西門の攻防
※ 残酷な描写があります。
◆
ナセルの軍も到着し、シバール全軍がオロンテスに対して総攻撃を開始するかと思われたが、意外にも、そうならなかった。
むしろ始まったのは、大工事だ。
本当にウルージが言っていた通り、オロンテスの城壁に沿って土を盛り固め、徒歩で城壁に上れる様に工事をしている。
そもそも、沙漠で砂ばかりだというのに、どこから土を持ってくるのだろう? なんて思っていた俺が甘かった。
何しろ水を魔法で生み出し、その水分を砂に含ませ、妙な魔法をかけて土を作るのだ。それが魔法兵団の仕事で、出来上がった土を盛ってゆくのは一般奴隷騎士という、見事な流れ作業である。
流石に俺も人海戦術には借り出されるハメになり、日々を泥まみれになって過ごしていた。さらに、手の平に出来ていたタコも、刀のモノからスコップのモノにジョブチェンジしたようで、これは如何なモノだろうか? と、俺の頭を悩ませる。
そして一ヶ月。
城壁に土が届くまであと一歩、という所まで工事が進むと、もはやオロンテス兵の引き攣った顔さえ見える。
俺は土を運びながら”にしし”と笑顔を向けてみた。そのままびびって降伏してくれたなら、戦うよりもよっぽどマシなのだ。
けれど、敵は俺に矢を射掛けてきた。それもそうだろう、当然の事だ。
しかし、それがきっかけになって工事は一事中断となり、城壁上と、土の長城の間で戦端が開かれてしまった。
「えっ? 俺のせい?」
などと思ってちょっとだけ慌てたが、俺は急いで冑を被り、自分の部隊を集合させた。
実は、こんな事は日常茶飯事なのだ。だから、みんな工事をしながらも常に戦闘に備えていた。手馴れたものである。
どうせ僅かの距離しかないのだから、城壁に飛び移って戦っても良いが、それは、あくまでファルナーズの指示があってのこと。何より、俺たちは近衛隊である以上、まずはファルナーズの下に行かなければならないのだ。
急いでファルナーズの天幕に辿り着くと、外に出て、既に騎乗した小鬼が城壁を睨みつけていた。
「敵も我等の工事に慌てておる、昨日よりも攻撃が苛烈じゃ! 丁度良い、父上に総攻撃の具申をした!」
「やはり、賛成致しかねます。聖帝は未だ攻撃指示を出しておられませぬ」
「ふふ、とは言え敵に攻められたのだから、止むを得まい? いい訳にはなるはずじゃ。
それに、どうあれ、このまま勢いに乗じて城門を破れば、我等が勲功第一は間違いないぞ! ははは」
「ふむ……」
確かに、昨日や一昨日に比べて、敵の攻撃が苛烈だ。
だからこそ、これを利用しようというファルナーズ。彼女の鎧は白銀に煌き、やる気が漲る頬は、やや紅潮していた。
その横で首を傾げるネフェルカーラ。普段なら大好物の戦闘なのに、ファルナーズに反対した挙句、今は馬上で静かに目を瞑っていた。
だが、ファルナーズはネフェルカーラの様子を気にも留めず、素早く部下に指示を飛ばす。
「魔法兵団! 防御魔法を展開! 各千人隊は重装兵を前面に出し、矢を防げ!」
ファルナーズの声と同時に、俺たちの頭上で火球が弾け、黒煙が覆う。
敵の魔法攻撃であろう。
防御魔法で覆いきれなかった箇所で、呻き声が上がっている。
もちろん、俺やファルナーズは無傷である。近衛隊に対する攻撃は全て、ネフェルカーラやアエリノール、シャジャルが防いでいるからだ。
「ええい……! シャムシール! まずは、あの魔術師を倒してこい!」
「はっ!」
歯軋りするファルナーズは、オロンテスの城壁の一点を指差し、俺に命令を下す。
ファルナーズが指差した先には、紺色のローブを着た男がいた。その男は、銀色の鎧を纏う騎士達に囲まれて、此方の陣を睥睨している風だった。
ええ? 何で俺!? ネフェルカーラいるじゃん! 無茶振りだよ!
と、言いたいのを堪え、元気に返事をした俺。
最早、俺も兵からは完全に脳筋と思われているのだから、仕方ない。そのイメージを迂闊に崩して、俺の言う事を皆が聞かなくなったら大変だし。
「ハールーン! アエリノール! シャジャル! セシリア! 俺に続けっ!」
俺も騎乗して、部下達に呼びかけた。
瞬時に黒い集団が一塊になり、矢のような形になって、自分たちが作り上げた土の山を駆け上がる。
やばい! うっかり俺が先頭だ! やや遅れてアエリノールとハールーンが後ろにいるけど、二人とも、遠慮しなくて良いからね?
