中庭の熱狂
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ファルナーズの執務室からサーリフの居室へと向かう最中、俺は通路の中央を歩いた。
俺の身に着けた黒衣がファルナーズの近衛である事を示し、黒色の鎧が百人長である事を示すのだから、大体の人は道を開けてくれるはずだ。
つまり、この城では、俺も結構偉い。
万人将にでも会わなければ、俺が道を避けて頭を垂れる必要は無いのだ。でも、同格とは言え、流石に普通の千人長に会ったら、道は譲るけどね。だって、俺の場合、あくまで千人長待遇なだけだし、そこは遠慮する。変に偉そうにして、敵を作りたくも無いし。
それにしても、俺の鎧はわりと高級品だ。簡単に金属を繋ぎ合わせただけの量産品と違い、俺のサイズに合わせて作ったのだから、動きやすい。それに防御力だって中々なもので、マディーナでも有数の魔術師が防御魔法を練り合わせて仕上げた、と、ネフェルカーラが言っていた。
昨日、出来上がった鎧を貰った時は、
「ちっ……真っ黒かよ。昼に着てたら暑いよ!」
と、思ったものだが、その辺も考慮されているらしく、別に直射日光を浴びても熱くならない。
という訳で、俺はこの鎧をとても気に入ったのである。
ちなみに、アエリノール達も今日、帰る頃には黒衣が支給されることだろう。ファルナーズの近衛隊は、ネフェルカーラの好みにより、最近は、真っ黒部隊になりつつあるのだった。
でも、真っ黒部隊の中心に真っ白なファルナーズって、目立ち過ぎて守りきれるか、ちょっと不安になってしまう俺である。
◆◆
サーリフの居室に着くと、政務を放り出した中年巨大鬼が怠惰に寝そべり、銀の盆に盛られたフルーツをつまんでいる。
しかも、奴が枕にしているモノは、何と見事な巨乳姉さんの足。
昼真っから何をしているのかぁ! と、俺は正義の怒りに打ち震えたが、大半は羨ましかっただけである。
「おう、シャムシール、早かったな。食事は済んだのか? まだならば、そこに座れ。何か用意させよう」
どうやら、サーリフは、別に政務を放り出してはいなかった様だ。ただ単に、お昼休みの模様。でも、お昼休みに黒髪色黒巨乳美女を侍らすなんて、羨まし過ぎてぶん殴りたい。
それはともかく、俺はお腹が減っていた。考えてみれば、もう少しファルナーズの所にいれば昼飯が支給されたのに、居づらくなって、こっちに来ちゃったからな。
「はあ、じゃあ、頂きます」
遠慮はしない、俺である。何なら、美女の膝枕も所望したい。
「うむ」
俺の言葉に返事をしたサーリフは、むくりと起き上がると、膝枕をしていた女を下がらせ、食事を運ぶようにと伝えてくれた。
周囲でも、人の動きが慌しくなる。流石に、マディーナの太守。一挙一動で多くの人が動くものだ。
暫くすると、俺の座る前に食事が並べられ、サーリフから食べるように促された。
変だな、と、俺は思う。上質なパンに具沢山のスープ、焼肉等があるが、どれも冷めているではないか。これなら、ファルナーズの所で出される支給品の方が美味いかもしれないぞ。
「ははは。妙な顔をするな、シャムシール! 不味いのだろう? だがな、太守の食事というものは、そういったものだ。いかな俺でも、毒には勝てぬからな。料理人たちが作り、毒見が調べ、そしてこの場に運ばれるのだ。ここでは、暖かいモノも新鮮なモノも食えぬ。
……そうだな、俺が食える新鮮なものといえば、ほれ……」
俺の疑問に気がついたサーリフが、苦笑しつつ、ザクロやオレンジといった果物を投げてよこす。先ほど口の中に放り込んでいたのも、確かにフルーツであった。
「自分で切って食う……もっとも、それでも完璧に安全とは言えんが、な」
◆◆◆
食事をした後暫く、俺はサーリフの昔話に付き合っていた。
おれは今日、始めてファルナーズの母親について、サーリフの口から聞いたのである。
彼女の名は、エルミナーズ。
ファルナーズの様に透き通るような銀髪を持ち、上位妖精の様にしなやかで、サーリフ以上に強く、ネフェルカーラを打ち負かした唯一のテュルク人。
けれど、その慈愛はハールーンを生かし、ネフェルカーラをしてファルナーズの後見人たらしめた人。
サーリフと彼女は幼馴染で、何かにつけてエルミナーズが一歩先を行っていたのだそうだ。だからサーリフは、常に彼女の後を追っていたという。
けれど、そんなエルミナーズの夢こそが、サーリフを王にする事だったというのだ。
しかし、その志半ばで彼女は病に倒れたという。
それが、今から五年前の話だそうだ。
「だから、俺は無き妻の思いを遂げる為にも、王になるのだ……」
「うっう……お、俺も出来る限り、力を……」
亡き妻は夫を愛し、不敗のまま病に倒れた。
そして、その妻の想いを叶える為に、サーリフは戦い、娘は献身を惜しまない。
……俺の涙腺は弱かった。サーリフの言葉が俺の琴線に触れてしまったのだ。
これも、何かの縁だ……出来る限り協力しよう!
