熱砂の中で
◆
じりじりと照りつける太陽が、乾燥した大地を熱し続ける。
行軍の速度が速いのか遅いのか、俺にはどうにもわからないが、それにしたって、流れる汗の量がハンパない。
水分補給はこまめにね! なんて思いながらも、俺はあんまり体力を消費している気はしなかった。
それよりも、興味が沸いたことがある。ていうか、重要なこと。
「ねえ、蛮族って千人もいるんだよね?」
「ん? そうらしいねぇ」
「でも、さ。俺たち、その半分もいなくない?」
「ん? いないねぇ」
これで勝てるのかよ! って、思う。そりゃさ、出兵する兵士が少ない方が、お金が掛からないかも知れないよ。でもさぁ。負けたら意味ないぞ! って思うわけだ。
ファルナーズの率いる騎馬隊を先頭に、三つの百人隊が続いていた。ついでに言えば、騎馬隊も、多分、百人隊だった。
単純計算で、四四〇人なんですけど。鬼も人って数えた場合……だけど。
あとは、荷車を抱えた輜重隊が五十人程いるけど、これは流石に戦わないだろうなぁ。戦ったところで、数的に、焼け石に水だと思うけど。
ほら、不安要素満載。恐怖心しか湧いてこないよ?
「おい新入り。俺たちは”サーリフ・マルムーク”だ。自信を持て! その辺の蛮族如き、千が万でも敵じゃねぇよ。うわはは」
俺とハールーンの会話に入ってきたのは、十人長のロスタムだった。
ロスタムは、浅黒い肌にがっしりとした体躯、短く刈り込んだ黒髪と、やはり同じく黒色の小さな一本角がある、いかにも兵士、といった感じの人(鬼)だ。
ちなみに、この人も強い。
俺はこの一ヶ月で急速に成長して、実戦でなければそれなりに強くなったと思うが、この人とハールーンには未だに勝てなかったのだ。腕相撲では勝ったけどな! 圧勝で!
「自信持ったって、死んじゃったら意味ないじゃないか」
なんて言ったら、別の十人隊の人にすごい目で睨まれた。
後で聞いたら、このサーリフ・マルムークで、ここまで弱気な奴を見たのは初めてだって事らしかった。
くそう。ここは、どいつもこいつも「脳筋」だらけだ。
「ま、新入り。何だかんだ、初陣だ。とにかく俺たちから離れなきゃ、死ぬこたぁねえよ」
答えるロスタムの声は投げやりだったが、微量の優しさを含んでいる。バファ〇ンみたいな奴だ。頭痛にバファリ〇、戦にロスタム、だな! 何だかんだ言って見捨てたりはされないんだろう。されないよね?
「そうだねぇ。ボクたちから離れないようにねぇ」
うん、ハールーンとロスタムの言葉が頼もしい今日この頃です。信じよう。信じる者だから、俺は救われるはずだ。
こんな荒涼とした大地を一体何時間進めばいいのだろうか? 視界には、見たくも無い墓標と潅木が映り、流れていった。
それでも、俺は特に疲労を覚えるわけではない。やっぱり、身体は軽い。鎖帷子の重さも、盾の重さも全く感じない程である。基本装備の槍なんかは、小枝の如くだ。これも、ここに来たことによる筋力強化のおかげだろうか。
とはいえ、それでも腹は減るのだ。朝食を殆ど食べられなかったというのもあるし、何となく安心したことで、食欲が戻ったのだ。となれば、俺は、休憩が待ち遠しかった。
空腹を覚え始めて数十歩である。俺の腹の音が鳴るのと同時に、小休止の号令でた。なんとタイミングの良い事だ。まちに待った昼飯である。
たしかに、ここなら見晴らしも悪くない。敵が万が一現れても奇襲をかけられました、大変ですよ、桶狭間。みたいな事にはならんだろう。
とにかく、輜重隊から干し肉と乾燥パン、それから水を分けてもらうと、俺は自分の部隊に戻ってから腰を下ろした。
「どうじゃ、息災か? シャムシール」
俺がむっしゃむっしゃと干し肉を食べていると、頭上から銀髪の小鬼が声をかけてきた。曲がりなりにもこの部隊の将が俺のところに来たようだ。しかも、徒歩。いや、なんでだ?
朝、遠目に見た純白の鎧が輝いているよ。眩しいってば。
だが、俺の目を引いたのは足だ。鎧の隙間から覗く素足は、純白の鎧に負けず劣らずに白い。僅かに紅がさしたように見えるのは、彼女の生きている証であろう。俺は救われた思いがした。目が潤み、拝むように見つめる。
ああ、女神よ……よくぞお越しくださいました。頬擦りさせて頂いてもよろしいでしょうか?
