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第三次カルス会戦 7

 ◆


 銀鎧に大きな銀盾を装備した上位魔族シャイターンゼルギウスに、すべての攻撃を防がれるカイユームは、額に汗を浮かべていた。


 ――といって、カイユームに焦りはない。


 自分が振り回す大斧など、所詮はこけ脅しに過ぎないのだ。万が一当たって、敵の鎧が破損でもしてくれたらラッキー、程度にしかカイユームとて思っていない。


「傷一つ付けられないなんて、やっぱり私、非力かしら?」


 しかし自らが全力であると敵に印象付ける為、カイユームはぼやく。

 そこで何故か、ネフェルカーラが頷いている。

 そんな余裕があるなら、戦いを手伝って欲しいと思うカイユームだった。


光弓ヌール・サハムッ」


 カイユームは自らの頭上に、無数の弓矢を出現させた。

 そして一斉にゼルギウスの盾を狙う。

 まず、あの盾をどうにかしない限り、カイユームの攻撃は届かない。

 ならば攻撃を一点に集中して、あの盾を砕けばいい。

 一つ一つの威力は小さくとも、束になれば光弓ヌール・サハムだってそれなりの威力なのだ。

 そして光弓ヌール・サハムの後に、本命である斧を飛ばす――ありったけの魔力を込めて。

 全てはそこへ至る為の、カイユームによる心理誘導であった。


(それでゼルギウスの大盾が砕けなければ、また膠着するな――それにしても――)


 ゼルギウスは確かに強い。しかし全てがカイユームの思惑通りに行き過ぎる。

 だからカイユームは少し、呆けた。

 呆けた隙間で、消えたジャンヌの事を思ってしまったのだ。


 ――師匠が死んだのは 本当だろうか?


 元々、よい師匠と弟子の関係ではなかった様に思うカイユームだ。

 しかしごく最近は打ち解けて、昔話などもそれなりにしていた。

 色々と、互いに心情を吐露するようにもなっていた。


「シャムシールちゃんの処女は、僕が貰うからね!」


「師匠は、一体何をするつもりですか……」


「ぐへへ! カイユームは童貞の方を奪えばいいさっ!」


「はあ、それは有難く」


 いや――こんな会話が心情の吐露だとしたら実に腐った子弟だが、それはこの際置いておこう。


 とにかくカイユームにとっては、


「もしもこれから新しい関係が築けるなら、昔よりも親密になれる――」


 そんな気がしていた矢先に、ジャンヌが消えたのだ。

 この戦場では――カイユームにとってもう一つ大きな事が起きた。

 

(アリスも、第四夫人達に倒されたわね――自業自得なのだろうけれど)


 カイユームとは、どうしても考えの合わなかった妹弟子も死んだ。


 カイユームは、暫し考える。


 ――アリスの場合は復活も可能だろう。けれど、彼女は何かに侵食されている様に感じた。

 それでも、本当に復活が可能なのだろうか?

 そもそも転生の儀式も無しに、素体へ幽体アストラルを移すことなど出来はしない。

 ジャンヌも消えたのだから、尚更だ――


 結局カイユームは、寂しかった。

 だからカイユームは、眼前の敵に集中できない。

 いっそ死を望むかのような不穏な空気を、カイユームは纏ってしまった。


 そんなカイユームの隙を、見逃すゼルギウスではない。


 盾を翳して矢の被弾を恐れずカイユームへ向かったゼルギウスは、巨大な長剣を横へ一閃。

 カイユームのローブが裂けて、鮮血が迸る。

 ゼルギウスが防御に徹するであろうと予測した、カイユームの迂闊さだ。

 ここにきて、初めてカイユームの予測が外れた。


(心理誘導をしているつもりで、されていた?)


