シャジャルの悲願
※ 残酷な描写があります
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俺がアシュラフの本陣に着いたのは、夜の帳も十分に下りた頃だった。供をしてくれているのは、アエリノール、ハールーン、オットー、シャジャルの四人だ。
本陣に入ると、盛大に焚かれた篝火が俺達を迎えてくれた。
ドゥバーンも一緒に来たがったが、万が一の時、軍を指揮するのに一番適した人物を連れてくるのはもったいない。という事で、彼女には留守番をしてもらう事にした。両目に涙を溜めている姿を見れば、少し申し訳ないと思ったが、これも仕方が無い事だろう。
セシリアを連れてこなかった理由も、それに近い。実戦指揮に関して、セシリアは結構優秀なのだ。個人での戦いよりも、集団を率いて戦う時、セシリアはその力を最も発揮するらしい。昼間の戦闘を見ていたら、ハールーンと並んで、実に効率良く敵を撃退していたのだから、ドゥバーンと組めば、鬼に金棒というものだ。
だが当然セシリアも、俺に同行したがった。
「シャムシールのケチ! 私も連れて行けー!」
こんな事を言って、まさか会議の席で寝転がり、手足をバタつかせるとは思わなかった俺である。
「セシリア! アシュラフはあたしが必ず殺してくるからっ!」
バタつくセシリアを静めたのは、何故かシャジャルであった。
右手を握り締め、力強く頷いたシャジャルが決意の篭った眼差しを向けると、赤毛の駄々っ子は大人しくなり、円座に座りなおしたのである。
「ふぅ、分かった。じゃあ、私はドゥバーンと一緒に留守を守るから、シャジャルはちゃんと無事に帰って来るんだよ」
涙ぐましい姉妹愛に見えるが、シャジャルとセシリアは姉妹ではない。加えて、俺はシャジャルを敵陣に連れてゆくつもりも無かった。
いくらアシュラフがシャジャルの両親の仇だとしても、危険すぎる。生きて戻れる保障の無い所に、大切な妹を伴う兄がいるだろうか? 居る訳が無い。
「大丈夫! 兄者と一緒だもの!」
しかし、シャジャルの力強い紺碧の瞳は一切の揺らぎを見せず、俺の両目を捕らえて放さなかった。
ああ、シャジャル! なんて可愛いらしく澄んだ瞳なんだ!
もしも連れて行かないなんて言ったら、アシュラフの前に、俺が殺される。少なくとも、嫌われてしまう。
……殺されるのはともかく、嫌われるのは避けねばならん、兄として……
という訳でアシュラフ本陣突入組は、護衛に必須と思えるアエリノールとハールーン、それにオットー、おまけでシャジャル、という事になってしまったのである。
◆◆
アシュラフ軍から好奇の視線に晒されている俺達だが、幸いなのは、皆、下馬させられない事だろう。武器を取り上げられる事も、今の所無かった。
いっそ、武器を取り上げられるという状況になってしまったら、この作戦は失敗となるのだ。となれば、今、事は順調に運んでいた。
もっとも、アシュラフの奴隷騎士が持つ槍の林を左右に見ながら馬を進めているので、基本的に生きた心地はしない。
俺は相変わらず全身黒鎧で、冑の面頬を下ろしている。だから、目に涙を溜めている姿を見られないのが、せめてもの救いだった。
本当は、膝も震えているし、唇も乾いてカサカサなのである。
一応、オットーが横に控えて、俺の護衛兵らしく周囲を睥睨しているのが頼もしい。しかし、よく考えたらオットーよりも俺のほうが強いのだから、やっぱり気休めだった。
俺の後ろでは、アエリノールがハールーンに、
「夜は眠たいね。ね?」
なんて事を言っていた。
「ボクはいつだって眠たいよぉ? ふわぁ~」
ハールーンは、欠伸をしながらアエリノールに返事をしている。なんて緊張感の無い奴等だろうか。
いや、確かに俺達はここで暴れる訳だが、建前は俺が降伏して上将軍になる為。そして、俺に従う部下達も宴に参加する、という名目だから、緊張感が無い方が良いのか?
結構、俺の頭は混乱中である。
(シャムシール、無事か? おれが行った方がよいか?)
「だ、大丈夫」
今日のネフェルカーラはやけに心配性で、さっきから少しの間隔で俺に声をかけてくる。その気になれば、すぐ俺の側に転移出来るそうだ。なんと、俺の鎧には転移石を仕込んであるのだという。
もしかして、俺はネフェルカーラに雁字搦めに縛られているのでは? と思わなくもないが、今だけはあり難い。本当に怖くなったらネフェルカーラを呼ぼう。
(そうか? だ、だが、お、おれも、大魔法を一つ、試したいのだが……)
違っていた。ネフェルカーラは、俺を心配していたのではない。
暴れたいだけだったようだ。こいつは、なんていう問題児だろう!
