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バレオロゴスの罠 22


 ◆


 陛下がネフェルカーラさまに極大の“雷撃ラアドゥン”を見舞われ、髪の毛がチリチリになった頃――フランチェスコは巨大な骸骨に対して禁呪を放っていた。


 まあ、神だというなら禁呪が使えてもおかしくは無い。だが、これは先程、智天使ケルビムがシーリーンへ向け、放とうとしていた魔法と同じもののようである。


「大いなる風の刃、遍く世界に普遍たる大気よ。我が前に集い来たれ。――その力をもって、敵を塵と為すのだっ! 破砕風タブレンスッ!」


 フランチェスコが中空で巨大な骸骨を見据え、放った魔法は――つまり風だった。

 突き出されたフランチェスコの掌から現われた竜巻は、僅かの間に胸壁よりも大きく成長し、巨大な不死骸骨スケルトンを飲み込んでしまう。


「ああっ! おれのアルナブがっ!」


 風に飲み込まれて苦痛にもがく巨大骸骨を見上げ、ネフェルカーラさまが頭を抱えておられる。

 何やらあの骸骨に名前を付けていたようだが――アルナブは無いだろう。相変わらず、理解出来ぬ名付け方をなさるお方だ。


 それよりも、竜巻がどんどん大きくなってゆく。私自身も剣を突き立て、必死でしがみつかなけれ、風の中へ吸い込まれてしまいそうなほどだ。

 しかも竜巻は、ただ巨大なだけではない。あれほど大きな骸骨が徐々に削れ、小さくなっている。どうやらあの中に入ってしまえば、何もかもが細かく砕かれ、粉塵にされてしまうようだった。


「うわあああああああっ!」


「助けてくれーっ!」


 地上から巻き上げられるのは、何も木や土、あるいは柱や噴水だけではない。バレオロゴスの騎士も、神殿騎士テンプル・ナイツも同様だった。加えて天使共マラーイカ不死隊アタナトイも、分け隔てなく竜巻の中に飲み込まれている。

 もはや敵も味方も関係なく、凄まじい吸引力から逃ることに必至だった。


「……アル・アルナブぅ……」


 そんな中、風を受けても微動だにせず膝を付き、巨大骸骨の消滅を嘆くネフェルカーラさまは、ある意味で凄い。


 しかし、このままではマズイぞ。

 私は陛下の腕を引き、グイと引っ張った。


「陛下、ここにおられては危険です! 一端退きましょうっ!」


 だが、陛下は微動だにしない。完全武装で竜巻を睨むだけだ。

 冑の両目が赤く光る仕様は相変わらず恐いが、風に漆黒のマントを靡かせ超然と佇むお姿は、威厳に満ち溢れている。


 思わず陛下に寄り添ってしまった。

 ふふ。ネフェルカーラさまが見ていない今なら、いいだろう。


「いや、だめだ。あれを止めなければ、コンスタンティノポリスが壊滅する。シュラは騎士達の混乱を抑えてくれ」


 私のささやかな喜びは、すぐに終わりを告げた。

 陛下は私の腕をとって体から離すと、こう仰られたのだ。そして機動飛翔アル・ターラを唱え、自らは竜巻の正面へと向かわれた。


「な、何をなさるのですっ!?」


 ゴウゴウ”とうねる突風を全身に浴びながら、ときに巻き上げられる槍や剣にぶつかりつつ、陛下は仰った。「あれを止める」


 傲然と竜巻を見下ろして大剣を翳すと、陛下は究極の魔法を朗々とした声で詠唱なさった。


「――絶対零度の吐息(アブソリュート・ゼロ)


 短い言葉だった。

 しかしそれが世界に圧倒的な静寂と停止を命じる魔法であることは疑いなく、私はゴクリと唾を飲み込んだ。


 世界が一瞬で濃紺に染まる。まるで突然、夜が訪れたかのようだった。

 直上で渦を描き高速で収束した分厚い雲が、荒れ狂う氷塊を生み出し、瞬く間に竜巻をおおってゆく。

 時間にすれば、数秒――怒号と悲鳴が人々から上がり、私は彼等を落ち着かせようと、ひたすら叫ぶ。


「慌てることはないっ! 陛下の狙いは竜巻とフランチェスコだ! みよ! お前たちには傷一つあるまいっ!?」


 すでに視界は、猛烈な吹雪で閉ざされている。

 それでも、私は陛下を信じていた。だからこそ口に出来た言葉である。

 事実、風が収まった後に確認したが――これで倒れた者はいなかった。


 やがて羽毛のような雪が、ゆっくりと大地へ落ちはじめた。攻撃が終わったのだ。


 世界が――幻想的なまでに美しい光景へと変わった。誰もが声を失っている。

 そうして出来上がった静謐な世界も、しかし結局のところ、シャムシール陛下の圧倒的な力が生み出したものだった。


 僅かばかり前に猛威を振るっていた竜巻は、すっかり沈黙している。

 凍りついた竜巻は、ある部分で突起し、ある部分では螺旋を描く氷の彫刻となった。それが靄をまとい、屹立している。


 ゆっくりと私は、氷の竜巻を見上げた。


 見栄えは良い。美しい、と、評せるだろう。

 しかし、この宝石の如き輝きを見せる氷の円柱は、内側に砕け散った数多の生命を抱えている。いわば、死の彫刻なのだ。それを、忘れてはならない。


 “ドサリ”


