鬼姫の動揺と憧れ
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サーリフが群青玉葱城に戻ってから、一週間が過ぎた。
出兵の準備は順調で、マディーナには、サーリフ麾下の奴隷騎士達が集まり、戦の前の喧騒が、日々、凄まじい。
それでも街の治安が悪化しないのは、ひとえにサーリフの武威とファルナーズの指揮監督の故である、と俺は思っている。
それが分かるくらいには、俺だって勉強しているのだ。何しろ、俺は奴隷騎士に就職したという事だから、この上は、頑張るのだ。
なにしろ、この会社は終身雇用がウリで、骨まで拾ってくれるというのだから、頑張らない訳にはいかないだろう? 俺はそんな日本人なのだ。
うん、ホントは解ってる。終身雇用なのは、大体が殉職……というか、戦死するからなんだ。そういう仕事だから、生き残った人には手厚いんだよ……。
俺は生き残りたいから頑張るんだ。くすん。
さて、今日はファルマルディーン月のラマダーン曜日だ。
言っている俺も最初は意味が解らなかったが、日本語に直すと、三月あたりの断食曜日って感じである。まあ、断食と言っても、俺たち奴隷騎士は体力勝負だから関係無いけれど。
さしあたり、俺はこの一週間でかなり色んな知識を身に着けた。流石に、単なる奴隷と百人長では、学ぶべき事が違うというべきか。もちろん、すでに俺の頭がパンク寸前なのは、言うまでもない事だろう。
だが、得なければならない知識は、まだまだある。
例えば、俺が常々疑問に思っていた宗教関連の事。これは、ネフェルカーラとアエリノールから、今日、自宅で教えてもらった。
まず、シバール国というのは、国教として「真教」というものがある。そして、対になるようにオロンテスを初めとした北西諸国が奉じているのが「聖教」というものだ。
どちらも、同じく唯一神を信じているそうなのだが、解釈が違うらしい。俺としては解釈など、どうでも良いのだが、俺みたいにどうでも良い、などと言っていても、あまり問題にならないのが「真教」の方、という事だ。
「あらゆる者を救済する、それが真教の教えなれば、別に信じていようと信じていまいと、神の慈悲は平等に訪れるのだ」
「あんたね! それじゃ何でもありじゃないの! だから、魔族にも神の加護がある、なんて変な事を言い出すんでしょ!」
「む? 信じただけで、悪人でも救われるような聖教よりはマシだと思うが……ともかく、我等は信じるも信じぬも自由。されど、戒律を守る者には、より多くの幸が訪れると考えておる。
アエリノール、考えてもみよ。
なぜ聖教では、信じぬ者は如何なる庇護も加護も受けられぬのだ? 神とは、それ程に狭量なのか? 何より、救われる者を選ぶのは聖者なり法王なり聖騎士なりの人であろう? それ自体がおかしな事だと思わんのか?」
「むむ……どっちにしても、信じようとする心が大事なのよ! 大体、アンタ、今、お酒飲んでるでしょ! どういうことなのよっ! 真教なら禁止でしょ!」
「ふむ? 聖典にはな、ただ、酒は理性を失う可能性がある故、控えよ、と書かれておるだけだ。無論、それを根拠に酒を飲んではいかん、という者も居る。しかし、それは解釈の違いであろう? そやつとおれの信じる神は共に一つ、いつか分かり合える日も来よう……わはははは」
ネフェルカーラの説明に、一生懸命噛み付いているが、なんとなくやり込められてしまう金髪の上位妖精である。
丁度夕食時でもあったので、アエリノールは悔し紛れに食卓の中央にある、堅く平べったいパンに手を伸ばしていた。
それにしても、俺を間に挟んで言い合いとか、止めて欲しい。
「……どうでもいいけどねっ! ていうか、このパン堅いわよ!」
「なんだ? 生どんぐりが主食の貴様にしては、この程度の固さで文句を言うなどおかしな話だな?」
「いつの話をしてるのよ! 今はそんなにどんぐり食べないわよ!」
結局、アエリノールは宗教に関して、意外とどうでも良いらしい。
まあ、そうでなければ、あっさりと奴隷騎士等になったりしないだろう。
それにしても、生どんぐりってなんだろう? また緑眼の魔術師が悪戯っぽい表情を浮かべているけど、寝る前にアエリノールと盛大に喧嘩するのは止めて欲しいな。
