、ああ、たまらない。こんな美少女に冷たく見下されるなんて、僕、今が生まれてから一番幸せだ……!)
今までどんな人生を送ってきたのかは知らないが、ジャンヌの人生は多分、色々とアレだったのだろう。
ジャンヌ・ド・ヴァンドームは今までに十七回の転生を行っていて、その合計年数は二千年と少し。
単純に考えても彼女はネフェルカーラより百歳程度年上な訳だが、頭の中身は二十一世紀日本における残念なおっさんと同程度だった。
とはいえファルナーズの視線はどこか空虚であり、意志の力が感じられない。
折角美少女であるのにもったいない、とてももったいない……などと考えるのは、ファルナーズの意志を奪った張本人であるジャンヌなのだから、本末転倒もよいところ。
そうして夢見心地で意識を失ったジャンヌは、アリスに行動の自由を与えてしまったのである。
「素直に応じてくれて、助かるわ。お陰でジャンヌさまに見られなくてすむもの」
露台から”ふわり”と舞うように降りてきた柔らかい赤茶色の髪をもつメイドは、ネフェルカーラの前に立つと、強かな拳をネフェルカーラの腹部に見舞う。
「んっ!?」
体がくの字に曲がったネフェルカーラは、そのまま体が後方へ吹き飛ぶのを自覚する。
一瞬だが息が出来無くなるほど強い衝撃を身体に受けたのは久しぶりのネフェルカーラだった。
「あら、これで死なないの? 確かにクレアが強敵という訳ね」
「ネ、ネフェルカーラさまを守り参らせよ!」
呆気に取られていたネフェルカーラ配下の奴隷騎士達は、慌ててネフェルカーラを囲み、曲刀を抜き放つ。
「ええい、下がれ。お前たちが束になってかかろうとも、こやつに勝てぬわ!」
腹部を擦りながら、不快気に吐き捨てたネフェルカーラ。
しかし、右手に自身の魔力を集めてみるも”ちりちり”と音がして、すぐにかき消されてしまう。
いっそこの場を破壊しつくす程に魔力を解放してしまえば、こんな魔方陣を消してしまう事は容易い。だがそうした場合、この場にいる二千の兵とファルナーズの命は無いだろう。
躊躇うネフェルカーラに、アリスの第二撃が迫る。
ならばとネフェルカーラも魔法戦闘を選択肢から捨て、腰の鞘から剣を抜く。
上段に放たれたアリスの蹴りは、弧を描いてネフェルカーラの右側頭部に迫る。
ネフェルカーラは上体を反らして蹴りをかわすと、抜き放った剣でアリスの左目を狙う。
彼女の青い瞳を見ていると、どうにもアエリノールを思い出してイライラが募るネフェルカーラは、正確無比な突きを放っていた。
しかし残像を残してネフェルカーラの懐に潜り込んだアリスは、しゃがんで肘をネフェルカーラの腹部に叩き込む。
その刹那、アリスの肘に踵を合わせたネフェルカーラは、大きく空に舞った。
「何者なのだ、貴様ら?」
「そちらのお方は先ほど名乗っていたでしょう。彼女はジャンヌ・ド・ヴァンドームさま。世界屈指の魔術師よ。そして私は弟子のアリス」
「ああ……倒錯の魔術師とその高弟――驚異のアリス、か」
眉を顰めて二人の美女を見比べたネフェルカーラは、彼女達の事を知らなかった訳では無い。それどころか魔術師でこの二人の名を知らぬ者は、まずいないだろう。何しろ彼女達二人は三百六十年ほど前、たった三人で一国を壊滅させている。その中の二人なのだ。
ちなみに三人の名は、倒錯のジャンヌ、驚異のアリス、鉄壁のカイユーム。
彼女達は皆、卓越した魔法を駆使する、美しき女魔術師達であった。
かつて、少女というより幼女に見えるジャンヌを見初めたとある国の王がいた。
むろんその王も、ジャンヌが聖教国フローレンス建国の功労者であった事は知っていたが、しかし彼女が余りにも美しかった為、そのようなことさえどうでもよくなったのであろう。
