第三次カルス会戦 6
◆
全体で見れば、我が軍有利――そう表現出来るだろう。
だったら俺は、やはり奥に引っ込んでいた方がよかったのだろうか?
ジャンヌが倒れ、俺の眼前にはプロンデルとクレアがいる。
まあ、ピンチだ。
そもそもプロンデルを相手に一対一でも勝てるかわからないのに、”絶対破壊”なんてふざけた力を得てしまった腹黒女子を相手にするなんて――つらたん。
はっ。
思わず気分が学生に戻ってしまった。現実逃避も程々にしなければ。
だが、ジャンヌが死んだ――とは思うまい。
というより、今の俺にそれを受け入れる余裕などない。そもそも不死隊の戦う戦場でも、目まぐるしい変化が起きている。見ればパヤーニーが倒れ、サクルが咆哮していた。
今、俺は常時”全ての知識”に接続している。
だからそれらの状況は、手に取るようにわかった。
しかし解るからといって、飲み込める訳ではないのだ。
俺はそんなに、強くない。
右翼でも問題が起きている。
突撃を敢行したサラスヴァティが闇に捕えられ、アエリノールは光に捕えられた。
どちらもヒルデガードの仕業だ。
フローレンスの宮廷魔術師にしてプロンデルの性奴隷がこれほど戦えるとは、正直予想外だ。お陰で右翼が浮き足立ち、崩れ始めている。
もっとも、その様を見たジャムカがすぐに増援として駆けつけた。だから甚大な被害を齎す程には至っていない。
「余を前にして、考え事か?」
プロンデルが、俺に向かって突進してくる。
俺も、避けない。避ければ隙が出来るだけだから、俺はアーノルドに、こう命じた。
「ぶつかれっ!」
「グガァァァァッ!」
凄まじいアーノルドの咆哮が響く。
重力操作もせず、ただ敵の竜に突進したアーノルドは、自重にモノを言わせて体当たりをかます。
相撲でいったら、ぶちかましってやつだろうか。
しかしここでぶつかるのは、空を翔ける竜と竜だ。彼らがぶつかる衝撃音は、まるで雷鳴のようだった。
黒と白金の竜がぶつかり、長い首か交差する。
その最中、俺はプロンデル目掛けて、魔剣を振り下ろす。
水平に剣を持ち上げ、俺の剣撃を弾くプロンデルは、歯を食いしばりつつも笑っていた。
右、左と打ち下ろす剣を振り分ける俺は、既に”高速化”を使っている。
それでもプロンデルに掠りもしないのだから、たまらない。
クレアが背後から近づいてくる。
俺の背中に抱きついて、「だーれだ?」なんてやってくれるなら嬉しいが、彼女にそんな事をされた場合、俺の死は確定だ。
流石に俺の鎧と言えども、”絶対破壊”の力を防げるとは思えない。
「おれの愛――ごにょごにょ……が注入されておる。防げぬものなど、ないわ」
ネフェルカーラはこう言って防御力を保障してくれたが、肝心なところをぼかしていたため、何となく信用が出来なかった。
もしこれが愛情だとしてもネフェルカーラの場合、一周回って呪いに変わっている可能性だってある。油断は出来ない。
俺は咄嗟にアーノルドから飛んだ。
そしてグレネードングリを左手から射出すると、クレアに叩きつける。
着弾は確認出来なかったが、クレアの周囲で爆発は起こった。
アーノルドは重力を巧みに操り、プロンデルもろとも白金の竜を地へ落とそうとしている。
――二対一でも、いけるか?
俺がそう思ったとき、白金の竜が俺の頭上へ現われた。そして、真っ赤なブレスが迫る。
「おおおおっ!」
俺の背に、六対十二枚の翼が生まれた。
全力の”機動飛翔”だ。
大気中に衝撃を撒き散らし、俺はその場を離れる。離れつつ、プロンデルへ向けてグレネードングリをガトリングガンの様に乱射した。
魔法と違って、乱射できるドングリはありがたい。
いや、本来なら乱射出来る魔法もある。
しかし俺の魔法能力がちょっとアレな為、接近戦をしながらあれ程の威力を持つ魔法をぶっ放すことが出来ないだけだ。
例えば百発の”雷撃”を無詠唱放てば、そのうち二十発位は静電気レベルの魔法になってしまう。
俺は、わりとその辺の進歩がない。
この期に及んで未熟さを痛感するなんて、情けないことだけど。
「ふざけたマネを……」
爆炎の中から姿を現したプロンデルは、相変わらず笑っている。
白金の竜が所々傷を負っているところを見れば、ノーダメージという事もないだろう。
俺はどんぐりの残弾を確認しつつ、有効な禁呪を探す。
今の状況なら身体強化系か、敵を弱体化出来るものを選ぶべきか……。
だがしかし、全ての知識が俺に提示してきた魔法は、所謂”痛覚を無効化”する魔法だった。
いや――確かに危険な状況で体が痛かったら動けないけども、そうならない様に戦いたいのだからして、だね……。
『戦力比を相対的に評価すれば、八対ニ。現状で貴方がクレアとプロンデルに勝つ見込みは、低いでしょう。個人的には撤退を推奨します。戦力を整えて再戦なされば?』
相変わらず冷静な”全ての知識”の声が、脳内に響く。
(じゃあ、誰がここにいれば、この二人に勝てるんだよっ!)
