シャジャルの願い
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俺の天幕から万人将達や千人長達を下がらせると、ジャービル、ドゥバーン、シャジャルの三人だけが残った。
アエリノールも残りたがっていたが、ドゥバーンに機先を制されて、少しだけ不満顔で、自身の天幕へ戻ったのだ。
「拙者はこれより、使者の件でシャムシールさまと相談がござる。アエリノール殿、これは機密事項なれば、席をお外し願いまする」
強い口調でドゥバーンに言われたアエリノールは、目元をピクリと動かして、剣の柄に手をかけた。
案外短気なアエリノールは、自身が悪と断罪してしまえば、躊躇なく相手を斬る。今はドゥバーンを悪とは思っていない様だが、それはドゥバーンに建前があるからだ。
実は手加減を知っているネフェルカーラと違い、アエリノールの方が、万が一の場合は怖い。
だから俺は、すぐに立ち上がると、アエリノールの側に行って、彼女の頭を撫でた。すると、アエリノールが満面に笑みを浮かべたので、さらに追い討ちとして、俺は労いの言葉もかけたのだ。
「アエリノール、今日は、よくジャムカを捕らえてくれた。良くやった、偉いよ」
「へへ。途中で女の子だって気が付いたから殺さなかったけど、まさかお姫さまだったなんて、ね。ね?」
笑いながら身を捩って喜ぶ上位妖精は、あっさりとドゥバーンに対する殺意を捨てた。
というか、簡単に凶悪なまでの殺気を放たないで欲しい。それに、ドゥバーンも一応女の子だ。そう思いつつ、俺はアエリノールに言ったのだ。
「そういえばセシリアが、『今日はアエリノールさまと夕食を食べるんだ!』って喜んでいたけど、行かなくていいの?」
もちろん嘘だ。ごめんセシリア。
けれど、俺の言葉に目を丸くしたアエリノールは、
「ええっ、大変! わかった! 本当はもうちょっと一緒にいたいけど……行くね、シャムシール!」
そう言うと、僅かばかり寂しそうな表情を浮かべた後で、跳ねるように俺の天幕を後にしたアエリノールだった。
その間のドゥバーンはといえば、腰を少し浮かして、アエリノールの斬撃に備えていた。
すぐにも後ろに跳び下がれる様な体勢だったが、そうまで警戒するなら、アエリノールを挑発しないで欲しい。
ジャービルは、そんな一触即発の光景を、ニヤニヤしながら眺めていた。多分、アエリノールが斬りかかっても、ドゥバーンを助けなかっただろう。なんて酷い兄だ。
シャジャルは座ったまま、何かを言いたげに俯いている。
もちろんドゥバーンには、出て行く様に言われているが、上の空の様だった。
「あ、兄者! その、ドゥバーンとの打ち合わせが終わった後でよいから、あたしの天幕に来てもらえませんか? もし都合が悪いようなら、話が終わるまで、あたしが外で待っていても……」
意を決したように言うシャジャルは、何処か泣きそうに見えた。
「うん、分かった。後で行くよ」
そういえば、昼間の戦闘でもシャジャルが浮かない顔をしていたのを思い出した俺は、二つ返事で頷いた。丁度、話をしたいと思っていたのだ。
「は、はい! じゃあ、あとで! あ、あと、お食事も準備して待ってますっ!」
立ち上がると、ようやくいつもの表情に戻って、シャジャルは俺の天幕を後にした。
鎧がガチャガチャと鳴っていたが、あまり重さを感じさせないシャジャルの動作は、いつだって律動的で可愛い。
「せ、拙者がシャムシールさまとお食事を……おのれ、シャジャル……」
「く、くはは。ドゥバーン、このような所で無駄な策など弄さず、正面から行けば良いではないか」
「兄上は何も分かっておられぬ。正面から行ったら、拙者、玉砕しかしないでござるよ! だから、既成事実を早く作りたいのでござる!」
眉を寄せて項垂れるドゥバーンを、口角を吊り上げて見つめるジャービルは、一応、妹に対する愛情があるらしい。
しかし、彼等の相談が、俺に筒抜けなのは問題ないのか? 既成事実ってなんだ? とてもドゥバーンが怖いと思う、今日この頃だった。
ともかく、実際にこの二人を残したのは俺だ。
ドゥバーンが交渉でも成果を出すだろう事は分かる。しかし、万が一の場合もあるのだ。カイユームを伴って行くとは言え、相手があのカザンであれば、油断など出来ない。
俺は、ちょっとキモいという理由だけで、ドゥバーンを安易に手放したりしないのだ。だから、闇隊の長であるジャービルの意見を聞きつつ、使者を送る意味が、本当にあるのかを探るつもりだった。
「実際に、ジャムカとサーベの交換というのは、可能なのか?」
俺は再び自分の円座に座ると、これまた俺専用の肘掛にもたれて、二人に問いかけた。
「今ならば、可能かと」
ドゥバーンの声が、緊張感を持ったものに変わる。
それを察して、ジャービルも口元を引き結び、必要と思われる情報を開示してゆく。
