一万人対ニ五〇人
◆
ファルナーズが取り落とした魔剣を、奴隷騎士二名が何とか持ち上げている。震える手で差し出された魔剣を受け取ったファルナーズは、ようやく茫然とした面持ちから開放されていた。
「ち、父上を救出するのじゃ! 父上が討たれるはずが無い!」
すぐに馬首を巡らし、城外へ抜けようとするファルナーズだ。
「なりませぬ! ここで引き返せば敵の思う壺。兵はこのまま前進を。さすれば、他のシバール軍も動き、全体での勝利は動きませぬ」
「し、しかし父上がっ……!」
「それは、我等にお任せを!」
取り乱すファルナーズに、いつになく真剣なネフェルカーラが食い下がる。確かに、前線で戦う奴隷騎士が退く事は困難だろう。
それに、挟撃されているとはいえ、数に勝る此方が冷静に対処すれば、たしかに敗北は無いと思える。ならば、ここで崩れる方が問題だろう。とは言え、後方の崩れ方が尋常じゃない。
どの軍も、毒プラス指揮官襲撃というコンボがあったのだろうか? そして、サーリフも他の万人将も討ち取られたのだとすれば……
俺は、自分の想像に身震いした。
あのサーリフが、簡単にやられるだろうか。ファルナーズではないが、正直、俺も酷く不安だ。
ファルナーズは悩んでいるのか、きつく唇を引き結んで、喋らない。
(シャムシール、お前が行け。サーリフが生きているのなら助け、敵を蹴散らして来い)
突然、ネフェルカーラからの念話だ。
おい、オマエ、一体何を言っている? また無茶振りか? と言い返したい。
(敵は一万人程度だろう。此方の混乱に乗じて攻め込まれている。だが、ここに到達させなければ、我等が勝つ)
「お、俺一人でいくの?」
恐る恐る、聞き返す俺。大体、一万人程度ってなんだ? 程度の基準がおかしいぞ。
それに、もしもサーリフが討たれたというのが本当なら、とんでもない敵がいるんじゃないか? 死んじゃうではないか!
(馬鹿をいうな、近衛隊を全て連れてゆけ。その代わり、おれが、ここでファルナーズを守る)
ああ、良かった……って、思うかぁ!
一万人対ニ五〇人とか、おかしいよ!
(シャムシール、お前は強い)
冑の中で響くネフェルカーラの声は、いつになく優しい。
それに、サーリフを助けたい、という気持ちが俺の中で大きくなってきていた。
サーリフが討たれたとは、俺にはどうにも信じられないのだ。きっと、あの混戦の中で生きているにちがいない。
だが、もしも本当にサーリフが討たれていたら、俺は、敵を許せるのだろうか?
ふつふつと湧き上がる疑念が、俺の身体を突き動かしていた。
俺は、強い。
自分に暗示をかけるように、幾度も脳内でその言葉を反芻する。
そして、意を決した俺は、曲刀を鞘に収め、背中に背負った槍を右手に持ち、高く掲げた。
「近衛隊! 続けっ! サーリフさまを救出するっ!」
俺の声は、自分が思っていたよりも遥かに大きく、オロンテス西門に木霊した。
漆黒の軍団が歓声を上げ、剣や槍を突き上げる。
俺は、馬首を翻し、門を抜けていった。
「全軍、前進せよ! 王城を落とせっ!」
俺の背中越しに、ファルナーズの凛とした声が聞こえ、ついで鬨の声が聞こえた。
多分、ファルナーズは俺を信頼してくれたのだろう。それが少し嬉しく、歯がゆかった。
(シャムシール、無事に戻れよ)
「ネフェルカーラも、無理するなよ」
(なっ、なっ、お前に心配されるいわれはないっ!)
◆◆
馬を走らせて各部隊を回ると、やはり紫色の煙が覆う場所が幾つもあった。恐らく、それぞれの本陣であり、万人将が居た場所なのだろう。周辺にいた奴隷騎士達は皆、所在無さ気に固まっていた。
とにかく、西門から最も近い万人将の陣でアエリノールが紫色の煙を消すと、現われた死体は無残に切り刻まれた万人将なのだから、敵の狙いは明白だった。
「シャムシール、急いだ方が良いよ! 軍が指揮系統を失っている!」
「そうだねぇ。サーリフさまからの指示を伝える伝令も居ない所を見ると……最悪の場合に備えて、各部隊にはこれからファルナーズさまに従うよう、指示を出しておこうか?」
一応は騎士団長だったアエリノールが現状を把握したらしく、細眉を顰めて叫んだ。だが、それよりも、もっともらしく、ハールーンが対策を立てたことに俺はびっくりした。
なんだ、この実は出来る子でした感は? ハールーンの癖に!
