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第三次カルス会戦 8

 ◆


 戦局が変わった。

 ジャンヌが消えてパヤーニーも滅したが、俄然こちらが有利になった。

 フローレンス軍の後方部隊が壊滅したのだ。

 こうなれば前進を続ける部隊しか、まともな戦力の無いフローレンス軍。

 ということは、俺がここを凌げば勝ちになる。


 ただ――プロンデルだけでも押さえ込むのが厳しいのに、クレアもだって? 

 俺には、他人の死を悲しむ余裕さえないのか! どうしろってんだ!


 ていうか、俺はもうジャンヌやパヤーニーに、二度と会ええないのか? 信じられない――信じたくない――だけど、それより今は戦いだ。


 俺は悲しみとやるせなさと、それでも戦わなければならないという義務感に押しつぶされそうになる。

 それでも懸命にプロンデルの斬撃をかわしていると、事情を知らない陽気な声が聞こえてきた。


「童貞王、久しいな! 助太刀に参ったぞ!」


 純白の象が俺の横に現われて、ヴァルダマーナが朱色の槍をブンブンと回している。


「……目を、全部開けておけよ……」


 お前かよ! と思った俺は、悪くない。心がささくれ立っただけだ。

 全ての知識(アーカイブ)によれば、ここで勝利を収める為に必要な人員は、俺とパールヴァティ――それからアエリノールかネフェルカーラだ。サラスヴァティでもいいかも知れないが、彼女は飛べない。


 だというのに、お前か! 正直、期待外れなイケメン王だ。


 だがヴァルダマーナは、俺の内心を完全無視。褐色の頬に笑みを浮かべて、クレアと対峙する。

 

「皇帝とやらは、シャムシールどのに譲ろう。余は、あの女将軍でいい――ところで、あの女将軍――捕えたら、余が貰っても構わぬか?」


 ヴァルダマーナはクレアの強さを知らない。なので、変に欲望でギラついた目を彼女に向けている。

 一方のクレアは、半目だ。別に眠いということはないだろう。ただ――師匠を屠った事が、彼女に暗い影を落としたのだと思われる。

 今のクレアは未亡人さえ連想させる、虚無の美を備えていた。だからヴァルダマーナがハァハァするのだろう。あとでパールヴァティに告げ口せねば。


「ヴァルダマーナ、油断をするな。あの女の攻撃は、絶対に喰らうなよ」


 だが俺はよい子だ。なので一応、盟友となったヴァルダマーナに警告をする。

 未来の事を考えれば、この男が王であり続けた方が俺にとって都合がいい。合理というやつだ。

 あ、俺、別によい子じゃなかった。

 

 ヴァルダマーナは、「ふっ」と笑みを漏らし、第三の目――もどき――を開く。

 どうやら、本気になってくれたらしい。


「初めての共同作業だな――シャムシール王よ」


 だが、ヴァルダマーナ。その言い方はやめてくれ。俺達は夫婦じゃない。と思ったら話に続きがあった。


「――共に戦場へ立てること、誇らしく思うぞ」


 槍を構えクレアに狙いを定めたヴァルダマーナが、神象を突進させる。

 俺もそれを横目に、プロンデルへ攻撃を仕掛けた。


「陛下、お早く――今は軍を残す事こそ、お考え頂きたい」


 クレアの瞳がプロンデルに向いた。

 ヴァルダマーナなど、まるで眼中に無いかのような扱いだ。

 それでもヴァルダマーナを迎撃する精度は凄まじい。容易く突き出された槍を粉砕し、神象へ手刀を叩き込むクレアは、息さえ乱れていなかった。


「ちっ!」


 ヴァルダマーナが寸での所で、神象を転移させる。クレアの攻撃を、ギリギリで回避したようだ。同時に武器を弓に変えて矢を放つ。

 流れるような動作は、さすがヴァルダマーナ。パールヴァティよりも力が一段劣るとはいえ、技量はもしかしたら互角かもしれない。


 俺も負けてはいられない。

 プロンデル目掛けて斬り込む。同時に、グレネードングリを放つ事も忘れない。

 だが恐るべきはプロンデルの鎧だ。

 全てのどんぐりを受けつつ、まったく無傷なプロンデルの鎧は、さぞや名のある名工の手によるものだろう。

 ――と見せかけて、多分ヒルデガード作だと思うな。

 何しろネフェルカーラにもこれ程の鎧が作れるのだ。ヒルデガードも魔術師として相当っぽいから、あんな鎧が作れても不思議はない。

 

 ていうか、逆にどんぐりで傷つけられる鎧の方がダメか?

