サーベ奪還
◆
ドゥバーンを使者として送り出した俺は、正直なところ暇だった。
使者を出した手前、敵に追いついて戦う訳にもいかない。いやむしろ、攻められたらどうしよう? と、ちょっとだけ不安である。
日がな一日、パッカラパッカラと馬に乗っていると、だんだんケツが痛くなってくる。やっぱり、俺には竜の方が合ってるなぁと思いつつ、横に並んで進むダスターンを見た。不意に声を掛けられたからだ。
「その、シャムシール。竜と意志を交わすコツ、というものはあるのか?」
「は?」
「だから、回転したり、火を吐いたり、果ては不思議な攻撃を、どうやってさせるのだ?」
「ああ、普通に話してるだけだよ」
「何!? 竜が会話をしてくれるのか!?」
「ああ、むしろお前、話せないの?」
「む、むむ……話せない。いや、だが、謎が解けた。お前は、竜騎士だったのだな」
「なんだ、それ?」
「竜と意志を交わし、巧みに操る者の称号だ。彼等は皆、竜と言葉を交わしているという。確かに、そうでもなければ、あのような戦闘など無理だろうな。
しかし流石だ、シャムシール。黒竜さえ乗りこなしてしまうとは」
俺としてはよく意味が分からなかったが、ダスターンは幾度も首を縦に振って頷いている。それにしても、竜と会話なんて、みんな出来るのかと思っていたが、どうやらそうでも無いらしい。
ともかく、俺が竜を操れる事に関して納得すると、ダスターンは再び無言になった。
それでふと思い出したのが、捕虜のジャムカだった。
彼女も竜を巧みに操っていた。だとすれば、ジャムカも竜騎士ということだろう。もっとも、竜の方はアエリノールがズタボロにしてしまったので、今は話したくても話せる状態ではない。なので、俺は行軍の休憩時に、ジャムカが護送されている檻車に行った。
◆◆
檻車は、馬車の荷台に鉄製の檻をつけて布で覆っただけの代物だけど、中は意外と快適だった。
正直、馬に乗って行軍するより、俺も檻車で運ばれたいと思ったのは内緒だ。
俺は、ジャムカの檻を訪ねるついでに、昼メシも持っていってあげることにした。
「ほら、これ。食事だ」
ジャムカは檻の奥の鉄格子を背もたれにして、じっと座っている。
別に拷問を加えられる訳でもなく、捕虜としては優遇されている方だが、元々が姫なのだから、この待遇には、当然不満だろう。俺が檻の中に入ると、口元をへの字に曲げで、睨みつけてきた。
俺は、檻の入り口近くに座り、ジャムカと俺の間に食料を並べた。
パンや干し肉、それから蜂蜜や水の入った壺を置く。それから冑を脱いで、笑顔を浮かべて「食え」と言った。
ついでにパンをちぎり、一口、口の中に放り込んだ。毒では無い事を証明する意味もある。
「どうして、おぬしが?」
手足を縛られているジャムカが、不自由そうに動きながらパンを手に取った。僅かに首を傾げる仕草をするが、毒などは疑っていないようだった。俺がパンを飲み込んだ姿を見た為だろう。
「ちょっと聞きたい事があって」
「そうか。答えられる範囲でなら、答えよう。所詮、オレは捕虜だ」
ジャムカはどうやら、少しだけ卑屈になっているようだ。いや、それとも、わりと現実を直視する性格なのかもしれないな。
それにしても、ジャムカが捕虜だからって麻の服一枚だけしか与えないのは、ちょっと可哀想だと思う。そこで紳士な俺は、自分の外套を外して彼女の肩に掛けてあげた。
ここはマディーナと違って、大分冷えるのだ。
そして他意が無い事を示す為に、最初にいた位置に座りなおし、俺はジャムカに質問をした。
「竜の事なんだけど、竜と会話出来るというのは、珍しい事なのか?」
目を瞬かせながら俺を見つめるジャムカは、それでも肩を覆った外套を左右から手繰り寄せて、首元で閉じた。
「質問の意図は分からぬが……我等の間では、別に珍しくない事だ。ことにクレイト皇族ならば幼き頃より皆、竜との会話ができる。
そ、それよりも、これは一体……どういうつもりだ?」
俺が渡した外套の裾を掴み、生地を確かめながら、ジャムカの頬が、ほんのりと桃色に染まる。
