マディーナ動乱 1
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「注目せよ~。今から~マディーナ防衛戦の作戦を説明する~」
黒甲将軍府の会議室において、やる気の無い声を出しているのはネフェルカーラだ。
バフマン月(一月)の末日、即ち、シャムシール軍がボアデブル軍と激突して二日目のことである。
うっかり昼食を食べ過ぎたネフェルカーラは、本来ならばお昼寝の時間に差し掛かっていた。だから彼女の声が気だるい響きを持っていても、それは仕方の無いことであろう。
しかも彼女は今日、昨夜色々と思案した事により、超が付くほどの寝不足であった。
しかしこの場に集まった諸将は、緊張した面持ちでお誕生日席に座る上将軍ネフェルカーラを見た。
マディーナから三日程の距離に、帝国宰相ウィルフレッドが率いるフローレンスの別働隊十五万が迫っているのだ。
となればこの会議は緊急を要するのである。
――昨夜、ネフェルカーラはヘラートのシェヘラザードからこっそりと拝借した葡萄酒を片手に、豪奢な寝台に寝そべりながら、あれやこれやと思案したのだ――
ちなみに寝台は、シャムシールと二人で寝る為に新たに用意した、全てが漆黒で縁取りのみが金細工という、ネフェルカーラ以外では悪夢しか見ないであろう寝台である。
このフローレンス軍の進撃速度は、さし当たって異常だ。
何故なら、フローレンスからマディーナ迄、普通に旅をするにも一月以上を要するはず。
その上マディーナの北西からフローレンスの領土に至るまでには、小国家郡が乱立する地域がある。
この地域はトラキア地方と呼ばれ、フローレンスとシバール、そして魔族の国とも接する中間地点だ。
だからこそ三つの街道が交差する地点には交易の拠点として、バレオロゴス大公国が誇るコンスタンティノポリスが栄えている。
海は、西海の海上交易を独占し巨大な港を有するラツィオ共和国が、マディーナ地方よりも小さな領土しか持たない小国家でありながら、シバール全体の国家予算に匹敵するであろう巨万の富を稼ぎ出していた。
とは言っても、彼等の軍事力はたかが知れている。
シバールとフローレンスの力が均衡を保って居ればこそ、双方の武力は互いに抑止力足りえたのだ。しかし先だってシバールがオロンテスを滅ぼした折、その均衡が崩れ去ると、彼等は軒並みシバールに服従したのである。
何しろ聖騎士達も撤退し、大陸西域の覇権をかけて、同じくフローレンスの名を冠した聖教国と帝国が争うというのだから小国が生きる手立てとしては、もはやシバールに庇護を求める他なかったのであろう。
(だが庇護を求めておきながら、早々に意趣を返してフローレンス軍を易々と通すか? そうまで奴らは節操がないのか?)
