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天空会見

 ◆


 俺はアーノルドを突進させた。

 神象は竜に比べれば、鈍重に見えたからだ。

 しかし、予想に反してあっさりと突進を回避されたアーノルドは、右に避けた純白の象を睨みつけていた。


「この家畜めが!」


「ふん、でかいだけの蜥蜴に言われたくないわ!」


 あー、そう。そうなんだな。

 竜も喋れば象も喋る訳か。そりゃ神象だわ。

 ついでに象を駆るヴァルダマーナも喋っていた。


「おい、童貞王。余は別に争うつもりはない。交渉に来たのだ」


 ふん。童貞呼ばわりする男と、俺は交渉したいと思わない。

 だいたい童貞と呼ばれる俺に必要なのは、性交渉だろう。それをお前なんかとしたら、変な世界へまっしぐらだ! このイケメン野郎! 

 そもそもリア充のクセに、俺と何を話そうっていうのだ。

 俺の右に避けた事を後悔させてやる。


雷撃ラアドゥン


 俺はアーノルドを旋回させつつ、ヴァルダマーナの頭上に雷を落とした。

 そして神象に近づき、魔剣を突き上げるようにしてヴァルダマーナの首元を狙う。


 ヴァルダマーナは、咄嗟に結界を張ったのだろう。

 自身と神象を覆う球状の薄い膜が出来上がり、雷がその表面をなぞってゆく。

 それでも俺の雷撃ラアドゥンは中々の高威力であり、無傷とはいえないヴァルダマーナ。

 突き出された俺の魔剣を抜き放った曲刀で払うと、鳶色の目を見開いていた。


「な、なんだ、この力!?」


 雷撃ラアドゥンに驚いたのか突きに驚いたのか、よく分からないがヴァルダマーナは曲刀を構えると、再び俺と距離をとる。


 ――パオーン


 そして神象は長い鼻を天高く掲げ、口を大きく開いて雄叫びを上げた。


「主よ、回避します!」


 ん?


 慌てたのは、アーノルドだった。

 よく分からない俺はアーノルドが為すままに、上昇つつ左旋回をしている。

 見れば、俺達が今までいた場所を、炎が舐めるように動いていた。

 

 なんと、どうやら象も炎を吐き出すらしい。


「アーノルド、重力操作でアイツを地上に落とせないのか?」


「やれぬ事はありませぬが、厄介な事に、白象は白竜と同等の能力を持っております」


 ――てことは、だ。


 白竜の能力とは即ち、空間操作。流石に長距離移動は出来ないというが、同一の戦場であれば、ありえない程厄介だ。

 何しろ、自分の好きな場所に現われる事が出来るのだから。


 その時、俺は後ろに気配を感じた。

 空間の揺らぎを伴う、気持ちの悪い感じだ。


 俺達の背後に回ると、再び炎を吐き出そうとする象に向けて、俺はアーノルドの頭を向けた。


「応戦しろ!」


 白象と黒竜は互いに口から炎を吐き出し、中空で爆発させた。

 轟々と燃え盛る火炎は、中間地点でもっとも巨大な塊を作る。どうやら力は互角のようだった。


 ――ズンッ。


「ぐっ……! なんだ? 体が重いっ……!」


 だがしかし、攻撃により特化しているのは、光の属性よりも闇なのだ。

 アーノルドは炎を吐きながら、俺に命令に従い重力を操る。

 ヴァルダマーナは苦痛の呻きを漏らし、神象はぐらりと揺れた。

 不意に高度を下げたヴァルダマーナの神象は、途端に炎を小さくしてしまった。


シダール!」


 ヴァルダマーナの声が響き、ぐらりと揺れる神象の前に、褐色の壁が生まれる。

 空にいきなり壁が出現したら、そりゃあ吃驚だ。

 しかし、俺も使える魔法の顕現なのだから、なるほどと納得せざるを得なかった。


 壁がアーノルドの炎を防ぎきると、再びヴァルダマーナの声が聞こえる。


「だから、話を聞かぬか! 黒甲王カラ・スルタン!」


 ――ギィィン、ギィィン!


