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変わる季節

 ◆


 神聖フローレンス帝国初代皇帝たるプロンデルが、聖都フローレンスに入ったのは、聖暦一七五ニ年の晩春であった。

 法王クレメンスに帝位を認められたプロンデルは、それを正式なものにする為、改めてフローレンス郊外にあるテルニ宮殿へ赴く途上にある。

 法王より帝冠を授けられる儀式――つまり、戴冠式に望まねばならなかったのだ。

 プロンデルは、その為にフローレンスへ足を踏み入れたのである。


 軍の大半は街の外に広がる平原に置き、二千騎だけを伴って、テルニ宮殿へと続く街道をプロンデルは進んでいた。

 街道の周囲には、新緑が瑞々しく輝き、黄色や赤の花々が風に揺れている。

 昨夜の雨が街道をぬかるませていたが、それでも春の爽やかな風が、プロンデルの鼻腔に流れ込む。

 しかし気候が良いからと言って、プロンデルの機嫌が良くなる要因にはならないらしい。


「下らぬ事だ」


 仏頂面で馬を進めるプロンデルは、付き従う騎士に不平を漏らしていた。

 プロンデルは黄金の鎧を身に纏い、それに相応しい美貌と体躯を備えているだけに、彼の言葉に面と向かって答えられる者は少ない。


「ふふ、これでフローレンス聖教国の全てが陛下のモノになるのです。そう、我が侭を言わないで下さい」


 しかし、プロンデルの言葉に何ら臆することなく、あまつさえ諭すような口調で答える者がいた。

 主君に僅かばかり遅れて馬を進める騎士は、栗色の髪も艶やかな、まだ若い女騎士である。

 彼女の銀色に輝く鎧は、所々、翡翠色に彩られた細工が施されており、それが、聖光緑玉騎士団グリーンナイツの団長である事を示していた。

 

「ふん。クレア、余は領土などに興味はない。ただ、強き者と戦いたいのだ」


 精悍な顔を顰めて、プロンデルはクレアを見た。

 プロンデルは、ただ強い敵を求めて、前進を続けているのだ。

 あくまでも、より強い敵と戦う為に、広大な領土が必要なだけである。


 フローレンス聖教国では、ジーン・バーレットと戦った。出来れば、聖騎士最強との誉れ高いアエリノールと戦いたかったが、彼女は僅かばかり前に、シバールに寝返ったというのだ。

