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バレオロゴスの罠 4

 ◆


 「まず、順を追って説明してくれ」


 平伏して救済を請うハリムに、陛下はこう仰った。


「はい、説明します。その為にも是非、俺達のアジトに来てください。住んでる家も見て欲しい! 今のバレオロゴスは、腐っている! 大公レオは自らのことしか考えておらず、そのことを、陛下にしっかりと知って欲しいんです!」


 するとハリムは額を地に擦り付け、このようにシャムシール陛下へ言上した。


「いま、特産品や交易の利権を失ったバレオロゴスが外貨を稼ぐには、人を売るしかない。人は環境さえあれば、無限に増えるのだから。

 それにシャムシール陛下。貴方が思うほどに、奴隷制度の全廃は世の中に利益を齎していないわ。特に、強引に奴隷の解放をさせられたこの国なんて、そのせいでスラムが生まれ、平民と元奴隷の垣根が無くなり――結果、この有様よ」


 シーリーンも頷き、このように補足している。

 しかしこの女は、何故か平伏していない。むしろ陛下に寄り添っている。調子に乗っているのだろうか? ハールーン王の姉とはいえ、大概にしろ。


「なるほど。この状況の責任の一端は、俺にもあるんだな」


 沈痛な面持ちで、陛下が言う。私はそっと陛下の手を握り締め、慰めるように首を振った。そして少しだけ、バレないようシーリーンから遠ざける。陛下は私のものだ、今だけは。


「どのような行いも、全ての面において成功などあり得ません。戦をすれば、勝っても負けても犠牲が出ます。奴隷の解放も、本国では概ね上手くいっておりますれば、お気に召されますな」


「分かっている。だが、この現状はやはり放置できない。ハリム、シーリーン、案内を頼む。シュラ、付いてきてくれるな?」


 そう言う陛下の声は幾分か弱く、それでも私に気を使わせまいとする優しさが滲み出ていた。


「御意のままに」


 ◆◆


 私と陛下はハリムとシーリーンの後について、スラムの奥深くへ足を進めた。

 入り組んだ路地は薄暗く、頭上には常にゴラーブがたむろしている。時折物音がすると振り返れば、胡狼シャガールが何かの死骸を漁り、それを薄汚れた子供達が槍を片手に追い払っている。

 この惨状に私は、深い溜息をついた。


「この街の七割が、こんな暮らしを強いられている。誰が居なくなっても、探す余裕なんて無いのさ」


 黒髪に褐色の肌、そして赤い目を持ったハリムが私に言う。

 聞けば彼は魔族イブリーズとテュルク人のハーフで、この街で生まれ育ったそうだ。小さいが角もある。といっても、それは逆に差別の対象になるであろうが。

 

「――だから、中途半端な力なのか」


 私はジャービルを知っているし、ザーラも知っている。だから生粋のテュルク人の膂力や魔族イブリーズの魔力に比べれば、ハリムのそれは器用貧乏と云えるだろう。

 もっともザーラに関しては、今や彼女は上位魔族シャイターン。通常の魔族イブリーズとは比べ物にならない存在故に、アレと比べられてはハリムが気の毒か。私だってあの女とは、正面から戦ったら勝てる気がしないしな。


「ま、帝国の将軍達(あんたら)と比べられたらな、誰だってそうだろうぜ」


 ボソリと呟いた私の言葉を気にしたのか、ハリムが切なそうに言った。


 細い道を右に曲がり、直進して突き当たりを左に曲がる。すると一軒の家が現われたが、気にせず家屋の中をズカズカと進む。

 陛下は「ここ、人の家じゃないの?」と驚いておられたが、スラム等では家が通路になることも、よくあること。

 家の中を歩きながら私は、


「こういうものです」


 と、陛下に説明しておいた。

 

 それから幌の掛かった長い道を歩き、緩やかな階段を降る。すると四方を重厚な壁に囲まれた、大きな広場に出た。

 床が所々剥がれ、捲れている。だが見上げるとドーム型の屋根があって、見事なフレスコ画が描かれていた。


「寺院だったのか?」


 陛下が四方を見回しながら、仰った。


 ここの作りはまさに東西の文化が入り混じった、この地に相応しいものだ。

 見上げた先にあるドーム型の天井を見るに、これはシバール式。内側からなので見えないが、屋根もきっと球形なのだろう。しかし描かれているフレスコ画は紛れもなく、西側のもの。

