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ダスターンの戦い

 ◆


 ダスターンがヘラートを進発したのは、ティール月(七月)の二十日であった。

 ダスターンは、シバールきっての武門の家に生まれた、今年で二十八歳になる勇将である。

 彼は、膂力ではテュルク人に劣り、魔法では砂漠民ベドウィンに劣ると言われるシバール人の中にあって、その双方において両民族を凌ぐ力を有していた。

 つまり、堂々たる体躯はテュルク人に劣らず、魔法を操っては、火と風を友とする男なのだ。加えて、風貌は涼やかだった。

 黒い瞳に知性を湛え、日に焼けた褐色の頬を覆う黒髪は、陽光に照らされると紫の輝きを帯びる。そんなダスターンに熱い視線を送る貴婦人も、シバール首都へラートには、少なからずいるのであった。


「将軍、この戦に勝利すれば、いよいよご運が開けますな!」


 ヘラートからサーベへの行軍中、総勢二十五万の軍勢を率いる総大将ダスターンに、意気揚々と話しかける男は、マフディという名の副将であった。

 彼は、ダスターンに従い戦場を往来する事、およそ十年。ダスターンにとってマフディは、公においては忠実で有能な部下、私においては、竹馬の友である。

 だが今、ダスターンは、マフディの発言に対して苦笑する事しか出来ない。

 確かに、この戦に勝利すれば、武勲は比類なきものであろう。しかし、それはあくまでもシバールが存続していればこそ、である。

 今のシバールは、クレイト侵攻を含め、内憂外患の状態であった。

 その件に関しては、大将軍ライース・アルジャイシュたるシェヘラザードや同僚のアフラと十分に協議し、対策を立ててからの出兵だ。

 だから、本来は安心して彼等に後方を任せていればよい、とは思うのだが、一抹の不安が残るのだ。

 やはり、ダスターンはナセルの動きが気になっていた。


 先のマディーナ動乱の折、兄王アシュラフが反逆したとしてシャムシールに処断されると、オロンテスに届けられた兄の遺体を前に、涙に濡れたナセルである。

 だが、シャムシールの処断に異を唱える事も無く、ファルナーズのマディーナ太守就任が正当である、との認識を内外に示し、兄の行動を糾弾する姿勢さえ見せた。


「肉親として兄の死は、悲しい。されど、スルタンとしての兄は、判断を誤った」


 アシュラフの葬儀を済ませると、喪も明けぬうちに、兄王の一族を裁いたナセルであった。

 王子、王女を共に国外追放としたのである。

 そして、リヤドを自らの物にした。

 たった二月で、オロンテス王位とリヤド王位を、ナセルは手に入れたのである。


 さらに、テヘラ王メフルダートに圧力をかけて、その妹を妻にしたナセルは、実質三カ国を支配する大王と言えた。

 となれば、勢力は聖帝カリフに迫る勢いである。

 そのナセルが、二十五万もの大兵力を東方に向けているヘラートへ侵攻してきたならば、いかにアフラが防戦しても、防ぎきれるものではない。


 ふと、ダスターンは苦笑をやめて、周囲を眺めた。

 ヘラート以東は、緑豊かな大地が広がっている。大河からの支流が幾本も走り、その周りには森林が生まれ、生命を育んでいた。

 必然、牛や羊が放牧されているし、様々な作物が育てられている。ここは、シバールきっての穀倉地帯であった。

 クレイト軍は、全ての物資を現地調達するという。となれば、ダスターンが万が一にも敗れれば、今、目にしている全てが奪われ、焼き尽くされるだろう。

 やはり、後顧を憂えていても仕方が無い。

 目の前を見据えて、ダスターンはクレイト軍を撃滅すべく、全身全霊を注ぐ、と決意を新たにした。


「マフディ、俺はな、別に功を立ててスルタンになりたい訳じゃない。ただ、騎士として人々を守りたいだけだ。

 ……ことに今、シバールは風雲急を告げている」


「はっは。誰がダスターンさまに野心がおありになる、などと言いましたか。

 運が向くとは、此度の戦に勝てば、シェヘラザードさまが振り向いてくれるのでは? ということですよ。

 私にはシバールの未来など分かりかねますが、将軍の幸福の材料くらいは分かりますので、ね」


「なっ!」


 ダスターンは、赤面した。

 元々、彼の肌は、シバール人としては色が白い。だから、顔色の変化が分かり易いのだ。

 ダスターンの顔色が、頭上に巻いた赤布と変わらぬ色になってしまうと、場所も弁えずマフディは大声を上げて笑った。

 