 だから今は、そのシバールを攻め、戦い、充足感を味わいたいと思っている。

 とは言え、ジーン・バーレットが強かったのも事実。プロンデルは、まったくの不満足、という訳でも無かった。


「ふ、ふふふ。強き者ならば、これから幾らでも現われましょう。陛下には、その全てに打ち勝って頂かねば」


 クレアは、口元を綻ばせてプロンデルを見た。

 彼女の声は朗らかで、他者に柔和な印象を与える。しかし、その内実は真逆であった。

 無論、プロンデルは彼女の真実を知る、数少ない男である。だからこそ、プロンデルは新参である彼女を側近としたのだ。

 プロンデルは、戦うことのみを好むが、決して敗北は望まない。

 己に足りないモノをクレアが持っていると思えばこそ、常に側近くに置いているのだった。


「そう言えば、ジーン・バーレットはどうした? 余の前に跪くならば、今までの地位を保証するが」


 ふと、視線を街道の脇に芽吹いた新たな緑に送り、プロンデルはクレアに問うた。

 クレアのどす黒い内面とは違い、ジーン・バーレットには、穢れが無い。

 クレアと共に軍門に下ったオーギュストは、善良だが、芯が弱い。部下としては申し分無いが、一方面を任せてしまえるか、と言われれば、疑問が残る人材である。

 そう思えば、聖騎士とは皆、一長一短だな、と思うプロンデルであった。

 しかし、だからこそ、清涼なジーン・バーレットは、プロンデルにとって欲しい人材である。信頼に値する、という意味では、クレアやオーギュストを遥かに凌ぐはずだから。


「昨夜のうちに、聖都から逃げ出しましたわ」


 感情を湛えぬクレアの瞳が、一瞬だけ憎悪に染まる。

 目を細めて、それを眺めやるプロンデルは、しかし何も言葉にしなかった。


「それにジーン・バーレットは、妖精エルフです」


「ふっ、そうであったな。お前は、亜種の居らぬ国を作れ、と言っていたな」


 プロンデルは、口角の片方を吊り上げて笑った。

 クレアの引き結ばれた口元に、稀に見る彼女の本心を見たからである。

 何故、クレアが多種族をそれ程までに毛嫌いするのかは分からないが、これがあるからこそ、プロンデルはクレアを面白いと思うのだ。

 ただの冷徹な策士ではない。どこか、激しく燃える部分があるのだ。

 それが憎悪であれ、人は感情があるからこそ面白いのだ、と、プロンデルは思う。


「ふはははは、忘れてはおらぬ、クレア」


 そしてプロンデルは、哄笑した。


「陛下、兵が驚いております」


 クレアとは別の声が、プロンデルを窘めた。

 声の主は、やはりプロンデルと付かず離れずの位置で馬を進めるウィルフレッドである。

 彼はプロンデルと同郷であり、従兄弟だった。為に、プロンデルと同じく黄金の髪と、蒼い瞳を持った青年だ。

 彼は二十二歳であり、槍の天才と呼ばれている。故に、一騎打ちでは敗北を知らない。さらに、兵を指揮しては、幾度となく寡兵で大軍を破った名将でもあった。

 だが、彼に関して何より驚くべきは、その美貌だろう。

 妖精エルフと見紛う程に肌は白く、細い眉、高い鼻梁と整った唇は、まさに絶世の美女、と思える程である。

 無論、もしも女であったならば、だが。


「む? ウィル。人はな、笑いたい時は笑うものだ。お前の様にいつも無表情では、面白みに欠けるというものだ。

 それから、陛下と言うのはやめろ。気持ち悪い」


「はぁ。プロンデルは、笑いの沸点が低いんだよ。大体、今みたいに自分しか分からない部分で笑われたら、部下はたまったものではないよ」


「む……」


 以後、テルニ宮殿へ至るまで、プロンデルは肩を落とし、大人しくしていた。

 

「ウィルフレッドさまは、手厳しいですね」


 クレアが潤んだ瞳をウィルフレッドに向けると、微笑を浮かべた美青年は言った。


「キミがジーン・バーレットに弄した策、程じゃあないけれど、ね。

 昨夜、キミがジーン・バーレットの邸を襲わせたのを、私が知らないとでも思っているのかい?」


 無論、彼等の会話はプロンデルの耳にも入っている。

 であれば、全てをプロンデルは知っていたという事だ。

 クレアの背中は、冷たい汗に濡れた。しかし、今更、後には引き返せないのだ。

 それに、処断されず側近くに置かれている事を考えれば、ジーン・バーレットよりも自分が選ばれたのだから、問題は無いはずだ。


「いつでも、ウィルフレッドさまの目が私を見ていると、肝に銘じますわ」


 しかし、ウィルフレッドに答えるクレアの声は、珍しく震えを含んだものであった。

 

 ◆◆


 ジーン・バーレットが聖都フローレンスを追われてから、既に半年程が過ぎていた。季節でいうならば、盛夏も終わり、初秋という時期だろうか。

 彼女は、メンヒと言う名の寒村に、一人身を寄せていた。


 メンヒ村は、フローレンス帝国の北東に位置しており、北に魔族の国と国境を接し、東にはモルタブ大森林が広がる妖精エルフ族の聖地である。

 モルタブ大森林といえば、上位妖精ハイエルフたるアエリノールの生まれ故郷だった。

 とはいえ、今のモルタブ大森林は、アエリノールが生まれた頃と比べれば、遥かに森は痩せ細り、命の輝きも乏しいものになっていた。

 千五百年前の大破壊の後、モルタブ大森林に木霊が住めなくなったが故の事である。

 木霊のいない森は、土地が痩せ、恵みが乏しくなるものなのだ。


 それでもジーン・バーレットがモルタブを目指し、メンヒ村に身を置いたのは、妖精エルフとしての本能かもしれなかった。


「やってられるか!」


 まだ日も高いうちから、メンヒ村にただ一軒ある酒場で麦酒エールを煽る銀髪の美女は、カウンターの奥にいる中年男に、声を荒らげていた。

 ジーン・バーレットである。

 彼女は酒を一息に飲み干して、木製のジョッキをテーブルに景気よく置いた。


「おかわりっ!」


 ジーン・バーレットの澄んだ声が、店内に響き渡っていた。

 半年前は大軍を叱咤していた声で、今は酒の注文をしている。

 

