裏切りと慈悲の心
※ 残酷な描写があります。
◆
「思いの他時間が掛かったな」
緑眼の魔術師は、自嘲気味に苦笑していた。
だが、それはシーリーンが五つの触媒を使い、一月をかけて練り上げた結界を破壊しての事なのだから、彼女の自嘲は、普通ならばおかしい。
探知魔法と魔素制御結界を無効化して、さらに通常の大気を取り戻す事を、どうして触媒も無しに可能に出来るのか、横に並ぶシャジャルにしてみれば理解の範疇を超えることであった。
だが、今はそれ所ではない。
シャジャルは、三階で熾烈な戦闘が行われている事を探知していた。
数の上では十二対四である。
兄がむざと敗れるとは思わないが、出来れば無事に戻って欲しい。その為にも加勢に行きたかったのだ。
「ネフェルカーラさま、三階に行きましょう! 心配ですっ!」
逸る気持ちを声に出し、まだ幼い青髪の少女は瞳に涙を溜めていた。
「アエリノールがいる、万に一つも敗北はない。
だが、まあ、シャジャルは三階に行け。ここはおれが守ろう」
守る、とはどういうことか? シャジャルはネフェルカーラの言葉に釈然としないものを感じたが、今はそれ所ではない。
急いで階段を駆け上ると、ハインリッヒの居室へと向かったのである。
「ふむ……」
緑眼の魔術師は唇を歪めて、すぐに現われるであろう客を待つ。相手はシャジャルの探知魔法にも掛からない手練である。
ネフェルカーラは相手の正体に心当たりがあるし、戦うならば手加減する余裕は無いだろう。そう考えれば、いっそシャジャルは足手まといにしかならないのだから、三階に向かわせたのである。
「……アエリノールは何処ですか?」
「間もなく決着もつく。増援など不要だぞ」
程なく、オットーと共にクレアがネフェルカーラの前に現われた。従える者は、聖騎士が二〇名程。恐らく、オットー襲撃犯を撃退してすぐに、ここへ向かったのであろう。チュニックのそこかしこに、返り血が付いている者も多い。
しかし、クレアが緑眼の魔術師に向ける視線は好意的なものではない。その手には剣を持ち、続く騎士達も同じく剣を携えていた。
そもそも、クレアがアエリノールを呼び捨てにしていることからして不自然であった。だが、これは同時にネフェルカーラが予測した通りの展開だともいえる。
「ネフェルカーラ、と言ったな? 無事であったか。で、ハインリッヒは?」
唯一、筋肉達磨オットーだけが友好的な視線をネフェルカーラに向けるが、それを遮って一人の男が現れた。
「これでアエリノールの裏切りは決定的だね、クレア。
まさか本当に魔族を従えているとは思わなかったよ……」
クレアの背後から現れた騎士は、丁寧に七対三で分けた黒髪に、小さな丸い眼鏡をかけた軟弱そうな顔をしている。
しかし、体躯は反比例しているようで、筋肉を鎧にしているかの如きオットーを、さらに一回り上回る巨躯を、青いチュニックで包んでいた。
「オーギュスト様、本当に……面目次第もございません……。
この上は、聖光緑玉騎士団の名において、ハインリッヒ邸襲撃の咎により、首謀者アエリノールとその一党を誅殺致します」
オーギュストの言葉に沈痛な面持ちをして答えるクレアは、口元が僅かに笑っている。
しかし、状況の変化が理解できない筋肉男爵オットーは、必死になってアエリノールを弁護していた。
「なっ、どういうことだ、クレアっ! なぜアエリノールをっ! それに、オーギュストだと? 聖光青玉騎士団かっ? どうしてこの場にっ!
