ネフェルカーラ
◆
なんで俺が兄者に――?
俺の思考は加速する。つまり、この子は俺がこの盗賊を倒したから強いと認識した、と。
だが、だったら普通、謝って逃げるだけでも良いだろうに。
弟子的なものになりたいんだろうか? だったら、短絡的過ぎるだろう。
「あたしは、強くなりたい! だからっ! 貴方から色々技を教えてもらいたいっ!」
やっぱりか。
てか、なぬ? 蒼髪の少年と思ってたら女の子だったのか。薄汚れた皮製の鎧なんか着てるせいで良くわかんなかったよ。
しかも、けっこう美形だな。焚き火の橙色に照らし出される肌は、褐色だが艶っぽい。無造作に振り乱している髪だって、整えれば綺麗な輝きを取り戻すんだろう。
ただ、その前に、俺には教える程のものは何もない。何故なら、刀術も魔術も初心者レベルだから。
ふっ。俺が強い理由は天性なのだよ。と、最近、自信過剰であるところの俺。
「シャ、シャジャルさま……!」
その時、俺が倒した盗賊の一人が起き上がってきた。最初に殴った人である。
強い顎鬚に茶色の髪、やはり褐色の肌を持つ男だ。顎をさすっているのは、ご愛嬌だろう。
「どうして、強くなりたいんだ?」
俺は、とりあえず聞いてみる。決して、目の前の子が美少女だからではない。兄者と呼ばれることを断る理由を探す為だ。
「リヤドの王、アシュラフを倒したいからっ……!」
えっ? ちょっと。それ、聞き流せなくない?
リヤドの王様って、サーリフが仕えてる人だよね、たしか。
ってことは、俺にとっては、天上人。サーリフが都知事だとしたら、アシュラフは総理大臣じゃないですか! これ、断る要素だよね!
まあ、俺的にはどうでもいいが、一応、ちらっとネフェルカーラさんの様子を見る。気付いてたら「殺せ」っていうレベルだと思うんだ。これ。そもそも、最初から殺せって言われてるし。
やっぱりネフェルカーラは、ごそごそと起き上がって此方に来るようであった。
流石に、兄者はともかく、今の言葉は聞き捨てならなかったのだろう。
ネフェルカーラは無言で俺たちを見渡すと、煩わしそうに言い放った。
「いいんじゃないか、別に。シャムシールが面倒みるんだろ?」
「え?」
俺は絶句した。
いいのかよ! 主君を倒そうとしてる人だよ! それの兄になれと!?
反応も、捨て猫を自宅に連れてきた時のお父さんみたいだし!
「女! その妖気! 何者だ!」
あれ? 盗賊がまたしても刀を構えそう。顎は平気か? 痛いのに大丈夫か?
ネフェルカーラの翡翠色の目が、怪しく揺れている。多分、怒ったな。
ていうか、最近は、こいつの目を見るだけで感情がわかるようになってきた。以心伝心だ。いや、違う。あっちからこっちの一方通行。俺だけ苦労してるの……
この人、常に冷静そうな感じにみえるけど、黒衣で表情を隠しているだけで、実は、かなり感情の起伏が激しい人なんだよね。
「おれはネフェルカーラ。妖気? 知らんなぁ。それにおれは男だぞ?
……貴様等こそ何者だ?」
なんで、そこで無駄な嘘をつくんだ……ネフェルカーラ。
でも、僅かな魔力の高まりを感じる。古代魔術を使う気だろうか?
「モフセン、下がれ! 部下が無礼をした! あたしはシャジャル! 今は盗賊などに身をやつしてはいるが、誇り高き砂漠民、水が族の生き残りだ!」
ネフェルカーラの問いに、身体を髭男の前に出した青髪の少女が答える。なるほど、水が族……まさか、だから髪も青いの? なにそれ、適当じゃない? と思いつつ彼女を見た。
キリッとした表情は幼さを残しているものの、十分に美しい。『兄者』などと言わず、『お兄ちゃん』と言ってくれたら萌えるのに。
そんなことより、この子はネフェルカーラから発する不穏な空気を察知したのだろう。その上で、モフセンって人が飛び掛って危険な目に合わないようにしたのなら、ちょっと凄いかもしれない。
それにしても、ハールーン。なぜお前は寝息を立てている。ここでガチ寝とか、空気を読まないにも程があるぞ。
むかつくから起こそう。
いや、駄目だ。寝ている時の、こいつの猫パンチは意外に強力だ。やっぱ放置でいい。
「ああ、ええと。その、俺が兄者になっても、あんまり意味ないと思うよ。俺、奴隷だし。協力できないと思う」
視界をハールーンから居並ぶ三人に移し、俺は口を開く。実際、俺に自由はないのだ。
あれ? でも、ネフェルカーラはいいって言ってるよな?
