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セムナーン防衛戦 3

 ◆


 神象の上でぐらりと揺れたヴァルダマーナは、血走った目で俺を睨んだ。しかしすぐに、巨大な雷光が消えた辺りに視線を移す。

 血の滴る胸元を押さえて、それでも自らを省みずパールヴァティの下へ向かおうとするヴァルダマーナ。

 パールヴァティをアエリノールが殺してしまったのかと思えば、少し胸が締め付けられる思いが――しないよ!

 パールヴァティ、生きてるよ! なんなんだよ、あの化け物!


「うむ……服が破けてしもうた。身体に力も入らぬ。わらわとしたことが……」


「ぐふっ……! ですから、空間転移を推奨いたしましたものを……」


「じゃが、戦妃たるわらわが敵の技を恐れて身を翻したなどと噂されては……」


「だれもしませんよ、そんな噂!」


 口から血を吐き出して、ズタボロになった神象に色々つっこまれたパールヴァティは、ネフェルカーラもびっくりなほど脳筋全開。なんと、爆轟雷ライトニング・デトネーションを避けられるのにあえて受け、凌いだらしい。


 パールヴァティは自身と神象の周囲に、薄く緑色に輝く三角形の結界を張っていたようだ。

 見れば確かにパールヴァティの衣服はボロボロ。といっても、露出が高くなったわけではない。何しろ最初から殆どの部分がレースだったのだから、それが消失したところで見た目にはあまり変わらないのだ。

 ただ髪を覆う布も失われて、豊かな黒髪が溢れていた。

 いや、むしろ溢れた髪が四方八方へ広がっているから、自ら取ったのかもしれない。

 それよりも驚くべきは、パールヴァティの額に、目がもう一つ現れたことだ。

 瞳の色は眩いばかりの金色で、その下にある二つの目とは別の動きをする。


 パールヴァティは神象の背に座り、胡坐をかいて両手を広げ、手の平を天空に向けていた。


「その目……あなた、神族なの?」


「ふむ、まあ、そうらしいな。わらわもよくわからぬが……」


「……そう。まだ純粋な神族がいたんだ」


 あれ? おかしいな。

 アエリノールが、目を見開いて驚いている。

 敵は敵でしかないから決して興味を持たないはずの彼女がパールヴァティを見て、何やら意味ありげに語りかけていた。

 ていうか、神族ってなんだ? 神?

 やめてやめて。俺、世界中を敵に回しただけじゃなく、神様まで敵に回しちゃったの?


「おい、貴様ら……パールヴァティにこれ程の事をしたのだ……生きては帰さぬぞ……!」


 冷や汗が背筋を伝ってガクブルの俺。

 アエリノールの驚きと俺の驚きは、多分別物だ。

 ていうか、神さまなら人の世界に手をだすな。雲の上ででものんびり引き篭もっていてくれ!


 竜の上でカタカタ震える俺に再び向き直ったヴァルダマーナが、憤怒の形相を浮かべていた。

 そしてついでに言うならコイツの額にも、もう一つの瞳が浮かび上がっている。

 これはパールヴァティ程くっきりしたものではなく、幻影のように見えた。


 ヴァルダマーナは即座に俺の首筋目掛けて、斬撃を放つ。

 俺は魔剣を縦にして首を守るが、ヤツの力は先ほどの倍以上だった。

 俺のチート筋力をもってしても、手が痺れてしまう。

 しかも胸元の傷があっさりと塞がってしまうあたり、ヴァルダマーナは第三の目を開くと、色々と覚醒するようだ。

 こいつも神様だったらどうしよう。お供え物をしたら、お引取り願えるだろうか?