 斬られた左腕を押さえつつ、自嘲するカイユームは正気に戻る。


(ふっ……考えてみれば上位魔族シャイターンを相手に、私如きが余裕など、あるわけが無い)


治癒ヨアーレグッ」


 後退しつつ治癒。そして激しい剣撃を斧で防ぐカイユームは、いつしか不利になる。

 ゼルギウスの長剣は、カイユームの防御結界をギリギリで破る力を持っていた。

 対してカイユームは、斧を魔力で操るという本来の戦い方でさえ、ゼルギウスの盾を破れない。

 ならば――カイユームは圧倒的に不利である。


 一瞬、死を望んだカイユームの視界に、身体を取り戻したサクルが映った。

 

(そうだ、サクルがせっかく復活出来たのに、私が消えてどうする――!)


 カイユームの心に、瞳に、眼鏡に――生気が戻る。

 だが、圧倒的なゼルギウスの攻撃を前に、カイユームは勝機を見出せない。

 いや、方法はあった。

 しかし、それをやってしまえば、後がどうなるか分からないのだ。


「だけどサクル――やっぱり私、死んじゃうかも――ゴメンね」


 けれど、カイユームは覚悟を決めた。

 肉体を捨てる覚悟だ。

 カイユームには素体が残っている。だからこの肉体が滅んでも、それがイコールで死に繋がることはない。

 だからこその、カイユームの決断だった。

 しかし相手は上位魔族シャイターン。そんなものが生を保証するものではないことを、カイユームは知っている。


「ああ……シャムシールさま……」


 カイユームは防御を捨てて、呪文を詠唱、魔法を構築する。

 構築した魔法は、二つだ。

 一つ目は、カイユームが翳した右手から発生した巨大な、真紅の魔方陣――。

 中空に描かれた二重の円の縁からは、チロチロと紅蓮の炎が垣間見える。

 

 ゼルギウスはこの時、こう考えた。

 

(いよいよ最後の賭けに出たか、人間の魔術師め……)


 事実、カイユームの右手が生み出した魔法陣は、炎の精霊王ジンニー・アファーリートを召喚するものだ。

 そんなものが召喚されてしまえば、ゼルギウスとしては厄介な戦いを強いられる。

 それがカイユームの切り札だとゼルギウスが思っても、至極当然の魔法だった。

 

 ゼルギウスも一転、捨て身の突貫攻撃に入った。

 先に技を放った方が勝つ。そう考えたからだ。

 

「破陣剣――!」


 ゼルギウスの技は、結界を無効化して斬り裂く。

 ただでさえ剛力によってカイユームの結界を破壊する男が、無効化するのだ。

 既に呪文の詠唱を始めているカイユームに、それを防ぐ術などないはず。

 だからこそゼルギウスはこの時、勝った――そう思う事が出来たのだ。


 事実ゼルギウスの剣が、深々とカイユームの心臓へ突き刺さった。

 魔法が発動する寸前の事である。

 描かれた魔法陣の円も、斬り裂かれていた。

 本来ならば、即死だろう。

 しかしカイユームは笑っていた。


 笑いの意味が分からないゼルギウスは、不快だ。

 ゼルギウスは怒りに駆られた。そして怒りのまま、剣を斜めに振り下ろす。 

 カイユームは胸から腰にかけて、斬り裂かれた。

 それだけではない。

 手首を返したゼルギウスは、カイユームの身体を上下に両断した。


「堕ちろ、魔術師っ!」


 ゼルギウスが雄叫びを上げる。

 しかしカイユームは、まだ笑っていた。

 赤い縁の眼鏡も、不気味に輝いている。


「師匠――アリス――また一緒に――いけ、メタトロン――!」


 カイユームの下半身が地上へ落下すると同時に、頭上へ展開した巨砲――メタトロンの零距離射撃がゼルギウスを包む。

 カイユームが展開したもう一つの魔法。それこそが切り札だった。

 カイユームが同時展開した魔法は、”機動飛翔アル・ターラ”を含めれば、これで三つだ。

 なぜそれが可能だったか――。


 今、カイユームの付与エンチャントアイテム――真紅眼鏡クリムゾン・グラスが砕け散った。

 