『ネフェルカーラ、アエリノール、パールヴァティ、サラスヴァティ、パヤーニー、ジャンヌ・ド・ヴァンドーム――そのうち二人がいれば、優位に戦えます』
(そのうちジャンヌとパヤーニーは、戦力外になっちゃったけど!)
『アエリノールとサラスヴァティも、ヒルデガードの作り上げた異空間に囚われています』
(それにネフェルカーラだって、手一杯だろっ!)
『でしたら、パールヴァティをお待ちになられては?』
(は? 来るの? あのよく分からない神族が?)
『此方へ向かっています』
だったら最初から言え! と、俺は”全ての知識”に言いたかった。
もっとも、彼らのうち二人がいないと優位にはならない。ということは、パールヴァティだけが来ても、焼け石に水――なんて事になる可能性もある。
俺は再びアーノルドの背に乗り、魔剣を構えて周囲を見渡した。
それでもとにかく今は、負けない様に待つ。これしかない。
少なくとも軍が壊滅すれば、プロンデルだってここには居られないだろうから。
それにネフェルカーラが勝利すれば、すぐにもここへ駆けつけてくれるだろう。
だから俺は、決して焦らないようにしなければ。
◆◆
ネフェルカーラは、眼前のウィルフレッドに違和感を覚えていた。
戦闘能力が変わったというわけではない。だが、以前のウィルフレッドと比べれば、何か異質なものが見え隠れしている。
言葉にすれば”不気味”という一言で片付くだろう。
しかしネフェルカーラは性格上、退かぬ、媚びぬ、省みぬ――を地で行く存在。だから感じた不気味さを、軽く眉を顰めただけで拭い去ろうとしていた。
左手を翳して光弾を放ちつつ空間機動を最大限利用して、ウィルフレッドの死角から細身の剣を見舞うネフェルカーラは圧倒的だ。
一対一となった途端、ウィルフレッドを追い詰めてゆく。
反撃魔法を使われても問題無い魔法を放ち、反撃魔法を使われたならば、そのまま肉弾戦へ持ち込むという徹底ぶりだ。
加えてウィルフレッドの得意な魔法が風系統だと知っていたネフェルカーラは、徹底して中空に土壁を浮かべている。風に対して土は、絶対的な防御力を誇るからだ。
「随分と、私のことを研究をしてくれたようだ」
「貴様のような自意識過剰な男を、なぜおれが研究などせねばならぬ」
ネフェルカーラは言い放った。
これは決して、嘘ではない。
以前の戦闘は、確かに敗北といっても過言ではないだろう。
だからネフェルカーラは、とても悔しかった。
ネフェルカーラは、努力が嫌いだ。しかし負けるのはもっと嫌いだった。
なのでウィルフレッドの戦闘方法を幾度も思い返し、対策を立て、シミュレートした。
だが、断じてこれは研究ではない。
ネフェルカーラの趣味なのだ。気が付いたらやっていたことなので、彼女にとっては無意識のことだった。
一方、防戦に徹するカイユームも敵の特性をよく解っているらしい。
対峙するゼルギウスも、どちらかと言えば防御重視のタイプであろう。だからこそカイユームは、決定的な攻撃を仕掛けず、なるべく様子見に徹しているようだった。
「ネフェルカーラさま、早くそちらを片付けて、手を貸してくださいな」
加えて余裕じみた言葉を口にするカイユームは、敵の焦りを誘っている。
「くっ、これほどの結界を持った魔術師など……信じられぬ」
ゼルギウスの方は、自らの不利を悟らざるを得ない。
眼前の魔術師を倒す決定打に欠ける現状、ウィルフレッドも護らねばならないのだ。
もっとも、ウィルフレッドが”覚醒”すれば、ネフェルカーラと再び互角以上に戦えるだろう。
だが、その場合――エベールに気付かれるというリスクがあった。
「ザビーネっ! 何を遊んでいるかっ! 魔族一人を相手に、何をモタモタしているっ!」
結局ゼルギウスの苛立ちは、同僚のザビーネへと向いた。
何しろザビーネが戦う相手は、下等種族である魔族なのだ。上位魔族であるザビーネが負けるはずのない相手である。
にも拘らずザビーネは、敵の魔法を打ち払うのに、多大な苦労をしている様に見えた。
「くっ、わかっているわ! 魔族のクセに、調子に乗るんじゃないわよっ!」
ザビーネが金色の瞳に涙を溜めている。
三対六枚の翼も、どことなく萎れ気味にみえるから、割と本気で凹んでいるのかもしれない。