「ヴァルダマーナ……お前も、神……族?」


 神だと言ったら謝ろう。そう思った俺の決意は固い。


「その末裔だ! わかったら死ねっ!」


 よし、ギリでコイツは神じゃない。戦ってもいいだろう。


 そこから二合、三合と剣を交わしたが、先ほどよりも膂力の増したヴァルダマーナの斬撃は幾度も俺の鎧を掠め、火花を散らしていた。

 たまりかねた俺は”光速化スピード・オブ・ライト”を使ったが、それほど効果が発揮されなかったようだ。

 つまり、俺の魔力が底を尽きかけているのだろう。それも当然だった。

 一日に五回も六回も光速化スピード・オブ・ライトを使い、数え切れないほど雷撃ラアドゥンを放っているのだから。


 とはいえ、それでも俺はヴァルダマーナの剣速を上回る斬撃を繰り出し、徐々にヤツを下がらせる。

 神象の空間転移も、使う余裕を与えなければ問題にならない。


「ぐっ……!」


 俺の攻撃に防戦一方となるヴァルダマーナ。

 しかしあと一歩で決着がつく、というところで俺の斬撃を止めたのはパールヴァティの左手だった。

 いや、正確にいえば、左手の平から淡い燐光を放つ小さな結界だ。

 結界には罅が入ったが、俺の攻撃でもそれを壊す事が出来ないらしい。

 なるほど、この力がシャジャルの魔法を防ぎ、アエリノールの攻撃を耐え、俺の攻撃を阻むのか。


「下を見よ、ヴァルダマーナ、退くぞ。既にここで戦う意味はないじゃろう。飛竜隊ティンニン・フェルカも退いておるし、わらわも今日は少し疲れた」


 煤で汚れた頬に微笑を浮かべたパールヴァティが、ヴァルダマーナに退却を促す。


「パールヴァティ……大事無いか?」


「ある訳がなかろう……とは言えぬが、さしあたって死にはせぬ」


 俺を無視してパールヴァティに顔を向けるヴァルダマーナの視線は、どこまでも暖かい。

 正直、今攻撃すれば楽勝で勝てる気がするが、どうもそれは違う気がした俺。

 アエリノールも既に剣を鞘に収め、思案顔をしている。

 え、アエリノールが思案? 今晩のおかずでも気にしているのだろうか?


「……もしも二人が降るなら、厚く遇するが……」


 この時、思わず俺の口から出た言葉は、降伏勧告だった。

 瞬間、再び俺に視線を向けたヴァルダマーナの瞳は烈火の如く燃え上がる。


黒甲王カラ・スルタン、状況を見てモノを言え。貴様の軍は敗走しているだろうが! いかに貴様が剛勇を誇ろうとも、たった一人で戦局を覆せると思いあがるな! まして余とパールヴァティに降れ、だと?」


 そして曲刀を俺に向けたヴァルダマーナは、その後ろにパールヴァティを隠し、盾となる構えを見せる。


「やめよ、退くぞ、ヴァルダマーナ」


「ああ、先にいけ、パールヴァティ」


 二人のやり取りを見て、アエリノールが首をかしげている。

 空気を読まないアエリノールのこと。ここで彼等を塵に変えようとしているのかもしれない。


「シャムシール、今は二人とも逃がしてあげようよ。神族は希少種だし、眷属も珍しいから殺すのはもったいないよ。それに、神族は従えるのに苦労するけど、一度従えてしまえばとても従順だから便利なの。わたし、頑張って奴隷にするから、ね? 今は逃がそう?」


 ……まあ、俺も二人を逃がす事に関しては賛成だ。

 でもなんだ、その理由は? 珍しい犬を見つけたみたいになってるぞ。神をペットか家畜のように言うアエリノールは、一体全体何様のつもりだろうか。

 たしかにアエリノールは上位妖精ハイエルフさまだが、神と上位妖精ハイエルフではどっちが上位種なのだろう? 

