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プロンデルの躍進

 ◆


 オロンテスの宮殿から続々と各国の奴隷騎士マルムーク達が去ってゆく中、窓辺からそれを眺める新たなスルタンがいた。


 黒檀の円卓に置かれた水差しから銀杯に水を移したナセルは、静かに口を潤すと、背後からの声に耳を傾けた。


「ファルナーズの件、よろしかったのでしょうか?」


 シーリーンが片膝を付き、畏まってナセルに問うていた。

 ナセルは当面、ファルナーズとは戦わない、という選択をしたのだ。それゆえ、シェヘラザードの提案を全面的に飲んで、ファルナーズがマディーナ太守となる事を認めたのである。

 シーリーンにとってナセルの選択は、当面ハールーンとの闘争を避けられる故に有難かったが、解せない点が一つだけあった。

 ファルナーズが帰るマディーナには、ひそかにアシュラフが侵攻していたのだ。

 このままでは、聖帝カリフ直属となった太守であるファルナーズに対して、いかにリヤドの国王と言えども、アシュラフの立場は分が悪い。ましてや、黒甲将軍カラ・アミールと呼ばれるシャムシールは、守護騎士ムカーティラに任じられたというのだ。万が一これらと戦うならば、アシュラフは反逆者の烙印を押されるであろう。

 

「サーリフ亡きマディーナを防衛する為」


 という大義を掲げたリヤド軍ではあったが、ファルナーズが健在であり、太守を拝命した以上、よって立つところが無いのではないか? と、シーリーンは思うのだ。


「ふん。俺がスルタンになった今、あの男の利用価値など、もはや無いのだ。ましてや、あの男は俺とサーリフの間を裂かんと画策し、俺の失脚さえ企てたのだぞ? 今更兄上がどうなろうと知った事か。

 それに、或いは共倒れにでもなれば、手間も省けるというものではないか、シーリーンよ」


 ナセルの声は、温和な響きすら持っていた。しかし、シーリーンの耳に伝わるそれは、酷く冷酷で、容赦の無い内容である。


「それに、このまま兄上にファルナーズが敗れるならば、もはやシバールに我等の敵は無い。逆に、兄上が敗れ、死ぬような事があれば、俺がリヤドのスルタンにもなろう。どちらでも良いのだ。ふははは」


 銀杯を手にしたまま長椅子に腰掛けたナセルは、横に控えるシーリーンを見やり口元を歪めた。


「俺は、オロンテスのスルタンになるという当初の目的を果たした。そこで、お前の願いも一つ、聞き届ける事にしよう。

 お前は今日から、我がオロンテスの将軍アミール。そして、配下の暗殺団アサシン共を奴隷身分から開放する」


「はっ! 在り難き幸せに存じまする!」

 

 内心で、心から安堵するシーリーンである。これで仲間は、ようやく人として生きられるのだ。ここまで来るのに、長い時間がかかった。だが、ここで気を緩める訳にもいかない。皆が人として生きられるからといっても、一度の失敗が死に繋がる事に変わりはないのだ。

 改めて表情を引き締め、シーリーンはナセルを仰ぎ見た。一言一句とて聞き漏らす訳にはいかないのだ。


「ところで、ザールはこの件、まだ知らんのか?」


「はっ。言えばスルタンの元へ行く、と言い出しかねませんので」


「ふむ、そうであろうな。あやつには、全ての事が済んでから話せばよい。なに、もとより兄上に忠誠を誓っている訳でもあるまいよ」


 そういうと、ナセルは手を払い、シーリーンに下がるよう促した。

 シーリーンとしては、もう少しナセルと話をしたかったが、主君の機嫌を損ねる訳にもいかず、立ち上がり、踵を返す。

 ハールーンに関して、知恵を借りたかったのだ。

 先日、幾度もハールーンを誘ったが、逆に誘い返されるだけで、弟は一向にファルナーズの元から離れようとしない。

 このままでは、いずれ本当に弟と殺し合わねばならぬ。そう思えば、やはりシーリーンの心は休まらなかったのである。


 ◆◆


 ここは聖都フローレンスから北西の平原地帯。

 晴れ渡った空は雲一つ無く、春先の陽光を輝かせていた。

 白、青、緑の三聖騎士団が率いる三〇万の大軍が南北に布陣し、周囲を圧している。

 対するプロンデルは、皇帝を名乗るものの、十五万の軍を展開するのみであった。それでも、互いに陣を敷き、にらみ合う事、早くも十日を経過していた。


 フローレンス聖教国にとっても神聖フローレンス帝国にとっても、互いの存亡をかけた戦いである事は明白である。

 だがしかし、双方の総大将の気持ちには、大きな隔たりがあった。

 聖教国軍を率いるジーン・バーレットは、大軍を擁し、必勝の気概で望んでいる。万が一にもここで敗北をすれば、すぐにも聖都が迫り、その防備は法王自らが率いる聖光緋玉騎士団スカーレットナイツのみとなるのだ。握る拳にも力が入るというものであった。

