不協和音と忠誠と
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俺はヤズドでダスターンと合流したのだが、ヤズドとは、ヘラートとサーベの中間に位置する農村地帯だ。
だから、風に柔らかく靡いた草花が、何処か牧歌的な場所だった。とすれば、この地を戦場にするのは、多少なりとも心苦しい、いたいけな俺である。
近隣に住む農民達は、戦を控えて、既に避難を済ませていた。
ドゥバーンが事前に手配して、数日分の食料とお金を与え、ヘラートに避難させていたのだから、完璧だ。
もっとも、住民に対する配慮は、シャジャルが主張した事だった。
行軍中、ヘラートを越えた辺りで野営している時、シャジャルがおずおずと俺の天幕に現われて、こう言ったのだ。
「兄者、民を戦火に巻き込むのでは、アシュラフと何ら変わりませぬ」
可愛い妹にそんな事を言われたら、優しく逞しい兄としては、頷くしかないではないか。
「うむ。民は皆、ヘラートに非難させよう」
「はいっ! では、へラートに着いても民が困らぬよう、兄者とあたしのお金を渡しておきますね!」
あの時、嬉々として自分の天幕に戻るシャジャルの青髪は、篝火に揺れて、天女の様だった。
こうして俺は、守護騎士の将軍位にありながら、一切の貯金を失ったのである。
そもそも、闇隊にも俺の私財を投じているのだから、偉くなっても、俺のお小遣いは相変わらず少ないのだ。
だからこそ、俺はネフェルカーラがどこから持ってきのか分からない服を着続けて、家財道具も、全てネフェルカーラが仕入れたモノを使っている。それなのに、またお金を失ってしまった。
何という事だ……でも、シャジャルが喜んでくれるなら、止むを得ない。
◆◆
ダスターンと合流した俺は、少しばかり躊躇いながらも、近隣に全軍を展開させた。
総勢、十三万が陣を敷くのだ。畑が多少荒れるのは、仕方ない。何より、敗北する事の方が問題だ。
簡易的な陣が築かれると、ナセルから送られた食料を盛大に振舞って、ダスターンが率いていた敗軍の腹を満たす事にした。
敵軍の姿は見えないが、ザーラが言うには、三日と離れた距離ではない。となれば明日、明後日には、対峙する事になるだろう。ならば今夜の夕食が、戦闘前の兵達にとって、ゆっくり食事をする最後の機会なのだ。まして、敗戦の続いた兵の士気を上げるには、この機会を逃してはならなかった。
俺は、再びザーラの部隊を偵察に出すと、全軍に休息を命じた。これで、少しでも将兵が鋭気を養ってくれれば良いと念じながら。
辺りが藍色に包まれ、秋風が大地を撫でている頃、俺は天幕の中で唸っていた。
兵達には休息を与えても、将達は頭を悩ませなければならないのだ。
当然、来るべき戦いに向けて、軍議をする必要がある。とはいえ、正直、俺の中では既に方針が固まっているのだが。
「そういえば、兵達に酒の許可も出せば良かったかな?」
「ああ、そうだね! わたしも果実酒を飲みたいな!」
軍議の最中、外から聞こえる兵たちの笑いさざめく声を耳にして、俺は自分の寛容さをアピールしようと思った。何しろ今は、俺の部下達だけではなく、ダスターンとマフディ、それから、彼等配下の千人長達も、俺の天幕に集まっているのだ。
そして俺は、敗北したダスターンに代わって、全軍の総指揮を取る立場であるから、皆に少しでも良い所を見せたい。
しかし、そんな俺に同意したのは、唯一、問題児アエリノールだけだった。下座の方で、にこやかに手を上げて発言をしている。ていうか、オマエは飲んじゃダメだ。
しかし、俺を頂点として座る会議の席は、一層無言になってしまった。何でだろう?
