沙漠の帝冠 下
◆
もうすぐ、俺はシバールの帝位を得る。
真暦一七五三年が終わりを告げると共に、俺は高らかに宣言するのだ。
「これよりシバールは、その全てを我が領土とする。もって暦を帝国暦と改めるものなり!」
と。
噛まない様に言えるだろうか?
ちなみに黒甲将軍府は、現在大宰相府と名を変えている。
加えてその周囲に施されている増築によって、新年を迎えると同時に五竜宮殿と名称を変える事になっていた。
まあ、理由は簡単だな。竜が一頭増えたので。
それにしても遷都を宣言して以来、毎日一万人がこの宮殿の造営に携わり、駱駝や驢馬も引っ切り無しに出入りしているのだが、それでも完成までにはあと三年程かかるという。
なぜそれ程の期間を要するのか? 理由はある。
実は増築に伴ってマディーナの三区画を潰し、群青玉葱城まで内部に含んだ形にしようと計画しているのだ。
つまり万が一神々が攻め込んで来た際の、絶対防衛ラインというやつだな。
ちなみに歪な星型の敷地の外側には、堀が作られる。
空から見下ろすと、五稜郭と似た雰囲気を醸し出しつつある我が宮殿に、俺はささやかな喜びを感じ始めていた。
――もちろん工期を延ばす理由は、巨大で堅固な城砦を築くという目的によってではあるが、副次的な理由もある。
戦争によって冷え切ったシバールの経済を、この一大土木事業によって潤すのだ。
解放された奴隷や、戦禍によって行き場を失った平民たちが、マディーナを目指してやってくる。
それは、俺が皇帝になる事をしっているから。
ならば――何か恩恵に与れないかと考えてのことだろう。
恩恵が、これだった。
労働による対価として、彼らに賃金を渡す。
そうすれば、必然、彼らはその金を使って寝泊りをする。
娯楽を求めれば、恋もするだろう。
金が巡れば人と街は、より活気付くのだ。
俺はマディーナの城壁を廃し、代わりに二万の兵を各所に常駐させる。
同時に街道の管理を徹底し、衛星都市を発展させた。
そこで俺は、魔導列車の案を思いつく。
一度に沢山の荷物を運べれば、それだけ生活が豊かになるはずだ。
せめてマディーナの衛星都市とだけでも結べれば、様々な事が便利になるだろう。
海から新鮮な魚を取り寄せることさえ、容易になる。
――だが――そう思ったところで、魔導列車の開発を任せられそうな人材は、いない。
カイユームなら、きっと任せられただろうに。
ともかく俺は、魔導列車の案を皆に話し、今後の課題とした。
俺は今、僅かの供回りと共に、宮殿工事の進捗状況を見て回っている。
俺につき従う者は、ヴァルダマーナとハールーン。そして護衛のマーキュリーとファルナーズ、おまけでドニアザードだ。
マーキュリーは、何故か工事現場で人気がある。
「むんっ!」
「「おおおお! マーキュリーどのーー!!」」
純白の翼を広げたマーキュリーは、白のホットパンツを穿き、首に赤いスカーフを巻いている。
その姿は、異様だ。ていうか、何故に短パン?