 一方でプロンデルの方は、相変わらず鼻歌交じりに戦争を楽しんでいる風である。

 ことに今回は、策というものを弄した女がいた。

 本来は、倍の兵力差を噛み破る戦いこそ興が乗るプロンデルではあったが、その女のいう事にも、面白みを覚えたのである。

 曰く、


「この一戦、私に任せては頂けませんか?  私にお任せいただければ、すぐにも聖教国を貴方の傘下に収めてみせますが」


 別に、楽をしたいとは思わないプロンデルではあったが、聖都をいざ攻めるとなれば、確かに面倒であった。それに、法王と戦って愉悦が得られるとも思えない。所詮、七十過ぎの老人など、眼中にないプロンデルである。

 そんな皇帝に、女はさらに続けて言った。


「この国を制圧すれば、その先に広がるのは魔国、そしてシバール……その遥か東方には、ハン国が広がっています。貴方様が人の身で、それら全てを平らげるには、些か時間が足りぬように思えますれば、この際、効率こそが最も大切かと」


 プロンデルは、深夜、闇の中で揺らめく様に現われたその女に、興味を覚え始めていた。

 いかに行軍中とはいえ、仮にも皇帝の天幕、しかも寝所である。容易に進入を許す場所ではなかった。

 とはいえ、女とプロンデルの実力差は歴然であり、寝台から半身を起こしたプロンデルが、その女の言葉を信じずに、一刀の下、切り伏せる事も出来たのである。

 しかし、そうしなかったのは、女が口にした、己の寿命と大望である。確かに、天秤にかけるならば、ここで足止めされるのは、如何にも面白くない。だから、プロンデルは決断したのである。


「よかろう、任せる。で、余は具体的に何をすれば良い?」


「十日の後にいつも通りの突撃を。それで勝敗が決しましょう」


「ふん、よかろう。だが、我が突撃だけで勝敗は決するのではないか?」


「あまり、ジーン・バーレットを侮りますな、獅子帝ライオンハーティストよ」


「まあ、よい。事が上手く運んだらならば、そなたは余に何を望む?」


「亜種の居ない国を、人だけの国を」


「大仰な。だが、余も考えぬでも無かったからな、よかろう。で、そなたの名は?」


「クレアと申します、陛下」


 そして、プロンデルの前で闇が揺れると、クレアと名乗った女は消えた。

 思えば、ねっとりとした視線は陰湿であったが、それでも容姿は十分に美しかったであろう。

 その時、プロンデルは寝台に再び身を横たえて、僅かながら後悔をした。


「クレアか。抱いておけば良かった」


 そう思ったからである。

 騙されるという可能性もあったが、そんなものを考慮する程、プロンデルは狭量な男では無いのであった。


 ◆◆◆

 

「くふ、くふふ」


 聖光青玉騎士団ブルーナイツ団長のオーギュストから推薦を貰い、聖光緑玉騎士団グリーンナイツの団長に就任したクレアである。

 彼女は、清楚な視線を前方に向け、口元に妖しい笑みを浮かべて外套を風に靡かせている。

 今、彼女は右翼、オーギュストは左翼に展開しており、中軍を率いるジーン・バーレットは全軍の総大将だった。


 悪戯に、十日もの時を費やしているわけではない。

 これは、クレアの策である。

 本国を遠く離れ、補給線の伸びきったプロンテル軍は、早晩、全軍で突破を図るに違いない。それに備えて、此方はただ、待ち、耐えれば勝てるのだ、と。

 オーギュストは、もはやクレアの魅了チャームに逆らう事は無い。ジーンとしても、その策は理にかなっている様に思われた。

 だから現在、三人は別々の場所で、プロンデルの動きを見ているのだ。

 

 俄かに、前方で土煙が巻き上がった。

 同時に、此方の中軍から魔法の矢が幾筋も飛ぶ。

 直後、プロンデル軍は中軍の正面に現われた。

 驚くべき、騎兵の加速である。そして、その突撃は、あらゆるモノを噛み砕く突進力を持っていた。

 これが、プロンデル軍、不敗の所以である。


 自軍の魔力を全て、加速に転ずる。

 だか、知っていれば、どうとでも対処の仕方はあるのだ。


「上げよっ!」


「はっ!」


 ジーン・バーレットの声に、聖光白玉騎士団ホワイトナイツに従う歩兵が答えた。

 その時、前方の騎士達は後退に転じ、ジーンの前方には空白の大地が生まれる。そして、視線の先にはプロンテル軍がいるのみであった。

 数秒後、兵達の気合と共に、何も無かったはずの空間に生まれたものは、木と鉄で組まれた、先端部分の尖った防御柵である。

 十日の間、プロンデル軍の目をくらまし、このような細工が出来たのも、彼女が妖精エルフであり、高度な幻術の使い手だったからであろう。

 ジーン・バーレットは、土の中に罠を仕込んでいたのだ。


 プロンデル軍の先頭を走る金色の鎧を身に纏った人物は、巨馬を巧みに操り、柵を飛び越えた。しかし、彼に続く騎士たちは、皆、柵を越えられずに、無念の内に、人馬もろとも串刺しになってゆく。

