第三次カルス会戦 9
◆
ドゥバーンは東の空に目を細め、西を見つめて安堵する。
フローレンス軍は崩壊した。
そしてシャムシールの救援に、ヴァルダマーナとパールヴァティが間に合ったのだ。
ここまでくれば後の問題はナセル軍だが、余程彼らが愚かでない限り、ここは一端兵を退くところだろう。
「そもそも、兵力の優位を確立したいと思うなら、奴等の方が持久戦を選択したいはずにござるからな」
褐色の指揮棒を片手に馬を駆るドゥバーンは、散乱する帝国兵の死体の間を縫って、シャムシールの下へと急ぐ。
もはや武器を必要としないドゥバーンは、棒で十分なのだ。
そのかわり側にはシュラが控えて、如何なる事態にも備えている。
今回の戦勝――その立役者であるシュラの顔は、浮かない。
何かが違うと感じていた。
張り詰めた緊張感があるのは、ナセル軍が未だ勝利に酔っていない為だろうか?
白布を腕に巻くシャムシール軍は、既に幾つもの隊が勝ち鬨を上げていた。
その時、漆黒の鎧を纏った一段が、ナセル軍の一隊目掛けて猛然と襲い掛かる。
――赤獅子槍騎兵だった。
「あ、兄上っ! 今はっ!」
「いや、ドゥバーンさま。今はあれでよろしいでしょう。机上の軍略は終わりを告げております。これよりは、互いに生死を賭けた決戦あるのみ」
見ればフローレンス軍は、死体を残して忽然と消えた。
しかし残ったナセル軍が、次々とシャムシール軍に牙を向いている。
いっそ腕に白布を巻いたことが間違いであったかと考えたドゥバーンだが、頭を振った。
「いや、そもそも白布が無ければ、更なる乱戦は必死にござった」
ドゥバーンは指揮棒を頭上へ掲げ、振り下ろす。
「全軍、赤獅子槍騎兵に続けっ!」
◆◆
ジャービルがナセル軍に突入した理由は、本能だ。
今は交戦命令も出ていなければ、殲滅命令も出ていない。
しかし、もとよりナセル軍は敵である。
従って、どうとでも言い逃れが出来ると考えたジャービルは、巨漢の将軍を見つけた瞬間、叫んでいた。
「突撃!」と。
漆黒の騎馬隊は、敵の猛将によって止められた。
止めた男の名は、ザール。先日ジャービルに傷を負わせ、数時間前、オーギュストに敗れかけた男である。
ジャービルにとっては、因縁のある相手だ。
「いつぞやの……」
ザールの機嫌は、悪かった。
自らがシャムシール王の策で踊る人形であると自覚出来ただけに、ジャービルを見る目つきは険悪そのものだ。
だがザールの奥底には、別の感情もある。
彼はシャムシールに、友情めいたものも抱いていた。
出来うるならば、シャムシールのような主君の下で戦いたかったのだ。
だが、それももはや――叶わぬ事。
つまりザールの怒りの影には、諦観があった。
「貴様の命、貰い受ける」
ジャービルの口数も少ない。
だが早速訪れた機会の到来に、冑の中の口は歪んでいた。
(借りを返させてもらおう……)
曲刀を構えたジャービルは、翻るマントの留め金を外す。
死闘の中で、邪魔なもは先に取り払っておこうという考えだった。
借りを返すつもりのジャービルだが、ザールとの実力は伯仲している。ならば、出来る限り不利になる条件は外したい。
「出来るものならなっ!」
ザールは馬腹を蹴って、ジャービルに突進した。
すでにザールの曲刀は血塗れで、幾人ものフローレンス騎士を屠っているだろう。
並みの武人なら、そんなザールに恐れをなす。
しかしジャービルは、並を遥かに凌駕するのだ。
冑の奥で光るジャービルの両目は、今、冷静にザールの動きを捕捉していた。
(動くのは、最小限でいい。俺の方が力が弱いなら、奴の力を使うだけのこと)
ジャービルは無心になった。
ザールの曲刀が頭上から振り下ろされる。
――その刹那。
ジャービルの曲刀が唸りを上げて、水平に弧を描く。
ザールの右脇、鎧の継ぎ目にジャービルの剣がめり込んだ。
傷は深い。だが、心臓にまでは達していないだろう。
「ぐっ!」
短い悲鳴と共に、ザールの表情が曇る。
ザールの体が、見る間に血で染まる。