 ダスターンとマフディの二人が楽しそうにしている姿を見て、麾下の将兵達は緊張を和らげた。

 いかに彼等が不敗の軍団といえども、次の敵は残虐非道で鳴るクレイト帝国である。皆、一様に、恐怖に顔を強張らせていたのだ。

 だが、指揮官達に緊張や気負いが無いのならば、「いつもと変わらない戦いだ」そう、兵達は思えたのである。


 ◆◆

 

 ダスターンが軍を率いてサーベの近郊に到着すると、クレイト軍の前衛部隊が、街を薄く包囲していた。

 月はモルダート(八月)へと流れ、三日が過ぎている。

 サーベは、山間の高地に築かれた城砦都市で、空中都市とも呼ばれる要衝だった。

 とはいえ、街としての規模はそれ程大きくない。ゆえに、守備部隊は一千名である。そして今、それを包囲するクレイト軍の数は、およそ一万騎程だった。


「あの旗印は?」


 ダスターンは、朝靄の中、林立するクレイト軍の旗を眺めやる。

 

「カザンハン配下、ジャムカ将軍の軍ですな」


 ダスターンの声に答えたのは、マフディだった。

 マフディは弓の名手でもある。故に、人並みはずれて視力が良かった。


「あの程度の数ならば、敵ではありますまい。しかし……」


 マフディが、目に掛かる水色の髪を指でかきあげつつ、言った。

 髪と同色の瞳が油断なく周囲を見やり、僅かの違和感を感じている。

 深い朝靄の先が気になるが、斥候の報告では、敵軍はやはりサーベを包囲する一万騎だという。

 確かにサーベ周辺に、これ以上のクレイト軍は確認出来ない。ならば、一万対二十五万では、勝負にもならないだろう。

 それでもマフディの違和感は、悪寒に変わりつつある。

 陣を固めて様子を見るべきかもしれない、とも思うのだ。だが、それを進言する理由がない。

 

 ダスターンは左手を上げて、全軍を停止させた。


「敵を、退ける」


 敵が此方の動きに気づいていない、とは思わなかった。

 まさか、この大軍に気づかぬ程、クレイトの将軍が愚かだとは思えない。

 ならば、この大軍を前にして、ジャムカというクレイトの将軍は、サーベの囲いも解かず、待ち構えていた事になる。


 ――舐められている。


 ダスターンの脳裏を、屈辱感が彩った。

 斥候の報告でも、敵が潜んでいる気配はないという。

 ならばと、奥歯をかみ締め、ダスターンは騎兵のみを呼んだ。


「マフディ! 俺とお前で一万騎ずつ率い、敵を攻撃する! 挟撃だ! いくぞっ!」


「はっ!」


 その他の部隊には後詰を指示し、ダスターンは馬腹を蹴った。途端に、彼直属の騎兵が後に続く。

 マフディも上官に倣い、逆方向へ馬を駆けさせた。


 騎馬隊を南北から大きく迂回させて、サーベを囲むジャムカ軍に迫るのだ。

 ジャムカ軍とて、全てが騎兵なのは見ればわかる。故に、ダスターンは互角の機動力と思われる騎兵のみで、攻める事にした。

 それに、敵軍の二倍である二万騎を動かすのだから、負ける要素などない。


 朝靄を切り裂いて、ダスターンは敵軍に迫った。

 すぐに、ダスターン軍とジャムカ軍の戦端は開かれた。

 刃鳴りが響き渡り、朝靄の中で、剣と槍が交差し、火花がはじける。


 ダスターンの槍は、すぐさま敵兵の喉を貫き、頭蓋割った。

 時を同じくして、別働隊を率いるマフディも、サーベの北側からジャムカ軍を攻め立てていた。

 この挟撃に、たまらずクレイト騎兵達は崩れ、東へ、雪崩をうって壊走を始めた。

 

