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バレオロゴスの罠 24

 

 ◆


「シャムシール。会うのは初めてだな」


 中央に立つ青年が、陛下に声を掛けた。

 先ほどまでの話の流れでは、どうやら彼が主神ということらしい。別名では“無名神”とも呼ばれているようだ。

 “名前が無い”という不思議な名前は、髪の色も体格も瞳の色も判然としない彼にとって、ある意味で正しい呼び名かもしれない。


「無名神――そう呼べばいいのかな?」


 陛下が顔――というか、冑だけを向けて“彼”に聞いた。


「私を知る者は、そう呼ぶ。或いは主神あるじと」


 無名神は、小さく頷いている。


主神あるじとは、呼びたくないな。少なくとも第一級神格という意味では、同格なんだろ?」


 陛下がこう言うとアドリアネが割って入り、「無礼、無礼だぞ、シャムシールッ!」と喚いた。けれど陛下の黒甲を見て、首を竦めている。なんだかんだいって、恐いのであろう。


「正式には序列もある。が――気にすることは無い。それぞれが何かを司っているからな。例えばアリアドネは力を、クロノスはときを。シャムシール、お前は“現界カフカス”を、という具合だ」


「無名神、貴方は?」


「むろん、神界と天界だ。つまり――」


 ここで無名神の言葉を、ネフェルカーラさまが遮った。


「つまりここでは、シャムシールの方が格上となる。ということであろう? ふははは……――違うか、 無名神よ」


「なっ! きちゃま! 本当に無礼だなっ!」


 ヘルメスを蹴飛ばし続けながら、アリアドネが文句を言う。さらにネフェルカーラさまに掴みかかろうというところで、華麗に投げ飛ばされていた。


「なっ! テオスである私を投げ飛ばすだとっ!?」


 中空でピタリと動きを止めたアリアドネに、ネフェルカーラさまが顎を反らして言い放つ。


「これがジュードーというものだ! ゴウよくジュウを制す!」


 まあ、ネフェルカーラさまが技にどのような名前を付けても構わないが、あの言葉は何かが間違っている気がする。


「ネフェルカーラ……柔よく剛を制す、だよ」


 あ、陛下がボソっと何かを仰った。


「む? ではこうか? 蜂のように舞い、鬼のように刺す!」


「それは、いつものお前だよっ!」


「ええい! 煩わしい! とにかく、おれはアリアドネとかいうこの小娘を叩き潰すのだ!」


 やはり色々と間違っていたらしいネフェルカーラさまは、「ふん」と鼻息も荒く、中空のアリアドネへ向き直る。

 アリアドネも奥歯を食いしばり、杖を巨大な戦槌に変えた。それは先端が巨大な墫のようになっていて、しかも明らかに重金属で出来ている、見るからに重そうなものだ。


「アリアドネ、よせ。――ネフェルカーラと言ったかな? 彼女の言は、間違っていない。司るという意味において、この世界における主導権は、シャムシールにあるのだから」


 無名神が、小競り合いを始めたネフェルカーラさまとアリアドネをちらりと見て、言った。


「だったら、話が早い。ここで俺がヘルメスを倒して、それで終いだ」


 陛下が、蹲るヘルメスに大剣を向ける。


「お前は自らが神であることを利用して大司教を名乗り、バレオロゴスの人民を苦しめた。それがたとえ無名神の為だとしても、現界カフカスを司る俺としては、決して許せることではない――改めて、死ね」


 冑の両目が赤く輝き、冷然とヘルメスを見下ろす。近辺あたりが、陛下の殺気で満たされた。

 この状況で、笑みを浮かべるネフェルカーラさまは異常だ。これには流石のアリアドネやクロノスでさえ、表情に恐怖を貼り付けている。


「待て、シャムシール」


 その時、一歩前へ進み出て無名神が言った。そして振り下ろされた陛下の刃を、同じく巨大な剣が止める。

 戛然とした音が響き渡り、雷光のような火花が散った。


「ヘルメスもまた、テオス。ましてや“死”を司る者。彼の死は、なればこそ何人にも左右されてはならぬ」


「そんなこと、俺が知るかっ――なっ!?」


 陛下が無名神に顔を向け、固まっておられる。絶句しているのだろうか? 冑の内は伺い知れぬが――しかし、驚くのも当然。なにしろ陛下の剣を受け止めているのは、陛下ご自身なのだから! 