でも、アイツ、俺より人気あるんじゃないの? なんて思った。
「副長はあれで、実に美しい声で歌うのじゃ。まさに天使さまじゃと、皆も申しておる」
ファルナーズがマーキュリーの人気について、教えてくれた。
彼女は油断無く周囲に気を配り、かつ俺が魔剣を抜く邪魔にならない位置で歩く。
……へえ、歌う筋肉かぁ。へんなの。
まあ、俺がマーキュリーに関して思ったことは、その程度だ。
俺は再び工事の状況へ目を移す。
忙しなく働く人々が、額の汗を拭う。
完成した天守を見ると、そのドーム型の屋根が黒く着色される。
屋根に施されている金の装飾も、やっぱり禍々しい。
ネフェルカーラにデザインを任せたのは、きっと失敗だったのだろう。
まあ、いい。どうせ俺がデザインしたら、もっとダメなものになるからな。
「いよいよ明日か……シャムシールどのが名実共に、余の上に立つのは」
巨大で黒光りする屋根を見上げながら、ヴァルダマーナが感慨深そうに言っている。
「帝国の東はぁ、キミがしっかり守ってよぉ」
ハールーンが純白のマントを翻して、ヴァルダマーナの肩を叩く。
「無論だ。クレイト如きに侵攻は許さぬ。安心してくれ、ヘラート王」
ハールーンがヘラート王に上る事は既に周知のことだから、ヴァルダマーナもハールーンを同格と認めていた。
それに元々、この二人の相性は良いらしい。
最近、俺達は三人で一緒にいる事が多かった。
俺としても、歳が近くて地位も近い二人と過ごすことは、結構心地よいのだ。
ていうかヴァルダマーナは、何だかんだと理由をつけてマディーナへ遊びに来る。
最近はパールヴァティと上手くいっていないのだろうか? いっそ、心配になる程だ。
「ところでシャムシールどの。実はパールヴァティが子を、その……孕んでだな」
「なにっ!? お、おめでとう」
「や、ありがとう……ではなく、だな」
違った。
ヴァルダマーナとパールヴァティの仲は、悪くなかった。
ちょっと穿った見方をしてごめんなさい。
「実はシャムシールどのに、我が子の名付け親になって頂けぬかと思ってな……まあ、中々言い出せなかったのだが」
そういう理由だった。
だからヴァルダマーナは、時々俺の下に現われていたのか。
俺もそれなりに忙しい身。
公式の場で会って、食事なりを共にして終了――なんて日もあったから、言い辛かったのだろう。
しかし、名付け、か。
「むしろ、俺でいいのか?」
まったく良い名を思いつく自信がない。なのでヴァルダマーナに聞いてみる。
「いや、シャムシールどのをおいて、頼める者は他に居まい。お主は最大最強国家の君主なのだ。名付け親となっていただければ、我が子にとって、これ程心強いことがあろうか!」
ああ、そういえばヴァルダマーナには、”神”の事を話していなかったな。
俺だって、まだまだ恐い相手がいる。
といっても此方から手を出す手段も見つかっていないし、あちらも手出しをしてこないので、今は平和だけど。
「わかった。考えておくよ。男児の場合も、女児の場合も」
「うむ、すまぬ。恩に着る」
俺が名付けを快諾すると、ヴァルダマーナはホッと息をついた。
「そういえばさ、シャムシールゥ。ボクのところもウィダードが妊娠したってさぁ――」
なにっ? おいっ! ハールーンッ! 何を言っている! お前は鬼畜だったのかぁぁ!
俺は勢いよく振り返って、ハールーンの両肩を掴み、揺すった。
それはマズイ! いくらなんでも八歳児を妊娠させるとか、どんだけ無茶なプレイをしたんだ、ハールーン!
ハールーンの頭が、ガックンガックン揺れている。
「い、痛いよシャムシールゥ」
「だって、お前、まずいよ! ウィダードはまだ八歳!」
「う、うん。だからウィダードの狂言なんだけどね。毎日お腹を擦って、『ハールーンさま、お子はきょうもげんきにございます』ってぇ。面白いでしょぉ」
ああ、なんだ。
ウィダードのママゴトか。
でもウィダードがハールーンの事を大好きなのは、見ていればわかる。本当に、早くハールーンの子供を産みたいのだろう。
「なんだ。はは、可愛いじゃないか」
俺達は暫く視察を続けてから、解散した。
ヴァルダマーナはジャービル主催のパーティーに呼ばれているらしい。
といっても、ジャービルの主催するパーティーは間違いなく血生臭い。
どうせ武闘大会とかなんとかいって、トーナメント形式の一騎討ちでもやるのだろう。
参加者を聞いたら、オットー、マフディ、ロスタム、ジーン・バーレット、ザーラ、シュラ――と、血の気が多そうなのが揃っている。
まあ、この中でならヴァルダマーナもいい線いくかな?