 すくなくともこの世界の生態系ヒエラルキーなら、この中でもっとも下位なのは俺だろうな。

 ……なんだか悲しくなってきた。


 ともかく、ヴァルダマーナとパールヴァティの仲良しな様を見せ付けられてあっさりと殺してしまえる程、俺の心は荒んでいない。

 二人を殺す気がすっかり失せた俺は、アエリノールの提案に乗ったフリをする事にした。


「そうだな。貴様等を殺すなど容易いが――いずれ己が立場を弁えて、我が前に跪くこともあるだろう。なれば今は、立ち去るがよい!」

 

 魔剣を鞘に収め、左手を前方に翳した俺は、なるべく大きく見えるようにマントを”バサッ”っと広げる。

 俺はなるべく大仰に、かつ尊大に振舞った。

 こんな仕草がいたについてきたのも、すべてジャービルとカイユームのせいだ。

 これを王者の貫禄というのならいいが、何かが違っている気がする、何かが。


 ヴァルダマーナの瞳に憎憎しげに映る俺の姿は、黒衣黒甲黒冑ですごぶる禍々しい。その上、漆黒の竜に跨っているのだから、純白の象に乗り、白を基調とした衣装を纏うヴァルダマーナと対すると、まるで魔王と勇者のようじゃないか。


「シャムシール! 貴様こそが余の前に跪くのだ! 今、この場で余を殺さなかったことを、いずれ後悔させてやるぞ!」


 俺、助けても恨まれちゃうんだ、禍々しいからかなぁ――とか思って密かに凹んでいたら、”ギリリ”と歯軋りを残して、ヴァルダマーナは背を向けた。


「……ヴァルダマーナ、強がりはよい。命を取られぬ事に関して、礼を言わぬか。大体そなた、あのまま戦っていたら、本当に死ぬ所であったのじゃぞ」

 

 パールヴァティはそう言うと俺を見て僅かに微笑み、会釈した。

 ダメな夫に代わって頭を下げるなんて、よい奥さんだ。


「ところでアエリノール。わらわの奥義、いずれ受ける気はあるか?」


「……その前に、シャジャルと約束があるんでしょう?」


「ふむ……そうじゃな。シャジャル、シャジャルじゃな。実に成長が楽しみな娘じゃったな! ふっははは!」


 愉快そうな笑い声を残し、神象の空間転移によって離脱したパールヴァティ。ヴァルダマーナの方は、少しだけ項垂れながら離脱した。


 それにしても、アエリノールがシャジャルとパールヴァティの話を知っていた事には驚いたな。

 シャジャルはアエリノールとネフェルカーラを特に”姉さま”と言って慕っているから、昨日の夜にでも話したのだろうが。

 

 俺は意外と面倒見が良いのかもしれない金髪の上位妖精ハイエルフを、ちらりと見た。

 すると白い顔が蒼白になりつつあるアエリノールがそこには居たので、俺は慌てて声を掛ける。


「どうした、アエリノール」


「あいつ、ずっとわたしの魔力を吸ってたのよ! 信じられる!?」


 あいつって、パールヴァティの事だろうか?

