バレオロゴスの罠 8
◆
私の横を、小さな何かが通り過ぎていった直後だ。前方にいる敵の騎士がユラリと倒れた。白い盾と鎧には、拳大の穴が開いている。何かが貫通したのは、確かだった。
「次っ!」
いや、何かではない。陛下は礫を武器として、騎士達を相手取っている。だったら魔法で戦えばいいのに――と私が思った瞬間、前方でまた敵が倒れた。
“ゴウッ”
轟音が後から聞こえ、ついで衝撃を伴った突風が巻き起こる。
こういった現象は、かつてカイユームに聞いたところ、「音よりも速い速度で物体が移動した場合、その周辺で起こるものだ」と言っていた。
何でもネフェルカーラさまやアエリノールさまが本気で“機動飛翔”を使うと、この現象が起こるという。
だから、あの方達を絶対に本気にさせるな――と言われているのだが、陛下はそれを石礫でもやってしまうのだから、まったく恐ろしい。
陛下が次の投擲に入られた。
大きく振りかぶって、またも礫が飛んでゆく。同じように敵が倒れ、ついで轟音と突風が我が身を襲った。
「それより、普通に魔法を使って戦って下さい」と言いたいが、陛下は「やっと武器を見つけた。これで安心」という顔をしておられるから、私としては何も言えない。
といっても陛下の攻撃は常に命中しているし、敵の騎士達は悲鳴を上げることも出来ず、ただ数を減らしているだけなので別に構わないが。
陛下が十人ほど騎士達を屠った頃だろうか、敵に動きがあった。法衣の男が浪々とした声で呪文を唱え、手を高々と頭上に掲げた。
「我は汝等の御霊が天に還ること認めじ。気高き魂よ、信心が未だ残り我の声に応えるならば、父母の恩寵賜りしその身へ今一度戻りたまえ。さすれば神の御業によりて、あらゆる傷も、病さえもが癒えるであろう――再生」
騎士達のぽっかりと開い肉体の空洞が、金色の燐光を纏った小さな妖精に触れられ埋まってゆく。後には再生した肉体が鎧の内側に生まれ、再び循環を始めた血液によって脈動する。
見る間に倒れていた騎士達が甦り、戦列は回復された。その様は属性が正反対とはいえ、我等が誇る不死隊さながらだ。
陛下に倒された騎士達は、誰もが確かに事切れていたはず。それを十人も同時に蘇生させるなど、ヤツは凄まじい聖属性の魔法使いだ。
しかも息一つ切らせていない。これ程のことが出来る者は、帝国広しと云えどもジャンヌ・ド・ヴァンドームくらいだろう。
だとすれば不愉快だが、ヤツはあの女に匹敵する魔法使いということ。決して、油断は出来ぬ。
……というか、ジャンヌ・ド・ヴァンドームめ……陛下とご結婚だと? 思い出したら腹が立った!
