初陣
◆
行軍すること一日と少し。俺たちの正面には、千の人影が、満を持して待ち構えていた。
人影の奥には、粗雑な砦があった。更に奥には樹木も見える。多分、砦は木造だろう。その上、一部が焦げていたりと、破損していた。その奥はオアシスか何かかもしれない。
意外と、この辺りは争いが多いのだろうか? いや、ここに水辺があるのなら、軍としては確保しておきたい場所なんだろうな。そりゃ争うわ。
そんな事よりも、俺がこの場にいて辛いのは匂いだった。
辺りには腐りかけた人間の死体が、多く目に付くのだ。
どれも、甲冑や鎖帷子をつけて無念そうな表情を浮かべている。
俺にとっては、全く目を背けたくなるような光景だ。ただ、何となくチラ見すると、どうも鼻が高かったり、金髪の人が多かったりと、特徴的にはなんだかヨーロッパの人? 的な感じの死体が多いと思う。
「おえぇ」
観察したら、気持ち悪くなった。
戦う前から、この有様である。
「構えよ!」
「放て!」
悪化する俺の内心を無視して、背後で号令が響く。弓を持つ兵士達が、構え、放っているのだ。天を覆う――程ではないが、大量の矢が敵陣に刺さる。
ちなみに、俺のいる場所は、全軍のほぼ中央、最前列だ。どういう訳か、百人隊一つ一つを方形陣にして、横に三つ並べたファルナーズである。更に、左右に展開する百人隊の外側に、騎兵が四十人ずつ展開しているらしい。
ちょっと前にファルナーズが「方形陣」と言ったらこんな風になった。いや、訓練の時に「方形陣」と言われたら、こう動け、と、言われていたんだけど。指示に従ってたら真ん中になってしまったのだ。ふざけんな、と思う。
気分的には、体育祭で整列する感じだ。それの真面目版、命がけシリーズだと思う。
この、三つ並んだ陣形に関してはハールーンに聞いた。なんでも知ってるイケメンだ。……むかつくから、今度殴ろう。
とはいえ、ハールーンがいくらイケメンでも、一方的に敵がやられてくれる訳ではない。
当然、向こう側からも矢の雨が降ってくるので、俺は丸い盾を頭上に翳して防ぐ。俺の盾は、腕力にものを言わせて、全て鋼だ。だから、普通の矢如きならば恐れる必要はない。全部、弾いてしまうのだ。
でも、たまに弾き損ねた矢が足元に刺さってびっくりする。一応、鉄製のグリーブをつけていても、足元は古き良きサンダルなのだ。刺さってしまう! と、ドキドキした。まったく、もっと良いものを支給して欲しい。
隣では、ハールーンが欠伸をしながら、同じく矢を防いでいる。なんてやつだ。余裕なのか?
だが、チャラ男の盾は、根本的に素材が木なのだ。矢が刺さる刺さる。軟弱者め。俺は、僅かばかり溜飲を下げ、優越感に浸った。
「ネフェルカーラッ! やれっ!」
俺の耳にも届く程の、空を裂くような美声が辺りに轟く。ファルナーズなのは言うまでも無い。
すると、先ほどまで雲ひとつ無いと思われた空が、一瞬で渦状の黒い雲に覆われる。それは、敵陣を中心として放射状に広がった。
幾つもの閃光、そして轟音。
それが敵陣に落ちる。神の怒りの如き雷が、無数に敵陣に降り注いでいた。
ここから、二百メートル位は離れているだろうが、それでも、敵の混乱や悲鳴が聞こえてくる。阿鼻叫喚だ。あっち側にいなくて良かった。
そんな様をみれば、こんな俺でも「勝てるかも」「イケるかも」なんて、ちょっと余裕も出てきた。
「前進せよ!」
すぐに黒雲は拡散し、再び空は青く、高く晴れ渡った。
そして、ファルナーズの号令が響き渡り、皆が雄叫びを上げて駆け始める。
大変!
「シャムシール! いくよぉ!」
む? 俺も雄叫びを上げてみる。若干乗り遅れた。
僅かに動作の遅れている俺を、ハールーンが心配げにみる。欠伸をかみ殺して、うっすらと目に涙を溜めているが、コイツはなんなんだ。どんだけ余裕かましてるんだ?
