表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
133/162

第三次カルス会戦 12

 ◆


 二つの白刃が絶えず弧を描く。

 刃と刃がぶつかる度に、火花と衝撃波を辺りに撒き散らす。


 俺とプロンデルの戦いは、互角だった。


 だけど俺は知っている。

 プロンデルは巨大な魔法を使ってしまった為に、もはや万全ではない。

 恐らくプロンデルが俺に匹敵しうる膂力を得るには、魔力を身体に流し込む必要があったのだろう。

 といっても、それで俺が有利になったかと言えば、違う。


 だから漸く、互角――なのだ。


 ”ギィィィン!””ギィィィン!”


「シャムシールよ」


「……なんだ?」


 激しい攻防の合間、プロンデルは荒い息遣いながらも、俺に話しかけてきた。


「なぜ、あのような冑を被り、顔を隠しておった?」


 唐突な質問だった。

 俺としては防御を考えて、常に冑を着用しているつもりだった。

 それにアレがあれば何かの際、ネフェルカーラとすぐに話が出来る。便利なのだ。

 なので殊更、顔を隠しているつもりはなかった。


「余は……どのような場合も、逃げ隠れせぬ――それが矜持だ……主君たるもの、そうあるべきだと思わぬか?」


 いまいち、プロンデルの言いたい事が分からない。

 冑で顔を隠すような男は、王にあらず――とでも言いたいのか?

 だとしたら、まあ、仕方ない。

 俺は別に、王になりたくてなった訳じゃないからな。

 だから正直に答えてやる。


「別に、思わない。大体、お前は、そんな個人的な気持ちの為に戦争を起こしたのか? そうだとしたら、俺にはまったく――お前が理解出来ない」 


 プロンデルの左足が大地を蹴った。


「余を理解しようと思わぬ者に会ったのも、久しいな……もっとも、余に理解を示すものの大半が、表面上だけであったが」


 なにやら感慨深そうな事を言いつつも、その速力は変わらない。

 俺は身体を捻るような体勢から、プロンデルの突きを払う。

 体を軸から回転させて、俺は自らの持てる力の全てを魔剣に注ぎ、プロンデルへ叩き付けた。

 結果――プロンデルは剣を持ったまま豪快に吹き飛ぶ。

 

 剣と共に飛ばされたプロンデルは、二回転する。

 起き上がろうとするプロンデルを、俺は岩魔法で串刺しにしようと狙う。

 中々に俺もえげつなくなってきた。

 しかし相手がプロンデルなら、仕方がないだろう。

 俺の詠唱が終わると、瞬時に大地が変質して鋭い岩肌が隆起した。


「はぁっ!」


 しかし左手で岩を砕くプロンデルは、そのまま跳んで俺に斬撃を放つ。

 突き上げた岩の威力をそのまま利用したのか、今度は俺が吹き飛ばされた。


 そして迫るのは、風の刃――。

 

 プロンデルは、ソニックブームを放てるとでもいうのか。

 俺は両腕を交差しつつ身体をガードした。しかし、風圧で再び飛ばされ、岩に背中を打ち付ける。


「ぐっ……!」


 息がつまった。

 それに、口から血も出てきた。

 鎧を着ていても、その中がダメージを負ったらこうなるって事だ。

 内臓をやられたらしい。


「帝王とは、絶対であり唯一無二のものだ……」


 プロンデルは俺に迫りつつ、先ほどの問答を続けようとしている。

 正直、面倒だ。


「そんなものは、錯覚だ。帝王などいなくても、民は暮らしてゆける!」


 だが――俺はそもそも独裁や帝政にアレルギーがある。

 そりゃあそうだろう。だって俺は、平和な民主国家で育ったのだ。

 今更江戸時代に戻って、


「将軍様、へへー」


 なんてやりたくない。

 やりたくないし、将軍さまが居なくても、立派に世の中は回っているのだ。

 ただ、この世界の民度といえば、奴隷を許容するレベル。

 だから君主が必要とされるだけのこと――。

 俺の代わりなんて、正直言ってしまえば誰でも務まる。

 仮にもし俺がここで死んでも、ジャービル辺りが鎧を着て誤魔化せば、二ヶ月程度ならバレないだろう。


「ほう――帝王がいなくとも、民は生きてゆける、と?」


「ああ。その逆はないけどな!」


 そう。

 民があっての帝王――俺はそう思っている。

 だから嫌なのだ。だから上になんて、立ちたくないのだ。

 だって人に好かれるということは、とてつもなく大変だ。

 それなのに帝王は一人、民はいっぱい、なんだぞ。

 つまり上に立てば、それだけ多くの人に好かれ、或いは愛されなければならない。

 同時に、下の者の生活の保障だってしないといけないんだ。

 どう考えても、逆奴隷じゃないか! 王さまなんて!