挙句にシャムシールが展開した六対十二枚の翼のせいで、自信まで喪失していたザビーネである。
(天軍の元第八師団長で、熾天使なんだけどな、私)
ザビーネの矜持が拉げ、捥げそうなときにザーラが叫ぶ。
「魔族が上位魔族よりも弱いと、誰が決めたぁぁー! にゃん」
「にゃん!?」
ザーラの赤い瞳が、憤怒に燃える。
一般的に赤い瞳は、魔族の血が濃いといわれていた。
だから闇妖精も魔族の眷属であると言われているし、赤い瞳を持つテュルク人なども、魔族の血が入っていると云われている。
並みの人よりも強いが、上位種には及ばない魔族。そして魔界においては、常に上位魔族の下でいる事を強いられる魔族。
ザーラは自分自身の血が、今まで許せなかった。
中途半端に過ぎるこの血は、どこへ行っても煙たがれる。
そして上位魔族が現われた途端、どこでどのような地位を得ようとも、一瞬で覆されるのだ。
言ってしまえば上位魔族とは獅子で、魔族は胡狼のようなもの。酷く不公平だった。
ザーラはだからこそ、ネフェルカーラが嫌いだった。
上位魔族の特徴は、強大な魔力と金色の瞳。
しかしネフェルカーラの瞳は緑色。
魔族でもなく上位魔族でもなく、人間だと言い張り、強大な魔力を操る魔人。
そして――その魔人にどうしても勝てなかった自分。
けれど、ザーラは今、思いなおしている。
ネフェルカーラは、決して自分を下位種として扱わなかった――と。
たしかに、殴られたし蹴られたし、裸にされたし砂漠に捨てられた事もある。
(けれどそれは、私が挑んで、負けて――弱かったからだ)
(だというのに目の前の上位魔族は、私が魔族であるという一点で、弱いと断じている)
ザーラの口元に、笑みが広がる。
左手に、覚えたての禁則呪文を用意して、右手の剣は油断なく構えた。
「ザーラよ、思い知らせてやるがよい」
ふと、ネフェルカーラの声がザーラの耳に入る。
そう、今のザーラは上位魔族が何であったのか、全てを知っている。
彼らの大半は、上位天使であったのだ。いわゆる熾天使である。
だからこそ上位魔族達は、三対六枚の翼を持っていた。
そしてその中でも最大最強を誇った七大熾天使が一人、イズラーイールを母に持つネフェルカーラ。
七大熾天使が誇るは四対八枚の翼であり、全ての天使達を率いるルシフェルは、六対十二枚の輝ける翼をもったという――。
だがそれは、あくまでも禁呪による特殊効果を誇らしげに展開したに過ぎないのだ。
「おまえ、やはり元熾天使か? にゃん」
「そ、そうよ? だからにゃんって、なんなのよ?」
「禁呪――機動飛翔」
魔法の同時展開は、相応の実力が無ければ不可能な事だ。
かつて魔族で、それが可能な者は数える程しかいなかった。いや、今でもそうだろう。
しかしザーラは、それを容易く可能とする。
ザーラの背に、三対六枚の翼が生まれた。
その数は、一般的な熾天使と同数である。
それはすなわち、ザビーネと同数の翼を展開させたということだ。
「ネフェルカーラさま、余裕がおありなら、どうぞ」
「ふん……」
ネフェルカーラがザーラの声に応えるように、自らの背に四対八枚の翼を生む。
これでこの場における位階は、誰の目にも明らかになった。
ザビーネは、かつての天軍をシャムシール軍に見出す。
六対十二枚の翼を持つ、天使長の如きシャムシール。
四対八枚の翼を持つ、七大熾天使を彷彿させるネフェルカーラ。
そして、熾天使の証である三対六枚の翼を背に現したザーラ――。
「あ、ああ……」
「何を驚いているの? 魔法の羽を、さも力の象徴ででもあるかのように見せる彼方達に合わせてあげただけよ」
口元をわなわなと震えさせるザビーネに、ザーラの冷笑は辛辣だった。
紫色の紅がひかれたザーラの口元が、三日月形に歪む。
「もういいわ、貴女、死になさい……破壊大帝の槌」
突如上空から振り下ろされる巨大な槌がザビーネの頭に当たり、そのまま地上まで振り下ろされた。
凄まじい破壊音と、砂埃が立ちこめる。
「なによ、剣を使う必要、なかったじゃない……にゃん」
ザーラは知らず、魔族の範疇を超えた。こうして、新たなる上位魔族が誕生したのである。
(おれが使おうと思っていた魔法だったのに!)