 彼女の身なりは、お世辞にも良いとはいえなかった。

 粗末な白麻の上着に、紺のズボン、それにくたびれた皮の長靴を履いて、腰に安価な剣を帯びているだけである。

 酒場の主は、一月ほど前からこの村に住み始めたこの女を、何処かの騎士崩れだろう、と考えていた。

 事実、彼女は時に森の熊、或いは虎を狩って村人に売り、日銭を稼ぐ事がある。

 腰に刺した剣が粗雑だとしても、剣一本で熊や虎を仕留めるとなれば、相応の戦士である事は間違いないだろう。

 それに、プロンデルに敗れた王国は数知れず。ならば、職にあぶれた騎士も、さぞや多いはずだった。


 白髪交じりの中年店主は、カウンターに座るたった一人の客に、今日、五杯目の麦酒エールを差し出した。

 その時、ふと店の扉が開き、二人目の客が現われた。

 まだ、日は高い。

 珍しいことだ、と店主が考えていると、やはり新たな客はカウンターに座り、麦酒エールを注文した。

 

 男は、金髪碧眼の美しい顔立ちで、全身を黒い衣服で覆っていた。

 白面を覆う黄金色の髪から覗く耳が、僅かに尖っている。ならば妖精エルフか? と店主は銀髪の女と見比べたが、どうも、女の耳の方が長い。


妖精エルフというのは、どうも良くわからん」


 などと思いつつ、麦酒エールを金髪の男に差し出した。


「ジーン・バーレットかな?」


 酒を受け取った男は、銀髪の女に話しかけていた。

 徐に距離を詰め、金髪の男は、ジーン・バーレットの顔を覗き込む。

 金髪の男は、並みの女ならば一撃で失神するであろう程の微笑を浮かべ、ジーンを見つめていた。

 しかし、すでに酔眼の銀髪女は軽く手を振ると、剣の柄に手をかけて、答える。


「そうだとしたら、どうだというのだ?」


「うむ、やはりそうか。俺はアハドという。

 貴方があまりにも美しかったので声を掛けさせてもらった、と言いたいところだが、実は協力してもらいたいことがあってな。俺の話を聞いて欲しい。

 ……ま、ともかく、だ。近づきの印に、ここは一つ、奢らせて頂こう」


 アハドは木製のジョッキを掲げて、ジーンの前に差し出した。

 苦笑を浮かべたジーンは、剣の柄から手を放し、同じくジョッキを掲げる。

 すでに、世間に感心を寄せることのないジーン・バーレットは、たとえここで自らの命運が尽きるとも、別に構わないのである。


 ――酒を奢ってくれるというのだ。話くらい聞いても良かろう。その上で、自分が殺されるのならば、それも運命というものだ――

 

 ジーン・バーレットは、もう一度ジョッキを空にすると、自嘲気味に鼻で笑う。

 そして、六杯目の麦酒エールを店主に注文した。


 ◆◆◆


 完成、俺の黒甲将軍カラ・アミール府!

 と、俺が腕組みをしつつ、広場から正面の建物を眺めていると、アエリノールがくしゃみをしながら近づいてきた。


「シャムシール、寒くなったね、ね?」


 正直、まったく寒くない。

 根本的にマディーナには夏しかないので、当然だ。だから、アエリノールが寒いとしたら、原因は一つである。


 俺は、アエリノールのおでこに手をあてて、熱を測ってみた。

 そして、判明した事がある。

 馬鹿でも風邪はひくんだな、と。

 見れば、アエリノールはふらふらとして、赤い顔をしている。実際、結構熱が高いと思う。

 

