バレオロゴスの罠 3
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「みんな、やめなさい! 手を出せば、死ぬわ! コイツは――化け物なのよっ!」
すえた匂いの立ち込める廃墟街に、朱色髪の女の声が響いた。
女はハールーン王の姉、シーリーンだとシャムシール陛下は仰っている。
“シーリーン”
シャムシール陛下の仰った名が真実だとするならば、彼女のことを、今もハールーン王は探している最中のはずだ。
そしてシーリーンと思しき女は、シャムシール帝を見て「化け物」と言った。ならば帝の超越的な戦闘能力を知っているということだろう。……だとすれば、やはり本物か。
彼女は簡素な麻の長衣を腰帯で縛り、そこに曲刀を差しただけのみすぼらしい格好だ。しかし整った顔立ちと凛とした立ち居振る舞いは、確かに将軍位にあった過去を思わせる。
ん? あれ? シャムシール陛下がうなだれているぞ。
「ば、化け物って……俺……」
どうやら、地味に傷ついておられるようだ。
「射ろ! 射殺せ! 帝国の犬共を中に入れるなっ!」
「「おうっ!」」
そんな最中、シーリーンと思しき女の声は男達の怒声に掻き消され、項垂れる陛下に向かって無数の矢が放たれた。
陛下は項垂れたまま、何となく矢を斬り払っている。本来であれば矢など、多少の魔力を放出して弾けば良いものを、どうしてであろう?
死んだ魚のような目で腕だけを動かし、斬れない剣で矢を払う様は逆に圧巻だが、少し気持ち悪いぞ。
もちろん私にも、容赦なく矢は迫っている。だから手早く印を結び、呪文を唱えた。
「風――」
風が私を中心に発生して、周囲にある小石や瓦礫ごと無数の矢を巻き上げた。
同時に魔剣を抜き、正面にいる首領と思しき男に私は狙いを定める。
陛下は私が駆け出した瞬間、「殺すな」と、お命じになられた。敵が何者か、知りたいのであろう。
だがそれにしても、相変わらず死んだ魚のような目だ。そんなにショックだったのだろうか? 化け物と言われたことが。
「了承ッ! 陛下は化け物であらせられますが、シーリーンと思しき女にはお気お付け召されませっ!」
「俺、やっぱり化け物なの……? 酷いよ、シュラまで……」
私の返事で、陛下がさらに凹んだ。面白くって、少し胸がキュンとする。
ともかく私は瓦礫を蹴って宙に舞い、中空の矢を斬り払いながら男へ向かって突進する。
驚愕に目を見開いた男だが、素早く弓矢を手放し薄灰色のマントを脱ぎ捨てた。どうやら戦闘に不慣れという訳でもないらしく、肩に担いだ剣を握り、近接戦闘に備えるようだ。
盛り上がる男の褐色の筋肉が、歴戦の戦士であることを匂わせている。
「ハリム、退きなさい! 手を出してはダメっ! その女も、貴方の手に負える相手じゃないっ!」
「よそ者は黙っていろ! 相手はたった二人だ! だいいち、この女は帝国の手先! マントに描かれた五頭竜の紋章を見ろっ! くそっ、どいつもこいつも、レオの野郎を黙認しやがって!」
「ちっ……なんて無謀な。帝国の将軍は、皆が一騎当千。生半可な腕では相手にならないのよっ!」
む? シーリーンが私を褒めている? ではなく――
私が横なぎに払った曲刀を、ハリムと呼ばれた男は後ろへ下り、かわした。軽く胴を払って戦意を喪失させようと思ったのだが、そこまで容易い相手ではなかったらしい。どうやら外観だけではない、ということか。中々の戦士だ。
それにしても迂闊だったな。
陛下が視察に行きたいなどと言うから、宿を出るときもマントを着用したままだった。
どうせ宮殿に行ってレオ五世に罪を突きつけるつもりだったから、実際に街を見て回ったという証拠作りの為であったが――どうやらそれが、奴等には不快だったらしい。さらに、“あちら側”の人間とも誤解されているようだ。
男が素早い突きを放ってきた。
私の頬を鋭い剣先が掠め、銀色の髪が数本飛んだ。
男の武器は柄の長い両手持ちの剣で、いわゆるバスタードソードというものだろう。東方にはなく、西方で量産されている。
それを片手で軽々扱っているところを見ると、男は大した膂力を持っているようだ。しかしそれでも、テュルク人や陛下には及ぶまい。
私は男の剣を悠々とかわし、左手で魔法を練り上げる。殺さない程度に痛めつけるには、まず動きを止めようと思った。
「壁ッ!」
男が剣を振りかぶり、垂直へ落としたところで前面に壁を出現させる。私はその壁と入れ替わり、男の背後へ回った。そして曲刀を男の首筋へピタリと付ける。
「胴体が多少なりとも、そのむさ苦しい頭を愛しいと思うなら、その場を動かないことだ」
だがその瞬間、私の魔剣が跳ね上げられる。
陛下の魔力を付与してあるこの剣を軽々跳ね上げるとは、正直私も驚いた。
見れば朱色髪の女が、私の眼前で腰を落とし、曲刀を構えている。
「ハリム――私の言う事を聞け。全員を連れて逃げなさい、時間だけは稼ぐから。貴方にはまだ、やることがあるのでしょう?」