しかしザールの頭に、後退という文字は無い。
多少の距離を取った後、再び曲刀を構えてジャービルに向き直るザールだった。
「その意気や、よし」
ジャービルの口調は、冷たい。しかし相手を称えるかのような、荘厳な響きを帯びている。
ジャービルは猛攻を開始した。
右上段、首下への突き、腕を狙った斬撃――再び胴――と、ザールに息をつかせる暇さえ与えない。
その都度左手だけで応戦するザールは、小さく歯軋りをする。
”ギィィィィン”
五十合あまり打ち合ったところでザールの曲刀が、ついにジャービルによって弾き飛ばされた。
もしもザールが手負いでなければ――こうも容易く、曲刀を絡め取られる事も無かったであろう。
だがザールを手負いにしたのも、ジャービルだ。
ジャービルの刃が、ついにザールの首筋を捉えた。
「何か、言い残すことはあるか?」
ジャービルは、ザールに対して最後の情けをかける。
「シャムシール王へ、伝えて欲しい。サーリフどのと最後に戦ったのは、俺だ。だが、殺してはいない。俺は一騎討ちでついに――サーリフどのに勝てなかったのだ――サーリフどのの最後は、実に見事だった――」
ジャービルは頷いた。
「貴様の最後も見事であったと、言い添えておこう」
「かたじけない――」
ザールの首は、宙に舞った。
そして赤獅子槍騎兵の突進は、誰も止める事が出来無くなる。
慌てたメフルダートが本陣前に重装歩兵を配し、漸くジャービルの突進を止めたとき、戦いの帰趨はすでに決まっていたのだった。
◆◆◆
俺は今、プロンデルに攻撃しつつ、ナセルの曲刀をかわしている。
体勢を説明するなら、右手で魔剣を振り抜いた状態で、半身になって斬撃をかわした。そんなところだ。
プロンデルは俺の斬撃をよけながら、ナセルに突きを放っている。
ナセルはプロンデルの突きを胴体で弾きながら、俺に斬撃を放っていた。
平たく言って三人がバラバラに、それぞれへ向けて攻撃を仕掛けている。
だけど、そのどれもが致命傷を与えられない。暫く、こんな事が続いていた。
ちなみにナセルの馬は、あっさりとプロンデルに一刀両断されている。合掌。
俺達三人を比較するなら、最も攻撃力の高い者がプロンデル、防御力の高い者がナセル、魔力の高い者が俺――そんな所だろう。
だからプロンデルは、先に防御力の高いナセルを排除したい。
俺は、俺の防御を破れそうなプロンデルを始末したい。
ナセルは、国土を焼き尽くす程の魔力を持った俺を、先に倒したい。
そんな思いが交錯しているのだ。
なにこの三竦み。
と、俺は思う。
滑稽だ、酷く滑稽だ。
ネフェルカーラと魔王の戦いも中々に滑稽だが、こっちほどじゃない。
ていうか、ネフェルカーラが地獄の番犬的な奴に餌を与えている。懐かせたいのか?
「くうーん」
あ、一頭がネフェルカーラの足に摺り寄った。
三つの頭を順番に撫でているネフェルカーラが、勝ち誇った顔をしている。
「ふはははは! おれは昔から、動物に好かれるのでな!」
うん、それは……動物にしか好かれない、ともいうよね、ネフェルカーラ。
それにしても、敵の戦力を奪ってしまうとは、ネフェルカーラも中々やるな。
アエリノールと闇妖精の戦いは、膠着している。それにしても、アエリノールと互角の剣技をもっているなんて、敵も中々やるな。
”ギィィン””ギィィン”
二人が討ち合うたびに戛然とした音が響き、火花が散る。
そして時折姿が見えなくなるほどの高速で移動したかと思うと、あらぬ所で激しい金属音が聞こえるのだ。
その時、アエリノールがゴロゴロと後ろ回りで転がってきた。
そして転がり終わった所で、お腹を擦りながら立ち上がる。
「痛いじゃない! お腹を蹴らないでよっ! リチャードに何かあったら、どうしてくれるの!?」
はい? リチャードって誰?
そう思った俺の疑問を、素早く口にしたのはネフェルカーラだ。
「リチャード? 誰だ、それは?」
「わたしとシャムシールの子供よっ! お腹にいるのっ!」
は?
