ヤズド会戦 3
◆
「オレの名はジャム――」
「わたしはアエリノール! シャムシールの奴隷だ! 行くぞ、ジャム!」
「ジャムではない。オレはジャムカ、クレイトの将だ。女子供に用はない。帰れ!」
また、アエリノールが妙な事をやっていた。
敵将が名乗り終わる前に自分が名乗って、挙句の果てに相手の名前を勘違いしている。しかも、帰れとまで言われていた。
それでも気にせず突撃したアエリノールの槍は、ジャムカの槍を絡めとリ、弾き、冑を貫いて頬に傷を負わせていた。
突きは、八連撃だった。
竜と竜が交差する瞬間に、それだけの突きを放ったアエリノールは流石だが、捌き切れなかったとはいえ、敵将のジャムカも、それを凌いだのだ。傑出した武人には違いない。しかも、槍を失っても、すぐさま剣を抜き放ち、未だ戦意を失っていないのだ。
だが、どうも俺の目には、アエリノールが九撃目をあえて放たなかった様に見えた。
「わたしも、女や子供は殺さないよ」
「くっ……無礼な」
アエリノールは振り向き様、唇の端を吊り上げて、ジャムカに言った。
それは、とてもイラッとする仕草だった。俺が見てもイラっとするのだから、ジャムカはさぞ怒っただろう。
きっと、アエリノールとしては、先ほどのジャムカの発言に対して、パンチの効いた仕返しをしたつもりなのだろうが、完全にダメな感じだ。きっと、実力差を見せて、戦意でも喪失させたかったのだろう。しかし、こういうのは、ネフェルカーラの様な凶悪なヤツがやらないと意味がない。
そもそも、言ってはみたものの、アエリノールはノープランだったようだ。チラチラと俺に視線を送ってくるが、今更助けを求められても、どうしようも無い。俺は、無視を決め込んだ。
しかし、冑を飛ばされたジャムカの表情は、憤怒であっても幼く見える。どちらかと言えば、美少年か。だから、アエリノールは殺したくないのかな? だったら、降伏させれば良いのに。
ともかく俺は、アエリノールとジャムカの戦いを尻目に、眼前の敵に眼を据える。
カザンも、彼等の戦いに多少なりとも目を奪われていた様だ。
「黒甲将軍の部下は、面白いな。あれは、妖精か? ジャムカが感情を剥き出しにするなど、珍しいことだぞ」
「上位妖精だ。その辺の人間じゃあ、歯が立たない。その意味じゃ、カザン、貴方の部下も中々やる」
「ふん。ただのはねっかえりよ」
呆れつつも、アエリノールの槍技に感嘆の声を上げるカザンは、不敵な笑みを浮かべている。
俺が僅かばかり訂正してやると、カザンは、”ふん”と鼻を鳴らして槍を回転させた。
それにしても、ジャムカがはねっかえりって何だ。女ってこと?
ジャムカが美少年か美少女かの疑問は一時置くとして、俺はアーノルドに炎を吐き出させた。このまま睨みあっていても、お茶が出てくる訳でもない。牽制の為もあるし、一度、敵の機動力を確認しておきたかったのだ。
当然ながら、カザンの駆る水色の竜は巨体を上昇させて、こちらの炎を難なくかわす。ついでに「お返しだ」とばかりに吐き掛けられた炎は、アーノルドの炎よりも二割程巨大なものだった。
どうやら、速度も火力もアーノルドの方が劣っている様だ。切ない。
「厄介だな」
「あれは、風竜の成長上位種です。雷さえ操るでしょう。主殿、お気を付けを」
俺の呟きが聞こえたのか、アーノルドが真紅の瞳を俺に向けて声を掛けてきた。
気をつけて雷を食らわないなら、幾らでも気を付けるけど。
カザンは竜を躍らせて、上方から俺に突進してきた。
槍を翳して急降下とは、総司令官のクセにやる事がえげつない。
俺は咄嗟にアーノルドを右旋回させ、敵の下降に合わせて槍を振った。
カザンは身体を捻って、俺の突きをかわす。どうやら、俺が攻撃をかわせると思っていなかった様で、表情に戸惑いが見える。カザンの薄い眉毛が、一瞬だけ八の字を描いていた。
「アーノルド! 重力操作っ!」
さっき残酷だと口にした重力操作だが、この際、致し方ない。
「はっ」
アーノルドが返事をした瞬間、大気がミシリと歪み、カザンと水色竜の高度が急激に下がる。
地面に叩き付ける事は出来なかったが、中空でもがくカザン達を標的として、俺は再び槍を構えた。
「うわぁ!」
その時、俺の目の前にガイヤールとアエリノールが降ってきた。アエリノールが目を瞬かせながら、落下してゆく。
「か、身体が急に重くなっちゃった!」