そう思いつつ、面頬を下ろし、槍を構えて俺は敵に突撃する。
土山と城壁の間にある僅かの隙間を飛び越える等、俺の馬には造作もない事らしい。落ちたら死ねる狭間なのに、勇敢なことだ。ということで、俺はあっさりとオロンテスを囲う城壁に飛び移った。
黒衣黒甲黒馬な俺は、一体どこの死神だ? と思って多少切なくなるが、敵は待った無しで俺に群がってきた。ええ、どうせ今の俺は、突撃隊長ですけども……
俺は馬を走らせ、ファルナーズに指示された敵に向かう。
右から来る敵に槍を刺し、身体を捻って左の敵をなぎ払う。たまに馬から転げ落ちそうになるが、足を踏ん張り何とか耐えた。
そう、俺はシャジャル程に、馬の扱いは上手くない。
馬だけに……へへ。
”ごいん”
馬鹿な事を考えていたら、冑に矢が当たった。
別に痛くは無い。イラッとしたくらいだ。ただ、その後に大量の矢が俺の頭上に降り注ぎ始めた。
うお! 俺、狙われすぎ!
「風妖精! シャムシールを守りなさい!」
俺が自分を目指す大量の矢を見つめ、絶望の悲鳴を上げそうになった瞬間だ。アエリノールが俺の前に出て、敵を斬り伏せながら叫んでいたのは。
そして、アエリノールに頭から両断されたオロンテス兵は、血煙を噴出しながら、城壁の下へと落ちてゆく。
アエリノールが俺の前に出ると、それだけで上がる血飛沫の量が倍加した。
そもそも、俺に降りかかるはずの矢がそれて、オロンテス兵の頭上に落ちるのだから当然だろう。
アエリノール、我が部下ながら、なんて恐ろしい子。
こうして、なんとか城壁上の一部を確保した俺達は、ファルナーズが指差した敵を、ついに射程圏内に捕らえた。
ヤツが後退する速度よりも、此方の進撃速度が勝ったのだろう。
しかし、奴は我先にと走り出し、城壁上の拠点であろう、堅固な塔へ逃げ込もうとしていた。
「逃がすものかっ!」
だが、逃がさないシャジャルは、魔術師の眼前に、ネフェルカーラ直伝の雷を落とす。
「雷撃」
たて続けに雷を敵に落とすシャジャルの表情は、奇妙に笑っていて、何だかちょっと怖かった。
それはともかく、雷撃は有効だった。重装備も雷撃の前には役に立たないようで、魔術師を守る騎士達が、次々ともんどりうって倒れてゆく。
「行っくよ~!」
今度はハールーンが飛び出し、自分の部下を引き連れて、敵部隊に突撃をかける。
敵は、未だニ〇〇人位は残っているだろう。さらに、拠点と思しき塔からの増援も見えた。
それにも構わず、自身に降りかかる矢も、魔法さえも踊るようにかわし、ハールーンは敵の集団に斬り込んで、血風を巻き上げ続けるのだから、味方の士気がどんどん上がる。
結果、こうなった。
「兄者! ハールーン殿に負けてはおれませぬ!」
「シャムシール! 今だっ!」
俺はシャジャルとセシリアにせっつかれたので、仕方なく宣言したのだ。
「蹂躙せよっ!」
俺も、馬腹を蹴って敵軍に踊りこんだ。
驚くほど、俺は冷静だった。
幾度か俺の体を剣や槍が掠めたが、全て鎧が弾いていたし、この時、絶対に死ぬ気がしなかったからだろう。
だから、俺は一直線にファルナーズの指示した人物に辿り着き、首を跳ね飛ばした。
こういうのに馴れるのは嫌なのに、何故か上手になってしまった俺である。
こうして俺たちは、たった一一〇人でオロンテスの城壁、その一角を制圧したのだった。
◆◆
西の城壁は、その一角が崩れた事で、なし崩し的に防御力が下がっていた。
当然、それを見逃すサーリフやファルナーズではない。盛大に太鼓が打ち鳴らされ、城壁に殺到するサーリフ軍である。
俺は、制圧した拠点をさらに拡大して、ファルナーズを迎えた。
「ご苦労、シャムシール!」
ファルナーズが白馬を躍らせて俺の前に現われ、機嫌の良さそうな笑顔を浮かべている。
となりで欲求不満の溜息を盛大に吐き出している緑眼の魔術師とは、まったく比べ物にならない程、ファルナーズの顔は晴れやかだった。
俺が占拠した地点から僅かばかり先にある二つの塔を制圧すれば、城門を開く事が出来る。しかし、如何せん塔の内部は狭く、敵の抵抗は激しい。
しかし、城壁上をある程度占拠してしまえば、後はどうとでもなる。縄梯子を下ろして、兵を市街に送り込む事も出来るのだ。慌てる事はなかった。
とはいえ城壁上で確保出来た地点は、まだ俺が制圧した一点のみで、他の部隊は大体が城壁になんとか取り付いている、という状況だ。
付け加えるならば、俺たちのいる地点を取り戻そうと、敵も必死になって城壁の左右から攻撃を仕掛けてくる。だから、アエリノール、シャジャル、セシリア、ハールーンはそれぞれに散って、最前線で常に戦い続けていた。
そういえば、皆の戦いだが……
前衛でセシリアが剣を振い、後衛として魔法を行使し続けるシャジャル。この組み合わせには、何人でかかってもオロンテス兵は為す術も無い。
赤髪と青髪のコンビネーションとか、見た目的には凄い絵になるけど、たまにセシリアが使う魔法が土系なのは、どうなのだろう?
