第三次カルス会戦 12
◆
二つの白刃が絶えず弧を描く。
刃と刃がぶつかる度に、火花と衝撃波を辺りに撒き散らす。
俺とプロンデルの戦いは、互角だった。
だけど俺は知っている。
プロンデルは巨大な魔法を使ってしまった為に、もはや万全ではない。
恐らくプロンデルが俺に匹敵しうる膂力を得るには、魔力を身体に流し込む必要があったのだろう。
といっても、それで俺が有利になったかと言えば、違う。
だから漸く、互角――なのだ。
”ギィィィン!””ギィィィン!”
「シャムシールよ」
「……なんだ?」
激しい攻防の合間、プロンデルは荒い息遣いながらも、俺に話しかけてきた。
「なぜ、あのような冑を被り、顔を隠しておった?」
唐突な質問だった。
俺としては防御を考えて、常に冑を着用しているつもりだった。
それにアレがあれば何かの際、ネフェルカーラとすぐに話が出来る。便利なのだ。
なので殊更、顔を隠しているつもりはなかった。
「余は……どのような場合も、逃げ隠れせぬ――それが矜持だ……主君たるもの、そうあるべきだと思わぬか?」
いまいち、プロンデルの言いたい事が分からない。
冑で顔を隠すような男は、王にあらず――とでも言いたいのか?
だとしたら、まあ、仕方ない。
俺は別に、王になりたくてなった訳じゃないからな。
だから正直に答えてやる。
「別に、思わない。大体、お前は、そんな個人的な気持ちの為に戦争を起こしたのか? そうだとしたら、俺にはまったく――お前が理解出来ない」
プロンデルの左足が大地を蹴った。
「余を理解しようと思わぬ者に会ったのも、久しいな……もっとも、余に理解を示すものの大半が、表面上だけであったが」
なにやら感慨深そうな事を言いつつも、その速力は変わらない。
俺は身体を捻るような体勢から、プロンデルの突きを払う。
体を軸から回転させて、俺は自らの持てる力の全てを魔剣に注ぎ、プロンデルへ叩き付けた。
結果――プロンデルは剣を持ったまま豪快に吹き飛ぶ。
剣と共に飛ばされたプロンデルは、二回転する。
起き上がろうとするプロンデルを、俺は岩魔法で串刺しにしようと狙う。
中々に俺もえげつなくなってきた。
しかし相手がプロンデルなら、仕方がないだろう。
俺の詠唱が終わると、瞬時に大地が変質して鋭い岩肌が隆起した。
「はぁっ!」
しかし左手で岩を砕くプロンデルは、そのまま跳んで俺に斬撃を放つ。
突き上げた岩の威力をそのまま利用したのか、今度は俺が吹き飛ばされた。
そして迫るのは、風の刃――。
プロンデルは、ソニックブームを放てるとでもいうのか。
俺は両腕を交差しつつ身体をガードした。しかし、風圧で再び飛ばされ、岩に背中を打ち付ける。
「ぐっ……!」
息がつまった。
それに、口から血も出てきた。
鎧を着ていても、その中がダメージを負ったらこうなるって事だ。
内臓をやられたらしい。
「帝王とは、絶対であり唯一無二のものだ……」
プロンデルは俺に迫りつつ、先ほどの問答を続けようとしている。
正直、面倒だ。
「そんなものは、錯覚だ。帝王などいなくても、民は暮らしてゆける!」
だが――俺はそもそも独裁や帝政にアレルギーがある。
そりゃあそうだろう。だって俺は、平和な民主国家で育ったのだ。
今更江戸時代に戻って、
「将軍様、へへー」
なんてやりたくない。
やりたくないし、将軍さまが居なくても、立派に世の中は回っているのだ。
ただ、この世界の民度といえば、奴隷を許容するレベル。
だから君主が必要とされるだけのこと――。
俺の代わりなんて、正直言ってしまえば誰でも務まる。
仮にもし俺がここで死んでも、ジャービル辺りが鎧を着て誤魔化せば、二ヶ月程度ならバレないだろう。
「ほう――帝王がいなくとも、民は生きてゆける、と?」
「ああ。その逆はないけどな!」
そう。
民があっての帝王――俺はそう思っている。
だから嫌なのだ。だから上になんて、立ちたくないのだ。
だって人に好かれるということは、とてつもなく大変だ。
それなのに帝王は一人、民はいっぱい、なんだぞ。
つまり上に立てば、それだけ多くの人に好かれ、或いは愛されなければならない。
同時に、下の者の生活の保障だってしないといけないんだ。
どう考えても、逆奴隷じゃないか! 王さまなんて!