「民があっての、帝王だと?」


 俺の言葉に、きょとんとした表情を浮かべたプロンデルは、妙に隙だらけだった。


治癒ヨアーレグ


 俺はすぐさま回復呪文を唱え、次の攻撃に備える。

 きょとんとしてくれて、助かった。

 

 もっとも、そんな時間も長くは続かない。

 プロンデルをみれば、剣を大地に刺して、両手の平を俺に向けて呪文を詠唱していた。


「無音の中より舞い来る王よ。永久さえも汝の前では震え慄く乙女に過ぎぬ――風を従え、炎を統べし帝王よ――我は汝に請い願う――破壊の魔剣を我に授けんことを――」


 おいおいおいおい。

 俺は目の前で展開される紋様が恐い。

 プロンデルの掌から、二重、三重の魔方陣が展開してゆく。

 さらに言えば、俺の身体を縛るように、上下左右に魔方陣が展開された。

 俺の周囲の魔方陣は赤く、プロンデルの掌から出た魔法陣は青だ。

 ちなみに俺の股間から少しだけ漏れたアレは、多分黄色だろう。


 めちゃくちゃ恐い。


 冑、冑! クレアに冑を吹っ飛ばされたせいで、頭丸出しだよ!

 こんな大技を隠していたから、俺に冑を被られたくなかったのか、プロンデルめ!


「余は――貴様あってのシバールだと思うがな――ははは。故に、冑は要らぬと申しておる。それを皆も望むだろう」


 違った! 

 だけど冑はいらぬっていうけど、このままだと頭が吹っ飛ぶよ!

 冑、いるってば!

 

 何か、対抗策はないか――なにか? やはり禁呪には禁呪か?

 だったら、俺が先に詠唱を終わらせられれば――!


 得意な魔法を選ぼう!


 俺の得意な禁呪は、”絶対零度の吐息(アブソリュート・ゼロ)”だ。

 だがこれは、効果範囲が広すぎる。


 あああ、考えろ。

 そうだ、効果範囲を狭くするんだ。

 プロンデルだけを凍らせるんだ。

 フローズン・プロンデルだ! おいしいかな?

 ああもう! おいしいわけないだろ! 自分の思考がおかしいよ!


 よおおおし! やるしかないっ!


「――おお、女王よ――麗しき貴女は吐息さえ、三千世界を氷結なる美へと変貌せしめる我が宝珠なり――」


 よし、こっちの呪文の方が詠唱が短い。

 いけるぞ。


 俺も魔剣を地面に刺して、両手の平をプロンデルに向ける。

 魔力に指向性を持たせるため、前方に複雑な紋様の魔方陣を展開させてゆく。

 本来ならば上空に、超巨大な蒼い魔方陣が描かれるところだ。

 しかし俺が強引に圧縮したため、今にも暴発しそうな魔方陣が、俺の前方で揺れている。

 多分――プロンデルの魔法もそうなのではなかろうか?

 やはりプロンデルも、魔方陣を制御するのに手間取っているように見えた。


絶対零度の吐息(アブソリュート・ゼロ)!」


破壊王の魔断(アブソリュート・キル)!」


 俺とプロンデルの詠唱は、ほぼ同時に終わった。

 

 俺からは全てを凍らせる絶対零度の刃が伸びて、プロンデルからは闇の刃が、所々赤いモノを迸らせながら俺に迫る。


 ――そして中空で二つのエネルギーは激突した。


 ”バリバリバリバリ――”


 黒い波動が凍てつき、割れる。

 割れたあとから黒い刃が氷に突き刺さってゆく。

 魔力と魔力のぶつかりあいだろう。

 ならば、俺に分がある。


 俺はありったけの魔力を掌に込めた。

 そしてゴリ押しだ。

 本来のプロンデルならば、俺に押し切られる事も無かったかも知れない。

 しかし、あれ程の大魔法を使ったあとだ。

 