 霜の降りた地面に、四角い氷の塊が落ちた。中には――凍りついたフランチェスコがいる。その表情は驚愕に満ち溢れ、大きく口を開けていた。


 ◆◆


 再び姿を現した太陽の光に照らされて、キラキラと氷の結晶が舞っている。私はその美しさに目を奪われ、暫しの間、間抜け面を晒して辺りをキョロキョロとしていた。


「あれは……助……かった……のか?」


 天高く聳える氷の竜巻を見つめながら、バレオロゴス騎士の一人が口を開く。

 未だ冷気が辺り一面を支配しているせいで、彼の吐く息は白かった。


「……くしゅん!」


 陶然と佇み、頭と目を動かしていた私の耳に、小さなクシャミの音が聞こえてきた。ネフェルカーラさまである。


「うー、寒いぞ」と自らの身体を抱え、両手で肩を擦るネフェルカーラさまを見て、私はようやく、現状をきちんと認識した。


 そうだ! 何もかもに見惚れている場合ではない!


 気合を入れる為、私は両手で頬を“パン、パン”と二度、叩いた。

 

 改めて辺りを見渡すと、宮殿全体が凍りつき、地面には霜柱が立っている。凍てついた空気を吸えば喉が痛むから、皆、口元に衣服を当てていた。


 それでも再び現われた太陽によって、氷は急速に溶けてゆく。

 だが――もちろんフランチェスコと竜巻は例外だ。これは絶対的な永久凍土の中にあって、陛下が望まぬ限り今後一切、溶けることは無いだろう。


「へ、陛下! おめでとうございます!」


 ともかく、完全勝利だった。私は陛下のお側へ行って、お祝いの言葉を述べる。


「いや、まだだ」


 陛下が大剣を凍った地面に突き刺し、何もない中空を睨んでいる。まるで怒気を孕んでいるかのように、冑の両目が赤く輝いていた。


「……ふむ、今まで決着を引き延ばしておったのは、これが(・・・)理由か」


 ネフェルカーラさまが手を打ち合わせ、頷いておられる。「なーる」


 どういうことだろうか? 私にはまるで分からないが。ていうか、「なーる」ってなんだ。時々、ネフェルカーラさまの言葉が分からないぞ。


「となると、これから来る者が黒幕か?」


「それは、わからない。だがまあ、無関係ってことはないだろうな」


「ふむ。では、いよいよ、おれの出番やもしれぬな。ふはは……」


 ネフェルカーラさまが、不敵に笑う。その目の前で、太陽の光が捻じ曲がり――そして空間が“断裂”した。

 

 何なのだ、これは! 何者かの魔法なのか!?

 こんな現象、理解出来るわけが無い。ジリッと足を下げ、私は冷や汗を拭った。


 中空に大きな歪が生まれた。光が湾曲し、“ゴォォ”と不気味な音を立てている。

 辛うじて推論を立てるなら、この世界が別の次元と繋がりつつある――とでも考えればよいのだろうか。

 徐々に辺りが暗くなってきた。といっても、太陽が消えたわけではない。光がひずみに、飲み込まれているのだ。


「「な、なんだ、これは?」」


 後ろで、バレオロゴスの騎士達が騒いでいる。

 彼等は今、ちょうど神殿騎士団テンプル・ナイツの武装解除を始めた所で、歪になった中空を睨んでいた。


 もちろん、こんな最中だ。神殿騎士団テンプル・ナイツとて、不安に苛まれているのだろう。一人が武装解除に応じず、目鞍滅法に剣を振り回して叫んだ。


「神だ! 神がお怒りなのだ! 大司教猊下を手に掛けたりするからだぁぁ!」


「そうだ! 我等は神殿騎士団テンプル・ナイツ! 最後まで戦え!」


 結局、ただ一人の扇動に乗せられて、数十人が無駄に命を散らした。

 どうあれ神殿騎士団テンプル・ナイツは、もはやクロエやベリサリウス、それに胴体を失った珍妙なパヤーニーと、相変わらず勇ましい髑髏の騎士(テオドシウス)の敵ではないのだから。

 ちなみにシーリーンは、こんな事態にも関わらずグースカ寝ているようだ。やはりあの女の神経は、ずぶとい。


 だが、神の怒りという言葉が、妙に引っかかる。

 フランチェスコがヘリオスという名のテオスであったのなら――そしてあと十一人のテオスが確かに存在するのなら――それを考えると目の前にあるひずみに対して、嫌な予感しか覚えないのだ。