「民があっての、帝王だと?」
俺の言葉に、きょとんとした表情を浮かべたプロンデルは、妙に隙だらけだった。
「治癒」
俺はすぐさま回復呪文を唱え、次の攻撃に備える。
きょとんとしてくれて、助かった。
もっとも、そんな時間も長くは続かない。
プロンデルをみれば、剣を大地に刺して、両手の平を俺に向けて呪文を詠唱していた。
「無音の中より舞い来る王よ。永久さえも汝の前では震え慄く乙女に過ぎぬ――風を従え、炎を統べし帝王よ――我は汝に請い願う――破壊の魔剣を我に授けんことを――」
おいおいおいおい。
俺は目の前で展開される紋様が恐い。
プロンデルの掌から、二重、三重の魔方陣が展開してゆく。
さらに言えば、俺の身体を縛るように、上下左右に魔方陣が展開された。
俺の周囲の魔方陣は赤く、プロンデルの掌から出た魔法陣は青だ。
ちなみに俺の股間から少しだけ漏れたアレは、多分黄色だろう。
めちゃくちゃ恐い。
冑、冑! クレアに冑を吹っ飛ばされたせいで、頭丸出しだよ!
こんな大技を隠していたから、俺に冑を被られたくなかったのか、プロンデルめ!
「余は――貴様あってのシバールだと思うがな――ははは。故に、冑は要らぬと申しておる。それを皆も望むだろう」
違った!
だけど冑はいらぬっていうけど、このままだと頭が吹っ飛ぶよ!
冑、いるってば!
何か、対抗策はないか――なにか? やはり禁呪には禁呪か?
だったら、俺が先に詠唱を終わらせられれば――!
得意な魔法を選ぼう!
俺の得意な禁呪は、”絶対零度の吐息”だ。
だがこれは、効果範囲が広すぎる。
あああ、考えろ。
そうだ、効果範囲を狭くするんだ。
プロンデルだけを凍らせるんだ。
フローズン・プロンデルだ! おいしいかな?
ああもう! おいしいわけないだろ! 自分の思考がおかしいよ!
よおおおし! やるしかないっ!
「――おお、女王よ――麗しき貴女は吐息さえ、三千世界を氷結なる美へと変貌せしめる我が宝珠なり――」
よし、こっちの呪文の方が詠唱が短い。
いけるぞ。
俺も魔剣を地面に刺して、両手の平をプロンデルに向ける。
魔力に指向性を持たせるため、前方に複雑な紋様の魔方陣を展開させてゆく。
本来ならば上空に、超巨大な蒼い魔方陣が描かれるところだ。
しかし俺が強引に圧縮したため、今にも暴発しそうな魔方陣が、俺の前方で揺れている。
多分――プロンデルの魔法もそうなのではなかろうか?
やはりプロンデルも、魔方陣を制御するのに手間取っているように見えた。
「絶対零度の吐息!」
「破壊王の魔断!」
俺とプロンデルの詠唱は、ほぼ同時に終わった。
俺からは全てを凍らせる絶対零度の刃が伸びて、プロンデルからは闇の刃が、所々赤いモノを迸らせながら俺に迫る。
――そして中空で二つのエネルギーは激突した。
”バリバリバリバリ――”
黒い波動が凍てつき、割れる。
割れたあとから黒い刃が氷に突き刺さってゆく。
魔力と魔力のぶつかりあいだろう。
ならば、俺に分がある。
俺はありったけの魔力を掌に込めた。
そしてゴリ押しだ。
本来のプロンデルならば、俺に押し切られる事も無かったかも知れない。
しかし、あれ程の大魔法を使ったあとだ。
だから俺の――絶対零度の吐息が勝った。
しかし流石はプロンデルだ。
今は剣に両手を付いて、身体を支えるようにして立っていた。
凍り付いていない。
フローズン・プロンデルにならなかった。
最後の最後でレジストしたのだろう。
だが、俺はまだ魔法を放てる。
辺りを見れば、俺の頼もしい部下――いや仲間たちは皆、勝利を収めていた。
だから、俺も勝つ。
俺は氷の魔法が得意――だが――ユウセイの得意な魔法だってある。
「太陽より赤き炎の帝王は何処? 世界の果てに至るまで、汝の力及ばぬ場所はなし――我は汝に請い願う。我が敵を滅ぼし給え――紅蓮華昇炎!」
これで水蒸気爆発でも起こしてしまえ!
