往く者と残る者
◆
大将軍シェヘラザードの命令を受けた翌日、俺は群青玉葱城にいるファルナーズを尋ねた。
城に入ると謁見用の広間に通されたが、暫くすると、中庭に来るよう呼ばれたので、俺は外に出る。
中庭では、ハールーンとファルナーズが剣技の訓練で汗を流していた。
どうやらファルナーズは、訓練に熱中するあまり、広間に戻りたくなくなったらしい。
「どうじゃ、シャムシール! クレイトと戦う前に、わしの相手をせぬか?」
ハールーンの曲刀を跳ね上げながら、笑みを浮かべるファルナーズは、玉の汗を光らせ、それはもう美しいかった。
彼女のツインテールは陽光に揺れて輝き、青い絹衣の隙間から見える白い肌は、神々もかくや、という程に瑞々しいのだ。まさに、眼福である。
ああ、ツインテールは偉大だな――
「兄者……あたしは最近、兄者が何を考えているのか、解る様になってきました」
俺の口元がだらしなく緩むと、青いジト目が俺を突き上げるように見ていた。
そうだった。今日、俺はシャジャルを伴って城に来ていたのだ。
ファルナーズとシャジャルは、実は、随分と仲が良い。しかし、太守と千人長という身分差の為、ファルナーズがお忍びで俺の家に来るか、今回みたいに、俺と一緒にシャジャルが城に上がらない限り、二人は会えない。
なので、俺はファルナーズに会う時は、出来るだけシャジャルを伴う様にしていたのだ。
しかし、ファルナーズに見惚れてシャジャルにジト目を向けられるなんて、無念だ。ここは一つ、誤魔化さねばなるまい。
「ふっ、シャジャル。
一見するとハールーンが押されている様に見えるがな、実は、ハールーンは本気ではないんだぞ」
「そ、そうなのですかっ? あたしはてっきりファルさまをイヤラシイ目で見ているのかとっ!」
「まさか。二人の剣技を見ていたのだよ」
「ごめんなさいっ! 兄者を誤解していましたっ!」
赤く染まった頬を両手で覆う青髪の妹は、ジト目をやめて、ハールーンとファルナーズの訓練に目を向ける。
どうやら、なんとか誤魔化せた様だ。
いや、実際、ハールーンは本気ではない。とはいえ、それはファルナーズも同様だろう。
お互い、剣舞をやっている様なものだ。それでも、周りの奴隷騎士達は感心して、声もなく眺めているだけである。それ程、彼等の剣技は群を抜いたものだった。
「遠慮しておきます。出陣前で忙しく、あまり時間がありませんので」
「ふむ、それもそうか」
二人の刃が止まったところを見計らって、俺はファルナーズの問いに答えた。
さしあたり、忙しいというのは事実だが、訓練する時間がない程ではない。だが、体力無尽蔵な小鬼の相手をすると疲れるので、俺は拒否しただけである。
すると、ハールーンが先に刀を鞘に収めて、俺の側に歩いてきた。多分、ハールーンは訓練をやめるタイミングを計っていたのだろう。目元が「助かったよ」と語っていた。
それにしても、流石に万人将ともなると、ハールーンでさえ貫禄が出てくる様だ。
朱色の髪の毛は相変わらずチャラそうに軽く跳ねているが、上質な絹衣を纏って、涼やかな笑顔を俺に向ける様は、まるでどこぞの貴族みたいである。
対する俺は、相変わらず黒尽くめの格好だ。
せめてもの慰めは、黒絹を使った上質な衣服であることだが、元を正せば、ネフェルカーラが自分の服を仕立てるついでに作らせたモノなのだ。だから、どうも釈然としない。
「ダスターン将軍が負けた相手と戦うんでしょ、大丈夫ぅ?」
褐色の額に浮かんだ汗を拭いながら、声を潜めて俺に言うハールーン。流石に、大勢の前でダスターンの敗北を言うつもりはない様だった。
「うむ。わしの軍も幾らか連れて行くか? 将は、ハールーンかネフェルカーラで」
続いて俺の側に来たファルナーズも、心配そうに眉を顰めて言う。
「いや、そんな事をしたら、マディーナの戦力が低下します」
俺は、首を大きく横に振って否定した。
今日、俺が来た名目は出陣に先立っての挨拶だけれど、本題は別にある。
俺は今、闇隊を各地に放って情報を集めている。場所によっては、工作を行っていたりもする位なのだ。
当然、幾つかの重要な情報を掴んでいるのだが、そこから判断するに、いよいよナセルがヘラートに向けて動く可能性が高い。それに、フローレンス帝国にも不穏な動きがあった。
俺は、それをファルナーズに伝える為に来たのだ。
名目の挨拶が、まだ済んでいないが、丁度会話が本題に向かっていた。ならばと、俺は続けて大切な話を続ける事にした。
「俺がマディーナを出たら、ナセルがヘラートに向けて動くはず。それに、フローレンス帝国にも不穏な動きがあります。そんな時に、ハールーンやネフェルカーラがここを離れるのは良くないでしょう」
