夜の帳が下りる頃に
◆
紅玉葱城に無事戻った俺は、まず、上空でアエリノールに迎えられた。
ガイヤールからアーノルドへ、見事なジャンプを決めそうなアエリノールを華麗に避けると、俺はアーノルドを城の中庭へ着陸させた。
「なんで避けるのよ! もう! ちゃんと抱きとめてよ!」
中庭では、どうやらそのまま地上に下りたアエリノールが頬を膨らませている。
いや、だってさ、避けるに決まってるよ。
五十メートル以上高い場所から降ってくる人間を受け止めるなんて、俺にはそんな勇気などない。
そんなもの、殺人ボディプレスと何が違うというのだろう。俺は避けられる技をあえて受けてから反撃をする、プロレスラーではないのだ。
「いや、はは……アエリノールが眩しすぎて……」
ともかく適当な事を言って誤魔化せば、アエリノールの場合は問題ない。
第一、眩しいくらいアエリノールが綺麗で可愛いのは事実だ。
やはり、思っている事は言うべきだろう。そうじゃないと、妙な誤解を招く事もある。
「眩しいって? わたし、ハゲてないよ?」
どうやら早速、妙な誤解を招いたようだ。
俺は、一体何をしているのだろうか?
アエリノールにとって眩しいのはハゲ頭だったようで、腕組みをしつつむくれている。
「そうじゃなくって、綺麗で可愛いから眩しいって意味だよ!」
流石に、全部を言葉にすると照れてしまう。
冑を脱ぎつつアエリノールから目を逸らすと、俺は少し俯いてしまった。
「え? そう? そういうことか! でも、いいんだよ、わたしシャムシールのお嫁さんだから! これからはちゃんと抱きとめてね!」
うむ、結果オーライとはこの事、どうやら今回は許してくれるようだ。
とはいえ次に同じ状況となった場合、俺はどのように対処すれば良いのだろう。
俺が思いついた事と言えば、落下するアエリノールを抱え、そのまま身体を捻って力をいなし、地上に叩き落とすことだった。
って……これではパワースラムだ。抱きとめる事にはまるでならない。どうしよう。
どうもシュラの徒手格闘を見たせいで、俺は無意識に武器無しで戦う方法を模索しているようだ。
それにしたって……ちょっとプロレスから離れなければ。
ガイヤールが中庭に下りてきた。
二度、三度と皮膜の翼を羽ばたかせると、俺とアエリノールの頬を横殴りの風が襲う。
その時、靡く金髪を右手で押さえながら、アエリノールは大きな青い瞳を真っ直ぐ俺に向けていた。
機嫌を直したらしいアエリノールは、ニコニコとしながら俺に頭を差し出してくる。
もう、割れた頭は平気なのだろうか?
とにかく、なるべく優しくアエリノールの金髪を撫でてあげる事にした。
多分ここで撫でないと、本当に怒り出すだろう。
一頻り頭を撫でられると、満足したのだろうアエリノールの耳は大分下がっている。
その頃合を見計らいアエリノールの頭を”ぽん”と叩くと、俺は右手を上げて別れを告げた。
「じゃあ、俺はドゥバーンと相談があるから――」
「うん! じゃあ、わたしはガイヤールとアーノルドを竜舎に連れて行くね!」
明るい返事を残して踵を返したアエリノールは、見ているだけなら律動的で、本当に美しい上位妖精だ。
そういえばアエリノールは、「わたしはお嫁さんだよ!」と言うわりに、頭を撫でられたいだけの様にも見える。
……俺は今日、散々童貞だと言われ、悲しい思いをした。
童貞を卒業する為には誰かとアレをしなければならないが、正直、誰が相手でもよいという事は無い。
そこでふと思ったのだ。
アエリノールは「俺のお嫁さん」だと自他共に認めているが、本当に俺が相手でもよいのだろうか?
「アエリノール!」
俺は、ゴクリと唾を飲み込むと、アエリノールを呼び止めた。
ドキドキするが、聞いてみたい。
お嫁さんなんだから、いいよね?