 

 って! え!? 陛下がお二人!? どうなってるの!?

 なんだ、これは!? なんなのだ、これは!? というか、私がビックリだ!


「フォッフォッ……無明神さまが力を発揮なさる際には、見る者が最も崇拝する者の姿形をとりなさる。シュラ――おぬしには無名神あるじさまがシャムシールどのに見えているようじゃが……シャムシールどのには、はて……いったい、誰に見えていることじゃろうかのう?」


 ご丁寧に、クロノスが解説をしてくれた。もう彼に、ボケ老人の雰囲気はない。キリリとした目元が、知性を匂わせている。


「なぜ、私の心を読む? どうして、それを教えてくれるのだ?」


「わし……お主が好みじゃから……この戦いが終わったら、わしの妻に……」


 聞かなかったことにしよう。少なくとも、私はジジイに興味などない。


(それがダメなら、のう……今度、茶でも飲まんか? 良い店、知っとるんじゃ。その後、宿でしっぽりと……徐々にお互いを知ってゆけば、良いと思うんじゃ)


 うう……今度は念話だ……迷惑すぎるぞ、このジジイ……。


 そういえば、先にここへ向かったはずのパヤーニーは、どこに行ったのだ? せめてヤツがいれば、このジジイの相手を任せられたものを! まったく、肝心な時に役立たぬミイラだ!


 ともかく私は意識を陛下だけに向けて、クロノスを無視することと決めた。


 陛下は自身の前に立つ自身の姿に、苛立ちを覚えておられるようだ。声が、僅かばかり荒い。


「なんだ、その姿は!?」


「さあ? 見たままだ。私には、他人が私をどう見ているのか、知る術は無いが――」


「何の冗談だ? 俺を怒らせたいのか? さっさと元の姿に戻れ。さもないと……」


 陛下が大剣を構え、一振りした。突風が巻き起こり、アリアドネとクロノスが警戒の視線を陛下に向ける。


 そうか――私は陛下を崇拝しているから、陛下が二人に見えている。だが陛下には、誰か別の人物が見えているのだ。

 

「戻れと言われてもな、簡単にはいかんのだ、シャムシール。私は無名神――無色にして万色の者。

 故にもしも、お前が神を恐れ敬う者であったなら、私は私の姿でいられたのだろう。だが――どうやら、そうではないらしい」

 

 ビリビリとした陛下の怒りが、ここまで伝わってくる。

 だが、まさかご自身の姿をかたどられて、ここまでお怒りになるとも思えぬし……陛下には一体、相手が誰に見えているのであろうか? 


 あ、もしかして、私? いやいや、そんな馬鹿な……。


 陛下はおもむろに突進し、いとも容易く相対する陛下の剣を打ち払われた。ものの三合――時間にすれば、一秒にも見たぬものだ。

 しかしそれは、相手が弱かったからではない。あくまでも、陛下が強すぎた為である。


 けれど不思議なものだ。この事実が示す事は、唯一つ。

 陛下は自身よりも遥かに弱い相手を、崇拝しておられる。

 ますます相手が誰なのか、気になるではないか。


「ふっ……――ははは」


 陛下は構えを解くと、冑を取って笑った。

 無名神は黙って立ち尽くし、陛下を見ている。既に姿は元に戻って、ボンヤリとした表情を浮かべていた。


「なるほど、そういうことか。分かったぞ、無名神が何であるのか。お前は人々の心が生み出し――」


 陛下が話し終える前に、クロノスが間に割って入る。

 というか、さっきまで私の目の前にいたのに、いつの間に?


「それ以上……言ってはならんな、シャムシールどの。お主の認識が、間違っているとは言わぬ。だが、誰もがお主のように強い訳ではないのじゃ。目に見えぬものを大いなるものと感じ、敬い――恐れる。それこそが弱者にとって、救いとなる場合もあるのじゃよ」

 

 そしてクロノスは杖を前面に翳し、モゴモゴと何やら呪文を唱え始めた。

 青い波動が杖の先から現われて、陛下を飲み込もうとした矢先――


「ふん――穏便にことが運ぶかと思って見ておったが――どうやら、そうでも無いらしいわ」


 中空から赤い波動が表れて、クロノスの齎した青い波動を相殺してゆく。


「なに? わしの魔法を返した……じゃと?」


「ふむ、ふむ、ふーむ! 陛下の記憶を消そうなど、言語道断っ! これは、時の回帰点を操作する魔法であろう? 二度も見せられれば、概要など掴める。不可逆ではなくなった過去を加速させるなど、余にとっては容易いのであーる! ハッハーッ! パヤーニー、メタモルフォーォォゼッ!」


