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沙漠の皇子

 ◆


 ああ、体が重い。

 寝台から起き上がりたくない。


 侍女が「爽やかな朝ですよ」――などと言いながら、我が寝室のカーテンを開け放ってゆくのが拷問のようだ。

 私が今日の予定を考えて、酷く憂鬱な気持ちになっているというのに。

 

「明日は朝から、お前に剣の稽古をつけてやろう。暇だからな」


「む? ならばおれも、愛しいハーディの為に魔法の特訓をしよう。暇になったからな」


 昨日の夕食時、父が宣言をすると、母も乗った。


 私はあの時、世界に冠たる大帝国の皇帝イムベラートールと第一夫人が二人揃って暇など、あってたまるか! と思ったものだ。 

 しかし到底、そんな事を口に出す事など出来ない。

 なぜなら私は、栄えあるシャムシール帝国の第一皇子なのだから。

 

 私の父は、アッ・ザービル・イムベラートール・シャムシール。

 母は、ネフェルカーラ・アル・シャムシール。


 だからこそ、私はあらゆるものから逃げる事が許されない立場なのだ。


 ――私は起こされた。

 私は、目覚まし侍女からも逃げたりしない。

 ゆえに、やむなく着替えを始める。


 大きな姿身に映る自分自身を見た。

 黒い髪は父母ゆずり――緑の瞳は母から――少し平たい顔は、父からもらった。

 まあそれよりも、とんでもない膂力と魔力を持って生まれた事の方が私としては驚きなのだが。そこに注目してくれる人は、今のところ少ない。

 それはとにかく――父母が凄すぎるせいだろう。

 

 私も既に、十歳となった。

 父からは、


「もう子供じゃないんだから、自分で着替えろよ」


 と、いわれている。

 だが私が自分で身の回りの事をすると、侍女や侍従達が困るので、正直なところ板挟み。

 父の教えには逆らえぬ――さりとて臣下を悩ませる訳にもいかぬ――というわけだ。


 なので最近宰相になったカイユームどのに、私は相談した。


「いや、陛下の仰る事はいちいち尤もですが、わりとあの人、何も考えていないので……ハーディさまの思う通りになされませ」


 そういってくれた。

 わりと不敬発言なんじゃないかと思うが、カイユームどのは平然としたものだ。

 カイユームどの位になれば父上に対して不敬でも、わりと平気なんだと私は思うことにした。

 

 それにしてもカイユームどのの外見は、若い。

 なんでも以前、一度肉体を消失した為、新たなる素体を使った――とかなんとか。

 赤い眼鏡が特徴的だが、私の目から見れば、十七歳か十八歳位のお姉さんにしか見えない。


 それで私はカイユームどのに、こんな事も聞いてみた。


「カイユームどのは若いのに、凄いです。どのように励めば、宰相になれるのでしょう? やはり父上の魔導列車を開発された功績でしょうか?」


「うん――そうですね――魔導列車もそうでしょうが――なにより、陛下と一夜を共にした結果ですよ。妻にはなれませんでしたが、宰相にはして頂けました。うふふ。

 ただ――ハーディさまは皇子殿下。やがては皇帝イムベラートールにおなりなのですから、宰相になる必要など、ないのですよ」


「……?」


 どうやら父上とカイユームどのは、ただならぬ関係のようだ。  

 だが、私にはその真相が分からない。

 一夜を共にすると、どうして宰相になれるのだろう? 私もカイユームどのと一緒に寝たいなと思った。


 む、む。


 カイユームどのと寝るなど、羨ましい。そしてけしからん!

 そう思いつつ着替えていたら、段々と父上が憎らしく思えてきた。

 勝てないまでも、ただでは負けぬぞ! 覚悟しろ、父上!

 ――っと、その前に朝食だな。

 沢山食べて、私も父上の様に、大きく、強くならねばならぬのだ。


 ◆◆


 宮殿の廊下を私が歩いていると、おでこが石になっている将軍に出会った。

 彼は”石頭将軍ラアス・ハジャル・アミール”として名高く、近頃は”武王”と呼ばれているロスタムどのだ。


「皇子も十歳になられましたかな? ははは! そのような目つきをしてはなりませんぞ! まるで母上さまのようだ! おお、恐い!」


 私を軽く片手で抱き上げながら、母譲りのこの目を貶すこの男。

 別に不快ではないが、実際に母と顔を合わせようものなら、ロスタムどのが終始遠くを見ている事を、私は知っている。

 なんて情けない”武王”だろうか――などと思いながら、私はロスタムどのの頬擦りを受け続けていた。


「ロスタムどのも共に朝食を?」


「はい、ハーディさま。久しぶりにマディーナへ戻りましたので! ハイレディンもおりますぞ! もっとも奴は昨晩飲み過ぎたせいで、今頃は頭を抱えておりましょうが! わはは!」


 そういえばロスタムどのも酒臭いな。でも、元気そのものだ。

 酒というものは、一体どういうものだろうか? 

