闇隊創設
◆
マディーナ会戦から三ヶ月が過ぎた。暦の上では、盛夏である。
もっとも、根本的に沙漠のオアシス都市であるマディーナに、そんな事は関係ない。ただ、ひたすら暑いだけだ。
黒甲将軍府の敷地内には、大分、建物が建ってきた。
まず、俺の公邸が完成した。
公邸は、建材こそ煉瓦、木材、練土などといった一般的なモノが使われているが、実は魔法に対する防御に、とても特化していた。
部屋や柱のいたるところに文字装飾があり、それに防御魔法を付与してある、というのだ。
そして内部には、儀礼用の広間や会議室が備えられた、マディーナ地方に駐屯する守護騎士の最高司令部である。
もちろん、同時に俺の執務室や私室が備えられた我が家でもあるのだが、当然、幹部達の部屋もある。
幹部とは、勿論、十人の千人長達の事だ。
彼等はそれぞれに執務室を持ち、その隣に私室を与えられていた。
もっとも、平時、彼等は必ずしも公邸で暮らす必要はない。あくまでも、戦時、待機する為に与えられた部屋である。
そうは言っても、マディーナの衛星都市に駐屯している千人長達以外は、全員が公邸に住んでいる。
アエリノール、セシリア、シャジャル、ドゥバーンの四人だ。
そういえば、ハールーンがファルナーズの万人将になったおかげで、実は千人長の席が一つだけ空いていた。
この、一つだけ空いている千人長を誰にするか? という点で、俺は様々思案した。
もちろん、オットーを千人長にする、という案もあった。
しかし、刻々と変わる情勢に対して、俺が余りに情報収集の手段がない、という点に思い至ったのだ。
もちろん、独自の情報部を持って良い筈もない。が、しかし、今の俺は、ファルナーズと若干切り離されている身。加えて、大将軍たるシェヘラザードが完璧に信用出来るのか? といえば、そうでもない。
そこで先日、ドゥバーンを執務室に呼んで相談したのだ。
「一つ残っている千人隊を情報部隊として特化したいんだけど、何か良い手はないかな?」
その時、ドゥバーンは形の良い顎に指を当て、こう言ったのである。
「拙者、情報部隊を組織出来る者……そして、それを率いるに相応しい人物に、いささか心当たりが御座います。明日にでも、お連れしましょう。
されど、その者は性格に難がある故、召抱えますかどうかは、シャムシールさまのご判断にお任せいたしまする」
多少含みのある言い方ではあったが、ドゥバーンの目に適う人物なのだから、能力は確かなのだろう、と、俺は思った。
「よ、用件はそれだけにござるか? せ、拙者、いつでも夜伽をするでござる! 準備万端にござる!」
「さっき朝食を済ませたばかりだよ、ドゥバーン」
窓から入る真夏の陽光が、ドゥバーンの脳を溶かしていたようだ。
大体、このオッドアイの少女は、一体どんな準備をしているというのだろう?
とにかく、俺はさっさとドゥバーンを下がらせると、座卓に置かれた報告書に目を落とした。
――クレイト帝国シバール方面軍司令官カザンにより、セムナーン陥落。さらにカザンはサーベに向け、侵攻中。迎撃の為、守護騎士ダスターン将軍、聖都ヘラートより、五万騎二〇万の軍勢を率いて出陣――
東方の国境が破られ、守護騎士最強と言われるダスターンが、シバール東方の軍を率いて迎撃に向かったらしい。
分からないのは、なぜ、ダスターンか、だ。
セムナーンはシバール東方の要衝で、絶対に取り戻さなければならない地だ。まして、万が一サーベを抜かれれば、その先はヘラートまで、要衝となる地は無い。となれば、いかに最強と名高いダスターンでも、役者不足だろう。少なくとも、シェヘラザードが出るべきじゃないのか?
いや、むしろ出られないのだとしたら――ナセルの陰謀を警戒しての事だろうか?