 別にカイユームは、趣味で常に赤い眼鏡を掛けていた訳ではないのだ。

 自身の保有魔力に匹敵する魔力を、それ(・・)に込めておいた。そして、いざという時、自動詠唱で”メタトロン”が発動するよう、調整しておいたのである。


 だからネフェルカーラは眼鏡がカイユームの本体だと、冗談を言っていたのだ。

 たしかに本体と言っても過言ではない程の魔力を、カイユームは眼鏡に込めていたのだから。


「ば、馬鹿な! 三つの魔法を同時展開だと――! 人間ごときが!」


「人間を馬鹿にしないでくれませんか――? 私たちは知恵と勇気と愛とエロで――何処までも強くなれるのですよ」


 慌てて盾を翳したゼルギウスだが、この距離では意味がなかった。

 カイユームの勝利だ。

 そして人が強くなる成分として、エロを入れたのは紛れも無くカイユームがジャンヌの弟子だからであろう。


 光の渦が、ゼルギウスとカイユームを飲み込んだ。

 こうして二人は共に、塵となって肉体を失った。


 ――――


 ネフェルカーラは、頬を掻く。

 カイユームが死ぬか、生きるか、今はまだ分からない。

 だが、彼女が命がけで護ったものがシャムシールの勝利だということを、ネフェルカーラは痛感している。


(ともかく、カイユームは成すべき事を成した。だから今度はおれの番だ)


 と、男前なネフェルカーラはそう考えた。


「もしも生きていられたなら、シャムシールに寵愛されることを認めてやってもよい……貴様も……ジャンヌも……」


 緑眼が僅かに潤んだ魔術師は、自身の周囲に爆炎を展開させた。炎による結界だ。

 何故そんなモノを展開させたかと言えば、今、ウィルフレッドが姿を隠したからである。

 いくら姿を隠しても、同じ空間に居れば、炎の齎す熱からは逃れられない。

 ネフェルカーラは、ウィルフレッドをここで倒したかった。

 いや、正確にいえばウィルフレッドの内部に存在する”ルシフェルの因子”を潰してしまいたいのだ。だからこそ、ウィルフレッドの逃走も阻止したかったのである。

 