と、思ったら、ここでそんな事をしたら、俺の味方が死ぬ――!
だから咄嗟に右手で紅蓮華昇炎を展開――左手でプロンデルを覆う結界を作り出して、その中だけに炎を送り込む。
俺の周囲にはあり得ない程の魔方陣が展開して、浮いている。
赤いもの、紫色のもの――立体のもの、平面のもの――浮かんでは消える魔方陣は、いっそ幻想的だった。
そして俺が手から撃ち出した炎は大気の海を駆けて、プロンデルに直撃する。
「ぐおおおお……」
足元から頭の先まで、紅蓮の炎に包まれたプロンデル。
そしてすぐに爆発が始まった。
結界が無ければ、地形を変えてしまう程の威力をもっているだろう俺の魔法だ。
ネフェルカーラとアエリノールさえ、唖然として俺を見ている。
ハールーンは……寝てた。
ねえ、なんで? ここで寝る? ねえ、ねえ? 安心しちゃったかな?
お前か? 最後の最後で寝るのは、お前だったか?
俺、わりとピンチだったんだよ――これで勝ったけど――。
と、思ったが、撤回する。
鎧は見る影も無くなっているが、黄金の髪を獅子の鬣の如く纏う男が、結界の中でゆらりと動く。
プロンデルは、生きていた。
「ゼエ……ゼエ……」
自分の呼吸音がおかしい。
けれど、確実にプロンデルを仕留めなければ――もう一つだ。
最大最強の魔法を――。
俺は瞼を閉じて精神を集中し、残りの魔力をありったけ、体中からかき集める。
そして詠唱を開始した。
「暗き闇より現われし王よ、我は請い、願う。全てを灰燼と化す炎を――そして永久を彷徨える闇を――。汝は我に従うべし。我は汝に恩寵を与えん――」
プロンデルの足音が聞こえた。
”ザッ””ザー”
足を引きずっているのか?
よかった。詠唱が間に合う――。
でもなんか、禁呪って中二っぽい――とか、どうでもいい――!
「黄昏に願う闇の王は、やがて魔神の高みに上るであろう。それは破壊――贄――遍く全てを捧げるがゆえに――闇炎烈壊!」
プロンデルを闇が覆う。
降りしきる雨が消えて、俺達を取り囲んでいた結界が崩壊する。
雲が割れ、太陽の光が見えた瞬間――どす黒い影が光を覆い隠す。
世界が闇色に染まり、プロンデルだけが赤々と燃えていた。
しかし人が燃える――という状態ではない。
プロンデルの体の内から、炎が溢れ出していた。
なんて魔法だ――。
俺は正直に思う。
生物を殺す事に特化した禁呪だとは知っていた――だけど、これは――。
「ううううおおおおおおお……!」
プロンデルの断末魔が響く。
よろよろと、足を縺れさせながら、俺の側へ迫るプロンデルは、鬼神の様相を呈していた。
「シャムシィィィル!」
凄まじい雄叫びが、プロンデルの口から迸る。
俺の名を呼んでいた。
そしてプロンデルは、闇炎烈壊の炎を全て飲み込んだ。
馬鹿な――!
