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勝利の後で

 ◆


 マディーナ会戦の翌日、早朝に、俺はファルナーズ率いる本隊と合流した。

 本来は俺の方から挨拶に行くのが筋なんだろうけど、この日、俺は捕虜の処理など雑務に追われ、多忙だった。そのお陰で、俺の本陣までファルナーズが馬を進め、労いの言葉をかけにやってきてくれた。


「シャムシール、アシュラフを討つとは……僅かの間に随分と成長したのう」


 俺が下馬して片膝をついていると、自身も下馬して、俺の手を取り頷くファルナーズは、嬉しそうに笑顔を浮かべていた。

 

 捕虜たちの武装解除は既に終えているので、後はファルナーズの許可さえもらえれば、リヤド軍を解放する事になる。

 しかし、その前にアシュラフの遺体をファルナーズに見てもらわなければならなかった。

 そうでなければ、戦勝の証拠とならないのだから、仕方が無い。

 俺は立ち上がると、アシュラフの遺体が安置してある天幕にファルナーズを案内した。


 既に首と胴が離れているアシュラフは、誰が見ても気持ちの良いものではない。

 一応、香が焚かれ、腐敗臭がしないよう配慮がされていたが、それでも気温が上がってくれば、どうなるか分かったものではない。

 だから、はやくファルナーズに検分を済ませてもらい、これの処理をしたい俺だった。


「シャムシール、知っておるか。この男が父上とナセルの仲を裂いたのじゃ」


「……初耳です」


「とはいえ父上も、己が野心の為には、ナセルから離れざるを得なかったのだから、殊更ことさら恨むものでは無いが……」


 遺体を覆う布を捲り、アシュラフの苦悶に歪む顔を確認したファルナーズは、静かに口を開いた。

 恐らく、ファルナーズ達しか知らなかったリヤド宮廷の権力闘争を語っているのだろう。

 そう、俺は理解した。

 とすれば、アシュラフがナセルを操り、操られたナセルはサーリフを謀殺し、そしてアシュラフは俺に討たれた、ということか。


 ――いや、違和感があるぞ。あのナセルがアシュラフなんかに操られるだろうか?


「それにしても、結果として、最も良い思いをするのはナセルだろう。となれば、ここまでをナセルが描いている可能性もあるぞ」


 俺の内心に湧いた疑問の答えは、腕組みをして、不快気なネフェルカーラが示してくた。

 銀髪の小鬼は下唇を噛み、悔しげな表情を一瞬だけ浮かべたが、すぐに踵を返し、宣言した。


「そうだとしても、証拠は何処にも無い。

 ともかく、この者は反逆者じゃ。

 ならば、聖帝カリフの下に送るのが筋であろう。

 聖帝カリフは未だオロンテスにおられるはず。ならば、遺体をオロンテスへ送り、ナセルにも見せ付けてやるのじゃ!」


「はっ」


 ファルナーズの毅然とした声が、天幕に響いた。

 ついで、ネフェルカーラの抑揚の無い返事が聞こえる。

 

 俺にも、ファルナーズの意図は分かった。

 次はお前の番だ、とナセルに伝えたいのだろう。

 しかし、俺にはナセルがアシュラフよりも甘い相手には、どうしても思えなかった。

 むしろ、ナセルという男は、アシュラフの遺体さえ利用する気がしてならない。その辺の事はネフェルカーラが思い当たりそうだが、彼女は既に頬を覆う覆面をつけているので、表情さえ読めない。