あれでヴァルダマーナもそういうのが好きだから、乗っちゃうんだろうな。
そう考えると、マフディは嫌がるダスターンの代わりに行くのだろう。ああ、半殺しにされるな、可哀想に。
ハールーンは素直に邸へ帰った。といっても、マディーナの邸だ。
俺は多大なるハールーンの功績に対しヘラートを与え、さらにマディーナの我が宮殿内に邸も与えたのだ。
もっとも、ハールーンがヘラート王になるのは俺が皇帝になった後だけど。
とにかくハールーンはアーザーデが料理を作って待っているらしいから、ホクホクとした笑顔を浮かべていた。
「シャムシールも来るぅ? ……あ、でも臣下の家に君主って、簡単に行っちゃいけないんだっけ? 行幸とかなんとかぁ」
うん、行けない。実はそうなのだ。
近頃はずっと俺に付き従ってくれていた武将達だけでなく、政治や経済を動かす文官達も随分と増えた。
そんな中、武将達だけを優遇していると思われる事も良くない。意外と俺も、不自由なのだ。
「ああ、ハールーンの家に行くと、次は文官の誰かの家に行かないとダメだから」
「はは……面倒だねぇ」
「ハールーンだってもうすぐ王になるんだ。面倒だぞ」
「でもボク、すぐに姉さんを探しに行くから、宰相でも置いて、その人に任せるよぉ」
おおう。
いきなり王の責任放棄とは、さすがハールーン。揺るがないヤツ。
でも、まあいいさ。ハールーンがそう言うなら、既に任せられる宰相に、心当たりがあるんだろう。
◆◆
日付が変わり、ついに帝国暦元年となった。
この日は朝から鼓や笛が鳴らされ、花火が空高く打ち上げられている。
民も兵も将も、共に歌い、踊り、今日という日を祝っていた。
俺は寝室を出ると、まず鎧を身に纏った。
冑は被らないが、いつもの格好に近い。
何故かといえば、俺は武力によって国を平定し、奪った。そしてこれからも、戦いは続くからだ。
俺はゆったりとした長衣を着る王では、ない。
あくまでも剣によって、帝位を得る――そう知らしめる為の演出である。
まあ、ドゥバーンの進言を全て受け入れただけだけど、ね。
そんなドゥバーンは、まだ半裸の身体を俺の寝台に横たえているはずだ。
昨夜は彼女の番だった。
まあ、なんというか……アエリノールと関係を持った後は、なし崩し的に順番制となった。
ネフェルカーラ。
アエリノール。
ドゥバーン。
ネフェルカーラ。
ジャムカ。
アエリノール。
シェヘラザード。
別にこの世界に一週間という概念は無いが、七日周期でこうなっている。
なんだか約二名が妙なローテーションだが、それは仕方のないことだろう。俺に休日は無い。
ちなみにこの中で最も恐ろしいのは、シェヘラザードだった。
シェヘラザードの相手をした後は、ぐったりして足腰が立たない。
一方でネフェルカーラは、割と淡白だ。
手を繋いで寝るだけで満足――とは、本人談である。ただ、それを他人に話したら殴られた。
アエリノールは相変わらずで、イチャイチャしたあとは、一緒にどんぐりで遊ぶ。
どんぐりでイチャイチャしようとすると怒るから、それが少し残念だ。
ドゥバーンは一番最初、泣いた。
「ほ、本当に、拙者ごときにお情けをいただけるのでござるか?」
そう俺に問うたドゥバーンは、小さな唇を震わせていた。
だから俺は、無言で彼女の唇を塞いだのだ。
ドゥバーンは妻たちの中で、もっとも弱い。
だからなのか、一番柔らかくて、抱き心地が良かった。