俺がそう思ったとき――
「あら? サーリフさま、あなた、剣の稽古に行くのでは?」
「おう、アーザーデ、そうであった。すぐに行く」
今度は顔を薄布で覆ってはいるが、俺の目は誤魔化せない。先ほどの巨乳美女が再び現われ、サーリフの側に腰を下ろす。彼女が妙にサーリフと親しげに会話をしているので、俺は気になって聞いてみたのである。
「あのう、そちらの方は?」
「うむ、妻のアーザーデだ。元々はハールーンと共に育てておったのだがな……なんとも手放しがたくなってしまってな……良い女だろう? はっはっは」
サーリフは、エルミナーズと死別した後、妻を三人持ったという。
なんでも、エルミナーズが生きている頃は、怖くて第二夫人や第三夫人を持つ事が出来なかったそうだ。
そしてアーザーデは、現在サーリフお気に入りの第四夫人、との事であった。
俺が、サーリフの角をへし折りたくなったのは、言うまでもない事であろう。むしろ、サーリフは爆発しろ。
◆◆◆◆
突き、払い、薙ぎ、飛ぶ。
俺は群青玉葱城の中庭で、晴天の下、サーリフと剣術の稽古をしていた。
「ふむ、随分と筋肉もついてきたのではないか? 力が、以前と比べて上がっているように感じるぞ」
サーリフは、黒光りする笑顔で俺を褒めてくれる。
実際、曲刀と盾を使った稽古では、割とサーリフと打ち合える様になってきている。盾で競り合った時等は、俺の方が押し勝つ程だ。
もちろん、今日、俺はサーリフの角を折るつもりで頑張っているのだから、気合も十分だ。
「もっとも、俺が政務にかまけて稽古をサボっておるから、弱くなっただけかも知れんがな」
曲刀を腰に戻し、麻布で汗を拭いながら、サーリフはそれでも笑顔だった。
午後の陽光が、サーリフの浅黒い肩に乗った汗に反射して、俺の目には眩しく映る。
……悔しいが、なんだかカッコイイ。
人生の絶頂を極めようという男は、こんなにカッコイイのだろうか?
対して俺は、黒衣黒甲を纏うとは言え、どこか借り物めいていて、比べて切なくなる。
「ふむ。だが……そうだな。俺もこのまま押されっぱなしというのも癪に障る。
シャムシールさえよければ、互いに魔剣で勝負といかんか?」
何を、ご冗談を――と、言おうと思った。
サーリフは、俺の刀を全て払いのけるか、避けていた。
力押しでは俺に分があっても、俺はサーリフの剣を全て避けきれてはいないのだ。
真剣勝負で俺の勝ちは、無い。
けれど――
今日の俺は、なんだか無性にサーリフに自分を認めさせたかった。
「……ぜひ……ただ、そうであれば、サーリフさまも鎧を」
「良かろう。お前の……その鎧も魔力が通っているな……俺も、俺の鎧を用意しよう。
ふ、ふはは。シャムシール、随分と良い目をする様になったではないか」
そして互いに盾を置き、魔力を帯びた鎧を纏い、中庭の中央に再び進み出て魔剣を構える。
サーリフの持つ魔剣は、もはや超大剣と呼べる大きさだろう。俺の身体程もある。俺の魔剣でも大きいと思っていたが、なるほど、あれをサーリフが戦場で使うならば、恐ろしい事になるだろう。
鎧は、白く僅かに輝きながら、胸部に有翼獅子の意匠が施されている。それは、サーリフの旗印であった。
サーリフの構えは、大仰なものではない。だが、自然のままに両手で魔剣を持ち、中段に構えて、隙がまったく無かった。
俺も同じく両手で魔剣を持ち、中段に構える。
じりじりと足を這わせ、距離を詰めてみるが、どうにもサーリフの間合いに入る気にはなれない。
先を予測すれば、俺の剣が払われて、続く斬撃で敗れる未来しか見えないのだ。
しかし、それならば、それで仕方ない。未来を、俺は強引に変える事にした。
俺は左足に力を込めて、一気にサーリフに迫る。
当然、サーリフの斬撃が俺の肩口を目指して振り下ろされた。しかし俺は、それを寸での所で、右足を踏ん張り、身体を止めて空を斬らせる。
そう、俺は強引に止まったのだ。右足が地面にめり込んだし、変な負荷が掛かって膝が痛い。しかし、それでサーリフに隙が生まれたのだから、ここからが本番だ。
俺は膝の痛みに構わずに、そのまま右足を軸にしてサーリフに飛び込んだ。
上手く決まれば、サーリフの右肩を一撃出来るはずだったのだが、当然といえば良いのか、サーリフはその攻撃を、剣の柄で受けていた。
なるほど、サーリフの大剣は、柄の部分が長く、剣先と同じ材質で出来ているようだった。
そこから何合うち合ったか、正直、記憶がない。
一旦懐に入ったのだから、俺が有利だと思ってはいたのだが、そう簡単な話でもなかった。
サーリフの扱う大剣は、恐るべき速さで回転し、旋風を巻き起こしながら幾度も俺に迫るのだ。
稽古なのに生きた心地がしないって、どういう事だろうか?
