バレオロゴスの罠 12
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「ところで、あの人達はどうするのかしら?」
シーリーンが中庭の一角を睨みながら、呆れたように呟いた。
ベリサリウスとクロエは顔に疑問符を貼り付けていたが、陛下は頷き、私も理解している。屋根の上に二人、中庭に三人の間者がいるのだ。
奴等は私達を尾行し、この邸に潜入していた。気付いていながら放置していたのは、ベリサリウスのことを完全には信用していなかった為。
――要するに、宮殿の大公とこちらの大公、どちらが天使達を動かし、奴隷売買を行なっていた犯人か、判然としていなかったからだ。
けれどこの状況を鑑みれば、やはりクロエは被害者であろう。それに陛下ご自身も、目の前のクロエがレオ五世であることを認めておられる。
「な、なんのことを言っている?」
クロエが振り向き、私を見た。
「この邸に、間者が忍び込んでいる。巡検士であるシュラを監視しているんだ。キミの偽物の差し金だと思う」
陛下がクロエの頭を撫でながら、優しい声音で言った。安心させる為だろう。しかしクロエは逆に凛として、声を張り上げた。
「本当だ! 四、五――気配を感じる! ベリサリウスッ!」
叫びながらもクロエは、陛下にしっかりとしがみ付いたままだ。いい性格をしている。
とはいえ彼女も感覚を研ぎ澄ませば、この程度の気配は察知出来るということか。
ベリサリウスも表情を引き締めると剣の柄に手を掛け、「承知」と言った。奴も同様らしい。
何につけ出鱈目な陛下はともかく、意図的に消した気配を察知したり、闇に紛れ込ませた殺気を感じるなど、よほど訓練された暗殺者でなければ不可能。それを言われてすぐに感じ取れるのだから、 二人とも、武人としてはかなり優れているようだ。
「いや、ベリサリウス。貴様は下がっていろ。奴等を呼び寄せたのは私だ」
だが、優秀だからといって、彼等に任せたりはしない。私はベリサリウスを制し、廊下へ向かった。
こうなれば敵の間者を捕らえ、聖教国フローレンスとの関係を吐かせる。そしてこれを偽大公へ付き付けるのがよかろう。
流石に裏仕事に携わる――ましてや盟主国の巡検士に張り付く間者が、何も知らないということはないはずだ。
「シーリーン、行くぞ。だが、殺すな」
私はシーリーンを一瞥し、屋上へ上がる。
もちろん敵が少ない方を選んだのは、あの淫売女に対するちょっとした嫌がらせだ。
「なんで私まで――」
シーリーンは不満顔だった。しかし駆け出すと回廊の手すりを鮮やかに飛び越え、その下に潜む間者の一人をすぐに引きずり出した。
そのまま彼女は間者の右手を掴み、身体を捻って投げとばすと、黒装束をまとった最初の一人を気絶させる。
「ふぅー……――」
肩口で切り揃えた朱色の髪を“ブン”と揺らして、シーリーンが二人目の獲物を狙う。
敵は剣を構え、距離を取ろうという仕草だ。さらにもう一人は、背を見せて逃走に入っている。
シーリーンが残像を残して消えた。
次に彼女が姿を現した瞬間、逃げ去ろうとした男の首筋に、目にも止まらぬ速さで手刀を落とす。
それから剣を構える男の足を払い、倒れた所に顎へ蹴りを入れ、気絶させていた。
「そんな稚拙な連携で戦おうなんて……殺さないよう手加減する身にもなりなさいっ!」
武器を使わず、シーリーンは一瞬で敵を征圧した。三人全てを捕虜にした手並みは、見事の一言だ。
私だったら多分、一人か二人か三人は、勢い余って殺していただろう。
「なんと……強い……!」
ベリサリウスの感嘆の声が聞こえる。「おおっ!」とクロエも驚愕していた。
うむ。私も負けてはおれんな。とはいえ――敵を殺さぬよう、細心の注意も払わねば。
屋上では、二人の間者が既に背を向けていた。
何て奴等だ、既に戦意を喪失しておるとは。イライラするっ!