ふと、セシリアの事も俺は気になった。
視線を正面に向けると、神に関する自論を、シャジャルに対してセシリアが展開している姿が目に入ったからだ。
「いいか、シャジャル。神は……いるんだぞ!」
「えっ! ジン? ジンニーヤかな? 神様って?」
「ばっか! それは魔神や妖精だろ! もっとアレだ。でかくて、バーン! ってした何かなんだよ!」
「凄いね! セシリア! 凄いね! 今度見に行こうよ!」
「おう! あ! でも、神様はめちゃくちゃ強いと思うから、身体をしっかり鍛えないとダメだぞ!」
「わかった!」
セシリアは、隣に座るシャジャルにドヤ顔で説明している。だが、この調子なら、宗教的な話は基本的に分かっていないのだろう。多分、騎士団に入った理由は戦いたかったから、とか、その程度なんだと俺は確信した。
何より、神様と戦うつもりとか、やば過ぎるだろう……セシリア。
そして、シャジャル……素直すぎるのもどうかと、お兄ちゃんは思うんだ。
それにしても、シャジャルの皿に妙に生野菜が多いと思ったら、セシリアと食べ物を交換していたようだ。セシリアのスープにある羊肉が、やたらと増えている。どうやらセシリアは肉食で、シャジャルは野菜が好物らしい。
セシリアの背が高い理由は、肉食だからだろうか? 俺と比べてもあんまり身長が変わらない気がするし、一七〇センチは越えているんだろうなぁ。俺も、今度からもっと肉を食おう。
伸びろ俺の身長、せめて一七五センチは欲しい! あと一センチなんだっ! でも、今年一九歳だから、もう無理だろうか? ふむぅ。
ハールーンは、セシリアの横で黙々とパンを頬張っていたけど、どうやら野菜はシャジャルに取られ、肉はセシリアに奪われた様だ。
一番の料理上手なのに、今日の料理を作ってくれた人なのに、なんて可哀想なのだろう。
俺はそっと、ハールーンに最後のパンを渡してやった。
◆◆
翌日、天気は快晴、竜も元気!
俺は自分の部隊の訓練を早朝に済ませると、アエリノール、シャジャル、セシリアを伴ってファルナーズの執務室を訪れた。
そろそろ、ファルナーズの警護を彼女たちに任せても良いと思ったのだ。
丁度、ネフェルカーラとハールーンは近衛隊の兵舎に詰めている。
そう、ファルナーズだって女の子だ。いっそ、俺につきっきりで居られるよりは、この三人に守られる方が気楽かもしれないじゃないか!
「ほ、ほう……そ、そなたがアエリノールか」
片膝をついて低頭するアエリノールに、座卓から立ち上がってトコトコと近づくファルナーズ。しかし、途中でぴたりと足を止めた。
「はっ!」
対するアエリノールは、最下級の奴隷騎士が着用する鎖帷子に曲刀、という身なりだが、それでも漂う威厳は見事なものだ。
純白の絹衣を着た銀髪の小鬼が圧倒されたように、ある一定の距離から近づく事が出来ないでいる。
多分、一足で飛べるアエリノールの間合いに入りたくないのだろう。最近、俺はサーリフとの稽古で、そういった事も分かるようになってしまったのだ。
ほんと、剣の達人に教わると、びっくりする位色んな事が分かる。
「アエリノール、セシリア、シャジャル、刀を床に」
確かに他の二人はともかく、アエリノールだけはファルナーズの実力さえ圧倒するだろう。護衛とは言え、初対面で武装させておく訳にもいかない。だから、俺は三人に武器を置くように指示を出した。
「はっ」
三人とも俺の指示通りに、一糸の乱れもなく、同時に前方の床に曲刀を置いた。
「あ、い、いや。構わぬ。護衛が武器を持たぬなど、襲撃してくれと言っているようなものじゃ。それに、シャムシールの部下をわしが信用せぬ訳が無かろう。
……ほら、立つのじゃ。武器を持って立ち上がり、配置につかぬかっ!」
しかし、慌てたのはファルナーズであった。
俺の指示が、自身の動揺を見透かしたものであった、と、気がついたらしい。ファルナーズは、ツインテールが”ぶんぶん”揺れる程に、首を横に振って、照れ隠しをしていた。
「その前に……」
「ん? あ、ああ」
俺の声に、ファルナーズがまたしても動揺する。
近衛隊入隊の儀式を、まだ済ませていないのだ。そのまま配置に就く、というのもどうだろうか?