 しかし、ファルナーズの命令に反対しない所を見れば、それで問題はないのだろう。

 ならば、俺もファルナーズの意思に反対する理由はない。

 せめて、父を失った小鬼に、今ばかりは溜飲を下ろさせてやっても良いのではないか、と思ったからだ。


 ◆◆


 太陽が城壁よりも高く上った頃、俺達はマディーナに帰還した。

 門は、既に先触れの使者が到着していた為に、あっさりと開き、新たな太守を迎え入れた。

 それと代わる様に、城門から武装を解除して出てくる兵達がいた。ざっと、一万五千程はいただろう。

 もしも、これと戦うハメになっていたら、苦戦は免れなかったはずだ。

 しかし、俺達がアシュラフを一日で破ったことで、敵は戦意を喪失していた。だから、ファルナーズの使者は丁重に迎えられ、ほぼ無条件でマディーナは開放されたのであった。

 それに伴い、元々サーリフが残した守備部隊の人員も牢から解放されたが、皆一様に怪我を負い、やせ衰えていた。加えて、その数は千名以下になっていた。

 もちろん、マディーナを包囲され、果敢に戦った生き残りなのだから、ファルナーズが彼等を手厚く迎えた事は、言うまでも無いだろう。


 それと一つ、嬉しい誤算もあった。

 アシュラフの奴隷騎士マルムークのうち、一万人程が、ファルナーズの指揮下に入りたい、と申し出てきたのだ。

 もとより、彼等は敗者で、捕虜である。そして奴隷なのだから、所有者が変わる、という事も当然有り得るのだ。


 アシュラフは、数々の砂漠民ベドウィン部族を滅亡させて、自らの奴隷騎士マルムークにしていたのだから、実はかなり嫌われていたのだ。

 そもそも、先のオロンテス戦で大きく数を減らしたマディーナ軍である。となれば、ファルナーズは早速彼等を自軍に編入したのであった。


 ◆◆◆


 その後、マディーナに帰還して数日は、俺もファルナーズも、ネフェルカーラさえも多忙を極めて、飛ぶように過ぎていった。

 まず、俺の軍は、全軍をマディーナ市内に駐屯させる事が出来ないので、周辺の衛星都市に千人ずつ五箇所に配置した。

 そもそも、俺の立場は聖帝カリフ直属の守護騎士ムカーティラとなっている。

 だから、俺が兵を配置した五箇所というのは、かねてよりシェヘラザードと話し合って決めた、聖帝カリフの直轄領という事にもなる。

 まあ、ということは、結局ファルナーズがサーリフから受け継いだ領地が減ったという事なのだが。

 しかし、良く考えれば、俺の給料や俺の部下達の給料はシバール国持ちなのだから、ファルナーズにもある程度は利点があるのだ。所謂、俺は抑止力というものらしいし。

 そして、残りの五千人は、黒甲将軍カラ・アミール府という所を開設して、市内に駐屯する事になった。これは、群青玉葱城アズラクに程近い敷地を借り上げて、整地し、新たに施設を建てる事になった。

 つまり今後、ここが、マディーナ地方における聖帝カリフの軍事拠点ということになる。

 これは同時に、ファルナーズとシェヘラザードの友好の証、という意味合いも持っていた。

 それと、俺が何だかんだでファルナーズに信用されている、という理由もある。だって、一つの国に二つの軍組織があるようなモノなのだから、普通なら怖いだろう。ましてや、ファルナーズは、俺に対する指揮権を持っていないのだ。あくまでも、俺を動かす時は、要請、という形になるらしいし。

 とにかく黒甲将軍カラ・アミール府は、当面は広大な敷地に天幕を張り、順次兵舎が出来次第、兵達をそこに収容する形になる。

 なので俺は、今も変わらずサーリフに貰った邸で暮らしていた。

 俺も、俺の部屋が完成しないと、黒甲将軍カラ・アミール府に移れないのだ。


 それから竜達は、竜舎の中で、全身を鎖で雁字搦めにされて縛られていた。

 それを見たアエリノールは涙を流していたが、結局、そんなもので竜の鱗が傷つくものではない。まったくの無傷だったということだ。

 マディーナ会戦の折、幾度か竜を呼んで貰おうとしたが無反応だったのは、こういう事だったのか、と、俺は一人納得していた。


 ネフェルカーラが忙しくなったのは、行政官ハーシブというものになったからだ。

 そもそも、全軍が帰還するなり、サーリフの葬儀を取り仕切ったのだから、そりゃあ忙しいだろう。

 しかし、普段から黒を好んでいるネフェルカーラは、妙に葬儀を取り仕切るのが似合っていた。


「ああ、もうっ! なんでおれがこんな事までせねばならんのだっ!」


 と、帰宅する度に文句を言っていたが、仕事はまったく丁寧で的確だった。

 だが、葬儀に関しては、サーリフの妻であるアーザーデがよく協力してくれたらしく、いつの間にか自分の部下にしていた。

 