なんて思う時間は無い。
「おおおおぉぉぉ!」
俺はプロンデルに突進した。
もう、魔力は無い。剣で勝負するより他、ないのだ。
だが、勝機はあるだろう。
プロンデルは、最大最強の禁呪を喰らっている。生きているだけで奇跡なのだ。
闇が晴れ、雨上がりの瑞々しい世界が広がった。
俺とプロンデルの剣が、再び交差する。
「負けぬぅぅゥゥ!」
プロンデルは、叫ぶ。
しかし俺はプロンデルの剣を、弾き飛ばした。
もはやプロンデルに、力は残っていなかったのだ。
プロンデルの全身は、焼け爛れていた。
黄金色の髪もくすんで、見事だった鎧は、残った一部さえ煤塗れになっている。
両膝を大地にがっくりとついたプロンデルは、泣いていた。
「シャムシールよ……余は、負けたのだな……」
「ああ、俺が勝った」
辛勝だけど。とは言わない。
俺は勝ったのだ。
そして、心臓が痛い。
魔力を使いすぎたせいだろう……声を出しても、身体を動かしても心臓が破裂しそうだ。
「余の、代わりはいる……そうだな、シャムシール」
「国にとっては……」
「……どういう意味か?」
「俺としては、お前みたいに恐い奴の代わりがいても、困る……」
「く、くくっ……余も、シャムシール。そなたが二人いては困るな……」
「……はは……」
プロンデルの潤んだ瞳と、目が合った。
悔しくて、悔しくて、プロンデルは泣いたのだろう。
俺にはない、精神構造だ。
だが――どういう訳か、理解出来る。
だから名残惜しく、暫く見詰め合った。
「……そろそろ殺すぞ、プロンデル」
「ああ、シャムシール。またいつか、剣を交えようぞ……」
「それが、これから死ぬ奴の言う言葉か?」
「ああ……死ぬからこそ、だ」
俺はプロンデルを、殺したくない。この時、確かにそう思った。
「プロンデル」
「……なんだ、友よ。早くやれ」
プロンデルは瞼を閉じて、にべもなく言う。
おかしな話だった。
互いに死力を尽くして殺し合い、その挙句に得たものが友情だった。
プロンデルは多くの部下を死なせ、領土を失い、自らの命さえ失おうという時――。
俺も多くの部下を失い、自らも瀕死だというのに、笑みがこぼれる。
度し難い馬鹿――っていうのだろう。
でも、だからこそ俺は、プロンデルの首を刎ねた。
友だからこそ、殺す。
意味の分からない理屈だ。
だが、確かにここには、それがある。
羨望――敬愛――友情――多分、俺の刃には、そんなものがこもっていただろう。
不思議と、プロンデルを憎いとは思わなかった。
多分、自分が殺されたとしても、俺はプロンデルを恨まなかったと思う。
俺はきっと、これで君主になれたのだ。
君主とは、そういった身勝手な者なのだから。
プロンデルの体からは、血が出なかった。
ただ、プロンデルの身体はそのまま、光の粒子となって何処かへ消えた。
これが、半神の死なのだろう。
いずれまたプロンデルが復活したとして、俺は戦うのだろうか? それとも、友として生きるのだろうか……。
だが――ともかく終わった。
俺は、俺達は、勝ったのだ――。
――――
う……全身が痛い。
魔力も枯渇して、回復魔法も無理だ。
そんな中、ハールーンが抱きついてきた。
何故だ、何故この場に妻が二人もいて、ハールーンが真っ先に抱きついて来るんだ。おかしいだろう!
まあ、いい。
ハールーンに回復を頼もう。
「ハールーン……回復を……」
「あ、ごめぇん。ボクも魔力枯渇しちゃってぇ」
「え?」
なんてことだ。
俺は全身が痛くて、某星間戦争に出てくる”金色のロボット”みたいな動きしか出来なくなってるんだぞ。
「ハールーン、お前は俺のR2〇2だろう! 何とかしやがれ!」
「え? えぇ? シャムシールゥ~。あーるつーでぃー〇ーってなにぃ?」
おっと。
俺の記憶がハザードだ。
ここは異世界。日本じゃない。なのでハールーンにそんな事を言っても解る訳がない。
「おふぅ」
とか言ってたら、ネフェルカーラとアエリノールが漸くやってきた。
「シャムシール、我等の勝利だ」
「うふふっ! やったね!」
二人は、勝利を喜んでいた。
だが……喜びの言葉は、いいんだ。
だれか、俺に回復呪文を――。
――すとん。
ほら見ろ、俺は意識をここで失った。
そりゃそうでしょ、誰も回復魔法をかけてくれないんだもん!