 だから俺の――絶対零度の吐息(アブソリュート・ゼロ)が勝った。


 しかし流石はプロンデルだ。

 今は剣に両手を付いて、身体を支えるようにして立っていた。

 凍り付いていない。

 フローズン・プロンデルにならなかった。

 最後の最後でレジストしたのだろう。

 

 だが、俺はまだ魔法を放てる。

 

 辺りを見れば、俺の頼もしい部下――いや仲間たちは皆、勝利を収めていた。

 だから、俺も勝つ。


 俺は氷の魔法が得意――だが――ユウセイの得意な魔法だってある。


「太陽より赤き炎の帝王は何処? 世界の果てに至るまで、汝の力及ばぬ場所はなし――我は汝に請い願う。我が敵を滅ぼし給え――紅蓮華昇炎クリムゾン・フレイム!」


 これで水蒸気爆発でも起こしてしまえ!

 と、思ったら、ここでそんな事をしたら、俺の味方が死ぬ――!


 だから咄嗟に右手で紅蓮華昇炎クリムゾン・フレイムを展開――左手でプロンデルを覆う結界を作り出して、その中だけに炎を送り込む。


 俺の周囲にはあり得ない程の魔方陣が展開して、浮いている。

 赤いもの、紫色のもの――立体のもの、平面のもの――浮かんでは消える魔方陣は、いっそ幻想的だった。


 そして俺が手から撃ち出した炎は大気の海を駆けて、プロンデルに直撃する。


「ぐおおおお……」


 足元から頭の先まで、紅蓮の炎に包まれたプロンデル。

 そしてすぐに爆発が始まった。

 結界が無ければ、地形を変えてしまう程の威力をもっているだろう俺の魔法だ。


 ネフェルカーラとアエリノールさえ、唖然として俺を見ている。

 ハールーンは……寝てた。

 ねえ、なんで? ここで寝る? ねえ、ねえ? 安心しちゃったかな?

 お前か? 最後の最後で寝るのは、お前だったか?

 俺、わりとピンチだったんだよ――これで勝ったけど――。


 と、思ったが、撤回する。


 鎧は見る影も無くなっているが、黄金の髪を獅子の鬣の如く纏う男が、結界の中でゆらりと動く。


 プロンデルは、生きていた。


「ゼエ……ゼエ……」


 自分の呼吸音がおかしい。

 けれど、確実にプロンデルを仕留めなければ――もう一つだ。

 最大最強の魔法を――。


 俺は瞼を閉じて精神を集中し、残りの魔力をありったけ、体中からかき集める。

 そして詠唱を開始した。


「暗き闇より現われし王よ、我は請い、願う。全てを灰燼と化す炎を――そして永久を彷徨える闇を――。汝は我に従うべし。我は汝に恩寵を与えん――」


 プロンデルの足音が聞こえた。

 

 ”ザッ””ザー”


 足を引きずっているのか?

 よかった。詠唱が間に合う――。

 でもなんか、禁呪って中二っぽい――とか、どうでもいい――!


「黄昏に願う闇の王は、やがて魔神の高みに上るであろう。それは破壊――贄――遍く全てを捧げるがゆえに――闇炎烈壊ダークネス・フレイム!」

 

 プロンデルを闇が覆う。

 降りしきる雨が消えて、俺達を取り囲んでいた結界が崩壊する。

 雲が割れ、太陽の光が見えた瞬間――どす黒い影が光を覆い隠す。

 

 世界が闇色に染まり、プロンデルだけが赤々と燃えていた。

 しかし人が燃える――という状態ではない。

 プロンデルの体の内から、炎が溢れ出していた。


 なんて魔法だ――。

 俺は正直に思う。

 生物を殺す事に特化した禁呪だとは知っていた――だけど、これは――。


「ううううおおおおおおお……!」


 プロンデルの断末魔が響く。

 よろよろと、足を縺れさせながら、俺の側へ迫るプロンデルは、鬼神の様相を呈していた。


「シャムシィィィル!」


 凄まじい雄叫びが、プロンデルの口から迸る。

 俺の名を呼んでいた。

 そしてプロンデルは、闇炎烈壊の炎を全て飲み込んだ。


 馬鹿な――!