 それから、軍事一辺倒だったサーリフのマディーナ統治は、公正であっても合理的ではなかったらしい。

 ネフェルカーラは、あらゆる数字を把握する為に、手際よく部下に様々な命令を出している。どうやら、内政を充実させようとしている様だった。

 ていうか、なんでこの人、そんな事まで出来るんだろう? と不思議に思う。

 それから、相変わらず俺の家に住んでるのは、なんなんだろう? と疑問は尽きない。


 住んでいる、といえば、ハールーンが俺の邸から出て行った。

 出て行く時に名残惜しそうにしていたが、ハールーンも実は万人将になったのだ。それで奴隷暮らしは、さすがにまずい。

 だが、ハールーンが万人将になったのは、先だって降った砂漠民ベドウィンの部隊を統率するのに、ハールーン以上の人材はいないでしょ? と、うっかり俺が、ファルナーズに口を滑らせた事が原因らしい。


「シャムシールの馬鹿ぁ。もう、一緒に暮らせないよぉ」


 目に涙を浮かべたハールーンは、俺の邸を出る時に、こんな恨み言をいっていた。

 もっとも、ハールーンは今後、群青玉葱アズラク城に部屋を与えられるのだ。となれば、ファルナーズと一緒に暮らすのだから、ある意味、俺は羨ましい。

 

 代わりに、ハールーンが使っていた部屋に、オットーが入った。

 オットーは、その存在のお陰で、邸の暑苦しさを三倍程上げた。けれど、料理がハールーンと互角に上手だったので、誰も文句は言わなかった。

 何より、オロンテス風の料理を作れることが素晴らしい。

 だが、俺が「オットーママ!」と呼んだら、筋肉達磨は怒った。意味を理解できずとも、不快になる言葉はあるらしい。

 他の皆はといえば、千人長になってもあまり変わらないようだ。

 シャジャルは相変わらず俺と暮らす事を望んでいるし、アエリノールは、生活能力が無いらしく、自分で家を選べない。セシリアはアエリノールと一緒にいれば良いみたいだから、ここに住み続ける事に不満は無いようだった。

 まあ、どうせ黒甲将軍カラ・アミール府が出来ちゃえば、皆、そっちに移動するのだから、今、わざわざ引越しをする必要も無いだろう。

 ちなみに、ドゥバーンも俺の家に荷物を持ってやって来たが、ネフェルカーラに追い払われていた。


「嫁入り道具を燃やされたでござる!」

 

 こう言いながら涙に濡れるドゥバーンを、しつこく蹴飛ばしていたネフェルカーラの姿が、とても俺の印象に残っている。


 ◆◆◆◆


「うーん、うーん」


 ある日の夕食時、俺の左隣でネフェルカーラがひたすら頭を悩ませていた。


「どうしたの?」


「うむ。マディーナの人口を数えたのだがな、二十三万人程しかおらぬ、と、統計が出たのだ」


「もっと多いかと思っていたけど」


「そうなのだ、実数はもっと多い。

 おれはな、税をきちんと取り立てようと思って人々の数を数えたのだ。しかしな、数に含まれぬ、個人所有の労働奴隷も当然存在していてな、どうしても、これが把握出来んのだ」