ザーラが使った魔法に、多少嫉妬したネフェルカーラはそそくさと翼をしまう。
馴れれば翼からも光弾を飛ばしり、毒針的なものを射出したり出来るようになりそうだが、それは求めないネフェルカーラである。
今回の場合はザーラの求めに応じて、ただ威圧しただけだった。
「ふぅ。背に腹は、代えられないか」
ネフェルカーラの目の前で、ウィルフレッドの様子が一変する。
髪がふわりと持ち上がり、マントが靡く。
ウィルフレッドの内から、強大な魔力の迸りを感じたネフェルカーラは、暫し目を細めて観察した。
この余裕が、ネフェルカーラの悪い癖だ。
待たずに、さっさと敵を倒せば済む話を、彼女はこうしてややこしくするのだ。
「だって長い人生、楽しみがないと……」
シャムシールに怒られた結果、ネフェルカーラはこう答えたという。
やはりこれも、趣味だったらしい。
「ウィル――ルシフェルさま――! なりませぬ! エベールめが、近くにおりますぞっ!」
「私が半身に喰われるならば、それまでの事と心得よ――それに私は、ウィルフレッド。ルシフェルと呼ぶな、そう言ったであろう?」
「はっ――されど――!」
ウィルフレッドとゼルギウスのやりとりを、ネフェルカーラの哄笑が掻き消す。
「ふはははははは――! なるほど、そういうことであったか。神を倒せぬ愚かな天使長が、無様にも半神に力を求めた、と。ふははははは――!」
状況を瞬時に理解したネフェルカーラは、冴えていた。
もっとも冴えていた所で、何の解決にもならないが。
事実、ウィルフレッドが最初に倒し、喰らったという上位魔族は、ルシフェルだった。
ただし、このルシフェルはいくつにも分割されたルシフェルの一部――そう言い換えたほうがいいだろう。残滓のようなものである。
本来のルシフェルは遍く現界に力を齎し、既に滅していた。その中で、彼の未練が上位魔族の姿を形作り、意志を持ったものをウィルフレッドが倒したのだ。
そしてゼルギウスの目的は、かつてのルシフェル――その完全復活である。
”キィィィィン”
場の空気が、張り詰めた。
左手を翳したウィルフレッドは、軽く二発、光弾を放つ。一つはネフェルカーラへ向け、もう一つはザーラへ向けて。
「闇王よ――永久に光を飲み込むがよい――黒穴」
ネフェルカーラは自らの前に、平面状の闇を生み出した。
壁ではなく、異空間へ繋がっているわけでもない。
だが、中央が異様に収縮した”それ”は、ウィルフレッドの放った光を飲み込み、消えた。
ザーラは、自らに幾層もの結界を張り巡らせる。
そして光の壁、闇の壁、土の壁、風の壁を同時展開した。
しかし光弾はその全てを砕き、ついにザーラへ突き刺さる。
凄まじい衝撃音と共に、ザーラは落下した。
命は落とさなかったようだが、戦闘は、もう不可能だろう。
全身の骨がズタズタに割れて、ザーラの魔力は枯渇した。
「あれ、ザーラ。これは出来なかったのか……」
ネフェルカーラのうっかりだった。助けようと思えば、助けられたのに。
カイユームが、赤い眼鏡を直しながら溜息をついた。
「はぁ……ザーラ、気の毒に。助けて欲しい時には、助けてと言わなければ」
そういうカイユームにも、もはや余裕がある訳ではない。
ウィルフレッドの雰囲気が変わり、戦闘力がましたのならば、もはやネフェルカーラに助けを求めることは出来ないだろう。
ならば、ここでしっかり眼前の敵を倒さねばならない。
「光斧降臨……って、重っ!」
カイユームは、自らの魔法で斧を作り出す。
斧は、かつてカイユームの主武器であった。
それは、サクルと親友だったからこそ、選んだ武器だ。
しかし、カイユームにはサクルのような膂力はない。
無いが、今、ゼルギウスの鎧を突破できる可能性がある武器は、カイユームの中でこれしかないのだ。
「魔術師が武器を持ったところで、何ほどのものか……」
ゼルギウスの剽悍な顔に、嗜虐的な笑みが浮かぶ。
ローブ姿で金色に輝く斧を持つカイユームは、少しだけへっぴり腰だ。
これで勝負になるのか、ネフェルカーラとしては不安がある。
しかし、ネフェルカーラも他者を心配する余裕は、もはや無い。
ルシフェルの力を引き出したウィルフレッドの攻撃は、早く、重く、そして多彩だった。