こんな風に、俺の内心では様々な疑念が渦巻くが、それを裏付ける情報が無いのだ。
ファルナーズが俺に対する命令権を持たない以上、サーリフとの約束を守る為にも、俺が独自に状況を知る必要があった。
何より、ファルナーズを王にする事は、俺がこの世界に来て、初めて自らに課した誓いなのだ。
彼女が足元を掬われる様な状況を作らない為にも、絶対に情報は必要だった。
あ、そういえば、携帯電話の隠し場所を探りたい、というささやかな欲望もあるぞ。
何しろ、サーリフの葬儀が終わっても、俺の携帯電話が出てこないのだから、困ったものだ。
◆◆
今日は、朝から涼やかな風が吹いていた。
午前の面会が終わると、俺は執務室から出て、オリーブの木に身を寄せ、木陰を堪能しつつ、読書に勤しんでいた。
ふっ……文武両道、それが俺。というイメージを、必死で作ろうとしている昨今だ。
何しろ、脳筋な部下達のせいで、俺のイメージは酷いモノになっている。
マディーナ市民に「目を合わせたら殺られる!」とか思われている程だ、おかしいだろう。どこの暴君だよ、俺は。
「あんたが、シャムシールか?」
無音で俺の前に立ち、見下ろす長身の男が居た。
唯でさえ木陰なのに、人の影まで覆い被さっては、巻物が読みにくいではないか。
これは、遠く東方から取り寄せた”兵法書”なのに! 自分で注釈までつけて頑張って読んでるのに!
「そうだ。それより、そこに立つな、本が読めない」
「ふむ、それは失礼した」
男は、なぜか俺の隣に腰を下ろすと、俺の手に持った巻物を覗き込んだ。
「六韜か。ま、クレイトと戦うのに、役に立つかどうかは分からんな」
「知らないよりはマシだろう?」
俺は、隣に座った男が”これ”を知っていた事に驚いた。
見れば、艶やかな黒髪に、やはり同色の瞳を持った精悍な顔をしている。
髪を後ろで束ねた横顔が、僅かにドゥバーンと似ていたが、初対面のはずだ。いや、俺がそう思っているだけだろうか?
「あ、兄上! それにシャムシールさま! なぜこのような所にっ!」
慌てて駆けつけたのは、ドゥバーンであった。
兄上?
俺は、ドゥバーンと黒髪長身の男を改めて見比べた。
確かに、似ている。俺が一瞬「似ている」と感じたのも当然だった様だ。
よく見れば、ドゥバーンも美少女の部類に入る顔立ちだし、こっちの男は影がある感じの、見事な美青年だ。
だが、装飾の無い紺の絹衣を着て、腰帯に曲刀を差している姿は、明らかに奴隷騎士ではない。
ましてや、守護騎士でもないのだから、客か賊のどちらかである。
勿論、ドゥバーンの兄であれば立場は「客」に傾くが、しかし次の動作が彼の立場を曖昧なモノにした。
「この男は、度胸があるな。俺に動じる事無く、六韜を読み続けていた。くく、くははは」
ドゥバーンの兄は軽い身ごなしで立ち上がると、曲刀を抜き放ち、俺に向けた。
けれど、殺気は無い。もしかしたら、俺を試しているのかもしれない。
うっかり丸腰で外に出た俺だが、腕力には自信がある。曲刀の先端を人差し指と中指で挟み、力を込めて、ピクリとも動かない様にしてやった。
「あ、兄上、無礼でありましょうぞ! せっかくシャムシールさまにお目通り叶いましたのにっ!
シャ、シャムシールさま、お許しくだされ! 我が兄は、この様に多少性格に難がござるが、一度任務を受ければ、命を賭してやり遂げる男にござる!」
慌てたのは、ドゥバーンである。
俺の横に回り、必死に両手を振って、取り繕っている様だった。
「名は?」
「ジャービル」
「今までは、何処で何を?」
「ナセル配下、暗殺団の副長を」
「何故、辞めた?」
「ナセルは、器が小さかった」
俺は、ドゥバーンの仕草から、情報部隊の指揮官に指名したい人物は、この男だ、との察しが付いていた。
だから、面接的な問答を、曲刀を指の間に挟みつつ、行ったのだ。
――そうしたら、どうでしょう。
上司の器が小さいから辞めたとか、ゆとりの子ですか! いやいや、ゆとりの子は俺だから!