ガイヤールは”ぐるる”と唸りながらも、漆黒のアーノルドを睨みつけていた。
「お前、もう少し周りを見て攻撃しろ」
「お前こそ、俺の攻撃圏内に入っているのが悪かろう」
「それは、アエリノールさまが……」
「ああ、アエリノールさまか……」
竜達がボソボソと会話をしている上から、真紅の血が、やはり真紅の竜から滴っている。
羽ばたくたびに鮮血が迸る竜は、ジャムカが駆る赤竜だった。
突撃しようと上空に現われたが、恐らく力場を感じて、突入出来ないのであろう。
俺とカザンが対決している間にも、彼等は同じく戦っていた。
そして、その戦いは圧倒的にアエリノールが優位に進めていたのである。
敵の赤竜は火竜だった。だから、その特性は最大火力にあるのだが、そもそも、その最大火力がアエリノールに及ばないのだ。
何しろ、火竜の吐き出した炎を、アエリノールが事もあろうに”火壁”で防ぐのだ。
なんでそこでその魔法を使うんだ? と、俺などは疑問しか浮かばなかったが、実際に戦っていたジャムカと火竜は、それこそプライドをズタズタに引き裂かれた様で、茫然としつつも、その炎の中に飛び込み、アエリノールに迫る道を選んだ。
アエリノールは、迫る途中のジャムカに対し、”風刃”を連発して切り裂き、接近戦さえ許さない様だった。
そんな時である。アエリノールとガイヤールが、アーノルドの重力操作に巻き込まれたのは。
「いたた」
痛がりつつ、ガイヤールの背からアーノルドに飛び移るアエリノールは、あまり重力の影響を受けている様には見えない。
「ア、アエリノールさまっ!」
驚いたのはガイヤールである。
重力の渦に飲み込まれ、必死にもがく白金の竜は、主人に捨てられた様なものだった。
「ガイヤールは、空間操作で抜け出せばいいよっ!」
「……はっ」
ガイヤールが、そういえば! みたいな顔をしている。
意外と、竜は顔芸が達者な様で、喜び、悲しみ、怒り、その他、様々な感情が、その表情から読み取れるのだ。
すぐにガイヤールは、その巨体を消すと、数十メートル程度先の場所に現われた。
よく考えたら、なんという能力だろうか。
光や闇に属する竜の能力というのは、確かに他の竜とは一線を画する超絶能力だった。
――パンッ――
その時、俺の周囲で青白い光が弾けた。
俺の後ろに座るアエリノールが、左手を上に掲げて、見えない何かを支える仕草をしている。
「気をつけて、シャムシール! あの風竜の雷は脅威だよ!」
なるほど、今の音は雷が弾けた音で、弾いたのはアエリノールってことか。
俺は、アエリノールの言葉に頷き、一つ彼女に頼みごとをした。脅威というなら、封じなければ俺に勝ち目が無いじゃないか。
さらに今の雷は、攻撃だけではなかった。アーノルドの重力操作も、無効にした様である。カザンが、再び俺の眼前に迫っていたのだ。
アエリノールは俺の頼みに対して「何とかするね!」と答えると、跳んだ。彼女が再びガイヤールの背に跨った事を確認すると、俺は再びカザンと槍をかわす。
空中で、二合、三合と槍をかわし、竜達は互いの首に噛み付き合う。その一方で、どうしても上へ上へと高度ばかりが上がってゆくので、必然的に、俺は息が苦しくなってきた。
遠方では、本隊の異変を察知したドゥバーンが軍を前進させている様だ。
全面衝突は不本意だが、このままでは本隊が敵中で孤立する事になりかねない。ドゥバーンの判断は在り難かった。
槍と槍が火花を散らし、竜達は互いに血塗れになっている。しかし状況は刻一刻と、俺の分が悪くなってゆく。
十分程度の時間しか経っていないが、それだけの時間でも打ち合えば、自身の実力が相手に及ばない事を理解するのに十分だった。
俺の槍は、槍先すら掠りもしない。けれど、カザンの槍は、俺の鎧に幾度も当たっていたのだ。
俺は、奥歯をぎりりと噛み鳴らした。
重力操作を狙えば、雷で迎撃される。
埒が明かない、とはこの事だ。
「戦は俺の負けだ、認めよう、黒甲将軍。だがな、勝負は、俺の勝ちだ――」
カザンの声が、俺の耳元で響いた。
僅かの隙だった。けれど、衝かれたのだ。
左に回りこまれ、無防備な俺の脇腹に、カザンの剣が弧を描き、ぶつかった。
それでも、鎧には傷一つ付かない。けれど、衝撃は体の内部に伝わった。
息がつまり、前のめりになる。
――どうして、カザンが宙に浮いているんだ?