◆◆
俺が目を覚ましたのは、その日の夕方だった。
疲労の極みで眠ったのだが、結局、ただ単に生活がひっくり返っただけだ。
俺は所詮、夏休みの学生か自宅警備員と同じような体質なのだと、改めて思う。しょんぼりだ。
辺りを見渡して、ここが俺専用の天幕だと理解する。
俺はまだ痛む身体を寝台から起こして、従卒の少年に声を掛けた。
少年は、美しい。
俺にロリショタ属性があったら、放っておかないだろう。
俺は少年の頭を撫でると、こう言った。
「今日は、将軍達と共に勝利を祝いたい。皆を呼んでくれないか」
少年は頬を染め、頷き、天幕の外へ急ぐ。
なんだろう――何かがもやっとした。
俺はロリショタじゃないぞ……。
天幕の外からは、歌を歌い、俺を称える陽気な声が聞こえてくる。
それで勝利を実感すると、俺もだんだん嬉しくなってきた。
暫くして俺が服装を整えると、宴の準備も始まった。
俺は天幕の隅で様子を眺めつつ、身体を横たえ茶を飲む。
戦場の宴だから、今日はささやかなものだ。それでも様々な料理が並ぶ。
鳥の丸焼き、香草のスープ、パン、無花果、ムハンマー、などなど。
長対陣に備えて食料を節約する必要が無くなったのだから、ある程度は豪華なものだった。
しかし俺はふと、違和感を覚える。
食器の数が少ないのだ。
俺はそれで思い出した。
ジャンヌが消えて、パヤーニーが滅したのだ。
ああ――そうか。
少し浮かれた俺の気持ちは、何処かへ霧散した。
それにしても食器が二つ、少ないじゃないか――そう思って給仕の兵に聞くと、
「カイユームさまも、討ち死になさいました……ザーラさまは、大怪我をなされて……命に別状はございませんが……」
俺の手から、茶の器が零れた。
零れた茶が胸を濡らす。それは酷く熱かったが、何故かそんなことはどうでもよかった。
「ただ、カイユームさまは、同時に敵将も討ち取りまして……」
ああ、あのときのメタトロン。
合点はいく。
そういえば、そうだった。
だが――合点はいくが、納得はしたくなかった。
――カイユームが、死んだ、などと。
俺が悶々としていると、皆、それぞれに傷を抱えた将軍達が席についてゆく。
ネフェルカーラ、アエリノール、ドゥバーン、ジャムカ、ハールーン、ジャービル、ダスターン、マフディ、それからサラスヴァティにサクル。
客将として、ヴァルダマーナとパールヴァティも参加する。
本来ならば、ここにはパヤーニー、ジャンヌ、カイユームとザーラも居るはずだった。
といってもザーラだけは身動きが取れないだけで、生きている。
それでも、なんとも言えない寂寥感が俺の胸に去来した。
「「おめでとう存じまする!」」
しかし、小さな宴は喜びの声から始まる。
まあ、当然だろう。勝ちは、勝ちなのだ。
諸将の誰もが、心の内に悲しみをしまっている。それだけのことだろう。
「いや、皆の働きがあったからだ。感謝している」
俺も、殊更切ない発言はしない。
祝いの席で葬式の準備、どうする? なんて言える訳がないのだ。
だが――どうにも食欲の沸かない俺は、パンを少しずつ齧る。
俺のテンションがあまり高くないことを察したのか、ドゥバーンが摺り寄ってきた。
「陛下、陛下、陛下~! 拙者ぁ、寂しかったでござるぅ~」
とりあえずおでこにチョップをして、ドゥバーンを遠ざける。
「勝つには勝った。だが、犠牲も大きかった」
俺の言葉に、一同が頷く。
結局、言ってしまった。場を白けさせてしまうかもしれない。
だが皆、なんだかんだ言ってパヤーニーを好いていた。
ジャンヌも言うほど嫌われていなかったし、カイユームは面白眼鏡として、皆に親しまれていたのだ。
ジャムカなんて、
「師匠……ついに逝ってしまわれたか……だが、消えてしまわれるなど……即身仏になる夢は叶わなかったのですね……」
こう言って泣いている。
やはり、無理に明るく振舞う必要などないのだ。
勝利は勝利――悲しみは悲しみだ。
どちらも今夜の会話に相応しく、渾然一体として、あればいい。
って、え? あの……パヤーニーの夢って、即身仏だったの? すでになっていたんじゃない、かな?
