それぞれの決意
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ファルナーズと共に自陣に戻ると、既に天幕が張られ、野営の準備が整っていた。
他の軍団と比べれば、オロンテスに対して後方に位置する場所に陣がある為、防御設備は軽く柵を張った程度の簡素なものだ。
それも本来、対オロンテスならば別に張る必要の無い柵ではあるが、シバール国内の領主同士というものは、先ほどのネフェルカーラとウルージの口論の通り、決して一枚岩ではない。なので味方の裏切りに備えて、という意味合いの方が大きかった。
俺が自分の部隊の天幕に戻ったのは、ファルナーズとの打ち合わせも終わり、夜間の護衛と交代してからなので、現代の日本風な言い方をすれば、午後九時を回った頃であろうか。
いくつもの蝋燭が照らし出す天幕の中、灯りを避けるように、隅で膝を抱えて蹲るアエリノールを俺は見つけた。
シャジャルとセシリアはファルナーズの護衛をしていて、ネフェルカーラは、未だにファルナーズに怒られている。
「……だから、誰にでも簡単に喧嘩を売ってはならぬのじゃ!」
「しかし、癪に障る顔を見たら仕方が無いのでは? 特にあのウルージ等という蛆虫など……」
俺が退出する時の問答を思い返してみても、ファルナーズがネフェルカーラに、自身の想いを伝えるのは難しいと思う。
ハールーンは周囲を警戒中なので、余ったアエリノールがここには一人ぼっち、という状態だった。
「アエリノール?」
「シャムシール……わたし、何が正しいのか、わからないよ」
問いかけると、ぼんやりとした顔を俺にむけ、切実な悩みを打ち明けてきた碧眼の上位妖精。絶対に、相談する相手を間違っている。そんなもの、俺だって分からないのだから。
「俺も、わからないよ」
「じゃあ、シャムシールは何で戦うの?」
潤んだ瞳で俺を見上げるアエリノールは、多分、良心の呵責に耐えているのだろう。
アエリノールの質問に答えるには、俺は余りにも低次元の生き方をしている。でも、大体の人が俺や、俺以下の世界で生きているんだから、アエリノールがその辺を解ってくれれば良い気もした。
「生きる為、かな……逆にアエリノールは、なんで今まで戦っていたの?」
「世界を、平和にする為。
……この世界は争いに満ちていて……それを治める為にわたしは聖騎士になって……剣を振るって。
でも結局裏切られて、それでも生き延びて……そうしたら、今度は今までの味方と戦わなきゃいけなくて。
……この戦いは、世界を平和にする? シバールは絶対に勝つでしょう? でも、その後にオロンテスの人達はどうなるの?」
この問いは、ネフェルカーラなら笑い飛ばすだろうし、ハールーンなら苦笑するだろう。シャジャルなら一緒に悩むだろうし、ファルナーズならば頷いて、勝利してから考えよ! とでも言うだろう。
だけど、俺はには重過ぎる。
俺は、アエリノールの隣に腰を下ろして、溜息を吐きながら予想出来る現実を口にした。
「多分、オロンテスの人たちは、殺されるか奴隷にされるだろうね」
「シャムシールは、それが正義だと思うの?」
「思わない。でも、戦って勝った方が正義になるから」
「なに、それ? どういうこと?」
所詮、正義なんてものは何処でも変わらない。
強くなければ正義になれないし、負ければその時点で終わりなのだ。アエリノールは自分が圧倒的に強いからこそ、逆にその事に気がついていないのかも知れない。
だからなのか、アエリノールは、驚いたように目を丸くしていた。
「そのままだよ。それに、もしもオロンテスが勝ったら、逆にシバールの人が殺されるでしょ? それは、アエリノールの中では正しいの?」
「……昔なら、それは仕方のない事だと考えたと思う。でも……今は、違う」
アエリノールは両手で頭を抱え、金髪をかき回している。多分、頭に煙突が付いていたなら、凄い勢いで煙を噴出しているだろう程に悩んでいる。
暫くじっとアエリノールを見つめていたら、唐突に俺の両肩を掴んで、吹っ切れた様に微笑んだ。
「シャムシール……わたしはシャムシールの奴隷になって、本当に良かったと思ってる!