「私が逃げるとでも?」


 案の定、ウィルフレッドは炎を斬り裂き、ネフェルカーラの前に姿を現した。だが、細められた瞼の奥にある瞳は、獰猛な色をしている。まるで追い詰められた獣のようだ。


「冷静な貴様のこと――この状況で戦い続けるとは思えぬ。だが、といって逃げる為に炎にまかれた無様な姿をさらすとも思えぬ――よって、現状だ」


 ネフェルカーラの瞼も細められる。此方の瞳は、獲物を狙う猛禽類のようだ。


「自惚れるなよ、イズラーイールの子。一対一なら勝てるなどと」


「貴様こそ全力も出せぬのに、おれに及ぶと思うか?」


 互いに剣を振い、戦う。

 その斬撃は速く、鋭い。

 その中で舌戦を繰り広げている、ネフェルカーラとウィルフレッドだ。


 ウィルフレッドの突きをかわしたネフェルカーラが、脇に回りこんで肘を叩き込む。

 ネフェルカーラの闘術に、型の様なものは無い。

 そもそも剣士ではないネフェルカーラだ。蹴りも肘も、何なら関節技でも状況に合わせて彼女は使う。

 しかも彼女は、打撃に強力な魔力を込めている。だから威力は、核撃魔法にも匹敵するだろう。


 しかしウィルフレッドは怯まず、表情も変えない。

 そのまま身体を半回転させて、ネフェルカーラの頭を剣で狙う。

 身を沈めるネフェルカーラ。

 頭上に振り下ろされる、ウィルフレッドの拳。


 ウィルフレッドは剣士である。

 にも拘らず、その闘法は多彩だった。


 ネフェルカーラの頭に、ウィルフレッドの拳骨が落ちた。


「はわわっ……!」


 まさかの攻撃に、ネフェルカーラがピヨる。

 頭上に星とひよこが飛んだネフェルカーラは、二秒程意識を失った。


「乙女の頭を殴るとはっ!」


 立ち直ったネフェルカーラは、やはりご立腹だ。頭を殴られたのだから当然だろう。

 だが、彼女の乙女発言に同意を示す人はいない。

 代わりに、地上すれすれまで落ちたネフェルカーラへ、幾つもの風の刃が迫っていた。

 ウィルフレッドが”風刃ウィンド・ブレイド”を乱射していたのだ。

 腕を交差して防御するも、ネフェルカーラの頬には幾筋かの傷が付く。


「忌々しいっ!」


 ネフェルカーラは結界の出力を上げて、強引に”風刃ウィンド・ブレイド”の雨を突破する。

 腕も、身体も、顔も傷付いてゆくが、気にしてはいられない。

 目の端で、シャムシールの苦戦を見たからだ。

 

 増援は来た。

 しかし、シャムシールが苦戦している事に変わりはない。


(ならば、おれが助けねば、誰が助けるというのだ!)


 多分シャムシールを助けたいと思っている人は、沢山いるだろう。

 しかしネフェルカーラは、自分しかいないと思っていた。


 強引にウィルフレッドへ近づいたネフェルカーラは、剣を見舞う。

 この時ネフェルカーラは、ジャンヌよりも遥かに強力な”刻使い”になった。

 自分でも知らず――全ての動きを止めたネフェルカーラは、易々とウィルフレッドの腹部へ剣を突き立てる。

 

「ぐはっ!」


 口から大量の血を吐き出したウィルフレッドは、突然の出来事に目を見開いている。

 とはいえ、慌てないウィルフレッドは流石だ。

 瞬時に横へ払われたウィルフレッドの斬撃が、剣ごとネフェルカーラの右腕を切り取った。

 刻を止めてご満悦だったネフェルカーラの油断を、刻を止められても即座に対応したフィルフレッドが衝いたのだ。


 ネフェルカーラの腕に、激痛が走る。

 これほどの負傷をしたのは、生まれて始めてのネフェルカーラだ。


「はうぅ~……」


 とても痛くて涙目、そして苦痛の呻きがさっきから若干可愛いネフェルカーラは、しかし怯まない。


「炎の帝王へ申し上げる。(闇の太子よ、我の声を聞け)我が敵を焼きつくし(欲望に包まれし俗物の魂をこれに繋ぐ)、叛旗の目を摘むことを願い(狂気の鎖を与え給えかし――闇牢獄ダーク・プリズン)、贄を捧げるものなり。故に汝の眷属を貸し与え給え――炎鳳撃衝フレイム・フェニックス


 ネフェルカーラは刻を限りなく遅く――進ませる。

 そして同時に、二つの魔法を詠唱していた。

 どちらをとっても、膨大な魔力を消費する禁呪だ。

 流石のネフェルカーラといえども、その表情が歪む。

 だが、これで決着を付ける――その決意が、彼女の口を動かしていた。


 空間に現われたのは、闇だった。

 闇から伸びた鎖が、ウィルフレッドの両手両足を縛る。

 もがけばもがくほど、肉体に食い込み侵食する、闇の鎖だ。


 そしてネフェルカーラの左手から、巨大な炎が飛び出した。巨大な炎は、みるみる鳳凰の姿へと形を変える。


 ”ゴォォォォォ”


 凄まじい音が響いた。

 鳳凰の羽ばたきで、辺りは昼よりも明るく照らされる。

 まるで太陽が二つになったかのようだ。


「ふっ、これ程の魔法に敗れるなら、悔いも無い――」


 絶望に瞼を閉じたウィルフレッドは、しかし――次の瞬間、消え去った。


 ネフェルカーラは確かに「勝った」そう思った。

 その瞬間の出来事であった。

 ウィルフレッドを消した張本人は、プロンデルであろう。それは正しい。

 だが、それだけではなかった。

 状況の変遷が、ネフェルカーラの予測を上回っていたのである。


「混沌の――魔王! 貴様までシャムシールを狙うかっ!」


 ◆◆


「なによ! なんなのよ! ここっ!」


 アエリノールは怒っていた。

 ヒルデガードの生み出した結界のような空間で、一人、プンスカしている。

 とりあえず、腰の袋からどんぐりを取り出して食べてみたら、爆発した。

 