 もとより、ダスターンとて深追いをするつもりはない。

 だが、敵軍の脆さに拍子抜けする思いで馬を駆り、敵を狩ってゆくダスターンは、僅かに油断したのかもしれない。


「あの敵、要所で引き返し、将軍を引き付けている? 罠か?」


 マフディは敵の脆さに危惧を覚えたが、先頭を駆けるダスターンに進言するほどの確信を得られなかった。


 だが結局の所、マフディの危惧は、最悪の形となって実体化したのだ。

 ダスターン軍がジャムカ軍を追い、緩やかな下り坂を下りてゆくと、朝靄の中から大軍が現われた。

 緩急をつけて逃げたジャムカに、ダスターンは見事に釣られたのである。

 しかも、ダスターンはジャムカを追っていた。

 ジャムカは、ダスターンの前で馬首を返すと、徐に馬を下り、部下に愛馬を託した。

 すると、すぐさま一頭の竜が舞い降り、ジャムカはそれに騎乗したのである。


「待たせたな、皆。反撃して良いぞ」


 ジャムカは、視線をダスターンに向けたまま、不貞腐れた様な声で、部下達に命じた。


 自らが罠に落ちた事を悟ったダスターンは、それでも諦めはしなかった。

 索敵を怠ったつもりはない。とすれば、敵将が上手だったということだ。


 ダスターンは、歯噛みした。

 何がシバール最強の騎士か! と、自らを責める思いのみが強くなる。


「将軍、お退き下されっ! してやられましたっ! ここは私が抑えます!」


 既に、鎧に幾つもの矢が刺さっているマフディの絶叫が聞こえた。

 クレイト騎兵と切り結びながら、此方を見やり、心配げな表情を浮かべる忠臣の姿が、ダスターンの視界に入る。

 ダスターンの正面には、蒼い竜に跨った武将が現われた。ジャムカである。

 ジャムカは中空に竜を静止させて、ダスターンに向けて口を開いた。


「名のある将か? オレはジャムカ。クレイトの将だ。勝負しろ」

 

 ジャムカは、ダスターンにとって幼く見えた。

 実際、ジャムカは二十歳を過ぎていない。まず、端整と言って良い顔立ちだが、頬に残る赤みは、幼さの残滓だった。

 それでも、竜を駆り戦える、というのは、ダスターンにとって脅威である。

 ダスターンは、竜に騎乗することは出来ても、操って戦う事は出来ないのだ。

 だからダスターンは、ジャムカを勇敵と認め、名乗る事にした。


「ダスターンだ!」


 ダスターンは、ジャムカに向けて左手を翳し、風を巻き上げる。

 まずは、竜を殺そうと思ったのだ。

 仰向けにして、腹に槍を穿つ。

 それから、ジャムカと名乗る男を討ち取るつもりだった。


 しかし、ジャムカは竜を巧みに操ると、あろうことか、背面飛行で上空からダスターンに迫った。

 頭上から突き出される槍に、ダスターンは何とか対処したが、無傷という訳にはいかない。

 背中と肩に、二撃程受けてしまった。

 