いいよねって、俺は誰に聞いているんだ。
「何? シャムシール」
振り返った拍子に揺れたアエリノールの髪は、まるで金糸を束ねたかのよう。西に沈みかけた太陽を反射して、キラキラと輝いていた。
「アエリノールは俺の第二夫人になるっていうけど、夫人が夫の為に何をするか、分かっているの? 頭を撫でてもらうだけじゃないんだよ?」
「……あはは! もう! そんなの、分かってるに決まってるじゃない! わたし、これでも千年以上生きてるんだからね!」
「そ、そう」
そうだよな。
アエリノールは千年以上生きているんだから今までにも付き合った男くらい、いるだろう。結婚した事があったとしても、さして不思議は無い。
そもそも美しさだけなら、アエリノールは世界でも屈指だ。需用なら幾らでもあると思うし、あったと思う。
少しはにかんだ様な笑顔を見せるアエリノールは、ちょっとだけいじらしい。
女性の過去を気にするのは男として無粋だと思うけど、昔のアエリノールが気にならないと言えば嘘になる。
「わたし、ちゃんと産むから、ね?」
「ああ、え? あ、こ、ここ……ども?」
俺は、アエリノールの発言にドギマギしてしまった。お陰で噛んでしまって言葉がちゃんと言えない。
でも、なるほど。アエリノールは千年以上生きているだけあって、王の妻がすべき事を分かっているようだ。
そうだよな、王たるもの、子供を多く作らなければならないんだよな。だからこその後宮だもの。
考えてみればアエリノールは年齢からいっても、子供がいたって不思議はない。
……俺、継父とかになったりするのかな?
別に残念という訳でもないけれど、アエリノールが生きた年月に思いを馳せれば、俺の悩みなんて浅はかなものだった。
子供がどうとか、深く考えた事もなかったしな。
でも、子供を産む決意をしてくれているのなら、俺とそういう関係になっても構わない、そう彼女は思ってくれているのだろう。それで十分嬉しいから、いいや。
他にも色々と聞きたい事はあるけれど、女性から色々と聞き出すのも、どうもかっこ悪い。
「ありがとう、アエリ――?」
俺は頷いて、この場を立ち去ろうとした。
その時――。
「うん、子供、ね。わたし、ちゃんとシャムシールのたまご、産むから! 今、頑張るから! 見てて!」
へ? たまご?
俺は、小脇に抱えた禍々しい冑をうっかり落としてしまった。
俺、たまごから生まれたっけ?
むしろアエリノール、たまご産めるの?
右手で握りこぶしを作り、大きく頷くアエリノールはやる気マンマンだ。
しかし、一体何をやる気なのか、さっぱり想像もつかない。
それに、どうも様子がおかしい。
けれど、だんだんと顔が紅潮してゆき、体が小刻みに震えるアエリノールは、なんだか辛そうだ。
「何してるの? アエリノール?」
「わ、わたし、シャムシールのことが大好きだから、たまごを産もうと思って……!」
「え? 俺のたまご? なにそれ?」
「わたしと、シャムシールのたまご!」
「わたしの手を握って!」
「え、こう?」
とりあえず、俺はアエリノールが言うままに、彼女の両手を握る。
なにせアエリノールは上位妖精だ。
こうして俺とアエリノールの何かが混ぜ合わさると、たまごを産めるのかもしれない。
でも、俺の子供がたまごから生まれるのかと思うと複雑だ。
暫くそのまま顔を紅潮させたアエリノールの両手を握り締めていると、一瞬、ちらりと俺の視界に入った赤毛の女が、額に手を当てて天を仰ぐ。
彼女は俺と目が合うと、一目散に建物の中へ入ってゆく。
あれ? セシリア?
彼女の肩が、僅かに揺れていたように見えたが、気のせいだろうか。
「おかしいなぁ……人は恋をするとたまごが産めるようになるって言ってたのに。やり方も間違っていないはずなんだけどなぁ? ねえ、シャムシール、本当にわたしのこと、好き? ……セシリアだって、もうオットーのたまごを産んだって言ってたのに……まだ、雛にはなっていないらしいけれど……今、部屋で一生懸命温めているって……」
俺はとりあえずアエリノールの両手を放し、代わりに両肩に手を乗せて、なるべく優しく言った。 「本当にわたしのこと、好き?」なんて言われて目が泳いだが、今回の問題点はそこではない。
「アエリノール。人は、たまごから産まれないよ。だから温める必要もないし、成長過程で”雛”にもならない……」
「え? う、そ?」
セシリアめ、あいつが犯人だったのか……! だから影から見ていて笑っていたんだな!
アエリノールになんて事を教えたんだ!