 ヴァルダマーナが真剣な眼差しを、俺に向けてくる。その後方では、ジャムカとパールヴァティが槍を交わし、互いに一歩も引かない戦いを繰り広げていた。


 ――いや、時に魔法を織り交ぜるパールヴァティの方が優勢か。

 シャジャルが魔法で援護しようとするのを、目で制したジャムカの精神は高潔だが……。

 実はたまにカイユームが所々で光弾を打ち込み、ジャムカが致命傷を受けないよう、こっそりと援護していた。

 パールヴァティの方は微笑を浮かべて、それらの攻撃を凌いでいる。


 なるほど、この王妃は強い。ジャムカ、シャジャル、カイユームが束になっても勝てるかどうか。

 仮に三人でかかって勝てたとしても、誰かが死んでしまうかも知れない。

 死ぬとしたらカイユーム一択でお願いしたいが、ああも後方に下がっていては、奴が死ぬ事は考えられない。

 だとすれば、ジャムカが危ないだろう。

 やっぱり、頭が割れていてもアエリノールを連れてきた方が良かったかな? 

 ならば、このまま戦い続けるのは、あまり得策ではないか。

 ヴァルダマーナも、今度は流石に俺の事を「黒甲王カラ・スルタン」と呼びかけたし。童貞王から進化したし。話を聞く為に、武器を収めるのもいいだろう。

 ということで、今更ながら敵意が無い旨を示す事にしよう。

 魔剣を鞘に収めた俺は、ヴァルダマーナに問いかけた。


「なんだ、リア充王?」


「リア、なんだ?」


「なんでもない」


 不意に、リア王とリア充王ではまるで意味合いが変わるな、なんて思った俺。だがこれに関する同意は、きっとこの世界では得られないだろう。

 怪訝そうに眉根を寄せるヴァルダマーナ王は、それでも俺が好戦的ではなくなった事に、ほっとしたらしい。やんわりとした口調だ。


「話を聞く気になったのか?」


「ああ、聞こう……だがその前に、あの出鱈目な王妃を止めてくれ。どうやら俺の妃や妹では、お前の妃に敵わないようだ」


「ふふん、そうだろう。余の妃は絶世の美女にして世界最強――!」


「なのに、お前は浮気をするのか?」


「浮気は男の嗜みだろう?」


「じゃあ、パールヴァティにそう言ってみよう」


「や、まて、童貞王!」


「童貞?」


黒甲カラ……シャムシールどの、頼む」


 俺に懇願するアーラヴィーの王は、瞬時に涙目になる。

 何となくネフェルカーラに脅される自分と姿がダブるヴァルダマーナに、少しだけ同情する。浮気が男の嗜みとは思わないけど、現状五人も妃が居る俺は、ネフェルカーラ公認で浮気を許されているようなものだ。

 あれ? ていうか、なんで俺、ネフェルカーラに公認されないといけないの? おかしくない?


 ようやく童貞王から黒甲王カラ・スルタンを経て、ついに名前で呼ばれた俺は、大きく頷き、面頬を上げた。

 俺の顔をまじまじと見たヴァルダマーナは、褐色の肌に白い歯を輝かせて満面に笑みを浮かべた。


「なんだ、童貞というから不細工なのかと思えば……随分と整った顔立ちではないか」


 男に褒められても嬉しくないが、何となく口元がにやけてしまう俺。

 確かに、周りにいる男がみんなイケメンだったせいで(オットーを除く)、妙に自信を無くしていた俺だ。

 でも考えてみれば、多分俺は普通なのだ。

 日本人として少し濃いめの顔は、この世界では逆にさっぱり気味で、いっそ美しいと言われる事もある。

 あれ? もしかして俺、イケメンなの?

