セムナーンの王位
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俺は今、セムナーンの中心に聳える真紅玉葱城にいる。
”真紅玉葱”とは俺がそう呼んでいるだけで、正式には”紅宮殿”という。
もちろん、その形状は宮殿というより城、或いは砦だろう。それに、機能も兵舎や厩舎を多数備え、かつ高度な魔法防御が施されているのだから、俺の呼び方はあながち間違ってはいない。
つまりマディーナの群青玉葱城と、その機能が似通っている、ということだ。
それにしても、屋根が赤色だから紅宮殿なのかな? と思ったら、どうやらそれだけでは無いらしい。
セムナーンはホラズム河という大河の中流域にあり、この近隣は平野だった。
平野部では耕作が行われており、農業を生業とした者が多数住んでいる。河から少し離れれば乾燥した草原だが、そこでは牧畜が盛んに行われていた。だからマディーナと比べれば、城壁外に住む人々が圧倒的に多かったのである。
その彼等から見て、セムナーンは一段高い所にある都市であり、夜、そちらを見上げると、煌々と篝火が焚かれ、赤く輝いている、という所から”紅宮殿と呼ばれるようになったそうだ。
もっとも、城がそう呼ばれるようになると、街の屋根を出来るだけ赤く塗ろうという政策が取られ、いつの間にか街全体のイメージカラーが赤になった、という側面もあるようだ。
「セムナーンとは帝国東方の要衝であると同時に、豊かな穀倉地帯を有し、さらに”大陸の紅玉”と呼ばれる程の様式美を誇る街にござる。拙者も、一度は訪れてみたいと思っておりましたが、まさか愛する夫と訪れる事になりましょうとは……これが新婚旅行というものでござるな」
一昨日あたり、ドゥバーンに聞いたところ、こういうことらしい。
うん、まあ、新婚旅行じゃなくて奪還戦だったけどね、ドゥバーン。
キミは、そんな気分で戦いの指揮をとっていたのかな? どうなんだろうね、それ。
あと、まだ結婚していないからね。
ともかく俺は昨日、シェヘラザードからの親書を貰ったので、形の上ではそんなセムナーンの王様だ。
王様としては、まず、簡易であっても戴冠式をしなければならないらしい。
その件を軽く、今朝、俺の重臣達? と共に話し合ったのだった。
朝食は、城の中庭にある”瀟洒なる庭園”と呼ばれるところで摂った。
庭園に椅子や机をわざわざ城の使用人達が用意したのだが、誰がそんな余計な手間をかけさせたのだろう? と思ったら、犯人はアエリノールだった。
「目が覚めたら青空が気持ちよかったから、ここで皆で朝食を食べたらおいしいと思って、ね? もちろん、私も料理人達と一緒にスープを作ったのよ!」
それはさぞや料理人達にとって迷惑だっただろう、と同情した俺だが、今更同情しても遅かった。
俺は俺の座るべき場所に腰を下ろすと、丁寧に整えられ、綺麗に食卓に並べられた料理を見た。
もう、こうなっては全てを平らげるより他はないだろう。
パンよし。肉よし。ヨーグルト良し。スープ……よくない。これだ。
乳白色のスープに、褐色のどんぐりが浮いている。
間違いなくこれを、アエリノールが作ったのだろう。凄く食べたくない。
俺は、隣に座るアエリノールをそっと見る。
彼女はどんぐりスープの出来に満足しているようだ。
席次は俺とアエリノールを頂点として、左手にドゥバーン、右手にジャムカ、以下、ドゥバーン側に、ジャービル、セシリア、オットー、マフディと続き、ジャムカ側に、ダスターン、シャジャル、ザーラと続いていた。
カイユームとシュラはこの席に居ないが、それには理由がある。
「シャムシールさま。アーラヴィー王国に逃れた前セムナーン王の動きが不穏にございます。御許可をいただけますれば、私が調査に赴きますが」
昨夜、俺の前に現れた闇妖精の美女はこう言って、平伏したのだった。
前セムナーン王は以前からシバールに対して含む所があったようだ。
クレイトに敗北したまま逃走した情けない王、という認識しか無かった俺だが、聞けば彼もテュルク人特有の剛勇を誇る男らしい。
彼はクレイトに野戦で敗北したものの、十万の大軍を引き連れたままアーラヴィー王国へ亡命していたというのだから、捨て置くわけにもいかないだろう。
