魔剣
◆
俺は今、分厚い石造りの城壁に圧倒されている。下から見上げると本当にすごい。所々傷ついているが、これは先日の火の玉とかの攻撃によるものだろうか? 抉り取られているような跡もある。もしも観光でこの場所にきていたなら感嘆の声を上げただろうね。
その城壁の長い階段を上って一番上に出ると、俺の眼下には、広大な大地が広がっていた。絶景。
風が吹くと小さな砂の粒子が目に入って痛いけど、我慢。
雄大で荒涼とした大自然だ。たまに狼らしき影やライオンっぽい影が大地を横切る。
あ……
なんか、すごく見ちゃいけないものも見た気がする。
狼とかライオンぽい生き物とか、カラスみたいなのが群がってる物体。あれは見たくない。
多分、きっと、木に括りつけられた死体だ。新しいものは気持ち悪いし、古いものは白骨化している。
っと、気を取り直して視線を左手に移す。奥に細い川が見えたけど、それは大分遠くにありそうだ。それ以外はもう、全部、本当に荒涼とした大地で、砂漠という程じゃあないけど、草原というには程遠い。 この感じだと、人がこの近辺で生きる為には、マディーナの街っていうのは不可欠だろうな。
それにしても、北の城門ってサーリフが言ってたけど、門がない。門が無ければ、俺、逃げられない。ていうか、さっきの光景みたら、あんまり逃げようとも思えないけど。
「何をぼーっとしておる」
あ、ファルナーズさんに怒られた。
「すみません。景色に見とれてまして」
「こんなものが珍しいのか? おぬしは、どこの出身なのじゃ? 砂漠民ではなかろう? 肌の色が違うものな。といって、我等とも違う。イルハン族に似ておるが、それにしては華奢な体つきじゃ」
華奢って、貧乳のアンタに言われたくないわ。っと失礼。銀髪ツインテールさんはきっとまだ、発展途上なんだ。
「……出身は日本って国です」
「日本? どこじゃそれは。どのあたりにあるのじゃ?」
「さあ。それはこの場所がわからないと、俺にはさっぱり説明のしようもないです」
銀髪小鬼は、顎に手のひらを当てて考え込む仕草を見せる。赤い瞳を虚空に向けて、俺に対する親切心を全開にしているらしかった。可愛いから、抱きしめても良いだろうか。
「ふむ。ここは、我が国の王都リヤドからはるか北方にある街、マディーナじゃ。先日の戦によって我等が異教徒共から奪回したのじゃ。そして、ここより東には聖帝さまのおわす国、シバール国がある。遥か西には白き海が広がり、ここよりさらに北方には、蛮族共やら異教徒共やらが暮らす未開の地が広がっておる。わかったか?」
……わかるか!
そう言えたら、気分も楽だ。
こいつだけなら、まあ、正直、言ってもいいと思う。でも、こいつのお父さんがやばいもん。一言目には「殺す」。二言目にも「殺す」。そんで結局、刀抜くという鬼だもの。ああ、角あるから、間違いなく鬼なんだけど。
「いや。全然。国や街の名前すらわからないですから」
とりあえず、小鬼には、そう答えるしかなかった。
それからも案内されるままに歩く。
そうは言っても、胸壁にそって真っ直ぐ歩いただけだ。暫くすると、城壁と併設されている塔の中に入った。
内部は昼間でも薄暗くてひんやりしているけど、その中で働いている人は、緊張した顔で刀を磨いだり、槍を磨いたり、はるか大地をみはるかしていたり、と。
いや、それ、実はそんなに忙しくないんでないか? ていうか、ここは見張り櫓的な感じかな。
その塔の内部にある階段を下っていくと、今度は、それなりに大きい広場に行き着いた。
おかしな事に、四方を壁に囲まれている。というか、外から見たら四角い塔だけど、実は内側が空洞でしたーっていうオチだな。
オチじゃなく、どうやら中庭らしい。そこでは、何十人かが剣や盾を使って打ち合っている。訓練をしている最中だろう。
「ここが当面、おぬしの住処となる場所じゃ」
中庭らしき空洞を、剣戟の訓練を横目に通過すると、壁面に牢獄が見えました。
はい。またしても、1Rですか。そうですね、一人暮らしには1Rで十分です。ええ、十分です。永遠じゃなくて当面ですむなら、それでも我慢します。
「ハールーン! ハールーンはおるか?」
銀髪小鬼の凛とした声が響く。
「はいはい。ここにおりますよっとぉ」
チャラ男だ。チャラ男が出てきた。お前の頭はバレンシアオレンジか! みたいなやつだ。垂れ目のクセに間延びした声出しやがって。しかもイケメンで俺よりちょっと背も高い。むかつく。