「ふ、ふはははは……やるな!」
息が上がり始めた俺を、鍔迫り合いから弾き飛ばすと、サーリフは破顔して剣を収めた。
これ以上やっても、俺に勝機はない。その事は俺が一番分かっていたが、サーリフは、あえて俺の敗北を周囲に見せないつもりらしい。
いつの間にか中庭には、俺とサーリフを囲むように奴隷騎士達が居たのだ。
中には、何故かファルナーズと護衛三人組までもが居た。
一応、ファルナーズを三人が囲む形で守っているのだが、背後をシャジャルが固めているらしく、たまに”ぴょんぴょん”と飛び跳ねてこちらを見ているようだ。
うん、シャジャル、もうちょっと真面目に警護しなさい……。
そして、俺も剣を収めてサーリフに礼をすると、周囲から歓声が上がった。
なんだ、一体なんなんだ? 中庭が一挙に騒がしくなってしまった。
周囲では、盾に剣を打ち付けたり、俺やサーリフの名を呼んだりして、お祭り騒ぎが始まった様である。
「お前が俺と互角の勇者だと、ウチの奴隷騎士共に認められたのだ」
俺だけに聞こえるように言ったサーリフである。
そして、俺の肩に手を置き、微笑を浮かべた。
「だが、お前のその力、不思議なものだな。
その黒目、黒髪……遥か昔、我等の祖がそのような姿をしていたと言うが……或いは、お前は我等の祖先の血を、色濃く引いておるのかもしれんな」
鬼の祖先は日本人? いやさ、黒目黒髪なんて、アジアには山ほどいるんだから、そんな事はないだろう。馬鹿をいってはいけないよ、サーリフさん。
その上、俺とあんたが互角だって? それも馬鹿な話だ。俺の目だって節穴じゃあないんだぞ。
俺が最初の作戦を外して以後、ずっと余力を残して打ち合っていたのはバレてるよ? なあ、サーリフさん。何度も俺の鎧に掠める剣先が、それを教えてくれてたんだよ。
……だから、俺は謙遜でも何でもなく、素直な気持ちで口にした。
「……サーリフさまは本気を出していない、俺なんか、まだまだです。
……ネフェルカーラにもアエリノールにも及ばないし」
「……実はな、俺もまともに遣り合ったらネフェルカーラに勝てるか分からん。
あんな化け物に勝ったエルミナーズは、もっと化け物だったという事だな……アエリノールだって化け物だろう? 正直、俺は奴と戦わなくて済んだと、内心、安堵しておるのだ」
「えっ!?」
「内緒だぞ?」
しかし、俺が素直になったせいか、サーリフも素直に爆弾発言を投下してくる。
周りの大歓声に紛れて、いつの間にやら肩を組んで、仲良く手を振っている感じの俺とサーリフだが、水面下では、実に情けない話をしていたのだ。
そして、巨大なサーリフに肩を組まれると、なんだか囚われの宇宙人みたいになる俺は、お情けで引き分けにしてもらったんだから、自分を嫌いになる寸前だ。
「実際、今の勝負、俺が全力ではなかったとして、お前もそうではないか。魔法を使っておらんだろう」
「使ったとしても、防がれていたでしょう」
「それこそ、やってみなければわからんだろう? そういうことだ。
……今更だが、ファルナーズを頼んだぞ。お前がファルナーズを守ってくれるというのは、心から頼もしく思う」
「はっ……」
その時、サーリフの腕に力が入り、鎧越しでも俺の肩に伝わった熱があった。それが、ファルナーズに向けた父親の愛情だと思えたから、俺は結局、この引き分けを受け入れる事が出来たのだろう。
だから、サーリフは俺を鍛えたんだ。
欲望と野心と愛情が同居してるから、俺はサーリフを尊敬した。
けれど、どこかサーリフの表情には影もあった。
不安だろうか? サーリフ程の者でも、何かを怖がるのだろうか? あえて俺にファルナーズを頼む、と、いう言葉が、俺の胸中に僅かな澱みを作ったのである。
「明後日、オロンテスに向けて出陣する! 皆、シャムシールの武勇に負けず、功を競えよ!」
しかし、俺の疑念を吹き飛ばす様にサーリフの大音声が中庭に響き、奴隷騎士達は思い思いに歓声を上げていた。