ハールーンが馬上から繰り出す剣技は、舞うように鮮やかだ。敵を翻弄し、斬り裂き、刃を叩き込んでいる姿は、俺だって惚れ惚れする。敵もうっかり見惚れて斬られるのだから、驚きだ。
まったく、敵さえ魅了する程に、ハールーンの美技は冴え渡っている。
なんだか、ハールーンのクセに生意気だと思った。
アエリノールは騎馬を巧みに操り、疾風の様に戦場を駆け回っている。彼女の通り過ぎた後には、急所を貫かれた死体か、或いは両断された死体しかなかった。せめて一撃で葬ることが、この戦いにおける彼女の慈悲なのだろうと、俺は何となく理解していた。
何にしても、皆、際立って強い事は間違い無いようだ。
◆◆◆
偶発的な戦闘から始まり、総攻撃に至ってから二時間程が過ぎていた。
先鋒である俺たちファルナーズ軍は、城壁の一部を制圧し、縄梯子を下ろして、オロンテス市街に部隊の三分の二を突入させる事に成功した。
塔の攻略は、後回しになった。
塔内部の、馬が二頭と並んで通れない細い通路には、大軍を投入出来ない。だからといって、精鋭を送り込むのもバカバカしいのだ。
「面倒ならば、無視して孤立させてしまえば良い」
と、言ったネフェルカーラの案を、ファルナーズが採用した。
後続も、それぞれ城壁を占拠しつつあるし、オロンテスに突入するならば早い方が良い。このまま突入できれば、シバール全軍もサーリフ軍に続くであろう。
そう、ファルナーズも考えているだろうし、俺だってそう思う。
「よし、我等もオロンテス内部に突入するぞ」
だから、ファルナーズのこの命令は、俺にも理解出来たし当然の判断だった。
サーリフ軍の先鋒として、オロンテス滅亡に至る楔を打ち込む。それでこそ、サーリフの勲功が第一となり、王への道が開けるのだろうから。
「よし、降りろ――」
ファルナーズが淡い光を帯びた曲刀を天に掲げ、振り下ろそうとした、まさにその時であった。
ファルナーズに続くサーリフ軍の、更に後方から砂煙が上がり、黒い影が迫る姿が見えたのだ。あまつさえ、地響きが伴っていた。
砂塵と音から判断すれば、大軍が迫っている。
だが太陽はすでに西に傾き、こちらからでは逆光になって、何が起きているのか判然としない。
それでも俺は、目を細めて何が起こっているのかを確認しようとした。
すると、迫る黒影に対し、サーリフの本体が動揺しているように見える。
ファルナーズも、西方を眺め、眉を顰めて訝しんでいた。
「やはり、そういう事か……おれとした事が……
……これは、敵。してやられました」
一人、ネフェルカーラだけが、状況を瞬時に悟ったようである。
ネフェルカーラの声で、ファルナーズも俺も、状況を理解した。
このままでは、挟撃される危険がある、ということだ。
だが、城壁の下から自軍を呼び戻せる状況ではない。
かといって背後から迫る敵は、サーリフ軍の最後衛に既に取り付き、攻撃を加え始めている様だ。
サーリフの陣から叫喚が聞こえ、火球が炸裂する様が見えた。
爆炎がはじける度に舞い上がるのは、褐色の肌をした奴隷騎士であり、曲刀だった。
なぜ敵が背後から現われたのか、理由は判らないが、現状が危機に変わりつつある事だけは、はっきりとしている。
「……まずは城門を破るしかない。退くにしても、城門を開けられなければ、下りた兵を見殺しにすることになります」
「わ、わかっている。何とかする!」
ネフェルカーラの進言に、声を震わせて答えるファルナーズ。その表情は苦しげで、すぐにも引き返したいのであろう、視線はサーリフの陣を見据えている。
馬では、城壁の下に飛び降りられない。だからと言って、ここで馬を捨てる訳には行かない――何より、城門を開く為にはどうすれば良いのか――
俺は、知らずネフェルカーラと視線を合わせ、頷いていた。
「突撃する! 続けっ!」
「はっ!」
俺は先頭を駆け、塔を目指す。
城門を開ける為には、城壁上に聳える塔を落とす方が近道だった。なぜなら、城門の開閉を操作しているのが、城門の横に聳える二つの塔なのだから。
何より、ここを制圧すれば、騎馬のままオロンテス市街へ抜けられるのだ。
そして、俺の命令に答える一一〇人は、未だ、この戦闘で誰一人欠けていない、漆黒の軍団だった。
ネフェルカーラは口元を歪め、単騎、敵中に入る。
もう一つの塔を目指している事は容易に判ったが、その相貌は、余りにも不敵だった。