「息災のようじゃの……」
じっとりとした目線で俺を見下ろして、ファルナーズは口を開く。ちなみに、俺の目線は、彼女の下半身で止まりっぱなしだ。もしも今日死ぬのなら、見納めである。見ないでいられるものか!
「やあ! ファルちゃん」
「ハールーン! だから……そう呼ぶなというておろうが!」
しっかりと平伏するロスタムと、同僚の十人隊員を尻目に、ハールーンは座ったまま、微笑を浮かべて乾燥パンを食べ続けている。
やっぱ、ハールーンって、すごく謎だ。
「シャムシールよ。一つ、わしと剣の稽古をせぬか? 普段はわしも忙しいゆえに、なかなか相手をしてやれぬが、今ならばよかろう……もっとも、多少の時間じゃがの」
おい。今の方が多忙の時間に入ると思うぞ、ファルナーズ。俺と遊んでる場合じゃないぞ。と、思う。
「お断りします。今、敵が攻めてきたらどうするんですか」
俺はもっともらしい理由で断る。なにしろ、このテュルク人とやらいう鬼は、常人の何倍もの筋力を有するというのだ。てことは、だ。この小鬼がその外見に反していることは、ほぼ間違いない。まして、奴隷騎士の序列に則れば、俺如きは瞬殺だ。稽古だって大変なことになってしまう。
「ふむ。敵が攻めてきたらのう……それならば、わざわざ我等が出向く必要もないというもの。丁度良いではないか? 蛮族如き、そのまま返り討ちにすればよかろう」
うわぁ。猛々しい。この人猛々しい。
「……その刀、存分に使ってみるがよい。では、ゆくぞ」
うわ。しかもこの人、人の答えも聞かずに勝手に構え始めた。危ない人だ。やっぱり。
でも、まあ、いいか。確かにこの刀の稽古は、他の人相手には出来ない。それに付き合ってくれるというなら、有難いかもしれない。
一直線に俺に向かってきたファルナーズの突きを、俺は立ち上がりざま、後ろに下がってかわす。すぐさま、腰の曲刀を抜き放ち、身構えた。
「ほう。構えは人並みになったのう。わしに打ち込んでみるがよい」
余裕なのか? それもそうか。稽古といえども、俺なんか相手じゃないってことか。
ファルナーズは、やや小ぶりな曲刀をだらりと下げると、俺を挑発するように微笑を浮かべた。
「怪我をしても知りませんよ!」
さすがに、俺もムキになるらしい。明らかに年下の女の子(鬼だけど)にこれほど挑発されれば、一撃くらいは入れないとかっこ悪いではないか。
右から撃ちかかり、左、突き、と、そこまでやった。しかし、全て刀を弾かれ、最後には飛ばされてしまった。呆れた膂力である。もっとも、最後に刀を飛ばされたのは、弾かれた、というよりも絡めとられた、といった方がいいか。
「ふむ。踏み込みが足らぬ。そのくせに、攻撃が直線的……まだまだじゃのう。が、まあ、わしの初撃をかわしたのは見事であった。これからも精進せよ」
そういうと、ファルナーズは踵を返す。
横には、いつの間にかファルナーズ直属の部下が控えていたようだ。
「ファルナーズさま、このような行動は困ります。ご自身のお立場をわきまえて頂きませんと」
「わかっておる。戦の前の余興のようなものじゃ。すまぬ、ネフェルカーラよ」
顔までも隠す漆黒の衣を身に纏い、戦場に向かうというのに鎧すらも身に着けていないファルナーズの部下は、切れ長の目から覗く翡翠色の瞳を一瞬だけ俺に向けた。
だが、俺は不思議なものを見ていた。
黒衣の周りには、青白い何かが揺れているのだ。ネフェルカーラと呼ばれた者を覆うような、なにか。形容しがたいものではあるが、それは間違いなく力だ、そう確信出来るものであった。
いやいや、その前に、あの格好は熱くないのか? む。それはどうでもいいか。
「なあ、ハールーン。ネフェルカーラって人の身体から、なんていうのかな? 妙な青白い光が見えたんだけど……」
俺は、二人が去った後、最後の干し肉を寂しげに見つめるハールーンに聞いてみた。
「あれが、対魔法防御だよぉ。ルーチンも出てるよぉ。見えるようになったんだねぇ」
「え?」
俺は、思わず股間を見る。出ていない。それはそうだ、今日は下着つけてるもの!