 俺の価値観がちょっとだけ、揺らいだ。

 

「天地開闢の日よ来たれ――冥王たる汝の望み、今こそ我が叶えよう――」


 俺は究極の熱核魔法を詠唱する。

 しかしプロンデルが転移して、俺の後ろに回りこむ。

 そしてアーノルドの尻尾を掴み、振り回す。


「フギャアアアア」


 アーノルドの悲鳴が、無様だった。

 尻尾を掴んで振り回されるなど、今までの竜生ではなかったのだろう。

 赤い瞳に溶岩の様な涙を溜めたアーノルドが、少しだけ気の毒になる。

 俺は振り返ると光弾の魔法を無詠唱にて放ち、プロンデルの攻撃を止めた。

 アーノルドの尻尾にも着弾したが、止むを得ないだろう。


「待機していてくれ、アーノルド」


 そう言って、俺は”機動飛翔アル・ターラ”を唱える。


「もうよい、下がれ。ペンドラゴン」


 プロンデルも既に竜から下りて、自らの力で空を舞っていた。


 俺とプロンデルが竜を控えさせたのは、ほぼ同時だ。

 邪魔という訳ではないけれど、俺とプロンデルの本気に竜達はついてこれない。ならば、不要だった。


 プロンデルの髪が、風に靡く。

 見れば東の地平から、赤い太陽が覗いていた。

 プロンデルの右側面が、燃える様に輝いている。


 俺は魔剣を上段に構え、振り下ろす。


 ”ギィィィィン”


 何万回と繰り返したこの動作だが、これでプロンデルが倒せるとは思わない。

 プロンデルも同じく、上段に構えて剣を振り下ろす。

 互いに刃を押し付け合い、中空で力比べになった。所謂、鍔迫り合いだ。


 俺は無詠唱でプロンデルの背後に、岩の槍を作り上げる。

 岩を回転させ、削り、円錐型にした。

 それを爆裂魔法にて射出、プロンデルの背中にぶつけてゆく。

 当たれば例え致命傷を与えられなくとも、鎧を貫く程度の威力は持っているだろう。

 卑怯だと言うなら、言え。

 俺は今日ほど、勝てればいい――そう思った日はない。


 ”ガガァァァァン”


 しかしプロンデルの背中は無傷。あまつさえ、笑みを浮かべている。


「容赦がないな、シャムシール王」


 凶暴な笑みに、思わず腰が引ける。

 それを見逃すプロンデルではなかった。

 

 斬撃? それとも突き? いや――魔法か?


 俺は予測し、魔剣を構え、結界の枚数を増やす。

 

 しかしプロンデルの攻撃は、そのどれでもなかった。

 

 素早く接近したプロンデルは、俺の左手を取った。

 

「くそっ!」


 まさかここにきて、関節技がくるとは思わなかった。

 俺は、半神デミゴッドだけど原人だ。だから、間接が逆に曲がったりしない。

 いくら鎧の防御力が高くても、強引に曲げられたら骨が折れる。

 まったく、こんな事ならネフェルカーラに寝技の一つも教わっておけばよかった。

 いや、ネフェルカーラとの寝技なら、別の寝技を教わりたい――。


 だから――こんな場所で死ぬわけにはいかないんだ!