 ていうか、ずっと吸われ続けるなよ……と俺は思ったが、ちょっと今それを言える雰囲気ではない。アエリノールは本当にぐったりとしていた。


「それは大変だったな。でも、とにかく俺達の仕事はここまでだ、一旦セムナーンに戻ろう」


「了解。でも、雰囲気だけ見ると完全にわたし達、負けてるよね! 大丈夫かな?」


 そうなのだ。

 ドゥバーンの作戦通りに事が運んでいるのはよいのだが、敵が完全に北の城壁に辿り着きつつある様は、あまり見ていて気持ちのよいものではない。

 まあ、敵の正面が東から北に変わっただけといえばそうだが、ドゥバーンの率いていた部隊は既にその姿を消している。

 敵から見れば、壊滅したように見えたのだろう。

 そして今、敵とセムナーンの城壁の間を阻む者はいない。

 もちろん城壁の上にはオットー率いる奴隷騎士マルムークが一万とオマケのカイユームがいるのだが、どうにも不安になる布陣なのだった。


 ◆◆


 三日前にシャムシール軍の左翼を撃破して以降、碌な戦果を上げない軍に苛立ちを募らせるボアデブルは、今夜も天幕に篭り、一人酒を煽っていた。

 彼の苛立ちは、戦果を上げない自軍に対してだけ向けられているのではない。

 シャムシールと一騎討ちをして以降、戦場に顔を出さないヴァルダマーナに対しても苛立ちが募る。

 そのお陰で戦妃と呼ばれるパールヴァティもこの三日間、姿を現さないのだ。

 だから部隊をセムナーンの東に展開させ続けるアーラヴィー軍は、一向に戦果を上げる事がない。

 そもそもアーラヴィー軍は、前進する気配すら見せないのだ。となれば当然小競り合いさえ起きないのだから、戦果が上がるはずもない。

 もちろん彼等に巨大な戦果を上げられても、それはそれで困る事になるのだが、あまりにも戦意の低い同盟軍では、此方の士気にも関わろうというものだった。


「これでは何のための援軍か、分からぬでは無いか!」


 天幕の中、揺らめく篝火がボアデブルの頬を照らす。

 円座に座り酒杯を空にし続けるボアデブルに恐縮して頭を垂れる三人の千人長達は、いつ彼の怒りが自らの頭上に降り注ぐかと、気が気ではなかった。

 

 ”ザアザア”と天幕の屋根に打ち付ける雨は、今日も変わらず激しい。

 この三日というもの朝から晩まで降り続く長雨は、如何なる巡り合わせであろうか。

 ボアデブル軍の将兵は皆、火矢も使えず、城壁を囲む土木工事も出来ず、攻城塔の組み立てさえ捗らないのだから、折角城壁に隣接した意味も見出せないのであった。


「やはり手間でも、セムナーンを囲むべきでは?」


 千人長の一人が恐る恐る口を開く。

 シャムシール軍の現状を鑑みれば、セムナーン全市を防御するには兵が足りない。

 ならば、囲んで総攻撃をかけたほうが、突破口を開き易いのではないだろうか?

 そう考えた千人長だった。


「ちっ……!」


 ボアデブルの酔眼が、無用の発言をした千人長を睨んだ。

 ボアデブルとて、そんなことは理解している。

 むしろ、幾度もセムナーンを攻囲する為に兵を動かそうと試みたのだ。

 しかしその都度、赤いマントを翻した騎馬隊に撃退されるのだから、諦めざるをえなかった。

 もちろん本気で両翼を伸ばせば包囲する事も出来るだろうが、その為にはこの長雨が邪魔だし、何よりアーラヴィー軍の協力が不可欠なのである。


「わかっておる。雨が止み次第、全軍を展開させるわっ!」


 不快気な声が響き、千人長達は萎縮する。

 何も言わなければ言わないで無能と呼ばれ、言えば言ったで逆鱗に触れる。

 ボアデブルの歯車が狂ったのは、いつからであろう。

 かつては勇将の誉れ高く、無用に部下を怒鳴りつける男ではなかったのだ。だからこそ、十万もの大軍が、家族を捨ててもボアデブルに従ったというのに……。

 千人長達は互いに目配せをし合い、天幕から退出する時を見計らっていた。


 ◆◆◆


 外套を頭からすっぽりと被り、ぬかるんだ山地に馬を進めるダスターンは、隣で馬を進めるオッドアイの軍師を横目に見た。

 ドゥバーンは部隊が壊滅したと見せるため、兵達を四散させてある場所で再び合流するよう、指示を出していたのだ。その場所とは、ダスターンが一路、セムナーンへ向け軍を返す為に通る山間の隘路だった。