 つまりこの寺院は聖教の教えを内包した、シバール建築と云えるのだ。


「そうです。ここが聖教の寺院だったから、プロンデルは礼拝堂だけを辛うじて残したのかもしれません」


 ハリムが天使の絵を指差し、苦みの篭った笑みを浮かべている。


「いや。獅子心帝ライオンハーテッドは……アイツはそんなこと、多分考えなかった。運が良かっただけだろう。この寺院が、な」


 フレスコ画に描かれた天使を眺めながら語る陛下の口調は、珍しく重たいものだった。


 ◆◆◆


 かつて礼拝堂だった一角で、私と陛下、それからシーリーンとハリムが絨毯の上に座っている。

 それぞれにチャイが手渡されたのは、この場における精一杯のもてなしなのだろう。

 ここに居る人の数は、闇雲に多い。しかし忙しなく動く彼等の衣服は、どれも薄汚れた襤褸だ。履物さえ無い人々が暮らす中で茶が出てきたのは、むしろ驚くべきことだった。


「見たところ、生活は困窮しているのだろうが、餓死するほど食料が不足しているようには見えないな」


 一口、チャイを啜った陛下が口を開いた。


「ええ、食糧の配給だけは、ふんだんに来ますからね。まさにシャムシール帝国さまさまってヤツで、餓死だけは免れてますよ」


 私は眉を顰め、ハリムの口調を嗜めようとした。しかし陛下は右手を上げて、それを制する。やはり責任を感じておられるのだろう。


「先の大戦における被害は、トラキア地方が最も大きい。だから農地が完全に回復するまで、優先的に食料を回すよう手配してある」


「そうね、それは在り難いことでしょうね――でも、農地の回復って、どのくらい掛かるのかしら? 先の大戦が終わって、早数年――未だ回復の兆しを見せないバレオロゴスの農地に関して、帝国は疑問を抱かなかったのかしら? 

 というより優秀な人材が揃っているはず帝国が、ここまでバレオロゴスを放置するのだから、むしろ何か意図があるのかと疑いたくなるわ。

 ――もっとも、そのお陰で私は今まで、生き延びることが出来たのだけれど」


 シーリーンの褐色の瞳が、陛下を冷たい眼差しで見据えた。私はそれが不快で、手に持っていた茶の器を多少乱暴に置く。

 絨毯の上に少しチャイが零れたが、どうでもいい。元々薄汚れた絨毯だ。今更、染みの一つや二つ、気にもならないだろう。


「同盟国の内政に、そこまでの干渉はせぬ。だが――不審を覚えられたからこそ、ドゥバーンさまは私を遣わしたのだ」


「そう、ドゥバーン、あの小娘ね……――だったら抜かりは無いのでしょうけれど。でも、大公であるレオ五世の背後には、きっと何か、強大な力を持った者がいるはずよ。あの子は、そこまで気付いているかしら?」


「知っている。再興しつつある聖教国が背後にいるのだろう? 奴隷をかの国へ輸出し、対価を得ている。我が国の庇護下にありながら、浅ましいことだ」


「ふふ、ご名答。今や真っ二つに割れたフローレンスが、神聖帝国と聖教国を名乗り争っているわよね? そこで聖教国の聖光緋玉騎士団スカーレット・ナイツ団長フィアナと、レオ五世は密約を結んだのよ。

 フィアナとしては、いつも神聖帝国のウィルフレッドやクレアに煮え湯を飲まされているから、藁にも縋りたい気持ちだったのかもしれないけれど……でもね、じゃあこの間って、誰が取り持ったのかしら?」


