マディーナ会戦
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俺が率いることになった一万人は、まさに寄せ集めといった有様だった。
だが、五日程行軍している内に、俺が銀羊騎士団をニ五〇人で打ち破った指揮官だ、という話が隅々にまで行き渡り、いつの間にやら、ささやかな連帯感を持ってくれたのは有難かった。
つまり、俺の配下になった者は皆、あの日、それぞれに地獄を見て後、俺に救われたと考えていたのだ。
それに、幸い、というのも変な話だが、兵数が半分に減ったことで、食料だけは豊富にあった。だから、朝と夜の食事は、それなりに豪勢なモノが兵士達に出せた事も、もしかしたら俺を上官と認めてもらうのに、役立ったかもしれない。
ともかく、こうして六日目の行軍も終えて、早朝の事である。
俺は、一日程ファルナーズの本体から先行しているのだが、前方におかしな砂煙を見た。
辺りは一面に広がる沙漠であり、地平線の先にも、未だマディーナの城壁が見えるには早い場所である。
砂煙を巻き上げるとすれば、風か生き物のどちらかなのだ。そして今、風は凪いでいる。ならば、砂煙の原因は生き物に違いなく、それは、人と馬の可能性が格段に高い。
目を凝らしてみれば、砂煙の前には人馬の群がいて、徐々に大きくなって此方に迫っている。
「城の留守部隊か?」
こんな考えが俺の脳裏を過ぎったが、そんなはずはないのだ。仮に留守部隊だとするならば、此方よりも兵数が少ない。なのに、俺の眼前に広がる集団は、広がりだけならば、遥かに俺たちを凌いでいるのだから。
「止まれ」
俺は、全軍に停止を命じて、背後に上り始めた太陽を肩越しに見た。
もしも正面の集団が敵ならば、今、戦う方が有利だろう。
あらゆる場合を検討する為に、俺は冑を被り、ネフェルカーラに声をかけた。
(なんだ、昨夜は連絡もよこさずに。朝晩は、必ずおれの声を聞け)
イマイチ不機嫌なネフェルカーラの声が響いたが、俺は気にせずに状況を説明した。
(ふむ。マディーナの方面から約三万の兵だと? 恐らく、敵に間違いあるまい。敵といっても、オロンテスではないぞ。恐らくは、リヤドのアシュラフであろう)
「リヤドの? どうして?」
(サーリフが死んだのだ、ファルナーズならば組し易し、とでもアシュラフが思ったのであろう。もっとも、サーリフの死を仕組んだのがナセルならば、そもそもここまでが計画の内かもしれんが)
「だけど、ファルナーズは聖帝の印綬を持っているのに、アシュラフがそんな事を出来るのか?」
(武力でファルナーズを従えてしまえば、実質的な支配が出来ると目論んでいるのかもしれんな。
……あるいは)
「あるいは?」
(ふむ。ナセルが、我等とアシュラフを戦わせたいのかもしれん)
「なんでそんな事を?」
(さあな。それこそ、ナセルに聞くしかあるまい?)
冑の中に、ネフェルカーラの愉快そうな笑い声が響く。
根本的に戦いが好きなネフェルカーラは、
(どちらにしても、こちらの行軍を急がせよう。お前は防御に専念するのだ。ああ、そうそう、危なくなったら、アエリノールを盾にして逃げるのだ。なに、ヤツならば、滅多なことでは死なんからな)
そう言うと、一方的に会話を終わらせてしまった。
まあ、これは指示とも思えたので、俺は声を張り上げて全軍に命令を下した。
「方形陣! 横五組、縦ニ段!」
馬上から、腕を振り上げて指揮をする俺。
少しずつだけど、命令を下す事に慣れてきている。俺は一斉に動く兵を見て、軽く悦に入っていた。
「な、な! なりませぬ!」
しかし、水を差すのはドゥバーンだった。
実は、千人長達の中で最も用兵が上手いのがドゥバーンでは? という意見がハールーン、アエリノール辺りから出た。
だから、その辺に自信の無い俺としては、皆に無様を晒してはいけないと思い、泣く泣くシャジャルを側に置かず、ドゥバーンを直属千人長にしたのだ。
同時に、ドゥバーンにもその旨は伝えてあるので、俺の用兵に疑問がある時は、遠慮なく言うように頼んである。
「なりませぬって? なんで?」