俺はまだ、アエリノールと子供を作るような事をしていないのだが。
しかし、ネフェルカーラの視線が俺に注がれる。
それは先ほどから魔王に向けていた呪力を遥かに上回る、雄雄しい怒りの波動だった。
「ア、アエリノール! まだ、その! そういうことをしていないから、妊娠とかはしないと思うんだ!」
「えっ……でも、なんだかお腹が……! 名前まで考えたのにっ! あれっ? あれはヒルデガードのお腹の中っ? あれっ? 分からなくなっちゃった!」
アエリノールはどうやら、想像妊娠ってやつをしたようだ。
今、妄想が討ち砕かれて、若干悲しそうな顔をしている。
ネフェルカーラの方は、「ふん」と一つ荒い鼻息をして魔王に向き直った。
「絶対に許さない! ダムラめっ!」
いや、アエリノール。
それは闇妖精のせいじゃないと思うぞ?
しかしアエリノールの燃え盛る怒りは、あくまでも敵に向けられる。
完全に八つ当たりだとしても、敵に怒りを注ぐなら問題ない。
尤も、俺としてはアエリノールとの間に子供が出来たなら、別にリチャードって名前でもいい。
でも、どっからきたんだ、リチャードって名前? なんだかフローレンスっぽい名前だけど……。
まあいいか、「どんぐり」って名前にしないだけ。
それから暫く、戦いが膠着していた。
どうやらこの空間は、魔王であるエベールが作り上げた強力な結界の中らしい。
そんな結界をこじ開けて入ってこれたのだから、ネフェルカーラとアエリノールの力が、我が軍中でも群を抜いていることがよく分かるというものだ。
何しろパールヴァティさえ、悔しそうに結界の周囲を神象に乗って旋回しているのだから。
だが、そういう事情なら、この中で最も不利なのはプロンデルだろう。
現状、奴には味方が一人もいないのだ。
例えここで俺かナセルを倒しても、この場にいる全ての者が敵である事に変わりは無い。俺だったら、「詰んだ」って思うだろうな。
それなのにプロンデルは、相変わらず笑っていた。
まあ、それが余裕の笑みとかでないことは、流石にわかるが。
そう考えていた俺は、ピーンときた。
ってことは、俺にとってプロンデルはもう、そこまでの脅威じゃないのでは?
先にナセルをプロンデルと共に始末すれば、相対的にプロンデルの力も使って敵を減らせるのでは?
(うほっ! 俺、冴えている!)
なんて思う俺は、多分馬鹿なのだろう。わかってる。
お利巧さんなら、最初から気付く。
そこで俺が刃をナセルへ向けると、意外そうに眉を顰めたプロンデルが言った。
「戦いの興を削ぐな、馬鹿者」
馬鹿はお前だ、プロンデル。興ってなんだ! お前は命がけで遊んでるのか! いや、遊んでるんだろうな!
という訳で、俺の刃がナセルに向くと、今度は刃を俺に向けてきたプロンデル。
ナセルの刃は相変わらず俺に向いているのだから、これは結局、俺が不利になっただけではないか!
二対一になってしまった!
策士、策に溺れたでござる。
いや、こんな所でドゥバーンの真似をしている場合ではない。
こうなれば俺は、再びプロンデルへ向けて刃を振うしかないではないか。
しかしプロンデルは興がそがれて腹が立ったのか、もはや俺狙いの一直線。そして俺はプロンデルに蹴られ、吹き飛ばされる。
「げふっ!」
岩場に激突して俺の体は止まった。
背中で砕けた石が、パラパラと地面に落ちる。
そこからの、岩ドン。
なにこれ、壁ドンの上級バージョン?
そしてプロンデルのイケメンフェイスが俺に迫る。
なにこれ? 何のフラグが立った?
次には顎クイがきちゃう?
え? え?
これは俺の攻略フラグだったのか? 俺、ヒロイン? 違うよね?
しかし岩ドンしたプロンデルの手が、岩にめり込んでるな。この人、やっぱり恐い。
「シャムシール! 余は、姑息な真似を好かぬ!」
「はひぃ」
……怒られた。
戦いに姑息も何も無いと思うが……。
そんなプロンデルの背後から俺に踊りかかって来る男は、黒髪で壮年の戦士、ナセルだ。
そう、俺にとってはサーリフの仇。ずっと、討ち果たしたかった相手だ。
俺はプロンデルの脚を払い、体勢を崩れさせてからナセルの曲刀を受け、弾く。
一応、岩ドンされた仕返しだ。転べ、プロンデル!
「ふん、そうこなくては……!」
俺の背後で、喜びの声が聞こえた。
なにあいつ。反撃されて嬉しいとか、本当はM男か?
