腹黒聖騎士の陰謀
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訓練場の隅にある粗末な木製テーブルを前に、俺たち四人はそれぞれ複雑な表情を浮かべて椅子に座っていた。
各人の前には、先ほど奴隷と思しき女性が運んでくれた冷たいお茶が置かれている。
俺は、運動したせいもあって、一気に飲み干してしまっていた。
もう一杯欲しい……。
しかし、言い出す訳にはいかない。
何しろ、正面に座るクレアさんの眼差しが真剣過ぎるから。
「シーリーンですか……。
彼女は、ナセルの下、暗殺や調略を専門に行う部隊の指揮官ですね。名も隠さずに堂々と……。
ならば、アエリノールさまがオットー男爵を疑う形になったのは、彼女の策謀で間違ないでしょう」
アエリノールが「そこまで簡単にわかるなら、どうしてもっと早く言ってくれないの?」 などといってクレアの隣で剥れている。
それを見て、クレアは幼児をあやす様な口調で、
「確証がありませんでしたので……ねっ」
などと言っていた。
つまり、シーリーンの影しか掴んでいなかった、という事らしい。
「……それは俺の疑いが晴れた、ということで良いのか?
だが、なぜシーリーンは、アエリノールに俺を疑わせる必要があったのだ?」
俺の隣で、筋肉達磨が目を白黒させている。
当然だ。脳筋に陰謀や策謀のイロハなど解る訳がない。そして、俺も当然ながら解らない。脳筋じゃないはずなのに、なぜだ!?
「アエリノールさまにオットー殿を粛清させれば、金牛騎士団は神の下に逆賊と成り果てます。
そうなれば、王の下に残るのは、王の側近とレオポルド殿の銀羊騎士団だけ。
ならば、宰相閣下の私兵だけでも何とか抑えられましょう? そこにナセルの奴隷騎士が加われば、容易くオロンテスは落ちます。
……内よりハインリッヒ、外よりナセル……くふふ、一週間と掛かりませんね」
「ま、まって。オロンテスには、わたしも居る。何より、オロンテスをハインリッヒが落としてどうするというのだ?」
クレアの説明に、今度はアエリノールが目を白黒させている。
たしかに、クレアの説明は妙だった。戦力として、聖光緑玉騎士団を入れていないし、ハインリッヒの意図が解らない。
ていうか、クレアの笑いが怖い。
「ハインリッヒ公爵は、リヤドの王弟ナセルと取引をして、オロンテスの王位を狙っているようです。
ですから彼の動きを見る為に、法王猊下はアエリノールに戦闘の許可を出していない、と、私がハインリッヒ公爵に情報を流しておきました。
……そうしたら、見事に釣れたようですね、くふふふ」
「ちょ、クレア!」
アエリノールの抗議を、クレアが片手を上げて制した。
それを見て、碧眼エルフも口を噤む。どうやら、この上官は作戦に関して、清楚に見えるこの部下に口を挟まない事にしている様であった。
さらに説明を続けるクレアの表情は、ネフェルカーラも驚く程の凶悪な笑顔だ。
俺はもう、クレアを一片たりとも清楚だとは思わないことに決めた。
「ですが、今日の会議の流れは、彼等にとって良くない方向に向かってしまいました。故に、近く彼等は動くでしょう」
「ど、どう、動くというのだ?」
俺だけじゃなく、筋肉男爵もクレアに気圧されているようだ。
うん、怖いよね。
「オットー男爵が刺客に襲われます。そして、その犯人がアエリノールさま……その様な筋書きが今頃、出来上がっているでしょうね。彼等にも時間が無くなってきた、という事です。援軍が来てしまえば、ハインリッヒの策謀など水泡に帰すのですから」
「だから直接俺に手を下そうというのか、ハインリッヒは? 馬鹿な……誰が俺を襲えると言うのだ」
「うむ? わたしはオットー殿を襲わないよ。もしも襲うなら、正々堂々と戦う!」