 俺は腕一本失う事を覚悟した。

 この密着状態なら、俺の攻撃だって当たる。だったら――


「うおおお――!」


 俺は強引に身体を捻り、プロンデルの顔を殴りつける。

 幸いな事に、プロンデルは冑を被っていない。

 となれば、いかに高い防御力を誇る鎧を身に纏っていても、そこだけは無防備だった。


「ぐっ……!」


 ベキリ――という骨が砕ける音がした。

 俺の左手か、プロンデルの頬骨か、どちらか判然としない。

 俺の痛みも、かなりのものなのだ。折れているといわれても、信じざるを得ないほどに。


 だが、今の攻撃でプロンデルが離れた。

 その間に俺は回復魔法を詠唱し、痛みを緩和する。


「おおおおお!」


 だが、ここは病院ではない。俺の治療をプロンデルが待ってくれる訳もなかった。

 鋭い斬撃が、俺の胴を襲う。


”ガキィィィン”


 斬撃は、鎧で止まった。

 プロンデルが、目を見開いている。

 恐らく、手ごたえを感じていたのだろう。

 確かに凄まじい威力だった。

 鎧に剣が当たった衝撃で、胃液を戻しそうになるほどに。


「はぁぁぁぁ!」


 俺も裂帛の気合を込めて、魔剣を振る。

 白刃が朝日に反射して、眩しい。

 俺の刃はプロンデルの肩口を襲った。

 だがプロンデルの鎧も俺の鎧と同等なのか、罅すら入らない。

 といっても眉を顰めるプロンデルをみれば、まったくのノーダメージということもないだろう。


 俺は迫撃の為、ジャンヌの得意とした魔法を見舞う。


千の短剣(サウザント・ダガーズ)


 プロンデルの顔は、生身だ。

 何の為に顔を晒しているのか俺には理解できないが、それは紛れも無く弱点になり得る。

 案の定、顔を狙って放った短剣を悉く叩き落すハメになったプロンデルの身体は、がら空きだ。


「暗き闇より現われし王よ、我は請い、願う。全てを灰燼と化す炎を――そして永久を彷徨える闇を――。汝は我に従うべし。我は汝に恩寵を与えん――」


 刻を止めつつ、魔法を詠唱。狙う先はプロンデル。

 この魔法は、最高位階の禁呪――闇炎烈壊。

 ネフェルカーラが好んで使う”煉獄アモルタ・ヘル”がマッチの火だとするならば、これは核爆発に匹敵するだろう。

 大規模殲滅魔法どころか、何の抵抗もなければ大陸を消し飛ばす事も出来る。

 恐らくこれを喰らえば、俺の鎧だって耐えられないはずだ。

 それを圧縮してプロンデルにぶつける。

 これで勝てなければ俺に勝機なんて、はなから無い。


「させるかっ!」


 しかし、俺が詠唱の最後にさしかかった時、クレアから長剣が飛んできた。

 狙いは正確で、俺の冑にバッチリ当たる。

 ごろりと落ちた俺の冑は、見事アーノルドがキャッチ。

 いや、そんな事はどうでもいい。俺は千載一遇の機会を逃したのだ。

 今の攻撃で意識が逸らされ、魔法の詠唱が中断してしまった。


「す、すまん、シャムシールどの」


 ギリギリと鳴る俺の歯軋りに、ヴァルダマーナが頭を下げる。

 クレアを止められなかったヴァルダマーナに対して、確かに俺は怒りを感じた。しかし今、彼の姿を見れば、何も言えない。


 金糸を散りばめた外套はズタズタに破れ、頭上に巻いた布は消え去り、白金の鎧は原形を留めないほどに拉げていた。

 何よりイケメン王の左足が、無い。


 俺は慌てて回復呪文を唱える。

 流石の俺でも、欠損部位を再生させるとなれば、相応の魔力を消費した。

 しかも俺は、魔力のコントロールが下手だから、無駄も多い。

 だけど貴重な同盟者を、ここで失う訳にはいかなかった。


「いや、いい。俺の方こそ、無理をさせた。すまない」


 再びヴァルダマーナがクレアに向き直ったとき、一筋の雷光が走った。

 そして純白の巨象が一頭、俺達の前に現われる。


 雷光はクレアを襲い、”バチバチ”と不気味な音を立てていた。

 一方で巨象に乗った麗人は、怒りで頬を痙攣させている。


「わらわのヴァルダマーナに……一体何をしてくれたのじゃ……もはや貴様、峰打ちで済むと思うなよ……」


「貴女こそ、何をしたの? ピリッとしたけど、それが何?」


 クレアは仏頂面だ。

 だが、その中にも焦りが見える。


「陛下、お早く。ご自身の楽しみにかまけて、全てを失いますな」

 