いやいや、そんな事より、アエリノールを殺す必要などあるまい? そもそも副団長が団長を処罰する騎士団など……!」
オットーがクレアに掴みかかろうかという所で、オーギュストが彼の肩を掴み、引き離す。それはまるで、大人が子供を引き離すかの様に容易い動作であったが、しかしオットーは目を丸くした。今まで、自身の巨躯が容易く制された事など無いのだ。オットーには認めがたい事であった。
「なるほど。怪しいとは思っておったが、やはりそういう筋書きであったか。
一応、言っておくが、別にアエリノールは貴様等を裏切ってなどおらん。
……それに、おれの様な乙女を捕まえて魔族などと、まったく人聞きが悪いぞ」
二十名程の聖騎士に囲まれたネフェルカーラの声は、特に抑揚もなく広間に響く。
彼女は油断なく辺りを見回すが、どの騎士も手練であろう。逃げ出す隙も、攻撃する隙も見受けられなかった。
「ふん……魔族に弁護されるなど、聖森の守り手とまで謳われたアエリノールも落ちたものだ……。
私の名は、聖光白玉騎士団団長、ジーン・バーレット。
……お前を屠るもの名だ……覚えたら、さっさと死ね」
騎士達がネフェルカーラを囲んでいるにも関わらず、彼女の正面に現れて名乗り出たのは、透き通るような銀色の髪を持ち、ネフェルカーラと同色の瞳を持った美麗な女騎士である。
細い眉を顰めて正面の人物を見定めるネフェルカーラは、舌打ちを禁じえなかった。
ネフェルカーラの予測では、クレアと手練の騎士達が精々だと考えていた。ならばこそ、一人で十分だと思ったのだが、彼等がいるとなれば話が変わる。
「オーギュストにジーン。聖騎士団の団長が二人もいるのか……厄介だな」
しかし、同時に歓喜に震える自身の破壊衝動が、奥底から鎌首を擡げていたこともネフェルカーラは否定しない。所詮は脳筋なのだ。
ネフェルカーラは無言で魔力を高め、細身の剣を構えると一振りした。すると、風圧が見えない刃となってジーンに迫り、彼女の身体を吹き飛ばす。
その姿に、一瞬目を見張ったネフェルカーラである。何しろ、本来は両断するつもりで放った技である。
ジーンは、技の性質を見極めた上で、凝縮された風圧を魔力により拡散させたのだ。しかし、威力が予想を上回っていた為に、打撃としての効果に変り、吹き飛ばされたのである。
ジーンは、身体を宙で回転させ着地すると、再び剣を構え、ネフェルカーラをしっかりと見据えた。
風圧で乱れた髪から覗く長耳は、彼女がアエリノールと同族の可能性を示している。
「いっ、いきなり攻撃するなんてっ! な、名乗らぬかっ!」
オーギュストも一対の大剣を左右の手に持ち、ネフェルカーラに近づく。
「オーギュスト。すまないが、コレは私の獲物だ。下がって見ていてくれないか? 聖騎士達もっ!」
――エルフというのは、どいつもこいつも馬鹿なのか? なんでおれが一々名乗って一騎打ちに応じなければいけないんだ? ああ、面倒くさい――
「ネフェルカーラだ」
ネフェルカーラの内心は複雑である。
そういえば、似た様な事で意に沿わなかったら、アエリノールが激怒していた気がする。別に今、ジーンと名乗る女を怒らせても問題は無いが、何故か「面倒だ」と思い、名乗ってしまった緑眼の魔術師であった。
「うむ、ネフェルカーラ。魔族にしては礼儀を弁えているっ! ゆくぞっ!」
「……やれやれ。ジーン、だけど危なくなったら助けるからね」
火がついてしまったらしい銀髪の同僚を尻目に、肩を竦める眼鏡の巨漢。
しかし、どこか今回の任務に釈然としていないのか、彼は視線をクレアに移し、彼女の浮かべる微笑に疑問を抱くのであった。
◆◆
やっぱりさっきよりも身体が軽い、息がしやすくなっている。
俺は眼前の敵を一刀の下に斬り捨てて、次の敵を追う。今はセシリアと背中を合わせてハインリッヒに迫っている最中だった。
