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黒衣の付与術師

 ◆


 マディーナの城門を抜けると、そこには三万の軍が整然と並んでいた。城壁内から合流した二万の軍と合わせると、サーリフの軍だけでも五万の大軍である。

 彼等の手には、シバール国旗とサーリフの軍旗、そして各々が所属する部隊旗が高々と掲げられ、色とりどりの旗の林を作り出している。

 

「シバール国の総力を結集せよ」


 という、聖帝カリフのありがたい仰せにより、サーリフがマディーナの守備部隊を最小限に抑えた結果であった。


 もちろん俺としては、戦うにあたって味方が多いのは大変に頼もしいし、有り難いので不満などはない。しかし、ファルナーズがしきりに不安を口にするのだ。


「留守部隊が五千では、少なすぎる……」


 俺も正直言って、そう思わなくはない。が、もしもマディーナが攻められるとすれば、海からオロンテスに援軍が現われた場合である。しかし、考えてみればオロンテスとマディーナは、行軍速度を考えても八日程度であるし、兵の数を絞り移動に特化すれば五日の距離である。海からマディーナまでの距離を考えれば、情報が入り、迎撃に動いたとしても十分にお釣りが来るではないか。


 何より、ここで聖帝カリフに全力を出していない、なんて思われたら、それこそサーリフがスルタンになれない。それが分かっていればこそ、ファルナーズは不安であっても、素直に従っているのだろうと思う。


 軍は、ファルナーズ率いる一万が先鋒であり、第二軍に強面の鬼、中軍をサーリフ自らが率いて、四軍、五軍とやっぱり強面の鬼が率いている。

 基本的にサーリフという人は仲間を大事にするらしく、二軍や四軍、五軍の指揮官達は、サーリフの古い戦友達らしい。ちなみに本当に強面かどうかは、俺は知らない。

 俺が万人将について知らないのは、何しろファルナーズ以外に会った事がないのだから、仕方がないだろう。だって、彼等はそれぞれ別々の場所で一万ずつを率いて駐屯していたんだから。

 マディーナという都市は、その周辺に小さな衛星都市を持っていて、それらを纏めてマディーナ郡と呼ぶのだ。つまりサーリフの仲間は、地方都市の長官でもある、という訳だった。


 ◆◆


 さて、行軍も三日目である。

 果てしなく続くかと思える砂漠も当然ながら果てはあるし、オアシスだってたまにはあるのだ。

 もちろん休息はオアシスで取るのが吉なのだが、残念ながら行軍となると、中々こちらの事情で休ませてくれる訳ではない。


 もっとも、俺クラスのお偉いさんになると、とにかくファルナーズの側に居て、馬に揺られてパッカラパッカラしていれば良いので、余り苦はない。

 でも、沙漠なら駱駝の方が良いのでは? なんて思ったが、従順さでは馬が勝る、との回答ををネフェルカーラから得た。それと、近衛隊はカッコ良さ重視でいくらしい。

 ……軍装といい、武器のセンスといい、どうやらネフェルカーラには中ニ病の疑いがある。たまに詠唱の必要が無い魔法を使うとき、妙に小難しい呪文を唱えて威張る辺り、わりと重篤患者だと思うんだ。そのうち妙な必殺技を考えるんじゃないかと思うと、俺は気が気でない。


「ど、どうだ? その鎧の着心地は?」


 そういえば、ネフェルカーラが妙に俺の鎧を気にしている。


「ん? 直射日光を浴びても熱くならないし、防御力もサーリフさまの魔剣を弾いていたし、凄いと思う」


「うむ。そうであろう、そうであろう。冑はどうだ?」


「冑は、被る機会がまだ無いからなぁ」


 冑はちょっと禍々しい角がついていて、正直余り被る気が起きないというのが本音である。

 テュルク人の文化に照らし合わせれば、冑に角があって、そこに自分の角をはめ込める様にするのは当然なのだろうが、角が無い俺にそんな機能は要らんのだ。それに、視界が狭くなるのも勘弁である。