「シャムシール卿。私も実はアエリノール殿のご意見に賛成なのだが、如何せん我等は守護騎士。聖帝を守護すべき立場の者が、聖典を蔑ろにするのは、いささかマズかろう」
こっそりと俺に耳打ちしてくれたのは、ダスターンの副将、マフディであった。
わざわざ、ダスターンの隣に座っていたものを、立ち上がって俺の側に来る辺り、気遣いの出来る男だな。
しかし、俺はそれで納得した。
俺は普段、黒甲将軍府で生活している。そして、その生活全般が、大体ネフェルカーラに侵食されているので、正直、聖典の戒律など、ほぼ無視して生きていた。
だが、今回合流した守護騎士達は、首都ヘラートにいる生粋の者達だったのだ。
言ってしまった感満載で、俺は瞼を閉じて唸った。
「ま、シャムシール将軍、冗談はその位にして……実際の所、本当に勝算があるのか?」
一つ咳払いをして、黒髪の勇将ダスターンが俺を見つめている。
多分、フォローしてくれたのだろう。
ひたすら真面目君のダスターンだが、決して悪いヤツではない。どちらかと言えば、超成り上がり者である俺に好意的ですらあるのだから、もしかしたら、変わり者の部類かも知れないな。
もっとも、俺の発言に関しては、「あとで説教してやる」みたいな目で見ていたので、無条件に味方、という訳でもないのだろう。
「ああ、そうだな。兵達の楽しげな声が聞こえたので、つい、俺も冗談を言ってしまった。
――もちろん勝算についてだが、当然、ある。そもそも、俺は勝算の無い戦いはしない主義だ」
「おお……」
「おお、流石、黒甲将軍と名高きお方」
会議の座は、俺への感心で揺れ、どよめいた。
俺としては、「酒の許可」発言がうやむやになって重畳だが、感心されすぎても困る。
あくまでも、作戦立案はドゥバーンなのだ。
勿論その要になるのは、またしても俺で、無茶な事をやらされる事になるのだが、もう、それは諦めている。
とはいえ、同時に「何が黒甲将軍だ。一時の運で成り上がっただけではないか、調子に乗りおって」といった、俺に対する否定的な声も、僅かだが聞こえていた。
ジャービルとシャジャルが「殺すぞ」と言わんばかりの視線で、俺を否定する者を睨みつけている。
このまま無駄な対立が生まれれば、会議どころでは無くなるので、俺は急いでドゥバーンに具体的な作戦を説明してもらう事にした。
「ドゥバーン、皆に説明を」
「はっ」
俺の声にドゥバーンが答え、一礼する。
座の中央に広がる地図を指差し、各隊を模した木版を地図上に配置してゆく。
その間、時折、外から兵の笑い声が聞こえたりもするが、天幕の中は、皆、真剣だった。
周囲にある篝火が揺れると、各人の影も揺らめき、緊張感を煽るようだ。
「――このように、敵の弱点を攻めれば崩れるは必定。退路は、必ずしも断つ必要はござらん。この一戦で全ての決着が付くほど、クレイトは甘い相手ではござらぬ、と、シャムシールさまはお考えにござる」
ドゥバーンは、作戦の説明や戦闘指揮の時だけは、噛まない。
むしろ、蒼い左目が氷の刃に見える程澄んで、彼女に見据えられた者は、内心を見透かされている様に感じた事だろう。
だから説明が終わったあとに平然としていた者は、俺と、俺の部下、それからダスターンとマフディだけだった。
ドゥバーンに内心を見透かされたと感じたものは、総じて冷や汗を浮かべている。
やはり、兵力において倍以上の開きがある敵と、正面から戦いたい者などいないのだ。俺やドゥバーンが幾ら勝てると言っても、誰だって尻込みするのだろう。
まして、俺がいくら黒甲将軍と言われ、称えられた所で、元からシバール最強と呼ばれていたダスターンの名声には及ばない。
――となれば、諸将の言いたい事はよくわかる。
「ダスターン将軍に勝てなかった敵を、青二才のシャムシールなどが倒せるものか」だろう。
実際に「青二才め……それを机上の空論というのだ」という言葉も囁かれていた。俺には聞こえないと思っているのだろうか?