 なんて思う時間は無い。


「おおおおぉぉぉ!」


 俺はプロンデルに突進した。

 もう、魔力は無い。剣で勝負するより他、ないのだ。

 だが、勝機はあるだろう。

 プロンデルは、最大最強の禁呪を喰らっている。生きているだけで奇跡なのだ。


 闇が晴れ、雨上がりの瑞々しい世界が広がった。


 俺とプロンデルの剣が、再び交差する。


「負けぬぅぅゥゥ!」


 プロンデルは、叫ぶ。

 しかし俺はプロンデルの剣を、弾き飛ばした。


 もはやプロンデルに、力は残っていなかったのだ。

 プロンデルの全身は、焼け爛れていた。

 黄金色の髪もくすんで、見事だった鎧は、残った一部さえ煤塗れになっている。

 両膝を大地にがっくりとついたプロンデルは、泣いていた。


「シャムシールよ……余は、負けたのだな……」

 

「ああ、俺が勝った」


 辛勝だけど。とは言わない。

 俺は勝ったのだ。

 そして、心臓が痛い。

 魔力を使いすぎたせいだろう……声を出しても、身体を動かしても心臓が破裂しそうだ。


「余の、代わりはいる……そうだな、シャムシール」


「国にとっては……」


「……どういう意味か?」


「俺としては、お前みたいに恐い奴の代わりがいても、困る……」


「く、くくっ……余も、シャムシール。そなたが二人いては困るな……」


「……はは……」


 プロンデルの潤んだ瞳と、目が合った。

 悔しくて、悔しくて、プロンデルは泣いたのだろう。

 俺にはない、精神構造だ。

 だが――どういう訳か、理解出来る。

 だから名残惜しく、暫く見詰め合った。


「……そろそろ殺すぞ、プロンデル」


「ああ、シャムシール。またいつか、剣を交えようぞ……」


「それが、これから死ぬ奴の言う言葉か?」


「ああ……死ぬからこそ、だ」


 俺はプロンデルを、殺したくない。この時、確かにそう思った。


「プロンデル」


「……なんだ、友よ。早くやれ」


 プロンデルは瞼を閉じて、にべもなく言う。


 おかしな話だった。

 互いに死力を尽くして殺し合い、その挙句に得たものが友情だった。

 プロンデルは多くの部下を死なせ、領土を失い、自らの命さえ失おうという時――。

 俺も多くの部下を失い、自らも瀕死だというのに、笑みがこぼれる。

 

 度し難い馬鹿――っていうのだろう。


 でも、だからこそ俺は、プロンデルの首を刎ねた。

 友だからこそ、殺す。

 意味の分からない理屈だ。

 だが、確かにここには、それがある。

 羨望――敬愛――友情――多分、俺の刃には、そんなものがこもっていただろう。

 不思議と、プロンデルを憎いとは思わなかった。

 多分、自分が殺されたとしても、俺はプロンデルを恨まなかったと思う。

 俺はきっと、これで君主になれたのだ。

 君主とは、そういった身勝手な者なのだから。


 プロンデルの体からは、血が出なかった。

 ただ、プロンデルの身体はそのまま、光の粒子となって何処かへ消えた。

 これが、半神デミゴッドの死なのだろう。

 いずれまたプロンデルが復活したとして、俺は戦うのだろうか? それとも、友として生きるのだろうか……。


 だが――ともかく終わった。

 俺は、俺達は、勝ったのだ――。


 ――――


 う……全身が痛い。

 魔力も枯渇して、回復魔法も無理だ。

 そんな中、ハールーンが抱きついてきた。

 何故だ、何故この場に妻が二人もいて、ハールーンが真っ先に抱きついて来るんだ。おかしいだろう!


 まあ、いい。

 ハールーンに回復を頼もう。


「ハールーン……回復を……」


「あ、ごめぇん。ボクも魔力枯渇しちゃってぇ」


「え?」


 なんてことだ。

 俺は全身が痛くて、某星間戦争に出てくる”金色のロボット”みたいな動きしか出来なくなってるんだぞ。


「ハールーン、お前は俺のR2〇2だろう! 何とかしやがれ!」


「え? えぇ? シャムシールゥ~。あーるつーでぃー〇ーってなにぃ?」


 おっと。

 俺の記憶がハザードだ。

 ここは異世界。日本じゃない。なのでハールーンにそんな事を言っても解る訳がない。


「おふぅ」


 とか言ってたら、ネフェルカーラとアエリノールが漸くやってきた。


「シャムシール、我等の勝利だ」


「うふふっ! やったね!」


 二人は、勝利を喜んでいた。

 だが……喜びの言葉は、いいんだ。

 だれか、俺に回復呪文を――。


 ――すとん。


 ほら見ろ、俺は意識をここで失った。

 そりゃそうでしょ、誰も回復魔法をかけてくれないんだもん!