だいたい、十万を引き連れて逃げたということは、敗北しているのに、軍に損害をほぼ出していない、ということになる。これはむしろ裏しかないし、怪しさ満点だ。
だからシュラの提案は、これから西に軍を向けなければならない俺にとって、渡りに船というか、誰かに対処させなければならない問題なので、ありがたい申し出だった。
「うん。たしか先の王はボアデブルと言ったな? 野戦でクレイトに挑み、負けてアーラヴィーに逃れたと聞いたが」
「はっ。それが今、己が失地を回復せんとアーラヴィー王に援助を願い、我がセムナーンを虎視眈々と狙っている様子。真実であれば、由々しき事態かと」
俺はこの時、うなった。
部屋に差し込む月明かりに照らされたシュラの銀髪が、あまりに美しかったからではない。
それが事実ならボアデブルは、クレイト軍よりも俺の方が与し易し、と思ったのだろう。
それに、現状のシバールを鑑みれば、聖帝が不在。野心家ならば、確かに動く時なのだろうな。
それが理解出来ればこそ、不愉快だった。
ボアデブルが兵を率いて逃げたのなら、残されたセムナーンの民を捨てた事になる。
さらに、セムナーンの背後に広がる沃野も捨てて、何が王か。
俺の眉間に、自然と力が入り、怒りが湧き上がってきた。
「わかった、シュラ、探れ。ボアデブルが俺に従うなら良し。そうでなければ、アーラヴィー王国共々攻め滅ぼす。それでいいな、ジャービル」
アーラヴィー王国は、数年前までホラズム河下流域に混在する小国家の一つだった。
だが現王ヴァルダマーナが僅か三年の内に諸侯達を屈服させ、小国家郡を統一して王位についたという。
王の主力は戦象部隊というが、見た事は無い。クレイトが歯牙にもかけず過ぎ去った地域だが、それは彼等がいち早くクレイトに恭順の意志を示していたからだという話だった。
話をよくよく考えれば、ボアデブルさえクレイトと結んでいたのではないかと思えてくる。
ヴァルダマーナという王を舐めてかかるのはよくないが、それにしても許せない話だ。
俺は、奥歯にも力が入るのを自覚した。”ぎり”と、自らの歯軋りの音が聞こえたのだから。
「くはは。さすが我が君。それにしても、いつから拙者がここに居る事にお気づきに?」
「ばれたくないなら影も隠せよ、ジャービル」
「ほお、ふむ。これは迂闊でした。くはは」
この時、部屋の明かりは小さな蝋燭と月明かりが頼りだった。
月明かりは俺の背後にある窓から入り、蝋燭は俺の座卓に置かれて、書類を照らす。
月の影は俺の前に出来る。蝋燭が生み出す影は、揺れる。
俺の横で影だけがゆらゆらと揺れていたのだから、さすがに俺でも気がつくというものだった。
もっとも、ジャービルがわざとそうしていたのだろう事は、容易に想像出来る。
何しろ、そんなミスは闇隊ならば、十人長だってしないだろうから。
「ではシュラ。君命は下った。これよりアーラヴィーへ赴き、状況を探れ。但し、我等は軍をすぐにも西へ向けねばならぬ旨、重々承知せよ」
「はっ! 身命を賭して、かならずや陛下のお役に立ちまする!」
一度だけ、”ギラリ”と光る赤に金色が混じったような瞳を俺に向けると、姿を消したシュラ。
という訳で、彼女は今日、この席にいないのだった。
ちなみにカイユームは、お腹が痛くてこれないそうだ。
絶対、ジャービルに会いたくないからに違いない。
間違っても、
「カイユーム、悪いけどセムナーンの魔法防御をニ、三段上げといて! 今日中に!」
といった、俺のせいではないと思う。ないと思いたい。
ともかく、こういった訳で彼等二人はこの場に居ないのだ。
朝食の席では挨拶が済み食事が始まると、早速皆がどんぐりのスープを怪訝そうな目で見ていた。
「これ、食べられるのか?」
こんな時、アエリノールに遠慮をしないセシリアの発言は強力だ。
「うん、おいしいよ!」
しかし、そんなセシリアもすぐに撃沈。
どんぐりを頬張るアエリノールは、鬼神のようだった。
「はい、あーん!」
アエリノールに口をこじ開けられ、強引にどんぐりを放り込まれる俺。
食べたくないからよけておいたのに……!