でも、他の奴隷騎士はさ、毎日訓練をして、夜には手枷や足枷を付けられ暮らして、可哀想だと思う」
アエリノールの言いたい事は分かる。俺だって、二十一世紀の日本で生きていた身だ。奴隷制度が決して良いものだとは思っちゃいない。けれど、これがあるから、この社会が成り立っているというのも理解している。
だが、その時、妙に輝きを増したアエリノールの碧眼は、俺の両目をじっと捉えて離さなかった。それが俺には妙に不気味に映り、そして続く彼女の言葉が、俺のチキンハートに突き刺さる。
「だから、シャムシール……世界の人を全部、シャムシールの奴隷にして、ね?」
はい?
え? なに? おい?
「みんなシャムシールの奴隷になれば、殺されないし、酷い扱いを受けないし、平和だよ! わたしは、その為に頑張る! これが正義だ!」
なんだって? ど、奴隷を否定している訳じゃないだと!
この残念な上位妖精は何を言いだした?
バカなの? やっぱりバカなの? アエリノールは?
アエリノールのバカさ加減を考えると、俺の意識はどんどん遠のいて行く。
天井を見上げ、遠ざかる意識を引き戻そうとするのに俺は精一杯だった。
しかし、そんな事には構わずアエリノールは、さっと片膝をついて曲刀を床に置いた。そして、俺の身体を強引に半回転させて右手を取り、自分の額をつけている。
「シャムシールさまに永遠の忠誠を!」
「へ? へ? ありがとう?」
何という追い討ちだ。俺は返答に困り、多分、無難な回答をした。
恐らく、俺は挙動不審の極であったことだろう。しかし、程なくネフェルカーラが憔悴した表情で戻り、ハールーンも鼻歌を歌いながら天幕の布を捲った為、なんとかアエリノールとの会話を中断する事が出来たのだ。
だが、後に奴隷解放に邁進しようと思った俺に、意味の分からない反対をした八王の一人、天王アエリノール。
その原点が、まさに、この時だったという事など、今は知りようもない俺だった。
◆◆
翌日、サーリフの本軍とも合流した俺たちは、大将軍の命令に従って、オロンテスの西側に陣を張った。
それと同時に、各軍もそれぞれが配置に付く。
南側にあるオロンテス正門は聖帝軍、 東にシラズの王ウルージ、北にテヘラの王メフルダートが陣を敷いた。
明日か明後日にはリヤドの王弟ナセルが到着し、アシュラフ王の名代としてシェヘラザードの下に付くそうだ。それで、総勢四十万の大軍になるというのだから、恐ろしい。
もう、オロンテスは素直に降伏してくれないかな? と俺なんかは思うのだが、残念ながら、この有利さ加減に味方の士気は、大盛り上がりである。
とはいえ、今日は陣を張った初日という事もあり、終始、小手調べ程度の戦闘であった。
もちろんファルナーズ軍は先鋒なので、小手調べ担当だ。なので、申し訳程度に魔法兵団に火球を撃ち出させ、火矢を射かけ、城攻兵器を繰り出しては撃退される、という切ない戦闘を強いられていた。
別に魔法兵団は、小手調べに付き合わされても構わないだろう。どうせ飛び道具なので、損害も出ない。しかし、攻城兵器で城壁に取り付いた奴隷騎士達が悲惨であった。
敵にも、当然ながら魔術師はいるのだ。防御魔法でこちらの火球を弾き、もののついでとばかりに、城壁に取り付いた兵士を水や氷で流すのだから、小手調べで死ぬハメになった奴隷騎士は浮かばれない。
防御に当たっているのは、金牛騎士団だか銀羊騎士団だか分からないが、その指揮官は、それなりに厄介な相手の様だった。
だけど当然ながら、俺に出番は無い。
何しろ、ファルナーズが動かずに指揮を執っているだけなのだから、近衛隊にやる事などあるはずもないのだ。
一度だけ敵の善戦を見かねたネフェルカーラが、ありえない位物騒な事を言っていたので、動きそうになった事はあったのだが。
「あの程度の城壁など、隕石で壊してしまえば良いではないか」
「城壁だけを、破れるのか?」
「……敵にそれなりの術者がいれば、その程度の損害で収まりましょう」
口を三日月形にして、目を細めるネフェルカーラだ。
「……ネフェルカーラ……隕石は駄目じゃ」
