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ハインリッヒ邸の攻防

 ◆


 緑眼の魔術師は、内装だけならばアズラク城さえ凌ぐであろうハインリッヒの邸に苦笑していた。


「もっとも、サーリフは調度品になど、興味は無かったか」


 ふと、質実剛健を絵に描いたような現在の主君を思い出し、ネフェルカーラは一人納得をする。


 入り口を抜けた先にある大広間には、既に多数の兵がいたが、武器を持たない邸の使用人も左右往生している。

 無論、使用人達は悲鳴を上げて逃げ惑うだけなので、ネフェルカーラは歯牙にもかけない。


 元々、無意味な殺人に興じられる程、彼女は子供ではない。むしろ人間の断末魔は気持ちが悪いと思っている。

 それに、そんな自分であれば、何故かシャムシールに好かれるらしい。

「優しい」などと言われた時は流石に戸惑ったが、所詮、人間が生きる時間など百年にも満たないのだ。助けてもらった借りもあるし、その間位は、シャムシールの思うとおりの自分でいてやっても悪くはないだろう。

 そう思えば、今日、ネフェルカーラは余計に無意味な殺人を避けていたのである。


「ふっ……シャムシール。おれを愛してしまうなど、不憫な男だ……」


 だが、シャムシールとしては助けた自覚もないのだから、もちろん、これらは全てネフェルカーラの思い込みだ。当然、シャムシールはネフェルカーラに好意も寄せてはいない。たまにネフェルカーラの美貌に揺れることはあるが、それは男の子故に起こる情欲であって、決して愛情などではないのだ。


 まったく彼女は、どこまでも脳内補完が可能で、自意識過剰な魔術師なのであった。


 前方から迫るハインリッヒの私兵達は、現われる傍からアエリノールが切り倒してゆくので、その後に続くシャムシールが戦う事さえ無い状態である。

 あれならば、程なく三階に辿り着き、ハインリッヒを打ち倒してくれるだろう。

 だが、そんな観測よりも、シャムシールの無事な姿を見て、ネフェルカーラの頬は緩んだのである。


 もっとも緑眼の魔術師は、その表情程に余裕がある訳ではない。シーリーンの結界が思いの他、強力だったからだ。

 しかもタチの悪い事に、多重結界である。恐らくは敵対者を探知し、その周辺の魔素と酸素の濃度を下げる効果を付与しているのであろう。


「シャジャル」


「……っ! はい! 分かっていますっ!」


 ネフェルカーラは、緑眼を僅かに細めて歳若い青髪の少女を見つめた。

 少女が自身の命令に反しようとしていたが、それを緑眼の魔術師は咎めている訳ではない。むしろ、彼女の慧眼を称えるが故に声をかけたのだ。


 敵の魔術師が放つ魔法の性質、本質を瞬時に見抜く事は、本来、長年の修行の末に到達する境地である。にも拘らず、それを、この少女は直感で理解していた。

 だからこそシャジャルは探知魔法を展開すると同時に、結界の解除にまで力を割いていたのだろう。


「うむ。ならば暫く、両方とも頼む」


 だが、今のシャジャルではシーリーンに及ばない事も事実であった。

 彼女の力では、結界の力を弱める程度が精々なのだ。しかし、それでもネフェルカーラには十分だった。味方の防御はシャジャルに任せ、自身の力を全て結界の解除に使えば、程なく結界は破れるであろうから。


「……わ、わ、分かりましたっ……」


 青髪の少女は、額に汗を滲ませて、新たに印を結ぶ。

 無論、ハインリッヒ邸に雇われている傭兵や私兵が現れて彼女の邪魔をするが、青髪の少女にとって、それらを排除する事は造作もない事であった。

 それに、結界の解除を最優先にしているとは言え、緑眼の魔術師の力は圧倒的なのだ。手向かうものには容赦なく細身の剣が振われて、二合と斬り合う者さえいなかった。

 

 こうしてハインリッヒ邸の一階は、制圧されたのである。

 

