オットーの誓い
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戦勝の祝宴からニ日後、ファルナーズは聖帝から正式にマディーナ太守の任命を受けた。それは、サーリフの後を継ぐ事を許された、という事なのだが、実はこれは、あまり喜ばしいとは言えないことだった。
何しろ、本来サーリフは、これで王になるはずだったのだ。その意味では、ファルナーズの頑張りは、あまり報われなかったといえる。
もっとも、太守になることさえ危ぶまれたのだけれど、シェヘラザードの助力があって、なんとかその地位だけは死守する事が出来たのであった。
こうして、順次、論功行賞は終わり、シバール連合軍の面々は帰路につき始めていた。
聞いたところでは、一番出世したのが、あのナセルだった。何しろ、リヤド王弟の立場はそのままに、オロンテスの王になるというのだから、頭にくる。
しかし、これが大人の権力闘争か! と、内心びくびくの俺だったから、必然、ネフェルカーラとの連絡は密にしようと思って、基本的に冑を被っていた。
そのせいで、他国の俺をよく知らない奴隷騎士達に、黒甲将軍の正体は「魔神」とか「絶世の美貌」とか「口が裂けている」とか言われて、妙な噂ばかりが広まってしまい、とても参った。
ともかく、ファルナーズがマディーナ太守を拝命した以上、敵地も同然のオロンテスに長く留まる理由など無い。となれば、さっさと天幕を畳んで、マディーナに戻るに越した事はないのだ。
君子危うきに近寄らず、とかいう諺がある位なのだから、戦わないなら、ナセルからは早く離れた方が良い。
ていうか、ナセルの側にいると、俺が怖い。
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「良いことじゃない、ファルナーズってまだ十五歳でしょう? それで太守なら十分だと思うよ。それに、今ある物を失う訳でもないのでしょう?」
俺が天幕に戻って、論功行賞の結果を主だった部下に伝えると、アエリノールが不思議そうな表情でこう言った。
俺の不満気な口調が気になったらしく、首を傾げている。
考えてみれば、サーリフと聖帝の密約を知らないアエリノールからすれば、そう思うのだろう。
だが、そう考える方が、実は正しいのかもしれない。
元々ファルナーズはサーリフではないのだし、あらゆるモノを受け継げると考える方が無理がある。何でもかんでもナセルに邪魔をされたと思ってしまう俺の方が、少し過剰に反応しているのかも知れないな。
「それならさ、シャムシールはファルナーズの直属なんだから、地位が上がるんじゃないか?」
ついで、俺の言葉に反応したのはセシリアだった。
セシリアの疑問は当然である。何しろ、サーリフ配下の万人将がファルナーズ以外、全員死んだのだ。そして、サーリフの後継となったファルナーズである。となれば、俺の立場が上がらない訳がないと思うだろう。
もっとも、どうやら俺は政治利用をされてしまった。その為、ファルナーズの直属からは外され、今や聖帝の直属になってしまった。
まったく、茨の道がさらに険しくなってゆくだけなのだが、どうすれば良いのだろうか。
ともかく、これから話すことを皆に伝える為、俺は天幕に戻ったのである。
大将軍シェヘラザードにこう言われ、俺は万人将にされてしまったのだ。
「うーん、そうね。ファルナーズがサーリフの後継者としてマディーナ太守になる。これを王達に認めさせるには……黒甲将軍を配下に持ち続けるのは、マズイわね。皆、脅威を感じるわ。
どう、ファルナーズ。形だけでもシャムシールを私の配下にして良いかしら? そうしたら、上手くマディーナ太守の件は、纏めてあげられるわよ。
ああ、もちろん形だけ、と言っても、実際にシャムシールを借りる時があるかも知れないけれど」
「シャムシールを? いや、すべて大将軍閣下の御差配にお任せ致します」
嫌な顔一つ見せず、俺を売ったファルナーズである。
ちょっと、酷くないですか? 俺、結構頑張ってましたよ? と言いたくて、涙が零れそうになった。
しかし、俺は泣かなかったぞ、男の子だからな。
「では、シャムシール、そなたを守護騎士の万人将に任じる。最初の命は、西方、マディーナに駐屯し、ファルナーズを守護せよ。
また、同時に東方からの蛮族を睨み、北方の魔族を押さえ、西方の異教徒と戦う、これら、押し並べて守護騎士の責務と心得よ!」
シェヘラザードの浪々とした口上を尻目に、ファルナーズの肩が揺れていた。俺が茫然と頭を垂れている姿がおかしかったらしい。
あとで、シェヘラザードの仮の執務室を出て、宮殿の廊下を歩いていると、
「あはは! すまん、シャムシール、形式だけじゃ。わしがお前を手放すハズがなかろう! しかし、愉快じゃったな! お前があれ程茫然とするとは!