アエリノールの怪力は凄まじい。親指と中指を俺の頬に当てると一気に押しつぶし、強引に上顎と下顎の間に空間を作る。
どれ程俺が歯をかみ締めようとしても、まるで歯が立たないあたり、この上位妖精の握力は俺の顎の力よりも上なのか?
やはり、こんな化け物には決して逆らってはいけない。
こんなヤツと互角なネフェルカーラも同様だ。
俺は諦めて目を瞑り、どんぐりをかみ締める。
あれ? カラごとなのに柔らかい。なんで?
しかも塩味と甘みが合わさって、妙に美味いぞ?
「う、美味い?」
「そうでしょ? カラは魔法を使って柔らかくして――味は、料理人の人が整えてくれたの!」
カラを柔らかくする魔法ってなんだよ! と思ったがそれは置くとして、そりゃあスープの味を、城お抱えの料理人が整えれば不味くなる訳ないよな。納得だ。
周囲も、俺が食べて吐き出さなかった事に安心したのか、匙ですくってアエリノールのどんぐりスープを食べ始めた。
「美味しい! アエリノール姉さま、これは美味しいです!」
シャジャルが笑顔をアエリノールに向けた。
ていうか、アエリノールは姉さまになっちゃったのか、シャジャルよ。
「あはは。シャジャルに喜んでもらえて嬉しい!」
こちらも満面に笑みを浮かべる金髪の馬鹿。もとい、俺の第二夫人候補だ。
どんぐりは美味しいが、さっき押さえつけられた頬がまだ痛いんですが。
「ところで陛下、戴冠式の日取りを決めたいのでござるが」
「うむ、そうだな。我が君が内外に正式な王と認められれば、近隣の不穏な動きに対して牽制にもなろう」
不意にドゥバーンが真剣な眼差しを此方に向けてきた。
ジャービルも頷き、どんぐりを口にした。
どんぐりを食べる氷のような男ジャービル。少しシュールだ。
「だが、戴冠式となると、聖帝陛下にお越しいただき、王冠を授けて頂くのが慣わし。とはいえ、聖帝陛下はすでにおわさず、代理たる大将軍シェヘラザードさまも、ヘラートにおいてナセルの包囲下にあらせられる。であれば、戴冠式など不可能ではないか?」
ダスターンが見事な常識論を展開する。
しかし、俺の部下達に常識が通用するはずもなかった。
なにより、俺に戴冠式に関する常識がない。
「うふふ……ダスターン将軍は、我が君の何を見ておいでか? 至尊の冠さえ相応しきシャムシール陛下であらせられる。王冠など、他の者に授けられる方が屈辱であろう。ゆえに陛下は自らの冠を自らの手で掴み、もって戴冠の宣言と為せばよい」
切れ長の瞳に鬼火の様な揺らめきを灯したザーラがいった。
ザーラは、かたくなにどんぐりを食べようとしない。
スープを飲み干したザーラの皿には、山盛りのどんぐりが乗っていた。
「うん。今はどうあれシバールの危機だ。平時の手順はこの際、無視しようと思う」
ともかく俺は、必要な事に答える。どんぐりが気になるが、気にしても仕方が無い。
大体、体裁に拘っても、それを認めてくれる人は、もはやいないのだ。だからザーラの言い分はともかく、俺は俺の守りたい人たちを守る為に、俺のやり方で戴冠する。
「ねえ、ザーラ。どんぐりおいしくない? それとも、わたしのどんぐりは食べられないの?」
どんぐりを気にしているのは、俺だけではなかった。
いや、むしろ俺が気付くのだから、アエリノールが気付かないわけが無い。
しかし、もしもザーラがどんぐり嫌いだとしたら、アエリノールの発言は暴虐だ。むしろ、暴君だ。
「い、いえ、その様な事は」
今にも泣きそうなザーラを見て、俺は少し可哀想になった。