「ドゥバーン将軍、本当にこの雨、明日には止むのか……?」


「第三夫人と呼ぶでござる。ダスターン卿」


「ぐっ……第三夫人どの……もう一度お尋ねいたす。この長雨は、本当に明日の朝に止むのか?」


「止む。そして朝靄は深い霧となり、我が軍を隠すのでござる」


 闇夜の中、馬の蹄にも麻布を巻いて、徹底的に音を消したままセムナーンの北へと軍を返すダスターンの心中は、空と同じく暗く曇っている。

 ドゥバーンが断言する理由がわからない。

 これ程大規模に天候を操れる魔術師などいないし、そもそもドゥバーンは魔術師でさえない。

 予測? 予測だとして、その根拠が何であるのか、それがわからないのだ。


「この地方は、エスファンド月(二月)の一日から三日にかけて、必ず雨が降るのでござる。その雨量は南方からくる風によって決まり、そして雨上がりには必ず霧が出る……なれば、我等は敵に気付かれる事無く背後に出られるのでござるよ。

 ……拙者、シバール全土の地理や風土をこの頭に叩き込んでござれば――」


 雨の中、ドゥバーンはボソリと呟いた。

 別に誇るでもなく、ただ、ダスターンの不安を見透かしたかのように、そっと。

 その時、ドゥバーンの蒼い左目が冷たく輝いたような気がして、ダスターンは僅かに頬を引き攣らせた。

 

「戦う前から結果が見えているようだな、第三夫人どのは」


「結果の見えぬ戦ならば、拙者、夫を止めるでござる。そもそも戦をするのは下策。故に拙者はまだまだ未熟にござる」


 夫を強調するドゥバーンに苦笑したダスターンだが、しかしドゥバーンの言葉を少し意外に思う。

 

(もっと戦好きなのだと思っていたが)


「戦が嫌いなような、そんな口ぶりだな?」


「……嫌いでござる。誰が好き好んで人の血など見たいものか……それとダスターン卿。拙者、陛下の妻でござれば、あまり顔を覗き込まないで欲しいでござる。気持ちが悪いでござる!」


 ドゥバーンはそういうと、馬腹を蹴って部隊の先頭へ向かう。

 ダスターンは雨の中、天を仰いだ。

 かつてヘラートにおいて貴婦人たちの羨望を一身に集めたダスターン将軍は今、気持ち悪いと言われ、蔑まれてしまった。

 戦嫌いのドゥバーンは、言葉の刃でダスターンを切り裂いた。

 勝利の前に、心をズタボロにされたダスターンは、数時間後、放心状態でこう叫ぶ事になる。


全軍突撃フジューム!」


 こうして霧の中から突如としてボアデブル軍に襲いかかったシャムシールの別働隊。いや、別働隊というのもおこがましい、十万という大軍だ。その数は、ボアデブル軍本隊をすら上回る。

 これを見事に隠し、ここまで接近して敵の背後を襲うのだから、この段階で勝利は確定したようなものだろう。

 しかし、いつもより精彩を欠くダスターンの姿に首を傾げるマフディだった。


(これ程の大任を与えられておきながら、目が死んだ魚の様になっている。まったく、ダスターンさまは……)


 その理由が、まさかドゥバーンに心を引き裂かれた為だとは思わないマフディ。だから彼は気を取り直して、敵軍を蹂躙してゆく。


「ま、そのうち元気になるだろう」


 曲刀を高く掲げ、敵軍の蹂躙を始めたドゥバーンとシュラに、マフディが後れを取るわけにはいかないのだ。それこそ、ダスターン隊の沽券に関わる。


 一方、目に涙を溜めたまま長槍を振るうダスターンは、メンタルが豆腐の如く柔らかいとしても、その武勇は本物だ。何しろ雑草でも刈り取るかのように敵兵の首を刎ね続けるのだから、もはや人間芝刈り機ダスターンと呼んでも過言ではないだろう。


 だが全自動で首を狩り続けるダスターンを止める者が、ついに現われた。

 