「どういうつもりって、服一枚じゃ寒いだろう? 敵の情けは、受けたくないのか?」
「いや……ありがたく受け取る。だが、本当にそれだけか? オ、オレを、辱めるつもりではないのか?」
この時、状況を察した俺は、剥き出しにされたジャムカの素足を見た。
治りきらない切り傷が痛々しいが、それでも十分に白く、きめ細かい肌は艶やかだ。
むしろジャムカは俺の外套で寒さを凌ぐというよりは、麻衣では隠しきれない胸元や、太ももの辺りを隠している様だった。
「は、辱めないっ! 一応、お前はカザンとの交渉材料だ。決裂となれば、アエリノールの奴隷にするし、俺がどうこうする事はない!」
少し上擦った声になったが、俺は言った。
この状況は、この場の最高権力者が、手足を縛られた捕虜の女と二人きり。そう考えてみれば、女の方が心を乱しても当たり前の事だろう。不意に近づき、彼女の肩に外套をかけたのは失策だったかもしれない。彼女の目に映る俺は、もはや紳士な黒甲将軍ではなく、単なるエロ将軍だろう。
俺は誤解を解く為に両手を広げ、まったく害意の無い事を示した。
「その……仮に、仮に、だ。叔父上との交渉が決裂しても、あの女の奴隷にだけはしないでもらえないか?」
今の俺の反応を見て、多少は安心した感のあるジャムカだったが、アエリノールに刷り込まれた恐怖は相当なモノなのだろう。彼女は怯えるような眼差しを俺に向けて、言った。
「そんなに、アエリノールが怖いのか?」
「当たり前だ。あの女、オレを生かして捕らえる為に何をしたと思う? 両足を切り落としたんだぞ! ……もっとも、切断された足を戻したのもあの女で、『お前が気を失っている間に、くっつけたからね!』などと言っていたが」
俺は、少しだけ視線を宙に彷徨わせて、アエリノールなら、やるな……と思った。
「再びあんな目に合う位なら、いっそ……」
「いや、ジャムカ、大丈夫だ。大丈夫だと俺が言うのも変だけど、今回、カザンは交渉に応じると思うよ。ドゥバーンが出来ると言っていたんだから、出来るんだよ」
「ドゥバーン? ああ、あのオッドアイの女か。随分と信頼しているんだな」
「ああ。ちょっと変な所はあるけど、言った事は必ずやるヤツだ。だからジャムカ、お前は安心していて良いと思う」
「ふふ……良い将軍なのであろうな、おぬしは。それに比べてオレは……
……ああ、そうだ、竜のことだったな。何が疑問なのだ?」
一瞬だけ目を伏せたジャムカは、再び目を上げたとき、微笑みさえ浮かべていた。
どうやら、ある程度は俺に心を開いてくれたらしい。少なくとも、俺のエロ将軍疑惑が、完全に晴れた様で何よりだ。
「そうそう。俺は自然に竜と話せたんだけど、他は違うらしいから、これはどういう事なのかな、と思って」
「それこそ、アエリノールに聞けば良いではないか……あっ!」
顎に指を当てて首を傾げながら問う俺に、ジャムカが不思議そうな声を出して言った。しかし、半瞬もしないうち、何かを察して”クスリ”と笑う。
「アエリノールだから、か? あの女、やたらと強いが頭の方は……」
「ああ。アエリノールだからなぁ。聞くだけ意味が無いというか……」
俺も笑いながら、ジャムカが察した事に同意する。
ていうか、既にアエリノールはジャムカに、残念な頭脳を見抜かれていた。早い。
もしもこの場にアエリノールがいたら、きっと泣きながら飛び出してゆくだろう。しかし残念な事に、アエリノールの頭だけは一向に良くならないのだから、それも仕方がない。
なので、間違いなくアエリノールも、どうして自分が竜と話せるかなんて、理解しているはずがない、と、俺は思っていた。
「ふむ。とはいえオレも竜とは自然に話せてしまうゆえ、その理由までは分からぬよ。クレイトの皇族とは、そもそも、そういうものだしな。あまり役に立たぬようで、申し訳無いが」
「へぇ。じゃあ、俺にもクレイト皇族の血が流れているとか?」
ジャムカの言葉に、俺は少しおどけた調子で答えた。彼女の緊張も大分解けて、もはや談笑している様なものだ。