クレアの言葉に、オットーとアエリノールが口を揃えて反駁する。
とりあえずアエリノールは色々と間違っているが、それはデフォだから仕方ない。
つまり、ハインリッヒがオットーを奴隷騎士に襲撃させて、その実行犯としてアエリノールを糾弾するってことだろう。
「……くすっ。計画犯はハインリッヒ公爵。実行するのは奴隷騎士です……ならば」
クレアが微笑みながら、脳筋の二人に説明をする。
彼女の表情は実に愉快そうに見えるが、実際の所、敵を掌の上で転がそうとしているのだから、恐ろしい事この上ない。
事実、先に続く彼女の言葉がその事を物語っている。
「ここからは、私からの提案ですが……。
まず、オットー男爵は私と私の直属の部下でお守りします。
次に、ハインリッヒ公爵をアエリノールさまが討ちます。
……これで、国内を統一してシバール国との決戦に踏み切れますが、如何でしょうか?」
「ふむ。俺は別に構わん。国賊を葬れるならば、どのような事にも協力しよう。
しかし、奴隷騎士が相手では、クレア、貴女が危険ではないのか?」
困ったような口調のオットーだ。多分、クレアに守られる、という所が納得いかないのであろう。
しかし、クレアの返答は、そっけないもので、淡々としている。
「問題ありません。私も、私の部隊も対奴隷騎士に特化しておりますから」
「わ、わたしは一人でハインリッヒを討つの? というか、ハインリッヒは国王の親戚でしょ? 討って良いのかな?」
基本的に作戦の類は全てクレアに丸投げのアエリノールが口を開く。一応、オロンテスの王家に気を使っているようだが、クレアはあまり意に介した風も無く言った。
「くすっ。ならばネフェルカーラさまを、お使いになればよろしいでしょう……」
クレアの丸い瞳が細められて、どこか悪企みを思いついたネフェルカーラと同じ色合いを帯びている。
それだけに、俺はクレアの瞳を直視する事が出来ない。
或いは、この人は、俺たちの正体にも気付いているのではないだろうか? そんな不安が俺の心臓を波立たせる。
「ネフェルカーラか……。頼んだらやってくれるかな? わたしも行かないと怒るだろうな……」
俺の恐怖感とは裏腹に、アエリノールの暢気な声が、分厚い壁に囲まれた密室に”ぼそり”と響いていた。
こうして、俺たちは話し合いを終え、訓練場を後にしたのである。
◆◆
アエリノールの館に戻る頃には、太陽も西に傾き始めている頃合だった。
相変わらず、竜の咆哮が時折聞こえるが、最早俺は気にしない事にした。なにしろ、気にすれば気にする程心臓に悪いのだ。ほっとこう。
館には、既に大聖堂を視察し終えたネフェルカーラ達一行が戻っていた。しかし、見当たったのは大広間の長椅子に身体を横たえて、物憂げに中庭を眺めやる黒髪緑眼の魔術師だけである。
「遅かったではないか」
俺を見つけると、欠伸をしながら振り向いた脳筋魔術師だ。
彼女の態度は、その美しさとは裏腹に、どこまでもふてぶてしく傲慢である。
「ネフェルカーラ! あんたね、人の家で寛ぎ過ぎじゃない?」
すぐに碧眼のエルフが、ネフェルカーラに噛み付いていた。
まあ、自分の家で、お菓子とお茶まで勝手に置いて、どっかりと寝そべり寛いでいる人を見たら、確かに頭にくるかもしれない。
「シャジャルとハールーンは?」
とりあえず、アエリノールのツッコミは横に放り投げて、俺は緑眼魔術師に二人の居場所を聞いてみる事にした。すると、気だるそうにネフェルカーラが立ち上がり、窓を指先で突付いて指し示す。
俺が彼女の指し示す方向――中庭――に目をやると、なんだかおかしな事が起きていた。
シャジャルがセシリアと戦い、ハールーンが竜と戦っている。
そして、その回りを騎士団員と思しき二十人位が囲み、戦闘を見守っていた。
しかし、見守る騎士達全員が怪我をしているのは何故だ?