 赤い波動を辿った先で、自信満々のパヤーニーが恐ろしい変化を遂げていた。

 先程、胴体が無いと騒いでいた男は、クルクル回転したかと思うと、一挙に肉体を取り戻してゆく。


「うわぁ……気持ち悪い」


 思わず、正直な声が漏れてしまった。


 肉体の生成過程がとても精緻を極めたので、正直、吐きそうだ。

 組織が生まれ、器官が作られ、皮膜で被い、筋肉で包む。そして仕上げに皮膚が生成されてゆく過程は、本当に気持ち悪かった。

 最終的に華麗な青紫色のローブを纏い、気品が醸し出されたのは救いといえるが……。


 って、あれ? パヤーニーの全身が、干からびていない? どういうことだ?


「皇帝陛下――このボケ老人の相手は、余に任せるがよかろう。相手がテオスであるならば、不足はない。余の本気マジを、今こそ見せて進ぜようではないかっ!」


 なんだあれは! なんなのだ! パヤーニーにあるまじきことが起きている。

 まさかの人化だ! 完全に肉体を取り戻している。つまり――ミイラが、ミイラではないのだ!

 し・か・も……美貌だと! 金髪碧眼の麗しい姿は、まるで薄幸の貴公子ではないかっ!


「ほう? パヤーニーにこれ程の力があったとは。ヤツを侮っておったかもしれんな」


 ネフェルカーラさまも触発されて、剣をアリアドネに向けている。増大してゆく魔力で、大地が震えていた。

 アリアドネも戦槌を構え、ネフェルカーラさまを相手に一歩も退かないつもりらしい。


「まて、ネフェルカーラ、パヤーニー」


 陛下が左手を伸ばし、二人を止めた。そしてクロノスを睨む。


「恐いのう……老人を、そう睨まんでくれ」


「クロノスどの……神剣士セイバーズに下した命は、なんです?」


 周囲にいる戦士達を見回し、クロノスは肩を竦めた。


「フォッフォッ……賢明じゃの、シャムシールどの。彼等には、わし等が戦闘を始めたら、街の人々を殺すよう命じてある。

 もっとも――そうなるのは、お主が、わし等と敵対した場合の話じゃ」


「脅しですか? 俺だってテオスなら、神剣士セイバーズに対する指揮権があるでしょう? だったらあなた方三人を倒し、彼等を止めれば済むことだ」


「うむ、確かに、お主にも指揮権はある。――が、そもそも、わし等を倒すなど無理な話じゃて。なにせ、全力で逃げるからのう。少なくとも、お主等から逃げ切れる程度には、強いつもりじゃぞ。

 ――とはいえ、もう一度言わせて貰うが、それは、お主がわし等と敵対した場合の話じゃ」


「……あなた方と敵対しない為には、どうすれば?」


「フォッフォッ……たいした事ではない。そもそも、ヘルメスを野放しにした非が、わし等にはある。故に、その件は詫びよう――相済まぬ。

 しかしながら、ヘルメスは神である――よって、わし等で裁きたいのじゃ」


「あなた方が詫びるべきは、俺じゃない。この件で、死んだ者達です……」


「それに関しては、心配するでない。ヘルメスとその一派の手に掛かり命を失った者は、わしが責任をもって甦らせる。ときを巻き戻せばよいだけゆえ、簡単じゃ」


「なるほど。そういうことなら確かに、俺があなた方と敵対する理由は、無い」


 陛下が顎に指を当てて、頷いている。ヘルメスに罪を購わせたいが、といって彼と彼の一党に殺された者が甦るなら、目くじらを立てる程ではなかろう。


 二人の会話を聞きながら、無名神が頷いている。その表情は茫洋たる大海を思わせもするし、同時に狡猾な胡狼シャガールも思わせた。けれど今のところ彼は、誰にも変化をしていない。


「そ、そうだぞ、シャムシール! 我等は勝手に現界カフカスを騒がせたヘルメスを、懲らしめに来ただけだ! 誤解するな! 