 クレアが早くというからには、何かがあるのだろうか?

 そういえば、プロンデルは先ほどから、一切魔法を使っていない。

 温存だろうか? それとも、何か奥の手があるとでもいうのだろうか?


「強者との戦いこそ余の望み――クレア、貴様の言、臣下の分を越えておるぞ」


「主君の間違いを正すも、臣下の勤め。ましてや機を逃せば、帝国崩壊へと至る場ですから」


「ふん、機はわきまえておるわ」


 プロンデルの内に、揺らめく魔力の高まりを感じる。

 その力は膨大だ――やはりそれに対抗する為にも、俺は極大魔法を控えようと思った。


 ◆◆


 パールヴァティが来てからというもの、クレアが防戦一方になっている。

 もしかして以前戦ったパールヴァティは、本気じゃなかったのかもしれない。

 

 象の頭を一撫ですると、槍を片手に空を舞うパールヴァティは美人なのにイケメンだ。

 丸く大きな目をすっと細めて、パールヴァティはクレアに問うた。


「最強の力を得たからというて、全てが思い通りになると思うでないぞ」


 第三の目を見開いたパールヴァティは、全てにおいてクレアの先へ行く。まるで敵の未来を予知しているかのようだ。

 もしかしてアレが、第三の目の本当の力かもしれない。

 だとすれば”予見眼”か? アエリノールが必死で欲しがっていたのも頷ける。

 俺も欲しいぞ”予見眼”。って、違っていたら恥ずかしいな。


「ほう、あれが神族イーシャ……」


 顎をさすってウットリとパールヴァティを見つめるプロンデルは、鼻の下を伸ばしている。さっき俺にやられかけたのに、大物だな、このやろう。

 こっそりもう一度、特大の魔法を唱えてやるからな。これでお前も終わりだぞ、プロンデル!


 俺がそう思った瞬間、プロンデルが俺に振り返った。


「まだ、今しばらく――楽しませてもらおう」


 プロンデルの言葉は、意味が分からない。

 だが、奴が俺に斬撃を繰り出してきた事実に変わりは無い。俺は無心で刃を弾く。


 ”ギィィィン!”


 大きな金属音と共に、火花が散った。


 プロンデルの剣は軌道の予測など、とても出来ない。

 俺はただ、”高速化スピード・オブ・ライト”を掛け続け、生まれる超人的な反射速度によって凌ぐほか、奴の攻撃をかわす術がなかった。


 だから俺の魔力は、常に目減りしている。

 まだ幾つかの禁呪を放つ余裕はあるが、これ以上戦闘を長引かせることは危険だろう。

 何しろ、格闘戦で俺に勝機はない。

 いや、もちろん膂力ならば俺が上だ。その事はわかった。

 しかし、剣術、格闘術の地力は、間違いなくプロンデルが勝っている。

 加えてプロンデルは魔法を使っていない。となれば、膨大な魔力を温存している可能性もあった。



 俺とプロンデルが対峙を続けている最中も、クレアとパールヴァティの戦いは続く。


 パールヴァティの槍が、クレアに当たるようになった。

 被弾したクレアの鎧が緑の破片となって、幾度も宙に舞う。

 その度にクレアが、小さな悲鳴を上げていた。

 クレアの悲鳴は、「キャッ」とか「んっ――」とか「……あっ!」とかで、控えめなものだ。

 だけどなぜか、色っぽい。


「ぐっ、捕まえた――」


 その時、クレアの右肩にパールヴァティの槍が刺さった。

 顔を顰めながら、クレアは左手で槍を掴む。すると槍は光の粒子と化して、さらさらと消える。


 全身から血を滴らせながらも、パールヴァティに微笑むクレアはいっそ妖艶だ。

 ジャンヌとの戦闘もこなし、今もまた全力戦闘のクレア。彼女は一体、どれほどの魔力を持っているのだろう?

