全軍突撃
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俺が敵中に馬を躍りこませると、面白いように敵陣が割れてゆく。
これは、背後を衝かれた軍の脆さを既に知っているから、実行出来た事だろう。いくらネフェルカーラを助ける為とは言っても、二ヶ月前の俺だったら、絶対にこんな事は出来ないし、半年前の俺だったら、既に失神しているはずだ。
いや、今だって、背後からとはいえ、単騎で敵中に入るなんて、怖くて仕方ないのは違いない。だが、最近身に着けた妙な自信が、俺の身体を突き動かすのだ。
俺は、敵兵を槍で背中から貫き、そのまま敵の身体を槍先にかけて持ち上げ、名乗りを上げる。
「俺は黒甲将軍シャムシール! 死にたくなければ、皆、どけっ!」
使えるモノは、全て使わなければ生き残れない。今は、こんなハッタリも試す価値があるのだ。
そして、このハッタリは、功を奏した。
敵中から悲鳴が上がり、俺の名乗りが、それなりに効果を持っていた事を告げる。
逆効果になって、敵が一斉に向かってきたらどうしよう! と思っていただけに、安堵したことで、冑の中の汗が少し乾く。
「ふむ。名乗るだけで敵を退けてゆくとは、黒甲将軍の異名も、いよいよ本物になってきたか」
俺の腕の中で、ネフェルカーラが緑眼を開き、周囲に視線を走らせていた。
「ん、もう大丈夫なのか?」
「……だ、ダメだ。背中が痛い。それから、腕もひりひりする。ああ……」
俺が声を掛けると、再び瞼を閉じて、ネフェルカーラはぐったりした。
しかし、魔術師の口元は僅かに笑っていたのだから、俺も少しだけ勇気付けられた。
ネフェルカーラが死ぬかもしれない、という不安からは開放されたからだ。
俺の駆る栗毛の馬は、敵陣の半ば程に到達していた。
同時に、前方では味方が暴れ回り、敵兵が四散して逃げ始めている。
さらに俺が馬を進めると、最前線で槍を振うセシリアの姿が見えた。
中央突破を図る構えを見せてはいるが、決して突出せず、押しては退き、退いては押すを繰り返し、着実に敵を屠っている。
それと同時に、セシリアの左右に展開する千人隊が口々に、
「アシュラフを討ち取った!」
と、叫んでいるのだから、敵兵の士気はひたすら下がってゆく。
加えて俺が自軍の後方を荒らしまわるのだから、敵兵はもはや疑心暗鬼も甚だしいだろう。
「黒甲将軍だ!」
「裏切って、黒甲将軍に付いた者もいるぞっ!」
など、様々な憶測が怒号になって飛び交うアシュラフの前衛は、もはや崩れる寸前だった。
◆◆
俺が敵中を突破して、突撃を繰り返す自軍に入ると、すぐに心配げなセシリアが馬を寄せてきた。
「ネ、ネフェルカーラ?」
俺の腕の中で、小さく息をしている緑眼の魔術師を見るなり、信じられない、とでも言うように目を丸くしたセシリアである。しかし、すぐに馬首を返して敵中に踊りこむと、赤毛の勇将は大声で叫んでいた。
「シャムシールは早くドゥバーンと合流を!」
俺は頷くと、再び馬を走らせた。
もう、敵中を突破する必要もないので、駆ける事に専念出来る。
俺が本陣に辿り着く頃には、ハールーン隊がセシリア隊に続いて突撃をかけていた。
「ドゥバーン! ネフェルカーラが怪我を! 急いで治療してくれ!」
だが、俺はそれには構わず、ネフェルカーラを抱えて馬から下りると、天幕に入った。それから、ドゥバーンを呼んで、ネフェルカーラの治療をするように指示を出した。
慌てたドゥバーンは、天幕に戻りネフェルカーラの姿を一瞥すると、呟いていた。
「そ、その……ネフェルカーラさまの一体どこに傷が……? 拙者には、わからぬでござるが?」
さらにドゥバーンは、横たえられたネフェルカーラに手を触れ、確認するように指を這わせた。
やはり首を傾げるドゥバーンは、理解に苦しんでいるようだった。
たしかに、そういえばネフェルカーラの顔色は良くなっており、規則正しい呼吸は、寝息と思えなくもない。
所々裂けた短衣は痛々しいが、その奥で血は固まり、瑞々しい皮膚が再生している様だった。
「ネ、ネフェルカーラ?」
俺は、ネフェルカーラの肩を揺すってみた。それから、一番深い、左腕にあったはずの傷を見る。すると、やはり傷は完全に塞がり、これも、滑らかな肌が完璧なまでに再生している。