「よし、各軍に伝令を。指揮官が不在になっているならば、サーリフさまの別命があるまで、ファルナーズさまに従うように、と」
ハールーンの意見を取り入れて、俺は部下を幾人か選んで送り出す。でも、よく考えたら俺のいう事って、近衛隊以外でも聞いてもらえるのだろうか? ちょっと不安になった。
「でも、俺の伝令で皆信じてくれるかな?」
「大丈夫ですっ! 兄者の名前は、今や黒甲将軍として有名ですっ!」
すると、すかさずフォローを入れてくれるシャジャル。
顔に敵兵の返り血がこびりついていてちょっと怖いが、それでも胸を反らして兄を称えるシャジャルは十二歳の女の子。
やっぱりシャジャルは可愛いなぁ。
いや、和んでいる場合じゃなかった。
どうやら攻城戦の間に、俺はけっこう有名になっていた様だ。
たしかに工事をしながら、合間を縫って、一騎打ちを何度かした気がする。そういえば、全部勝ったな。勝たなきゃ死ぬし。
……ああ、それもこれも、この黒い鎧が悪目立ちしたせいだ。
とにかく伝令を見送ると、敵の側面を迂回しつつ、俺はサーリフの陣に向かった。
迂回案は、セシリアが出してくれた。
俺が正面から突っ込もうとしたら、
「ねえ、バカなの? アレだけの集団にコレだけで正面から突っ込むとか、シャムシールもバカなの!?」
と、泣きそうなセシリアに言われたのである。
サーリフの本隊があったであろう場所に辿り着くと、俺は目を疑った。その場で目にした光景を、俺は、きっと一生忘れられないだろう。
真っ先に視界に入ったのは、既に動けない奴隷騎士達にとどめをさす、銀羊騎士団の姿だったのだ。
乾いた砂が、奴隷騎士達の血を吸い上げて、赤黒く滲んでいる。
歓声を上げながら、既に瀕死の奴隷騎士達に槍を突き立てるオロンテス騎士達は、一体どういうつもりなのだろう。
馬蹄に踏みつけられて絶命した者もいれば、逃げようとして背中を槍で刺される者も居る。
俺は、腹の底が締め付けられるように苦しくなり、この場から逃げたくなった。
城壁に取り付いていた部隊の混乱など、生易しいものだった。
そもそも城壁上の戦いは、形勢が変わり、敗走しつつあったとしても、敵に背後から襲われた訳ではない。指揮官が一時不在でも、立ち直れる可能性がある。
しかし、サーリフの本隊は違う。
混乱の後、すぐさま敵に襲撃されたのだ。そうなれば、壊滅しか道はなかった。
幸い俺たちは敵の背後から、サーリフの陣だった場所に抜けた。すでに敵の本隊は前進して、別の部隊に襲い掛かっているからだ。
全軍をあわせれば、まだ此方の方が数に勝っているはずだが、連携が取れない上に、指揮官が居ない。だから未だ、どの部隊も敵に蹂躙されるままだった。
「サ、サーリフはどこだろう……」
暫く探すと、大きな身体がうつ伏せに倒れていた。その身体は、見覚えのある、有翼獅子の意匠が施された鎧を纏っている。そして、僅かに離れて巨大な曲刀が落ちていた。
俺は、馬から下りて、その身体を確認した。
うつ伏せから、仰向けにする。力の入らないその身体は、ぐったりとしていた。けれど、口元だけは笑っている。
外傷は、なかった。けれど、大きな曲刀に幾つかの刃こぼれがある。間違いなく、誰かと戦ったのだと、俺は思った。
そして、サーリフは、負けなかった――そう、俺は確信した。
「アエリノール! シャジャル 治癒を! もっと!」
俺の目の前で、既にアエリノールの声が響いていた。
シャジャルも、懸命に呪文を唱えている。
けれど、目を覚まさないサーリフを見て、俺は苛立ち、声を荒らげた。
蘇生も治癒も出来ないとわかるのに、それ程の時間は掛からなかった。
だから、俺は三人の部下に、サーリフの死体をファルナーズの下に届けるよう指示を出し、再び馬に飛び乗った。
俺の目には、一万騎の敵が背中を向けている姿が見える。