 既に人間の領域を超えているような気もするが、英霊体質というのは、そういうものなのだろうか?


「ほう、だが、それがどうしたというのじゃ?」


 しかしパールヴァティは、武器を失ったというのに慌てなかった。

 それどころか、首を傾げている。本当に、クレアの行動を不思議がっているようだ。


「槍は――わらわが魔力で作り出したモノ。であれば、ほれ、このように幾度でも作れるのじゃ」


 辛辣で凄惨な笑み。

 見たものに絶対の恐怖を齎すであろう微笑を、パールヴァティは浮かべた。

 

「希望を打ち砕いたようで、申し訳ないがの――」


 クレアが一瞬だけ、眉を顰めた。

 縦に入った眉間の皺は小さいが、それはクレアの絶望に反比例しているのだろう。

 だらりと両腕を下げたクレアは、溜息を吐いた。


「戦いには、相性というものがある。私では、貴女に勝てないようね」


 いや、違う。

 クレアはやはり、絶望している訳じゃない。これは演技だ。


 多分だけど、パールヴァティに動きを読まれるならば、ギリギリまで彼女を引き付けてから倒そうという魂胆だろう。

 あるいは、相討ちを覚悟したのかもしれない。


「ほう、そのような覚悟も出来るか。尤も、武人ならば当然じゃが……」


 パールヴァティは象を下りると、槍を構えたまま宙にたゆたう。

 クレアに対して、武人としての礼を尽くすつもりになったのだろう。それが油断に繋がらなければいいのだが。


 空気が、パールヴァティの下に集まる。

 澄んで、冷えた空気だ。

 次の瞬間、パールヴァティが姿を消した。そしてクレアの心臓へ槍の一突きを叩き込もうとした刹那――


「我と我の眷属よ――祝福されしこの道を通れ! 我が魔力をもって、幻界と現界の橋と為す!」


 俺の耳元で、プロンデルの大音声が響く。

 鍔迫り合いの最中、プロンデルがありえない程巨大な魔法を発動させた。

 だが、それは攻撃の為のものではない。


 逃げる――。


 プロンデルの行動に、その選択肢が含まれているとは思わなかった。

 だが――思えば最初から撤退行動としての突撃を敢行していたフローレンス軍だ。プロンデルといえども、その大前提を忘れたりはしていなかった。


 俺の周囲で、次々と敵がその姿を消してゆく。

 ウィルフレッドもヒルデガードも――そしてクレアも、淡い光に包まれて消えた。

 だが同時に、この三人は危地に陥っていたとも言えるだろう。寸での所で難を逃れた――そう言える。


 それだけではない。


 フローレンス軍の精鋭も皆、こぞって消えた。

 サクルが一騎討ちを続けていたフィアナを探している。

 ようやく互角になったところで相手が消えたものだから、サクルが憤慨していた。


「何処へ逃げてもォォ! 貴様の首は掻き切ってやるぞォォ! フィアナァァ!」


 あの愛らしかったサクルが、今では立派な熱血娘だ。

 というより、元々熱血だったのだろう。でも、可愛いから問題ない。

 マーキュリーやジャムカも振り上げた刃を下ろす相手を失って、閉口していた。


 つまりそんな状況での逃げ。

 プロンデルは、全軍崩壊を避けたのだ。

 いや、或いは最初からこれが狙いだったのか?

 だからこそ、プロンデルは魔法を使わず、魔力を溜めてこの機会を狙っていたのだろう。

 プロンデルのタイミングは絶妙だったかもしれない。

 俺はまた、ここで大きな獲物を逃すのだろうか?