俺は、口元を歪めた黒髪緑眼の問題児を思い出し、呆れて、少しだけ冷静になった。
「下馬なされませ。アシュラフ陛下御自らのお出迎えにござる」
丁度その時、俺を先導していた奴隷騎士が、肩越しに言いった。彼は、すぐに馬を下りて徒歩になる。
当然、俺もそれに倣う。
多分、前方に広がる広場に、アシュラフが居るという事なのだろう。
しかし、広場を囲む奴隷騎士の数が凄い。俺は本当に、ここでアシュラフを斬って帰れるのだろうか? 不安しか湧いてこないぞ。
俺が馬から下りると、皆も、それぞれ徒歩になった。
それにしても、当然と言えば当然だが、シャジャルの息遣いが既にしておかしい。
「ふぅー、ふぅー」
シャジャルには、万が一の事を考えて、千人長らしい鋼の鎧と、面頬付きの冑を与えてある。だから、周囲の者に表情を悟られる事は無いが、それでもアシュラフ配下の者に、この妖しい息遣いを聞かれたら、流石にマズイだろう。
沙漠の中に敷かれたアシュラフの本営は、砂地を平坦に均して香を焚いている。
広場の奥、一際大きな天幕の手前に巨大な二本の旗が翻り、それがアシュラフの所在を示しているようであった。
俺達が、広場の中央付近まで歩みを進めると、床机に腰掛けていたアシュラフと思しき人物が立ち上がり、俺に向かって歩いて来る。
アシュラフは、中肉中背で褐色の肌をした中年の男だった。
彫の深い顔に黒い髭を生やしているが、白い歯を見せ微笑を浮かべている様は、相応に気品があった。着ている鎧も地味な藍色を基調としていて、決して嫌味な感じではない。
「ア、アシュラフ……!」
俺の背後でシャジャルの唸り声が聞こえたが、ここは片膝を地に付けて、アシュラフが歩み寄るのを待つべきである。
曲刀を奪われていないのは僥倖だが、それでも周囲から、俺達が弓や魔法で狙われているのは間違いない。だからこそ、アシュラフは無用心に近づいてくるのだ。
つまり、俺達を殺そうと思えば、いつでも殺せるとアシュラフは考えているのだろう。
けれど俺は、こと防御に関して、アエリノールに全幅の信頼を寄せている。だから、遠距離攻撃に対しては、何ら心配をしていなかった。
俺は、片膝を砂につけて、アシュラフが目の前に立つのを待った。
「卿がシャムシールか。余の招きを受け入れてもらい、大変嬉しく思う」
「はっ! 行き違いがあったとは言え、只今、このようにお招きに与りましたこと、身に余る栄誉に御座います!」
思いのほか甲高いアシュラフの声に、俺は少し拍子抜けした。あのナセルの兄だというから、どれ程恐ろしいヤツだろうか? と、内心ではビクビクしっぱなしだったのだ。それなのに、近づいてもそれ程の恐怖を感じない。
だからなのか、心臓も普段と変わらない律動に戻り、心身共に冷静さを取り戻した俺は、周囲を観察する余裕さえ生まれていた。
「早速だが、シャムシール。余に忠誠を誓ってくれるのだな?」
「無論に御座います、陛下」
「ぷふっ」
アシュラフの言葉に、俺は冑を脱ぎ、左手で抱えた。
しかし、俺の余りの大根役者っぷりに、緊張感の無いアエリノールが吹き出している。ていうか、なんなんだろう、アエリノールは。ネフェルカーラとはまったく別の意味で、すごく問題児だと思うんだけど。
アシュラフは、そんな事に構わず、俺の額の前に右手を差し出した。
同時に、遠くで弓を引き絞る音と、魔法の詠唱が聞こえた。
恐らく、勝負は一瞬だろう。
まったく、ドゥバーンの立てる作戦は、どうして俺を大変な目に遭わせるのか。ちょっとだけドゥバーンを呪いながら、俺はアシュラフの右手を引き寄せ、力任せに地面に倒す。
ついで俺は、鎧の背中から短剣を取り出して、アシュラフの心臓を一突きした。鎧ごと貫いてやったのだ。俺の力なら、たとえ鎧越しでも十分に刃は通る。
半瞬程遅れて、俺に矢の雨と雷と火球が迫ったが、それは全て、アエリノールが弾き返していた。
「ぐ、ぐおっ?」
口から血を吐き出しながら、目を白黒させるアシュラフは、俺の腰帯にぶら下がる曲刀を見やり、もがいている。
「解せない」とでも言いたげな、アシュラフの視線だった。ヤツは俺の武器が一つだと思って、不用意に近づいたのだろう。アシュラフ配下の奴隷騎士達も同様だった。
それにしても、心臓を刺しても絶命しない所を見ると、浅かったか?
