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敵中突破

 ◆

 

 アエリノールと俺は、馬首を互いに逆方向に向けて、死角を補いつつ戦っている。

 ここは、アシュラフ軍本陣の中でも中枢部なのだから、流石に敵も精鋭だった。しかも俺達は、戦いに来た、という体ではないから、残念な事に槍さえ無い。

 ということで、俺はそれ程得意ではない魔法も駆使して、何とか押し寄せる敵を撃退しているという状況だった。

 加えて、アエリノールのびっくり発言で気が動転している俺が放つ火球は、十回に一回位の割合で百円ライターと互角の威力に低下する。それが、アエリノールの笑いのツボを刺激して、金髪の上位妖精ハイエルフは、何ともいえない表情で戦っていた。


「ぷふっ! こ、ここはわたしが何とかするから、シャムシールが幻界に行って!」


 俺の隣で敵を両断しつつ、笑いをかみ殺してアエリノールが叫んでいた。


「いや、アエリノールが幻界に行ってくれ! じゃないと、みんな出口がわからないだろ!」


 俺も、出来ればアエリノールの提案に賛成したかった。しかし、賛成してみた所で、良い結果は齎さない。何しろ、幻界とやらで、ハールーン、シャジャル、オットーと一緒に彷徨う事になるだけなのだ。となれば、意味が無い。

 

「で、でも、それじゃシャムシールが!」


「なんとかするよっ!」


「わ、わかった! ごめん、シャムシール! 皆を帰陣させたら、すぐ助けにくるね! 少しだけ待ってて!」


「ああ! ドゥバーンに伝えれば、すぐに兵を動かしてくれるはずだからっ!」


 俺もアエリノールも、互いに敵を斬りまくり、血煙を巻き上げながら会話をしていた。

 今回ばかりは流石のアエリノールも返り血を浴びて、全身がどす黒く染まっていたが、それさえ気に出来ないような状況なのだ。

 敵は、主君を討たれた事で、正気を失ったかのように次々と飛び掛ってくる。ここは本陣最深部なので、親衛隊とか、そういう種類の敵兵達なのだろう。

 矢も次々に射掛けられるが、今の所アエリノールが発動している風の精霊魔法と、俺達の技量のお陰で当たる事はなかった。

 とはいえ、もはや魔法で防ぐには限界を超えた矢の数である。時に、淡い光を帯びた矢が飛んでくることがあり、それらは漏れなく魔力を帯びた、追尾式の矢だった。だから、それだけは丁寧に撃ち落すしかなかった。


 アエリノールが幻界に消えたのは、そんな状況の時である。


 当然アエリノールが幻界に消えると、次々に降り注ぐ矢が、俺の鎧に当たる。風の精霊の援護無しには、全ての矢を捌ききるなど到底出来る事ではないのだ。

 俺は、鎧のお陰でどんな弓矢も通さなかったが、馬はそうではない。俺の跨る黒馬が悲痛な嘶きを上げて、前足を折った。

 急に体勢を崩した馬から、俺は砂の上に投げ出された。

 槍が八方から迫り、俺は流石に死を覚悟した。

 しかし、実際に俺が死ぬ事はなかった。なんと、鎧が淡く輝き、敵の槍を先端から溶かしてしまったのである。

 まったく馬鹿げた防御力だ! なんて泣きそうになりながら、俺はネフェルカーラを呼んだ。

 黒く輝く鎧を見て、俺はネフェルカーラの言葉を思い出した。

「何かあったら、すぐに呼べ」と、ネフェルカーラは言っていたじゃないか。まさに、今が”何か”だよ。


「ネフェルカーラぁ……俺、今死にそう」


(ん?)


 俺は立ち上がりざま、身体を半回転させて、群がる敵の胴体を両断した。武器を構えていた者は、武器ごと両断されたのだからたまったものではないのだろう。一瞬だけ、俺の周囲から敵兵が後ずさってゆく。


「……なんだ、この状況は?」


 その時、目の前で空気が揺れ、ほのかな甘い香りが俺の鼻腔を擽った。

 艶やかな黒髪を夜風に揺らし、右手に持った無花果イチジクを頬張る緑眼の魔術師が、俺の眼前に現われたのだ。

 

 口元を覆う薄布をしていないネフェルカーラは、既に就寝の準備でもしていたのだろう。服装も、短衣だけで、白い太ももが篝火に照らされて妖しく輝いていた。


「ネフェルカーラ……剣は?」


「ん?」


 慌てて腰の左に手を回す緑眼の魔術師は、無花果を飲み込むと、無表情のまま舌を”ぺろり”と出した。

 照れ隠しをするときに、シャジャルがやっている仕草を見て覚えたらしいが、どう考えても目が笑っていないので怖い。


「忘れた。お前が『死にそう』等と言うから、慌てて来たのだ。仕方あるまい」


 言いながらも、自身に群がる敵兵の斬撃を軽やかなステップでかわすネフェルカーラだ。

 