ネフェルカーラは、さらに思案した。
思案していると葡萄酒の杯が空になったので、アーザーデを呼んで注いでもらう。
その程度の事は自分でやっても良さそうだが、起き上がるのが面倒なネフェルカーラは、どこまでも甘えん坊さんなのだ。
「ない」
「はい、ネフェルカーラさま」
(ふむ……いかに面従腹背の輩が多いトラキア地方の君主や元首達と言えども、そうまで信を軽んずるであろうか? それは、流石にあるまい。ならば――裏があるはず)
フローレンスがいかに軍事大国と化そうとも、小国家郡を無視して通るという訳にもいかないだろう。
少なくとも降伏させるにしても条約を結ぶにしても、相応の時間というものがかかる。
ネフェルカーラは記憶を辿り、一人の国家元首を思い出す。
(ラツィオのアンドレア。ヤツの仕業か。ヤツが協力すれば、フローレンスが容易くトラキアを抜ける事も可能であろう。あのヘッポコ元首め。恩を仇で返しおって)
ラツィオと言えば、マディーナの西、そしてフローレンスの南に広がる海、所謂シバール人曰くの”西海”全域を商圏とした海洋国家であり、そして貴族制民主主義ともいえる政治体制の都市国家だった。
彼等は自らの商圏を守る為にこそ強大な海軍力を持つのだが、如何せんその国土が狭い。
そもそも海上交易により巨万の富を得ている彼らの事、領土欲とは無縁であり、地上の覇権など何処が持とうと、知ったことではないのだ。
そしてその精神を体現するかの如きアンドレアは、三十年ほど前、何となく海で巨大なクラーケンと戦っていたネフェルカーラの前に、平身低頭で現われたウィスコンティの子供である。
ネフェルカーラは、三十年前の嵐の日、一隻の商船を救った。
もちろん、ネフェルカーラのことだから、別に助けようと思ったわけではない。
ただ、烏賊をツマミに酒でも飲もうと思ったら、意外と大きい獲物がかかってしまっただけのこと。
その結果、大渦が収まり商船が救われた事は、ネフェルカーラにとってあくまでも事のついで。だから、アンドレアが恩に感じていなくても、別に問題など無いのである。
ただ、どうしてなのかネフェルカーラの下にはウィスコンティの死後も、数年に一度はアンドレアから便りと共に、様々なモノが送られてくるのだ。
それゆえネフェルカーラの衣服は全てが黒と言えども上質であったのだが、そこには感謝などしない緑眼の魔術師であった。
(ふん。フローレンスの内海と化すであろう”西海”における交易の自由さえ侵害されなければ、ラツィオが帝国に立ちふさがる道理も無い、ということか。
いや、それどころかフローレンスの内海と化すからこそ、尻尾を振っておかねばならないのだろう。それに、海軍では陸上の騎士を防ぐ手立てもない)
さらにネフェルカーラは考えを進めたが、どう考えてもラツィオが扇動した事により、他の大公国やら公国やらがシバールから離反したことは疑いない。
何しろトラキアの盟主足り得る国家はラツィオかバレオロゴスの二国。そしてこの二国は強固な同盟で結ばれている。
だがバレオロゴスは魔族さえ受け入れる国柄から、基本的に親シバール。とすれば、ラツィオが原因と考えざるをえないのだ。
(だがバレオロゴス大公国は、街道の守護者を名乗っておるはず。それがみすみす軍の進撃を許したというのか? むむ? 此方も闇隊からの連絡がなくては分からぬが……だが、現状ではシバールの援軍も望めず、ラツィオが利権がらみでフローレンスに寝返っては、彼等も打つ手なし、か)
無論、この時のネフェルカーラにバレオロゴス大公国が辿った運命など分かるはずも無かった。
何故なら、世界で唯一魔族とも交易を行うバレオロゴス大公国は、クレアの定めた国是に合わず、合わせる事も拒否したのだ。
となれば彼等の辿る道は、唯一つ。
クレアの常軌を逸した進言を是とした皇帝プロンデルは、ただ一言。
「滅せよ」
そう言っただけで、文字通り人も街も、バレオロゴス大公国の全てが地上から消滅したのだから。
だから、闇隊が誰一人この地から戻らなくても当然だし、情報が遮断されても仕方の無いことなのだ。
無論、バレオロゴス大公国には上位の魔族さえいたのだが、聖戦を発動していたフローレンスに敵うはずも無かった。
聖戦が発動された場合、聖騎士達は特別な加護を受け、異教徒に対する攻撃力を増し、防御力を高めることが出来る。その力の上昇率は個人によるが、それでも通常三倍から十倍に力が上昇した。
一説によれば潜在能力を神の力により引き出すのだという。確かに力の上昇率は、歳若い妖精族や人間達の方が高い。
「つまるところ人間とは、その寿命のうちに能力を使い切る事も無く死ぬ種族なのだな」
とは、かつて、唯一”聖戦”を発動した法王が死を間際にして呟いた言葉である。
だからこそ聖騎士は純粋な人間であっても、シバールにとって恐怖の代名詞足り得るのだ。
そして聖戦の代償は、法王の命。ただこれだけで済むのだから実に容易く、いっそ、邪魔なクレメンスも消せるのだから、「一石二鳥の廃物利用」と考えたクレアだった。
もっとも、そんな事とは露ほども知らないネフェルカーラにとって問題は、トラキアのあらゆる事態を闇隊が把握出来なかったことであろう。
当然ラツィオにも闇隊は存在するし、バレオロゴスにも居た。
それなのに情報が齎されないとなれば、まずは彼等の怠慢を疑う心の狭いネフェルカーラ。
とすれば敵に躍らされたか、寝返ったか、そのどちらかしか考えられないのだから、ネフェルカーラは憤慨しつつも混乱した。
(おのれ、闇隊の長がカイユームになってからというもの、弛んでおる。今度、性根を叩き直してやるしかあるまいな!