俺は、盾を背中に背負いなおし、手持ちの槍をもって駆け出す。
前方を見れば、千人いたという蛮族というのも、混乱しているし大分数も減ってる。
主にあの雷の効果だろうケド、この際はありがたい。
こんな必殺技があったから、兵力なんてこんなもんで良かったのか。最初に教えて欲しいもんである。
俺は、みんなに遅れないように走って敵の集団の前に出て、槍を構える。
敵も槍を突き出してくる。うん、逃げたい気持ち、八十パーセント。残りの十五パーセントが「俺、可哀想」って思ってる。しいて言うなら、五パーセント位は「やってやるぜ!」って思っているが、概ね後ろ向きの感情だな、うん。
あれ? 敵は、なんだかとても不細工。蛮族っていうか、何ていうか。
俺の左右では、槍を振るい、ハールーンやロスタムが眼前の敵を突き崩していた。
俺は、敵の攻撃を防げるものの、どうしても突き殺す決心が出来ない。多分、狙えば一撃なんだろうが……
それにしても、目の前の敵ときたら、どうも変だ。
着ているものも粗末過ぎるし、武器だって粗末だ。手入れされている感がまるで無い。ていうか、槍も刀も錆びているのだ。鎧だって、粗雑な毛皮をただ身に纏っただけだろう。
もちろん、俺だって錆びた武器なんかで切りつけられたくもないし、刺されたくもない。だが、何となく、俺は目の前の敵に興味を持ってしまった。
あまり体毛は無いものの、人よりはある。それに醜悪な顔、黄色く濁った目、少し突き出た犬歯に浅黒い肌。
なんだろう。歴史の教科書なんかで見る、「原人」のようなイメージを、俺は持った。
アウストラロピテクス! そうだ、そうに違いない。なんか、感動! 逆に感動! 俺は、少し嬉しくなって天を仰いだ。
「シャムシール! 余所見をするな! 蛮族共を殺せっ!」
ロスタムが鬼の形相で槍を振るいながら(鬼なんだけども)、横目で俺を叱咤する。
彼の前には、すでに原人(仮)の死体が重なっていた。当然、ハールーンの前方にも、同じくらいの死体が転がっている。俺の前だけ綺麗なモンだ。そう、俺はホーリーシャムシール。隣人を愛する者だ。むふん。
……ってさあ。殺せって言われて殺せるなら、もうやってるよ。怖いんだよ。
俺は、正面の敵をしっかりと見据える。
大丈夫。俺よりも明らかにこいつは弱い。
俺は、意を決して、槍を振り上げ、敵の頭上から振り下ろす。
気絶させれば問題ないだろ……
その瞬間、”ばん”と激しい音がして、槍の先端が飛び散り、敵の頭蓋が砕かれた。
う、うそ……
正直、俺は敵を殺すつもりじゃなかったのに。てか、槍も壊すつもりなかったのに。
眼前で飛び散った脳漿が、左右の蛮族の皮膚を真紅に彩る。それをきっかけに、敵が一歩、後ずさる。
一部の蛮族など、うろたえ、怯えて、小便を漏らしているようだ。
そりゃあ、敵である俺が言うのもなんだが、気持ちは分かる。俺だって、隣のチャラ男の頭が吹っ飛んだら漏らすと思うもん。
ていうか。えええ! 俺、びっくり。気持ち悪い!
「全員抜刀! 押せ! 踏み潰せ!」
後ろから百人長の声が響く。
「抜刀! 敵は怯んだ! 押し込め!」
ロスタムも叫んだ。そして、最前列は皆、槍をその場に捨て、腰の曲刀を抜き放つ。
え? きっかけは俺?
俺の頭は真っ白だ。
気持ち悪いけど、勢いには飲まれる。いや、飲まれねばならんのだ!
何しろ俺は”TPO”を弁えた日本人。状況に流される事などお手の物よ! こんな所で置いてきぼりは嫌なのだよ!
というわけで、俺も曲刀を抜き放ち、右に、左にと切りつけ、突き刺し、大きく振るう。
一人(?)を殺してしまうと、後はなし崩し的だった。
返り血を浴びて、その暖かさと臭いが俺の五感を焼き尽くすようだったが、今は我慢するしかない。
最初に感じた戦場を覆う腐臭すら、立ち上る血の匂いに紛れてしまって、もう感じない。
いつしか、俺は笑っていた。
笑いながら、ハールーン、ロスタムと共に戦場の悪鬼と化していたのだ。
しかし、戦の開始から一時間も経つと、さすがに俺だ、冷静さを取り戻した。
俺たちは、方形陣を崩すことなく、唯、前進をしているらしい。
それにしても、蛮族は、よく戦っていると思うよ。
逃げたい気持ちを、必死で踏みとどまらせているんだろうか。表情がこわばっているのがよくわかる。
俺は、すでに作業的に「魔剣」を振るうだけだ。
何しろ、「魔剣」を一閃するだけで、蛮族の首は胴から切り離されるのだから、流石にいくら俺でも、敵との圧倒的な実力差に気付くというものだ。
それは、胴体から噴出す鮮血を気にしなければ、雑草を刈り取るのと代わらない程度の容易い作業だった。