 

 いや――違う。

 そんな最中にあって、プロンデル自身は俺と鍔迫り合いを続けているのだから。


「ふん――誰かが余に干渉しおった……」


「逃げそこなったな、プロンデ――んっ――?」


 プロンデルが愉快気に唇の端を吊り上げている。

 その顔を見た瞬間、俺の身体を地上へ引き付ける凄まじい力が働いた。

 だがどうやら、力は俺だけに働いた訳ではないらしい。

 プロンデルと俺は、同時に地上へ叩きつけられたのだから。 


 落ちる直前、回転して着地をしようと思ったが、体の自由が利かない。仕方なく俺は、受身を取るだけに留めた。

 とはいえ背中を強打した俺は、痛みで転がりまわる。


「げほっ!」


 そして息がつまり、涙目になる俺。


「ぐっ!」


 俺の横には、同じく落下したプロンデルがいた。

 プロンデルは、俺ほど無様にのた打ち回ったりしない。

 

 俺とプロンデルを見下ろすのは、ナセルだった。

 馬に跨るナセルは、実際よりも大きく見える。

 その側にはローブ姿の男と、軽装鎧を身に着けた女が立っていた。


「魔王どの、手間をかけるな」


「かまわん。我が一部を逃したことは手痛いが、半神デミゴッドどもを屠る方が先決だからな」


 俺は立ち上がり、魔剣を構える。

 差し当たりナセルは敵、プロンデルも敵、魔王と呼ばれた男も敵と考えれば――うん、俺に味方はいない。

 お腹の下がキューってなる程恐いぞ。逃げたい。でも逃げ方も分からない。


 プロンデルも立ち上がって、周囲を見渡している。

 

「面倒だ。全員で余に掛かってきてはどうか?」


 プロンデルの現状認識も、俺と同じらしい。導き出した回答が、実に似通っている。しかし解決策の方は、俺の「逃げたい」に対して「掛かって来い」とは随分と豪気な。


 ではお言葉に甘えて、俺は遠慮なくナセルと共闘しようかな……。

 もちろんナセルはサーリフの仇だ。最終的には殺しますとも! だけど、ね。


「ふん、貴様等こそ、同時に俺に掛かってきても構わんぞ?」


 うん、ナセル氏。元々男らしかったけど、また一段と男らしくなって。父さん、うれしいよ。足の震えが止まらないもの。

 じゃあここは、やっぱりプロくんと共闘しちゃおっかな、俺。


「ただし貴様等、この場で飛べると思うなよ? 魔王――エベールどのの結界が張られているからな」


 なるほど、そういう理由で俺とプロンデルは墜落してしまったのか。

 ナセルの説明に納得した俺は、手の中に魔力を込めてみる。もしも魔法そのものを封じられたなら、厄介だからだ。

 しかしどうやら封じ込まれたのは、機動飛翔アル・ターラだけ。だったら、何とかなるか――漏れそうなオシッコさえ我慢できれば。

 いや、いっそ漏らすか? 

 そうすれば、


「何こいつ、汚ねぇ! 剣が錆びるから、後にしよう!」


 なんて二人が思ってくれる――訳が無い。却下だ。


 周囲を見れば、今度はナセル軍と不死隊アタナトイ、そしてダスターン隊が刃をかわしている。

 互いに疲弊しているだろうに、戦いをやめないとは――。

 まさしく今日、全ての決着をつけようとしているのだろう。

 俺も情けない心を奮い立たせる。

 

 勝つ! とんかつ! ハムカツ! カツどん! 