「パヤーニーさま……カイユーム……」
ああ、この中で一番辛いのは、サクルだったな。
敬愛する上官を失い、その上、気が付いたら友人まで失っているんだから。
「私は……もぐもぐ……私は……もぐもぐ……これから……もぐもぐ……何を支えに……もぐもぐ……生きて……行けば……もぐ、ごっくん」
うん、でもサクルは、ご飯があれば大丈夫だと思うな。やっぱりほっとこう。
「わ、わし達も参加してよいのか? 邪魔ではないか?」
「いいんだよ、ファルナーズ! 私達、驚異のアリスに勝ったんだもの! ジャムカさまだって、おいでって言ってたもん!」
少しばかり湿り始めた空気の中へ、銀髪の小鬼とひよこみたいなドニアザードが現われた。
一応、上席の千人長以上なんだけどな、ここに入れるの……と、思ったが今日はいい。無礼講だ。
「何? おぬしらが驚異のアリスを倒したじゃと?」
驚きに目を見開いたのは、パールヴァティだった。
何故か料理よりも、ファルナーズとドニアザードを見て舌なめずりしている。どうせまた、戦いたいのだろう。
だが残念、俺はもう知っているぞ。驚異のアリスに勝ったのは、殆どジャムカのお陰って事をな。
なので、ジャムカに勝ってしまったパールヴァティ。キミに、楽しみはない。
宴が始まって、一時間近くが経過した。
最初は俺を頂点にして車座――というと変だが――まあ、一応、キッチリと座っていたのだが、段々と席順があやふやになってきた。
特に酒を多く飲んでいる奴等の動きが、大分おかしい。
「なあ、シャムシールどの。今宵はどの妻を侍らせるのだ? そろそろ童貞を卒業する頃合かと思うのだが?」
俺の隣に座って酒臭い息を吐き出してくるのは、ヴァルダマーナだ。
コイツ、意外と酒に弱いのだろうか?
さっきからネフェルカーラに酒を注がれて、目が据わってしまっている。
いや、違うな。
ネフェルカーラのペースで酒を飲まされているんだ。可哀想に。
「当然、おれだ」
そしてヴァルダマーナの質問には、ネフェルカーラが答えていた。
ネフェルカーラは第一夫人だからか何なのか、酒を飲みながら注いで回る、忙しい立ち位置にいた。それは責任感の為せる技か、それとも単に酒を独占したいが為なのか――まあ、多分後者だろうな。
パールヴァティは元々ヴァルダマーナの隣に居たのだが、今は何やらウロウロしている。
たまにネフェルカーラと立ち上がった状態でかち合うと、どちらからともなく酒を注ぎ始め、一気飲みをしていた。
まあ、迷惑な人であることは、間違いない。
アエリノールは早々、どんぐりで遊び始めた。
食事が終われば、どんぐり三昧で過ごしたいのだろう。
アエリノールの頭の中は、今日も相変わらずのようだ。
今はサラスヴァティという子分も従えて、どんぐり遊びに磨きをかけているようだ。
ダスターンとマフディは食事を楽しみながらジャービルと談笑をしていたが、聞き捨てなら無い事を言っていた。
「で、ザールどのの最後は、如何でしたかな、ジャービルどの?」
マフディが、ジャービルを急かすように聞いていた。
ザールには勝てなかったマフディだ。多分ジャービルが勝ったと聞いて、溜飲を下げているのだろう。
だが、まてまて。
それは、俺も聞きたい。
ザールは……アイツは敵だったけど、悪い奴じゃなかったのだ……。
「……俺も聞きたい」
「ああ、私も、陛下にお伝えせねばならぬ事がありましたゆえ……お聞き頂けるならば、ありがたく……」
ついと手を絨毯について威儀を正すジャービルは、本当に絵になる。
冷たい偉丈夫とか、イケメン大魔神とか、そんな風に呼びたい。
「よっ! イケメン大魔神! 武勇伝カモーン!」
「…………」
ちょ、小声で言っただけなのに……冷たい目で見られた。恐いです。
こんな時パヤーニーがいてくれたら、アイツが言っていただろうに……くすん。