俺は状況が飲み込めずに我が目を疑い、説明をネフェルカーラに求めてみた。
「あいつらは、一体何をしてるんです……?」
「うむ。シャジャルもハールーンもアエリノールに為す術も無く屈服したのが悔しいと言ってな。セシリアの方は、ほれ、シャムシール、お前に負けたのが悔しかったらしい。
で、おれが見たところ、実力が伯仲しておるのがあの組み合わせだったのでな、訓練という事でやらせておる。
……一応、おれも参加してみたのだが……誰も相手にならなかったのだ」
物憂げな表情で寂しそうに語っているが、絶対に騎士達に怪我をさせたのはネフェルカーラに違いない、と、俺は確信していた。
「ちょっ! 人の家で! ああ! みんなっ! あっ! わたしのウィンドストームがっ!」
今、窓の向こうではハールーンが、竜の吐き出した火炎を、自身の手のひらから生み出した炎で無効化していた。のみならず、剣で竜の頭を十回位は切りつけているだろうか? わりとハールーン優勢である。ていうか、フルボッコ?
「まあ、竜だから死なんだろ?」
カラカラと笑うネフェルカーラは、アエリノールの文句をさらりと聞き流す。
「セ、セシリア!」
碧眼エルフの心配事は、尽きないようだ。
他方では、シャジャルが水の魔法でセシリアの斬撃を弾き、同時に彼女の身体を水流に巻き込んで、空へと飛ばしていた。
結果、セシリアが屋根よりも高く舞い上がってしまった為に、アエリノールは心配したのであろう。しかし、流石に赤髪の女騎士も只者ではない。
空中で身体を回転させると、上手く着地をしていた。
それを見ていた騎士達に、セシリアは親指を立てウインクをして見せている。
本当に、セシリアは余裕なんだろうか? 足がガクガクしているぞ。
「止めさせませんと。体力の無駄な浪費です」
三者三様で中庭の訓練を見守っていた俺たちに、背後からクレアが溜息交じりの声がかかる。
そうだった、クレアの作戦では、今夜にもハインリッヒ邸を襲撃する可能性があるのだ。
受けるかどうかはネフェルカーラの判断だけど、遊んでいて怪我でもしたら大変だろう。
◆◆◆
ウィンドストームは竜舎へと戻り、セシリアが片膝を落としていると、玉の汗を輝かせてハールーンが広間へと戻ってきた。シャジャルも満面の笑顔で、自信を取り戻したようである。
それにしても、シャジャルがセシリアよりも強かったとは、びっくりだ。
しかし、当然、ハールーンに対した竜は涙目になっていたし、セシリアもしょんぼりとしていた。そりゃあそうだろうと思う。
だって、片方は竜なのに人間にフルボッコにされるし、一人は子供相手に勝てなかったんだから。凹むと思う。
暫く騎士達からハールーンやシャジャルは賞賛を受け、ネフェルカーラは恐れられていたのだが、これでは話が進まないと言うことで、俺たちは応接間へと移動する事になった。
緑の生地に金の縁取りをした二つの長椅子が、象嵌作りの机を間に挟んでいる。
外界を遮る真っ赤なカーテンが窓を覆うと、魔法の力を込められたシャンデリアが煌々と室内を照らした。
アエリノールでは明確な説明が出来ないということで、クレアがネフェルカーラに国内の状況と今後の計画に関する説明をした。
俺は、自分の右隣に座るネフェルカーラが「シーリーン」の名を聞いた時、眉を少しだけ顰めた所を見逃していない。
いや、それどころか、左側に座るハールーンとシャジャルからも緊張感が伝わってきたのだ。多分、皆はその存在を知っているのだろう。
「よかろう、では、おれ達はハインリッヒという男の館に忍び込んで、奴を消せばよいのだな?」
「はい。快く引き受けて頂いて感謝いたします」
「かまわん、一宿一飯の恩というものもある。だが……奴隷騎士が相手となると、オットー男爵の方は……クレア殿、貴殿達だけでは心許ないのではないか?」
「うふふ。ご心配ありがとうございます。でも、大丈夫です。きっと私が相手をする者は、シーリーンではありませんから……」
緑眼魔術師の怜悧な瞳を受けても、丸みを帯びたクレアの褐色の瞳は、少しも狼狽えていなかった。
そういえばネフェルカーラがこれを受ける事で、味方は不利になるんじゃないだろうか? 正直、彼女の思惑が俺にはまったくわからない。
どうも、ネフェルカーラとクレアが化かし合いをしている様な気が、俺にはしてきた。
狐と狸。
うん、どう考えても、ネフェルカーラが狐でクレアが狸だな。
「ふわぁ」
なのに、俺の正面では、碧眼のエルフが眠そうに欠伸をしている。
これも、獅子の風格だとでもいうのだろうか?