「いったぁーい」


 口の中がヒリヒリする。しかし、自業自得だった。


「シャムシールにキスしてもらわないと、これは治らないよねっ!」


 そう思ったアエリノールの口は、既に完全回復している。相変わらず、出鱈目な女子だった。


 この場所は、時空を超えている。

 外界との干渉は、一切ない。

 言ってしまえば、同じ空間に生まれた別次元である。

 すなわち、幻界――それを模擬してヒルデガードが作り上げた箱庭と云えるだろう。


 だが、そんなことはアエリノールに関係ない。

 このまま出られなければ、お腹が減る。

 どんぐりはまだまだあるが、うっかり火薬や魔力を仕込んでしまった為、爆発する。とてもじゃないが、食べたくない。


「サラスも閉じ込められたみたいだし……」


 アエリノールは集中して、サラスヴァティの魔力を探す。

 しかし、一切の魔力を感じることがない。

 それもそうだ。

 何しろサラスヴァティは、別の箱庭に閉じ込められている。繋がりなどないのだ。


 だがサラスヴァティがいる空間は、アエリノールが入れられた空間よりも下位のものだ。

 それはヒルデガードがサラスヴァティを見縊ったという理由もあるが、本来ならば、サラスヴァティ程の者が閉じ込められるような空間ではない事も事実である。


 だから現界――カルス平原では、異変が起きていた。


「おおおおおおおっ! わらわ、大・復・活!」


 闇がガラスの様にひび割れて、”パンッ”と弾けた。

 中から現われたのは、蒼い髪色の麗しい馬鹿である。

 サラスヴァティが出られるのは、当然なのだ。


 しかしアエリノールさえ囚われた今、周辺に居るシャムシール軍にとってこれは、紛れも無い快事であった。


「「千人長! サラスヴァティさまっ!」」


 歓声に包まれたサラスヴァティは、嬉しそうに手を振った。

 アエリノール以上に馬鹿なので、サラスヴァティは歓声が嬉しい。もちろん状況なんか、知った事ではない。

 だけど、部下の報告を聞く。

 朝ごはんの準備が出来たという報告だったら、一大事だからだ。


「アエリノールさまが囚われましてっ!」


 朝ごはんの件ではなかった。

 その前に、困った事が起きている。

 あのアエリノールが捕えられたというのだ。

 腹は減ったが、友として助けねばならないだろう――そう考えたサラスヴァティは、意外にマトモだった。


「うむ、大事!」


 だが、本当は「大事無い」と言いたかったサラスヴァティだが、そんな語彙がなかった。残念である。

 大事ってなんだ? そう思った部下だが、余計な事を言ってサラスヴァティを怒らせるのも恐い。


「……はっ」


 なので曖昧に返事をして、サラスヴァティの下を離れた百人長であった。


「おい、そこのエロフッ! 下りてきてわらわと勝負せいっ!」


 サラスヴァティは第三の目を見開いて、ヒルデガードに叫んだ。


(とりあえずアイツを倒せば、アエリノールは帰ってくるハズじゃ!)


 そう考えたサラスヴァティの直感は、正しい。

 なので直感に従い、サラスヴァティはヒルデガードに勝負を挑む。

 ちなみにヒルデガードを”エロフ”呼ばわりしたサラスヴァティは、単純に言葉を間違えただけである。


 しかし――ヒルデガードの心は折れた。


(わ、私がエロフ……そんな風に呼ばれちまうのも、全部プロンデルのせいじゃねぇですか……)


 ヒルデガードは納得出来なかった。

 盛大な文句を言いたかった。

 しかし、下りて来いと言われて下りたのでは、場所のアドバンテージを失うことになる。


「う、うるせぇです! 悔しかったら飛んでみやがれ、ですっ!」


 ヒルデガードは、飛べないサラスヴァティを罵倒することで、とりあえずの溜飲を下げようと思った。


「むう、では、あれをやるかのう……」


 だが――サラスヴァティには手段があるらしい。

 ヒルデガードは地上を見下ろしながら、”ゴクリ”と音を鳴らして唾を飲み込む。


(やべぇです。あんなのが飛んだら、恐ぇですよ……もう私、エロフでいいんじゃねぇですか?)