セシリアも、じつは思っていた程弱くなかった。
多分、魔法だと思うけど、床の所々を突起させて敵の足をもつれさせ、その上で正確な突きを放っている。
一見地味な戦い方だけど、実際に俺やハールーンの戦い方よりも効率が良さそうだ。
ただ、そんな突起に躓いているアエリノールを見た時、俺はとても残念な気持ちになった。
「くぅ! やるな、シーリーン! しかしっ!」
違うよ、アエリノール。自分で躓いたんだよ……。
その時、シーリーンの頬を伝った汗は、多分、色んな意味での敗北感だったのだと俺は思う。
「姉さん! ボクと一緒に来てくれっ! ナセルなんかの所にいても意味なんかないよっ!」
根本的に、アエリノールは強かった。
シーリーンの攻撃は、アエリノールの水系魔法に全て弾かれて如何なる効果ももたらさない。その上、剣技でも自身を上回るアエリノールに対して、シーリーンは既に苦笑を浮かべていた。しかも、ハールーンにも迫られているのだから、彼女には勝算など最早無いだろう。さらに、頼みの綱である奴隷騎士も、俺とセシリアに半分程に減らされて、全滅も時間の問題であった。
俺は、逃げ出そうとしているハインリッヒに刀を振り下ろす。
申し訳ない事に、腕を切り落としてしまった。
だがそれは、奴が咄嗟に左腕を出して身体を庇ったせいなのだ。左腕を出さなければかすり傷で済んだのに。
「ぎゃああ! ひいいい! た、助けて、助けてええ!」
ブタ公爵は、左腕から盛大に血を噴出しながら、口角から唾を飛ばして周囲に叫び声を撒き散らす。
未だ残った奴隷騎士が、その声に答えて、眼光も鋭く、再度俺とセシリアに斬り込んでくる。
俺は敵の斬撃を受け止めて、それと同時に相手の刀を切り裂く。
敵は一瞬だけ驚きの表情を浮かべるが、ついで炎を放ち、俺との距離をとる。
俺は迫撃して、首を狙った一撃を放つ。しかし敵はしゃがみ込んで攻撃をかわし、打撃を俺の腹部へと打ち込んだ。
「うげぇ」
お腹いたいっ!
勝てると思って油断した俺が悪い。けど、奴隷騎士はやっぱり強い。
「引くぞっ」
その時、シーリーンの声が響いた。
アエリノールに追い詰められ、ハールーンの悲しげな顔を見つめながら、オレンジ髪の巨乳は一歩下がり、三階の窓から地上へと飛び降りたのだ。
それに続いて、残った奴隷騎士達も窓から飛び降りる。
三階だよ? と、俺は一瞬思ったが、思えば魔法で空を飛ぶ事も出来るのだ。俺はそんな事出来ないが、きっと彼等には可能なのだろう。なので、追う気にもなれなかった。
「ね、姉さんっ!」
「ハールーンっ! お前が望むなら、私の下へ来いっ!」
シーリーンは去り際に、ハールーンを逆に勧誘していた。めげない女だ。ハールーンの姉でなければ抱きしめてあげたいくらいだ。
「はわわ……逃げるなんて……」
アエリノールは窓から下を見下ろして、変な声を出している。相手が逃げ出す事を考えていなかったようだ。
この人は、どうやって聖騎士団の団長になったのだろう。最近、俺は心底疑問だった。
「た、助けてくれっ! 頼むっ!」
さて、そうすると、取り残されたのは豪華な服を血に染めたブタ公爵がたった一人。
あまり気は進まないけど、殺すのが俺の仕事だ、仕方ない。
「苦しまないように、殺すから……」
多分、俺の慈悲。
コレを慈悲だと思ってしまう自分に嫌気がさすけど、でも、俺は無事に任務を達成して百人長にならないといけない。
だから、悪いが、犠牲になってくれ。
そう、俺は心に言い訳をして、ハインリッヒの首を刎ねた。
造作も無い事だった。けれど、無抵抗で命乞いをする者を殺した事は、俺に酷く罪の意識を植え付ける事になったのである。
そろそろ登場人物の紹介ページを作った方が良いかなぁ、なんて考えてます。