儀式は、主となる者の右手の甲に、自らの額をつける、といった簡単なモノである。しかし、実は俺は苦労した。
最初、俺は、手の甲にキスをするのだと思っていた。だから、最初に近衛隊に入ったときは、うっかりファルナーズの手の甲にキスをしてしまったのだ。
だって、後ろから他の人がやっているのを見ていただけだから、勘違いしても仕方ないじゃないか。
だがその時は、すかさずファルナーズに殴られ、ネフェルカーラには氷漬けにされたのもである。
……今となっては、良い思い出だ。
当然、今居る三人には俺の失敗を教えてあるので、そんな間違いをすることもない。皆、無事に儀式を終え、立ち上がり、再び刀を腰に戻していた。
「アエリノールにございます」
「う、うむ……う、美しい。アエリノールは、ほんっとうに美しいな!」
アエリノールを見上げ、赤い瞳を潤ませる鬼の姫君。なんだろう? ちょっとした憧れでも抱いていたのだろうか。
「セシリアです。お見知りおきを」
「うむ。元は聖騎士であったとか。頼りにしておる。それにしても、おぬしは大きいのう、羨ましいのう!」
立ち上がったセシリアに、目を白黒させるファルナーズ。確かに、セシリアは女性としては大きい。
暫く視線をセシリアの足元から頭上まで、上下に行き来させていたファルナーズは、もしかして身長コンプレックスなのかもしれないな。
「シャジャルです」
「おお、シャジャル。カワユイのう……! さすが、水が族の姫巫女じゃ」
最低限の礼儀は守るシャジャル。しかし、アシュラフの部下の部下だという思いから、いまいちファルナーズにも好感を抱けないでいるのだろう。言葉少なく立ち上がり、静かに刀を腰に戻す。
それにしても、曲刀の訓練は最近始めたばかりなのに、シャジャルは中々に刀を扱うのが上手だ。今も、隙のない振る舞いは見事と言える程だった。
しかしファルナーズは何故か、自分と目線の等しい青髪の少女を気に入ったようで、シャジャルの両手を掴んで、握手をするように何度も上下に振り回している。
それから暫くすると、四人でキャッキャワイワイし始めたので、俺としては立場が無くなった。
溶け込むの早すぎんだろ、こんちくしょう、ていうか、てめーら配置につけ! と思わなくも無かったが、考えてみれば、この四人を襲って一体誰に勝算があるというのだろう。
……群青玉葱城に、ここ以上安全な場所はない。
そういえば、もうすぐ、昼になる。
ここ最近、午後からの一時間から二時間が、サーリフとの稽古の時間になっていた。
ちょっと早いけど、サーリフの所に行こう。
俺はそう決めて、ファルナーズに退出する旨を告げる。
「ん? うむ、父上に壊されないように気をつけるのじゃぞ?」
一応、ファルナーズが心配するような事を言って、手を振ってくれた。しかし、それは俺がサーリフに手も足も出ないと言われているようなもの。うぐぐ、小鬼め……!