「いや、ルーチンって! 俺はフルチンじゃねえ! そう呼ぶな!」
「あははぁ」
ていうか、そんな馬鹿な。俺にもそんなものが出てるのか。ちょっとまじまじと見てみよう。
うん。わかんねぇ。鏡もないし。
「わかんないんだけど」
「あははぁ。シャムシールのは、そんなに強力じゃあないってことだよ。ただ、ね。これを常時纏えるのは、高位魔術師だけなんだよぉ」
「はぁ? じゃあ、なんで俺が使えてるの?」
「うぅん? ボクにわかるわけないじゃない」
「でも、ハールーンは魔法を使えるだろ? なにかわからないの?」
「ボクが使えるのは精霊魔術だけだよぉ。古代魔術の方は全然」
「わ、わかんない。なんだそれ……じゃあ、俺の指から出る火はどっち?」
「精霊魔術ぉ」
「うむ。ハールーンに教えてもらってるんだから、当然そうなるな。てか、もうちょっと詳しく教えてよ。俺、火のつけ方しか教えてもらってないし!」
「それは、キミが『炎』を出したい! って言うからでしょお。
うーん。簡単に説明すると、精霊魔術は、精霊の力を借りて発動させるもので、古代魔術は、自らの内なる力が源になっているってことだよぉ。
ボクも子供の頃習っただけだから、魔法はホント、全然詳しくないんだよぉ。精霊魔術だって『炎属性』の魔法しか使えないしねぇ。興味があるなら、いずれ、ネフェルカーラさまにでも教えてもらったらどうかなぁ」
「うーん。まあ、そうだなぁ」
いずれ、か。
この世界に来て一月。長いようで短かった。その間にやったことと言えば、剣の訓練とささやかな仕事。それから、魔法を少しかじっただけだ。いずれ戦争に駆り出されるって思ってたけど、こんなに早くとは思わなかった。
本当に、これからもこの世界で生きるしかないなら、色々と真剣にやる必要がありそうだ。
その為にも、この戦いからは絶対に生きて帰らないと。
って、真面目に考えてたら、おしっこしたくなっちゃった。
そして、休憩は終わり、行軍が再開された。
あ……。まってぇー。おいてかないでぇー。
俺は、軍からちょっとだけ離れて出すものを出した。そしたら、自分のいた場所を探すのに、ちょっとだけ苦労したのである。
今度から、必ず休憩の時に、おしっこはしようと思う。
◆◆
本陣に戻ったファルナーズは、愛馬「バルフ」の手綱に右手を伸ばす。だが、右手には、どうにも力が入らなかった。
白磁の様な顔をやや顰つつ、代わりに左手で手綱を掴み、騎乗する。
未だ、シャムシールの曲刀を受けた右腕が痺れているのだ。
正直、まさかこれほどの力があるとは思わなかった。
ファルナーズのもつ曲刀も、シャムシールの物と同種の「魔剣」である。だからこそ、刀では打ち負けていない。実際に、彼の刀を弾きもした。
しかし、最後は、彼の刀を飛ばさざるを得なかったのだ。
あれ以上打ち込ませれば、腕がへし折られていたであろう。
「父上に本気で打ち込まれても、こうまではならぬ……ふ、ふふ」
あの父が気に入る理由がわかった。あれは、まさしく「カルスの魔人」であろう。
だが、まだ足りない。「カルスの魔人」の力はこの程度のモノではない。これは、その力の一端に過ぎぬはずだ。
早く、その力の全てを見て見たい、と、ファルナーズは思う。
その力で、シャムシールが父を援けてくれるならば、どれほど心強いことか、と考える。
ハールーンも、その力の底が測れぬ程に、強い。
ネフェルカーラは、言わずもがな。
そして、自分も、さらに強くなる。
ファルナーズ自身が大人になった時、父の野望は遂げられるのではないか。
この国が父のモノとなる、それこそが、ファルナーズの望みであり、そして、サーリフの野望である。
三年の時がかかる。
ファルナーズは、三年後を夢想する。
自らを中心として、彼等がいるのだ。そうなれば、父の為に国を獲る事など造作もない、と、ファルナーズには思えるのであった。
右腕の痺れは、治まった。
ファルナーズは、乾いた熱砂が細かい粒子となって、世界に弾けてゆくのを見つめる。
夢想は終わりだ。
進む先には蛮族がおり、それを蹴散らせば、父はマディーナの太守となる。
全ては、そこからであった。
「進軍せよ!」
高らかに、進軍の再開を号令する。
目指す蛮族の砦には、明日にも到着するであろう。
久しぶりの戦闘に、ファルナーズの血は滾る。遥か昔、竜種に匹敵するとまで言われた巨人の末裔の血が、彼女にも流れていたのだから。
戦闘に突入出来なかった……。
ファルナーズのせいだ……。