「騙し討ちに御座います、シャムシールさま」
アシュラフにとどめを刺そうと、もう一度短剣を振り上げたとき、不意にドゥバーンの声が脳裏に蘇った。
納得して、やると決めたはずだが、やはり騙し討ちなんて――
敵だから、と闇雲に殺す事が正しいとは、どうしても俺には思えないのだ。何か他にも、やりようがあるのでは? と思ってしまう。
しかし、思考の波に攫われそうな俺に、裂帛の声が届いた――シャジャルだ。
「兄者っ!」
表情を全て隠す冑を身に着けていても、シャジャルの瞳が憤怒に燃えていることは分かる。ならばと俺は一つ頷いて、彼女に積年の恨みを晴らさせてやる事にした。
少なくとも、シャジャルにとってアシュラフは、許す事の出来ない相手なのだから――
「おおおお! アシュラフ! 覚悟おお!」
シャジャルは曲刀を抜き放ち、倒れているアシュラフに迫った。
曲刀は大きく弧を描いて振り下ろされ、アシュラフの首を跳ね飛ばす。
まだ、僅かに息のあったアシュラフは、シャジャルの一刀で完全に命を絶たれた。
一瞬の沈黙が、アシュラフの本陣を覆った。
「リヤド王アシュラフ、討ち取ったぁぁああ!」
ついでシャジャルの大音声が響き、あとは叫喚に包まれたのである。
当然ながら、再び俺達は矢と魔法の嵐に晒されて、血煙を量産する事になったのだ。
俺は再び冑を被ると、魔剣を抜いて周囲を切り開く。
一度白刃を走らせれば、三人や四人は同時に斬れるのだから、この状況ではまったく都合の良い武器だった。
俺の側ではオットーが力任せに戦い、やはり敵を蹴散らしている。アエリノールは既に騎乗して、皆の馬を確保していた。
シャジャルは興奮冷めやらず、といった体で茫然と立ち尽くしていた。その為、俺とハールーンが、彼女に迫る敵兵を斬り伏せる。
「あ、兄者、や、やりました、やりました!」
「ああ、良かったな! 次はここから帰らないとな!」
シャジャルが冑を投げ捨てて、蒼い瞳に涙を浮かべて頷いている。
だが俺の声を聞くと、シャジャルはすぐに曲刀を振り回し、同時に水の刃を敵兵に浴びせ、切り裂いていた。
十二歳でこの強さは、やはりちょっと異常かも知れない、と思わなくも無いが、今、その点について考えても仕方が無いだろう。
とにかく、俺達はアエリノールが確保した馬に乗り、順に消失という魔法をかけて貰わなければならなかった。
消失というのは、現界から幻界に肉体を移し、空間を移動する魔法だそうだ。
幻界での時間は現界で流れる時間の十分の一程度だというから、俺の認識では、「ワープ?」という感じである。
つまり、消失が発動した瞬間、敵は此方を追えなくなる、という事だ。
しかし消失は、同時に全員に掛ける事が出来ない。それがこの作戦の最大の問題だった。
アエリノール本人は詠唱無しで発動させる事が出来ると言うが、他者に魔法を掛けるとなると、そう簡単なものではないらしい。
なので、とにかく今、俺達はアエリノールの消失待ちなのである。
順番は、シャジャル、オットー、ハールーン、俺、アエリノールだ。アエリノールが最後になるのは、魔法を掛ける本人である以上、仕方がないことだろう。同時に強さの上でも、アエリノールが最後になるのは順当なのだ。
今、シャジャル、オットー、ハールーンを幻界に送り、アエリノールは俺と馬を並べ、荒い息を吐いている。
人数が減れば減るほど、少人数で敵兵と当たらなければならないのだから、当然だろう。だが、それも、もうすぐ終わる。次は俺の番なのだ。
しかし、敵兵三人を同時に屠り、手首を返して矢を振り払った俺の耳に、アエリノールの信じられない言葉が飛び込んできた。
「シャムシール、大変! わたし、後一人分しか消失を使えないよ! 自分以外に消失を使うと、こんなに魔力を消費するなんて知らなかった!」
冑の中で、俺の顔が青ざめたのは言うまでもない事だった。