「――間を取り持つ? 貴様、何か知っているのか?」


 私とシーリーンの問答に、陛下が目を見開いている。


「ていうか、え? シュラ! いろいろ知ってたの!?」


 そういえば、調査結果をまだ話していなかったな。


「ずるいよ、ずるいよ! 俺だけ仲間はずれだよ!」


 痛い。ポカポカ殴らないで欲しい。子供じゃないんだから。

 大体それは、陛下が直接彼等から話を聞きたい――なんて言ったからだ。仕方が無かろう。

 それに視察を終えたら、宿に戻ってゆっくり報告をしようと思っていたのだ。何なら、寝台の中で……はぁはぁ――っと、いかん、集中せねば。


「陛下へのご報告が遅れましたこと、申し訳ございません。ただ――これより先の話は、シーリーンしか知らぬこと。よろしければ今しばらく、この者の話をお聞き下さいませ」


「あ、ああ、そうだな。仲間はずれは嫌だったから、つい。シーリーン、話してくれるか?」


 私と陛下のやり取りを見て、シーリーンの口元が揺れている。笑いを堪えているのだろう。「貴方、シャムシール陛下の何番目?」などと言っていた。何を馬鹿なことを――へへ。

 しかし、今はそんな話をしている場合ではない。私は心を鬼にして、話題を元に戻す。


「今、そんな話をしている場合ではなかろう」


「――そうね、隠しても仕方が無いし、言うわ。

 一週間くらい前のことよ。私が西へ奴隷として護送される仲間達を奪い返そうとしたら、背中に翼のある人――そう、あれは天使マラーイクとしか言えないような――そんなものに邪魔をされたの。で、もしもあれが本物の天使マラーイクで、この地、バレオロゴスにいるのなら……」


 シーリーンが両目が、怪しげな鬼火をちらつかせている。


「なるほど、テオスの御使いが居るから、聖教国としても何ら抵抗なく、今のバレオロゴスを受け入れられた――ということか」


 私は答えたが、事は国家の機密事項にも迫る内容だけに、迂闊に喋れない。だがそれらを当然の如く知っているシーリーンには、まったく舌を巻く。

 それにしても、敵がテオスである可能性が出てきたとは。流石に陛下も驚いておられるようだ。


「だから私は考えていたのよ。天使マラーイクはあくまでも使い。だったら、テオスそのものが居るのでは――ってね。

 けれどこの世界で今、テオスと呼べるのはシャムシール陛下とジャンヌ・ド・ヴァンドーム――他には、そうね……帝国に顔を出している誰かさん(・・・・)くらいしか、私は知らない。だから最初は、ドゥバーン――あの女の策略を疑ったわ」


 シーリーンはシャムシール陛下のチャイを淹れ直しながら、言葉を続けた。


「俺は天使マラーイクを動かしていない。ジャンヌも、ハデスもだ」


 シャムシール陛下が“スッ”と目を細めた。

 元来から奴隷階級を廃止しようと努力されている陛下だ。その邪魔をテオスがしているとなれば、許し難いのであろう。


「ハデス? ああ、誰かさんは、そんな名前って聞いたわね」


 シーリーンが首を傾げている。最初から知っているだろうに、白々しい。それにしても、何処まで我等の機密を知っているのだ、この女は。

 思えばドゥバーンさまをして、手を焼かれたという。こうなってくると、シーリーンには何が狙いであるのでは? と疑いたくなる。


テオスには格がある。ハデスも俺と同じ、第一級神格者だ。そして俺の協力者でもある。第一級神格の者は俺とハデスを含めて十三柱だが、ジャンヌは……――ああ、いや、そんなことはどうでもいい。

 要するに俺達が天使マラーイクを動かしていないのだから、今回の件は必然的に、俺達を快く思っていないテオスの仕業ということだ」


 機密事項を、陛下があっさりと告げられた。まあ、最悪の場合、シーリーンもろとも皆殺しにすればいいか……。


「そう、やっぱりテオスが動いている可能性が高いのね? しかも、貴方の敵の……。

 結局、貴方達に利点があるとすれば、聖教国と神聖帝国が共倒れすることだろうけど、天使マラーイクまで与えて戦力を増強させたら、ちょっとやり過ぎだものね。

 まぁ――どっちにしてもテオスの相手なんて、ここの戦力だけで出来る訳が無い。だから私はハリム達に、ここから逃げるよう言っていたところなのよ。次の奴隷奪還作戦を最後にして、ね」


 シーリーンが軽い口調で言った。むしろ此方にカマをかけていたとは――なんて女だ!