「俺の方が、多分、ナセルよりも器は小さいよ……」
「くっ、くははっ! 面白い」
一瞬だけ、俺は目を反らし、指の力を抜いた。
本当の事を言うのは情けないが、今の俺は、ナセル勝てる気がしない。ナセルで愛想を尽かされるなら、俺なんかは、最初から駄目だろう。
そう思ったら、自然と力が抜けたのだ。
だが、その瞬間、刀を鞘に収めたジャービルは、片膝を付き、俺に頭を垂れていた。
「今までの失礼の段、平にご容赦頂きたい。
拙者、ジャービル。以後、シャムシールさまを我が君とお呼び致し、身命を賭してお仕えする所存にござる。よろしいか?」
呆気にとられたのは、俺である。
面白いだけで、上官を決めて良いのだろうか? いや、駄目だろう。だから俺はジャービルを見つめ、質問した。
「もちろん、俺はいいけど。でも俺、器小さいけど、良いの?」
「違うぞ、我が君。あなたの器は、底が見えぬ程に広い。
だが、広すぎる故に、器の中に何を注げば良いのか、未だ見えておらぬだけのこと。
まずは、六韜を読み、三略を知ることだ。
もっとも、そんなものは、そこのドゥバーンでさえ諳んじられるもの。大した意味は持ちませぬが」
木陰の中で首を傾げる俺に、黒髪兄妹は、声を上げて笑っていた。
こうして、元暗殺団の副長が、俺の情報部隊の長になったのである。
◆◆◆
この日の夕食後、俺は部屋で寛ぐネフェルカーラに情報部隊の件を話した。
ちなみに俺の私室は、執務室と寝室を含めて十部屋あるのだが、その半数がネフェルカーラに占拠されている。
ついでに二部屋はオットーに奪われて、一部屋は”みんなの居間”と化しているので、実質、俺がプライベートを保てるのは、寝室だけだった。
”みんなの居間”で、長椅子に横たわり果実酒を飲むネフェルカーラは、俺の話に耳を傾けている。
丁度この部屋に、俺とネフェルカーラの二人しか居なかったので、俺が理想とする情報部隊に関して、詳しく話してみたのだ。
「うむ。ファルナーズも情報部隊を持っていない訳ではないが……どうにも潔癖な所があるからな。
よかろう、おれも協力するぞ。
そうだな、その手の任務が得意そうな者共に心当たりがある。今度、連れてこよう」
最近、マディーナの人口問題の解決に、目処をつけたらしいネフェルカーラである。まず、上機嫌と言って良い口調で、俺に協力を申し出てくれた。
それから数日後、約束通り四人程、ネフェルカーラは人材を紹介してくれた。
「ザーラ、シュラ、アハド、カイユーム! 貴様等、今日からシャムシールの為に働け!」
ネフェルカーラがいきなり俺の執務室に四人を伴って現われた時は驚いたが、思えば約束を守ってくれただけである。
ザーラはネフェルカーラと同じ、艶やかな黒髪を持った女性で、赤眼が鬼火の様に輝く、怪しげな美人だ。聞けば、魔族だという。
だが、今、彼女の黒い長衣は所々裂け、頭からも血を流していた。何より、右目の周りに大きく青痣が出来ていたのだ。そのお陰で、美人が完璧に台無しだった。
シュラは、やはり赤眼だが銀髪で、耳がアエリノールと同じような形をした、褐色の肌を持つ女性だ。ネフェルカーラによれば、闇妖精だという。
彼女は白い短衣を着ていたが、やはり服に破れた部分があった。当然、顔にも痣があって、引き攣った表情を浮かべていた。顔が原型を取り戻せば、きっと美人のはずだ。
アハドは金髪碧眼の、絵に描いたような長身美男子である。耳が微妙な長さだったので、なんだろう? と思って見ていると、
「こやつは半妖精でな。人にも妖精にも受け入れられないからといって、盗賊などをやっていた捻くれ者だ。せいぜいこき使え!」
「やかましい! 二十六年前まで、その盗賊団を率いていたのはアンタじゃねぇか!」
いきなり言い争いを始めたせいで、アハドは緑眼の魔術師に殴られて、顔に大きな痣が出来ていた。
イケメンが、台無しになってしまった。
カイユームという男は、一見すると茶色髪のイケメンだが、灰色の長衣を着て線が細い。加えて小さな眼鏡をかけた、魔術師だった。
かつて召喚魔法を試した際、ネフェルカーラを呼び出してしまった事があるらしく、今では”契約”によって彼女の命令に逆らえないらしい。
魔術師と魔族の関係性から考えれば、普通は逆なのではなかろうか? と思ったが、とりあえず、俺は深いことを聞くのはやめた。
常に”がたがた”と震えるカイユームが、気の毒だったからだ。
こうして、情報部隊の幹部達が揃った。
そして、この日を境に、ジャービル率いる俺の情報部隊は暗躍を始める。
しかし半月も経った頃、情報部隊に割り振られた千人隊の人員は、五百名を割った。
それは、上官達の過酷な要求に、守護騎士の精鋭と言えども耐えきれず、次々と脱落していったからだ。
しかし、残った五百名余は、いつしか闇隊と呼ばれる様になり、敵、味方の区別なく、恐怖の対象となる部隊に成長したのだった。