「アエリノール、病気だよ。部屋で寝ていた方がいい。ていうか、部屋まで連れていってあげるから」


「えっ? えっ? わたし病気? 死ぬの?」


 俺は答えるのが面倒だったので、神妙な顔で頷き、ふらつくアエリノールに肩をかして、邸に戻った。

 そしてアエリノールを寝台に横たえると、彼女は目を真っ赤に腫らして、涙に濡れていた。


「し、死んじゃうんだね、わたし。シャムシールの役に立てなくなっちゃうんだね……」


「いや、安静にしてれば死なないから、大人しくしててくれるかな」


 俺は、流石に頷いてしまった事を反省しつつ、アエリノールを慰める。

 でも、大人しくさせるには効果的だったようで、死にたくないらしいアエリノールは、寝台の上で、じっと動かなくなった。


 動かないアエリノールは、鎧さえ脱がない。

 面倒だけど、俺が彼女の鎧を脱がし、鎖帷子を外してやった。すると、アエリノールは大分楽になったらしく、”ほっ”と息をついていた。


「シャムシール、ありがとう。さっきまで訓練をしていたの」


 俺は、寝台の横の卓に水差しを置き、いつでもアエリノールが水が飲める様にした。

 それから、一応、アエリノールの頭に濡れた布を置いて、ささやかな治癒魔法を使ってみた。

 やはり、病気に魔法はあまり効果がないらしく、熱を下げる事が出来ない。


「そういえば昔、一度だけこんな風に、妙に寒くなった事があったの。その時は、ネフェルカーラが寝ずに、ずっと付いててくれたよ。今度はシャムシールの番なんだね」


 ふざけんな! と俺は言いたかった。

 何を自然に、寝ずにずっとついててくれ、みたいな事を言ってるんだ、この馬鹿は。

 しかし、たまに寝台の上で動くアエリノールの動作が、妙に艶かしい。

 絹衣の隙間から、胸が見えそうで……見えない。うむ。これを観察する為ならば、ずっと付いていても良いかもしれないぞ。


「シャムシールさまっ! 拙者も、拙者も看病してくだされっ! む、胸が苦しいでござる! も、揉んで下されっ!」


 その時、勢いよく部屋の扉が開けられて、転がり込んで来た者がいた。

 当たり前だけど、ドゥバーンだった。

 やっぱりコイツは、一回埋めた方が良いかもしれない。

 いやまて、ドゥバーンの胸は、それなりに良い形だ。やっぱり揉んでみたい。

 ではなく、きっとドゥバーンが慌てて来たのには、意味があるはずだ。

 俺は、ドゥバーンの胸に向かって伸びていた我が手を押さえつけ、大切な事を聞く事にした。


「慌ててどうした? 看病はともかく、何か理由があって来たんだろう?」


「はっ! ……そうそう、ヘラートより、大将軍ライース・アルジャイシュシェヘラザードさまからの御使者が参っております。

 恐らくは、ダスターン将軍が敗れたことで、我等に出動せよ、との命かと」


「やっと来たか。

 プロンデルとナセルに対する策は?」


「プロンデルの方は抜かりなく。ナセルに関しては、掴めぬ事が多く……」


「……わかった。とにかく使者に会おう」


 俺は、アエリノールの側から立ち上がると、執務室に向かった。

 アエリノールの看病は侍女に任せて、シェヘラザードの使者に会う事にしたのだ。

 そして、使者の用向きは、やはり、俺への出動命令であった。


 曰く――


「マディーナ駐屯の守護騎士ムカーティラは、急ぎ出兵し、クレイト帝国のカザン軍を撃滅せよ。

 尚、ダスターン軍を救出した後は、その兵力を麾下とするも良し」


 との事だった。


「まったく、無茶をいう大将軍ライース・アルジャイシュだよ」


 しかし、もとより密偵からの情報を得ていた俺は、この事を予想していた。

 何しろ、ダスターンの敗北を、闇隊ザラームの働きによってシェヘラザードよりも先に知った程である。だから、不安も無かった。

 それに、何だかんだで、俺には最強無敵のアエリノールがついているのだ!


 はっ……


 アエリノール、なんで今、風邪で寝込むんだ……

登場人物


ジーン・バーレット……元聖光白玉騎士団長


アハド……シャムシール配下、闇隊の幹部

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