八の字になった眉は、上位魔族の尊厳さえ失っているようだ。
赤い瞳にみるみる溜まる涙は、魔族だって生き物だって事を如実に伝えている。
だから、俺はザーラのどんぐりを片付ける為に、そっと席を立った。
「ア、アエリノールのどんぐりは最高だな! 俺、もっと食べたいな!」
「シャムシールっ! 嬉しいっ! わたし、もっともっと頑張るね!」
嬉しそうなアエリノールの声を背に、ザーラの小声が、どんぐりを頬張る俺の耳に届いた。
「へ、陛下の大恩、決して忘れません」
ていうか、どんぐり料理、お願いだからそんなに頑張らないで欲しいです。アエリノールさん。
どんぐりで腹が満ちた俺は、席に戻るとドゥバーンに伝えた。
「ドゥバーン、戴冠式の日程については任せる。何か策があるんだろう?」
瞬間、青い目と黒い目を輝かせたドゥバーンだ。
「はっ! シュラと連携すれば、ボアデブルを誘い出す事も可能かと」
「そうか。よろしく頼む」
俺は苦笑した。
ボアデブルが俺に従うか、挑んでくるか、どちらになるのかドゥバーンは予測済みなのだろう。
「では、ことのついでに拙者との結婚式も平行して行えるよう」
「うん、それは平行しなくていい」
「……はっ」
ここでションボリしたドゥバーンは、少しだけ可愛らしかった。だから俺は、うっかりフォローをしてしまう。
「ドゥバーン、結婚式は、ついでじゃ駄目だよ」
「はっ、はいっ! そうでござる! せ、拙者、白いドレスが着てみたいでござるっ!」
調子に乗ったドゥバーンは、鼻息も荒く、どんぐりスープを頬張っていた。
そういえばドゥバーンは、いつも黒装束に革鎧でポニーテール。それでも結構可愛いのだから、もしかしたら、綺麗なガラベーヤドレスなんかを着たら、随分と美人になるかもしれない。
ドゥバーンを見ながらそんなことを考えていたら、隣でアエリノールが頬を膨らませていた。
◆◆
朝食を重臣達と共に摂ったあと、俺は一人で望楼に登っていた。
望楼に登ると城の誇る真っ赤な玉葱型の屋根も見えるし、左右を見回せば、ぐるりと三百六十度、セムナーンの街並みだって見渡せる。
セムナーンの街は全て石造りで、まさに堅牢と言うしかない街並みだった。
街道は東西南北に走り、その全てが城壁外に通じる門へと繋がっている。
さらに北西から南東へ、ホラムズ河から水を引き込む事で、セムナーンは上下水道を完備させていた。
防御としてはこの水を利用して、真紅玉葱城の周りに堀が作られている。
今朝、俺が朝食後に一人でこの望楼に登り、物思いに耽ろうとしているのには、訳がある。未だに、王という実感がわかなかった。
戴冠式もまだだし、それもそうかという気もするが、それだけではない。
だって、サーリフが目指して届かないまま終わった地位だし、ファルナーズになってもらおうと思っていた地位に、俺がなってしまったのだから、釈然としない。するわけが無い。
だからとにかく、立場と自分に折り合いをつける為に考えたかった。
南から吹き抜ける風に外套を靡かせていると、一人の男が階段を上り、俺に近づいてきた。
「ここにおいででしたか、陛下……はぁはぁ」
階段を上っただけで息切れを起こすカイユームは、実に虚弱だ。
イケメン虚弱眼鏡の称号を授けようと思う。
「どうした、カイユーム?」
振り返り、俺はカイユームを見た。
「仰せの通り、結界を五重に増やしました。ですが、これ程警戒する必要があるのですか?」
カイユームは辺りを見渡して、俺一人だという事を確認すると、ずけずけとモノを言ってくる。
俺は舐められているのだろうか?