 俺の方は、敵の突きをかわし、槍を奪って新たな武器を手に入れていた。流石に、槍と曲刀では長さが違いすぎて戦うのが辛いのだ。

 槍を左手に持って、ネフェルカーラに迫る敵の胸を突き、右手の魔剣で、躍り来るテュルク人奴隷騎士マルムークを、俺は斬り伏せた。


「おお、おお。流石、黒甲将軍カラ・アミールやるものだ」


 ネフェルカーラが、目を細めて俺を見つめている。時に右手から稲妻を迸らせて、敵を黒焦げにしているが、基本的には眠そうに目を擦っていた。


「感心してないで、転移させてくれないか? ここから逃げたいんだ!」


 俺は、このままでは埒が明かないと思い、ネフェルカーラに用件を伝えた。


「出来んぞ。おれがここに来れたのは、その鎧に仕込んである転移石のお陰だ。あとは、マディーナの我が家へならば転移出来るが、そこも敵の手に落ちていよう?」


 ――ちょ! ネフェルカーラさん、一体、この人は何しに来たんだ?


 俺は、目の前が真っ暗になる思いがした。

 敵の槍が俺の胸甲に当たって火花を散らしていたが、それさえも気にならなかった程だ。


「ね、ねえ、この状況はわかるよね? 何とかしないと、ネフェルカーラも死ぬよ?」


「うむ。流石にこの数に囲まれていては、なぶり殺しだな。だが、おれ程に美しければ、殺されず、兵どもの慰みものになるやもしれぬ。シャムシールも、さぞや心配であろう」


「い、いや。心配だけども、そもそもネフェルカーラを慰みものに出来る人って、いるの……?」


 頬に左手を添えて、身体を捻る緑眼の魔術師は、右手で敵の首を絞め、持ち上げていた。

 その表情が、やや恍惚としているのは何でだろう、余裕なのか?


「……まあ、冗談はさておき、切り抜けるしかあるまいな。

 たしかに、気が動転して武器も持たずにやってきたのは、まずかったな」


 敵を投げ飛ばすと、軽く舌打ちをしたネフェルカーラは、静かに印を結び、何事かを唱えた。

 すると、上空から幾筋もの雷光が迸り、轟音を立てて敵中に落ちる。

 砂煙と同時に悲鳴が上がり、指揮官達の叱咤がそれに続いていた。


「アエリノールはどうしたんだ?」


「……消失バニッシュで使う魔力が足りなくなって、先に皆と一緒に戻った」


「肝心な時に、あの馬鹿は」


 ネフェルカーラの問いは、当然だった。この場に俺一人だという状況が、そもそもおかしいのだ。その上アエリノールが居ないなど、ネフェルカーラに聞かせた作戦とは、大分違う状況になっていた。