王は、何とかジャンヌを自らのモノにしようと試みる。
だが、口説いても無理、贈り物も効果がなく、魔力においてはジャンヌの方が遥かに多い、挙句の果てに、武芸において何一つ王はジャンヌに敵わなかった。
こうなればと、王は別の意味で実力行使に出る。
ともかく眠っているジャンヌを自分のモノにしてしまおうと画策した。
王はジャンヌが小屋で一人、うつらうつらとしている時に近づく。
共に暮らすアリスとカイユームが居ては、とてもジャンヌを攫う事が出来ないので、それは当然の選択だ。
だが、その場で眠りを待つのではない。より積極的に、深い眠りへと誘うのだ。
お土産はジャンヌの好物で、ふわふわのケーキ。だが、その中には王国きっての薬師が調合した薬が混ぜられている。
使用したのは”睡眠薬”。そして念には念を入れて、百人の魔術師が作り上げた眠りの魔法も準備した。
これには流石の大魔術師も抗し切れず、王は見事ジャンヌを連れ去る事に成功したのである。
これに怒り狂ったアリスが王城の門を蹴り破ると、仕方なく周囲を爆破し、街全体に結界を張ったカイユーム。そこで目覚めたジャンヌは、王の寝室で裸の状態だった。
半狂乱になったジャンヌは、国王もろとも王城を蒸発させ、アリスは警護の兵を悉く打ち倒す。
ここで流石と云うべきは、半狂乱になったジャンヌの暴発する魔力を結界によって抑え、街に被害を出さなかったカイユームであろう。
それゆえに彼女は”鉄壁”の名を人々から授かったのである。
当時、黄金の髪に藤色の瞳が愛らしいカイユームは、随分と人々から人気があったという。
彼女は唯一欠点があって、目が少しだけ悪かった。
だから眼鏡を常にかけていたのだが、そんなところも当時の民話によれば、魅力的だったと描かれている。
ちなみにこの事件をきっかけとして暫く後、より一層ジャンヌの倒錯は酷くなった。それに対抗してアリスは驚異に磨きをかけ、カイユームは行方知れずとなったらしい。
(あれ? カイユーム?)
ふとネフェルカーラは、自身が呪いをかけた魔術師を思い出した。
(だが、あやつは会った頃から男だ。むむ、しかし素体……いや、今の身体が素体だとすれば、魔力に比して妙に弱いことも頷ける……む、む?)
ネフェルカーラにそれ以上思考を続ける余裕はなかった。
宙に逃げたものの、アリスが空を飛べない筈もなく。
”ドン”と音を響かせて地を蹴り、ネフェルカーラを狙って一直線に迫るアリスの右手は、炎を纏って燃えていた。
流石のネフェルカーラも、あれを喰らえば唯ではすまないだろう。
「まって、アリス! ネフェルカーラは僕のハーレムに入るんだ! 傷つけてはいけない!」
だが彼女達の間に割って入ったのは、両手を広げてネフェルカーラを守る構えを見せるジャンヌだった。流石に露台の手すりから転落しただけなので、あっさりと意識が戻ったのだろう。
もっともジャンヌの思惑を意に介するネフェルカーラであるはずが無い。
ジャンヌが自分に背を向けたことを幸いに、背中をめった刺しにするネフェルカーラは、口の両端を吊り上げて、とてつもなく悪そうに笑っていた。
「ふは、ふはははは! 死ぬがよい、倒錯の魔術師よ。だいたいおれはシャムシールのもの! 女になど興味ないわ!」
「はうっ! や、やめ、やめるんだ! い、痛いじゃないかっ! い、痛いよ!」
ジャンヌの方は苦痛に呻きつつ、何故だか此方も嬉しそうな顔をしている。
アリスはこの時、ああ、やっぱりこうなったか――と半ば諦めかけていたが、なんと思いもしない方向から、今後を決める一声が発せられた。