「じゃ、じゃあアエリノール。そういう訳だから! たまごとか、頑張らなくていいからね!」
そして俺は踵を返すと、冑を拾ってドゥバーンの下へと向かう。
きっと、俺の執務室にいるだろう。
さあ、明日はボアデブルと決戦だ! 頑張るぞ!
俺の後ろでは、生まれ出より千と数百年の上位妖精が、両膝を折って地面に突っ伏していた。
「ねえ……ねえ、誰か教えてよ! 人の子供って、人の子供ってどうやって生まれるのぉ!? わたし、わたし、お嫁さんとしてシャムシールの役に立ちたいのにぃぃ!」
あの人は生まれてから今まで、一体何をして生きてきたのだろうか。
俺は中庭の芝生をむしり続ける上位妖精を眺めて、少しだけ同情した。
◆◆
俺が執務室に戻ると、出迎えてくれたのはドゥバーンとモフセンだった。
既に西日の差す室内には、未だ中庭からアエリノールの慟哭が響いている。
「セシリアの嘘つきぃぃ――!」
暫くすると、戛然とした剣撃の音が響き始めたから、恐らくアエリノールがセシリアを見つけたのだろう。
俺は執務室の入り口に立ち、その様子に耳をそばだてる。
この部屋の窓から顔を覗かせれば中庭も見えるが、今、顔を出せばなんだか厄介な事になりそうだ。
といって、頭に血が上った状態のアエリノールでは、セシリアを破壊しかねない。
万が一のときは、止めなければならないだろう。
ガキイィィン! ギィィン!
ふむ。二合、三合……五合か。
セシリアも腕を上げたな。アエリノールを相手に五合もつなんて。
「ごめんなさい! ホ、ホントの事を言いますから! アエリノールさま、落ち着いて!」
「うん、わかった!」
流石はセシリアだ。
アエリノールの操縦法を心得ているらしい。
あっさりとセシリアを許したアエリノールは、剣を収めたようだ。
「い、一体何事でしょう? アエリノール閣下とセシリア将軍がただならぬご様子でしたが」
慌てて窓から身を乗り出し、中庭の様子を見ていたのは、最近、ドゥバーンの推挙があってセムナーンの行政官に任命したモフセンだ。
モフセンは、白いターバンを巻いた褐色の肌を持つ紳士で、整った口髭がチャームポイントだ。
年齢は聞いていないが、恐らく三十歳前後だろう。身長は俺より少し低いけれど、体重は五割り増しだ。
彼はボアデブルの下で、とある罪を着せられ牢獄に繋がれていたという。
曰く、「公金横領」だったそうだ。
しかし、彼の役職は当時、行政官の補佐官の補佐に過ぎなかった。
その程度の役職で、国庫の金銭や宝物をどうこう出来るはずがないのだ。
それにも関わらず投獄された理由は、民に還元されるべき国庫の金銭が、理由もなく消えていた事に気がつき、主君であるボアデブルを糾弾した為だという。
つまり清廉潔白だったが故にモフセンはボアデブルの計画に参加出来なかった、ということだ。
もっとも、モフセンが俺の前でその清廉潔白ぶりを見せたことは、まだ無い。
なので今のところ俺にとってモフセンのイメージは、単なる気のいいオッチャンだった。
「大事には至らなかっただろう?」
俺の返事に、ふくよかなお腹を窓辺に乗せていたモフセンが振り返る。
「は、はあ。今は仲良く歩いて城内へ入られましたが……」
彼は、夢がいっぱい詰まっているだろうお腹を窓辺から放すと、俺が入り口付近で未だ佇立している事に気付き、慌てて平伏する。
窓は、入り口から見て左手にあった。
「あ、いや、陛下。まだ扉の前においででしたか」
「別に畏まらなくていい、立ってくれ」
俺は平伏するモフセンに立ち上がるよう言うと、入り口の正面にある執務机に向かった。
俺は執務机に備え付けられた椅子に座ると、冑を俺付きの奴隷騎士に預ける。
この部屋は三部屋続きなのだ。執務机の後ろは俺の居間兼寝室へと続いているし、窓の向かいには従僕とも呼べる奴隷騎士が、常時三人ずつ控える部屋がある。
俺はまあ、「王様なんだから、身の回りの世話をしてくれる人がついたんだなぁ」という程度に思っていたのだが、ジャービル曰く、全員、カイユームに厳選させた闇隊との事だった。
「もちろん、夜の相手もそれなりにこなせる者を選びました、ご安心を!」
カイユームの方はこんな事を言っていたが、蓋を開けてみれば全員が男。
カイユームはやっぱり俺に恨みでもあるのだろうか? ていうか、アイツは一体何を厳選したのだろうか?