いや、それよりも状況を考えればナセルとプロンデル、そしてアンドレアが結んだということであろう。これはナセルが描き、シーリーンがなぞった絵か。あの忌々しい女狐め。それとも、あの淫売狸の仕業か?)
ネフェルカーラの推測は、ラツィオ共和国に関してはほぼ正解だった。つまり、フローレンス、ナセルの国、そしてラツィオは三国同盟を結んだと云うこと。
それにしても脳内でシーリーンに毒づくネフェルカーラの妄想は、少しだけおかしい。
どちらかと言えば狐に近い印象を受けるのは、切れ長の目を持つネフェルカーラだし、そもそもこの地方に狐という生き物は存在しない。
それなのにシーリーンを狐と決め付けたネフェルカーラは、とりあえず狸をぶつけようと考えて、思考を終える。
もちろん狸とは、クレアのことだった。
(ふはは。貴様等でばかし合っておればよいのだ!)
ちょっとだけ自分の妄想が楽しくなって、葡萄酒を飲むペースが速くなるネフェルカーラは、もはや上機嫌で手を叩いている。
なんというか国家の存亡も、ネフェルカーラの前では所詮こんなものだった。
もう、空になった杯を振るだけでアーザーデが酒を注いでくれるので、ネフェルカーラは一人でクスクスと笑っていた。
なぜネフェルカーラが”狐”や”狸”が人を化かすという話を知っているかといえば、当然シャムシールから聞いたからだ。
ちなみに狸の存在も知らないネフェルカーラは、シャムシールに絵を描いてもらって、ようやく狐と狸を理解した。
しかし、シャムシールにはまるで画才が無く、狐はド〇ミ、狸がドラえ〇んになってしまっていた事は、残念な事実であろう。
だがその結果としてこの変態魔族は、日本の文化が好きになりつつあるようだった。
最近ではたまに、
「モーモタロサン、モモタロサン、オコシニツケターカビダンゴー、ヒットツー、ワッタシニクッダサイナー」
などと機嫌が良い時には日本の童謡などを歌うようになったネフェルカーラは、この時も、この歌を口ずさんでいた。
それにしても、キビ団子の部分をカビ団子と覚えてしまった彼女は、それでいいのだろうか?