「二度と、セムナーンの市民が怯えなくてもいいようにしたいんだ。だから、万が一の為だ。カイユームには大変な思いをさせて、すまないと思っている」
だが、舐められたって俺は気にしない。
舐めてるならば、思い知れ! これが日本人の礼儀正しさだ!
だから俺は、カイユームの労苦を労い、その両手を握って頭を下げた。
「なっ、なっ。陛下、お止めください。わ、私はてっきり陛下の嫌がらせかと……」
「嫌がらせ?」
俺はカイユームの言葉に首をかしげた。
「いえ、その……陛下はあのネフェルカーラの夫君であらせられるし、となれば、どれ程凶悪な男なのかと……」
意外と失礼な事を言うカイユームだ。
俺を見上げる眼鏡が、朝日に照らされて反射している。嫌味眼鏡か?
そういえば、俺はカイユームをいつの間にか見下していた。
どうやら、また背が伸びたらしい。もう伸びないと思っていたけれど、もしかしたら百八十センチに届いたかな?
「ああ、確かに、ネフェルカーラは恐いよなぁ」
「ええ! はい! そりゃあもう、この世で何が一番恐いって、あの女ですよ!」
「本当だな。って、一応俺の未来の奥さんなんだけど?」
「あ、すみません。つい」
おかしなもので、普段ネフェルカーラを恐いと思っている俺だが、他の人に言われると、なんとなく庇いたくなってしまう。
カイユームは、茶色の髪をかきながら、苦笑を浮かべた。
「陛下は……真実、民の事を思っておられるのですね」
「別に、そういう訳じゃない。ただ、人が人を殺す理由は、何もないだろう? あってはいけないと思うし。それなのに殺しあう為の戦いは終わらないし、その上戦わない人まで殺されるなんて、理不尽だと思うだけなんだ」
小脇に抱えた冑を台に置くと、セムナーンの街に目をやった。俺は眼下で動く小さな生命を見る。
路地裏で遊ぶ子供たちの姿が、俺の目に映った。
すぐに母親らしき女が現われて、子供を家の中に連れ込んだ。
未だ、セムナーンは平和とはいえない、そういうことだろう。
「例えば、今度の戦禍の一番の被害者は、あの子達のような気がするんだ。今だって、安心して暮らすことも出来ない」
俺の視線を追ったカイユームは、小さく頷いている。
「……この世界は、力無き者に厳しすぎるでしょう。ですが、陛下はお強い」
「強くなければ、生きられなかったからね。だからしみじみと思うんだ。世界はもっと、弱者に優しくてもいいだろう、って」
俺は自分を再確認するように、ゆっくりと思いを口にした。
俺が王として出来ることは何だろう? 強い事と正義は、決してイコールではない。
だけど、強くなければ何一つ守れない現実は、きっと変わらない。
「はは、そうであれば、私も好きな魔術の研究に没頭できるのですがね」
俺は視線をカイユームに戻すと、静かに聞いた。
「俺は、この世界を変えたい。強い者が弱い者を守る、それが当たり前の世界にしたい」
俺の言っている事は、青臭い。
二十歳にもなって言う言葉じゃないかもしれない。
でも、王様なら、言ってもいいような気もした。
何より、俺が領有する場所だけでも、少しでも人に優しい国になればいい。
これが、今考えられる俺の精一杯の、この世界に対する答えだった。
俺の言葉に最初は苦笑を浮かべたカイユームだが、不意に笑みを消して、昔話を始めた。
「……私も同感です。私は三百九十年前、一介の奴隷騎士でした。ですが当時は腕力も無く、魔力も無く、だから私は逃げ出しました。もちろん、見つかれば殺されます。それも、覚悟の上で逃げたのです。このままの暮らしが続くならば、どうせ死ぬ、と。