「だが我等の調べでは、サーベにも糧食が無い事は分かっている。となれば、クレイト軍がサーベを拠点として防御陣を敷く可能性は低い。そんな中で、あえて敵と交渉する必要があるのか? このまま、一気呵成に攻めても良いのではないか?」
「うむ。そうでござる。サーベを取り戻すだけならば、軍で攻めても容易いでござる。……しかし」
「しかし? どうしたドゥバーン?」
口ごもり、伏目がちになったドゥバーンに、俺とジャービルが視線を注ぐ。
「……しかし何もせずに、カザンがサーベを返すとは思えませぬ。恐らく、去る前に全住民を殺すでしょう。つまり、サーベの返還をジャムカによって求めるというより、サーベの住民の命とジャムカの命の交換、そう考えた方がよろしゅうござる」
「だが、ドゥバーン。既にサーベはクレイト軍に蹂躙されつくした後であろう? さらに人を殺すというのか?」
ドゥバーンの言に、怪訝そうな表情で答えるジャービルは、太い腕を組んで、眉間に皺を寄せていた。
「クレイト軍の蛮行は酷い。敗走となれば、通る道すがら、サーベの民を皆殺しにして行くでしょう。
されど、ジャムカを返せば、クレイトはその蛮行を行わない。為さなくて良い理由が出来るのでござる。さらに、カザンにしてみれば、皇帝の娘を交渉材料にされたとなれば、現皇帝ベルゲに対する面目も立つ。或いは、恩さえ売ることが出来ると考えるでしょう」
「なるほど、ね。むしろ、俺の方が、背に腹は変えられない、ってことか」
サーベもシバールの領土なのだ。その住民を守るのは、守護騎士である自分の役目。とすればドゥバーンを送り出し、交渉する事が、どうやら俺にとっては最良の様だ。
「それにしても、何で今すぐ行く必要があるんだ? ジャムカが皇女なら、サーベだけではなくセムナーンを含めた交渉は出来ないかな?」
俺は、多少欲張った注文をしてみた。
ふと、自分に置き換えて考えたのである。例えば、俺が皇帝だったとして、人質がシャジャルだったとする。ならば、都市の一つや二つ、安いものだろう。まして、自分が侵略した都市なのだから、元々あった場所を失う訳ではないのだ。
「それは、無理でしょうな。皇帝ベルゲの体調が、どうも芳しく無いようだ。もし、皇帝が死ぬ様な事にでもなれば、クレイトという国では皇女など、何の価値も無くなります」
俺の欲張りな注文に答えたのは、ジャービルだった。
どこまで闇隊は、網を張り巡らせてるんだ! そう思ったが、何も言わず、俺は心の中で冷や汗を垂らしながら、頷いた。
「状況は分かった。カイユームを連れて行くというのも、そういった事情で、逐一情報が欲しいからだな?」
「はい。カイユームであれば、あらゆる地域の闇隊から情報を仕入れられます。故に、交渉も有利に運びましょう。それに、あれ程の魔法を使う者は、恐らくクレイトにはおりませぬ。さらにさらにっ! カイユームを介せば、拙者、いつでもシャムシールさまとお話が出来るでござるっ!」
最終的にドゥバーンは、いつものドゥバーンに戻ったが、その表情は、心なしか緊張感を伴ったままだった。
俺はドゥバーンに、くれぐれも無事に帰る様に、と念を押してから、彼女を退出させた。
ちなみに、ドゥバーンもアエリノールの真似をして、体を捩りながら頭を突き出してきたが、俺は撫でてやらなかった。
代わりにジャービルに撫でさせたら壮絶な兄妹喧嘩が始まったが、たまにはそういう事も良いだろう、と思いながら、俺は二人を見送った。
◆◆
「兄者っ!」
陣営の中、馬を十分程歩かせてシャジャルの天幕に到着した俺は、垂れ布を上げて驚いた。
天幕の中から現われたシャジャルは、濃青色の服を着ている。それは、頭と手足の先以外を全て覆い隠す、いわゆるアバヤとやらいう服だった。
服には銀の刺繍が入っていて女性らしいといえばらしいが、子供のシャジャルには、まだ早い服装である。
つまり、ネフェルカーラが着ている服の青版、とでも言うべきモノをシャジャルが着ていたのだから、俺はびっくりだったのだ。
ただ、ネフェルカーラと違い、頭を覆う布は背中と胸元にひっかけて、顔を全て出していた。
もっとも、ネフェルカーラにしても、頭を完全に覆っている姿を見たことはないので、かなり似通った雰囲気にはなっている。
正直、シャジャルには余りネフェルカーラの真似をして欲しくない。良い子に育って欲しいのだ。
それはともかく、俺と二人きりだと、ダイビング抱っこが激しいシャジャルは、さっそく嬉しそうに、俺に抱きついてきた。
まったく、兄冥利に尽きるというものだ。
「はは。遠征中はあんまり話も出来なくて、ごめんな」
シャジャルの身体を両手で抱えて、優しく地上に下ろすと、俺は既に準備済みの料理と、仄かに甘い香を漂わせるシャジャルを見比べた。
料理は、警戒中という事もあって、肉を焼くなど、大掛かりな調理は禁止しているから、必然的に、麦粥と干し肉、それにナツメヤシ等のフルーツ類に限られてくる。それは、幹部達も同様だ。何故なら、俺が、その様な事に差異をつける事が嫌いだからである。
――だが、シャジャルの甘い香りはなんだろう?