 私も大人になったら、飲むのかな?


 そんな事は、いいか。

 だが――ということは、朝食の席に八王十妃のうち、十四人までも揃うということだな。今日は随分と豪華な朝だ。


 ――そうそう、八王十妃とは、彼らを指して言う。


 闇王ネフェルカーラ。

 天王アエリノール。

 不敗王ハールーン。

 鬼王ジャービル。

 武王ロスタム。

 不死王サクル。

 破壊王オットー。

 海賊王ハイレディン。


 そして――


 闇妃ネフェルカーラ。

 光妃アエリノール。

 謀妃ドゥバーン。

 戦妃ジャムカ。

 妖妃シェヘラザード。

 幼妃シャジャル。

 銀妃ジーン・バーレット。

 鬼妃ファルナーズ。

 神妃サラスヴァティ。

 白妃ジャンヌ・ド・ヴァンドーム。


 この呼び方は、いつの間にか民の間に広まった四行詩ルバーヤードが発端らしい。

 闇王と天王は同時に闇妃であり光妃だから、総勢で十六人になる。

 初めてこの話を聞いた人は、「全員で十八人でしょう? 十六人? なんで?」と思うのだ。これは多分、四行詩ルバーヤードを作った人のトリックなのだと思うけれど、意味はわからないな。


 ともかく今日の朝食会に不参加なのは、ハールーンどのとオットーどの。それで私は、今日、十四人が揃うのだな――と思ったのだ。彼らは共に現在、領地へ帰っていた。

 もちろん彼らの他にも、王に相応しい人はいる。私はその筆頭が、ダスターン将軍だと思う。

 しかしダスターン将軍は頑なに守護騎士ムカーティラの団長であり続けて、領地を得ようとしない。父上にとって、得がたい忠臣だと思う。

 

 さて、八王十妃の話に戻るが、実はそう呼ばれる事を特に喜ぶ人もいた。

 ”武王”と”神妃”の二人だ。

 彼らは、「もっとそう呼んでくれ」なんて言っている。なので、自ら「武王ロスタム! ここに推参!」とか「神妃のサラスヴァティじゃ! 昨夜も陛下の寵愛が激しくてのう!」なんて酒場で語っているらしい。

 父上が、


「あいつ等には、鎖でも付けた方がいいかな……」


 なんて言って頭を抱えている姿を、私は見た事がある。

 

 反対に照れくさそうな人もいた。

 ”破壊王”のオットーどのと”銀妃”のジーンさま、それから”幼妃”シャジャルさまだ。


 オットーどのは、


「ぬうしっ! こんな物しか壊せぬ男が”破壊王”などと、おこがましいわ!」


 そう言いながら、魔界の城を崩壊させたらしい。

 まったく……一体何を壊せるようになれば納得するのか、興味の尽きないお人だ。


 ”銀妃”は、照れているというか――ちょっと面倒くさい人だ。


「いやあ、私、逆に独眼竜とか呼ばれたらどうしようかと思ってましたよ。ほら、私って強いし? 銀妃って、いかにも虚弱そうで、深窓の令嬢って感じでしょう? どうも私、ねえ? どう思います? ハーディ皇子? 聞いてます? 人の話を聞かないと、皇子だからって殺しますよ? 殺した後、貴方を埋めて、私が産めば問題ないんだから――ほら、私、面白い事を言ったと思いません? 思うだろ? 笑えよ、コラ……そしてアエリノールより私に懐け。お菓子あげるから……」