「ふむ。仕方ない。ならば――シャムシール、やはり、この者等を抹殺しろ」
え? 今なんとおっしゃった?
「聞こえなかったか? お前が身内に出来んというのなら、この者等はただの敵と成り果てる。ましてや、王を倒そうなどと、看過できん」
いやいや、あなた今、ざっくりと看過しようとしてたじゃないの。意味がわからないよ。
「我等は、奴隷騎士だ。故あってこの場にいる。
貴様がシャムシールと共に来る、というのならばおれは止めぬ。シャムシールを兄と呼ぶならば、貴様も奴隷騎士に入るという事だからな。強き者ならば誰であれ歓迎する。
だが、それもこのシャムシールが認めなければ話にならん。
シャジャル、と、言ったか? 先ほどの魔法は中々のものであったぞ。なのに殺さねばならんとは、残念でならぬわ」
くそう。こいつ戦闘も見ていたのか。そのくせに寝たふりしやがって。
ていうか、こいつ、覆面の下で絶対にニヤけてる。
「あ……そういう事なら、俺は兄と呼ばれても構わないです。大体、人は殺したくないし。
ようは、戦い方を学びたいってことだろう? 奴隷騎士になれば、色々と学べると思うし。
理由は、まあ、聞かなかったことにさせてもらうけどさ……シャジャルがそれでいいなら、ね?」
現状で俺が言えることは、これしかない。多分、これでどんな事があっても、責任は俺にくるんだ。ネフェルカーラめ。なんてしょぼい上司なんだ。部下に責任を押し付けて部隊を強化しようなんて!
今度から、俺も見習おう!
シャジャルは、一瞬だけ悩んだ素振りを見せる。だが、すぐに屈託の無い笑顔を俺に向けて、こう言った。
「はい! 奴隷騎士になります! 兄者! 共にアシュラフを倒しましょうぞ!」
こいつ、何も分かってない。
「うはははは。では、シャムシールの従卒として仕えるが良い」
そして、愉快そうに笑うネフェルカーラ。なんなんだ、コイツの性格は。こんなのバレたら、あんたもヤバイだろうが。どこまで責任を俺に被せる気だ! とか思う。
ハールーンはといえば……完全に寝ていた。どんだけマイペースなんだよ。
◆◆
さて、俺達一行――俺、ハールーン、ネフェルカーラ、シャジャル――は、灰色の城壁が聳えるオロンテスの入り口までやってきた。
ちなみに、シャジャルに付き従っていた盗賊たちは、皆、素直にシャジャルの命令に従って、アジトとやらに戻っていった。
「姫をよろしくお頼み申す!」
俺が顎を殴った人に、そんな風に頼まれてしまった。てか、シャジャル、姫だったのか……
今、姫が俺の駱駝の轡をとって歩いているが、良いのだろうか? いや、気にしたら負けだ。
あと、朝になって一人増えていることを知ったハールーンが、変な驚き方をしていたな。
「シャ、シャジャルぅーー!」
って。どうやら知り合いだったらしい。世間は狭いってことだ。
シャジャルは「ハールーンどの。奴隷になっておられたのですか! おいたわしや!」と、言っていた。
結局、シャジャルも奴隷になったという事なんだけど、詳しくは語らない方が良いだろう。
ていうか、所有権とかどうなってるんだろうな? まさか、俺の奴隷なのかな? 奴隷の奴隷? そんな馬鹿な。
もしもそうなら、俺にも運が向いてきたのではなかろうか。生まれ出でてより十八年。彼女が出来る前に奴隷が出来ちゃうなんて。しかも美少女。うへ。うへへ。じゅるり。
「そこの下種。なにをにやけておる」
「兄者を下種とは何事か! お主、無礼であろうが!」
ネフェルカーラに怒られた。でも、シャジャルが庇ってくれた。
うむ。俺は、俺の破廉恥妄想を戒めようと思う。ごめんよ、シャジャル。
さて、オロンテスの街に入りたい俺たちだが、実は問題がある。
一応、俺たちの設定は、「遥か北西からやってきた巡礼者」だ。
さらに、富豪の姫君であるネフェルカーラとその奴隷護衛、というオマケ設定まであるのだ。それゆえに、俺とハールーンは曲刀を腰帯に下げていても不審がられる事もない、はずだ。
だから、ネフェルカーラは帯剣していない。豪気な人だ。
ていうか、ネフェルカーラの性別はどっちだ? 本人は男と言い張ってるけど、だれがどう見ても女だ。俺だってそう思うし。
それと、ネフェルカーラは、剣を持たないことに関して、「帯剣する姫などおるか!」と言っていたけど、ファルナーズの事を忘れているんじゃないだろうか。
帰ったら、ファルナーズに告げ口してみようと思う。
そんなわけで、シャジャルにも、急遽、設定を加えたのである。
彼女は、ネフェルカーラの侍女、ということに落ち着いていた。よって、剣もない。ていうか、彼女の戦闘方法は魔法がメインだから、関係ないんだろうけどね。
それより何より、なんで奴隷設定じゃないんだ?