だがな、守護騎士といえば、格式も高い。なにせ聖帝直属の奴隷騎士なのだからな、喜んで良い事なのじゃぞ?」
そう言ってファルナーズは、目尻に小さく涙を浮かべながら、本当に可笑しそうに笑っていた。
サーリフが死んで以来、初めてファルナーズが笑ったのだから良いか、と思ったが、まあ、それはそれである。
ただ、一緒にいたネフェルカーラも、そんなファルナーズの姿を見て目を細めていたのだから、俺は、ある意味で、とても良い仕事をしたのだろう。
もちろんネフェルカーラも万人将に、という事を言われていた。しかしシェヘラザードの前で、ものすごく嫌そうに眉を顰めて、辞退していた。
「おれはあくまでも、エルミナーズとの約束を守っているだけです。無論、ファルナーズの敵を倒すにやぶさかではないが、人をこれ以上指揮することに興味はない。というか、ダルい。ましてや聖帝など、知りませぬ」
なんというサボリ魔だろう! と真面目な俺は憤慨したが、実質、今、マディーナ軍の指揮を執っているのはネフェルカーラなので、きっとファルナーズに気を使ってのことだろう。
もっとも、マディーナに帰れば、ネフェルカーラは行政官を兼任するそうなので、本気で「ダルい」と思っているのかもしれない。
どちらにしても、この時のネフェルカーラは無表情で、真意がよくわからなかった。
ただ、そんなネフェルカーラの言動に腹を立てないシェヘラザードも、中々凄いと思う。なんというか、俺は、二人とも黒いな、と思った。
こうして俺は、皆にある程度経緯を説明すると、本題に入る事にした。
「ああ、という訳で、俺、万人将になっちゃった、しかも、守護騎士」
「えええええ!」
俺の立身出世に目を丸くして驚く朱色髪のイケメンに、俺は間髪要れず、更なる事実を告げる。ここからが、本題であった。
「で、ハールーンは、千人長! な?」
「な? じゃないでしょお~シャムシールぅ」
「ハールーン! 仕方ないんだよ!」
ハールーンの反論を、俺はキレ気味な口調で制した。相変わらず、肩を竦めて人を食ったような溜息をついた、朱色髪のイケメンである。けれど結局は俺の剣幕に折れて、首を縦に振った。
「アエリノールもな」
「シャムシール、おめでとう! へ? わたしも千人長? シャムシールの為なら頑張るよ!」
アエリノールは、俺が出世した事を喜んでいた。自分が嬉しくないのに、他人に喜ばれると不思議な気分になる。
そしてアエリノールは満面に笑みを浮かべ、俺に抱きついてきた。
俺の為に千人長を頑張るなんて、アエリノール、見直したぞ。馬鹿でもいい。可愛いくて美人は、どう考えても正義だろう。
うん。出世して良かった、と、俺は今、初めて実感した。アエリノールの髪は、やっぱりとても良い匂いだった。
ついでにシャジャルも横から抱きついてきたので、もう、俺の生涯に悔いはない。
悔いは無いが、死にたくもないので、これからも頑張るけどね。
ちなみに、シャジャルとセシリアも千人長にしたのだが、二人とも、妙な理由で不服そうであった。
「出来ればアエリノールさまの下が良いのだが。この人は馬鹿だから、私がいないと迷子になるぞ?」
とは、セシリアの言。当然、横で聞いているアエリノールは、頬を膨らまして怒っていた。
「兄者の側にいたいです! 兄者の敵は、あたしが倒す! アシュラフ! 殺ァァ!」
が、シャジャルの言。今の所、俺がアシュラフを敵とする予定はないのだけれど。
それにしても、なんでウチの部隊は、みんな出世に興味が無いのだろうか……逆に不安になってくる。
◆◆◆
ともあれ、皆が自身の出世に驚き終わった頃を見計らって、俺は外で待つ人物に声をかけた。
「ドゥバーン! オットーを!」
俺の声がかかると、シャジャルよりはやや大きい、という程度の身長をした黒髪の人物が、巨漢と言えるであろうオットーの腰に縄をつけ、入り口の垂れ布を持ち上げて、天幕の中に現われた。
「お、お呼びにあず、あずかりまし、まして、ドゥバーンと申します」
俺の前で片膝を付くドゥバーンは、実はかなりの猛者だった。猛者と言っても、一騎当千、という類の人物ではない。
ニ五〇人で一万人に突撃した際、ハールーンが見つけたのだけれど、十人長として部隊を率いて、その動きが抜きん出ていた、という事だった。
「人の動かし方が見事過ぎるよぉ! ボク、あの集団の中に入ったら斬られちゃうよぉ! ゾクゾクするぅ!」
と、ハールーンが絶賛していた。
だが、ハールーンはどうして自分が斬られる想像をしたのか、それは謎である。しかも、ゾクゾクしちゃうあたり、ヤバい趣味でもあるのかもしれない。
ともかく、千人長までの任命権を手に入れた俺は、早速彼女を出世させる事にしたのだ。有用な人材を楽して手に入れる、というのは、ネフェルカーラ仕込みの俺である。そこに手間は惜しまないのだ。