「む? もう着いたのか? まあ、ある程度安静にしておれば、この程度の傷は回復する。迷惑をかけたな」
ネフェルカーラは”むくり”と起き上がると、不機嫌そうに言った。
だが、すぐに唇の両端を吊り上げると、
「敵を殲滅するには、丁度良い頃合か?」
「はっ、逐次突撃をかけておりまする。
最後にアエリノール殿の突撃をもって敵を殲滅いたす所存でしたが、そこに我等も加われば、さらに完璧かと。
差し当たり、全ては順調でござる」
「ほう」
ネフェルカーラが緑眼を俺に向けて言うと、答えたのはオッドアイのドゥバーンだった。
ネフェルカーラは、俺の隣で肩ひざを付くドゥバーンの黒い右目と蒼い左目を眺め、感心した様に呟いた。
「シャムシールの帰還を待たず、当初の予定通り、兵を動かしていたのか?」
「はっ」
「ふん。では、アエリノールはさぞや荒れたであろう?」
「はい。されど、シャムシールさまを救出するにも、拙者は当初の予定通り、兵を動かす方が良いと考えました。
アエリノール殿には、シャムシールさまに万が一の事あらば、拙者も命を絶ちまする、とだけ伝えたのでござる」
「なるほど、な。それで、あの馬鹿も納得したか」
ネフェルカーラは立ち上がり、布で体の血を拭いながら、ドゥバーンの話に頷いていた。
緑眼は冷たい輝きを放っていたが、それを跳ね返すようにドゥバーンのオッドアイは力強い。
「シャムシールさまの御武勇、拙者、初陣の頃より見てまいりました。例え万の敵中に孤立しても、むざと討ち死にされる事、万に一つも無いと考えておりました故」
「ふっ、ふはははは! ドゥバーン、よく言った」
未だ片膝を付いたままのドゥバーンに、ようやく明るい声をかけたネフェルカーラだ。
彼女は、いつの間にか俺の天幕から手ごろな長衣を見つけ、身に纏い、ついでに剣も腰帯に刺していた。
「さて、シャムシール。作戦の最後は全軍で突撃し、アシュラフ軍を壊滅に追い込むのであろう?
せっかくだ、たまにはおれも、お前の隣で戦おう。それに、先ほどの魔矢を放った者に、鉄槌を与えねばならん」
「ネフェルカーラ、身体は大丈夫なのか?」
口元を吊り上げて笑うネフェルカーラは、妖艶と凶悪の半ば、といった表情を浮かべて俺を見た。
正直、あれ程の深手が、たったこれだけの短時間で回復するとは、信じきれない俺である。まじまじとネフェルカーラを見つめると、困ったらしい緑眼の魔術師は、目を逸らし、身体を捻って照れている様だった。
「う、うむ。実は、大分前から問題ない! 何となく、お前の腕で抱かれているのが心地よくてな! ふは、ふはは、ふははは!」
相変わらずネフェルカーラの感覚は分からないが、見た限りでは、毒の影響も無いのだろう。
元気に哄笑すると、軽やかに天幕の外に歩む緑眼の魔術師は、確かに健康そのものといった足取りだった。
俺はドゥバーンと顔を見合わせ、一つ頷いて、作戦の仕上げにかかるよう指示を出した。
◆◆◆
夜の沙漠の直上には、弦月の月が輝いて、地上をそれなりに照らしている状態だ。少なくとも、沙漠の砂は青みを帯びた輝きを放ち、足元が見えないという事は無い。
ドゥバーンが立てた作戦の終末は、突撃によるアシュラフ軍の撃滅だった。
本来、俺も皆と同時に戻っているはずで、俺達が戻ると同時に各千人隊が逐次アシュラフ軍へ突撃を掛け、混乱を煽る。最後に俺が本隊を率いて撃滅する、という作戦だったのだ。
問題があったとすれば、俺が本陣に戻るのに時間が掛かっただけのこと。それ以外は、全てが順調に進んでいる状態だった。
最初に突撃をかけたセシリアは、既に背後に退き、兵を休めていた。
勿論、俺が突撃を掛ける際、再び突撃をする事になるので、暫しの休憩である。
今は、アエリノールとシャジャルが敵を攻め立てていた。
この二人には、俺が突入してもそのまま頑張って貰う事になるが、問題は無いだろう。遠目から見ても、明らかに士気が高い。とくにシャジャルの隊は、アシュラフを討ったシャジャルの熱狂が、そのまま伝播でもしたのだろう。凄まじい勢いで、敵を蹂躙している。
本陣で、またしてもネフェルカーラが何処からか調達した黒馬に、俺は跨っていた。
右にネフェルカーラ、左にオットー。背後にドゥバーンを従えて、俺は本隊の先頭に立っている。