「しょ、正面の部隊の陣容が広うござ、御座います。方形陣では、我等、包囲殲滅されまする!」
「じゃあ、どうすれば?」
「お、お任せ下されば、一つ、計を案じまするが?」
「……任せる」
俺は、俺自身の用兵を試してみたくなっていたが、ここは素直にドゥバーンに従う事にした。
そもそも、自分の選択に自信が持てない俺なのだから、いっそ他人に従った方がマシなのだ。
俺の返事を聞いたドゥバーンは、千人長になっても黒く薄い皮鎧を着ていた。鎖帷子ですら重いと言う彼女は本来、鎧というものを着たくないそうだ。
どうも、その辺りの価値観は、ネフェルカーラと合いそうなドゥバーンである。だけど、性格は真逆だろうな、と、思うと可笑しなものだった。
一つ頷いたドゥバーンが俺の側から離れると、即座に伝令が飛んで、陣形は大きく広がった。恐ろしい事に、敵陣よりも大きな広がりを見せたのだから、その厚みたるや、極薄だった。
「ちょ、ドゥバーン? これじゃ、すぐ破られちゃうよ?」
俺の側に戻って額の汗を腕で拭うオッドアイの少女に、俺は不平を零した。
「はっ!」
そんな俺に、事細かに作戦の説明をするドゥバーンは、頬に汗を走らせながらも、とても生き生きとしている。
加えて、馬上で地図を広げ、
「この地点まで、シャムシールさまには逃げて頂きます」
と、自信満々で言い切ったのだ。
「まてまて? まだ正面の奴等が敵と決まった訳じゃないぞ!」
しかし、俺には反論がある。
一応、交渉をすべきだと思うのだ。確かに、隙を見せる気は無いが、最初から戦う気でいくというのも如何なものであろうか?
「なるほどな! お主、やるのう!」
しかし、なぜか地図を俺と一緒に覗き込み、手を打って納得しているのは、鎖帷子もぱんぱんの筋肉達磨だ。
奴隷騎士になりたてで行き場所も無く、俺の護衛兵をやっているのだが、こいつが周囲に撒き散らす威圧感は、既にして将軍級だった。
それだけに、俺の側で妙な事を言っていても、誰も問題視しない。唯一問題視するとすれば、俺くらいのものである。
「オットーは、わかるのか?」
「うむ。まあ、正面の奴等の殺気、とでも言えば良いかな。これでは、戦闘は避けられまい。
だが、戦闘は避けられんとして、勝たねば意味がないのだが……中々どうして、ドゥバーンの作戦は面白いぞ!
まして、主君を堂々と囮にしようという作戦を思いつくあたりが! わはははは!」
「シャ、シャムシールさま以外の方では、このような作戦、思いついても実行する勇気など持てませぬ! シャ、シャムシールさまだからこそ、可能なのです!」
オットーは哄笑していたが、ドゥバーンは真面目くさった顔で俺を見ていた。
作戦の許可を欲しているらしいが、黒い瞳と青い瞳を同時に向けられると、不思議な気分になってしまう。
とにかく、俺には何も案が無いわけだし、ここは黙ってドゥバーンの作戦に従ってみることにした。
オットーも賛成しているようだったし、何より、そもそもドゥバーンに全てを託したのだから、今更不平を言うのも男らしくないと思ったのだ。
「分かった。向こうが攻めて来たら、この作戦で行こう」
「ま、そうだな。それに、シャムシールが囮だとしても、万に一つも危険は無い。俺が全力で守るからな!」
太い腕を組み、オットーは不敵な笑みを浮かべていた。
◆◆
前方で変化が訪れたのは、暫くしてからの事だった。
俺の背中から照りつける太陽は、未だ正面の敵の目を眩ませるだろう。それでも尚、敵が迫ってきているというのは、数に恃み、しかも、こちらが戦後で疲弊しているとでも思っているからだろう。
「要するに、ナメられてるな、シャムシールは」
舌なめずりしながら俺に言ったのは、オットーである。
簡素な冑を被り、粗雑な鎖帷子を纏いながらも、槍を構えて正面を見据える様は、俺よりも遥かに武将らしいぞ、こんちくしょう。
「はぁ……防御魔法展開! 迎撃!」
俺は、前方に翻る軍旗を見やり、溜息をつく。
その紋章は、赤地に黄金の蛇が描かれている。ならば、間違いなくリヤドの王、アシュラフの軍に違いない。
これは、シャジャルが泣いて喜ぶかもしれない。それとも、笑いながら激怒するだろうか?