「竜に乗っているから、俺が空を飛べぬと思ったか? 戦とは、あらゆる布石を惜しまぬもの。手の内を見せぬ事も、また布石の一つよ」
前のめりになった俺の首は、冑と鎧の隙間が顕になっているはずだ。
カザンが振りかぶった刀は、確実に俺の頚部に振り下ろされるだろう。
――グオオオオオオ――
その時、水色の竜が絶叫を上げて、身悶えをした。
竜の背に立ち、その頭部に刃を振り下ろした男がいたのだ。
その様に、半瞬、目を奪われたカザンを俺は見逃さなかった。
槍を捨て、曲刀を抜き放ち、身体を捻ってカザンの胴を袈裟斬りにする。
浅かったとは思うが、それでも鎧を両断し、皮膚を切り裂いている筈だ。これでも魔剣。槍とは桁違いの攻撃力を持っているのだから。
カザンの竜は、頭部を既に切り離されていた。
首を失い、落ちて行く竜の背に立ち、後頭部で束ねた黒髪をなびかせながら、酷薄そうな笑みを浮かべている者は、闇隊の長、ジャービルだった。
「戦とは、あらゆる布石を惜しまぬもの。くく、くはは」
ジャービルは竜の背を蹴り、空中に留まると、周囲を見回しカザンを探す。
カザンの言葉をそっくり引用するあたり、やはりジャービルの性格は最低だ。
しかし一騎打ちと見せかけて、アエリノールに頼み、こっそりとジャービルに、あの竜の始末を命じた俺の性格も、中々酷いのかもしれないな。
カザンは、すぐに自身の置かれた状況を悟ったのか、周囲に煙幕を張り巡らすと、その姿をいつの間にか消していた。
◆◆
撤退のタイミングを失った俺達ではあったが、逸早くドゥバーンがその事に気付いてくれて、ダスターン隊とシャジャル隊を派遣してくれた。そのお陰で俺達本隊の被害は、甚大なモノにならずに済んだのだ。
それにしても、ダスターンの騎馬突撃は実に圧巻だった。
もちろん、カザンが後方に下がった後ではあったが、セシリアと合流するまで、敵を余りにも一方的に蹂躙するので、コイツ、ホントに今まで負け続けていたのか? と疑問に思った程である。
シャジャルの突撃も見事だった。
的確に敵の弱点を見抜いて、ピンポイントで攻撃を仕掛けるなんて、中々出来る事じゃない。兄は感動した。
こうして、敵は三ファルサフ(約十五キロ)程後退し、味方は自陣に戻ったのである。
夜の帳が下りても、俺の陣営は盛大な篝火が焚かれ、夜襲に備えている。
もっとも、ドゥバーンが言うには、夜襲の心配はないだろう、との事だった。
「カザンという将は、今日の撤退を見たところ、勝てぬ戦には固執せぬようでござる。むしろ、撤退を急ぐでしょう」
「だったら、急いで追うか? それで叩ければ、その方がサーベに篭られるよりもマシじゃないか?」
「追えば、手痛い逆撃に遭いましょう。手負いの虎は、手に負えぬでござる」
そんな訳で、盛大に篝火を焚かせる理由は、ドゥバーン曰く「味方が勝利に浮かれぬ為」であった。
何より、ドゥバーンは何かを待っている節がある。
彼女は、しきりにカイユームに話しかけ、「情報はまだでござるか?」と言っていた。カイユームが「う、うん。何も言ってきていない、かな」と答えると「拙者を怒らせない方が良いでござるよ! 拙者、ジャービルの妹にしてシャムシールさまの未来の妻ゆえ、ふは、ふはは」と言って脅していた。
脅したって情報が入る訳でもないのに、と思いながら、ドゥバーンの笑い方が、少しネフェルカーラに似てきた事に対して、恐怖を感じる俺だった。
さて。
天幕の中、居並ぶ諸将にひとしきり今日の勝利を称えられた後、俺の前に引き出された捕虜がいた。
捕虜は、既に甲冑を脱がされている。見た目としては、煤に汚れた顔と焦げた衣服が、多少無残だ。
しかし、パツンと切りそろえられた前髪と肩の辺りで揃っている後ろ髪が、何処か日本人形の静謐さを思わせる。
焦げた衣服から覗く素肌は白く、煤けていても尚艶やかで、捕虜が美しい少女である事を証明していた。
もちろん、胸の辺りが多少盛り上がっている事を見ても、捕虜が少女である事は分かる。だが、あんまり見ると、シャジャルのジト目が怖いので、俺は出来るだけ見ないようにしていた。