  

「ふはは! やりおるわ!」


 黄金の鎧に黄金の髪を靡かせる大男は、皇帝プロンデルその人であった。

 彼は唯一人、敵陣に到達したのだ。そして、味方の損害など構うものかと、馬上から槍を振り回していた。血煙を巻き上げ彼の通る所は、新たに道が生まれる有様であった。

 徐々に、そんなプロンデルの驍勇に引き寄せられて、彼の部下たちも次々に柵を乗り越え、ジーン配下の騎士たちと斬り結び始めている。

 防御柵の効果はあったが、プロンデルに対して絶大とはいえなかった。


「貴様がプロンデルかっ!」


 純白の鎧に純白の外套を纏ったジーンが、プロンデルの前に馬を進める。

 総大将同士が切り結ぶなど、愚かな事だと理解してはいたが、とはいえ、ここで勝てば、この戦いはこれで終い。そう思えば、ジーンとて血気にはやったとしても仕方がないであろう。

 それに、ここでプロンデルを釘付けにしているうちに、右翼と左翼が動けば、自ずと勝利は此方のものである。

 その程度には、プロンデルの全軍を釘付けにしている自信が、ジーンにはあった。


 純白の冑に銀髪を収めたジーンは、手始めに光弾を放つ。

 だが、プロンデルは眉一つ動かさず、避けることさえもせず、黄金の鎧で受け止めた。

 見れば鎧に帯びた防御魔法が並ではなく、加えてプロンデル自身の魔力も膨大なのであろう。おそらく魔法では、この男に傷一つ付けられない。そう悟ったジーンは、長槍を構えてプロンデルに突進した。


 必殺の突きを弾かれ、強槍がジーンの頬を掠め、冑を奪い去った。

 互いに、突き、払い、馬首を絡めてすれ違い、再び構える。

 どちらも、息は乱れない。だが、僅かに浮かんだプロンテルの笑みは、ジーン・バーレットの恐怖感を煽った。


「我が名は、プロンデル。そなたは?」


「ジーン・バーレット」


「ほう、噂に名高い聖騎士の団長か」


 ジーンには、プロンデルの余裕が理解できない。何しろ、数において不利な状況で、どうして一騎打ちなど出来るのだ、と思うからだ。

 ましてやプロンデル以外の騎士たちは、ジーン配下の聖騎士たちに、次々と討ち取られているのだから、ここで笑みを浮かべるなど、正気の沙汰ではない。


「降伏しろ、プロンデル! 貴様に勝ち目はないぞ!」


「そうか? もう間もなく、俺が勝つと思うのだがな」


 振り向きざま、槍に半円を描かせて、背後に迫る聖騎士を倒したプロンデルは、唇の端を吊り上げて、ジーンに向き直る。

 ジーンは、細眉を吊り上げてその様を見ていたが、つまらぬ虚言に付き合っている余裕はない。再び口元を引き結んで、馬腹を蹴ると、プロンデルに向かって突進した。


 その時であった。

 左右から鬨の声が上がり、自軍に向かってきたのだ。

 しかも、魔法弾も降り注いでいる。


「どういうことだ?」


 ジーンの背筋が凍りそうになる。そして同時に、脳内では複数の警鐘が鳴り響いていた。

 

 ジーンは、プロンデルとすれ違うと、脇腹に痛みを感じた。

 鎧が砕け、腹部からは血が滲んでいる。致命傷ではないが、このまま一騎打ちを継続して、勝てるとも思われなかった。

 ジーンが状況を把握する為、周囲に目を凝らせば、自軍に襲い掛かってきている者は、間違いなく聖光緑玉騎士団グリーンナイツ聖光青玉騎士団ブルーナイツである。


 元々、プロンデルがここまで軍を急速に拡大出来た理由は、あらゆる軍を味方に付けてきたからではなかったか。

 唇をかみ締めたジーンは、自身の迂闊さを悔やんだ。

 だが、まさか仲間を最初から疑いたくも無かったのだ。


「しかし、クレアはともかく、オーギュストまで」


 ジーンは、緑色の瞳に力を込めて、自身の傷を癒す。

 もはや、敗北は避けられない。

 ならば、僅かでも体勢を立て直し、一人でも多くを生かそうと心に決めた。

 ここで負けても聖都の城壁に寄れば、まだ戦える。そうであれば、ここで死ぬのは無駄死になのだ。気力を振り絞って、自らにそう言い聞かせるジーンであった。

 幸い眼前のプロンデルは、目の前の獲物に対して興味を失った獣の様に、槍を肩に担ぎ、馬首を返していた。


「ジーンとやら。戦っている最中は、何があっても余所見をするものではない。興がそがれた」


 こうして、聖光白玉騎士団ホワイトナイツは壊滅し、皇帝プロンデルは聖都フローレンスに迫る。

 同時に、聖光緑玉騎士団グリーンナイツ聖光青玉騎士団ブルーナイツがプロンデルの軍門に下った。


 この五日後、法王クレメンスはプロンデルへ使者を送り、正式に彼の戴冠を認めたのである。

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