「追加で伝令……作戦完遂の後、くれぐれも深追いをするな、とシャジャルに伝えてくれ」
だが、泣いて喜びながら突撃して、シャジャルが死んじゃったら大変だ。なので、俺はドゥバーンに伝令を頼んだ。いっそ、シャジャルを俺の側に戻そうかとも思ったが、彼女は単体でも貴重な戦力なのだ。今は、分散させておく方が好ましかった。
「はっ! 抜かりなく!」
ドゥバーンは頷き、手早く部下をシャジャルの元へと送る。
本当に人使いの上手いヤツだ。というか、普段と今が別人の様だった。全身から醸し出される雰囲気が凛としたものに変わり、普段は愛らしいオッドアイから、怜悧な殺気が放たれている。
すぐに俺達の直上には、大量の火球や火矢が迫った。
無論、それらは魔法兵団が全力で防いでいるのだが、正直、これ程までに大量の火力に晒されて無傷で済む理由は、アエリノールとシャジャルの膨大な魔力による所が大きいだろう。
もっとも、防御に全ての魔術師や魔法を使える者を裂いてしまった為、此方からの攻撃は弓矢だけとなる。攻め手に欠く、というのも面白くないものだった。
「十、九、八……」
見れば、俺の隣で首を激しく左右に振って、ドゥバーンが戦場を見渡している。
馬上にあっても小柄な体なので、鐙に足を掛けて立ち上がり、少しでも高さを確保しようとしていた。
「シャムシールさま! 一度敵と当たります! 拙者が戻りましたら撤退を!」
「ドゥバーン! 俺も行くぞ! 腕がなる!」
「零!」と言うや、ドゥバーンは眼前に迫った敵の槍兵に、自ら馬を踊らせ飛び込んだ。
率いた数は俺直下の半数、五百騎程だが、その中に、何故かオットーも混じる。
なめてんのか、オットー。俺を守るとか言ってなかったか?
だが、流石に五百騎で突入しても、敵を突き崩せるはずも無く、暫くすると馬首を返して俺の下へと帰ってきたドゥバーン。
「さあ、退きましょう!」
確かに、見事な用兵というものなのだろう。
一騎たりとも失わず、敵を混乱させて、体勢を立て直した頃合で退いてきたのだ。
となれば、敵は殺気立って彼女の後を追って来る。
ちょっと! めちゃくちゃ怒ってるよ! 敵!
ということで、俺も怖いので馬首を翻して逃げる。逃げると言っても、元々作戦通りなので、問題は無い。
だが、俺は戦場に出て以来、実は初めて逃げている。追われていると思うと、だんだん怖くなってきたが、そんな時、ドゥバーンが叫んだ。
「あの岩山でございます!」
俺達が小高い岩山の横を抜けると、弓矢が敵軍に振り注いだ。
ドゥバーンは、弓兵を岩山の影に潜ませていたらしい。
「シャムシールさま!」
「全軍転進! 敵を討て!」
予め打ち合わせをしていた通り、ドゥバーンの合図で俺は全軍に反転を命じた。
見れば、砂漠の中でこの地点は僅かに高く、戦場全体を俯瞰出来る場所になっていた。
さらに、薄いながらも、敵が突出した部分に、味方が覆うように取り付いているではないか。つまり、大軍の一部を此方が包囲しているのだ。
「続け!」
馬首を返した俺は、槍を構えて、後はいつも通りである。
唯一つ違いがあるとすれば、決め事があって、それを俺が知っているという事だった。
だが、今、俺は出来る限り暴れて、敵を蹴散らさなければならない。
遠くで、アエリノールが剣を振う姿が見えた。既に突出した敵を分断して、本隊に戻れない様にしていた。
一番危険な場所で、十分に役割を果たしている彼女を見れば、俺は出来る限り早くアエリノールと合流したかった。
ハールーンも部隊を率いて、敵軍を蹂躙している。
ドゥバーンを褒め称えていた朱色髪のイケメンも、実は結構兵を使うのが上手いようだった。押しては退き、退いては押して、突出した敵をズタズタに引き裂いている。
シャジャルだけは闇雲に魔法を乱打して、上手に兵を動かせていなかったけれど、それでも特に問題は起きていない。
俺の本隊と一番近い場所にいたのだから、すぐにシャジャルの部隊も吸収して、一緒に突撃をする事にしたのだ。
「あ、あ、兄者! 敵はアシュラフですぞっ! 討たねば! 討たねば! 殺ャアア!」
俺の予想通り、紺碧の瞳に憤怒の炎を燃え上がらせて、シャジャルは復讐の鬼と化し、冷静さを欠いていたのであった。