「え、と、つまり、本当は何人位いるの?」


「うむ。三十万人は下るまい」


 ネフェルカーラは腕組みをして、唸っている。

 今日の料理当番はオットーなので、多分、ネフェルカーラの悩みを一番理解してくれそうな人は、ここにいなかった。


「それが、何か問題?」


 俺の右隣で、アエリノールが口を挟む。

 既にお腹が空き過ぎているのか、目が血走っていた。


「問題だ! 税は取れぬし、何より、三十万を養えるだけの食料を供給する力は、今のマディーナにはない。つまり、騎士ではない奴隷は、状況によって、何処かで人知れず処分されておる、ということだ。

 ともかく、まずは正確な数を把握して、改善策を講じねば」


「なるほど! だから、皆、シャムシールの奴隷にしないと駄目なんだよ!」


 額に手を当てて溜息をつくネフェルカーラに、アエリノールのどうしょもない発言が重なる。

 緑眼がジットリと碧眼に向けられると、既に食卓前は一触即発だった。


「奴隷など、聖教国でもそのようなもの。上流の家ならいざ知らず、庶民が奴隷を買えば、結局養えなくなって、皆、捨てていたな」


 セシリアが、俺の正面で沈痛な面持ちを浮かべている。


「ま、そうだな。そして、そんな奴隷達の末路は、盗賊や山賊、か」


 大きな皿に炙り肉を大量に乗せたオットーが、食卓に現われて会話に加わった。

 何故かオットーも、料理の類が得意なのである。

 本人に聞いたら、野営を数多くしている内に、料理に慣れた、との事だった。なんでも、下級貴族の出だったので、騎士団長に至るまで、様々な階級を経験したそうだ。男爵になったのも、騎士団長が貴族ですらないのはマズイと養子縁組をした結果、とのことだった。

 シャジャルもオットーの後について、次々と料理を並べる。

 この青髪の少女は、アシュラフを討ち果たしてからというもの、憑き物が落ちたかのように女性らしく振舞うようになり、出来るだけ料理をするようになっていた。


「でも、ネフェルカーラさま。それは世の習いなれば、殊更改善させる意味はあるのですか?」


 シャジャルは、”ピタ”と呼ばれる薄いパンを乗せた皿を食卓に置くと、ネフェルカーラに問うた。アエリノールより、よっぽど大人びた質問である。


「あるぞ。その奴隷たちが普通に生活出来たとする。すると、税収が上がるだろう? あわよくば、騎士にも出来よう。ならば、マディーナの戦力が上がるではないか」


「でも、戦力を上げてどうするんだ? 今、オロンテスは滅亡したし、ナセルは敵かも知れないけど……俺がここに居る以上、ここを攻める事は出来ないだろう?」

 

 つまり、ネフェルカーラのやりたい事は、簡単に言えば”富国強兵”というものなのだろう。加えて、奴隷を大切にする、というのだから、理想的かも知れない。

 ただ、気になるのは、妙にネフェルカーラが焦っているように見える事だった。そんなに急いで戦力を整える必要が、マディーナにはあるのか? 俺には不思議だったのだ。


「ふむ。シャムシールはまだ知らぬのだな。

 北西ではフローレンス聖教国が滅び、新たに神聖フローレンス帝国が生まれたそうだ。そして東では、クレイト帝国のベルゲ・ハーンが強大な兵をシバールに向け、進発させたという。

 ……となれば、我等は、それに備えなければならんのだ」 


「そんなことが……その上、ナセルも油断出来ない、と?」


 ネフェルカーラの口元は相変わらず笑っていたが、決して状況を軽んじている訳ではない。

 俺は、シバール国の東西を巡る状況に関して、余りに無知だった事をネフェルカーラの言葉で知った。

 そして、脳裏を過ぎったのはナセルの鋭い眼光である。


「そう、だな」


 俺の言葉に頷いたネフェルカーラは、ふと、切れ長の目を細め、忌々しそうに呟いたのであった。

 同時に、セシリアが目を見開いて絶句し、アエリノールが椅子を”がたり”と揺らして立ち上がっていた。

 多分、俺の言葉ではなく、前のネフェルカーラの言葉に反応しての事だろう。

 反応に時間差が生まれる程、二人は驚愕している様だった。

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