緊張もほぐれたところで、俺はパンに蜂蜜を塗って口に入れた。甘かったので、半分程を手元に残すと、ジャムカがじっとそのパンを見ている。それを手渡すと、彼女は美味しそうに頬張った。
「うむ、蜂蜜か? こういう食べ方があるとは知らなかった。美味しいぞ、これは美味しいぞ。んぐっ。
……っと、そうよ、オレも、それが気になっていたのだ。お前の顔は、どちらかと言えばシバール人よりも我等に近いのではないか? クレイト皇族は言い過ぎでも、我等と同じ祖先を持つのかも知れんな。
……ま、だから何だと言う訳でもないが」
そういえば、そうなのだ。ジャムカを引見たとき、俺は少し親近感を覚えた。
冑を脱いだジャムカは黒髪で、丸い黒目がちな瞳、少し平べったい顔にふっくらとした頬があらわになっていた。それは美人というより可愛いらしい顔立ちで、こいつは清純派の女子高生か? と思ったものだ。
もっとも、ジャムカはシバール人というものを勘違いしている節がある。
そもそもシバールは、雑多な民族の混在する他民族国家だ。細かく民族を分けてしまえばきりが無い。
だから大体は、角があり力が強ければテュルク人、髪が原色系のケバケバしい色で、魔法が得意ならば砂漠民、耳が長かったら妖精、それ以外はシバール人、という分け方をする者が大半だった。
だが、基本単一の民族、或いは似通った民族で構成されるクレイト帝国で育ったジャムカには、俺の容姿がシバール的ではない、と映った様である。
「祖先か。確かに俺は、シバールで生まれた訳じゃない。だからもしかしたら、ジャムカと同じ祖先かもな」
「ほう、そうか。では、どこで生まれたのだ? あ、いや、別に、おぬしに興味がある訳ではないが……」
少し目をそむけたジャムカは、ちょっと可愛らしい。
「生まれたのは日本、というところだ。知っているか?」
俺は、知らないだろうと思いながらも、言わずにはいられなかった。
自分に近い顔立ちの少女に、この名前を言って伝わらなければ絶望的だ。きっと、幾ら東を目指しても、日本に到達する事はないだろう。
やはり、ジャムカは首を左右に振っていた。知らない様だ。
「……知らぬな。魔族の国か?」
ジャムカは壺から柄杓で水を掬い、飲むと首を傾げている。何かを思い出そうとしてくれている様だ。しかし日本を「魔族の国」、なんて言われると、切ない。同じ祖先を持つのでは? なんて言ったわりに、もう俺の事を魔族扱いですか?
「さあ、な? 近代的な民主国家だったと思うんだけど」
「なんだそれは?」
「それが、俺の生まれた国だよ。じゃあな」
日本に帰る事はほとんど諦めているけれど、俺にだって多少の望郷の念はある。数は少ないが友達だっていたんだ。だからやっぱり、日本の手がかりが何もないと知れば、少し切ない。
ともかくも、ジャムカに聞くべき事は、これで全て聞いた。
用事も済んだので、俺が立ち上がろうとすると、ジャムカが俺の足元にすがり付く。
本当は立ち上がって、俺の肩でも掴もうと思ったのだろうが、足首を縛る鎖が思いのほか短くて、ジャムカは転んでしまった様だ。
「ま、待ってくれ。ドゥラは、無事だろうか? あ……ドゥラはオレの竜だ」
ジャムカは、転んだ拍子に肘を打ちつけたようだ。それで、目が少し潤んでいる。そんな、潤んだ瞳で見上げられては、俺としても答えない訳にはいかなかった。
「ドゥラっていうのか、あの竜は。命に別状はないと思う。カザンとの交渉が成立したら、竜も一緒に帰すよ」
「……ありがとう」
ジャムカの檻車から出ると、俺は慌ててドゥラの下へ急ぎ、回復魔法を連発したのは言うまでも無い事だろう。
ドゥラも高位の竜だから、自己治癒能力が高い。とは言え、アエリノールから受けた傷は深く、交渉が成立しても、ジャムカと共に帰還出来る程、回復する見込みは無い。
もちろんドゥラを此方で奪い、戦力として使う方法もある。しかし、俺とアーノルドの関係を鑑みた時、ジャムカとドゥラを引き離しても、結局、良い事は無いのではないか、と、思ったのだ。