 そして、恐い。


 ”幼妃”のシャジャルさまは――苦笑していた。


「あたしだって、もう二十五よ? 子供だって産んだし、いつまでも幼くないのにねぇ」


 まあ、そうだよね。と私も思った。


 そういえばシェヘラザードさまは”妖妃”と言われても、何故か否定していない。


「うふふ……私、妖しいらしいわね」


 大体の場合はこういって、微笑むだけだ。


「……うへ、うへへ……」


 父上もシェヘラザードさまの言葉に、だらしなく歪んだ笑顔で答えるだけ。

 何か理由があるのかもしれないが、今の私にはどうにも分からないな。


 朝食の時間は、いつもと変わらず始まった。

 諸王と妃達が居並ぶこの席に突如として招かれた者は、皆、大体が何も口に運べず退出する事になるという。

 だが――逆に言えば、突如として招かれる者さえいなければ、私にとっては至って日常的な光景に過ぎない。


 朝から食欲を暴走させている、”不死王イクシル”サクルどの。


 聞けば二日酔いだと必ず答える”鬼王”ジャービルどのは、頭をボリボリと掻きながら、スープだけを口に運ぶ。


 謀妃のドゥバーンさまは、双子の娘にいつも「落ち着くでござる!」なんて言ってるくせに、手を忙しなく動かし、何かしらを零しながら食べている。


 あとは――。


 母であるアエリノールさまの魔の手を逃れようとする、一歳下の我が弟――ムスタファー。

 彼は母譲りの碧眼と長い耳が特徴的で、父譲りの黒髪にはややクセがある。どちらかと言えば線の細い印象だが、やはり並外れた腕力と魔力を持っていた。

 まあ、そんな彼も毎日どんぐりばかり食べたくないだろうから、思いは理解出来る。

 

 一方では実に礼儀正しく朝食を摂るジャムカさまと、その息子。

 こちらは二歳下の弟だ。――彼、バトゥは、どうしてか私に救いを求めるような視線を稀に送ってくる。多分ジャムカさまは、厳し過ぎるのだろうな。

 バトゥは膂力こそ凄まじいが、魔力は私やムスタファーに及ばない。

 それでも八歳ということを考えれば、これからまだまだ伸びるはずだ。

 まあいい、バトゥには、ウインクをしておいてやろう。


「兄上のそういうところ、父上とそっくりです!」


 そういえばバトゥにはこの前、こんな事を言われて呆れられたが……私は気にしない。


 総合的に見れば現在の所は、魔力においても膂力においても私の方が弟達に勝る。

 だが将来的に魔力はムスタファ、膂力はバトゥに――私は負けるのではないかな。なんとなくそう思っている。

 だからといって、別に悔しい訳ではない。

 なんというか、役割――というようなものを、常日頃から父上に聞かされているせいかもしれないな。


 後は今のところ女児ばかりだから、この席で共に朝食を摂る事はない。

 一応ここは政治的な会話も為される席だから、たとえ皇族といえども、無位無官の者は参加しないのだ。


 そして朝食の時間は終わりを告げた――。

 私は重い足取りを稽古場に向ける。

 なんでも今日は、暇な王達も私の稽古を見るという。

 どいつもこいつも、大国の重臣であり一国の王という意識があるのだろうか?

 はぁ――溜息が出る。


 それにしてもムスタファーにバトゥよ――今日のところは、私が救って欲しい。

 この後、私は父上との剣術稽古。それが終われば、母上と魔法の稽古なのだ。

 思えば、生きていられる保障がない。

 どうして世界最強の生き物に終始弄ばれねばならぬのか――私は自分の運命を呪いたくなってきた。

 先に逝く兄を許しておくれ――弟達よ。


 大体父上は――五年前に魔界を平らげた。

 その際、片手で魔神にまで上り詰めたニクロスを捻り潰したというのだから、この時点で父上には、敵などいなかったのだろう。

 遠征自体も片手間で、その最中に「魔界戦記」なんて本まで書き上げていた。

 今でも念話で、父上が遠征の最中にこんな事を言っていたのを覚えている。


「なあ、ハーディ。名ゼリフになりそうな言葉はないかな? 父さん、適当な河を渡った辺りで『賽は投げられた』って言うのがいいかと思うんだけど……でもこれはパクリだから、まずいよなぁ?」


 当時の私に、パクりなるものの意味が分かるはずもない。

 結局「魔界戦記」でもっとも有名になった言葉は、「来て、見て、勝った」となった。


「多少変えたが、実はこれもパクりだ!」


 とは父上の言葉だが、それとて私には理解出来ないのだ。

 もっとも、「誰の言葉だったのですか?」と聞いたら、


「ふむ、俺が君主として振舞う上で参考にしている、ハゲだな。もっとも――彼は暗殺された。そうならない為にも、参考にしているんだ」


 ということだった。

 ……父上も、いずれハゲるのだろうか? 私も今から心配になってきた。ハゲると暗殺されるらしい。


 ハゲたくない。ハゲたくない。

 大体私の寿命はきっと長い。その長い生をハゲたまま生きねばならぬとしたら、私は、私は――。いや、しかしハゲたら暗殺される。その意味では、よい、のか――?