「ジャ、ジャムカ……!」
ダスターンが俺の左手前で、僅かに腰を浮かしていた。
何に驚いているのかは、大体想像が出来る。ダスターンは、ジャムカが女とは知らなかった筈だ。
仏頂面でジャムカは俺の面前に座り、一つ溜息を吐き出した。
彼女は後ろ手で縛られ、縄で繋がれている。その縄を持っているのは、アエリノールだった。
アエリノールの方は、終始ニコニコしていて、”わたし、やったよ”と、如何にも褒めて欲しそうな顔をしている。
「ジャムカ! シャムシールの前だよ! 頭を下げなさい!」
言うなり、アエリノールはジャムカの頭を右手で持ち、床に押し付けた。
激しく強引な動作で、床布に強かに頬を打ちつけたジャムカが、一瞬涙目になる。
「あ、いいよ、そのままで」
俺は、右手を上げてアエリノールの横暴を止めた。
ジャムカか……カザンははねっかえりと言っていたけど。
「オレを、どうするつもりだ?」
顔を上げたジャムカが、俺の目を真っ直ぐに見つめて問うてきた。
黒髪で黒目、どこか日本人っぽい顔立ちに、俺は少し親しみを覚えてしまう。だから、曖昧な答えしか返せなかった。
「お前次第、だな」
「シャムシールの奴隷になるよね。ね? わかってる?」
ジャムカに、アエリノールが威圧的な笑顔を向けていた。
それで少しだけ、ジャムカの顔が引き攣る。流石に、アエリノールに対しては、恐怖を刷り込まれているらしい。
「ど、奴隷になどならぬ! 殺せっ! これでもクレイトの王族! 生き恥など晒せぬっ!」
「ふむ、クレイト帝国第五皇女ジャムカ姫でござるな? 拙者も、この目で見るのは初めて故戸惑ったが、まさか本当に戦場へ出ているとは……」
ドゥバーンの言葉に、一同が静まり返った。
まさか、アエリノールが皇女を捕虜にしてくるとは思ってもいなかったのだ。
まして、ダスターンに至っては、二重の驚きに、身体を左右に揺らしていた。
「女に負けていた。でも、皇女だった」
途方に暮れているダスターンを、マフディが引きずって天幕から出た。
俺は、ドゥバーンに視線を送り、目だけで
「何か策は?」
と、問うてみる。
「愛してます」
目だけで以心伝心とは、思いの他難しい。
ドゥバーンの視線は、潤んでいた。だから、彼女の気持ちは伝わった。だが、俺の想いはスルーされた様だ。
重過ぎるドゥバーンの想いは、この際気付かないフリをしよう。俺は慌てて視線を外し、自分の考えを述べることにした。
「ジャムカ、貴女の選択肢は二つだ。これから、カザンに使者を出す。
貴女と引き換えにサーベを返すよう、俺は要求するつもりだ。嫌ならば、アエリノールの奴隷になってもらう。決して、殺しはしない」
「ひっ……わ、わかった。要求するのならば、するが良い」
俺はただ、ジャムカを殺したくない一心で、むしろ部下達が納得する建前を必死で考えたに過ぎない。戦場で人を殺せても、何故か「殺せ」の一言が言えない俺なのだ。
それにしても、人質をとって開城を迫るとか、ある意味で俺は、とっても酷い事を言ってるのではないか? と思ったけれど、まあ、いいか。
それよりも、アエリノールの奴隷になるのがよっぽど嫌だったのか、ジャムカがすんなりと俺の提案を飲んでくれたのが驚きだった。
捕虜の接見が終わり、会議に移って後、カザンに対する使者を選ぶ段になった。
使者には、死んでも安心なカイユームを俺は選ぼうとしたのだが、しかし、ここでドゥバーンがちゃっかりとシャシャリ出てきたのだ。
「使者には、拙者が立ちましょう。なに、シャムシールさまの妙案、実現するには拙者が適任かと。されど、カイユーム。すまんが副使として同行してもらえぬか?
お主がいれば万が一の場合、転移で脱出する事も可能であろうし、何より、お主、交渉事は得意でござろう」
「な、なな、何のことですかなっ?」
カイユームの眼鏡の奥が怪しく光った気がしたけれど、相変わらずガチガチと顎が鳴っていたので、やっぱり気のせいだろう、と俺は思った。