 ――でもな、お前だってやりしゅぎだぞ? だって、神を殺すところだったんだからな!? 我等十二――いや、十三柱神の私闘は、いかなる場合でも禁じられておる! そんな訳だから、まあ、とにかく――お前も反省しろよにゃっ!」


 なにやらアリアドネが“プンプン”といった感じで、陛下の側に来て怒っている。

 頬を膨らませながら陛下の鎧をペタペタと触り、「分かっておりゅのか!?」などと言う彼女からは、まるで悪意を感じなかった。

 どちらかと言えばアリアドネから感じるのは、初めて後輩を得て得意満面の、使えない先輩――という雰囲気だ。

 そんな彼女を、ネフェルカーラさまが剣先でつついている。


「あっ! 痛いっ! やめろ! や、やめりょ! 呪われろ! この悪鬼っ!」


 そういって陛下の陰に隠れたアドリアネが、顔だけを覗かせてネフェルカーラさまに舌を出している。


「はぁ……どうやら、本当に敵意は無いようだな……」


 陛下が頷き、アドリアネの頭をクシャっと撫でた。彼女の頬が、パッと薔薇色に変わる。


「て、敵意なんて無いぞ! 本当はわたちっ……私だけでヘルメスの制裁に赴こうと思っておったのだが、無名神あるじさまがシャムシール……お前に会いたいっていうから……!」


「じゃあ、ハデスは? アイツが姿を見せないのは、おかしいだろう?」


 陛下がアドリアネを撫でながら、無名神に問う。暫く間をおいて、彼は首を振りながら、陛下の問いに答えた。


「ハデスを連れてくれば、逆に戦争となる恐れを感じた。ヤツは私に恨みを抱いているからな」


「無名神。それは貴方が、彼に恨まれるようなことをしたからだろう?」


「私にとて、理由はあった。そして今この時にも、理由がある。世の全てを敵と味方で図る愚を犯すな、現界カフカスを司る者よ」


 不思議と、何者にも見えない青年の声が、厳かに聞こえた。


「分かった、信じよう。だが――流石にヘルメスの処分は聞いておきたい。いくら皆を甦らせてもらえるとはいえ、ヤツを何事も無く神界へ帰しては、皆に示しがつかない。報いは、きっちりと受けさせて欲しい」


 陛下が頷き、ボコボコになった顔を押さえて蹲るヘルメスを指差した。


「……無論だ。ヤツからは神格を剥奪し……むこう二百年、樹木として生きる事を命じよう。

 ヘルメス――よく大地に根ざし、巡る命の尊さを学ぶが良い」


 冷厳たる声で、無名神が言った。


「そういう裁きなら、異論はない」


 陛下は頷き、憐れなヘルメスを見下ろす。


「そ、それはあんまりです! 木など、伐られたらどうするというのですかっ!」


 ポロポロと涙を零す元神は、無名神の足に縋り付いていた。


「……精神は幽体アストラルとなって、昇華しよう。肉体は形を変え、別のものへと転化される……そうだな、例えば家具や――薪か」


 無名神は取り合わず、けれど諭すようにヘルメスの頬を撫でた。

 そこにあるのは、無限の愛と無限の残酷――私には、そのように見えた。


「……この地に根付き、せいぜい人々に好まれる実を付けるんだな」


 陛下が吐き捨てるように仰った。

 多分、本当なら剣で一刀両断にしてしまいたいのだろう。

 それを抑えて、今は無名神を立てておられるのだ。


「わ、私は神ですぞ! それが“木”になるな――」


 ヘルメスは喚き叫んだが、言葉を最後まで言い切ることが出来なかった。淡い光に包まれると、見る間に肉体が消失したからだ。


「断は下された!」


 アリアドネが厳かに宣言すると、再び空間が歪んでゆく。


 最後に――空間の歪みと共に灰色となった世界の中で、陛下と無名神が無言の握手を交わす。こうして六つの世界における均衡は、再び保たれる事となった。


 ――――

 

 ふとドゥーカスの死体に目を向けると、側に小さな命が芽生えていた。二股に分かれた葉は、青く瑞々しい。やがてそれは大樹になるかもしれず――或いは人知れず、枯れるのかもしれない。

 私はそれがヘルメスだと気付いたが、どうしても潰す気にはなれなかった。

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