俺、いたってノーマルなんですが。
挙句の果てに、彼等は俺の妃達を素通りさせる。
「もしも誰かが妃に化けて俺に近づいたらどうするんだ! 警備をもっと厳重に! 妃といえども通すな!」
と、俺が命じたら、
「陛下のお妃さま方に化けられる者など、この世の何処におりましょう。皆、絶世の美女ばかりでござりますれば、何人も成り済ますこと能わず。ご安心なされませ、陛下」
などといわれ、見事に説得された俺だった。しょんぼり。
「……それに日々、深夜、執務室に至る扉の前ではオットー将軍が剣を携え、お休みをとられております。ですから万が一にも、賊の侵入などありえないでしょう」
しかもなんと俺が眠った後、オットーは俺の部屋へ至る扉の前でしっかりと警護をしてくれているという。
俺の前ではそんな事をしているなんて、おくびにも出さないオットー。将軍になってから、すっかり俺の側を離れて仕事に励み、セシリアとイチャコラしてると思ったら、実際は違ったようだ。
まったく勝手な事をして……嬉しいじゃないか。
それはともかく、俺がこの執務室で気に入っている点は、椅子と机があったことだ。
室内の床に敷き詰められた踝まで埋まるふかふかの絨毯は、そのまま寝転がりたくなる欲望を刺激する。しかしそこに”デン”と置かれた象嵌細工も美しい机が、俺の仕事に対する意欲を駆り立てるのだ。
広さは中規模のコンビニ程度だろう。王様の執務室としてそれが広いのか狭いのかはわからないが、謁見の間を使わない場合、この場に十人規模の陳情団が来る場合もあるので、俺は重宝している。
それから応接用の家具は、恐らく西方から取り寄せたのであろう長椅子がニ脚。緑の座面も鮮やかに、その縁取りを黄金で彩っている素敵な一品があった。
俺は、机越しで左右にならぶドゥバーンとモフセンを改めて見る。
「シャジャルより、報告を聞きました。いつもながら陛下のお働き、お見事でござる。流石の拙者も、ここまでは考えが及ばず……少しばかり悔しい程にござる。
それと、ボアデブル軍を撃滅する準備の方は既に整っておりますゆえ、明朝にも出陣の御命令を」
「ん? 今日中じゃなく、明日でいいのか?」
「はっ。問題ござりませぬ」
ドゥバーンがそういうなら、そうなのだろう。
きっと計算しつくした結果、兵を動かすのは明日で十分だということ。
西日に照らされたドゥバーンのポニーテールは、今、燃えるような朱色に見える。
明日の戦を控えて、流石のドゥバーンも少し高揚しているのだろうか? 情熱的に見える髪に呼応して、頬もほんのりと赤い。
いや、違うな。ドゥバーンの俺を見る目が、いつもと違う敬意に満ちている。
単なるハートマークではないぞ?
俺、何かしたか?
「楽しみにしていたのだが、戴冠式は延期せざるをえないな? せっかく俺の膨大な軍資金を民にばら撒こうと思っていたのに」
俺は苦笑を浮かべながら、言った。
よく分からないまま、ドゥバーンの敬意を受け続けるのも気が引ける。
ここは一つ、ボケておこう。
「陛下は戴冠式など、楽しみにしていなかったでござる! それに、陛下は貧乏にござる!」
とでも言われれば、俺の勝ちだ。
「大丈夫です! 戴冠式には陛下が御自ら勝利を添えられるのですから、より盛大に祝わせて頂きます!」
しかし俺の渾身のボケに対して、ドゥバーンは微笑しただけだった。
なんだろう、潤んだ瞳がやけにヤバイ。
代わりにモフセンが盛大に言い放つ。
いや、冗談なんだけど……なんなら、戴冠式なんてやらなくてもいいんだけど……。
さらにセムナーンの行政官は、丸太のような腹を”ぽん”と叩いて俺に言った。
「それにしても、流石は陛下! 大商人共の動きを見越してボアデブルに挑まれたのですから、その智謀、恐れ入りました。まさに陛下の仰るとおり我が国庫は、セムナーンの全市民に金一封を贈れる程に潤いますぞ!」
え? 嘘でしょ?