そういえばオットーは、俺が無事に戻った事を泣いて喜んでくれたが、すぐに気持ちを切り替えたらしく、
「まあ、俺に打ち勝った男が、あの程度の危地を抜け出せぬはずはないな! わははは!」
なんて言っていた。
今は、鎖帷子を筋肉で盛り上げて、鼻息も荒く敵陣を見つめる筋肉達磨だ。
とにかく今、俺が捧げ持った槍を振り下ろせば、それで全軍が突撃する事になる。
敵は、既に散り散りになりかけていた。となれば、最終的な勝利を決める、今は絶好の機会なのだ。
俺は、無言で槍を振り下ろし、馬を駆けさせる。
「全軍突撃! 蹂躙せよっ!」
「突撃!」
俺の背後で、ドゥバーンの声が聞こえた。
ついで、兵達の血気にはやる声が、唱和する。
数千の人馬が一体となって、夜の砂漠を駆けてゆく。
眼前に広がる敵は、既に悲鳴を上げて、我先にと逃げ惑う有様だ。
すでに、アエリノールが蹂躙し、シャジャルが破砕しているのだから当然だろう。そして、俺の本隊に続き、ハールーン隊もセシリア隊も、突撃に加わった。
今、俺の軍は一兵も余すこと無く、敵に向かっている。
――まさに、一万人による突撃だった――
「シャムシール! 見つけたぞっ! 兵を百程借りるっ!」
弦月に白皙の頬を輝かせて、赤い唇を歪めて俺に言うのは、ネフェルカーラだった。
右前方に、長衣を着て馬を駆る、妙な集団を視界に納めて、ネフェルカーラはあっさりと転進し、彼等を追った。
俺は、左手を掲げ、指を三本立てて、ネフェルカーラに向けて振り下ろした。
百人隊の三番隊に、ネフェルカーラを追え、と指示を出したのだ。
すると、すぐに三番隊がネフェルカーラに従って、俺の下から離れる。
あとは作業の如く、俺は敵を倒し続けただけだった。
これといって強敵に会うことも無く、ただひたすらに馬上から槍を振り下ろせば、敵は数を減らしていった。
問題があったとすれば、途中、アエリノールと合流した時に、
「シャムシール! ごめん! 無事で良かった!」
などといって、金髪の上位妖精が、馬上から飛び、俺に抱き付いてきた時に困った位のものだろう。
あの時は、身動きが取れず、敵の槍を肩に二、三撃受けてしまった。
アエリノールを殴ろうか? とも一瞬思ったが、金髪がとても良い匂いだったので、彼女を許したのだった。
それに、長衣の集団を片付けたネフェルカーラが、アエリノールを見つけるなり、容赦なく引っ叩いていた。とすれば、俺がこれ以上叱ったら、金髪の上位妖精は、ションボリしすぎて五時間位、口をきいてくれなくなる。それも面倒だったのだ。
こうして戦闘は、俺が突入してから一時間も掛からずに決着が付いた。
いや、決着は、最初から付いていたのだろう。そもそも、既にアシュラフを討ち取っているのだから。
だから、敵兵達の大半が散り散りになって逃げ去ってしまうと、アシュラフの本陣に取り残された武将が、俺に降伏の意を伝えてきた。
「もはや、我等は主を失い、戦う意味を持ちませぬ。この上は、私の命と引き換えに、兵達を無事、リヤドへ帰還させて頂けませぬか?」
俺の下へ現われた敵将は、こう言った。
これに対して、俺は断るつもりも無く、鷹揚に頷いたのだが、ネフェルカーラが口を三日月形に歪め、容赦の無い言葉を投げつけていた。
「それは認めよう。されど、アシュラフの死体はおいて行かれよ。少なくとも、アシュラフは聖帝に認められたマディーナ太守に対し、弓を引く愚を犯したのだ。言うなれば、反逆者であろう? なれば、死体と言えども我等がマディーナ太守、ファルナーズさまが裁くべきもの。
また、アシュラフの罪状は、聖帝直属の守護騎士たる、シャムシール卿のよく知りたもう事なれば、な」
「なっ! シャムシール卿は守護騎士であられたのか!?」
どうやら、俺の所属を知らなかったらしい敵将は、既に下馬して跪いていたにも拘らず、さらに一回り小さくなったように見えた。
つまり、アシュラフは反逆者として俺に討たれた、と理解したのだろう。となれば、ここで彼が命を賭けたとしても、リヤドの先行きは前途多難に違いない。そんな絶望が、敵将の肩身をさらに狭くしていたのだろう。
ともかく、こうして後に、マディーナ会戦と呼ばれるこの戦は、俺の圧倒的勝利で幕を閉じたのであった。