 そんなに見るなよ、ヴァルダマーナ。照れちゃうぜ。


「あ、ああ。シャムシール王は、そちらの趣味であったか。それでは確かに、幾人妃がいても……あ、いや、すまぬ。余には……そちらの趣味は無いので」


 俺が暫く頬に手を当てて照れていると、不意に目を逸らしたヴァルダマーナが、俺に爆弾を投げて寄越した。

 違う! 変な勘違いをするな!


「俺だって男色趣味じゃない! 珍しく褒められたから、つい! それより、早くパールヴァティを止めてくれ!」


「うむ。そうしたいのだが、どちらかと言えば向かってきているのは、そちらの妃ではないかな?」


 俺は前方を眺め、裂帛の気合を発するジャムカを見た。


「オオオオォォォ!」


 ドゥラに炎を纏わせて、自身も炎の化身になりながら、パールヴァティに十連続の突きを放つジャムカ。

 常人ならば、あんな攻撃を受ければひとたまりもないだろう。

 しかし、かわすパールヴァティは常人からかけ離れた存在だったようだ。


 極大の風魔法によってドゥラの炎を吹き消すと、ジャムカの繰り出した連撃を、剣舞の如く軽やかに捌くパールヴァティ。

 恐るべきは、此方を牽制の為に、目の端で捕らえ続けていたことだろう。

 その余裕を考えれば、俺より強かったとしても不思議ではない。

 ネフェルカーラやアエリノール級? いや、流石にそこまでではないか。


「ジャムカ! 退け!」

 

 俺は、肩で息をするジャムカに声を掛けた。


「うむ、中々見事な技じゃが、修行が足りぬ。わらわに挑むには、ちと時機尚早じゃ。そなたの夫も言うておる。退くがよい」


 下唇をかみ締めたジャムカは、左手で額の汗を拭うと、素直にドゥラを転進させる。


「認めよう、オレの負けを。そなたは紛れもなく、世界における強者の一人だ」


 去り際、ポツリと言ったジャムカの言葉に反応を示すパールヴァティは、首を傾げていた。


「強者の一人、じゃと? わらわこそが、世界最強であろうが?」


「あたしやジャムカを退けた位で調子に乗らないで! 世界で一番強いのは兄者! その次にネフェルカーラ姉さまとアエリノール姉さまなの!」


 パールヴァティの言葉に我慢ならなかった蒼髪の少女が、両拳を握り締めながら叫ぶ。

 いやその、俺、世界最強じゃないけども。

 そもそも、ネフェルカーラにもアエリノールにも、俺、多分勝てないと思うけども。


「ネフェルカーラ? アエリノール?」


「二人とも兄者のお妃さまなのだから、貴女なんかすぐにやっつけてくれるのです!」


「ほう、それは楽しみじゃ。されどシャジャル。己が勝てぬからというて、姉を持ち出すのは、どうか? 己の心に恥はせぬか?」


「なっ! くっ! あ、あたしは貴女を必ず超えるっ!」


「ふむ、よろしい。覚えておこう、黒甲王カラ・スルタンのうら若き夫人よ」


「あ、あたしはっ! 妹ですっ!」


「ああ、すまぬ、王妹であったな――まだ」


「ま、まだ、だなんて……!」


 口元を手で隠し、堪えきれぬ笑いに耐えるパールヴァティは、神象を俺達の方へ寄せてくる。

 ここからは話し合い、という事を察したのだろう。

 ジャムカは悔しそうに俯きながら、シャジャルは顔を真っ赤に染めて、俺とアーノルドの後ろに控えた。

 

 それにしてもシャジャル――俺の夫人と間違われて、そんなに悔しいのか?