「黒甲将軍か? 礼を言う。いずれ、この恩は返そう」
ついでに火竜にも感謝されたが、俺は軽く左手を上げただけで、その場を去った。別に、見返りなど求めてはいないのだから。
◆◆◆
城市サーベとジャムカ姫の交換が行われる日は、デイ月(十二月)も後半に差し迫った頃になった。
ヤズド会戦から日を数えれば、一月近くの時間が掛かった事になる。
まず、カザンはサーベ市民に手出しをしない旨を文書にして俺に送り、俺も、ジャムカに対する身の安全を保障する文書を送り返した。
その後の段取りは、カザンは軍をサーベから四ファルサフ(約二十キロ)遠ざけ、俺達が二ファルサフ(約十キロ)の地点に到達した時点で、ジャムカを開放する、というものだった。
しかし、その程度の事に一月近くを要したのは、カザンの思惑ゆえだった。
闇隊が齎した情報の中に、「クレイト皇帝の病がいよいよ篤い」、というモノがあった。それゆえカザンは、皇帝ベルゲの死を待っていた節がある。
仮に皇帝が死ねば、カザンにとってジャムカは不要になる。そうしたらジャムカを切り捨てて、俺と和を結び、本国へ帰還するつもりだったのだろう。
だが、事態はジャムカにとって、好転したようだった。
「皇帝ベルゲの病が快癒した」、との報が齎されたのだ。
「ジャムカ、元気で、というのも変だが……」
ジャービルがクレイト軍の位置を確認すると、ジャムカにドゥラが返されて、騎乗を許された。
上空で旋回するアエリノールとガイヤールが彼女達を牽制するが、俺はもう、ジャムカが今、俺に牙をむくとは思っていない。
あの日、昼食を差し入れて以来、俺は彼女に対して妙な信頼、というか、友情めいたものを感じていた。年齢も同じだったし、竜騎士という共通点もある。それに、似通った顔の作りが、親近感を覚えさせてもいるのだろう。
「シャムシール。おぬしも元気で。もしもおぬしが我が国に破れ……いや、来たならば、きっと厚く酬いよう」
馬上から語りかける俺に、竜に騎乗したジャムカが微笑みながら答えた。
今日、彼女の衣服は白色で、袖口や襟元が金で縁取られた豪華なものだ。流石に、一国の姫君を返還するのに、粗雑な服を着せて返しては、ケンカを売っている様なもの。俺とジャムカの仲を、歯噛みしながら見ていたドゥバーンだったが、その辺りは無難に配慮してくれたのだ。
「あ、あの外套は、シャムシールさまのモノではござらんか!?」
ドゥバーンが、ジャムカの羽織る、風で翻るたびに真紅の裏地を覗かせる漆黒の外套を指差し、叫んでいる。
「そうだ。オレが頂いたものだ。いけないか?
それよりドゥバーン、おぬしにも世話になった。礼を言う。
ところでおぬし、シャムシールの妻になるというが、必死に頑張らねば、相当な下位となろうぞ」
「なっ! なっ! おぬしにその様なこと、関係ござらん! さっさと帰るでござる! 次に会ったら敵でござるからな!」
アエリノールに先導されて飛び去るジャムカに、捨て台詞を残すドゥバーンが、少しだけ寂しそうだった。
どの様な理由があったのかは分からないが、彼女はサーベから戻るなり、積極的にジャムカの世話をしていた。
むろん、何かしらの考えあっての事だろうが、この際、彼女の表情に浮かんだ寂寥感が、計算だけではないと思いたい俺である。
遠ざかるジャムカとドゥラを見送ると、俺は軍を率いてサーベに入った。
クレイト軍が残した爪あとは未だ深いが、全住民の虐殺という最悪の事態を避け得ただけでも、良かったと言うべきだろう。
こうして俺は、ダスターンが二十五万を率いて奪還を果たせなかったサーベを、無血で取り戻したのだ。
だが、この後、無血によるサーベ奪還に浮かれていた俺達に、最悪の知らせが齎された。
――ナセル、動く――の報である。
オロンテスを発したナセルの兵は十五万、向かう先は、聖都ヘラートだった。
もしもシェヘラザードが敗れれば、俺は東にカザン、西にナセルを迎え撃たなければならなくなる。
俺は、接収したばかりの空中宮殿の一室に幹部達を集め、急いで軍議を開く事にした。