 俺の説明を聞くと、軽く眉を顰めた緑眼の魔術師は、騎乗した敵に身体を向けて、意を決したように言った。


「まず、馬を奪おう」


「……その、呼んじゃって、ごめん。ネフェルカーラは飛べるだろ? 先に戻っててくれ」


 ネフェルカーラの提案は尤もだった。けれど、ネフェルカーラまでそんな危険に付き合わせることはない、と、俺の何処かが言っていた。

 そもそも、転移が出来れば、俺もネフェルカーラも安全だと思ったから呼んだのだ。

 今、妙に冷静な自分が不思議だけれど、俺はここで死ぬかも知れないと思いつつも、一人で切り抜けられる気もしていた。

 いや、それよりも、死ぬとしたら、それも仕方が無いと思える程に、多分、俺は多くの人を殺している、そう思ったのだ。


 そんな俺をネフェルカーラが細眉を吊り上げ、まじまじと見ている。

 近づき、勝手に俺の面頬を上げて、眉間に皺さえ寄せて、怒っているようだった。

 しかし、すぐにいつもの通り、口元を三日月形に歪めて、心底楽しそうに笑うネフェルカーラは、両手を腰に当てて、上機嫌そのものに変わっていた。


「馬鹿者! これだけ多くの敵兵がいるのだ。ふは、ふはは、ふはははは! 殺し放題ではないかっ! 帰れと言われても、帰れるものではないわっ!」


 実際、次々に強力な魔法を連発するネフェルカーラは、やりたい放題の有様だ。

 となれば、俺もネフェルカーラの提案通り、馬を駆る奴隷騎士マルムークに狙いを定め、落とし、馬を確保した。


 ◆◆


 背後から迫る敵には、ネフェルカーラが魔法で対応し、俺はとにかく前を切り開く事に専念していた。

 それでも、敵陣は分厚い。次から次へと敵が押し寄せる様は、いい加減諦めたくなる程だった。

 それでも諦めない理由は、嬉々として戦うネフェルカーラが頼もし過ぎるというのもあったが、それとは別に、敵の指揮系統が分裂している事が見て取れたからだ。


 本陣の中央を抜けてしまうと、敵は、明確な意図も無く戦っている様だった。

 つまり、敵兵は俺を倒そうとしているが、その理由が解らない為に、尻込みしているのだ。敵の指揮官がしきりに、


「賊だ! 賊を殺せ!」


 と、叫んでいるが、


「おい、あれは黒甲将軍カラ・アミールじゃないか?」


 などと敵の兵士達の間には、こんな狼狽を帯びた囁きも交わされていたのだ。

 その上、賊が何をしたのか、兵士達は皆、知らないのだ。


「アシュラフは、この黒甲将軍カラ・アミールが討ち取ったぞ!」


 試しに俺は、こう叫んでみた。


「うむ! 流石、おれのシャムシール! 成すべき事は、きちんと成したのだな!」


 歓声が後ろから聞こえたが、これは放っておこう。

 それに、最終的にとどめを刺したのはシャジャルなので、今、全てをネフェルカーラに説明するのは面倒だ。

 

 ともかく、この言葉を聞いた敵兵達は、俺達を囲む足を、二歩、三歩と下げ、息を飲んでいた。


「俺に挑んで、命を無駄にする事もあるまいっ! 退けっ! 俺の用は、もはや済んでいるっ!」


 俺は、さらに追い討ちの様に言葉を続けた。

 明らかな狼狽の声が、敵兵の中から上がっている。

 俺が馬を進めると、同様に敵が下がるのだ。

 

「……今だ、駆けるぞっ!」


 ネフェルカーラが、俺の後ろで叫んでいた。

 この言葉に俺も同意して、馬腹を蹴ると、全力で馬を走らせた。

 敵から奪った栗毛の馬は、ここに来るまで乗っていた黒馬に比べれば多少遅いが、それでも敵中を怖じることなく走ってくれるのは有り難い。

 こうして俺は、何とかアシュラフの本陣を抜け出す事が出来たのである。


 けれど、問題は一つだけではなかった。

 本陣を抜けても、前衛部隊がある。これをどう抜けるか、馬を駆りつつ、俺は頭を悩ませた。

 

 その時である。


 前方から鬨の声が上がり、俄かに敵軍が慌しくなった。

 見れば、黒影が、敵軍の更に前方から迫っている。


「こちらの軍が、動いたな」


「ああ、ドゥバーンが動かしてくれたんだと思う」


 ネフェルカーラが、髪をかき上げながら言った。俺は、このことでアエリノール達が無事に帰陣したことを知って、安堵した。


「ネフェルカーラ、このまま一気に駆け抜けよう」


 俺は前方を見据えて、敵の前衛が此方に注視していない事を悟ると、緑眼の魔術師に言った。

 やはり敵は、連携が取れていないのだ。

 本陣の賊を、前衛は知らないらしい。だから、後ろから敵が来るなどとは思ってもいないだろう。


 だが、見ればネフェルカーラはそこかしこに傷を負い、珍しく荒い息をしていた。

 もしかしたら、あらゆる攻撃を防いでいてくれたのかも知れない。

 特に深い傷は、左腕に負っているようだった。白い腕に、真っ赤な血が伝って、暗い砂に、黒い染みを作っている程だ。

 

「大丈夫か?」


「だ、大丈夫だ。常に回復はしておる。おれを何だと思ってい……」


 言い終わる前に、ネフェルカーラは”どさり”と砂の上に落ちた。

 まさか、ネフェルカーラが落馬をするなどと思っていなかった俺は、驚き、馬から飛び降りて彼女の様子を見た。

 背中に、一本の矢が刺さっている。

 俺は、それが毒矢だと瞬時に見て取ったが、毒に対する知識もない。となれば、とにかく急いで自陣に帰るしかない。

 幸い、アシュラフの本陣は混乱に包まれて、今、俺達を追ってくる気配はない。

 だから、俺はネフェルカーラを担ぎ、抱えて再び騎乗した。

 

「……すまんな。どうも、矢の中に強力な魔力が篭ったモノもあったようだ。油断した」


 ネフェルカーラが俺の左腕の中で、弱弱しく呟いた。

 治癒魔法を自分以外に使えない俺は、酷く、もどかしかった。まさか、ネフェルカーラに限って、怪我をするなどとは思わなかったのだ。

 普段、魔族だ、悪魔だ、なんて言われていても、ネフェルカーラも怪我をすれば弱るのだ。

 俺は、なんだかんだと面倒を見てくれる、この女魔術師を死なせたくなかった。

 だから、再び馬腹を蹴って、アシュラフの前衛に突入する。単騎であり、俺の前に座るネフェルカーラを左腕で支えながらであっても、ここは絶対に駆け抜けなければならない。

 それが、俺の為にここに来て、俺の為に怪我まで負った魔術師に対する、せめてもの礼だから。


「ネフェルカーラ、ごめん。すぐにここを抜けるから、我慢してくれ」


 うっすらと瞼を開けた緑眼の魔術師は、額に玉の汗を浮かべて、苦しそうに頷いていた。

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