 顔を真っ赤にして、わなわなと震えるなんて、お兄ちゃんはショックだよ。


 その間、口を半分ほど空けて、呆けた表情を作っていたのはアーラヴィー国王ヴァルダマーナ。


「――シャジャルちゃん、可愛いいなぁ」


「おい、わらわの前で、今、何と申した? ヴァルダマーナ」


「はっ――! すまぬ、パールヴァティ。そなたに見惚れるあまり――」


「ならばよい」


 ◆◆


 話し合いの前に、俺は全員をセムナーンへ帰す事にした。

 決裂すれば、今度こそ死闘になる。ならば、決してパールヴァティにジャムカもシャジャルも勝てないのだから、ここに居ても仕方が無いのだ。

 それに、シュラは機動飛翔アル・ターラも使えないし、既に疲弊している。だから、ジャムカに頼んでドゥラの背に乗せてもらう事にした。

 

「あ、兄者、でも、話し合いだけで済まなかったら……せめてあたしも残ります」


 蒼い瞳を曇らせて、俺を見つめる我が妹は健気にもこう言った。

 妹だからこそ、安全の為に俺はセムナーンへ戻したいのだが。


「シャジャルはセムナーンへ戻ったら、今までの出来事を漏らさずドゥバーンに伝えてくれ。とても重要な事だ」


 俺は、俺の側で宙を舞うシャジャルを捕まえて、両肩をしっかり掴みこう言った。

 二度、三度と頷いたシャジャルは、それで全てを了解したようだ。

 そう、ドゥバーンに全てを伝えれば、当然ボアデブル軍の動きに対処してくれるし、俺の状況が最悪に変わった場合の処置もしてくれるだろう。

 つまりドゥバーンは軍を動かしボアデブル軍を迎撃、ここにはアエリノールを派遣してくれるはずなのだ。


 シュラは申し訳なさそうにドゥラの背に跨ると、赤い瞳に涙を溜めて、


「ご無事で」


 と言い残して去っていった。


「パールヴァティ。そなたの誠実を信じる。シャムシールさまの無事を保障しろ」


 ジャムカは敗北を認めたが故に、パールヴァティを信頼したようだ。


「無論だ。もし交渉が決裂しようとも、手出しなどせぬ」


 ジャムカに頷くパールヴァティは、どこまでも男気溢れる美女だった。


 ◆◆◆


 上空二千メートル程度。眼下にはうっすらと白い雲が流れ、さらにその下には、ホラズム河と、その流域に広がる農期前、褐色の田畑があった。

 遠くを見れば緩やかな曲線を描く黄緑色の草原が広がり、この世界そのものが球状をしていると証明しているようだ。

 草原の草は、常緑草とかそんなものなのだろうか? 

 北に目を向ければ、この高さにいてさえ見下ろす事の出来ない山々がある。褐色と白、そして灰色で構成された連峰はどこか空虚でありながら、不思議と荘厳にも見えた。まあ、そんな事はどうでもいい。

 ともかく俺とヴァルダマーナ王の初会見は、こんな高空で始まったのだった。


「さて、アーラヴィーの国王陛下は如何なる提案をお持ちなのでしょうか?」


 あれ? 俺の横にカイユームが進み出て、右手で眼鏡の位置を直している。

 お前、なんでセムナーンへ戻ってないの?


「ふっ、万が一の場合、私、盾になりますから。いくらなんでも、陛下を童貞のまま死なせませんから」


 片目をつぶり、小さな声で俺に言うカイユーム。

 これは即ち、ありがた迷惑というやつだ。やっぱりカイユームは殴りたい。


「ふむ、簡単な事だ。セムナーン以西をシャムシール王、そなたが治める。反対に、セムナーン以東を余が治める。つまり、相互不可侵の盟約を結びたい」


「俺がその盟約を結んだとして、ボアデブルはどうする?」


「余はかつて、セムナーン王とこの盟約を結んだのだ。されど、ボアデブルは既にセムナーンの王ではないのだろう? 故に、余は盟約の更新を求めてやってきた、という訳だな」