 結論としては、戦場はともかく行軍中は邪魔なだけなので、なるべく冑は被りたくない。


「だが、実際戦場では被るのだ。せめてこの行軍中にでも、馴れておいた方が良いと思うぞ?」


 なのに、妙に押しの強いネフェルカーラだった。

 自分は相変わらず黒衣に剣を持つだけという軽装のクセに、俺だけ重武装をさせて、どうするつもりだというのだろう。

 まさか、ネフェルカーラの趣味からして、この冑がカッコイイと思っているのだろうか? あり得る話だから、俺の頬を冷たい汗が流れる。


 俺たちの間に挟まれている純白のファルナーズが、呆れた様に、そっと溜息をついていた。


「シャムシール。ネフェルカーラの言う事は理にかなっておる。実際、戦場ではいつ頭を狙われるかもしれんし、冑の視界にも馴れておいた方が良かろう」


 うむ。オセロだったらとっくにひっくり返っているであろうファルナーズに言われてしまえば、流石に逆らえない俺である。仕方なく鞍にぶら下げていた冑を被る事にする。それはもちろん、小鬼が小声で付け加えた言葉に、俺が大いに納得したからでもあった。


「ネフェルカーラは一度言い出したら引かない。さっさと冑を被ってしまえ……」


 重さも然程感じないし、視界も悪くない。


「まったく問題ないな」


「そうだろう、そうだろう」


 やはり喜ぶネフェルカーラ。一体何だというのだろう?


(シャムシール、聞こえるか?)


 うわっ! 冑の中からネフェルカーラの声が聞こえる。 

 何事かと思って恐る恐る左を向き、俺はネフェルカーラと視線を合わせた。


(聞こえておるな? その冑をつけると、なんとおれと念話が出来るのだ)


(こ、これでいいのかな?)


 俺は、心の中で念じてみた。


(喋らぬか! 念じて通じるのは、おれの方だ。お前は声に出すのだ!)


 どうやら、ネフェルカーラが念じたモノは冑の中で再生され、俺が話した事が念となってネフェルカーラに届く、という機能か。

 それは念話と言わないのでは? と俺が思ったとしても、致し方ない事だと思う。


「……また妙なモノを……」


(なんだ、もっと嬉しそうな声を出せ! これからは、戦場でおれといつでも話が出来るのだぞ! いやあ、これでこそ、苦労して貴様の甲冑に魔力を込めた甲斐があったというもの。シャムシールよ、危なくなったらいつでも、おれを呼べ! わははは)


 そんなもの「呪いの冑」ではないか。

 そういえば、この鎧が出来上がる前に、こそこそとネフェルカーラが何かをやっていた。

 ネフェルカーラの魔力が甲冑全体に通っているのだと思うと、ぞっとする。何だか、他にも妙な機能が付いていそうで怖くなってきたぞ。

 大体、何がマディーナでも有数の魔術師が魔力を込めた……だ。自分じゃないか! また自演しやがって!


 でも、危なくなったらネフェルカーラを呼べると思えば、確かにこれ以上に心強いアイテムは無いともいえる。

 それに、無線みたいな機能は、確かに戦場ではありがたいかもしれないな。


「……うーん、わかった。じゃあ、ネフェルカーラも危なくなったら俺を呼んでくれ」


 俺は仕方なく気持ちを切り替えて、冑の性能を最大限生かす提案をした。


(なっ……! お、おれが危なくなる事など、ないっ!)


 なのに慌てて俺から目をそらすネフェルカーラは、不快気にそのまま馬首を巡らせて後方に走り去る。

 なんて自由な奴なんだ。

 近衛隊長が守る人を放置するんだから、とんでもない話だろう。


「なんじゃ、シャムシール。さっきからぶつぶつと独り言を……気持ち悪いぞ……」


 ぎゃああ! 俺の方は、守らなきゃいけない人から気持ち悪いって言われてしまった。

 涙が出そうになるのを、ぐっと堪える俺は、きっと大人の階段を上っているんだと思う。

 