「ナセルが……」
真紅の瞳を揺らして、ファルナーズは目を細めた。
多分、彼女の感情は、憎悪に染まっているのだろう。だけど、だからこそ、俺は言った。
「ナセルが動いても、戦わないで下さい。決して、あの男に敵対してはいけない」
この事に関して、俺は幾度もドゥバーンと話し合ったのだ。
単純に、俺がナセルを怖がっている訳ではない。
聖帝の軍がダスターンに率いられ、クレイトに大敗を喫して半減した今、ナセルの軍はシバール最大になっている。
勿論、シェヘラザードが黙ってやられるとは思わないが、ナセルには、まだ何か奥の手があるはずだ。
今のところ、その奥の手を探る為、シュラをオロンテスに潜入させている。だが、シーリーンとの暗闘は、どうやらシュラが後手に回っている様だった。
「うん。ボクもナセルと戦うのは反対だねぇ。サーリフさまの件を許すことは出来ないけれど、兵力差がありすぎる」
ハールーンが伏目がちに、俺に同意していた。
これに関しては、それこそシーリーンというファクターもありそうだが。
「だがっ! ナセルが動くとして、それがヘラートへ向けての軍事行動ならば、まさに逆賊じゃ! それこそ、わしとシェヘラザードさまで挟撃すれば勝てるではないかっ!」
髪色と同色の美麗な眉を吊り上げて、ファルナーズが激昂している。
それにしても、ファルナーズは怒っても可愛いな。
「そうだねぇ。ナセルがそんな風に動いてくれたら、ボクも良いと思うよぉ。それなら、戦う事に反対なんかしないよぉ。でも、ボク等が気づく事に、ナセルが気づかないとは思えないんだよねぇ。
……それに、フローレンスが動いたなら、間違いなくマディーナは戦場になる。ナセルと戦っていたらフローレンスにマディーナを奪われた、なんて事にはなりたくないからねぇ」
間の抜けた声を出すハールーンに、ファルナーズが射抜く様な視線を向けた。
だが、まさにハールーンの言う通りなのだ。それが言いたくて、俺もここに来たのだ。
「そう、ハールーンの言う通りです。
とにかく、俺が戻るまで何もない事を祈っているけど、もしもナセルが動いたら、決して戦わないと約束して欲しい」
ハールーンと俺の言葉に沈黙してしまったファルナーズを見て、青髪の少女が、さらに援護射撃をしてくれた。
「あの、あたしからもお願いします。兄者はファルナーズさまの事を、本当に心配しているのです」
「……わかった。シャムシールがそこまで言うのだ、わしも自重する。
だが、その代わり、必ずクレイトに勝つのじゃ」
不貞腐れた様に、”ぷい”と顔を背けたファルナーズは、それでも俺の提案を了承してくれた。
そして、なぜかシャジャルの手をとり、上下に”ぶんぶん”と振っている。
「ああ、もう! シャジャルは可愛いのう! 相変わらず可愛いのう!」
うむ。どうやら、俺が真面目に言ったからというより、シャジャルが可愛いからファルナーズは、ナセルと戦わない事を了承したのだろう。
なんだか、とてもバカバカしくなってきた。
◆◆
「なぜ貴様がここにおるのかっ!」
ファルナーズと約束を交わしてから二日後。暦の上ではアーバーン月(十月)も、間もなく終わる。日本だったら、紅葉でも始まる頃だろうか。もっとも、ここは砂漠のオアシス都市。オールウェイズ夏だった。
まあ、その中でも多少の温度変化はあるが、あくまでも多少だ。昼と夜の寒暖差の方が、遥かに大きい世界なのである。
さて、そんな世界の俺の寝室では、何故か俺の左隣で横になり、目を擦るドゥバーンがネフェルカーラに怒られていた。
ちなみに、ネフェルカーラは俺の右隣で半身を起こし、薄布一枚を纏っただけの姿である。
「せ、拙者、シャムシールさまに報告に参ったのでござる! そうしたら、シャムシールさまが起きませんでしたので、やむなく……」
俺の寝台で半身を起こしたドゥバーンは、なんと見事に裸だった。
形の良い胸が顕になると、俺の鼻からとめどなく血が溢れる。
血は溢れるが、俺にとってこれは至福の時だった。
夢か? これは夢なのか?
「なっ! シャムシール! どういうつもりだ! おれというものが有りながら、ドゥバーンを見て喜び、血に濡れるなどっ!」
ネフェルカーラが、怒りながら俺の頭を抱え込んだ。すると、柔らかい二つの丘が、俺の頬に当たる。
普段、着痩せするらしいネフェルカーラの胸は、見事な大きさと弾力だった。前門の巨乳、後門の美乳とは、どっちに転んでも幸せだ。
――いや待て。「喜び、血に濡れる」ってなんだ?