 なんだか俺の脳は、脳内麻薬が出まくっているようだ。

 心は奮い立ったが、思考がおかしくなった。変な事まで思い浮かんでくる。カツどんが食べたい。

 

 それにしても――ドゥバーンはこのことまで想定して、兵の腕に白布を巻くよう言い含めていたのだろう。まったく恐れ入る。

 

 俺が覚悟を決めてナセルに斬り込もうとした時、上空から二つの流星が降ってきた。

 一つは漆黒――今一つは黄金色の髪と白銀の鎧を身に纏った――要するにネフェルカーラとアエリノールだ。

 ネフェルカーラは、危なげなく立派に着地をした。

 しかしアエリノールは、元々が苦手な機動飛翔アル・ターラ。現状は結界でその発動さえ出来ないのだから、まさに墜落だった。


「混沌の魔王――久しいな」


 腕を組もうとしたネフェルカーラが、怪訝そうな顔をする。

 右腕の肘から下が無かったのだ。

 慌てて左腕を腰に当てるネフェルカーラの顔が、若干青冷めていた。


「ネ、ネフェルカーラ! 腕っ!」


「む? そのうち生えてくる。心配無用だ」


 そうか、ネフェルカーラだもんな。基本的な仕様は、蜥蜴とかと変わりないんだろう。

 って、オイ。ネフェルカーラって、手足が切れても生えてくるのか? 

 お前、本当はナ〇ック星人とかじゃないだろうな? いきなり緑色にならないでくれよ。


「はふへひひはほ、ひゃふひーふっ!」


 アエリノールは、頭から地面に突っ込んでいた。

 地面に突っ込んだ頭を一生懸命引き抜こうとしつつ、何かを言っている。


 意訳すれば、


「助けに来たよ、シャムシールッ!」


 なんだろうけど、明らかに助けを必要としているのはお前だ。

 なので俺はアエリノールの腰を持って、地面から引っ張り出してあげた。


「ふう、助かった!」


 いや、アエリノール……さっき助けに来たって言ってたのに、結局自分が助かったって認めるんだ。

 だが、俺の心に様々なツッコミを去来させたアエリノールは剣を抜くと、エベールに向き直る。


「混沌の魔王エベール、堕つべし!」


 しかしアエリノールの翳す切っ先の前に立ちはだかるのは、闇妖精ダークエルフのダムラだった。

 エベールをダムラに身体で隠されたアエリノールは、細眉を吊り上げる。


「邪魔よ! 貴女如きに用はない!」


「最近、天王インドラなどともてはやされて調子に乗った、馬鹿な上位妖精ハイエルフね。私が相手をするわ」


 青い口紅の引かれた薄い唇が、やや吊り上がる。ダムラの端整な微笑が、アエリノールに向けられた。

 同時に細身の剣を抜き放ったダムラは、血の油で曇った自らの剣を眺め、眼を細める。


 エベールもローブのフードをずらし、顔を露にした。


「ナセル――乗りかかった船だ。お前の覇道、僅かながら手助けしてやろう」


 エベールが紫水晶のはめ込まれた漆黒の杖を翳す。その杖で二度ほど地面を叩くと、頭を三つ持った巨大な狼が二頭、現われた。


地獄の番犬(アル・ムルジム)か。そんなものに頼らねば、おれと戦う事も出来ぬのか?」


 ネフェルカーラの緑眼が、冷たく光る。

 合計十二個の瞳を威圧するネフェルカーラが、足を一歩前に踏み出すと、犬たちは後ずさった。


「ネフェルカーラ。自らの出自を知らねば、面白おかしく暮らして行けたものを……」


「ふん……魔王殺しというのも、また楽しい」


「減らず口を……満身創痍の貴様に敗れるほど、私は弱くないぞ」


 俺はナセル、プロンデルと対峙している。

 だからネフェルカーラの援護にも行けない。

 そもそもネフェルカーラもアエリノールも、俺の為にここへ来てくれたのだろう。


 俺は二人に助けられてばかりで、本当に情けない男だ。

 情けなくて、涙が出そうになる。


 涙の代わりに雨粒がポツリと、俺の頬に張りつく。

 いつの間にか、雨が降り始めていた。

 一応カルス平原もオアシスの一種だから、雨も降る。

 いつの間にか太陽は翳り、曇天に変わっていたのだ。

 本来ならば恵みの雨は、ただ戦場の血を洗う。

 

 降り始めた雨を合図に、それぞれの戦い――その火蓋が切って落とされた。

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