 ◆◆◆


 マディーナを出てから八日目の事である。

 緋色地に黄金の三日月が描かれた旗旌が前方に林立し、その奥にオロンテスの城市が寂しげに見える。

 すでに聖帝カリフの陣営近くであり、オロンテスの城市をシバール国の軍が包囲しつつあった。

 ファルナーズは進軍を一旦停止して、隊列を再度整えるよう指示を出す。

 「兵を視察せよ」と、命を受けた俺はシャジャルを伴って、ファルナーズ軍の部隊を見て回る。


 これから、聖帝カリフの軍とも合流しなければならないし、他のスルタンとも合流するという。そんな中に、へなへなした兵がいては示しが付かないとファルナーズが言い出したのだ。そこで視察に動くのが、一番へなへなしている俺なのだから、示しも何もあったもんじゃないよ! と思ったので、今日は冑も被って全身真っ黒である。


 馬を駆り、隊列と隊列の間を、俺とシャジャルが進んでいた時の事である。そこかしこから歓声らしきものが聞こえる事があった。


黒甲将軍カラアミール!」


 言葉は、そんなものだったと思う。それをシャジャルも聞いていたのか、俺にこんな事を言ってきた。


「兄者! 兄者! 兵達が兄者の事を黒甲将軍(カラアミール)って呼んでます! すごい!」


「シャジャルだって真っ黒なんだから、シャジャルの事かも知れないよ?」


 そう、近衛隊は、全員が黒装束である。

 それは、このファルナーズ軍にあって、ある種異様な雰囲気を持っていたが、俺とサーリフの稽古を見た者達にとっては、既に畏怖の対象になっているようだった。

 もちろん、黒甲と言う位だから、俺のことを指している事はわかる。さらに、見た者から見ていない者に伝わるにあたって、あり得ない尾ひれが付いた事は、想像に難くない。

 元々ネフェルカーラの魔法は恐怖の対象だったし、新たに入ったアエリノール、セシリア、シャジャルの強さも目立っていた。加えて、ハールーンまで本気を出してきたのだから、近衛隊恐るべし! となるのにまったく時間は掛からなかったのだ。

 結果として、他部隊に近衛隊が近づくと、見事な緊張感が齎されるという状況が出来上がってしまったのである。


 それにしても、俺、百人長なんだけど。将軍じゃないのに、そんな風に言われると、また誰かに首を刎ねられそうになっちゃうよ……。

 そう思って、シャジャルにも責任を擦り付けてみたのだ。シャジャルと一緒に首を刎ねられるなら、本望である。

 ダメな兄を許せ! シャジャルよ!


「あ、あたしが将軍って? そんなっ!」


 そうしたら、手綱を放して両手を頬に当て、喜んでいるシャジャルである。彼女は、何をやっても天才的な少女だ。もちろん、馬に乗るのも天才的に上手った。

 しかし、何故か素直過ぎるので、色々と損をしてしまう稀有な人なのである。


「シャジャルちゃん、可愛いなぁ~」


 ぼそっとそんな事を囁く兵の声が聞こえた。

 俺は、怒りに任せて魔剣を抜き放ち、その男を睨む。

 

「私語は禁止だ……」


 しかし、相手をよく見たらロスタムだったので、本心も伝える事にした。


「妹は、やらん!」


 一通り回って士気が下がっていない事と、軍規が徹底されている事を確認すると、俺は本営に戻る事にした。

 アエリノール、セシリア、ハールーン達も同じ事をこなしていたので、先鋒の全軍を把握するにも、それ程時間は掛からないのだ。


「問題ないよ」


 アエリノールが微笑みながら、俺に報告をする。

 かつて自分が守っていた都市を攻撃する事について、彼女と話し合ってはいない。話し合った所で、彼女に選択の余地は生まれないのだから、俺はあえて口にしない事にしたのだ。

 本当に嫌なら、きっと逃げるだろうと思っている。

 ちなみに彼女が逃げたりしたら、俺も本気で逃げる。だって、殺されちゃうもの。


「こっちも大丈夫ぅ」


 ハールーンも、問題ないと言っている。セシリアも同様であった。

 という訳で俺は皆の報告を纏めると、ファルナーズの下へ行き、兵の士気も規律も、問題無い旨を伝える。


「うむ、ならば良し。この地に我が陣営を築く!

 ……それと、わしはこれから聖帝カリフ陛下の下へ挨拶に赴く。ネフェルカーラ、シャムシール、付き合うのじゃ!」

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