 ◆◆


 俺が目を覚ましたのは、その日の夕方だった。

 疲労の極みで眠ったのだが、結局、ただ単に生活がひっくり返っただけだ。

 俺は所詮、夏休みの学生か自宅警備員と同じような体質なのだと、改めて思う。しょんぼりだ。


 辺りを見渡して、ここが俺専用の天幕だと理解する。

 俺はまだ痛む身体を寝台から起こして、従卒の少年に声を掛けた。

 少年は、美しい。

 俺にロリショタ属性があったら、放っておかないだろう。

 俺は少年の頭を撫でると、こう言った。


「今日は、将軍達と共に勝利を祝いたい。皆を呼んでくれないか」


 少年は頬を染め、頷き、天幕の外へ急ぐ。

 なんだろう――何かがもやっとした。

 俺はロリショタじゃないぞ……。


 天幕の外からは、歌を歌い、俺を称える陽気な声が聞こえてくる。

 それで勝利を実感すると、俺もだんだん嬉しくなってきた。


 暫くして俺が服装を整えると、宴の準備も始まった。

 俺は天幕の隅で様子を眺めつつ、身体を横たえチャイを飲む。


 戦場の宴だから、今日はささやかなものだ。それでも様々な料理が並ぶ。

 鳥の丸焼き、香草のスープ、パン、無花果、ムハンマー、などなど。

 長対陣に備えて食料を節約する必要が無くなったのだから、ある程度は豪華なものだった。

 しかし俺はふと、違和感を覚える。

 食器の数が少ないのだ。


 俺はそれで思い出した。

 ジャンヌが消えて、パヤーニーが滅したのだ。

 

 ああ――そうか。


 少し浮かれた俺の気持ちは、何処かへ霧散した。

 それにしても食器が二つ、少ないじゃないか――そう思って給仕の兵に聞くと、


「カイユームさまも、討ち死になさいました……ザーラさまは、大怪我をなされて……命に別状はございませんが……」


 俺の手から、チャイの器が零れた。

 零れたチャイが胸を濡らす。それは酷く熱かったが、何故かそんなことはどうでもよかった。


「ただ、カイユームさまは、同時に敵将も討ち取りまして……」


 ああ、あのときのメタトロン。

 合点はいく。

 そういえば、そうだった。

 だが――合点はいくが、納得はしたくなかった。


 ――カイユームが、死んだ、などと。


 俺が悶々としていると、皆、それぞれに傷を抱えた将軍達が席についてゆく。

 

 ネフェルカーラ、アエリノール、ドゥバーン、ジャムカ、ハールーン、ジャービル、ダスターン、マフディ、それからサラスヴァティにサクル。

 客将として、ヴァルダマーナとパールヴァティも参加する。

 本来ならば、ここにはパヤーニー、ジャンヌ、カイユームとザーラも居るはずだった。

 といってもザーラだけは身動きが取れないだけで、生きている。

 それでも、なんとも言えない寂寥感が俺の胸に去来した。


「「おめでとう存じまする!」」


 しかし、小さな宴は喜びの声から始まる。 

 まあ、当然だろう。勝ちは、勝ちなのだ。

 諸将の誰もが、心の内に悲しみをしまっている。それだけのことだろう。


「いや、皆の働きがあったからだ。感謝している」


 俺も、殊更切ない発言はしない。

 祝いの席で葬式の準備、どうする? なんて言える訳がないのだ。


 だが――どうにも食欲の沸かない俺は、パンを少しずつ齧る。

 俺のテンションがあまり高くないことを察したのか、ドゥバーンが摺り寄ってきた。


「陛下、陛下、陛下~! 拙者ぁ、寂しかったでござるぅ~」


 とりあえずおでこにチョップをして、ドゥバーンを遠ざける。


「勝つには勝った。だが、犠牲も大きかった」


 俺の言葉に、一同が頷く。

 結局、言ってしまった。場を白けさせてしまうかもしれない。


 だが皆、なんだかんだ言ってパヤーニーを好いていた。

 ジャンヌも言うほど嫌われていなかったし、カイユームは面白眼鏡として、皆に親しまれていたのだ。


 ジャムカなんて、


「師匠……ついに逝ってしまわれたか……だが、消えてしまわれるなど……即身仏になる夢は叶わなかったのですね……」


 こう言って泣いている。

 やはり、無理に明るく振舞う必要などないのだ。

 勝利は勝利――悲しみは悲しみだ。

 どちらも今夜の会話に相応しく、渾然一体として、あればいい。


 って、え? あの……パヤーニーの夢って、即身仏だったの? すでになっていたんじゃない、かな?