「――シーリーン、お前こそよそ者だ。そんな奴に助けられる位なら、俺は――」
「そんなことを言っている場合!? この女はともかく、あそこで突っ立ってる男の方は、本当に化け物だわ! ヤツが動き出したら、全滅でも生温いのっ! だからお願い、ハリム。ここで、私に恩を返させて……」
――あ、陛下が膝から崩れ落ちた。よっぽど化け物と言われたくないのだろう。とうとう顔を両手で覆っている。泣いちゃったのだろうか。
というか全部私にやらせて、少しは戦って欲しいのだが。
「シーリーン!」
あ、陛下が立ち上がった。何だかプルプルしている。生まれたての子鹿みたいで、とても世界最強のお方には見えない。
そんな陛下が目を真っ赤にしながら、こっちへ歩いてくる。私とシーリーンが真剣に対峙しているのに、なんだかもう、ふざけているとしか思えないのだが。
と――思ったら、シーリーンはそんな陛下に威圧されまくりだ。歯をガチガチと鳴らして、構えた曲刀さえブルブルと震えていた。
「ハールーンが探している! ずっとだ! ……確かに俺はナセルの仇で、キミにとっては許せない存在かもしれないが、だけどハールーンはたった一人の弟だろう?」
陛下はもう、剣を鞘に収めている。シーリーンに対して両手を開き、敵意が無い事を示しているのだ。
対してシーリーンは表情を固くし、私の前から二歩ほど後ろに下がる。だがそれでも陛下の意図を察して、彼女も剣を鞘に収めた。
――なにこれ、私、戦い損? そして陛下は、存在が凶器?
「今更……――シャムシール――いや、陛下、貴方を恨んではいない。我々は覇権を巡って争い、そして私達が敗れた。それだけのことだし、納得もしているわ。ましてや今の貴方に勝てるなんて、露ほども思っていない。
だからこそ、私が戻れば弟に迷惑が掛かるでしょう。貴方は私を処罰しなければならない立場だし、私が処罰された時、弟は貴方をどう思うかしら? つまり、もはや誰にとっても私の存在は、邪魔にしかならない、ということなのよ」
自嘲気味なシーリーンの言葉に、陛下が頷いている。さらに言葉を続ける彼女は、額にびっしょり汗をかいていた。
「――とはいえ、ここで会ってしまったのは、奇妙な偶然。ハリム達は貴方をバレオロゴス公国の手先――要するに国家の皮を被った奴隷商人だと思って、追い返そうとしただけ。だから願わくば、このまま見逃して欲しい」
私はシーリーンの言葉を、些か虫が良いのでは? と思った。
「貴様、誰であれ陛下に弓引く真似をした者を、私が許すと思うか?」
「無論、ただでとは言わないわ。この命と引き換えで……」
シーリーンが両膝を地面に付き、再び曲刀を抜いて自らの首筋に当てた。
「まて、まて――シーリーン! 今死んだら、ハールーンがどれだけ悲しむか……!」
「それは、貴方が黙っていれば良いだけのこと。あの子が私の生存を信じているなら、その心の中で永遠に生き続けるでしょう」
”ジャリ――”
私の横で、ハリムが動いた。もしも陛下に敵対行動を示すようなら、容赦はしない。即座に首を刎ねてやる。
「ちょ、ちょっとまて、シャムシール陛下? どうなってる? アンタ等一体、何者なんだ? それにシーリーンも……何者だったんだ!?」
ハリムが剣を鞘に収め、私とシャムシール陛下を交互に見た。そしてシーリーンへ視線を移すと、眉を顰めて睨んでいる。
「私はかつて、聖帝ナセル陛下にお仕えした将軍の一人だった。そして此方のお方は――」
シーリーンがハリムを見上げ、申し訳無さそうに説明をした。それを私が途中で引継ぎ、言葉を続ける。
「私は帝都から派遣された、第三皇妃直属の巡検士、シュラと申す者。
こちらにおわすお方は、アッ・ザービル・シャムシール一世陛下。至高にして最強、偉大なる地上の統治者、黒甲帝にあらせられる。者共、頭が高い――控えおろうっ!」
私が宣言した瞬間、今まで弓矢を持っていた者達までもが一斉に跪く。
ハリムも初めは茫然としていたが、やがて事態の大きさに気付き、平伏してシャムシール陛下の前に頭を下げた。
当の陛下はといえば、照れくさそうに「シュラさん、シーリーンさん、もう良いでしょう……」と言い、何故か「ホッホッホ」と笑っていた。
これはまた、陛下お得意の“ねた”とやらであろうか? まったく面白くないから、正直やめて欲しいのだが。
「俺は奴隷解放戦線の指揮官、ハリム! シャムシール陛下に対し奉り、一命をとして直訴させて頂きまするっ! どうか、どうかお聞き下さりませっ!」
平伏している集団の中、ハリムが額を地面に擦り付けながら陛下に懇願を始めた。
「奴隷解放戦線だと? 解放も何も、俺は帝国内に一切の奴隷を認めていない。それが直訴? 国家の皮を被った奴隷商人? どういうことだ……? そもそもこの復興の遅さといい、いったいバレオロゴスに、何が起こっている?」
ちょっと短いです。すみません。