「面白い」
私の横で、パヤーニーが笑っている。元祖不死者として、思うところがあるのだろうか。前進を止めない騎士達に向け、呪文の詠唱を始めている。
「流砂」
距離にして三十歩ほど先にいる騎士達の直下に、パヤーニーが渦巻く流砂を生み出した。
つい先程まで豊かな芝生が繁っていた地面が、サラサラとした細かな砂に変わっている。それも中央に向けて渦を巻く、全てを飲み込む地獄の流砂に――だ。
重たい鎧を身に着けた騎士が一歩でも踏み込めば、ここを逃れる術はない。
事実――砂に足を取られた騎士が、ズルズルと飲み込まれてゆく。短槍を杖代わりにして脱出を試みる者もいたが、所詮は無益なことだった。
流砂は常に下を目指し、全てを飲み込んでゆく。その前には短槍も同様で、ただの餌に過ぎないのだから。
こうして輝く鎧を纏った騎士達は、ガチャガチャと無様な音を立てて砂の中に飲み込まれてゆく。
ただ――不気味な事に、誰も悲鳴を上げていない。淡々と脱出を試み、それが果たせなければ、彼等は皆、静かに砂の中へと沈むだけだった。
「ふはは……流砂の中は、無限の闇。いくら生きながらえようとも、戦うこと能わず。余と見えたのが不幸というものよ」
これにより、五十人はいたであろう騎士達が、半数近くまで減った。
陛下に倒された騎士をいくら蘇生させても、こうなれば無駄だ。これで我等は悠々と脱出が出来る。
私も負けていられない。流砂から何とか抜け出そうともがく騎士に“光弓”を見舞って、砂の中へ突き落とす。
「来い! 炎の精霊王!」
駄目押しはシーリーンで、紅蓮の炎に身を包んだ巨人を召喚し、敵に突貫させている。
砂に飲み込まれなかった騎士達も、さすがにこれの相手は荷が思いのだろう。最初は二人、それから三人と、徐々に数をそちらに割かれていた。
それでも流砂を超えた敵が私達まで、あと十歩というところまで迫っている。残った数は十五人に満たないが、それだけに精鋭だろう。
私達の背後ではスラムの者が数十人、まだ宮殿の壁を乗り越えようと待っていた。ならばここで退くわけにはいかない。
私は残った敵に突進し、曲刀を煌かせた。
いくら敵が蘇生出来るといっても、それは手加減する理由にならない。
何より、例え自分が蘇生すると知っていても、殺されれば恐怖心を抱くはずだ。それが幾度もとなれば、やがては戦意を喪失することだろう。
仮にそうならなくとも、法衣の男の魔力が尽きれば蘇生は不可能となる。だから戦い、敵を殺すことは無駄にならないはずだ。
私は突き出された盾を飛び越え、敵の背後に回り、そして脇を貫く。脇は腕を稼動させる為、鎧が無い。そこを狙えば、いかに重装甲の鎧といえど、意味を成さないのだ。
噴出す血を避けて振り返りざま、私は隣で槍を振う騎士の肩口を狙う。ここも鎧の接合部分だ。それゆえ容易く刃が通り、騎士は苦痛の呻きを発した。
「ぐうっ!」
「回復、再生」
けれど当然、ヤツの声が響くたびに騎士は回復し、甦る。
多少げんなりとするが、まあいい、これは予測していたことだ。
やはりヤツの魔力が尽きるまで、或いは味方の脱出が終わるまで、敵を倒し続けるしかないらしい。
だが、私の見積もりは甘かった。ヤツはただ味方を回復させるだけではない――亜空間からさえも、騎士達を救出してみせたのだ。
「召還」
大司教が古ぼけた杖を腰帯から抜き、天空へ翳した瞬間だ。中空の一部が黄金色に輝き、大地が照らされた。
煌びやかな光に照らされた場所から、砂に飲まれたはずの騎士達が姿を現す。
彼等は最初、黒い陰であった。それが徐々に質感を取り戻し、やがて盾を前面に出すと、短槍を構えて再び前進を開始した。
騎士達は、以前と変わらぬ姿となった。その上で当然、流砂を踏めばどうなるかを学んだ彼等が、再び同じ轍を踏む事は無かった。
いつの間にか、私は多数の敵に正面からぶつかる羽目に陥っている。
もはや速さで翻弄しようにも再び数を回復し、面で迫る敵には付け入る隙がなかったのだ。
そして私は、この時漸く気付いた。この騎士団は、やはり一人一人も強い。特に正面から当たれば、その一撃は強力で、しかも魔法まで使ってくる――ということに。
いつしかシーリーンの呼び出した炎の精霊王も制圧されて、姿を消している。
その上、敵は、ただの一人も減っていないのだ。
「力でゴリ押しされると、厄介ね!」
私を横目に、シーリーンが言った。私も同意だとばかりに頷く。二人同時に、暫撃を盾で防がれた瞬間だった。
陛下はこの状況に辟易したのか、囚人の逃走を手伝っておられる。
「ヤツは俺がやる」と最初に仰ったのだから、是非、法衣の男を何とかして頂きたいのだが。
ともかく、こうして陛下の活躍の甲斐もあり、漸く全ての囚人が宮殿の外へ出た。
あとはハリム達が逃がしてくれるだろうから、私達は後少し、時間を稼げば問題ないはずだ。
さあ、陛下。こちらへお戻りあそばし、共に時間稼ぎを――って! なんで陛下まで宮殿の外に出てるんですかーっ!?