「逃がさんっ!」
私は光弓を唱える。矢は正確に二人の間者を射抜き、ドサリと彼等は崩れ落ちた。
ふん……他愛無い。
――ん? あれ? 死んでいる……やってしまった。
手加減はした。したと思うのだが――所詮は間者。俊敏さはあっても、防御能力は低いとみえる。これでは我等が“闇隊”の足元にも及ばんな。あは、あはは……。
とりあえず、死体を屋根の上に放置する訳にもいくまい。そう思って私は、適当に中庭へ二つの死体を落とした。
私が応接室へ戻ると、シュラが三人の間者を縛り上げている。
「ご苦労」
私はシュラに声を掛け、軽く手を上げる。
「シュラさまは、ご自分が敵を殺すために、私に生け捕りを命じられたのですか。そうですかー」
う。シーリーン、なんて嫌味な女だ。
「くっ……貴様、容赦を知らんのかっ! 我等はただ、大公閣下のご命令で、あなた方を警護していたに過ぎんというのにっ!」
シュラに囚われた三人も、憤怒の形相を浮かべて私を見る。
なんだ、コイツ等。文句があるなら掛かって来い。
――しかし、間者共は私が睨むと皆、目を背けた。
「警護だと? では、逃げる必要は無かっただろう? 私が向かった時点で、いかようにも弁解出来たはずだ。自らの未熟と無能から生じた責任を、シュラさまに擦り付けるな」
私の代わりに言ったのは、シーリーンだ。
あれ? 微妙に弁護してくれている? この女の意図がまるで読めないな。
「――それに、間者ならば分かるだろう? 口先だけで、この場を逃れられると思うなよ」
シーリーンの藍色の瞳に、苛烈さが加わっている。嗜虐的に口元を歪めたその姿は――恐らく往年の彼女を彷彿させるものだろう。
直接的にではなくとも、私はこの女に煮え湯を飲まされたことがある。思えば、この女はいつだって完璧なのだ。
だが、智力においてはドゥバーンさま。魔力においてはネフェルカーラさま。武力においてはアエリノールさまに、この女は勝てなかった。
運が悪かったと言えばそれまでだが、この女は相手が我等でなければ、いつ如何なる場合でも勝利を収めたであろう。
そんなシーリーンが、さらに言い募る。
「“命令の内容と聖教国フローレンスとの関係”、この二つを素直に吐け。そうすれば、苦しまずに殺してやる。――まあ、別に素直に吐きたくなければ、それも構わぬ。
ドゥバーンの殺戮隊と恐れられる我が主が、どのような拷問を好むか――よもや貴様等、知らぬではあるまい? ふふ――」
「だから我等は単なる護衛で――」
「まだ言い張るのか? 私はともかく、シュラさまは厳しいぞ。今も――私にお前たちを殺すなと命じながら、自分はちゃっかり殺している。見ろ、あの死体を。きっと、お前たちも殺したくて、ウズウズしておられるぞ」
ん? 私を脅しの材料に使っているのか? 少し不愉快なので、私は眉間に皺を寄せた。
「……殺戮隊の化け物……!」
なんて言われようだ。だんだん悲しくなってきたぞ……。
「それだけではない。我等の話を聞いていたのだろう? ならば理解しているはずだ――自分達が、皇帝陛下に弓引く真似をしたのだということを」
シーリーンが、ここで初めて剣を抜いた。一人ずつ、三人の頬にヒタヒタと剣の平を当てている。
「真実を言わねば、順に殺してゆくぞ。別に一人残れば良いだけだし――その一人とて、五体満足である必要もあるまい?」
なんというシーリーンの迫力か。今すぐにも耳を削ぎ、目をくり貫きそうな勢いだ。思わず、自分の目を覆ってしまう。
「ま、まて! わ、分かった……言う! 言わせて貰う! お、俺達だって、好きで帝国の巡検士さまを見張っていた訳じゃない……! それに宮殿におわす大公閣下が偽物で、ましてや、ここに帝国の皇帝陛下がいらっしゃるとなれば、忠誠を尽くすべきお方は自ずと分かる――個人的に言えば、聖教国に付くのは反対だったんだ! だから……その……命ばかりは……助けて頂きたい」
「ふん。随分と無様な物言いだが――陛下、どうなさいますか?」
「真実を全て話すなら、命を取る程のことではないだろう」
陛下が顎に指を当て、少し考えてから仰った。
「陛下がそう仰るなら、シュラさまも認めてくれるだろう。よろしいですか?」
「あ、ああ。構わん」
私は頷いた。陛下の決定に異を唱えるはずも無い。
「命拾いしたな、お前等」
剣を鞘に収めたシーリーンが、やっと笑顔を見せる。すると先程までの殺気が消え失せ、縛られている男達もホッと安堵の溜息を漏らした。
あれ? 私が物凄く悪人のようになっている……?