どうせ、どうにかして敵の足を止めなければならないのだ。
俺は、無言で馬を走らせた。
悲しい、とか、悔しい、とか、そういった感情はなかった。
ただ、死んで尚、笑顔でいたサーリフの気持ちがどこにあるのか、知りたかった。
多分、ファルナーズが生き続ける事を、幸せになる事を、疑うことなく死んだのだろう。だから、俺はサーリフの願いを一つだけ、聞き届ける事にしたのだ。
「……ファルナーズを頼んだぞ」
いつか、サーリフはそう言っていた。
「おおお……!」
何処から出てくるのか分からない俺の声に、俺自身が圧倒される。けれど、俺は一万騎の敵中に入り、雄叫びを上げていた。
槍を縦横に振えば、力の加減を失った俺は、鎧ごと敵の上半身を奪い去り、同時に槍を失った。
ならばと曲刀を鞘走らせて、唯ひたすらに敵を斬り伏せる。それでも飽き足らず、俺は感情の赴くままに魔力を開放し、ぶつけ、駆け抜けた。
俺の後ろに続いた奴隷騎士達も、それぞれに雄叫びを上げて駆け抜けると、オロンテスの騎士たちは、肉食獣に追い散らされる草食獣の様に、逃げ惑うだけになっていた。
どれ程時間がたったのか判らないが、敵を散々に蹴散らした俺の下に、シーリーンが現われた。
「援軍を率いて参りました。
私はナセル閣下の名代、シーリーン。先ほど、敵将レオポルドが降伏しました。これ以上の攻撃は控えなさい、シャムシール」
敵の血で真っ赤に染まった魔剣を鞘にしまい、俺はシーリーンを見た。
オロンテスで敵対しておいて、よくも俺達の前に姿を現せたモノだと感心したが、思えばそもそも同じ奴隷騎士。こういう事もあるのか、と、僅かばかり冷静さを取り戻した俺は考える。
面頬を上げた俺の顔を見るシーリーンは、心なし口元を引き攣らせていた。
目が合ったとたんに顔を背けるとか、もしかして俺、シーリーンに凄い嫌われてるのだろうか?
「ハールーンっ!」
けれど、俺の横から現われたハールーンを見つけると”ぱっ”っと明るい笑顔に変わっている。ちっ、ブラコンかよ。
「銀羊騎士団よ、聞け! 我が名はザール! 団長のレオポルドは我がリヤド王国に降伏した! これ以後、武器を捨て、一切の抵抗をやめられよ! さすれば諸君等の命を、我が名において保障する!」
シーリーンの背後から現われた巨漢が、それに見合った大音声で叫んでいた。
俺は、巨漢で黒髪黒目、その上、乳白色の角があるその男を見て、サーリフみたいだな、と思ったら、うっかり涙が出てしまった。今更、酷く悲しくなったのだ。
「何を泣いている?」
「何でもない……」
巨漢は、そんな俺を見て笑ったが、頬に走る二筋の真新しい傷が痛んだのだろう。すぐに眉を顰めて、笑いをしまった。だから、俺も頑張って涙をしまう。
「その黒い鎧、お前がシャムシールか?」
「ん? そうだけど」
「ほう、サーリフ殿と互角だったと聞いているが」
いつの間にやら俺の隣に馬を進めた巨漢が、静かに問うてきた。
それにしても、馬に乗っていてさえ、俺とはとんでもない身長差だ。この人、サーリフより大きくないかな?
ていうか、サーリフの名前を聞いたら、また、涙が溢れてきてしまった。
「うっうっ……ぞんなばけ無いだぼおぅ。ザーリブざばの方が、強かったにぎまっでんだろお」
泣きながら喋る俺の姿を見て、今度は笑わない巨漢である。
ただ、一度だけ視線を下に落とし、再び俺に向き直った時、その表情はどこかほろ苦そうだった。
「サーリフ殿は残念だったな。見事な武人だったと思う。
……俺の名はザールという。また会おう、シャムシール」
ザールはそれだけ言うと、シーリーンと共に、自分の部隊の下へと去った。
気が重いけれど、戦いはまだ終わりじゃない。
俺は再び面頬を下ろして部隊をまとめ、ファルナーズの下へと急ぐのだった。