そんなモノをもらったら、間違いなく鬼を退治する前にトイレへ直行するしかないだろう。犬も猿も雉も、気の毒なことである。
ともかく、いかにフローレンス軍が予測よりも早く現われたとはいえ、現われること事態は予測の範囲内であり、大きな問題が起きた訳ではない。
敵が予測よりも早く動くのならば、此方もそれに対応するだけなのだから、ネフェルカーラに焦りの色など微塵もなかった。
ただ一つ問題があるとすれば、シバール領内に入ったプロンデルが軍を二手に分けていたこと。
一隊は宰相ウィルフレッドが率い、マディーナへ進撃中。
そしてもう一隊は皇帝自らが率い、ヘラートへ向かっていた。
正直ネフェルカーラとしては、マディーナにフローレンス帝国の全軍を引きつけつつ、シャムシールが率いる本隊によってヘラートの解放を成し遂げようとしていた。
マディーナとしては受け持つ兵力が減ったので楽にはなるが、ナセルの他に二十万ものフローレンス軍を迎え撃たねばならないシェヘラザードは、もう生きた心地がしないだろう。
(あ、でもシェヘラザードが死ねば……ふはふははは。シャムシールが目移りする可能性が減るな。うむ。死ぬなら死ぬで、致し方ない。うむ、うむ。一応、手厚く葬ってやるゆえ、容赦せよ)
割と薄情なネフェルカーラは、ヘラートと飲み友達をあっさりと捨てた。
(となれば、かねてより噂を流し集めておいた不穏分子どもを一挙に殲滅するか。城外に既に接近しつつある敵の尖兵もそろそろ動くであろうし、のんびりとは出来ぬな……)
という訳で、
「――そして、ウィルフレッド軍をマディーナの戦力で撃滅。プロンデル軍とナセル軍は……その後、シャムシール軍本隊とマディーナ軍で挟撃すればよかろう」
と、酔っ払って面倒になり考えを改めたネフェルカーラは、翌日、いよいよ重大な秘密を暴露すべく、諸将を黒甲将軍府の会議室に集めたのである。
◆◆
ネフェルカーラが最初に発言をしてから、既に数分が経過していた。
一応、昨夜、酒を飲みながらとはいえ作戦の概要や今後の計画など、それなりに考えたネフェルカーラの睡眠時間は、今日、極度に減っていた。
なんと、十時間を切ってしまったのだ。
もう、目がしぱしぱして今にも眠りそうなネフェルカーラは、他人に注目させておいて、うつらうつらと船を漕ぐ。
黒衣を纏い口元も薄布で覆うネフェルカーラは、誰もが知る大魔術師である。
そんな彼女が「作戦を説明する」と言ったきり無言になったのだから、周囲の注目はいやが上にも増してゆく。
とはいえ、会議室の気温が昼を過ぎて上昇の一途を辿る今、長々とこの空間には居たくない皆の気持ちは微妙だ。
会議室の窓は外部への情報漏洩を防ぐ為、全て締め切っている。そんな中では、いくら下級の奴隷騎士達が巨大な団扇で扇いでくれているといっても、諸将は室内の気温に辟易していたのだ。
ネフェルカーラがなぜ黒甲将軍府に諸将を集めたかといえば、こうだった。
まずネフェルカーラはアーザーデに、ファルナーズと自身が不仲であるよう噂を流させていたのだ。
その流言を流布させた当初はネフェルカーラの立場が低かった為、マディーナ内の不穏分子や敵対勢力の間者は自身に接触を試みるだろうと考えたネフェルカーラ。
しかし、蓋を開けてみればシャムシールは王となり、自身はその第一夫人が確約されて、いまや上将軍。
こうなれば当然、敵も不穏分子もファルナーズに接触し、体制を覆すことを狙うだろう。
それはそれで構わない。
結局、上位者二名が不仲であれば、下位の方と接触しようとするのが反体制派というもの。もとより先に接触されていたら、ネフェルカーラは今頃、彼等が集まる刻を待てずに処断する結果となっていただろう。
だが彼等は都合よく、ファルナーズに接触した。
だからこそネフェルカーラは、迫るウィルフレッド軍とは別の敵軍にも気づき、それに呼応して城門を空けようとする不穏分子の存在にも気が付く事が出来たのだ。無論、他ならぬファルナーズからの連絡によって。
ただ、ネフェルカーラとファルナーズが連絡を取り合っている事を知るものは少ない。
それに、未だファルナーズとの不仲を示す必要もあれば、シャムシール曰くの群青玉葱城で会議をする訳にもいかないのだ。
何しろ群青玉葱城は太守の居城であり、黒甲将軍府府は今やネフェルカーラの居館なのだから。
無論、ネフェルカーラとファルナーズの不仲が欺瞞であることはこれから示すし、今後の作戦についても指示をする。
しかし、不穏分子を始末する前にファルナーズとの不仲が欺瞞であると知られる訳にもいかないのだ。
会議の参加者は、上将軍ネフェルカーラとハールーン、アーザーデ以下、十人の千人長達。
ハールーンとアーザーデはともかく十人の千人長達は、この気温にも関わらず目を閉じて、涼しげな佇まいを見せるネフェルカーラに憧憬を禁じえない。
(これ程の暑さでも、何ら不平を漏らすことなくじっとしておられる。俺もこんな暑さなど耐えよう! なに、これからもっと過酷な戦いになるのだ!)