それから間者達は平伏し、私と陛下、それからクロエに許しを請う。
私は中庭に突き落とした二つの死体に哀れみの目を向けて、頭を掻いた。
「はぁ……――最初からそう言ってくれれば、ウッカリ人を殺すことなど無かったのに。まあ、余りにも弱すぎる貴様等のせいだな……」
「シュラさま――ウッカリで人を殺してはダメでしょう。どうせ力加減を誤ったんでしょうけど、どうして私が魔法も武器も使わなかったか、考えなかったの?」
あれ? 何故かシーリーンに怒られた。
なんだコイツ、おもむろに人差し指なんぞ立ておって。むかぁっとした。指をへし折るぞ。
だが、言われていることは事実に違いない。
それに陛下の目が、少し冷たいのも気になる。ここはしっかり反論をしておこう。
「それは考えたぞ、威力がありすぎては殺してしまうからだろう? だが、考えてみろ。私が使ったのは“光弓”だぞ。闇隊の者なら、この程度の魔法で死ぬ者などいない。
まったく、舐めているのか、こんな魔法で死におって! かなり手加減もしたのにっ!」
「だから、そもそもそこが間違い。世界最強の諜報機関と比べれば、どこだって見劣りするの。見たところ彼等は五人でやっと、闇隊一人程度の実力でしょうね。
昨日から思っていたけれど、この際だからハッキリ言います。――貴女、やっぱり妖精なのよ」
ガガーン! 心の中で、極大の雷鳴が轟いた。
シーリーンはつまり、私がアエリノールさまと同じだとでも言うのだろうか?
いやでも、あそこまで酷くはないはずだ。
頭が割れたと言って騒ぐでもなし、子供が卵から孵るとも思っていない。
それでもシーリーンは、私が妖精だと言うのか――くうう……。
「ちょ、シーリーン、いくらなんでも言いすぎだ。シュラは妖精じゃない。闇妖精なだけだろ?」
あ、陛下までそんなことを仰るんですか。
闇妖精って、なんですか……。
「……シャムシール。いえ、陛下は考えが甘いのです」
シーリーンが冷然とした声で言った。
「でも、アエリノールやジーンに比べれば、シュラの場合はちょっとやりすぎちゃうくらいだろ?」
「確かに、アエリノールさまは上位妖精です。そしてジーンさまは、彼女に唯一匹敵する妖精と言えましょう。ですが、シュラさまも中々のものですよ?」
「そうか? アエリノールとジーンは間違いなく別格だけど――この間だって、どっちのどんぐりが大きいとか何とかって喧嘩をしていたくらいだし……でもシュラは、どんぐりなんか集めていないだろ?」
「どうでしょうか? シュラさまの鞄の中にも、どんぐりが大量に入っているかもしれませんよ?」
う、う……陛下は擁護してくれているようだが、何だか辛い。あんな二人と比べられるなんて……。
しかし大丈夫だ。私の鞄の中に、どんぐりなどあろう筈も無い。ふっふっふ――証拠を見せてやろう、シーリーンよ。
今こそ起死回生の時。闇妖精の汚名を返上してくれるっ!
「もういい、シーリーン。私の鞄の中身を見たければ、見ればいいだろう」
私は陛下が持っていた私の鞄を受け取り、開いて見せた。
当然、どこを探してもどんぐりなど、あろう筈も無い。
「あれ、シュラ、これは?」
陛下が私の鞄の中を探り、幾つかの木の実を取り出された。
「はい、それはマツボックリでございます。周囲のかさを取って実を取り出せば、煮てよし焼いてよし、煎じて飲めば、薬にもなるのです」
なんだろう? ――陛下が無言で私のマツボックリを鞄に戻された。
「シーリーン、妖精って恐いな……」
「だから言ったでしょう。頭の良い妖精など、いないのですよ」