……あれ? 何かが矛盾している……
俺は、あえて矛盾点を考えず、ドゥバーンを見下ろす形で、出来るだけ厳かに宣言した。
「うん、ドゥバーン。君は今日から千人長! よろしく頼む!」
「ひいいいい!」
けれど片膝を付いたまま、ドゥバーンは横に転がった。
どうやら意識を失ったらしい。とりあえず、彼女を推薦したハールーンを睨んでから、俺はもう一人の人物に声をかけた。
元々、味方になって欲しいと思ってはいたけれど、今、俺の立場がこうも上がってしまえば、一番頼りになる人物に違いない。だから、是非とも味方に引き入れたかった。
「オットー、俺の……」
「断る!」
胡坐を組んで、俺を見据えるオットーの瞳は怒りに燃えていた。それもそうだろう。殺してくれと嘆願していたのに、無視して捕らえたりしたのだから。
「あ、オットー! 久しぶり!」
しかし、空気を読まないアエリノールが、粗雑な鎖帷子のまま、オットーに手を振っている。
「なっ! アエリノール! 何をしておる?」
「んー! 世界を平和にする為に、シャムシールの奴隷を増やしている!」
アエリノールの言い分は、酷かった。俺はこめかみを指で押さえ、瞼を閉じる。
「なんだと? それで、世界が平和になるのか?」
ならねーよ。とは、俺の心の声だ。
しかし、アエリノールとオットーは、どこかしら通じる馬鹿である。もしかしたら、アエリノールならば、オットーを説得する事が出来るかもしれない。
そう、俺は淡い期待を抱いた。
「なる! だから、オットーもシャムシールの奴隷になって、世界の平和の為に戦おう!」
「……ふむ。シャムシールの奴隷、か。思えば、オロンテス王に心底仕えた俺ではなかったしな」
「シャムシールは、騎士の忠誠を捧げるに値する! それはわたしが保証する!」
アエリノールはしゃがみ込み、オットーの両手を取って真剣な眼差しだ。対するオットーは、瞼を閉じて、唸っていた。
「……確かに、命を助けられたのも事実……意固地になっても仕方がないか」
「わたしも、命を助けられたんだよ。セシリアも! だから、オットーもここで生きようよ!」
碧眼から涙さえ流すアエリノールの心に、オットーは打たれたのかもしれない。
オットーは瞼を開き、茶褐色の瞳で一度だけ周囲を見回すと、無精髭の生えた口元を歪めて言った。
「ふむ……どうせ捨てた命だ。世界の平和というものが、シャムシールの行く末にあるか、確かめるのも良かろう」
アエリノールが説得に成功したようだった。
ただ、オットーは粛々とした動作で俺の前に跪き、頭を垂れた。多分、オロンテス風の騎士の誓いなのだろう。
アエリノールが立ち上がり、俺の耳元に口を近づけて、口上と、為すべき動作を小声で教えてくれた。
「……本当は、直剣が良いのだけど、ね」
俺はアエリノールの指示通り口上を述べて、オットーの左肩に魔剣を軽く乗せた。
「騎士オットー。以後、その命ある限り、我に尽くせ」
「否――我、この身、魂が朽ち、枯れはてようとも、永遠の忠義を、主シャムシールに誓う者なり」
オットーの言葉が、天幕の中に響いた。
俺は、自分でオットーに騎士の誓いをさせておきながら、ちょっとだけ感動していた。
多分、オットーはこの誓いを、決して破らないだろうと思ったからだ。だからこそ、オットーが死ぬような命令をしちゃいけない、と心に決めた。
そして、不意に俺に視線を向けたオットーは、もはやいつものオットーであり、豪放磊落に戻っている。
「さて、そうと決まれば俺は何をすれば良いのだ? 誰を倒す? 何でも命令してくれ!」
そう言いながら、あっさりと腰紐を引きちぎったオットーであった。
筋肉達磨の面目躍如というところか。粗雑な襤褸から覗く筋肉が盛り上がり、鎧を着ている時よりも、いっそ強そうだ。
「あ! シャムシールさま! その、気を失ってしまい、も、申し訳ござらぬ。そ、その、過分な恩寵を頂きまして……お、驚き……い、いや、あ、在り難き幸せに存じまする! ぜ、是非、せ、拙者にも御命令を下されませっ!」
いつの間にか起き上がったドゥバーンが、再び片膝をつき、俺を見上げて命令を求めていた。
黒髪を後頭部で束ねて、相変わらず言葉を噛みまくるドゥバーンだ。
それにしてもドゥバーンって、よく見たら小さな鼻は可愛らしくて、長い睫毛には色気すらあるぞ。けれど、それよりも一番彼女を特徴付けているのは、左右で瞳の色が違う事。彼女は右目が黒く、左目が蒼いオッドアイだった。
そして、俺は皆に命令を下した。
万人将になってから、最初に下す全軍への命令だ。
「よし、兵に天幕を畳ませろ! 部隊を再編成する! サーリフさまの残存部隊を纏めて、マディーナに帰るぞ!」
俺の言葉で、多くの者が動く。
これが、権力の一端なのだろう。だが俺は、このことに対して、今は、嫌な重みしか感じられないのであった。