俺、今の今までセムナーンの国庫はカラッポ。王国は火の車って認識だったのだけれど?
今言ったのは、冗談なんだけど。
「本当に流石でござる、陛下。まさか、このようになる事まで見越しておられたとは……拙者如き未熟者では、陛下の深謀遠慮には到底およびませぬ……はぁ」
ドゥバーンが両手を胸元で組み、溜息を吐いている。
もう、俺を見る目がトロトロだ。
いつもだが、いつも以上に異常だ。どうしたドゥバーン。
ていうか、財源、どうした?
俺の秘密貯金なら、もう銅貨一枚残って無いぞ?
なんと今の俺は、ネフェルカーラからお小遣いを貰う生活なのだ。
一日十ディナールなら使ってよいと、ネフェルカーラから許可を貰っている。
理由は、簡単だ。
黒甲将軍府の資金は既に尽き、サーベ、セムナーン共に国庫がカラッポ。となれば資金の全てはマディーナによって賄われる。
つまりマディーナが豊かであるという信用によって、我が国は借金を可能にしているのだ。
そして、そのマディーナを短期間で豊かに発展させたのは、誰あろう、ネフェルカーラその人。だから俺はネフェルカーラに事情を説明し、マディーナの富をサーベとセムナーンにも分けるよう命じた。
多分その時だろう……何故かそのどさくさに紛れて、俺はお小遣い制にされてしまったのである。
ちなみに十ディナールで何が出来るかというと、お忍びで街に出たとき、買い食いが可能。
山羊肉の串焼きなら三本買えて、銀貨一枚のお釣りがくる。その銀貨で柘榴ジュースを買って俺は満足するから、差し当たり何の問題もない。
そういえばお忍びで街に出るとき、大体ジャービルを伴うのだが、俺が王の威厳を示す為に串焼きをご馳走しようとすると、ジャービルは決まって首を横にふるのだ。
ジャービルは、串焼きが苦手なのだろうか?
そんな事を考えつつ途方に暮れていた俺に、なぜ国庫が潤うのか、ドゥバーンの話を聞いてようやく理解出来た。
「……やはりセムナーンに居ります大商人のほぼ全てが、ボアデブルに繋がってござった……しかし」
「はい。陛下の作戦通り、ジャービル将軍指揮の下、まず陛下とボアデブルの情報をセムナーン中に流しました。『シャムシール陛下がボアデブルを急襲。ボアデブル、敗色濃厚!』と。
するとセムナーンから逃げる為に、以前より目を付けておりました大商人共が動き出しましたので、これを一人残らず捕縛したのです。
いや、真に愉快痛快でございました。
これにより大商人達は反逆罪で、その財産を没収! ボアデブルが隠した国庫の金塊や財宝などの在り処も、奴らから聞き出せそうにございます!
それにしても投獄されていた私を登用して頂いただけでなく、汚名を晴らす機会まで与えて頂き、真にもって感謝の言葉も御座いませんっ!」
喜色を満面に浮かべたモフセンが、幾度も頭を上げたり下げたりしながら言う。
ドゥバーンは、ひたすら大きく頷いているだけだ。
「やっ、それはずっとモフセンが大商人達を追っていてくれたから今があるわけで……」
もう、俺、頭にきていたからボアデブルにケンカを売りに行っただけ、なんていえない。
あまつさえ、途中で「やっぱり交渉してボアデブルを配下にするのもアリかなー」と、優柔不断になったなんて、もっと言えない。
でも、なんでこうなったか、わかった気がする。
きっと、この裏で糸を引いていたのは、ジャービルとカイユームだろう。
金山がどうとか、カイユームは言っていたしな。
でも、全部俺のせいにするのは、やめて欲しい。
ジャービルの高笑いが聞こえる気がするよ。
ともかく、これで財政難もある程度解決するなら、結果オーライだろう。
でも、大商人達をそんなに根こそぎつぶして大丈夫なんだろうか?
大商人といえば、現代の日本で言えば、銀行に相当するのでは?
王手の銀行が全て破綻したら、経済活動はどうなる?
いや、考えてみればこの世界の流通経済は金貨が中心だ。ならば、紙幣による信用取引ではないのだから、国家が大商人に代わるだけで、何の問題もないだろう。どころか、これは既得権益を潰したということなのだから、国家を主軸に経済を立て直すチャンスではないのか?