「パヤーニーさま……カイユーム……」


 ああ、この中で一番辛いのは、サクルだったな。

 敬愛する上官を失い、その上、気が付いたら友人まで失っているんだから。


「私は……もぐもぐ……私は……もぐもぐ……これから……もぐもぐ……何を支えに……もぐもぐ……生きて……行けば……もぐ、ごっくん」


 うん、でもサクルは、ご飯があれば大丈夫だと思うな。やっぱりほっとこう。


「わ、わし達も参加してよいのか? 邪魔ではないか?」


「いいんだよ、ファルナーズ! 私達、驚異の(ワンダー)アリスに勝ったんだもの! ジャムカさまだって、おいでって言ってたもん!」


 少しばかり湿り始めた空気の中へ、銀髪の小鬼とひよこみたいなドニアザードが現われた。

 一応、上席の千人長以上なんだけどな、ここに入れるの……と、思ったが今日はいい。無礼講だ。


「何? おぬしらが驚異の(ワンダー)アリスを倒したじゃと?」


 驚きに目を見開いたのは、パールヴァティだった。

 何故か料理よりも、ファルナーズとドニアザードを見て舌なめずりしている。どうせまた、戦いたいのだろう。

 だが残念、俺はもう知っているぞ。驚異の(ワンダー)アリスに勝ったのは、殆どジャムカのお陰って事をな。

 なので、ジャムカに勝ってしまったパールヴァティ。キミに、楽しみはない。


 宴が始まって、一時間近くが経過した。

 最初は俺を頂点にして車座――というと変だが――まあ、一応、キッチリと座っていたのだが、段々と席順があやふやになってきた。

 特に酒を多く飲んでいる奴等の動きが、大分おかしい。


「なあ、シャムシールどの。今宵はどの妻を侍らせるのだ? そろそろ童貞を卒業する頃合かと思うのだが?」


 俺の隣に座って酒臭い息を吐き出してくるのは、ヴァルダマーナだ。

 コイツ、意外と酒に弱いのだろうか?

 さっきからネフェルカーラに酒を注がれて、目が据わってしまっている。

 いや、違うな。

 ネフェルカーラのペースで酒を飲まされているんだ。可哀想に。


「当然、おれだ」


 そしてヴァルダマーナの質問には、ネフェルカーラが答えていた。

 ネフェルカーラは第一夫人だからか何なのか、酒を飲みながら注いで回る、忙しい立ち位置にいた。それは責任感の為せる技か、それとも単に酒を独占したいが為なのか――まあ、多分後者だろうな。