◆◆
「パヤーニーどの、シーリーン、へ、陛下が撤退なされた。私達も機を見て、宮殿の外へ出よう」
「ふむ、それが良かろう。外には不死隊もおるしな。なにより、あの僧侶を倒さねば、埒があかぬ」
「わかったわ。それにしても厄介ね。聖教の僧侶って、これ程の力を持っていたかしら?」
私の意見に、パヤーニーとシーリーンも同意した。
恐るべきは二人が言うとおり、確かに大司教と思しき白い法衣の男だ。
何しろパヤーニーのレールガンさえ、ヤツは弾き返している。あれはカイユームに匹敵する、多重結界を含んだ防御魔法だったのではなかろうか。
しかもその直後に味方をあっさり全回復させる魔力は、底なしかと思われる。あれを単なる人の仕業というには、些か出来すぎている――というものだった。
「貴様、人間か?」
相変わらず数名の騎士に守られたまま、呪文を唱える法衣の男に私は問いかけた。
この間にも騎士の鎧の隙間に曲刀を叩き込み、斬り伏せている。
いくら敵の騎士団が強力とはいえ、油断さえしなければ私との実力差は明らかだ。たとえ正面から戦っても、二、三、見せ掛けの動作を入れれば防御を抉じ開け、敵を斬り伏せることは容易い。
「賊如き不浄な存在に、答える口は持ちません……」
法衣の男が、薄い唇を動かして答えた。いかにも酷薄そうな細面に、冷笑が浮かんでいる。
「フランチェスコさま、申し訳ございませぬが、我等だけでは彼奴等を制圧出来ませぬ。それどころか、御身を護ることも危ういかと存じます」
私が跳躍し、新たな敵と斬り結んでいると、冑に真紅の房がある騎士が法衣の男に身を寄せ、こう言った。
その騎士は盾と短槍を構えて私を警戒しているが、冑の奥にある目は恐怖を孕んでいる。
――ああ、そうか。房のある騎士を私は三度、殺したな。
やはり幾度も戦い、殺すことは有効だった。
彼等は既に恐怖心を抱き、私の前に立つことを嫌っている。
実際、騎士達は怯んでいた。特に、幾度も絶命させられた者は瞳を恐怖で濁し、足が震えている。
やはり彼等は、断じて不死の軍団ではない。いかに強靱な心も、肉体を破壊され続ければ折れるのだ。
だが――逆にいえば、これほど戦っても、フランチェスコとやらの魔力は尽きなかったということ。些か厄介である。
「それでも、神殿騎士団の一員ですか? そのような弱気な発言を貴方がしたと知ったら、団長はどう思うでしょうね……」
部下の弱気な進言を聞いた法衣の男――フランチェスコが、溜息交じりの説教を始めた。それと同時に、冷然とした青い瞳を私に向ける。
「……ですが、貴方の意見も尤も。では一人、味方を増やしてあげましょうか」
なんだ? あの男――随分美しい――! くっ!? 魅了を仕掛けてきたのか。
私は慌てて背後を振り返り、陛下のお姿を捜す。
どうやらそのまま撤退されたのではなく、壁の上で手招きをされておられる。よかった。
私達を心配なさってくれたのだろう。陛下は優しいお方だからな――。
ああ、それにしても凛々しい。いつもの黒い鎧を纏われていたなら、今すぐだって抱かれたい。
「ふぅ――」
私がこんな桃色妄想にふけるには、訳がある。つまり、決して戦場で劣情を抱く変態ではないのだ。
敵の魅了に飲み込まれぬ為には、自身の最愛の者を思い浮かべ、精神を奮い立たせる他ない。だから私は、こんな時、必ず陛下を想うのだ。
陛下さえいらっしゃれば、如何なる拷問も耐えて見せよう。陛下の御為であれば、如何なる災厄とて振りまいてくれる……だからこんな魅了如き、何ほどのことも無いわっ!