……運良く逃げ出せた私は、ある魔術師に出会いました。そこで魔術を学び、過ごす事五十年、人だけが可能という転生の秘法を会得したのです」
「カイ……ユーム?」
俺はカイユームの独白に驚いた。
こんなに喋るヤツだったとは。
「私は、強くなったと確信しました。事実、私の魔力は当時から膨大で、並みの魔族さえ寄せ付けませんでした。しかし――強くなり慢心した私は、魔族を従えようと、最強の魔族を呼び出してしまい……己の未熟を知りました。はは……」
自嘲気味に笑ったカイユームは、さらに独白を続けた。
俺は、その魔族がネフェルカーラだったんだな、と納得した。
「ですが――それでも私は強い。それにも拘らず、己の身だけを省みて、他者一切を救おうとは考えなかった。陛下――もしも許されるのならば、私の絶対の忠誠を、今ここでお受け取り下さい。そして、陛下の理想を、陛下の思いを実現する為の尖兵として、私の力をお使い下さい」
独白が終わると虚弱の魔術師カイユームは、片膝をついて俺に頭を垂れた。
なんだか分からないが、俺はカイユームの忠誠を勝ち取ったらしい。
もともと、自分の生き方に対して釈然としない思いでもあったのだろう。いや、それは俺にもあるんですが。
忠誠を受け取るより、ふんわりと生きたいんですが、本当は。
俺の理想はあくまで、この世界で生きるんだからって、仕方なく生まれた副産物なんですが。
なのに眼鏡の奥にある瞳は精気に満ちて、膨れ上がる魔力はネフェルカーラさえ凌駕せんばかりのカイユーム。
もしかして、人類最強? という疑念が沸いてきたが、恐いのでカイユームから目を逸らす。
カイユームは踵を返すと、ゆっくりと階段を下りてゆく。
下りるときも細心の注意を払っている辺り、本当に運動が苦手なのだろう。
それにしても、なんで虚弱な素体を選んで使っているのか、いまいち謎な大魔術師だった。
でも、カイユームのお陰で、王である自分に対して、僅かばかり納得出来た気がする。
少なくとも、俺の理想は、そんなに間違った方向ではないのだろうから。
◆◆◆
カイユームが去り、俺は冑を被った。
ネフェルカーラの事を話したら、ちょっと声が聞きたくなったのだ。ここ数日、彼女からの連絡が無いし、少しだけ心配になっていた俺は、ネフェルカーラに声をかけてみた。
それに戴冠式の件に関して、緑眼の魔術師ならば良い案もあるかもしれない。
彼女はある意味、未来から来たネコ型ロボットに匹敵する万能感がある。もちろん、ネコ型ロボットと同様にドジなところもあるのだけれど。
「ネフェルカーラ、いるか?」
「ほむ!?」
ほむ? ほむって言った? あの女魔族は? なんだか驚いている雰囲気だ。
「シャ、シャムシール、丁度よい。実は聞かねばならぬ事があったのだ。まあ、それが聞きにくかったのだが……」
ここの所ネフェルカーラから連絡が無いと思っていたが、まさか、聞かねばならぬ事とやらを聞きにくかったからだろうか?
「なに?」
「実はな、シェ、シェヘラザードがお前の妻になりたがっておって……」
なんですと?
大将軍がですと?
尊大な親書を寄越したあの人が、俺の妻になるですと?
俺の思考は、崩壊寸前になった。意味が分からない。
「なんで? どうして?」
「……ええい! シャムシール! シェヘラザードを妻とせよ! さすれば、全てうまくいく!」
「でも、シェヘラザードさまの気持ちは?」
「そんなもの、もはやお前しか眼中にないわ! あの女は強き者にのみ惹かれる最低女だ! お前の勝利を心底望んでおる! ああもう! だがシャムシール、お、おれを一番大事にしろよ!」
よく分からないが、俺は朝からネフェルカーラに逆切れされて、挙句に、デレられたのだった。