「シュラ、パヤーニーをここに呼んでくれ。もしもここに敵が来るのだとすれば、本気マジのアイツが必要だ」


 陛下が歪を見据えたまま、私に言った。やはり神が敵として現われるのだろうか。

 それにしても、マジってなんだろう? 私は陛下に聞いてみた。


「マジ……って、なんですか……?」


「……ああ、うん。その……本気って意味だから。気にしなくていいよ、シュラ……早く行って」


 シドロモドロに答える陛下は、少し恥ずかしそうだ。けれど黒冑のせいで、表情は窺えない。

 それにしても何故、私ではなくパヤーニーなのだ。

 私だって、その……マジ? になれば、きっとまだまだ戦えるのに!


「陛下! 私もまだ、戦えます! 私もマジになれますからっ……!」


「シュラ! 言うことをきかぬかっ! お前には変身まじなどできぬであろうっ!」


 いつの間にか、細い銀の剣を取り出したネフェルカーラさまに睨まれた。


 え? マジって何? “マジなどできぬ”ってどういうこと? 陛下は本気のことだと仰ったけど、本気になると、パヤーニーには、何か特殊なことが出来るのだろうか?


「ちなみにおれは、あと二回“変身マジ”を残している」と、言いながらネフェルカーラさまは黒い外套を脱ぎ捨て、顔を覆う薄布を払った。


 なんだこれ? マジって何? もうワケが分からないんだけど……。


 それよりも、ネフェルカーラさまは一体なんなのだ。思わず、女の私ですら見惚れてしまう。

 脱ぎ捨てた外套の内から現われた全てが、美しすぎるぞ。艶やかな黒絹のような髪も、大理石の如き白い肌も、羨ましくてならん。


 さらに、仄かな薔薇色の唇は厚くなく、薄くなく、端整な顔に咲く花のようだ。

 また、ピッタリと肌に吸い付くような黒い衣服から、滑らかな全身の曲線が窺い知れた。それはくびれるべき所でくびれ、膨らむべき所で膨らんでいる。


 それらはまさに一点の曇りさえ無き美に相違なく、もしも並ぶ者があるとすれば、それは対極たるアエリノールさまだけであろう。


 はぁ……及ぶべくも無い。けっこう美人のつもりだったんだけどなぁ……。

 私は場違いな敗北感を抱きながら本営に行くと、パヤーニーに声を掛けた。


「陛下がお呼びです。敵が来るかも知れぬそうで、マジのパヤーニーどのが必要だ、とのこと」


「……ああん?」


 フワフワと浮きながら手足に囲まれる、不気味な干からびた頭部が私を見下ろしている。その様は、物凄くやる気を失っているようだが――


何故なにゆえであろう? 余、眠いのだが」


「あのひずみを、ご覧あれ……」


 私は今来た方角――ひずみを指差し、パヤーニーに言った。加えて「神殿騎士テンプル・ナイツが騒ぎ出したのも、この為だ」と伝える。

 おまけで「ミイラは寝るな。寝るなら永遠に眠れ」と付け加えたが、小声だったので聞こえなかったらしい。


 ていうか、ひずみに気付いていなかったのか、この馬鹿は。


「ふむ……異界との扉か」


 パヤーニーの両目が、ギラリと赤く輝いた。

 どうやらやる気を取り戻したらしいミイラは、音も無く陛下の下へと向かっていく。

 私も再び陛下のお側へ向かおうとしたとき、ちょうど歪の真ん中に切れ込みが入り、ぱっくりと口を開けた。

 

 世界が灰色になった。

 太陽は中天にあるものの、その光は月よりも弱い。

 その代わりひずみの中からは溢れんばかりの光が現われて、灰色の世界を照らしている。


 もしかしたら私は、太陽の交代劇を見ているのではないか――などと意味の分からない考えが、脳裏を過った。

 

 腕を顔に翳して溢れる光を遮って見ると、光の中から続々と鎧を纏った戦士達が姿を現した。

 彼等は中庭に降り立つと、幾つかの方型陣を作り剣を掲げている。一人一人が練達の戦士であることは、迸る魔力からも明らかだ。

 そして最後にひずみから現われた三人に、一糸乱れぬ敬礼――盾を左側に置き、剣を斜めに掲げたもの――を向けていた。

 

 あの三人が、テオスなのだろうか?


 目が慣れてきたので、私は戦士達を従える三人を観察してみた。


 一人は背が高く、逞しそうな青年だ。ん? いや――なんだかヒョロヒョロにも見える。私の目が、おかしいのだろうか? よくわからん。

 それから、その半分ほどしか背丈のない、純白のローブを纏った人物と――最後の一人は、赤いローブを着た、中背の老人だった。

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