 ひたすら目を泳がせるヒルデガードは、いっそ哀れだ。


 首をかしげたサラスヴァティは、周囲を申し訳なさそうに見回した。

 部下である奴隷騎士マルムーク達が、嫌な予感がする――といった風に顔を見合わせている。


 サラスヴァティの詠唱は、唐突に始まった。


「偉大なる水神よ、我は汝の眷属を欲する。我が願いは汝が思い。汝が思いは我が願い――全ては絶対の摂理にして因果の理によるものと知る。さあ、現われ出よ、水神の子――水竜よ――」


 大気中の水がサラスヴァティの頭上に集まり、一つの形を作り上げてゆく。

 色は、濃い青色だった。

 巨大な胴体は爬虫類のようで、皮膜の翼を持っていた。

 丸太の様な手足の先はヒレのようになっているが、その容貌はまさしく竜だ。口には鋭い牙を持ち、頭には四本の雄雄しい角が生えていたのだから。


「グォォォォオ!」


 巨大な咆哮を上げて、水竜はゆっくりと地上へ下りた。

 

「おお、久しいの、ナーガ……けほけほ」


 よたよたと水竜に触れるサラスヴァティは、魔力の枯渇を起こしているらしい。元気をとても失っていた。

 何しろサラスヴァティの魔力総量は、多くない。

 いや、多くないといえば語弊があるが、ネフェルカーラやアエリノールに比べれば半分以下である。

 それにも関わらず先ほどから魔法を使い続け、そして今、水竜を召喚したのだから、魔力が枯渇するのも当然だった。


「グルル……(我を呼ぶのは、万全の時にせよと申したであろうに)」


 呆れる水竜は、顔の脇に水滴が付いている。

 まるで汗のように見えるが、決してそうではない。何故なら彼が水竜だからだ。


「と、ともかくあそこの魔術師と戦うのじゃ。アエリノールを救わねばならぬ……けふん」


 水竜の首に両手を絡めて、何とか騎竜したサラスヴァティ。

 しかしその背にぺったりと倒れこんだ彼女は、もう限界だ。

 しかし幸いだったことは、これで更にヒルデガードの心が折れたことだろう。


「竜の召喚……それも精霊竜ではなく属性竜!? こんなことが出来る奴がいるなんて、聞いてねぇですっ!」


 ◆◆◆


 アエリノールが結界の中でどんぐりを転がしていると、”ポンッ”と三つのどんぐりが飛んだ。

 

「わっ!」


 慌てて三つのどんぐりを掴んだアエリノールは、


「失くしたら大変!」


 と思った。

 ちなみにこの空間に隙間は無い。なので、絶対になくならないのだが……。


 だが、外界で起きた何かしらの出来事が、この空間に衝撃を与えた――ことに気付いたかもしれないアエリノールは、とりあえず結界の壁をぶん殴ってみる。


 堅い。

 そして硬い。


「こんなモノを斬ったら、剣が割れちゃうわ!」


 そう思うアエリノールの拳は、大丈夫なのだろうか?

 大丈夫なのだろう。何かの感触をつかんだらしいアエリノールは、ひたすらに壁面を殴りつけている。


「壊れないなぁ……あ、そうだ、蹴ってみよう」


 殴っても壊れない壁に辟易したアエリノールは、名案を思いついた――気になった。

 押してもダメなら引いてみよう、ではない。

 そもそも、押してすらいない。叩くだけだ。

 だから、叩いてもダメなら蹴ってみよう、である。壊すことしか考えていない。

 流石はアエリノールだ。


 だが、この時のアエリノールは冴えていた。

 彼女の蹴りは、見事ヒルデガードの作り出した箱庭を突き破ったのである。


 中空に罅が入り、アエリノールの足が見えた。

 それからは、ばりばりと空間を割るアエリノールの手足が動く。

 なんだか卵からかえる雛みたいだな――という感想をもったヒルデガードは、慌てた。

 