「それはおかしな話ですな、ヴァルダマーナ王。セムナーン以東というが、その地域は未だクレイト支配下のはずでは?」


 竜にも象にも乗らず、ただ中空に浮くカイユームは、苦笑を浮かべた。

 その気になれば、この男の頭脳は限りなく明晰だ。鋭い所をズバズバ突くなど、お手の物なのだろう。


「ふむ、名目上はそうなっている。だが、もはやクレイト国内は乱れ始め、誰もこの地を治める者がいないとなれば、王たる余が治めるのは至極当然であろう?」


「――さらに以東といえば、これは即ち、クレイト本国も含まれましょう。ならば、ヴァルダマーナ陛下におかれては、クレイト討伐のご意志もありましょうや?」


「ふはは! それはそちらの想像に任せるが」


 愉快気に笑うヴァルダマーナは、溢れる程の覇気を漲らせている。

 確かに、パールヴァティ程の妃を持ち、自らも絶大な武力を持つこの男ならば、クレイトを倒したいと考えてもおかしくは無い。


 しかし――


「だが、以前クレイトが攻め寄せた際、素通りさせたな? そして、お前たちの軍は無傷を保った。ボアデブルの軍は申し訳程度に多少戦ったようだが」


「左様、我等から見れば、失礼ながらヴァルダマーナ王、貴方とクレイト、そしてボアデブルはそれぞれ同盟を結んでいるように見えるのですよ」


 俺の言葉を、カイユームが補足する。

 

「おお、そこまで見抜かれておったか! うむ、ならば正直に話そう。その通りだ。余はボアデブルと結び、水面下ではクレイトとも結び、セムナーンを素通りさせた。

 そうする事でシバールとクレイトは激突し、どちらも弱る。その隙に乗じてボアデブルはシバールを征服するつもりだったのだ。反対に、余はクレイトをな。

 ゆえに――ひと時クレイトと結んだのは、あくまでも擬態よ」


 白いターバンを右手で軽く叩きながら、驚いたように目を丸くするヴァルダマーナ。

 まるで悪戯がばれた時のような、軽い反応だ。


「ヴァルダマーナ、お前は、それで民が犠牲になるとは考えなかったのか?」


「そりゃあ、考えたさ。だから我が民はクレイトが侵攻する道から退避させたし、何よりクレイトには、我が民を傷つけぬよう約束させた。むろん、万が一我が民が傷付けられる事あらば、全てを捨ててもその酬いをくれてやっただろうしな」


「そうじゃない。ボアデブルがセムナーンを捨てた時のことだ」


「それは、余が考えるべきことか? 所詮他国の事であり、他人の野心だ。余が何かを言うべき筋合いはなかろう。だが、だからこそ、先ほどの戦いを見ていて思ったのだ。シバールを今後統べるのは、ボアデブルではない、そなただ、と」


「だから、戦いではなく話し合いにきた、と?」


「そういう事だ。出来れば快く受け入れて欲しい。そうすれば、今すぐにも軍を退こう。

 聞けば、そなたの軍は遠くヘラートへ向けて進発したというではないか。とすれば、セムナーンには三万、多くても四万程度の兵しかおらぬのだろう? 我等が参戦すれば、そなた等の敗北は必至。なれば、受けぬ手はないと思うが」


 なるほどヴァルダマーナは俺を煽てつつ、恩を売りたいのか。

 とはいえ、コイツはボアデブルよりも厄介だ。

 確かヴァルダマーナは小国が乱立していた地方を一代、たった数年でまとめ上げた王だ。

 だから、民の大切さも心得ている。その上で、己が野心のままに突き進むのだから、大物なのだろう。しかも、まだ若い。見たところ、俺と一つか二つくらいしか変わらない。


 ならば、ここは盟約を受け入れても良いのかな? 