そのせいでジャンヌを思い出した俺は、最低だろう。悲しくなった。
ジャムカはその最中、無表情で動かない。
ただ、ほんのり頬が桜色になるところが、妙に可愛い。
「オ、オレも動いた方がいいのだろうか?」
こんな事を聞いてくるジャムカは、そのままでいいと思う。
戦場での凛々しいジャムカと、ベッドの上で固くなるジャムカの対比がたまらないと思う俺は、変態かもしれない。
ともかく俺は、もう童貞王ではない。童帝とも言わせない。
さて――行くか。
俺は長い廊下を歩き、戴冠式を行う大広間へと向かう。
宮殿そのものが建設途中だとはいえ、それは世界最大の巨大で荘厳な宮殿を建立しようとしているからだ。
ドーム状の屋根を持つ宮殿中央部は、既に完成している。
その荘厳さは、既に美花宮殿に勝るとも劣らないだろう。
「アッ・ザーヒル・シャムシールさま、ご入来ーー!」
俺が巨大な両開きの扉を前にすると、室内から大きな声が響いた。
扉を開くのは、屈強そうな二名の奴隷騎士だ。
彼らの俺を見る目が、やたらと輝いている。
照れるやい。
俺は漆黒のマントを翻しつつ、真紅の絨毯を踏みしめて歩く。
玉座は黄金作りで、赤いふかふかクッションの上に真新しい帝冠が乗っていた。
玉座の左右に立つ者は、左が真教の大祭司。右が聖教の枢機卿だ。
この日の為に、俺は二大宗教の指導者二人に協力を要請した。
――いや、正直に言おう。拉致した。
闇隊の力を持ってすれば、その程度の事は容易なのだ。
皇帝になるという事は、宗教問題も避けては通れない。
即ち、この国が真教国ではなくなる――ということだ。
ただし、それは宗教を排斥するという事ではなく、共存させるということ。
ならば我が国においては二つの宗教、そのトップが共に立つことこそ理想である。
だから彼らには懇々と、俺自らが理想を語り、聞かせ――脅して身柄を拘束したのだ。
「死にたくなければ、協力しろ。代わりはいくらでもいる。無論、協力すれば……褒美をやるぞ? くくく……望みの、な」
と言ったのは、あくまでもジャービルであり、俺は悪くない。へへん。
ちなみに大祭司は酒と美女で篭絡し、枢機卿は金と邸で手をうった。どちらも立派な生臭だな。
「――我等真教徒一同は皇帝陛下の恩寵の下、布教の許しを得たること、感謝に絶えませぬ」
「我等聖教徒にとり、オロンテスの地にある聖堂へ自由に出入り出来まするは、感無量の至り。陛下のご即位、我等一同お喜び申し上げます」
緋色の衣を纏った枢機卿と、純白の司祭服に身を包んだ大祭司が階の下に下りた。そして俺のマントの裾を、二人がそれぞれ持って従う。
俺は自ら帝冠を掴み、頭上に乗せた。
――つまり俺に冠を授ける者はなく、力によって奪ったというパフォーマンスだ。さらに従うものは、二大宗教の両巨頭。
「これよりシバールは、その全てを我が領土とする。もって暦を帝国暦と改めるものなり!」
振り返った俺は、居並ぶ将軍や官吏に向かい、宣言した。
噛まなかった。良かった。
俺に従って背後に立った枢機卿と大祭司の顔色は、少し悪い。
多分、悪逆非道の皇帝に力を貸してしまった無力感に苛まれているのだろう。
散々自分達もいい目をみたのに、よくも良心に呵責など感じられるものだ。
――違うか。
これからは聖教も真教も、俺の下に平等だ。
となれば宗教の頂点でさえ、俺は届かぬ頂となる。それが奴等は悔しいのだろう。
「「アッ・ザービル・イムベラートール・シャムシール万歳!」」