守護騎士ムカーティラダスターン将軍とお見受けいたす! いざ、勝負!」


 背後から奇襲を受けたにも関わらず、すでに武装を整えていた飛竜ティンニンを駆る一人の男が、ダスターンの前に躍り出た。

 多くの兵がまどろみから覚めやらぬ目を擦りながら応戦しているのに対し、眼前の男はこの事あるを予測していたのかもしれない。

 ならばとダスターンは眼前を見据え、相手を勇敵とみなし気を引き締めた。


 上空から迫る飛竜ティンニンに馬首を向けると、一気に駆けるダスターン。彼は幾度も敵から放たれる”光弓ヌール・サハム”を意にも介さず、ただ猛然と馬を駆けさせた。

 槍を脇に挟み、狙いを一点に定めてすれ違うのだ。

 ただ、それだけでダスターンの勝利は確定した。

 ダスターンは飛竜ティンニン竜戦士ティンニン・フェダイーンを、同時に貫いたのである。


「ぐっ……!」


 ダスターンが大きく腕を振るうと、力を失った竜戦士ティンニン・フェダイーンは飛竜と共に地上に叩き付けられる。


「流石はダスターン将軍……」


 名を聞いておけばよかったか。

 そう思ったがダスターンだが、今は「俺、気持ち悪いのだろうか?」という自問自答に忙しい。だが、こんな事ではいけない。

 ダスターンは一つ頭を振り、気持ちを切り替えることにした。とりあえず任務が優先なのだ。


「……我が友にして、敬愛する主君シャムシール王よ、この勝利を御照覧たまえかし……!」


 不意に頬を伝う涙を見せると、天を仰ぎ見るダスターン。

 誰よりも忠義の士であるダスターンは、如何なる時でもシャムシールの為に戦うのだ。だから切ない悩みを打ち消す為に、絶対君主たるシャムシールに祈りを捧げた。

 しかし、その様を見た敵兵は瀕死の重傷を負いながら、ダスターンを清廉潔白の士と断じ、後事を託す事にしたのである。


「我が死を悼んでくれるの……か。ならば……頼みがある……ダスターン将軍……俺はボアデブル軍の千人長にして……飛竜隊ティンニン・フェルカの長……ルト。筋違いは……承知している……が……セムナーンにいる妻と娘を……た……の……む……娘の名は……アリージュ……妻は……」


 ダスターンの冑に面頬は無い。

 故に、自らが死の淵に送り込んだ男に涙を見られたダスターン。

 その涙が自らを悼んでのモノだと勘違いをしたまま死んだルトこそ悲惨だが、ダスターンの人の良さは、ある意味とても残念だった。


「え……? い、いや……その……この涙は……」


 戦場で言い訳をしてみるも、既に敵は事切れている。

 とんでもない事を頼まれてしまったと、またしても途方に暮れるダスターンは、とりあえず敵軍を切り裂く事に専念した。

 もう、現実逃避しかダスターンには思いつかない。

 もっとも、逃避すべき現実は本来戦場だと思うのだが、割と脳が筋肉質なダスターンは、戦っていれば嫌なことも不安なことも忘れる事が出来るのだ。


「ふっ、流石はダスターン将軍。戦の中でこそ、輝いておられる」


 マフディが横目に捉えたダスターンは、まさに剛勇無双といった体である。


 この早朝、ただ一度の突撃でダスターン率いる十万のシャムシール軍は、なんとボアデブル軍の兵を一万人も討ち取った。

 その中には、昨夜、目を見交わしてボアデブルの天幕から退出した三人の千人長もいたのだった。


「頃合にござる!」


「……よし、退くぞっ!」


 しかし突撃は短く、すぐに後退するようダスターンに伝えたドゥバーン。若干暴れ足りなかったダスターンは少しだけ考えたが、我が侭は言わなかった。これもかねてよりの作戦なのだから、仕方のないことである。