結局、頬を伝う汗を見せたファルナーズが、ネフェルカーラを動かさなかった。
俺も、それが正解だと思う。
さらっと隕石で壊せとか、宇宙世紀の発想に俺はびっくりしたよ。
そして多分、聖騎士のいなくなったオロンテスにそれ程の防御魔法を使える魔術師はいないのだろう。ネフェルカーラが残念そうに眉を顰めている様から、それが容易に想像出来る。
こいつは、全部壊す気だったんだ。
そっと苦情の意味も込めてネフェルカーラを見ると、緑眼の魔術師は、”はっ”っとしたように目を見開いて、
「ち、違う。無駄に人を殺すような、そ、そのような悪事、おれが本気でやる訳がなかろう! 今後もない! 誓うぞ!」
と、妙な言い訳をしていた。
どうやら大量殺戮が悪い事だと、自覚はしているようだ。けれど、些細な感情の昂ぶりでネフェルカーラは、悪を悪とも思わなくなってしまうのだろう。なんだか、猛獣みたいな奴である。
◆◆◆
「首尾はどうか?」
星明かりを遮る豪奢な天幕において、平伏するシーリーンに問いかける男はリヤドの王弟ナセル。彼はアシュラフ王の弟でありながら、同時にリヤドの宰相であり、最上位の将軍でもあった。
「万事、抜かりなく」
簡素な胸甲に篭手を身に着けたシーリーンは、簡潔に答えて立ち上がる。用事が済めば、いつまでもこの男の下に居たいとは思わないのだ。
――ナセル
この男は文武に秀でた温厚な王弟、という仮面を三〇年間被り続けている生粋の策士である。彼の三八歳という年齢を考えれば、つまり、人生の大半を偽っているということだった。
甲冑を身に着けたその姿は均整のとれた戦士そのものだが、しかし、切れ長の目は全てを見透かす様に鋭く、冷たい。
整えられた口髭と顎鬚さえも怜悧な印象を与えるが、しかし、僅かに上がる口角が、その印象を和らげる。
シーリーンはナセルの残虐さを、そして野心を知っていた。
なぜならば、彼女こそが、ナセルが組織する奴隷騎士の暗部、暗殺団の長なのだから。
「シーリーン、そういえば、そなたの弟がサーリフの下にいるそうだが……どうしたい?」
椅子に座り、足を組み替えながらナセルは問う。
シーリーンの背筋は冷えた。
この回答を間違えれば、ハールーンは命を狙われる。場合によっては、火が族の仲間が危険に晒されるであろう。
そもそも、オロンテスでの失敗は痛い。
本来、最善の策が成功していたならば、ナセルは単軍でオロンテスを急襲し、落とし、なし崩し的にリヤド領に組み込む算段だったのだ。
次善の策が生きているとは言え、シーリーンに二度目の失敗は許されない。となれば、今の回答とて試されているのだ。
「味方となれば、心強いかと……されど、敵とならば、葬るのみにございます」
「くくく、くははは。まあ、上手くやれ……ところで、たまにはどうだ、一杯、付き合わんか?」
押し殺した声で笑うナセルは、しかし上機嫌のようだった。
表向き敬虔な真教徒のナセルは、実はオロンテスの文化に傾倒している。彼は床に座る事も好まなければ、禁酒にも意味を見出せず、断食に至っては、愚挙とさえ考えていた。
だが、今は別に、誰かと本当に酒を酌み交わしたい訳でもない。ただ、シーリーンの真意に疑問を抱き、言ったまでだ。
「……お誘いは嬉しゅうございますが、まだ仕事が残っておりますゆえ」
褐色の肌に冷や汗を浮かべ、シーリーンは踵を返し、ナセルの天幕を後にした。
冗談ではない、とシーリーンは思う。
あの眼光に晒されて、感情を暴かれない自信など無い彼女である。
かつて自らの命や、幾人かの仲間の命を救ってくれた事を恩だと感じもするが、同時に、その全ての者を死んだ事として、暗殺団の人員としたあの男である。油断はならないのだ。
だが……
シーリーンは、成長したハールーンの姿を思い出し、空を見上げて、ふと笑みを零した。
沙漠の空には満天の星が輝き、この同じ空の下に弟がいるかと思えば、小さな幸福感がシーリーンを包むのだ。
明日にはシバール全軍と合流する。
それが齎す未来をシーリーンは知っていればこそ、彼女は何とか弟を守りたく思うのであった。