広間に響くのは、俺を称える声だ。
意味は――明らかなる皇帝シャムシール、ってとこだろう。
今後、国号がシャムシールになる。
なんてこったと思うが、今更だ。
まあ、さし当たって俺の名前が伸びただけだ。問題は少ない。
ただ、日本風に考えるとこの名前って、日本皇帝って苗字で、明って名前か。かっこ悪い気がしてきた。しょぼん。
さて、本日のメインイベントは、まだまだ続く。
二つの宗教――その責任者がいるということは、正式に婚姻を認める者がいるということだ。
ここからはネフェルカーラから順に、夫婦の契りを正式に結ぶことになる。
ネフェルカーラは当然、真教で。
アエリノールは改宗していたが、再改宗して聖教で。
ドゥバーンは、
「拙者、シャムシール教にござる」
なんて言っていたから、ジャービルが仕切って。
ジャムカはクレイトの司祭がいないので、何故かナスリーンが沙漠民風で。
どうやら遊牧民としての祖先が同じらしく、沙漠民とクレイトは似通った所があるらしい。
シェヘラザードは真教の大祭司が――と。
一人一人が豪奢なドレスを身に纏い、順に臣下達を前に誓いを立ててゆく。
別に指輪の交換がある訳でもないし、誓いのキスを交わす訳でもない。
聖教ならば、聖杯に注がれた聖水を二人で飲み干せば儀式は完了するし、真教ならば、互いの持ち物を交換すればいい。
基本的には、その程度の事に過ぎないのだ。
こうしてつつがなく儀式は終わり、いよいよ街を――国を挙げての宴となる。その時のことだった――。
「神の御使い――そう申す者が、参っております」
玉座に座った若干お疲れ気味の俺に、そう告げたのはオットーだった。
奴も暫くしたらセシリアと結婚するらしいが、今、その表情は引き締まっている。
俺も、神と聞けば、緊張せざるを得ない。
「通せ――ただし、執務室の方へ」
だが、使いだ。
まずは口上を聞こうと思った。
今は祝いの席。ここでまた戦の話になっても厄介だ。
一先ず、用件は俺一人が聞く事にした。
ネフェルカーラにこの場を託し、俺はファルナーズとドニアザードを従えて、執務室へ入る。
いや、ファルナーズとドニアザードを従えているのは、早速浮気をする為ではない。
彼女達は、相変わらず俺の護衛なのだ。仕方がないだろう。
俺が執務室へ入ると、灰色のローブを纏った猫背の男が立っていた。
「まずもって、おめでとう存じます」
短い褐色の髪、突き出た頬骨、薄い無精ひげ――有体に言えば、実に貧相な男だ。声も弱弱しく、か細い。
しかし発する威圧感は、プロンデルのそれに劣るものではなかった。
「貴方が、神の御使い――か?」
俺は油断無く男に目を配り、椅子に座る。
俺の前には、男から俺を隠すようにファルナーズとドニアザードが立ちふさがった。
「さよう――我は主神の御使いにして、第一級神格者のハデス。よしなに」
第一級ってことは、あれか?
前にジャンヌが話していた、主神に次いで力を持つ残り十一人の一人ってことか。大物だな。
「こちらこそ。ところで、本日はどのような用件で?」
「――はい、簡単な事にございます。半神シャムシールどの――貴方に神格を授けに参りました」
「は?」
俺の頭は、メテオストライクだ。
ああ、そういえばジャンヌも言っていたな。有資格者には神が直々に神格を与えに来るって。
これのことか?
ていうか、俺って神の敵じゃなかったのか?
竜達も倒したし、食ったし。
なんなら、庭を荒らしたけど?