 ――――


 ああ、変な心配をしているうちに、稽古場へ到着してしまった。

 稽古場は宮殿の後庭、その奥にある。皇族や王家の者にしか開放されていない場所だ。

 四方を魔力の帯びた壁に囲まれたこの空間は、多少の衝撃ではびくともしない。

 なぜなら、こここそが皇帝イムベラートールスルタン達の訓練場なのだから、当然だった。


 父上は平服のまま、悠然と木剣を構えている。

 一方で、私は大人用の曲刀を構える。

 私の力は父上譲りだから、とても強い。

 なので、破壊力だけなら並みの大人を遥かに上回る。

 なのに父上は、そんな私相手に笑みを浮かべて、木剣で自分の肩を”トントン”と叩いていた。


 私は左手に魔力を集中させる。

 別に父上は、魔法を使うなと言っていない。


炎槍ナール・ハルバッ!」


 私は父上に向かって、本気の魔法を放つ。

 母上の細眉が――下がる。

 なんでだ! どうしてほっこりしているんだ!

 息子が父を殺そうとしているんだぞ!


 しかし父上は、軽く左手を翳すだけで、私の魔法を四散させた。


「ハーディ。せっかくなのだから、剣で掛かってきなさい。それでは、稽古にならないよ」


「むぐぐ」


 私は意を決して、地面を蹴った。

 

光速化スピード・オブ・ライトッ!」


 普通の者になら、目にも止まらぬ速さで私は動く。

 上下左右――私は斬撃を撃ち別けた。

 しかし父、シャムシール帝はその全てを紙一重でかわしてゆく。


「無駄な動きが多い。それでは隙を衝かれるぞ」


 私は父上に、指先で軽く肩を小突かれた。

 それだけで、壁まで体が飛んでゆく。

 これは、私が華奢なのではない。

 父上が異常なのだ。


 あっさりと魔神を倒す身体能力。

 そして、神界を崩壊させた魔力――。

 そんなモノを併せ持った化け物に、どうして私が立ち向かえるというのか。

 ハデスさまだって、言っていたじゃないか。

「黒甲帝は紛れもなく、史上最強だ――」って。


「諦めるな、ハーディ。諦めたら、そこで終わりだぞ」


 私が中々立ち上がらないでいると、父上が腕組みをして見下ろしていた。

 その顔は、”ドヤ”っとしている。

 あれは、父上が何かをパクった顔だ。

 だけど、言っている事は至極尤もなので、私は立ち上がる。


 私は父の後を継いで、いずれは第二代皇帝にならねばならぬ身。

 ならば、ここで弱音を吐くわけにいかないのだ。


 剣を杖代わりにして立ち上がった私は、その日、五十六回も父上に打ち倒された。

 そのお陰で母上の稽古は後日に伸びたが、それもまた、悔しいもの。


「我等は民を護る剣だ。如何なる者にも負けることが許されぬ。肝に銘じろ――ハーディ」


 倒れ伏す私に、父上が掛ける言葉は優しいものではなかった。

 それは私が、いずれ皇帝イムベラートールにならねばならぬからだろう。


 父上は日々、「皇帝イムベラートールとは、民の奴隷だ」と言っていた。

 彼らの為にこそ剣技を磨き、魔力を高めよ――と。


 非才なる身の私では父上の心の内が、まだまだ分からない。

 ましてや剣も、魔法も、頂の高ささえ知らない。

 もしかしたら、麓にさえ届かないことだってあり得るだろう。

 そもそもが、父上と私は違いすぎる。


 だけど皇帝イムベラートールが民の奴隷であるのなら、私は民の為に生きることを、ただひたすら、愚鈍なまでに目指そうじゃないか――。

 私の名は、ハーディ・アル・シャムシール。

 アッ・ザービル・イムベラートール・シャムシールの第一子にして、後を継ぐ者なのだから。




 ―― 異世界奴隷が目指すもの! ――


 ――了――


これにて完結です。

ここまでお付き合い頂きました皆様、本当に、ありがとうございました。

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