ということは……?
「ありがたきお褒めの言葉! このモフセン、ますます陛下の御為に働いてご覧にいれまする!」
俺は平身低頭するモフセンに、一つの質問をした。
結局、一時的に国庫が潤っても、何もならない。恒久的に収入を得る必要があるのだ。
となれば気になる事がある。
「うむ、頼むぞ。モフセン。ところで、これでセムナーンにおける経済的な既得権益を持つ者は消えるな……。とすれば、次の秩序はどうするつもりか?」
「はっ。陛下のお許しが得られますれば、まず、中小の商人をセムナーンに呼び集めようかと存じます」
「そして、自由に商売をさせようと?」
「……! なんと! 流石は陛下! 武勇だけではなく、真にもって聡明であらせられる!」
手を”パン”と叩くモフセンは、驚いたように俺を見つめる。だが同時に、「我が意を得たり」とばかりに頷いていた。
「商人から税を取り、税を納めた商人には何らかの印を持たせるのだな?」
「然り、然りでございます!」
詳しいことはわからないけど、モフセンがやろうとしている事は多分、「自由交易」なのだろう。
今はまだ戦乱だけれど、それでも人は集まるはずだ。
そして平和な時代が訪れれば、瞬く間にセムナーンは巨大な経済圏を築き上げるだろう。
俺の言葉に、手を打って頷くモフセンは本当に嬉しそうに見える。
経済圏が築かれれば、その地域は加速度的に豊かになる。だったら、全ての奴隷を俺が本当に買い上げることも可能かもしれない。
でも、買ってどうする? 開放する? いや、ただ開放しても、無職のニートを量産するだけだ。どうしよう?
だが絶対に不可能に思えたアエリノールの示した道が、朧気ながら見えた気がする。
ともかく俺は、経済的な事をモフセンに任せる事にした。
どうせ俺のわかるのは、「何となく」程度のこと。だったら、専門家のモフセンに任せたほうがうまくいく。
「モフセン、お前が指揮を執り、セムナーンを自由交易都市と為せ」
「ははーっ!」
ついには平伏したモフセン。彼は涙を流していた。
あれ? 俺、そんなに嫌な命令をしたかな?
「私、今日ほど生まれて出でし事を喜びと感じたことはございません。我が身命に代えても、このセムナーンを大陸随一の交易都市といたしまする!」
額をふかふかの絨毯にこすりつけたモフセンは、一礼すると踵を返し、執務室を去った。
もう、早く仕事に取り掛かりたくて仕方が無い、といった雰囲気がとても頼もしい。
上手くいったら、俺はネフェルカーラにお小遣いを値上げしてもらえるだろうか?
一日二十ディナールになったら嬉しいな。
「ところで陛下。拙者、シャジャルの報告を余す所なく聞いたでござるよ」
「うん?」
「報告によれば、陛下は、なんと童貞であらせられると! 拙者、拙者、今宵こそ……! 今宵こそ決めるでござる!」
シャジャル、確かに全部をドゥバーンに報告してくれと言ったけど、これは言っちゃダメなやつだよ。
左右を見渡し、二人きりになった事を確認したドゥバーン。
どうやら真面目な事を言い続ける事が出来ない彼女は、青い瞳と黒い瞳を血走らせながら、結局平常運転に戻ってしまった。
当然、俺を護衛すべき闇隊は、ドゥバーンの行動を見て見ぬフリだ。
ひどい!
「陛下、拙者も初めてゆえ、何も恐がる事はござらん!」
俺の執務机に膝をかけて迫るドゥバーンは、涎を垂らさんばかりの勢いだ。
可愛らしいドゥバーンが男らしい事をいうと、いっそ凄惨に思える。俺は思わず自分の両肩を掴んで、震えてしまった。
ここは逃げなければ、俺の何かが失われるだろう! 大ピンチ!
「そうそう、ドゥバーン! 俺、ジャービルと約束があったんだ!」
「ま、まて陛下――いや、シャムシールさま! 拙者の夫になるのだから、いい加減、観念するでござる!」
俺は執務室から逃げ出すと、長い廊下を一気に駆ける。
別にドゥバーンが嫌いな訳ではない。
押されると逃げたくなるのは、きっと人の性なのだから仕方が無いと思う。