「私は自らの武勇を誇るつもりなど、毛頭ござらぬ。陛下の戦ぶりを見れば、自らの力がいかに卑小であるかと――恥じ入るばかりでありますが故に――。
お伝えせねばならぬ事は、他の事にござりまする」
ジャービルが、俺に目礼をした。
真摯な瞳が、俺を称えるように見ている。
ゴメン、ジャービル。沈む空気を盛り上げようと、ボケて悪かった。
パヤーニーの穴は、俺では埋められないよ、やっぱりね。
俺が無言で頷くと、ジャービルは漸く話を始めた。
「サーリフと最後に戦ったのは自分だと、けれど勝てなかったのだ、と――ザールは申しておりました。また、サーリフどのの最後は実に見事であったと――そしてシャムシール王へ、すまぬ――とも申しておりました。無論、ザールの死も、見事なものにございました――私も、かくありたいものだと――一人の武人として、心に刻みましてございます」
――ああ。
俺の中で、パズルのピースがカチリとはまった気がする。
やはりサーリフは、負けていなかった。
だが、今更だ。今更なのだ――。
末席で、今まさに肉を頬張ろうとしていたファルナーズが、泣いた。
「ファル……」
ハールーンが、ファルナーズの肩を軽く叩く。
ファルナーズの瞳から、大粒の涙が零れていた。
これで漸く、ファルナーズも本当の意味で前へ進めるのだろう。
もちろん――俺もだ。
こうして、軽い祝宴は終わりを告げる。
――しかしまだ、本当の勝利とは言えないのだ。
何故なら、メフルダートが戦場から逃走していた。
彼は巧みな戦術を駆使して、生き残ったのだ。
そして彼がナセルの軍を糾合すれば、未だ十五万に及ぶ兵が敵として存在する事になる。
だが翌日――ドゥバーンは心配する俺に、こう言った。
「戦でのメフルダートを、賞賛するのでござる。さすれば、それだけで降伏致しましょう」
一週間後、ドゥバーンにより交渉の席についた俺とメフルダートは、和解した。
確かにドゥバーンの言うとおり、メフルダートの軍才を褒めると、彼は恥らう乙女の様に目を輝かせた。
「私も、稀代の英雄にそこまで評価されれば本望――ナセルさまに良い土産が出来申した――シバールの行く末、くれぐれも頼みますぞ」
ただしメフルダートはそう言うと、毒物を煽って自害した。
交渉は、再びカルス平原で行ったのだ。
形式に則り、互いの陣を挟み、その中央で、と。
準備は全て、此方がした。
それだけでなく、武器の類を互いに持ち込ませないよう、双方が厳しくチェックした。
まあ、俺の魔法はそれだけで武器だが、それはいい。
チェックは、双方が逆になって厳重にしたはずだ。
だから此方がメフルダートを、メフルダートの部下が俺を――と。
メフルダートの部下は、少なくとも厳重に俺を調べた。
対してメフルダートの身体をチェックしたのは、ドゥバーンだ。
ならば、彼女が毒物に気付かないはずが無い。
俺はこの日、初めてドゥバーンと喧嘩した。
ドゥバーンが、あえてメフルダートを見殺しにしたからだ。
それも、俺の許可を得ず。
「――されど、これで起こるべき戦が起こらず、万の人が救われるのでござる!」
確かにドゥバーンの言葉は正論だったし、事実ナセル軍を吸収もした。
けれど、俺はドゥバーンのやり方が正しいと、どうしても思えなかったのだ。
「せ、せ、拙者を妻の序列から外しても構わないでござる……へ、へ、陛下がシバールを統べられるなら……そ、そ、それで満足するでござる……う、う、うわぁぁぁん」
ドゥバーンは喧嘩の最後に、こう言った。
結局、”全てが陛下の為”というドゥバーンを嫌うことなんて、俺に出来る訳がないだろう。
メフルダートの魂が安らかに眠る事を祈る俺は、随分な偽善者なのだと苦笑した。
こうして俺は、シバール全土を平定したのである。