 俺にとって、決して悪い話ではないだろう。もっとも、俺には作戦があるし、ヴァルダマーナが参戦した所で、敗北してやるつもりなどないのだが。


「陛下、アーラヴィーには金山がございます。我が国は残念ながら財政難。ここはヴァルダマーナに臣属を強いて、金山を直轄となさいませ。その上で、先ほどの盟約を受け入れればよろしいかと」


 俺の悩みを察したらしいカイユームが、そっと近づき耳打ちをする。

 ナニソレ? 超横暴じゃない? あっちに何の得もない気が……。


「いや、カイユーム、それ酷くない?」


「いや、陛下はまがりなりにも聖帝カリフとなられるお方。一国の王如きと同列の盟などなりませぬ。それに――ヴァルダマーナの野心、それだけではありますまい。我等とボアデブルをぶつけ、疲弊させた後、漁夫の利を得るつもりに違いありません」


「そこまで卑劣かな?」


「そうでなくば、ここで手を引く道理が立ちません。それに、もしも真実陛下の力量に感服して盟を欲するのならば、ここで手を引くことと金山一つで済むのです、安いと判断するでしょう」


「そう?」


「……ですが、本当に東を目指しクレイトを討伐するつもりなら、現状の兵力差を鑑みれば――ヴァルダマーナが持っている情報で、ですが――ボアデブルの後押しをして陛下を倒し、それをもって西への備えと為す方が、効率的でしょう」


 なるほど。確かに俺の兵力が三万と見積もっていれば、八万の軍に勝っても残りは一万程度と見積もれる。それに対して四万、ないし五万で挑めば、容易く勝てると考えるか――そしてセムナーンもヴァルダマーナが奪う、と。

 仮にボアデブルが俺に勝ったところで、その軍を倒すなど容易い――か。


 たしかに正攻法でヴァルダマーナがボアデブルと結んだままなら、それほどの損害を出さずに俺達を倒す事が出来ると考えるのが普通だ。

 本当にヴァルダマーナがクレイト侵攻を目論んでいるのなら、ここで俺に交渉を持ちかける意味はあまり無いだろう。


 言われてみれば、悩む俺を見るヴァルダマーナの目は、嫌らしく観察しているようにも見えた。

 なまじイケメンだけに、内心で悪巧みをしていても、あまり表に出ないらしい。

 イケメンっていいな。


「ヴァルダマーナ、盟約を結んでもよいが――一つ条件がある。俺は既に三カ国の王。いうなれば、お前とは格が違う。だから、ただで盟約を結ぶ事は出来ない。お前の誠意を見せろ」


「だからこの場で兵を退くと」


「足りない。お前がボアデブルを背後から襲え。さらに貴国の金山を一つ貰おう。そうすれば、セムナーン王シャムシール――我が名において、アーラヴィー国王ヴァルダマーナによるセムナーン以東の支配権を認る」