 霧が徐々に晴れようとしていた。

 雨と霧によって近づき、霧が晴れれば次の段階に作戦は移るのだ。

 戦場の全てが掌の中にあるドゥバーンにとって、唯一の予想外はシュラだった。

 今、兵達と共に突撃を敢行したドゥバーンだったが、シュラのお陰で、自らが敵と刃を交える事が一切なかったのである。

 戦場においてこれ程安全だったことの無い彼女は、全身を返り血で真っ赤に染めたシュラを見て、”ぶるり”と一つ、身震いをした。


 ◆◆◆◆


 エファンド月(二月)四日の早朝。

 紅宮殿アフマル・カスルの望楼に登り、周囲を見渡したシャジャルは自らの頬を思い切り両手で叩いた。

 気合を入れようと思ったのだが少し強く叩きすぎた為、ちょっとだけ涙目になる。

 総司令官にしてスルタンである兄シャムシールが帰還しても、シャジャルの指揮権はそのままであったため、彼女は毎朝このように望楼に登っていたのだ。

 

「うん、この霧ならもうすぐ!」


 僅か先も見えない霧を前に、ドゥバーンとの打ち合わせを思い出すシャジャル。

 すでにダスターンが率いる部隊は、城壁の北、ボアデブル軍の先に展開しているだろう。

 この作戦は、ドゥバーンとシャジャルで考えた作戦だった。

 いや、正確にはドゥバーンが考えたものに、シャジャルが上乗せをした、といったところだろう。

 

 発生した霧を一定時間この場に留めて、頃合を見て払う。

 そうする事で、戦果をより一層高いものにする事が出来るのだ。


 今は夜の闇が晴れる僅かばかり前。

 深い霧の中、ボアデブル軍は未だ夢の中にあるだろう。


「「おおおぁぁぁ!」」


 その時シャジャルの耳に、鬨の声が聞こえた。

 泥濘の中を進む馬蹄の轟きは、それほどでもない。


「カイユームっ!」


「はい、王妹殿下、敵も然るもの」


 望楼も霧で満たされていたため、数歩先にいるカイユームの姿さえ朧気だ。しかし、声はシャジャルの下方から聞こえるのだから、跪いているのだろう。


「うん、敵の霧散ディスペラスを防いで!」


「すでに、防いでおりますよ」


「さすがね、カイユーム! でも、王妹って呼ぶのはやめて」


「なぜ、です。ふ、ふふ……」


「カイユームっ! 知ってるクセにっ!」


「ならば、陛下に早く言えばよいではないですか。自分も妻になりたいのだ、と」


「……あたしには、まだ力が足りないから!」


 はて? と首をかしげたカイユーム。

 妃になるには一体何の力が必要なのであろうか?

 確かにネフェルカーラもアエリノールもやたらと強い。ドゥバーンの鬼謀にはまったく舌を巻く。ジャムカの操竜術は神業と言ってよいし、シェヘラザードは世界に冠たる美女である。

 でも、それが一体何だというのであろうか。

 カイユームは朧気に見えるシャジャルの青い髪を、微笑ましく見つめる。


「では、力をお付けなさいませ。でも私、シャジャルさまには負けませんけどねっ!」


「む。確かにカイユームの魔法も凄いけど……」


 少なくともカイユームにとってシャジャルは、ネフェルカーラやアエリノールよりも遥かに話しやすい。それに魔術師として何処まで伸びるか、楽しみな逸材でもあるのだ。だから、力が欲しいと望む彼女を止める必要など感じなかった。

 しかしカイユームの負けない宣言は、決してシャジャルが受け取った通りの意味ではないだろう。もちろん、それが何であるかはわからない。

 ただ、この時口元に湛えたカイユームの笑みは男でありながら何故か妖艶であり、寝室で寝息を立てる黒甲王カラ・スルタンの背筋に怖気が走ったという厳然たる事実があった。


「そろそろ、かな?」


「ええ、頃合でしょう」


 シャジャルとカイユームは、霧が晴れると惨状を見た。

 散々なまでに蹂躙されたボアデブル軍は、既に瀕死と言える状況だろう。

 もはや陣形を作ることもままならず、燃え盛る天幕からは上がる煙は、まるで天に向け、助けを求める狼煙のようだ。


「「隕石召喚ハグル・ナイザキ」」


 しかし哀れなボアデブル軍に注がれるのは救いの手ではない。

 シャジャルとカイユームから放たれる、巨大で無慈悲な星屑だった。

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