「ふ、ふふ、ふふ……あのような些事に拘るほど、我等、卑小にあらず。全ては主神の思し召しによるものにて……貴方が気に病む事など、何一つございません」
あれ? 俺、何か言ったっけ? この人、俺の質問に答えていないか? 謎だ。
「そういう、ものですか?」
「はい、そういうものです」
「だが、俺は貴方達がこの世界を狙っていると、そう聞いている。この話に侵略の意図があるならば、お受け出来ないが?」
「ふむ――シャムシールどの、貴方は、一体何者ですか?」
顔色の悪い神が、首を傾げる。
両手を前で組んでいることから、敵意は無いようだ。
しかし質問の意図は分からない。
「半神で――原人、ですが」
「正解です。ならば、我等は根本を同じくする。にも拘らず、争わねばならないのですか? 少なくとも私は、共存出来ると考えていますが」
「……それは、主神も同様でしょうか?」
「さあ……あのお方の御心は、図りかねます。ですが私も十二柱神の一人。なれば、貴方が信じるに値する者だと自負しております。それに、今日は貴方にお土産があります」
窪んだ眼窩の奥で、理知的な目を瞬かせるハデスに悪意は無いようだ。
何かを思い出したようにハデスは掌を合わせて、”パン”と音を鳴らした。
かつてジャンヌは言っていた。
神々も一枚岩ではない、と。
だったら、ハデスは俺の味方なのかもしれない。
少なくとも神界の者で最初にコンタクトをとってきた男が、ハデスだ。そして彼に敵意はない。
「う、うわぁ!」
ハデスが打ち鳴らした手を広げると、何も無かった空間から純白の少女が現われる。
ごろんと中空から落ちた少女は、白い髪に白いワンピース姿で、紫色の目を見開いていた。
「てへぺろ」
それは、ジャンヌだった。
俺は慌てて立ち上がり、ジャンヌの側に駆け寄った。
ジャンヌはそのまま絨毯の上に座り、俺を見上げている。
スカートの裾を押さえているのは、まだパンツを穿いていないからかも知れないな。
「ジャンヌ……おかえり。あと、これ……」
俺は鎧の胸元をあさり、ジャンヌのパンツを取り出した。
かつてホカホカであったそれは、もはや冷たかった。
だが、多少の染みはかつてのまま。
思えば俺は、幾度その匂いを嗅いだだろう。
正直にいえば、咥えたことだって……。
しまった――。
ファルナーズとドニアザードの視線が、矢の様に刺さる。
(変態だ、変態がいる)
そう思われていることは、想像に難くない。
二人のジト目が、痛すぎる。
「ありがとー! シャムシールちゃん、ちゃんと持っててくれたんだね!」
我が心の葛藤も意に介さず、ジャンヌは俺の手からパンツをもぎ取った。
そしていそいそとパンツを身に着けたジャンヌは、消えた後の事をサラッと語ってゆく。
「いや、ほら、僕って半神じゃない? 死んだらさ、神界に行くんだよね! あはは! そこでさ、ハデスちんが力をかなり使って、復活させてくれたわけよ! で、シャムシールどのとの間を取り持って欲しいっていうから――!」
で、結果、ハデスさんはガリガリになった、と。
とんでもねえ話だな――と思った。
けれど、そうまでして俺と誼を結びたかったハデスの心意気は理解できる。
十分だろう。
神格とやらを受け入れても、良いと思った。
「わかりました。ハデスどの――神格を頂きましょう」
「ふう――良かった。断られたらどうしようかと思いました、本当に」
右手で胸元を押さえ、ハデスはホッと息を吐く。
その様は、疲れきった中年サラリーマンのようで、哀愁を誘う。
「では――アッ・ザービル・イムベラートール・シャムシールに第一級神格を授ける――謹んで受け取られよ――」
中空から突如として現われたのは、小さな白い杖だ。
淡い光を放つそれは、手を伸ばした俺の掌へ、吸い込まれるように落ちる。
「第一級?」
「シャムシールちゃん、第一級って……」
ジャンヌが驚きに目を瞬いている。
「さよう。貴方ほど強大な方を、第二級に押し留める訳にも参りますまい。よって十三人目となるが、第一級神格を授けよ、と、主神は申しておりました。ふふ……」
ふむ。
するってーと、俺は世界に十三人しかいない神様の一人になったのか?
そんなところか?
ということは、現在目の前に居るハデスさんと、同格?
「さよう――私と同格ですな」
おい、心を読んだな? やっぱりあんた、人の心を読めるんだな?