俺は、軽く舌打ちをした。
反論であって代案があるならば構わないが、反発だけなら求めてはいない。まして、意見ではなく、出来るだけ聞こえない様に言う愚痴など、会議の席では何の意味も無いだろう。
だから、俺は不快だったのだ。
「だれが、青二才なのだ? どの口が、我が君を貶めた? くくく……その舌、要らぬ様だな。貰い受けてやろう」
俺の舌打ちでも聞こえたのだろうか? ジャービルが立ち上がると、静かに俺を罵倒した男の下に近づいた。
「ジャービルっ! 刀を抜くなっ!」
慌てて俺はジャービルを止める。
幾らなんでも、青二才と言われた位で俺は怒らない。
問題があるとすれば、俺の指示に従わない者がいて、それが原因で作戦が失敗することなのだ。
ジャービルは瞬間移動でもしたかのように素早く、俺に悪態を付いた男の正面に座った。
そしてジャービルは口元を歪め、男の頬を手の平で”ひたひた”と叩く。
「シャムシールさまに救われたな? 俺は、貴様などいつでも殺せるのだ。あまりふざけた口を利くなよ。くくく」
このジャービルの行動に、座が凍り付いてしまった。
これでは、俺の配下とダスターンの配下の連携が、まったく取れなくなってしまう。そう思っていると、ダスターンが立ち上がって、またもフォローしてくれた。
「俺は、シャムシール将軍を信じる。
何より、この策でもっとも危険なのは、シャムシール将軍であろう。
それでも尚、この作戦に反対するものは、即刻陣から立ち去るが良い。そのような者、俺の配下には要らぬ!」
そして徐に俺の前に跪くダスターンは、俺に立ち上がる事を促していた。
これは、俺に忠誠を誓うとでもいうのか。
「はやくしろ、シャムシール。もはや、俺がお前に従う姿を見せねば、軍の統率など出来ぬ」
「だ、だけど、俺とダスターンの格式は一緒でしょ? それを……」
「勝利を求める為に、お前は危地に入るという。ならば俺は、お前に従う程度の事、して当たり前だ。さあ、さっさと俺の忠誠を受け取れ」
俺とダスターンの会話をニヤニヤしながら見ていたのは、マフディである。
コイツは、それでいいのか? と若干思ったが、これ以上ダスターンを跪かせ続けるのも申し訳ない。
俺は立ち上がると、右手をダスターンの前に差し出した。
ダスターンは丁寧に俺の右手を取り、額につける。
それにしても、ダスターンの黒髪を覆う赤布は、相変わらず豪華だ。俺も欲しいな、とちょっとだけ思ってしまった。
◆◆◆
翌日、正午を回る前の事である。俺がアーノルドと談笑していると、黒尽くめの女が現われた。
漆黒の甲冑を着た将軍が漆黒の竜と会話をしていたら、漆黒の女が現われたのだから、他人が見たら禍々しいことこの上ないだろうな。
そう思ったら、俺は現状を冷静に受け入れたくない気持ちになった。
「敵が、一ファルサフ(約五キロ)先に迫っていますわ」
しかし、ザーラは紫色の唇を吊り上げて、柔らかな声で報告をする。
彼女に悪気は無いのだ。むしろ、しっかり働いている。俺は、自身の後ろめたい気持ちをしまい込み、敵の行軍の早さに驚いた。
「……ふむ。伏兵や別働隊は?」
「伏兵も、別働隊もありません。切り離すとしたらこれからですが……」
「ならば、その前に此方から動く。
ザーラは、このままジャービルの下で戦ってくれ」
「はい。勿論そのつもりですわ、シャムシールさま。ただ、我が配下は、未だ敵中に潜入しておりますが……うふふ」
「ああ、それは助かる。でも、危険だろう?」
「我等、命を賭してシャムシールさまの為に働いているのです。今回の戦で、万が一にも貴方さまが命を落とされませぬよう、私なりに最善を考えたのですわ」