「ええええっ! 確かに私は動揺したかもしれねぇですけど、蹴って破れるって、あの女は化け物ですかぁっ!?」


 アエリノールはヒルデガードの結界から抜け出すと、周囲を見渡した。

 何故か蒼い竜が舞っており、その上にぐったりしたサラスヴァティがいる。

 ガイヤールはヒルデガードを牽制するように対峙して、アエリノール隊の崩壊を防いでいた。

 まさに、竜に護られたアエリノール隊である。


 ヒルデガードは恐怖に引き攣った顔で、プロンデルの様子を見た。


(もう潮時。誰が何と言っても、潮時。これだけ時間を掛ければ、万単位の兵を逃がせるはずでしょう! 十分です! 何より私があぶねぇんです!)


 この作戦は、あくまでも撤退戦だ。撤退の為に、突撃を敢行したに過ぎない。だから、必ずしも敵を倒す必要はないのだ。

 なのにプロンデルは、シャムシールとの一騎討ちに興じている。

 

「あああ……私がなんの為にいい――」


 絶望に駆られたヒルデガードだが、しかしふとプロンデルの魔力を確認した。


「ん? ああ、ちゃんと魔力は溜まってるじゃねえですか。だったら早く――」


 などという事をブツブツと言いつつ、ヒルデガードは逃げ回っている。

 しかしヒルデガードが現状を凌ぎ切るのは、至難の業だ。

 今もアエリノールから逃げていたヒルデガードは、退路を塞がれた。

 何しろ基本的な速度がアエリノールの方が速く、転移というアドバンテージも光竜の属性によって消されているヒルデガードだ、限界も近い。


指爆弾フィンガーボムッ!」


 それでも前方に現われたアエリノールに、右手を翳して五つの炎をぶつけたヒルデガード。

 アエリノールはその全てを顔面に受けて、ガイヤールの上で仰け反っている。


「けほっ! ヒルデガード、私に同じ技は、二度と通じないわ! けほっ!」


「――効いてるじゃねぇですかっ! 指爆弾フィンガーボムッ!」


 アエリノールの顔面に、またも火花が炸裂した。

 たしかにアエリノールにとって、こんなものはダメージに入らない。

 しかし二度と通じない、というのは少し言い過ぎだろう。しっかり喰らっているのだ。


 ヒルデガードは逃げつつ、再度結界の構築を目指す。

 どちらにしろ、戦っても勝ち目はない。ならば閉じ込めるしかないのだ。

 だが、ヒルデガードの思惑は、水竜によって邪魔をされる。

 ぐったりしたサラスヴァティを乗せた水竜が、ヒルデガードの軌道を逸らし魔方陣を描かせないのだ。


 水竜の心情は、


「面倒だ……」


 だったが、サラスヴァティのことは嫌いじゃない。なので、とりあえず手伝う事にしたのである。


「くっ」


 ヒルデガードが観念の呻きを上げたとき、アエリノールの白刃が目の前に迫る。

 アエリノールの殺気は、本物だった。

 やはり小細工無しで戦うとなれば、ヒルデガードに勝ち目など無かったのだ。


(ダメダメ! 私のお腹には子供がいるんですっ! 諦められる訳がねぇんです!)


 絶望の中でもヒルデガードは、プロンデルに視線を送る。

 ヒルデガードの碧眼を見たプロンデルは何かを悟ったのか、一瞬で呪文を唱え、溜めていた魔力を解放させた。


「ヒルデガードは殺させぬ、皆も」


 そんなプロンデルの意志を、水竜だけは感じたようだ。

 だから――アエリノールの刃がヒルデガードの首へ届くことはない。


「へっ?」


 代わりに勝利を掴みきれなかったアエリノールの間抜けな声が、サラスヴァティのぐったりした耳朶を撫でる。  

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