もう、俺の脳は、朝からパンク寸前である。
「ま、まってくれ。なんで二人が俺の寝室にいるんだ?」
昇天しそうな意識を辛うじて現世に留めた俺は、再び寝台に横になりつつ、二人に問うた。
「おれは……今日で暫くシャムシールと会えなくなるから、思い出を作っておこうかと」
頬を染めながら言うネフェルカーラは、緑眼を潤ませて、指先をモジモジと絡めていた。
それって、思い出っていうか、子供とかの方が出来ちゃうんじゃないのか? と、思ったら、俺の鼻血がさらに出た。
「だが、シャムシールがあまりにぐっすり寝ているものだから、おれもうっかり眠ってしまったのだ」
結局開き直ったらしい緑眼の魔術師は、立ち上がって両手を腰に当てていた。
「せ、拙者は先ほど説明した通りでござる!」
全然説明になっていないのは、ドゥバーンだった。
どうして報告に来て、服を脱いで俺の寝台に潜り込む必要があるのだろうか?
「ですが、その……ネフェルカーラさまが共に寝ておられる姿を見て、拙者も……我慢が出来なくなってしまい……」
「が、我慢って?」
「せ、拙者も、シャ、シャムシールさまに、触れたかったのでござる!」
いそいそと服を着るドゥバーンは、窓から入る朝日に照らされて、実に綺麗だ。
黒い瞳と蒼い瞳が輝いて、黙ってさえいれば神秘的な美少女である。しかも、頭脳明晰なのだ。恐らく、その智謀はマディーナ随一、いや、もしかしたらシバール随一かもしれない。
それなのに、変態だった。
「ドゥバーン。貴様をシャムシールと共に、クレイト討伐に行かせる訳にはゆかぬぞ」
寝台の脇で”ゆらり”と揺れる黒髪緑眼の魔術師は、すでに魔力を最高にまで高めている。
恐らく、黒甲将軍府を全て吹き飛ばせる程の魔力だろう。
全身に青白い稲妻を迸らせつつ、ネフェルカーラが凄んでいる。
「言い残すことはあるか? ドゥバーン」
「ま、またれよっ、ネフェルカーラさま! 共にっ! 共にシャムシールさまの後宮に入りましょうぞ!」
服を着たドゥバーンは、転がるように扉の前まで逃げた。そして、両手をネフェルカーラに向けて差し出し、手の平を大きく開きながら、妙な事を口走っていた。
「せ、拙者は第二、いや、第三夫人でも構いませぬ! ネ、ネフェルカーラさまが第一夫人になればよろしいかとっ!」
「む? おれが、シャムシールの妻に? ふむ。第一夫人……ふむ、ふむ。ふは、ふはは、ふはははは」
ネフェルカーラの口元が、三日月型に歪んでいる。
これは、大体悪い事を思いついた時の表情だ。まずいぞ。
最悪の場合、ドゥバーンを守らなければ殺されてしまう。こんな所で、せっかく得た仲間を失ってたまるか。
「うむ、ドゥバーン! たまには良い事を言うではないか。
第一夫人として命じる。シャムシールに悪い虫が付かぬよう、遠征中、しっかりと見張れ! ふはははは!」
「はっ! 命に代えましても!」
俺の思い過ごしだったのか、ネフェルカーラはドゥバーンの肩を”ぽん”と一つ叩き、部屋を去った。
ドゥバーンはネフェルカーラを見送ると、ようやく本題を口にした。
「そうそう、近隣諸都市から守護騎士四千騎、城壁外に参集いたしました。そろそろ我等も出陣すべきかと」
「そうか」
俺は、ようやく止まった鼻血にほっとしつつ、頷いた。
「ところでシャムシールさま。妻は誰でも、幾人でも持てますが……後宮となれば、いささか事情が異なります。先ほどシャムシールさまは後宮を否定なさいませんでしたが、後宮を持てるのは、王以上のお方。
となれば……拙者、微力ながらもシャムシールさまの覇道、お助け致しまする! そして、後宮の一員となりまするっ!」
俺の前に跪きながら、満面に笑みを浮かべたオッドアイの少女は、新たな決意を俺に表明した。
俺は、目が眩む思いがした。
ファルナーズやハールーンを王にしたいのに、俺の部下は、俺が王になる事を望み始めてしまったのか。
そういえばアエリノールは、全世界の人々が俺の奴隷になる事を望んでいた。
なんだか困ったので、現実逃避をしたくなった俺は、もう一度だけ寝た。
暫くして、俺の本日二度目の眠りを覚ましたのは、青髪の少女だった。
「兄者、既に、広場に兄者配下の守護騎士達が集まっております。さあ、出陣の御下知を」
一緒に寝てくれるのがシャジャルだったらなぁ、と思い、俺は少しだけ切なくなりつつ、身体を起こしたのだった。