「貴様如き下郎の魅了など、効かぬ」
「ほう」
フランチェスコが、感嘆の声を上げる。その間にも私は、また二人を血祭りに上げていた。
「どうにも本当に、このままでは埒があかぬようだ。あまり呼びたくないが――致し方ない。召喚、天使達」
フランチェスコが再び両手を広げ、天を見上げた。
するとまだ夜だというのに、天空から燦々と光が差して大地を照らす。これは召還の比ではない。まるで今まさに夜が明けたかのような、清々しさを伴う光が広がった。
光の中からは一体、また一体と背中に翼を生やした天使達が舞い降りてくる。その数は、優に百を超えるだろう。
そして、最後の二体が舞い降りた時に鳴り響いたファンファーレのせいで、私の鼓膜は破れそうだった。
一体なんだというのだ! 天使の召喚は見たことがあるが――ファンファーレなど、聞いたこともないぞ!
「行け」
フランチェスコが、高々と掲げた右手を振り下ろす。
上空から、十体程の天使が私に殺到した。
この辺りが限界だろう。
私は身を翻し、壁に向かって走る。シーリーンも私の後に続いた。
だが、パヤーニーだけは違っていた。
最後まで囮になろうとしてくれたのかもしれないが、レールガンを上空に向かってぶっ放し、好き放題に天使達を蹂躙している。
「うわはははは! 恐れを知らぬ天使共めっ! 余が滅してしてくれようぞっ! うわははは! 次はレールガン最大出りょ――ぐももっ――」
いくら覆面をしているとはいえ、目から怪光線を出せるものなど多くない。ましてやパヤーニーは特徴的なのだ。
もしもバレオロゴス側に彼が復活していることを知られれば、今回の囚人奪還を裏で糸引く人物が、陛下であろうと推測されること、まず間違いない。
――そうなれば、バレオロゴスは確実に聖教国の側に付き、戦争となる。
ええいっ! それを避ける為に、今、こうして努力をしているのだぞっ、パヤーニーめっ!
私は一端引き返し、パヤーニーの襟首を掴むと、彼を引き摺って宮殿を後にした。
引き摺りながら「あまり目立ってはならぬと、そう言ったはずです」と説教をしたのは言うまでもない。
ちなみにレールガンは、私が襟首を掴んだ際にパヤーニーが下を向いてしまった為、中空に見事な弧を描いたあと地面を抉り、かなり深くまで達して消滅した。
こうした一連の騒ぎで、ようやく宮殿に暮す人々も目覚めたようだ。そこかしこの窓には灯りが燈り、喧騒が聞こえ始めた。
「何事だ、夜も明けぬうちからっ!」
「夜が明けておらぬだと? では、先程の光はいったい……?」
「賊だ! 賊に侵入された!」
「北だ、北へ逃げだぞ! 追えっ! 森の方だっ!」
「装備は、槍と剣だけでいい! 鎧など不要だっ! 賊ごときに、そうそう後れを取るものでもあるまいよ!」
馬の嘶きと共に馬蹄の轟きが聞こえたのは、それからすぐのことだった。
どうやらバレオロゴスの正規兵も動き出し、私達の追撃に掛かるようだ。
もっとも――森は既に不死隊が固めている。彼等が追って来るならば、それは罠に向かって進む猪も同じであろう。
だが、油断はすまい。
囚人達を全て逃がし、素知らぬ顔で宿へ戻るまでが今回の任務だ。
後もう少しだけ、気を引き締めていよう――私はそう、決意した。