「今日から、お前の牢に一緒に住まわせる。頼むぞ」
一人暮らしですらなかった。1R、チャラ男との共同生活になるらしい。虐められたらどうしよう。
「えぇ。俺はファルちゃん以外の人と一緒に暮らすのは嫌だぁ」
男がふくれっつらしても、可愛くないと思う。可愛くないけど、なんか許せる。そんな雰囲気が、このチャラ男にはある。
いや、一緒に暮らすなら虐められたくないから、自分から積極的に嫌うのはやめようとか、そういう打算ではないと思う。
「ファルちゃんなどと呼ぶでない」
「じゃあ、ナーズちゃん」
「おかしいじゃろう!?」
「ルナちゃん?」
「ふむ。それは……なかなか良いのではないか……」
いいのか? ファルナーズ! それでいいのか!? 俺は、心の中で声を大にしてツッコミを入れた。
◆◆
今、とりあえず俺は城門の塔(仮)の中庭らしき所で刀の素振りなんぞをしているが、別に、剣道部に入ったわけではない。
さっき、ファルナーズさんがオレンジ髪の垂れ目を呼んだのは「俺と剣の勝負をさせたかったから」という理由もあったようだ。当然ながら、俺は中学時代は陸上部、高校に入ってからは帰宅部で、インターハイを目指したかったかもしれない男だ。剣なんか、握った事も無い。
だから当然、チャラ男にボロ負けした。
いや、最近のチャラ男は強いね。伊達に肌の色も黒くねぇよ。しかも、勝負の最中に火の玉出すってどうよ? お前がファイヤー〇リオだったのか? え? って言いたくなった。
「そうじゃないんだよねぇ。もっと身体ごと、さ」
妙に俺の身体をぺたぺたさわる、チャラ男ことハールーンである。
ちなみに、ファルナーズは、勝負の顛末をみると、呆れ顔で去っていった。
一応、城門の警備があるから、あとはよろしく頼む、とかなんとかオレンジ髪に言い残していたけど、俺にはまるで一瞥もくれない感じ? 興味失せましたーって雰囲気でした。
どうでもいいけどね。
「ねぇ、フルチン」
「……ふ、フルチンと呼ぶな……」
「フ・ルーチン?」
「むぐぐ」
そう、俺は負けた時に思いっきり尻餅をついてこけた。そして、大またを開いてしまったのだ。下着などつけない主義の俺は、見事にこいつとファルナーズに見せ付けてしまったのであった。
あ、なんか、ファルナーズが俺を無視して行った理由がわかった気がする。
「ボクと同じように、刀を振ってぇ」
「ん? ……わかった」
とにかくも、俺には他にやることも無い。今を生きる為には従うのが最良だ。それに、この刀がしっかり使えるようになれば、赤鬼サーリフからも身を守れるようになるかもしれない。上手くすれば、携帯も取り返せるかもしれないのだ。
認められてもよし、裏切ってもよし。どっちにしても、俺にマイナスはない。わっはっは。
曲刀を振り上げ、下ろす。返して斬り上げる。
一連の動作にしてやってみる。
「フ・ルーチン」
ん? おお。俺のことか。名前が変わっちゃったのか? ふざけんな! いや、こんなの俺の本意じゃないぞ。本当に本意じゃない。でも、強がってないと涙が出ちゃう。だって、こんな孤独な世界でパンツも無いなんて。
「少し、やすもうよぉ」
ハールーン(オレンジ髪)が、俺を木陰に誘う。
木陰で腰を下ろすと、直射日光を浴びていた時の熱気が嘘のように引いた。涼やかな風が、汗に濡れた肌を撫でると、俺は少しだけ爽やかな気分になる。
ハールーン(チャラ男)が、なにやらコップみたいなものを俺に差し出してきた。ポカリか? 個人的には、アクエリアスの方がいい。あと、女子マネはいないのか? と、切実に問いたい。
「これは?」
「蜂蜜水だよぉ」
「なんで回し飲みなんだよ」
「ボクたち下級の奴隷兵に、食器が沢山あるわけないだろぉ」
とりあえず、チャラ男と間接キスは不快だが、喉の渇きには変えられない。「蜂蜜水」なるものを飲んでみる。意外とあっさりしていて、ちょっと爽やかだ。うまい。
それに、チャラ男の言い方だと、どうやらコイツも奴隷らしい。そりゃそうか。ってことは、ファルナーズめ。つまりは俺を牢屋に連れてきただけじゃないか。ってことが判明しました。
「ねぇ。その刀、ちょっと貸してくれないかなぁ?」
「ん? いいけど」
俺は、腰帯に挿してある刀を鞘ごと渡す。元がサーリフのものであっただけに、重量感もあるし、なにより俺の身体には少々大きい刀だ。もっとも、俺自身が刀の重さを感じることは、あまりない。気分的に、ラーメンのどんぶり一個分な感じだ。うーん。大盛どんぶりくらいかな?