千人長の一人など、ネフェルカーラの冷厳な美しさに勇気を貰っていたようだ。
だが違う。
ネフェルカーラは自身の魔力を冷気に変えて、全身を覆っているだけなのだ。
むしろこの中でただ一人適温を維持しているのだから、どこまでもズルイのである。
所謂お誕生日席に座ったネフェルカーラは、うっかり夢の中に行きそうになると、”びくっ”っと身体を震わせ目を開けた。
そして眠りそうになった事がばれない様に、じっとりとした目を左右に動かし、右側の最前列が空席になっている事を確認する。
もしもこの会議室が純然たるシバール風で、床に円座を置いて座る形式ならば、ネフェルカーラはとっくに転げていただろう。その意味では木製の長机を中心に据えて、上位者を頂点にし、左右に部下達が列を成すという作りは、今のネフェルカーラにとってとても有り難いものだった。
「ファルナー……ズの件だが」
一瞬、涎を啜ったネフェルカーラ。
しかし大丈夫。口元は薄布によって隠されている。
「ちっ」
その声に、ハールーンは眉を顰めて舌打ちし、その他の千人長達は肩をビクリと振わせる。
とりあえずネフェルカーラの意図は、皆に誤解された。
何しろ他者の目には沈思黙考しつつ太守を待っていた美貌の指揮官が、ついに待ちきれずに瞼を開き、不快気に瞳を動かしたように見えたのだから。
ともかく、ファルナーズはこの場に来るはずがない。
それはネフェルカーラの策略ではあったが、今、世間的にはネフェルカーラとファルナーズが不仲、という事になっている。
それはアーザーデが闇隊の力を借りて広めた噂なのだが、今、この場でその実情を知る者はアーザーデとハールーンのみなのだ。
そういう意味では、ハールーンの演技は中々上手い。もう、ノリノリで二人の仲が不仲で困ってるアピールをしまくっていた。
いやもう、面白がっていたと言っても過言ではないし、今だってノリノリで舌打ちをしたハールーンに、千人長達の顔が引き攣らんばかり。
だが、もういいのだ、ハールーン。もうやめてあげよう。流石のネフェルカーラも、少しだけ困っている。
「太守におかれては、上将軍閣下のなさりようにご不満がある様子。こられるはずもございませんが」
本当はファルナーズの件に関して説明を始めようとしたネフェルカーラ。しかし、涎を啜った結果、言葉を上手く繋げなかった彼女は、中ほどの席に座る千人長に指摘された。
中ほどの千人長は気遣いに長けた男であり、今もハールーンの舌打ちを穏便に済ませる為、ネフェルカーラに代弁したようなものだ。
もっとも、彼は騙されているのだが。
「だからあれほど言ったじゃないー。ネフェルカーラさまがファルのムハンマーまで食べちゃうから、嫌われたんですよぉ。大体、ボクの分も食べたでしょお! 立場にモノを言わせて、ちょっとネフェルカーラさまは最近横暴ですよぉ!」
ハールーンがここぞとばかりに言い募る。やはりノリノリだ。勢いに任せて、本気でツッコミたい事を混ぜるハールーンは、中々やる。
これは殆どが本当の事を言っているだけに、周囲の千人長達は唖然としていた。
途中からハールーンは本気で怒っていた。
ハールーンだってムハンマーが大好きなのだ。現代日本で言えば、冷蔵庫に入れてあったプリンを勝手に奪われたようなものなのだから、確かにその罪は万死に値する。
もちろんハールーンの怒声は、相変わらず気の抜けた声だ。
しかしハールーンは、マディーナ唯一の竜騎士である。
そして現在シバールにおいて竜騎士とは、シャムシール、アエリノール、ジャムカ、そしてこのハールーンと、たった四人しか居ないのだ。
最強戦士の称号でもある竜騎士――それを持つハールーンが、上将軍たるネフェルカーラに怒気をぶつけている。
そう考えた千人長達は、凍りついた。
千人長達は絶対零度の刃をその背に当てられたかの如く、微動だにしない。