 しかしその面持ちは何かを決意しているようで、その内心を推し量ることは出来ない。

 私はシーリーンに頷きつつ、陛下に視線を送る。

 この話が事実であれば、早急に兵を送る必要があるだろう。もっとも、その前に兵を送るべき大義名分を、でっち上げねばならないが。


「シーリーン、全ては俺の甘さが招いたこと、すまなかった。そして相手がテオスの可能性があるのなら、奴隷奪還作戦も含めて、この件は全て俺に預けてほしい。君達が動くのは、危険過ぎる」


 う。陛下がシーリーンに頭を下げられた。何ということだ。陛下の責任感が大きすぎた。

 私は陛下の頭を強引に引っ張り、謝罪を無かったことにする。


「いぎぎ……シュラ、何するんだ」


「容易く、民に頭を下げられてはなりません」


「わ、分かったから、手を放して。剥ける。頭が剥ける……」


「はっ」


 シーリーンが、シラっとした目を私達に向けている。「頭、剥ければよかったのに」と言っているから、陛下がまたションボリなされた。酷い女だ。

 でも、先程まで張り詰めた顔をしていたのが嘘のように、シーリーンはカラカラと笑った。


「シャムシール、貴方は相変わらずだわ。どこか抜けていて、憎めないのよ……」


 なんてことを言いやがる。私が睨むと威儀を正して、初めてシーリーンは陛下に平伏した。


「これまでは、大変失礼を致しました。シャムシール陛下のお申し出は嬉しゅうございますが、そうはいかないのです。今捕らえられている者達は、皆が私の恩人――だから私自身の力で助けたい。そうでなければ、私は死んでも死にきれませんから――」


 笑いを収めたシーリーンが、真剣な眼差しを陛下に向けていた。


「――気持ちは分かるが、危険だ。俺の予想通りなら、第一級神格を持った誰かが敵の背後にいる。単なる人の身で勝てるわけが無いだろ。シーリーン、自重してくれ。俺は親友の姉を死なせたくない」


 陛下は腕を組んで、首を横に振っている。断固拒否――というところだ。


「――でしたらせめて陛下と共に、今、囚われている人々を救いとう存じます。共に戦うことを、お許し下さいますよう、伏してお願い申し上げます」


 もう一度、シーリーンは平伏した。今度はゆったりとした長衣の隙間から、豊かな胸が覗いている。いや! 覗かせている!

 みるみる内に陛下の鼻の下が伸びてゆき、「うへ、うへへ」というだらしない声が聞こえてきた。

 ああ、やっぱりこの女、確信犯だ!

 

「し、仕方ないなぁ、シーリーンだしなぁ。でも、危なくなったら絶対、逃げてくれよぉ?」


 陛下も陛下だ! 胸見たさにシーリーンを連れてゆくつもりかっ!


「はっ。ありがたき幸せにございます」


 まったく――面を上げるとき、シーリーンがニヤリと笑っている顔を私は見た。とはいえ、特に文句は無い。

 この女は確かに強いのだ。私と互角か、もしくはそれ以上の実力を有している。仮に天使マラーイクと戦っても、そうそう後れをとることもあるまい。

 真実、テオスが現われたとして、こちらには陛下がいらっしゃる。負けることなど、万に一つも無いだろう。

 

 私は興味本位でシーリーンに尋ねてみた。


「シャムシール陛下は仇敵なのに、随分と容易く頭を下げられたものだな?」


「それを言うなら、よく陛下は私を許したな? って聞いた方がいいわね。それも私ではなく、陛下の方に。……ただトボけているだけとは、思えないのだけれど」


 ん? 意味が分からない。

 なのでとりあえず、私は無言でシーリーンの肩をバシバシと叩き、頷いてみせた。


「い、痛いわ、シュラ。貴方って見かけによらず、暴力的なのね……」


 痛くて当然。これは陛下に色仕掛けを仕掛けた罰なのだから。

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