 パールヴァティは元々ヴァルダマーナの隣に居たのだが、今は何やらウロウロしている。

 たまにネフェルカーラと立ち上がった状態でかち合うと、どちらからともなく酒を注ぎ始め、一気飲みをしていた。

 まあ、迷惑な人であることは、間違いない。


 アエリノールは早々、どんぐりで遊び始めた。

 食事が終われば、どんぐり三昧で過ごしたいのだろう。

 アエリノールの頭の中は、今日も相変わらずのようだ。

 今はサラスヴァティという子分も従えて、どんぐり遊びに磨きをかけているようだ。


 ダスターンとマフディは食事を楽しみながらジャービルと談笑をしていたが、聞き捨てなら無い事を言っていた。


「で、ザールどのの最後は、如何でしたかな、ジャービルどの?」


 マフディが、ジャービルを急かすように聞いていた。

 ザールには勝てなかったマフディだ。多分ジャービルが勝ったと聞いて、溜飲を下げているのだろう。


 だが、まてまて。

 それは、俺も聞きたい。

 ザールは……アイツは敵だったけど、悪い奴じゃなかったのだ……。


「……俺も聞きたい」


「ああ、私も、陛下にお伝えせねばならぬ事がありましたゆえ……お聞き頂けるならば、ありがたく……」


 ついと手を絨毯について威儀を正すジャービルは、本当に絵になる。

 冷たい偉丈夫とか、イケメン大魔神とか、そんな風に呼びたい。


「よっ! イケメン大魔神! 武勇伝カモーン!」


「…………」


 ちょ、小声で言っただけなのに……冷たい目で見られた。恐いです。

 こんな時パヤーニーがいてくれたら、アイツが言っていただろうに……くすん。


「私は自らの武勇を誇るつもりなど、毛頭ござらぬ。陛下の戦ぶりを見れば、自らの力がいかに卑小であるかと――恥じ入るばかりでありますが故に――。

 お伝えせねばならぬ事は、他の事にござりまする」


 ジャービルが、俺に目礼をした。

 真摯な瞳が、俺を称えるように見ている。

 ゴメン、ジャービル。沈む空気を盛り上げようと、ボケて悪かった。

 パヤーニーの穴は、俺では埋められないよ、やっぱりね。

 

 俺が無言で頷くと、ジャービルは漸く話を始めた。


「サーリフと最後に戦ったのは自分だと、けれど勝てなかったのだ、と――ザールは申しておりました。また、サーリフどのの最後は実に見事であったと――そしてシャムシール王へ、すまぬ――とも申しておりました。無論、ザールの死も、見事なものにございました――私も、かくありたいものだと――一人の武人として、心に刻みましてございます」


 ――ああ。

 俺の中で、パズルのピースがカチリとはまった気がする。

 やはりサーリフは、負けていなかった。

 だが、今更だ。今更なのだ――。


 末席で、今まさに肉を頬張ろうとしていたファルナーズが、泣いた。


「ファル……」


 ハールーンが、ファルナーズの肩を軽く叩く。

 ファルナーズの瞳から、大粒の涙が零れていた。

 

 これで漸く、ファルナーズも本当の意味で前へ進めるのだろう。

 もちろん――俺もだ。


 こうして、軽い祝宴は終わりを告げる。


 ――しかしまだ、本当の勝利とは言えないのだ。

 何故なら、メフルダートが戦場から逃走していた。

 彼は巧みな戦術を駆使して、生き残ったのだ。

 そして彼がナセルの軍を糾合すれば、未だ十五万に及ぶ兵が敵として存在する事になる。

 

 だが翌日――ドゥバーンは心配する俺に、こう言った。


「戦でのメフルダートを、賞賛するのでござる。さすれば、それだけで降伏致しましょう」


 一週間後、ドゥバーンにより交渉の席についた俺とメフルダートは、和解した。

 確かにドゥバーンの言うとおり、メフルダートの軍才を褒めると、彼は恥らう乙女の様に目を輝かせた。


「私も、稀代の英雄にそこまで評価されれば本望――ナセルさまに良い土産が出来申した――シバールの行く末、くれぐれも頼みますぞ」


 ただしメフルダートはそう言うと、毒物を煽って自害した。


 交渉は、再びカルス平原で行ったのだ。

 形式に則り、互いの陣を挟み、その中央で、と。


 準備は全て、此方がした。

 それだけでなく、武器の類を互いに持ち込ませないよう、双方が厳しくチェックした。

 まあ、俺の魔法はそれだけで武器だが、それはいい。

 

 チェックは、双方が逆になって厳重にしたはずだ。

 だから此方がメフルダートを、メフルダートの部下が俺を――と。

 メフルダートの部下は、少なくとも厳重に俺を調べた。

 対してメフルダートの身体をチェックしたのは、ドゥバーンだ。

 ならば、彼女が毒物に気付かないはずが無い。


 俺はこの日、初めてドゥバーンと喧嘩した。

 ドゥバーンが、あえてメフルダートを見殺しにしたからだ。

 それも、俺の許可を得ず。


「――されど、これで起こるべき戦が起こらず、万の人が救われるのでござる!」


 確かにドゥバーンの言葉は正論だったし、事実ナセル軍を吸収もした。

 けれど、俺はドゥバーンのやり方が正しいと、どうしても思えなかったのだ。


「せ、せ、拙者を妻の序列から外しても構わないでござる……へ、へ、陛下がシバールを統べられるなら……そ、そ、それで満足するでござる……う、う、うわぁぁぁん」


 ドゥバーンは喧嘩の最後に、こう言った。


 結局、”全てが陛下の為”というドゥバーンを嫌うことなんて、俺に出来る訳がないだろう。

 メフルダートの魂が安らかに眠る事を祈る俺は、随分な偽善者なのだと苦笑した。

 

 こうして俺は、シバール全土を平定したのである。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