これは、ネフェルカーラが普段使っている香水と同じではないか?
「兄者、お食事を。冷めてしまいますから」
麦粥には、まだ湯気が立ち上っていた。
マディーナに比べれば、この辺りは大分寒い。まして夜なのだから、肌寒さを感じる程だった。
そんな中、暖かい食べ物があるというのは、この上も無くありがたい。
俺は、シャジャルに促されるまま円座に座ると、目の前に置かれた碗の粥や、皿に乗った干し肉に手を付けた。
シャジャルも俺の正面に座り、小さな音で麦粥を啜っている。
「――シャジャル。何か、あったの? 急に話があるって」
俺の言葉に、碗を敷き布の上に置いたシャジャルは、口の中に残った麦粥を飲み込むと、恐る恐る口を開いた。
「何でも――ただ、今日は兄者の為に、あたし、夜伽を頑張ろうと思って」
俺は驚き、シャジャルの顔を正面からまじまじと見た。
丁度、麦粥の中に鳥の干し肉を入れて、かき混ぜている所で良かった。
でも、干し肉の塩味と麦粥が絡まって、けっこう美味いよな、とか、そんな考えが全部吹っ飛んだ。いや、それより、それを口に含んでいたら、全部シャジャルの顔にぶちまけていたかも知れない。
「な、なんだって夜伽なんか?」
「それは、ドゥバーンが、夜伽も出来ないクセに、シャムシールさまに鎧なんかもらってって」
「そ、それは良いんだよ。シャジャルには必要なものなんだし! 第一、ドゥバーンのいう事なんか無視していればいいんだよ!」
「でも、でも。あたし、今日も兄者に連れて行ってもらえなかったし、ドゥバーンの様に夜伽も出来ないから……それであたし、色々考えて……」
俺は、額に左手を当てて、天井を仰ぎ見た。
ドゥバーン……シャジャルに変な影響を与えないでくれ……ていういか、ドゥバーン……シャジャルに嘘つくな。
その後、言葉に詰まった俺は、暫くの間、シャジャルに何をいう事も出来なかった。
結果、俺とシャジャルは無言で粥を啜り、干し肉を噛み、ナツメヤシを頬張った。
食事が終わると、シャジャルはてきぱきと食器を片付けて、寝台の側に行き、胸元に巻きつけた淡い青色の薄布を取る。
俺は、自分が”ごくり”と唾を飲み込んだ音を聞いた。
十二歳のシャジャルが、とても色っぽく見えるのだ。それは、燭台の炎が照らす灯りによって、シャジャルに浮かび上がる陰影が、妙に女性を思わせるせいだろう。しかし、シャジャルは十二歳――
その時、寝台から一枚の布を取り出したシャジャルが、再び俺の正面に座った。そして、手に持った布を広げ、こう言った。
「――サーベ奪還はドゥバーンに譲ります。でも、セムナーン攻略戦は、あたしに任せて下さい!」
広げられた布には、近隣の詳細な地図が描かれていた。
そしてシャジャルは、軍勢を模した札を手に取り、セムナーンを囲むように配置する。
「けれど、この間に、恐らくナセルが動きます。されば――その情報を利用して――」
「シャ、シャジャル? 一体何を?」
「は? 夜伽ですが?」
この時、俺はシャジャルが盛大な勘違いをしている事を知った。
しかし、彼女の軍略は、まさしくドゥバーンの思い描いていたものと一致していたのである。
後にこの事を知った変態軍師は、シャジャルならば、さもありなん、と言って、深く頷いていた。
余談だが、この日、俺は少し残念な気持ちで自分の天幕へ戻ると、悶々とした気持ちで、中々眠りにつけなかったのである。
ヤズド会戦の勝利という栄光は、既に俺の頭から消え去っていた。