 ◆◆


「セシリアっ! ここは何処?」


「ハインリッヒの邸の二階ですっ!」


「えっ! わたし迷子になった? ハインリッヒは何処?」


「……三階ですっ!」


「かっ、階段はっ?」


「さっき通り過ぎましたっ!」


「何で言わないのっ?」


「アエリノールさまが敵と戦うのに夢中になってるからでしょ!」


 ハインリッヒの邸は、オロンテスの王城を思わせる程に、白く美しい内装を誇っている。

 その上、使用されている金の総量は王城を凌ぐのだから、ハインリッヒの権勢が、このオロンテスにおいてはどれ程のモノか、言うまでも無いことである。


 しかし、そんな彼の権勢の象徴は今、アエリノールが齎した粛清を受けて、至る所を鮮血に染めている。

 二階にある部屋の隅々まで、彼女の剣が届かない場所は無かった。

 無論、アエリノールは闇雲に凶刃を振った訳ではない。剣を振いながら光の精霊と対話し、善悪をきちんと選別しての事なのだ。

 結果として、二階に生存者が居なくなっただけの事で、アエリノールは決して悪ではない。

 だが、本来は創造と再生を司る光の精霊が、これ程の殺戮を望む事に対して疑問を抱かなかったのは、アエリノールの残念さ故の事である。


「と、とにかく三階に行くっ!」


 アエリノールは、自身が疲労を感じている事に驚く。

 呼吸が苦しくなっているのだ。もしもこれがネフェルカーラの言っていた結界の効果だとするならば、敵は余程高度な魔法を扱う敵であろう。

 

 アエリノールは上位妖精ハイエルフである。

 それは、上位魔族アークデーモンと同じく魔素と酸素を取り込み自身を活動させる種族であり、そのどちらかの供給が途絶えても、活動には支障が出ない生命体なのだ。


(わたしが息苦しいのだから……)


 アエリノールは背後を振り返り、赤髪の部下を見た。

 やはり、大きく肩で息をして苦しそうだ。

 それもそうだろう。自身が魔素、酸素を共に取り込んで尚息苦しいのに、彼女は酸素だけに頼らざるを得ない人間なのだから。


 だが、これはアエリノール自身が内包する魔力を開放すれば、跳ね返せる結界でもある。少なくとも、自身とセシリアが活動する範囲に非干渉地帯を作る程度の事ならば、彼女には造作もない事なのだ。


 しかし――


 彼女の頭脳は、あくまでも残念なのだ。


 だから、アエリノールは、


「大変! ネフェルカーラ、早く結界を解除しなさいよ!」


 としか思わなかった。

 

 こうして二階を制圧したアエリノールは、息も絶え絶えなセシリアを連れ、三階に居るであろうハインリッヒの下へ向かったのである。

 

 ◆◆◆


「ハールーンッ!」


 不意をつかれつつも、ハールーンは自身の身体に炎を纏わせてシーリーンの攻撃を、何とか避けたようだ。まったく、肩で息をしているクセに油断の無いイケメン、無事で何よりだ。慌てて叫んだ俺が、いっそ恥ずかしい。


 俺の方も、元々、勝手に展開している対魔法防御レジストが役に立った様で、致命傷は防いでいる。

 とは言え、熱いどころの騒ぎじゃない。服も髪も焦げ、身体中に火傷を負ってしまったのだから、ションボリだ。


「シャムシールッ!」


 ハールーンも俺を心配して、声をかけてくれる。

 ふと俺の脳裏に「トモダチ」という言葉と、ネフェルカーラの艶めいた微笑が浮かぶ。

 

「……大丈夫、ネフェルカーラの雷撃の方が、痛いし熱い……」


 シーリーンにやられたのに、なぜかネフェルカーラを殴りたくなってきた俺だ。しかも、何だか妙な悪寒もするぞ?


 正面を見ると、オレンジ髪の巨乳と、その後ろに金髪デブ公爵ハインリッヒや、奴隷騎士マルムークと思しき、曲刀を抜き放っている屈強そうな奴等が十人ばかりいた。

 ハインリッヒの居室は、図面で見たよりも広く、天井も高かったのだ。


 ハールーンは俺の無事を確認すると、自分と容姿が酷似した女に視線を向けて、喘ぐように問いかけた。

 

「……シーリーン……ね、姉さんなんでしょ?」


「……ハールーン、なのか?」


「……そ、そうだよぉ! ボクだ! ハールーンだよぉ!」


「……どうして生きて……。いや、そうだとして……ならば、ここから去れ……」


 シーリーンも弟を認識したようだ。しかし、彼女の眼光は友好的なものではない。現に、彼女の身体から迸る炎が此方に敵意を向けていた。

 しかも、彼女の周囲では金細工が溶け出している。それ程の高温で近づかれたら、俺なら溶ける自信があるぞ。

 

「シーリーン、しゃべっている暇などないだろう! オットーを始末するつもりが、これでは話が違う! まして、あの小僧は先日のっ!