「おっ。おお……」
チャラ男が、刀を受け取ったと同時にひっくりかえった。
おかしい、ラーメンのどんぶりがそんなに重いとは思えないのだが。
俺は左手で隣に座っているハールーンに渡しただけなのに、なんでだ? ちょっと笑った。こいつホントは虚弱じゃないか?
なんとか身体を起こして、鞘から刀身を取り出すと、慎重にそれをハールーンは扱っていた。ついには、地面において突付いたりしている。本当は重いのもしれない。俺はよくわからなくなってきた。
「ねぇ、フ・ルーチン」
「……俺はフルチンだけど、フ・ルーチンじゃねえ」
「じゃあ、チン」
「だから……」
こいつは渾名をつけるのが好きなのかな? でも、この方向性は断固拒否する。
「シャムシール」
あ。俺、そういえばまだ名前を名乗ってなかったよ! うっかり! 失礼、ごめんね、チャラ男。
「あぁ、やっと名前を教えてくれたぁ。シャムシールかぁ。良い名前だねぇ。
でさぁ、この刀ってどうしたのぉ?」
「どうしたって、サーリフさまに貰ったんだけど?」
「これ、魔剣だよぉ」
ハールーンは、褐色の額に落ちかかる汗も拭わずに、わりと真面目な顔を俺に向けてくる。でも、真面目な顔して魔剣といわれても、俺がピンとくるわけが無い。ピンときてたまるか。
「どういうこと?」
「うん。これの場合は多分、重量を引き換えに、切れ味や……殺傷能力っていうのかな。そういうのが高まってるんだぁ。代償系の付与魔術だねぇ。これ、とんでもなく重たいものぉ。だから素振りくらいならいいけど、普通の訓練じゃあこれは使わない方がいいかもねぇ、怪我人出ちゃうよぉ」
ハールーンは、そういうと、両手をぷるぷるさせながら俺に刀を返す。相変わらず俺は、それを左手一本で受け取ると、無造作に腰に戻した。
「こんな武器を使えるのは、テュルク人だけだと思ってたよぉ」
「なにそれ?」
「ほら、サーリフさまやファルナーズさまだよぉ」
「へぇ。じゃあ、チャラ……ハールーンは違うのか?」
「ん? ボクかい? 俺は砂漠民だよ。だから、人並みの力だよぉ。だからそんな刀は使えないねぇ。まぁ、今ここにいる以上、どっちにしてもマルムークって呼ばれるだけだけどねぇ」
「……てか、さ。マルムークって、なんなの?」
「あはは。そんなことも知らなかったのかぁ。
うーん。奴隷騎士、とでも言えばいいのかなぁ。とにかく、俺たちの所有者はサーリフさまで、今は、その下の将であるファルナーズさまに仕えている、ってこと。その中では人種も種族も関係がないんだよ。ただ、強ければいいんだぁ」
俺は明晰な頭脳を猛烈なスピードで回転させた。むろん、空回りが大半であったとしても、それは止むを得ないところである。明晰すぎる欠点だ。
結局、俺が「奴隷」である、という事実は曲げられない。出口もどこだかわからない。夜になれば牢屋に閉じ込められる。加えて俺は鬼の所有物で、子鬼の部下になるらしい。しかも、極めつけはお仕事だ。これは、たぶんきっと、戦うことなのだろう。
つまりは、俺ピンチ。
「何をしておるか!」
あ、また、誰かに怒られた。
「はいはい。すいませんねぇっと。……さ、訓練の続きをやろう。シャムシール。生き残りたかったら強くなるしかないからねぇ」
やむなく同意。