「将軍っ! はやく撤退をっ!」


 ダスターンは、再びマフディを見た。

 鎧は、既に原型を留めていない。顔にも深い傷を負っている様で、左頬から下が、赤黒く濡れていた。

 マフディはダスターン程ではないものの、シバールにおいては強者に入る。それが僅かの間で、傷だらけになっているのだ。

 それに、ダスターンに従う兵も、かなり数が減っていた。

 ならばマフディの言は、尤もである。

 ダスターンは、死ぬわけにはいかないのだ。

 背後に、二十三万の兵を残して敗死するなど、もってのほかである。


「全軍、退けっ!」


 屈辱に顔を歪めながら、ダスターンは馬首を返す。幸い、ジャムカがダスターンを追う事はなかった。

 それでも撤退戦はダスターンにとって、数多の戦歴の中、最も苛烈なものとなった。

 左右から現われるクレイト軍は、皆、強く剽悍であり、雑兵ですら、二合、三合と斬り合う事があったのだ。

 しかし、ダスターンにとって幸いだった事は、背後をマフディが守ってくれた事であろう。だから常に正面の敵に向かい、切り抜ける事にのみ専念する事が出来たのである。


 ◆◆◆


 この日、ダスターン軍の損害は、九千六百人を数えた。

 早朝の数時間で、戦闘に参加した兵力のうち、半数近くを失ったのだ。

 見事な敗北だった。

 そしてそれは、ダスターンにとって初めての事でもある。

 一騎打ちで、怪我を負ったのも初めての事だった。


 サーベは再びクレイト軍に包囲され、ダスターン軍は、それを遠巻きに眺めるだけである。

 だがダスターンは、陣を堅固にし、徐々に前進するよう、部下に指示を出した。

 

 クレイト軍とは、サーベという名の空中都市を挟んで対陣しているのだ。

 ダスターンは一度だけきつく瞼を閉じると、長期戦を覚悟した。

 その時、靄が晴れ、サーベの先にある山や丘に林立する旗が見えた。

 陣は敷かれていない。ただ、そこに兵が居るだけである。しかしそれは、紛れも無くクレイト軍だった。

 そして、上空には数頭の竜が舞い、時折、咆哮をあげて、シバール軍を威嚇している様である。

 

「まったく、偉い目に合いました」


 昼が過ぎた頃、歩兵達が忙しく陣を築いていると、全身血塗れといった体で、マフディが帰還した。

 ダスターンの背後を途中まで守っていたのだが、どこかで逸れてしまったのだ。


「いやぁ、ジャムカとは二度と戦いたくありませんな。つけ入る隙がまったく無い。一撃も入れられず、命からがら逃げてまいりました! はっはっは」


 どうやら、マフディもあの男と一騎打ちをしたのか、とダスターンは思った。

 それにしてもマフディは、その傷程に、体力の損耗は激しくないようである。

 無事に帰還したことは嬉しいが、血塗れの鎧を纏って哄笑するマフディは、ダスターンにとって、妙に不気味に映った。

 

「マフディ、無事で何よりだが、お前はどうしてその傷で、生きていられるのだ?」


「ああ、言っておりませんでしたかな? 私は、治癒魔法が一番得意なのですよ」


 ダスターンは、今日、二度目の苦笑をした。

 そういえば、この友人は、どれ程激しい稽古で怪我をしても、翌日にはケロッとした顔で現われていたものだ、と、思い出したのだ。


「さて、シェヘラザードさまを振り向かせる為には、まずジャムカを倒さねばならんとは、将軍も難儀なことで」


「まったくだ。さらに背後には、カザンハンとやら言う化け物が控えているのだから、たまらんぞ」


 マフディは、盛夏の風を浴びるダスターンの横顔を見て、呆気にとられた。

 今まで朴念仁だと思っていた上官が、シェヘラザードへの想いを素直に肯定しているのだ。

 一度の敗北によって、吹っ切れたモノがあるのだろう。

 多分、ダスターンはさらに強くなる。そう、マフディは思えて口元が綻んだ。

 だが、マフディの怜悧な頭脳は、現段階でダスターンがクレイト軍に勝てない事も理解していた。


 ――今回ばかりは、俺も本気でやるしかないか。もっとも、本気でやっても、ダスターンを生きてヘラートへ帰す程度の事しか出来んかもしれんな―― 


 マフディは、かつてシバール有数の武門の家に拾われた、奴隷騎士マルムークである。

 彼の主は、彼を奴隷として扱わず、一族の者として育てた。

 ただし代償として、彼の主はマフディに一つの事を誓わせた。

 それは、次期当主を、命に代えても守ること。

 つまりマフディにとってダスターンは、命を賭しても守るべき存在なのである。  

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