 目を細めつつ、ヴァルダマーナの真意を探るように俺は言い放った。

 横でカイユームが驚いている。


「私、そこまで言ってないのに。陛下、横暴! でも、そんな陛下も素敵」


 両手を胸元で組み、潤んだ瞳で俺を見つめるカイユームを、俺は気持ちが悪いから殴りたい。

 それはともかく考えてみれば、盟約を結ぶならば一緒に戦って当たり前だと俺は思った。

 財政難になってしまったのは、セムナーンとサーベを復興させる為だ。俺の元々少ない私財を投じても焼け石に水だったし、そもそも最初からセムナーンの国庫は空っぽだった。

 なので、早速我が国は未曾有の大赤字。

 赤字の件を考えるとザーラはサーベで頭を抱え、ネフェルカーラはマディーナの執務室で両膝を抱え込んでしまうらしい。

 我が国でも最高の頭脳と目される二人さえ、このように途方に暮れさせるのだから、とてつもなく深刻な問題だ。

 まあ、ネフェルカーラの場合は、膝を抱え込みたいだけかも知れないが……。

 ともかく今更、金山の一つで解決する問題でもないだろうが、それでも無いよりは遥かにマシだ。

 そもそも国庫が空になった理由は恐らく現状を見るに、クレイト軍ではなくボアデブルの仕業。ならば、それをヴァルダマーナが知らないはずがない。

 だから俺はヴァルダマーナが真実、盟を結びたいと願うなら、この二つが必須の条件だと思ったのだ。


「それは横暴じゃ、黒甲王カラ・スルタン。そも、この状況下で我等がボアデブルの戦列に加わっても、黒甲王カラ・スルタンは勝てると申すか?」


「脅しか? パールヴァティ。戦うならば、それも構わないぞ。そもそも俺は、ボアデブルと共にお前たちも倒すつもりだったのだから」


「ふむ……黒甲王カラ・スルタンは面白い男だな。だが、金山を渡す訳にはいかぬ。あれは、我が国にとっても生命線なのだ。

 ……となれば交渉は決裂か。面倒だが、次に会うときは戦場だな」


 一度だけ頷いたヴァルダマーナは顔を引き締めると、不意に神象を反転させる。

 小細工を弄しているわりに、随分と潔い去り際を見せたヴァルダマーナ。

 俺は奴の本質を、イマイチ図りかねていた。


 ◆◆◆◆


 陣に戻ったヴァルダマーナは、既に前進を始めたボアデブル軍を追うよう、部下に命じた。

 ボアデブル軍には、神象ではない戦象と呼ばれる獣もいた。

 戦象部隊は、まさにアーラヴィー王国の主力である。

 二体の神象と、その二体に絶対の忠誠を誓う象たちが居てこそ、小国から成り上がったアーラヴィー。その戦力の大半を、この地に投入していた。


「良いのか、ヴァルダマーナ。まともに戦えば、三頭の竜と戦う事になるのじゃぞ?」


 地上に下りて、一頭の戦象の上で仲睦まじく語り合うのは、ヴァルダマーナとパールヴァティ。

 揺れる象の上で、ヴァルダマーナにしなだれかかるパールヴァティは、すでに戦妃の面影さえない。

 

「なに、まともになど戦わんさ。ボアデブル軍がシャムシール軍に勝てそうなら、軽く後押し。その逆ならば、それも一興。どちらにしても、弱った方を後から叩かせてもらうだけだ」


「ふむ。そのように、上手くいくであろうか……?」


 物憂げな翳りを鳶色の瞳に浮かべたパールヴァティは、ヴァルダマーナの胸元に顔を埋める。


「さあな。正直、シャムシールがまさかあれ程強いとは思わなかったからな。しかし、戦妃ともあろうものが、恐れるのか?」


「恐れはせぬ。ただ、あのシャムシールというスルタンは、心から民の事を憂えておった。なれば正直な所、戦いたくはない」


「余も、民の事を考えている。だからこそ税を下げ、地を平らげ、秩序を保つのだ。だからそなたも、余に惚れたのであろう?」


「じゃが、ヴァルダマーナ。そなたの望むモノは、世界なのじゃろう?」


「……男として生まれ、国を得た。であるならば、それを目指して何が悪い」


「悪くはない。じゃが、それでは足元に生える草花など、見ることは無いであろうな……」


 不意にヴァルダマーナからその身を放したパールヴァティは、街道の脇に顔を覗かせる小さな花の蕾を見つけた。

 しかし次の瞬間、進む戦象の足に踏まれ潰れた蕾は、泥に塗れる。


「パールヴァティは、優しいな。先ほども、シャムシールの妃を倒せたであろうに」


「いや、そうでもない。あの三人が同時にかかってくれば、或いは負けたかもしれぬ」


 パールヴァティの視線を追ったヴァルダマーナが、そっと妃の肩に手をかける。

 パールヴァティは先の戦闘を思い出し、ふと口元に笑みを浮かべた。


「シャジャル、か。面白い少女じゃったな」


「ああ、可愛かったな」


「可愛いじゃと?」


「い、いや――戦ってるパールヴァティは本当に可愛かったなぁと」


「ならば、よい」


 目の端にヴァルダマーナを見たパールヴァティの瞳は、絶対零度の刃を研ぎ澄ませたかの如く、怜悧なものだった。

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