ザーラの微笑は、どことなくネフェルカーラと似ている。
実際、今もザーラが現われた瞬間、俺は、「あれ、ネフェルカーラ?」と思った程だ。
それにしても、紫色の唇が怪しく歪む様は、いっそネフェルカーラよりも凶悪に見えるザーラだ。
ネフェルカーラが言うには、彼女は純血の魔族、との事だが、そんな純血の魔族を足蹴に出来るネフェルカーラは、一体何なのだろう。
そう言えば、一度だけ、俺はそんな疑問をザーラに語った事がある。
「純血と言えども、真祖や継承者には勝てないのです……」
ザーラは伏目がちに答えてくれたが、俺に意味が分かる訳も無い。とりあえず凹んでいる様なザーラを励ますつもりで、俺はこう言った。
「まあでも、俺はザーラの方が美人だと思うから、気にしちゃダメだよ! 強さなんて、基本的にどうでもイイんだから!」
この会話の翌日、ザーラの両頬は大きく晴れ上がっていた。しかし、彼女は清々しい瞳で、
「私は、いのひ(命)がある限り、シャムシールさまにひゅうへい(忠誠)を誓いまふわ」
と、俺に言ってくれた。
事実、その日から今日までの彼女の働きは、闇隊でも群を抜いているのだ。
もっとも、ジャービルの薫陶もかなり徹底しているから、彼女が命さえ惜しまず働くのは、色んな要素があるのだろうけど。
どちらにしても、敵中に味方がいる、という事だ。ザーラの配慮は、本当に感謝したい。
ザーラが俺の前から姿を消すと、俺はアーノルドに飛び乗った。
それからダスターンの下へ行き、軍を動かす旨を伝える。
「ダスターン! かねての予定通り、俺は本隊を率いて先行する。ダスターンは、なるべく重厚に、ゆっくりと、前進してくれ!」
ダスターンは俺の言葉に頷き、馬上の人となる。
黒髪の勇将は、俺の黒竜を見て驚いていたが、今はそれ所ではない。俺は、さらにアエリノールを呼び、全軍から二千三百人程を切り離した。
本隊と言っても、アエリノール隊とセシリア隊、それからジャービルが率いる闇隊の一部で、ドゥバーンが率いる俺の直属部隊はいないのだ。しいて言うなら、オットーだけは俺の護衛と称し、百人程を率いて参加するが、竜に乗ってる俺に護衛など、本来は必要無い。
俺が低空でアーノルドを羽ばたかせていると、白金の竜を駆るアエリノールが近づいてきた。
「シャムシール、竜に乗っての戦闘、初めてでしょ、大丈夫? あんまりわたしから離れないでね?」
首を傾げて俺に問う姿は、流石に上位妖精。誰よりも美しい。
それに、千人長という立場上、鎧もそれなりに上質なものを着用しているから、凛々しくもあった。
アエリノールの銀色の鎧は、陽光を反射して鈍く輝いている。それに多少、自分で魔力を付与してもいるのだろう。白く淡い、オーラの様なものも纏っていた。
「大丈夫。俺、実は馬に乗るより、竜に乗るほうが得意なんだよ」
これは、事実だった。何故か、俺は馬よりも竜に乗る方が得意なのだ。意志の疎通が容易だからかも知れない。正直、馬の気持ちなんか分からないのだ。
そんな俺とは逆のセシリアが、地上で合図を待っていた。
多分、クレイト帝国相手に暴れ回る事が嬉しいのだろう。
あの赤毛の女騎士は、鎧さえ赤く塗って、赤を自分のパーソナルカラーにした様だった。そんなに目立ったら、敵に狙われるよ、まったく。
俺は竜を羽ばたかせ、さらに低空に下りると、本隊に宣言をした。
「行くぞ!」
俺の号令に、空を見上げたジャービルが頷き、馬を走らせる。それと同時に、真紅の女騎士も先頭を駆けて、総勢二千三百の本隊が動き始めた。