 ……ええいっ! 奴隷騎士マルムーク共、やれっ!」


 ハインリッヒは俺を指差して怒鳴っている。

 デブの唾が飛びすぎていて、シーリーンが僅かに距離をとっているのが微笑ましいが、俺が標的にされているようなので、ちょっと引く。


 そんな事を考えている間に、デブ公爵の背後から一〇人の奴隷騎士マルムークが俺に突進してくる。

 なんてことだ。俺は咄嗟に壁に身を寄せて背後を取られない様にした。

 だが、左右からは容赦なく斬撃を浴びせられ、正直俺は途方に暮れそうだ。

 

 見れば、シーリーンもハールーンに斬りかかっている。

 姉弟の戦いは、まったく同種の戦い方ではあったが、明らかにハールーンの動きが鈍い。


 思えば俺も息苦しいし、身体が重いぞ。

 もしかして、やっぱりこれが結界か?


 ヤバイ! と思えば思う程、周囲からの剣先が俺の身体にめり込む。

 上手く捌けなくて、火傷の上に斬り傷を作ってしまう。

 

 それでも、俺は何とか奴隷騎士マルムークの攻撃を捌き、斬撃を繰り出し、敵を怯ませながら戦う。

 しかし、一〇対一はちょっときつい。それに、敵の戦闘能力がヤバイ。シーリーン程ではないけど、全員魔法も使ってきて、俺の身体が、火傷と凍傷と切り傷で、訳が分からなくなってきている。

 ああ、もうっ! どうして俺がこんな目にっ!


「シーリーンッ! 一人相手に何をしておる! 早く片付けろっ!」


 何もしていないクセに、デブ公爵が堂々と叫んでいる。

 しかも姉と弟を平気で戦わせるとか、どんな神経してるんだ? なんだかアイツを見ていたら、恐怖が怒りに変ってきたぞ。


 俺が不快感と敵一〇人を同時に相手取っていると、巨大な炎の塊がシーリーンから放たれて、ハールーンに襲い掛かった。


「ハールーンッ!」


 しまった! あの姉は弟を殺すつもりか? 


「行けっ! 水妖精サムヒギン・ア・ドゥル!」


 ――間に合わない! 俺がそう思いながらもハールーンと炎の間に入ろうとした時、背後からアエリノールの声が響いた。

 次の瞬間、炎の塊はハールーンの手前で、大きく弾けて消え去った。


 何だか、水の蛙が大きく跳ねて炎に突っ込んでいった様な気がしたが、あれも魔法なのだろうか?

 

「かっ、かせ、加勢するっ!」


 部屋に入るなり、膝に両手を当てて息をしているセシリアが俺に言った。

 正直、そんなヘロヘロで加勢できるのだろうか? せめて剣くらい抜いてくれ、と思わなくもないが、立派な心意気なので、俺は素直に感謝した。


「シーリーンというのか? わたしの前に立つのなら、相応の覚悟をしてもらおう!」


 横ではハールーンを庇うように、アエリノールが剣先をシーリーンに向けている。

 その蒼い瞳は自信に満ち、表情からも残念さは窺えない。


 だが、アエリノール、よく考えてくれ。貴方のターゲットはその奥だ! シーリーンじゃなくて、デブ公爵だから! と、心の中でツッコミを入れると、いっそ冷静になって、俺は周囲の敵を見据える事が出来た。


 その時、俺の身体は軽くなり、ハールーンとセシリアの息も整い始めていたのである。


「さあ、倍返しだ」


 俺は、子供の頃に見たドラマの台詞を呟いていた。

  

 

読み返して気がついたこと……。


ストーリーが進んでないっ!


ああっ、すみません。


でも、もうすぐ「異教徒の都」編は終わりますので、お許し下さい。

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