――だが、まさか菓子なのか? 菓子が原因で上将軍と太守が仲違いをするなど。いや、現に竜騎士ハールーンさまもお怒りに――
沈黙の中、マディーナにおける上位者三人のお菓子争奪戦に愕然とした十人の千人長達。
凍りついたその場に舞い降りたのは、歌う天使の如く柔らかな声だった。
アーザーデはゆったりと微笑みながらネフェルカーラに頷き、ハールーンに視線を流す。
「まったく、ネフェルカーラさまに限って、そんな意地汚い事をなさる筈がないでしょう、ハールーン将軍。……でも、ムハンマーを召し上がりたいのなら、今度私が作ってあげますから、今はお怒りを静めて、ね?」
アーザーデは、朱色も鮮やかなアバヤドレスを身に纏い、腕に幾つもの銀環を嵌めていた。
その身ごなしは優美で、新たに”行政官”の地位を得た彼女は、将軍に匹敵する身分に相応しい、芯の強さと気品を併せ持つ。
「そうだぞ、ハールーン。おれなど、今度シャムシールが手ずから作ってくれるというのに、どうして他人のモノを食さねばならんのか」
「そっかぁ。じゃあボクのムハンマーとファルのムハンマー、いったい誰が食べたんだろう? でも、ま、いっかぁ。アーザーデ姉さんがムハンマーを作ってくれるなら、それはそれで楽しみだなぁ。でも、シャムシールのムハンマーも美味しいからなぁ。シャムシールのも食べたいなぁ」
両肘を突いて頬に手を当てたハールーンは、ふわふわのオレンジ髪を揺らしながら満面に笑みを浮かべる。
その様を見たアーザーデは微笑を浮かべて頷くと、遥か彼方へと飛び去ろうとする本題を強引に引き寄せた。
「ところで、作戦の説明とは一体どのような事でございましょうか? ネフェルカーラさま」
ネフェルカーラは鷹揚に頷くと、こう言った。
「では、説明しよう――つまり騒動は、全てが欺瞞なのだ。このおれとファルナーズが不仲である、との風説は、おれが流したものであり、嘘なのだ」
ネフェルカーラは会心の笑みを浮かべて椅子から立ち上がると、長机に並ぶ諸将を見渡した。
千人長達は今、壁際から送られる団扇の風を、妙に生暖かく感じていた。
(犯人は、ネフェルカーラさまではないのか?)
(ネフェルカーラさまなら、他人のムハンマーを食いかねない。先ほどのハールーン将軍だって、本当に怒っておられた……しかし)
(明らかにムハンマーが好きだろう、この人は)
「で、では、ネフェルカーラ閣下は、ムハンマーを勝手に食べておられぬので?」
「雷撃!」
恐る恐る口を開いた千人長の一人に、有無を言わさず雷撃を放つネフェルカーラ。
もちろん、ムハンマーなら勝手に食べた。だがそれがどうしたというのだ。
問題はそこではない。重要なのは、「おれとファルナーズが仲違いしてなどいない」ということだ。それも分からぬ愚かな千人長など、誅しても良いだろう。
そう考えたネフェルカーラの懲罰は、手厳しい。
「治癒」
「む! アーザーデ、何をするか!」
しかし、黒焦げになった千人長を抱きとめて、間髪居れず治癒を施したアーザーデは、ネフェルカーラに厳しい視線を向ける。
もちろんネフェルカーラが部下を殺すつもりなど無い事は知っているアーザーデだが、力の加減を知らない上官では今後部下達が萎縮してしまい、ついてこなくなってしまう。
そうなる事が心配で、アーザーデは怒っているのだ。
「やり過ぎです。このような事、あのシャムシールさまが望まれますでしょうか?」
「む、むう? シャムシールはおれの雷撃を楽しみにしているが? まあ、よい。今後はなるべくやり過ぎぬ? ようにしよう」
首を傾げるネフェルカーラは、アーザーデの言葉が二重の意味で理解出来ない。
(おれが本気で撃つ雷撃、シャムシールは好きなのに。これはやり過ぎなのか? まあよい、シャムシールには存分に振舞ってやろう!)