ハールーンは、手のひらから生み出した炎を前面に押し出し、一人を炎に包んだかと思うと、舞うように曲刀を翻し、蛮族の身体を逆袈裟斬りにする。
燃やしたり斬ったりと、奴も、とんでもない男である。チャラ男のくせに。
ロスタムは、右手で曲刀を振り回し、左手で蛮族の顔を掴み、握りつぶす、といった鬼のような戦いぶりである。やっぱり鬼だし、そりゃそうか。
なんてやってたら、俺たち三人の周りからは、あまり敵がいなくなってしまった。
剣を構えてる敵も、此方を見つつ、じりじりと下がってゆくし、槍を構えた奴等も、構えているだけだ。
これ、勝ったかな? なんて暢気なことを考え始めていたら、前方の敵の奥から、悲鳴が聞こえてきた。
騎馬隊が駆け回っている。
どうやらファルナーズが、左右から騎馬隊を突入させたらしい。砂塵が舞い上がり、すぐ目の前の敵がすごく動揺している。
さらに、駄目押しのように、白馬に跨る小鬼が、歩兵の百人隊と百人隊の間から、僅かの人数で敵中へ駆け込んでゆくのが見えた。
「ハールーン! シャムシール! わしに続けっ!」
おい。何で、ここで名指しなんだい? ファルナーズの旦那……
「あははぁ。行こう、シャムシール。もう、怖くないだろぉ?」
ハールーンも、呆れ顔を俺に向ける。
確かに、もう恐怖とかは無いが、馬と一緒に突撃するのも如何なものか。
「ファルナーズさまに続けぇ! 蛮族を皆殺しにしろぉ! 突撃ぃ!」
悩んでるうちに、うちの百人長の号令が響きます。やっぱりね。はい、行きますよ。でも、そんな号令、どっちが蛮族かわかんないよね。もう。
「ロスタム隊! 突撃する!」
顔に付く返り血を左手の甲で拭いながら、ロスタムが言う。しかも、めっちゃいい笑顔。爽やか。なんでだ。ふざけんな、鬼おっさん!
「蛮族ってのは、確かに弱いな」
突撃しつつも、俺はハールーンに声をかける。俺も、かなり余裕が出てきているのだ。
「まあ、ねぇ。所詮は下級妖魔だから。でもぉ、力は普通の人並みにあるんだけどねぇ」
ハールーンも、普通に言葉を返して来た。やっぱりこいつも余裕らしい。それにしても、コイツ、返り血の一つも浴びてない。ホントはとんでもない奴なのではなかろうか? なんて疑念も沸いてくるよ。
「ふうん……」
え? まって。今、下級妖魔って言わなかった? あれですか。え? え?
俺は、またしても頭が白くなる。ここが異世界。それはオーケー。でも、蛮族が妖魔? じゃあ、異教徒ってなによ?
混乱する俺を尻目に、ハールーンは更なる戦場の中にその身を躍らせ、切り込んでゆく。
ま、まってぇ。
ハールーンに追いつくと、俺は、また暫く縦横に刀を振るう。
もう、躊躇いは無かった。
力任せでも、刀を振ってしまえば、相手が防ごうがどうしようが、俺には関係ないのだ。刀ごとでも相手を両断するだけなのだから。
ああ、俺、無双。でも、一人にしないでね。
ひたすらに突撃する俺たち十人隊は、誰一人欠けることなく前に進む。
すると、敵陣の只中に、目覚しい勢いで敵を駆逐する二人組を見つける事が出来た。
一人は、純白の鎧を身に纏い、その身に合わぬ大刀を振るう謎の小鬼。いま一人は、漆黒の衣に全身を包み、細身の剣を、目にも止まらぬ速さで繰り出す謎の人物。
言うまでもなく、ファルナーズとネフェルカーラである。別に謎でもなんでもなかった。
ファルナーズの周囲を固めていた奴隷騎士も強かった。敵を散々に追い散らしているのだ。
ファルナーズ自身などは、一騎当千もいいところである。その剣の一振りでニ、三人くらいの敵を両断していた。とんでもない荒業だ。あいつは怒らせないようにしよう、と、俺は心に誓う。
黒衣の人、ネフェルカーラは、黒馬を左右に走らせると、細身の剣を無造作に敵の急所に刺していた。あたかも、爪楊枝でたこ焼きを刺すかの如く、だ。
特に、禿げ頭の目に突き刺しているのを見たときには、笑ってしまった。
青海苔が必要だ。ソースとマヨネーズもな! なんて思ってたら睨まれた。怖い。
俺は、ネフェルカーラさんが苦手かもしれない。
結局、もう、俺たちが戦う必要はなかった。
敵が、四散して逃げ散ったのだ。追う必要も無い、との事だった。
戦いの開始から二時間もたっていなかった。
結果、俺たちの被害がどの程度かはわからないけど、少なくとも、俺たちの十人隊は、誰一人欠けることがなかったのである。圧勝だった。
そして、俺は敵の「部将」という者を討ち取っていたらしい。頭真っ白で無双したり、いい気になって無双したりしてたから、切り倒した相手の中に「大物」がいた事なんか気が付かなかったのだ。
一般奴隷の初陣としては、「過去最高の武勲」との事であった。
そして、俺は十人長になったのである。