なら、尚更そういう奴とは、戦いたくないぞ。
「同感です――故に、私は貴方を懐柔すべきと、主神に進言致しました」
俺は頷いた。
確かに戦うよりも、共存する方がいいだろう。
だが、俺には戦わなければいけない理由もある。
天使達を奴隷にした神々は、やはり報いを受けねばならないだろう。
「それも――同感です。が、主神に挑む事は、憚りながらお勧めしかねます。私もこう見えて強いのですが――私と貴方が協力しても、主神の力には及ばないでしょう。ですから、ね。ここまで言えば、お分かりでしょう?」
「……今は力を蓄えろ――と?」
今度は口に出す。
どうせ思考を読まれるなら、言っても言わなくても同じ事。
だったら、言った方が互いにすっきりするだろう。
「然様。時が至るまで――互いに雌伏の時と考えませんか?」
「つまり俺の後ろ盾を、ハデスどのが?」
「力不足かもしれませんが、ね。正直、貴方を主神に潰させるには、惜しすぎる」
「……貴方が俺を助ける理由は、一体?」
「――ルシフェルは、私の友だった――私は彼の思念が残るこの地が、好きなのです。それに――そのルシフェルが叛旗を翻したことにより、私は妻と娘を主神に奪われた――だが、当時の私に抗う術などなく――」
ハデスを信じるか、信じないか――。
俺は信じようと決めた。
ハデスはルシフェルの友だったという。もちろん、それも一要素だ。だがそれよりも、ハデスの中に、主神へ対する深い恨みを俺は感じた。
言葉の最後に、ハデスの奥歯が”ギリッ”と鳴ったのだ。
それだけじゃない。
ハデスという男は風貌に似合わず、朴訥としている。だから、好感は持てた。
多分、恨みがなければこの男は、第一級神格者にまで上がる事もなかったのだろう。
それに今後は俺としても、内政の充実を図らなければならない。
国力を上げたら魔界へ侵攻し、蛮族を討ち、上位魔族の圧制から魔族達も救いたい。
時間は、いくらあっても足りないのだ。
だからまだ、正直なところ神々と事を構えたくない。
俺は頷き、ハデスも頷いていた。
そして彼は、音もなく執務室から去ってゆく。
ただその場に残された白い杖が、確かに彼が訪れた事を示していた。
ジャンヌが何かをやり遂げたような顔をしていたが、所詮は久しぶりにパンツを穿いただけのことである。
俺は久しぶりに、ジャンヌを抱きしめた。
「ちょ、ちょっと、シャムシールちゃん! 苦しいよ!」
「うるさいな。無くしたと思った抱き枕が戻ってきたんだから、ちょっとくらい、いいだろ」
ジャンヌもいつの間にか俺の背中に手を回し、小さく呟いていた。
「ただいま……心配させて、ごめんね……」
◆◆◆
俺は窓辺へ行き、外を眺めた。
宮殿の広大な前庭が、俺の眼前に広がっている。
喜び歌う人々が見える。
男女が手を取り合い、訪れた平和に酔っていた。
誰もが輝かしい未来を信じ、煌くような笑顔を見せている。
俺は、皇帝になった。
だけどそれは、始まりに過ぎない。
どんな皇帝になるか――すべてはこれからだ。
インフラの整備――経済の発展――奴隷制の廃止――それから軍制改革。
究極の目標は、あらゆる種族が平等の権利を有し、話し合いをもって様々な問題を解決すること。
結局、神々はその過程で倒さねばならないだろう。
不断の努力と不退転の決意が必要だ。
けれど、俺はやりぬくと決めた。
もう、自分の立場から逃げようとするのはやめた。
俺は再び長い廊下を歩き、大広間へと向かう。
翻るマントの裏地は真紅――。
すれ違う人々が、俺に恭しく頭を下げる。
俺は彼らの為にこそ、皇帝になった。
だからこれからも彼らの為に、俺は出来る事をする。
皇帝とは、民衆の奴隷に過ぎない。
だからこそ俺は彼らの上に立つのではなく、下で支えるような、そんな皇帝であろうと思うのだ。
最終話も10/24(今日)中に投稿します。