「ネフェルカーラ、攻撃をやめねば、あれなる奴隷騎士共を皆殺しにする。わしの言う事を聞け」
その声は抑揚を持たない声ではあったが、ファルナーズのものである。
ファルナーズは曲刀をネフェルカーラに向けると、じっと佇んでいた。
露台の上から中空に浮かぶネフェルカーラ達を見つめる眼差しも、どこか空虚でガラス玉のようなファルナーズ。今が彼女の本意では無い事など、ネフェルカーラが見れば一目瞭然である。
(むう。ファルナーズが奴隷騎士を殺すなど、どのような状況であれ、あってはならん)
エルミナーズとサーリフの忘れ形見であるファルナーズを、ネフェルカーラはシャムシールの次に愛していた。
シャムシールとファルナーズの間には大きな隔たりがあったが、それでもネフェルカーラはファルナーズの未来に責任を負っている。(気分にはなっていた)
だから彼女の手を、味方の血に塗れさせることは出来ないと判断したネフェルカーラは、剣を鞘にしまうと、小さく頷いた。
「奴隷騎士よ! わしはフローレンスと盟を結び、逆臣シャムシールを討つ! 共に来るならば自由を約束しよう! されど、道を違えるというのならば……! ぐっ……さ、去るがよい!」
ネフェルカーラはファルナーズをじっと見据えていた。
言葉の最後に僅かだが、ファルナーズは自らの意志を込めていたようだ。本来ならば、「処断する」とでも言う所だったのであろう。
じっと支配に耐えているだろうファルナーズを、ネフェルカーラは不憫に思う。
こうなれば、例え虜囚となってもファルナーズを解放する道を探る事にしたネフェルカーラだった。
地上に下りるとネフェルカーラは、いまだ中空に漂うアリスに問うた。
「で、おれにどうしろと?」
「ジャンヌさまは、貴女をハーレムに入れたいそうだけれど」
「お前は、それが嫌なのだろう?」
「貴女ほど危険な女はいない。それを野放しにするなど、出来るはずがないでしょう」
「だからおれを殺そうとしたのか――短慮な女だ」
ネフェルカーラは自分の性格を棚に上げて、アリスの短慮を責めた。
しかしアリスは苦笑して、それに応じる。
「それは否定しない。でも――先ほどの戦闘でわかったわ」
「おれがジャンヌの提案を断ることが、か?」
「そうね」
「では、おれはどうなる?」
「地下牢にでも入っていてもらおうかしら。せめてこの戦が終わるまで――それがお互いの為ね」
アリスはそういうと、ネフェルカーラの腕を魔法によって作り上げた鎖で縛った。
「と、いうことです、ジャンヌさま」
「と、いうことじゃないよ! 僕の大事なネフェルカーラに何をするのさー!」
”ぷんぷん”と怒るジャンヌを尻目に、ファルナーズは城の前庭に移動する。
自らの意志を封じられ、ジャンヌの魔力によって操られている今のファルナーズだが、律動的な動きはどうあれ変わらない。
前庭に行くと愛馬バルフに跨り、自身の親衛隊に号令を下す。
「今より北の城門を開く! フローレンスよりの援軍が到着しておるのだ! 彼等を迎え入れ、一気にシャムシールの一派を駆逐するぞっ!」
「「おおーっ!」」
親衛隊の面々は、唯ファルナーズに付き従うだけである。
盲目な忠誠心は決して主の為にならないこともあるのだと、ファルナーズは心の奥で涙を流し、今を悔いていた。
(いっそ、シャムシールに背いてしまったわしを、誰でもよいから斬ってはくれまいか……!)
今、五千の騎兵に背を見せ駆けるファルナーズは、決して心中を吐露することが出来ない。
自身の意志とは関係なく動く身体が、これ程呪わしいものだとは思ってもいなかったファルナーズである。