しかし、十人の千人長達は等しく同じ事を思っていた。
(アーザーデどのは、まさに天使! とはいえ、ネフェルカーラさまの雷撃ならば、少し嬉しいかもしれぬ。シャムシール陛下のお気持ち、分かりますぞ!)
実際、黒焦げになった千人長は、少しだけ笑みを浮かべていたのだった。
美人というだけで嫌われないネフェルカーラは、案外得をしている魔族なのだろう。
そして、実際には雷撃を喰らいたくないシャムシールは、まさかこんな所で要らない羨望を得ているなどと、夢にも思っていないかった。
◆◆◆
ともかくネフェルカーラは、十人の千人長達に事のあらましを説明した。
まずマディーナの北門、その先には既にフローレンス軍の先遣隊四千程が姿を潜め、城門が開け放たれる時を待っているということ。
それから、ファルナーズ指揮下に入り込んだ間者が不穏分子を煽り、マディーナ北門を開放しようとしていること。
ネフェルカーラは拡大してゆくマディーナにおいて、不穏分子が増大してゆく事を懸念していた。
そもそも急激に拡大する社会は、どうしても外部からの流入に頼らざるを得ない。となれば、先住者との間に諍いの一つも起こらない等という事はありえないのだ。
だからこそこの機会を利用して、不穏分子の一掃を計画したネフェルカーラである。
「では、おれはファルナーズの下へ行く。ファルナーズめ、不穏な連中をまとめ、新たに第二親衛隊として組織したそうだ。調子に乗りおって。だが――ふはは、これで一網打尽だな。者共、行くぞ!」
会議室の窓を開け放ち新たな風を取り込むと同時に、ネフェルカーラは命令を下す。
「ボクは城壁外の敵軍を殲滅するよぉ。砂漠に身を潜めているということは、ちょっと特殊な兵だろうから、ウィンドストームも連れていくねぇ」
ハールーンも頷き、立ち上がると扉へ向かう。
純白の長衣に曲刀を差しただけの軽装だが、ハールーンはどうやらそのまま戦場へと向かうらしい。
「ハールーン。アーザーデも連れてゆくがよい。それなりに魔法も使う」
軽い足取りで扉に向かっていたハールーンに、ネフェルカーラが声を掛ける。
敵が砂漠でも姿を隠せるということは、当然ながら魔術師が存在するということだ。
もしもその魔術師が強力であれば、ハールーンにとって分が悪い戦いになる可能性もある。となればこの布石は惜しむべきではないだろう。
「ありがとう。じゃあ、アーザーデを借りますぅ」
アーザーデは小さく頷き、ネフェルカーラの下を離れる。
ハールーンと共に歩くのは、子供の頃以来だろうか。アーザーデは随分と背の伸びたハールーンの背を追った。
「私も一応、砂漠民なのよ、ハールーン」
「知っているよぉ、あはは」
ハールーンの笑い声を聞いたアーザーデは、一つ心の殻が割れたように思う。
かつて共に育った年下の男の子は、思えば今では立派な竜騎士なのだ。
ハールーンの腰帯に差した曲刀にサーリフの姿を重ねたアーザーデは、少しばかり頬を赤らめ、そっと彼に付き従う事にした。