「兄者。あたしの設定とやらは分かった。しかし、異教徒共の城にどうやって入り込めばよいのかな?」
たしかに、シャジャルの疑問はもっともである。マディーナの街よりも巨大な城壁と門だった。警備する兵の数も多い。よくよく考えれば、こんなもの、どうやって突破するというのだろう? 普通に門前に並んだら、俺たちは不審者マックスだ。大体、結構な人数が追い返されてるぞ?
まあ、並んでる人たちの質にもよるんだろうけど、俺たちクラスの貧民っぽいのは、わりと駄目だな。
「ふははは。任せろ」
俺の横で、ネフェルカーラが何か言っている。
「清浄にして高潔なる風の精霊よ……万物を砕く力となりて我を助け給え……」
さらにぶつぶつとネフェルカーラが言葉を続けると、俺たちの頭上に黒雲が集まり始めた。辺りは青空なのに、妙だ。
「雷撃」
いくつもの閃光が俺たちの周囲に撒き散らされる。落雷の轟音が辺りを圧し、風が巻き起こり砂塵を舞い上がらせた。
ネフェルカーラの中域魔法だった。相変わらず派手だ。
「ひゃあー」
ハールーンが、間の抜けた声を出す。
「みんなで逃げ込めばいいんだよねぇ?」
「うむ」
ハールーンの問いかけに、ネフェルカーラは頷いていた。そして、駱駝を走らせ、城門へとせまる。徒歩のシャジャルも、慌てた様子で俺たちに付いて来ているようだ。
うん、実際慌ててると思う。
あれは、本気でやってたと思うもん、ネフェルカーラ……
「た、助けて! 助けて下さいっ! 魔物っ! 魔物に襲われて……ああっ、ああっ」
そして、城門にたどり着くと、駱駝から降りて兵士にしなだれかかり、息を切らせて助けを求めるネフェルカーラ。すでに、いつもの覆面はしていない。
黒い絹のような艶やかな髪が顕になり、翡翠色の瞳に水晶のような涙を溜めて、兵士に哀願するのだ。
自演乙……
しかも、居並ぶ人たちを無視して突っ込んだ。そんなに目立っていいんだろうか?
「ひ、ひいい。魔物、魔物ぉおお! 怖いよぉ!」
ハールーン、ノリノリだな。乗ってる駱駝が引くくらいに。
「うわぁ。ま、魔物に襲われたぁ!」
シャジャル……大根役者か?
「お、お助けをおおお!」
俺も、隙を見たネフェルカーラに睨まれたので、話を合わせることにして、兵士に擦り寄ってゆく。
「うむ! 上位精霊魔法を確認した! あれ程の魔法は魔族にしか操れまい! 行くぞ! 騎士の力を知れい!」
意外とあっさり信じてもらえたようで、俺たち含め、雑多な人々も城壁の内側に入ることが出来た。
もっとも俺たちの場合は、「事情を聞きたい」と言われてしまったので、門衛の詰め所に一旦通される事になった。やっぱり目立ちすぎたようである。
とはいえ、第一段階は無事に突破出来たんだから、良いのかな。
それにしても、覆面を取ったネフェルカーラは、まったく、はっとするほど美人だった。
肌は透き通るように白く、艶やかな唇は何処までも紅で、切れ長の目には、まるでエメラルドがはめ込まれているかのような。
これで「脳筋魔術士」でなければ……と、俺は、とてつもなく残念な気持ちになったのである。