まあいい、今は無視だ。
「ナセルッ! サーリフさまの仇、今こそ討たせてもらうぞっ!」
そういった俺の顔に、プロンデルの剣が迫る。
「余は貴様等をここで倒す! 再び覇者にならんが為にっ!」
俺に弾かれた剣の軌道を変えて、すぐさまプロンデルへ突きを放ったナセルが叫ぶ。
「どいつもこいつも、よそ者がこの地で、でかい面をするなっ!」
ナセルの言葉は、何故か俺の心へストンと落ちた。
やはりナセルにも、戦うべき事情があったのだ。
サーリフにも、当然あった。
ただ、彼の仇というだけで、俺はナセルを倒そうと思った。
それだけの理由で、きっとこの男は殺されるべきではないのだろう。
そう思った。
だが口をついて出たのは、言い訳じみた言葉だ。
「俺はセムナーン、サーベ、及びマディーナの王だ。よそ者じゃない……!」
「余は、世界の覇者となる。なればこそ、この地も我が前にひれ伏せ」
俺とプロンデルの答えに、ナセルは苦笑する。
「もとより――貴様等に言って聞かせられるなら、この場で相対することも無かったであろうよ!」
そしてまた、暫く不毛な斬撃が量産される。
三人が三人とも、二対一を意識して戦うため、魔法の準備さえままならない。
グレネードングリを幾度放っても、プロンデルはおろか、ナセルにさえ一切通用しなかった。
その理由を”全ての知識”に聞けば、
『ナセルの能力は”絶対防御”です』
なんていう、恐ろしい答えが返ってきた。しかも投げやりに。
おいおい、これって、俺とプロンデルが全力攻撃でもしなきゃ、ナセルに勝てないってことじゃないのかい?
なんて思っていると、再び魔王の作り上げた結界が割れた。
「おまたせぇ」
なんとも間延びした間抜けな声が、俺の耳朶をうつ。
けれども心地よい、親友の声だ。
優しいタレ目は出逢った頃と変わらず、軽薄そうなオレンジ髪もいつも通り。
そんな俺の親友は、曲刀をその手に持ったまま、両手を広げて俺にダイブしてくる。
危ねぇから!
それに俺は男を受け止める趣味なんて、ないんだけど……。
そう思いつつハールーンの顔をみると、なんという笑顔を浮かべているのだろう。
可愛い……うっかりそう思ってしまった。
結局、俺はハールーンを受け止めた。
「シャムシールゥ、無事でよかったぁ。急いできたけど、何とか間に合ったねぇ」
「ヘ、ヘラートはいいのか?」
「大丈夫。シェヘラザードさまもいるし、アーザーデもおいてきたからぁ」
「そうか」
そんな俺とハールーンの会話は、すぐに中断された。
俺の背後にはプロンデルの刃が、ハールーンの背後にはナセルの刃が迫っていたからだ。
「ハールーン。貴様、姉を、シーリーンをその手にかけたな……?」
ナセルはハールーンの姿を認めると、意識してハールーンへ斬撃を放っていた。
ハールーンの曲刀は、ナセルの刃を強かに弾く。
しかし、一瞬でその顔色が曇った。シーリーンの名前を出されたからだろう。
「全ては、我が大王の御為。姉といえども、敵とあらば滅するのみ……」
「見上げた忠誠心だが、姉の方は弟を殺せなかったのではないか――シーリーンは、そういう女だったはずだ」
ナセルの顔が、見る間に怒気で赤く染まる。
俺達と戦っていた時とは、別人のような豹変ぶりだ。
いうなれば、これはナセルの”私怨”なのだろう。
「お前が――姉さんを語るな。例えそうだとしても、姉さんを戦いの道に引きずり込んだのは、お前だろう」
ハールーンの顔も、怒りに歪んでいる。
それにしてもハールーンは、本当に巨乳――じゃなかった、シーリーンを殺したのか? それがもしも俺の為だとしたら、俺はどうやって奴に報いたらいいんだ?
申し訳ないという感情が、俺の心に沸き上がってくる。
そんな事を考えていたら眼前に、白刃が煌いた。
プロンデルが、大きく上段から剣を振り下ろしたのだ。
その剣風で、俺の前髪が揺れた。
そうだ、今は戦いの最中。別のことを考えている余裕なんてない。
少なくともハールーンが参戦してくれたお陰で、俺はプロンデルに集中出来る。
俺は再び気合を入れなおし、魔剣に力を込めてゆく。